「お侍様、ここがタタミの国一の港でごぜえます」
キセルを吸いながら爺は指差された港を眺める。何十隻と並んだ漁船の数と人だかり。
ここにいるのほとんどの人間は漁師だ。魚を陸に上げて競(せり)をしている最中のようだった。
地面にズラリと並んだ大きな魚の数に爺は目を細める。大きな箱の中にこれでもかと言わんばかりに押し込まれた鯖(さば)。丸々太った巨大な黒鮪(くろまぐろ)の目はギロリと爺を睨みつけているかのようだった。
「お侍様、見ていかれますか?今の時間なら組合の連中もまだ来てないはずですから」
「そうだな。時間があるなら見ていこう」
なら決まりだと寛次は荷物を背負いなおし爺を中に案内する。
漁師達は寛次を見ると腕を振って答えてきた。どうやら仲間のようだ。
「寛次さん!今日は随分と早いですね!今ならまだ組合は来てませんよ!」
一人の若い男が言う。髪は短髪の黒で瞳の色も黒。身長は低めで体つきはどちらかと言えば平凡。寛次は魚をチラリと見る。一見綺麗で美味そうなものでも、その道のプロが見れば一目で質や鮮度が分かるという。険しい顔つきで寛次は魚を手に取る。
「やっぱり質が落ちてるな…。それにこれは『半天然』の魚だ。これは売れない」
「……やっぱり駄目ですか?ここいらの海域はもう天然物は絶望的です…。それこそ未知の海域に出て魚を捕らないと天然なんて夢のまた夢ですよ…」
若い男が言う。そこに置いてある魚を寛次がじっくりと質を確かめる。幸いにも黒鮪は正真正銘の天然物で、なんとか売れる代物だった。他は半天然で売りに出せるほどではないと寛次は言う。
「寛次さん、組合は本気で俺達を潰す気だ。これじゃあ俺達生活できねぇ。早くなんとかしてくれ!頼む!この通りだ!」
漁師一同が頭を下げる。
「任せとけ!俺がガツンと言って聞かせてやるからよ!」
握り拳を突き上げて威勢良く言う。やれ急げと港の奥の方にある小さな町の方まで走っていった。爺は静かにキセルを吸う。一人の漁師が爺に話しかけた。
爺よりも若いが、漁師の中では一番老けて見える頭に布を巻いた男。網を引っ張るために発達した両腕は若者に引けをとらず、勇ましささえ感じられる。
「あんたお侍様だろ?タタミにはもういないと思っていたんだが…、生きているうちにまた刀が見れてよかったよ。寛次さんの用心棒かい?」
爺は一言も喋らず、ただ首を縦に振った。
「しかし随分と老いてるな…。腕は確かなのかい?」
男がそう言い終わる瞬間、頭の布がハラリと宙を舞った。何事かと布を手に取ると、結び目の所が切れていた。爺は刀を抜いた様子はなく、キセルを吸って煙を吹いている。
「……あんた、今の一瞬で刀を抜いたのか?」男がそう言うと爺は首を横に振り、腕をピンと伸ばして振ってみせた。空手の達人ならば刃を使わずに自らの手を刀として物を斬りおとすことができるという、手刀(しゅとう)を使って見せたのだ。
男は顔を強張らせ、冷や汗を垂らしながらニヤリと笑う。
「おっかねえな…。平手で布を切っちまうなんて、あんた本当に人間かい?」
「人間さ。今のは鍛えれば誰にでもできる小技だ」
そう言って先に歩いている寛次の後を歩いて追いかける。浮かない顔をしている寛次の横に立ち、キセルを石の端に打ちつけて中身を出して懐にしまう。
二人の姿を見送る漁師達は、落ち着きがなかった。なにもできない自分達に代わって組合に抗議に向かう寛次の応援しかできない自分達に負い目を感じていた。
ところ変わりそこは一馬が経営する酒屋『あじまる』
まだ準備中のため中を清掃作業している一馬と一人のエルフ。
そのエルフは宿屋にいたホワイトエルフだった。着物の袖を結び一生懸命に布巾で椅子や机を拭く。
「アルバちゃん、ここらで一息入れようや」
