東の国の中心国タタミ。その国には少し前から奇妙な噂が立っていた。
夜な夜な道を歩いていると、大きな男がすれ違い様に背中を斬ってくるという。
「辻斬りだ、間違いねえ。俺は見たんだ。ありゃ西の国の奴だ、オークだよ」
一人の飲んだくれの男が酒屋の亭主にそう言った。
亭主は「そうでござんすか。そりゃ大変ですな」と、慣れた対応で男の話を流す。
男は焼き魚の切り身を頬張りながら酒を飲み、話を続けた。
「そういやよぉ、今日向かいの飯屋にお侍様がいたんだよ。今どき珍しいよな刀持ちなんて。今の若い奴は侍なんて鼻糞だなんて言いやがる。東の心を忘れやがって」
「そうでござんすか…。お侍様ですか。今となっては懐かしい響きでござんすねぇ…」
しみじみと遠い目をしながらサバの蒲焼を皿に盛り飲んだくれの男に差し出す。
男は「おっ!待ってました!」と意気揚々と箸を持ちカッ食らった。
もうそろそろ夕刻に近い頃の話であった……。
――外がすっかり暗い頃。そろそろ酒屋の中が賑わってきた。
亭主は飛び交う注文に長年の感と腕でスパッと答えていく。昼ごろからいた飲んだくれの男は、相変わらず酒を浴びるように飲んでいた。
「かああー!この一杯の為に生きてるようなもんだ!」
男がそういうと周りの客達も「違いねえ!」と酒を飲む。酒屋は今日も疲れた労働者達を癒す場になる筈だった。男達が良い具合に仕上がって少し立った頃、一人の若者が慌ただしい様子で店に入ってきた。
「でっ…出た!辻斬りが出た!!」
騒がしい酒屋が一瞬にして静まりかえった。店の亭主は落ち着いて、入ってきた若者に対して水をそっと差し出した。その水を若者は一気に飲み干して多少の落ち着きを取り戻す。
「また辻斬りか…。これで何回目だ?」
「丁度十回目だ。今までタタミは平和だったのに…、西の国の奴らが来てからだ!」
入口の近くに座っていた漁師の男が言う。それに続くかのように「そうだそうだ」と、酒屋にいた飲んだくれの男と店の亭主以外は意気投合し、「辻斬り狩りだ!」と言って店を出ていってしまった。
賑やかな場所から一転、虫の声が聞こえるほどに静まりかえる。
「やれやれ、タタミも住みにくい国になっちまったな。民は血の気が多くなり、剣持て槍もて弓を持て。人殺しの集団になりかけてやがる。戦争でもおっぱじめようって奴らもいやがるし、そろそろこの国も終いかもしれねえなぁ…」
飲んだくれの男はそう言って、飽きもせずに酒をちびりと口に含み魚の切り身を頬張る。
「まっ、俺っちはここでゆっくり酒が飲めればそれで良いけどな」
「
亭主の言葉に耳を貸さずに酒をちびり。ため息をついて入口付近の机の皿を回収しに行く。
溢れた酒を布巾で拭き、食器を重ねて水に浸す。そろそろ店仕舞いをと外の暖簾を外しに外へ出たその時
「おっと。すまねえが、まだやってるかい?腹減っちまってよ」
刀を腰にぶら下げた六十歳程の爺が店の前に立っていた。爺と言っても人並み以上に背は高く凛々しい顔つきをしたハゲの爺だった。
亭主は「へっ…へい。これからが稼ぎ時でござんすから。さっ、どうぞ入んなすって」
爺を店に招き入れた。暖簾をそっと元に戻して。
亭主が調理する場所から一番近い席に爺は座り、刀の具合を確かめながら料理を待つ。
寛次は爺の存在に気付き、あっ!と大きな声を出してこう言った。
「向かいの飯屋で見たお侍様だ!あれっ?でもちょいと老けすぎやしないかい?」
「寛次さん、お客さんに失礼ですぜ。すいやせん、今日はなんにしやすかい?」
「そうさな…。ここの酒屋で一番美味い酒と飯をくれ」
亭主はそう聞くと「あいわかりやした。お任せでござんすね。少々お待ちを」と言ってすぐに調理を始めた。飲んだくれの男は爺の方をちょいちょいと突っつき、なにやら耳打ちを始めた。
「まずいですぜ旦那。ここは見た目こそ汚いがタタミ一の料理人と唄われる男
寛次が不安がる一方、爺はてんで涼しい顔をして料理を今か今かと待っていた。
刀を打ち粉で丁寧に手入れをしていく。亭主が着々と料理を作る中、寛次は酔いを回す為酒を浴びるように飲んでいくが、気になって酒を飲んでも酔うことができなくなっていた。