一馬が調理場の隅から取り出したるは西の酒。葡萄(ぶどう)と呼ばれる紫色の果実が原料のワインという少し赤みのある酒。アルバと呼ばれたホワイトエルフは一馬の空けた酒瓶の音を聞くと、少し嬉しそうな顔をして「ワインですね!?」と言った。
焼酎を入れる木の器に並々と入れて、ワインの芳醇な香りが店の中に充満する。
酒が弱い者ならその香りだけで酔っ払ってしまいそうなほど濃厚な香りで、一馬も思わず唸ってしまう。
「なんて匂いの強い酒だ…、焼酎とはまた違った良さがあるんだな…」
「これは私の住んでる森のワインですね。とても香りが強くてそれだけで酔ってしまう人間もいるんですよ。まさか東で懐かしい香りを嗅げるなんて…」
「アルバちゃんの故郷の味か。エルフってのは相当な飲兵衛(のんべえ)なんだな」
ちびりとワインを口に含み、西の国の食べ物であるチーズを一つまみ口の中に放り込む。
馴染みのない味に少々しかめっ面を見せるが、それなりに食えるらしい。
「エルフの食べ物は味が濃いんだな。東とは大違いだ」
「そうですね。こちらの料理は味の薄いものが多いですね」と、口元に手を当てクスクスと笑う。既に彼女は何杯か飲んでいるようだ、少し顔が赤い。
一馬も負けじと酒を飲み干すが、この後に仕込みがあるのを思い出しその一杯だけで我慢した。なんとも物足りなさそうな顔だ。アルバは半分出来上がっているのか、小刻みにシャックリが出てきている。
「おいおいアルバちゃん、そろそろよした方がいいぜ…」
「なに言ってるんですか、これからが良いんじゃないですか。それに私は酔ってませんよ。エルフはワイン一本じゃ酔いませんヒック!」
酔っている、間違いなく。アルバからワインを取り上げて入れ物に栓をする。
「まだ飲みます」と言って一馬からワインを奪おうとするが、千鳥足で真っ直ぐに歩けない。そのまま倒れこむように地面に身を預けた。顔は真っ赤に染まり何を言っているのか分からないが、それでも酒に手を伸ばそうとする。
「ほらアルバちゃん、肩貸してやるから宿に戻るぞ」
「すみまへん…。久々のワインれ……ペースを間違えますた…」
酒屋入り口の隣に『外出中』の看板をかけて、アルバの働く宿屋まで肩を貸す。
勿論回りの村人は何事かとざわめき始めるが、強い酒の臭いで何があったのか察したようだ。何人か釣られ酔いをしたらしく頬が赤くなっている人もいる。
一馬は「ありゃあ、惑わしの酒だな…」と皮肉っぽく呟いた。
宿屋の前に着くと、酒の臭いに気がついたのか主人の男が慌てて外に出てきた。
アルバの顔を見るなり、頭を抱えてため息を吐くと、一馬に一礼した。
「すみません一馬さん。アルバちゃん、お酒飲んだんだね?」一馬はコクリと頷く。
再びため息を吐くと、一馬からアルバを優しく引き渡された。
「彼女、お酒には強いんだけどワインを飲むとなぜかすぐ酔ってしまうんです。酷いときには暴れだしたり…。怪我はありませんでしたか?」
「……幸いな。暴れもしなけりゃ吐いてもいない。休ませてあげな、俺は夜の仕込みがまだ残ってるからよ。じゃあな」
少しふらつきながら宿屋を後にする。一馬はふと周りを見渡してみた。
今は昼時、夕方に店を開き深夜まで営業をしているため、太陽が丁度真上にあるときに外出するのは彼にとっては極まれなことだった。
よく店に来る人間も昼は真面目に働いている。しかし組合に嫌がらせをされているのか、食堂などにはゴロツキ共が組合のことを口にして昼間から酒を飲んで騒ぎ立てていた。
誰も止めようとはしない、そこの店の亭主は組合に対して反抗的な態度をとってしまったからだ。もはや組合はたんなるゴロツキの巣窟と町の住人達は捉えている。
誰も逆らわないのは、そういった嫌がらせを毎日のように受けるのが怖いからだ。