丁度刀の手入れを終え鞘にしまう頃、亭主の料理は完成した。
「あいお待ちどう。穴子の白焼きとタタミ酒でごぜえます。タレを使わないで穴子の表面に粗塩をサッと塗して口説い脂を食べやすくしやした。どうぞ」
「ええっ!?穴子なんて置いてあったのかい?それにタタミ酒なんて高価な酒…!」
「ほう。こりゃ精が付きそうだ。いただくぜ」
さっそく穴子の白焼きとやらを口に頬張る。爺は笑みを浮かべた。そして出された酒をグイッと男らしく飲み、また笑みを浮かべた。
「いいねえ。やっぱり東の食いもんは体に馴染む。この穴子美味いな、酒と良く合う」
「ありがとうごぜえやす。この穴子は天然物でして、今の市場では中々お目にかかれない代物でござんす。最近は天然と偽り養殖を売る漁師が増えましてねえ。本物の天然物は
――現在の東の漁師達は西の珍しい魚介類を求めて遠出してるんでさぁ。そんで残った漁師達ときたら手を組んで、漁師達の組合を作りやがった。素人目には天然と養殖の違いがわからないことを良いことに好き放題してるんです。あっしは昔からの知り合いの漁師達がいるんで養殖をつかまされることはまず無いんですが、最近ではその漁師達も警戒されて迂闊にあっしの店に魚を下ろせないんでさぁ。養殖を扱うのが嫌ではないんですが、舌の肥えた常連のお客さん達には申し訳なくて出せないんですわ。
皆あっしの料理を楽しみにしていらっしゃるんで、そんな人達の期待を裏切りたくないんでさぁ。御上に取り入っても聞く耳持たずでして、結局は自分達が良いものを食えればそれで良かったらしく、それ以降行ってもあっしは門前払いを食らってます。なんとかしようにもあっしのくたびれた体じゃあそこらへんの山賊にも勝てやしません。ここで大人しく料理を作るしかないんでさぁ…。
――包丁を振るいながら一馬は淡々と話した。爺は酒をグイッと一気に飲み干す。
「知らなかったぜ。俺が西に旅に出てる間にそんなことになってたなんてよぉ…」
「俺ら漁師は御上には逆らえないもんで、それを良いことに組合の人間共は俺達から絞れるだけ搾り取るつもりなんです。それで漁師を辞めた人間は後を絶たない。ここに来る連中はみんなそういう奴らなんです…」
寛次もしょぼくれた顔で話し出す。彼も組合に良いように利用されている漁師の一人だった。一馬は「まあお侍様には関係のない話でござんす。忘れてください。ささっ、今日はお飲みください」と言ってお尺をする。爺は黙ってお猪口を差し出した。
しばらく酒を飲み、そろそろ丑三つ時だという頃に、爺は酒屋を出ることにした。
「おし…そろそろ出るか。宿はどっちだい?」
「ああ…、お宿でしたらここを出て右にずっといった所にありやす。寛次さん、帰るついでに案内してあげてくだせぇ」
「お安い御用だ!さあお侍様、俺っちの後をしっかり付いてきてくれよ!」
支払いを済ませ、意気揚々とした寛次の後ろをついていく。外は真っ暗で明かりがついているのは段々と遠くなっていく酒屋と、ちらほらとすれ違う見回りの提灯の灯りくらいだった。虫の鳴き声が耳に入るほど静かで人気が無かった。
爺は、寛次がやたらと周りを気にしているのを見て少し違和感を覚える。
「おいどうした?まさか道に迷ったとは言わねえよな?」
「いや…、ここは先週に辻斬りがあった場所でして、一応警戒をと…」
「辻斬りか…。その様子だとまだお縄になってないらしいな…。種族はなんだ?」
「オークです。俺がこの目で見ました。すげえデカイ奴だったんですぜ…」
寛次は更に辺りを気にし始める。風で靡く茂みの音にすら驚いて、その度に爺の背中に隠れている。これでは前に進まないと踏んだ爺は寛次から提灯を取り上げてこう言った。
「馬鹿やろう。オークは辻斬りなんて下衆なことはやらねえよ。俺が前を歩くから付いてこい」
そう言うと寛次は「へいっ!」と言って酒屋の時の調子に戻りだした。
少し歩くと、灯りがうっすらと点いている宿と書かれた看板の前についた。寛次は宿の裏に家があるらしく、軽く挨拶を済ませそそくさと家に帰っていった。