一馬は寛次の手下の漁師や馴染みの漁師に頼んで直接仕入れているため食料関係でそのような被害はなかった。酒もまた叱りで、組合の息がかかっていない仕入れ先から酒を下ろしている。一馬の店に人が集まるのも、組合のゴロツキ共がのさばれないという一つの理由があった。
「酒だ!早く酒を持って来い!早くしねぇと組合にいいつけちゃうぞー!」
「勘弁してください!このままじゃ商売ができません!帰ってください!」
亭主の抵抗空しく、騒ぎ立てる男は「うるせぇ!!」と机を足で叩く。
何人かの手下を連れているらしく、首で合図をすると戸棚の酒を勝手に取り出し空けはじめた。そのまま一気飲みをする。
「あぁ!高い酒をそんな粗末に飲んで…!」
止まることを知らない行為に、店に来ていた客もほとんど出て行ってしまった。
我が物顔で店に居座る阿呆共を外から見ていて、一馬は深いため息を吐く。
その店は一馬の古い知人の一人息子が経営している店で、明美亭(あけみてい)という。
最初は熱心な店構えで客を引き、タタミで知る人ぞ知る料亭にまで成り上がっていた。
組合が出来てからは手を組み、金儲けの方に熱心になっていたのが災いしてかあまり店の良い噂は聞かなくなってしまった。あの店に行くと金をふんだくられる、人さらいにあうなど、本当かどうかも分からない噂まで流れていた。
しかし自分の行いに負い目を感じたのか組合と縁を切るために努力はしている。が、現状は懐の寒いゴロツキ共を差し向けられて無料同然の値段で酒や飯をかっ食らわせている。
逆らうと娘を売ると脅されているもっぱらの噂。
「やれやれ…、俺もやきが回ったかな…」
「ほれほれ!こっち来てお酌でもしなよ!俺達は客だぜ!」
「やめろ!汚い手でアタイに触れんじゃないよ!」
娘はゴロツキの男の手を払い退け左の頬に平手打ちをくれてやる。水風船を落としたような音が店の中に鳴り響いたと同時に男の体は机の上に転がった。
食器の割れる音と男が痛がる声が店の外まで聞こえるほどうるさく、通行人も何事だと集まってきていた。
「この女!人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって!!」
平手打ちを食らった男が左の頬を押さえながら娘に殴りかかる。
娘はそれを余裕の表情で避けると右の頬にも平手打ちをくれてやった。
情けない声を出しながら床に顔をぶつけて痛がる様はなんとも言い難いものだった。
「…もう許さねぇ!!おいてめぇら!囲んじまえ!!」
無残になった顔を手で押さえながら手下に合図すると、一斉に娘に飛び掛り体の自由を奪い取った。股を開かせるように仰向けに押さえ込み身動きがとれないように拘束されてしまった。
「くそ…!なにをするつもりだよ!!」
「決まってんだろ…!てめえを今から犯すのさ!!」
娘の着物を持っていた小太刀で引き裂くと、自分の着物を脱ぎ始めた。
必死に拘束の手から逃れようとする娘だが周りの手下共は薄ら笑いを浮かべてこれから起こることを楽しみにしているようだった。
男は自分の魔羅を娘につきつけると、秘部へと腰を落とし始めた。
「やめろ!!バカな真似するんじゃないよ!!」
「俺を散々コケにしといて今更許すわけないだろうが!!俺の子供を孕ませてやる!!」
男の魔羅が娘の秘部に当たるか否な時、銀色に輝く刃物が男の魔羅のすぐ上にきていた。
「その辺にしましょうや。何もこんな場所でおっぱじめることないでしょう」
刃物を握っていたのは一馬だった。銀色に輝く包丁は今にも男の魔羅を切り落とさんとしている。
血の気が引いた男の魔羅は萎んでいき、手下達も娘を放していた。
恐ろしい目つきでにらみつける一馬を見て男は「て…てめぇ!なにもんだ!」と叫ぶ。
「あっしはただの酒屋の亭主でさぁ。いやなに、人間の魔羅なんて滅多に切れるもんじゃありやせんから、どんな風になるのかな……と」