提灯の灯りを消し宿の
三十過ぎの無精髭を生やした人間が爺に近づき一礼をする。
「こんな夜更けにようこそ。すぐに部屋のご用意を致します」
提灯を店の入口付近に掛け、中へ案内される。流石に深夜とあってか二人の足音以外の音は他の客の寝息しか聞こえない。通された部屋は至って普通の和室。
爺は一段落と刀を畳に置き懐からキセルを取り出し、西の国の火付け道具マッチを使い火を着ける。キセルをうまそうに吸い、終わると机の角でキセルを叩き灰を外に出す。
下には灰皿を置いてあるので灰が落ちる心配はない。
「さて、今日はもう寝るか……」
蝋燭の火を消し爺は布団で静かに朝を迎えることにした。
しかし、爺が寝付く直前に事件は起きた。
「辻斬りだぁー!助けてくれぇー!!」
どこからともなく助けを求める声が聞こえた。爺は目を見開き刀を持って宿を飛び出す。
どこから聞こえてきたのかと辺りを見回す。すると道に蝋燭で燃えている提灯を発見した。そして多量の血が地面の砂を真っ赤に染め上げている。血が目印になり点々と血の後が続いていることに気付き、その方角は酒屋の方であるとわかった。瞬間、悲鳴が聞こえた。
急いで駆けつけてみると、助けを求めていたであろう人間は既に息絶え地面に転がっていた。人間を斬ったであろう辻斬りらしき奴は、人間の死体を漁っていた。
緑色の肌に筋肉質の体型、人間よりもデカイその体は間違いなくオークだった。
「おいそこのオーク。てめえが辻斬りだな?」
爺がそういうと、オークは死体漁りをやめて爺の方を向いた。
「……人間の質問には答えない。早くどこかへ消えろ」
オークは腰に付けていた手斧を手に取り爺に向けながら話す。しかし爺は動じずに冷静に刀の柄に手を置いた。数秒の沈黙が生まれる。
沈黙を先に解いたのはオークの方だった。素早く斧を爺に向けて投げつける。
それをヒラリと避けて爺も懐から何かを投げつけた。それにオークも気がつきヒラリと避ける。チャリンっと、金属の鳴る音が聞こえた。
「へへっ、そんな物騒な物投げちゃいけねえよ」
「………」
「お侍様!なにか悲鳴が……ああ!辻斬りだ!辻斬りオークが出たぞぉ!!」
駆けつけた寛次が騒ぎ立てる。家から人が何事かと出てくると、オークを見るなり寛次と同じことを言い騒ぎ立てる。さすがにマズイと思ったのかオークは頭巾のようなものを被り顔を隠した。そして逃げる直前、爺の投げた物を拾い上げ投げ返す。
「小銭は投げる物ではない」
そう言ってオークは民衆が群がる前にその場から走り去っていった。
「お侍様、大丈夫ですか?」
「俺は平気だ。しかし来るのが一歩遅かった」
無残に転がった死体を指さす。両手を切断され、地面には血の池が出来ていた。
寛次は耐え切れずにその場から目を背ける。次第に民衆は集まり死体を見ては吐く者、オークに怒りを覚える者が現れ始めた。そこにひと足遅れて一馬が様子を見にきていた。
爺に気がつくと「お侍様、これはいったい?」と訪ねた。
「辻斬りだ。助けられなかった」
「またですか。酷いやられ方だ、両腕が綺麗に斬られている。とても鋭利な刃物で斬られたんでしょうな…」
周りが辻斬りの話題で持ち切りの中一人、冷静に死体を調べ死亡原因を探った。
爺もよく腕の切り口を見てみると、綺麗に切断された大根のようにスッパリと切れている。
更に、オークが投げた斧を拾い上げ見てみると、付着するであろう血が一滴も付いていない。血を払った形跡も見られなかった。
「…うーむ。これはちょいとおかしいぜ。調べる必要があるな」
しばらくするとお役人の集団が来て野次馬を追い払い、状況を把握した後周辺の警備を一時的に強化するとの条件で民衆を宥めた。これでひとまずは安心といったところだ。
爺も宿に戻り布団に潜った。オークの投げた斧を枕元に置きながら……。
――年寄りの朝は早いもので、太陽が昇り始めて間もないころにはすでに外で太陽の光を浴び、新鮮な空気を吸いながらひとり体を動かしている爺。
刀は抜かず、そこらに落ちていた手ごろな棒で朝の鍛錬を始めていた。
素振りを永遠と繰り返していざという時すぐ刀を振り回せるように腕の筋肉を常に万全な状態に保たなくてはいけない。年をとれば尚更である。
爺の肉体は年寄りの体とはかけ離れていた。現役の大工も思わず唸りそうなほど筋肉が発達している。
「コケーコッコッコ!コッケコー!!」
宿屋で飼われている鶏達が一斉に鳴き始める。朝食の時間だ。
棒を地面に置き乱れた息を整えてから部屋に戻っていった。部屋に戻ると、使用人らしき若い娘がちょうど朝食を持ってきているところだった。
「お客様、朝食にございます」
その娘は人間ではなく、エルフの若い娘だった。結んだ金色の髪と白い肌、東の国では珍しい尖った耳が特徴的な『ホワイトエルフ』だった。爺は気にせずに出された朝食の前に座り食べ始めた。その様子を見ているエルフは呟いた。
「……なにも聞かれないのですね」と。
爺はピタリと食事を止めエルフの顔を見ると、ニヤリと笑いながら口を開いた。
「別に何も聞きやしねぇよ。エルフなんて西の国で山ほど見てきたからな。お前さんより美人のエルフは目が腐るまでお目に掛かったぜ」
そう言って少しお茶の残った湯飲みを差し出す。若いエルフは黙って湯飲みにお茶を注いだ。そして箸を扱う音と味噌汁を啜る音だけがその場に留まった。
外は徐々に活気だっているにも関わらずその場だけは、その二つの音だけがあった。
先に新たな音を加えたのは若いエルフの方だった。爺の手を掴み箸を止め、こう言った。
「この国は、タタミは危険です。早々に国を発ってください」
エルフの顔は強張っていた。その言葉を聴くと爺はすかさずこう答えた。
「嫌だねっ」と。更に爺は続ける。
「せっかく東に帰ってきたんだ。ここに当分泊まるための金も払った、雇われ使用人にどうこう言われる筋合いはねえよ」
爺は少し茶碗に残った飯にお茶をかけ、少々の魚の身を乗っけて啜り食べた。
そして食い終わると、刀を抜き打ち粉を打ち始める。
「それ下げといてくれ。昼は外で食うからいらねぇぞ」
「…かしこまりました」
エルフが部屋を出て行くのを見届けると、打ち粉をやめてお茶を一杯入れて啜る。
「…さて、この斧はどこの部族の持ち物なんだ?」
昨夜に頂戴したオークの斧をまじまじと見つめる。それほど粗悪な代物ではなく、そこいらの鍛冶屋に売れば中々に高値で買ってくれそうなものだった。斬ることに重視した作りで刃は鋭く太い。斧の背の部分には首が複数生えた蛇の絵が描かれている。
「ほう、こりゃあひょっとして…」
「お侍様!起きてますかい!?寛次です!」
寛次が爺の部屋に入ってきた。斧をサッと後ろに隠し何食わぬ顔をする。
「おめぇは昨日の…。一体なんのようだ?」
「へい!実はお侍様にお頼み申したいことがございまして!」
懐から一枚の薄い木の板を取り出す。それは昨夜に起きた事件についての詳細と、オークの人相書きが描かれた瓦版だった。下顎の犬歯が口から少しはみ出ていて、目つきが鋭く描かれたいかにも悪い顔だ。爺は一体どういうことだと口に出そうとしたが、やめて深いため息を吐く。
「俺っちの証言で人相を描いたものです。お侍様に頼みたいというのは…」
「こいつを探して首を取れってことか?お断りだ。他を当たりな」
「いやいや!そういうわけじゃございませんて!今日の昼俺っちが港に出向くんですが、その道のりまで用心棒になってくださいませんか?最近はなにかと物騒ですから。これが謝礼です」
そういって寛次は懐からズッシリと重みのある巾着袋を取り出し爺に手渡した。
中には東の国の通貨である
爺は少し黙ったあと、巾着袋から閻を数枚取り出し懐に入れて寛次に投げ返す。
「今日の昼飯代だけで十分だ。用心棒にそんな大金使うもんじゃねぇ」
「へっ…へぇ。お侍様がそれでよろしいんなら…。じゃあ昼はあっしが奢りますよ!港でしか味わえない海鮮丼をご馳走しますんで!じゃあ、ごめんなすって!」
慌しく部屋を後にした寛次を見届けた後湯飲みに茶を注ぎ、ずっ…と啜った。
「へっ。もう渋くなってやがる」
昼頃になって爺は宿の外でキセルを吸っていると、寛次が荷物を抱えて歩いてきた。
「おまたせしました!じゃあ行きますか」
爺は無言で首を縦に振る。口から煙をふぅっと噴出し、キセルの中身を叩いて外に出してから懐にしまう。
二人はタタミの外に向かうため門前を目指す。辺りには市場が広がり、魚屋や八百屋に珍品屋が店の外に暖簾を上げて商売を始めていた。目に止まるのは魚屋の魚。港から直に届けられた魚は見れば見るほど太陽の光を反射する。銀色の皮の下には身が締まっていて美味いに違いない。そう爺が考えていると寛次は小声で爺に言う。
「駄目ですぜお侍様。あそこの魚は色は良いが身がスカスカでとても食えたもんじゃありません。あそこの
周りの魚屋を毛嫌いするかのように話す。表情は怒りか悲しみか、どちらも似つかない顔だった。一人の魚屋が寛次と目を合わすと、慌てて別の方に目をやる。寛次は目を合わせた魚屋に近づき少し声を低くしてこういった。
「よう
「えっ…!?ちっ…違うんだ寛次さん。これには深いわけが…」
「おっといけねぇ。聞く耳を家に置いてきちまったぜ。残念だなぁ狭山さんの言い訳が聞けなくて。じゃあ仕事に精を出してください。この裏切り者」
最後は吐き捨てるかのように発する。爺の隣に戻ってきた寛次は辺りを睨みつける。
すると他の魚屋も寛次からは目を反らす。中には眼を飛ばしてくるところもあるが、一度寛次が声を出せば小さくなってしまう。
「すんませんお侍様。ここいらは俺っちが仕切っていたんですが、今やどこの魚屋も組合の言いなりなんです。唯一抵抗している数少ない漁師の代表として、俺っちが港に出向くんです。組合に話をつけないと漁師の商売が上がったりなんです」
爺は黙ってキセルを吸いながら話を聞く。辺りを見回すと物騒なもので、包丁や木こり斧を持った男や女共が爺達を物陰から見つめていた。しかし襲ってくる気配はない。むしろ怯えているかのようだ。気がつけば周りは住民が生活をしている場所を歩いていた。酒に溺れている男もいれば、物乞いをしてる子供がいる。
「タタミは確かに繁栄してる。でも影で苦しんでいる人間達は大勢いる。それを分からせる為に俺っち達は組合に話をつけねばならんのです」
「……まぁ、無理だろうな」
爺が煙を吹きながら答える。更にこう続けた。
「一度自性を覚えた猿が死ぬまでやってるのと同じだ。組合とやらは悪事の味を知った。講義しにいったところで話を聞くはずがねぇ」
「それでも行かないとならんのです。俺っちは…、俺っちはきっと元のタタミに戻ってくれると信じてます」
寛次は足を速める。爺もその速さに合わせて足を動かした。
少し進んだところに木で出来た大きな門が目の前に立ちはだかる。ちょうど隣の建物から武装した兵士が出てきて、二人をジロジロと見始めた。
「…ああ、寛次さんでしたか。そっちは付き添いの人だな。戻ってくる時は門を四回叩いてください。それが合図です。門を開け!!」
木の門が軋んだ音と共に開く。前に見えるは何もなき一本道、草が多少と木が少々並んでいるだけの質素な道。その遥か向こうに見えるは一面の海が広がっている。
その道はアマベ港に続くタタミ街道という名称で、一般人の立ち入りは禁止されている。
漁師や組合の者達だけが出入りできる特別な門だったが、辻斬り騒動から漁師でも一部の人間しか通行を許されないようになっている。
潜ると同時に門は閉められ、合図を行うまで誰も通行は許されない。
二人は港に向かって歩み始める。
特に目新しいものはなく、二人は黙ったまま港に向かう。
「それにしても、お侍様はなぜタタミに来たんですか?お見受けしたところ里帰りでもないようですが?」と寛次が爺に言う。キセルを懐から取り出しマッチで火を点け、煙を吹いてから答える。
「ただの気まぐれだ。強いて言うなら旅行だよ」
「旅行…ですか。そりゃなんとも厄介な時にタタミに来ましたね…。この国は今危険な状態なんです。辻斬りは勿論、お上の傲慢に組合との論争。とても観光できる状態じゃありやせん。俺っちが保障しましょう」
「そんな保障はいらん」
爺が話を区切り、寛次よりも先に歩みを進めた。
侍的ななにかを書きたかった