その一言に男は顔を青ざめた。完全にイカれてる、関わると自分の身が危ないと直感した。
急いでは脱いだ着物を着て「覚えてやがれ!」と捨て台詞を吐いて一目散に逃げていった。
一馬はその場に座り込み「肝が冷えたぜ…」と呟いた。
「明美…!大丈夫か!?」
料亭の主人が娘に心配そうに手を伸ばした。しかし娘は手をはじき亭主をにらみつける。
そこらにあった酒の瓶を持ち、主人に向けながら声を荒げて発する。
「なにが大丈夫かよ!助けてもくれないで!!この人が来なかったら私は汚されるところだったじゃない!お父さんなんて大嫌いよ!!」
娘はボロボロの布をかき集め、主人を押しのけて奥の方へ駆けていってしまった。
主人はしょぼくれながら一馬に一礼をする。
「すみません一馬の旦那…。私が不甲斐無いばっかりに…」
「仕方ないさ、相手が組合のゴロツキともなりゃ噛み付いただけでもいい度胸だ。しかしいつまでもこんな状態が続くと明美ちゃんが危ないぜ…?」
「分かってます!分かってますとも!……でも私には勇気が無いんです…、一馬の旦那のような勇気が私にも欲しい…!!」
唇を噛み締めて、潤んだ目を手の平で隠し、ただその場に座り込む。
声を押し殺して悔しさを堪える姿はとても見られたものではなかった。
力無き者は力のある者にねじ伏せられ、やがては潰れていくしか道は無い。それが今のタタミである。
「…俺に勇気なんかあるわけがねぇ。俺は明美ちゃんの勇気に乗っかっただけだ。お前さんの娘とは思えないな…あの気の強さは。母親に……か」
ムクリと立ち上がり、ゴロツキ達が散らかしたであろう酒瓶や散乱した食べ物を拾い始める。
それを見ていた従業員達も一斉に片付けを始めた。
しかしその瞬間、一馬は「てめぇら!!」と大きな声を出してその場にいる者を止まらせた。
従業員達はみな顔を合わせ、何事かと思っていると、一馬は睨みつけるようにその者たちを見た。
「お前らよぉ…恥ずかしくねぇのか?組合に好き勝手にされて、しょうがないって面だ!どうしようもねぇって面だぁ!明美ちゃんがやられそうになったとき、お前ら自分達がどんな顔してたか…知ってるのかよ!!?おい!!」
一人の、図体のでかい若い男の胸座を掴み言う。さらに一馬は続けた。
「知らねぇってんなら俺が教えてやるぜ…。お前ら、腐った魚みてぇな目をしながら、さっさとやって帰ってくださいって面だったぜ!てめぇらみてぇな奴らは、この店の料理を作る資格はねぇ!とっとと失せやがれってんだ!!」
従業員達に咆えるように言う。彼らは黙ったまま俯いている。
一馬は悟った、これ以上なにを言っても無駄だと。いくら自分が説教をしたところで本人達に変わる気持ちが無ければ、無駄だと。
図体の若い男の胸座から手を離すと、溜め息を吐いて店の出口へと歩いていった。
外へ出るか否かという場所で一馬は後ろを振り向き、こう言った。
「
昼時の、太陽が出ているにも関わらず、空から雨粒が降ってきた。
その雨はとても冷たく、日の暑さを忘れてしまうほどだった。
巳の刻、寛次と爺は海沿いの平地を歩いていた。
波打つ音とカモメが鳴く声、二人の足音だけが聞こえていた。
「お侍様、ここいらで少し休憩といきましょう」
寛次は道を外れ茂みに潜む。爺もその後についていくと、誰かが焚き火をしたような跡があった。
小さな小屋と水汲み場がある。普段から使われているようだ。
「ここはあっしら漁師が酒盛りをするときに使う場所です。中に何が入っているか見てきますから、お侍様はここでお待ちを」
小屋の戸を開け、中に入っていった。爺はキセルを取り出し乾いた草を先端に詰めてから焚き火の跡にその辺の枯れ木や残っていた薪で火を付ける。
細い棒切れに火をつけ、先端に火を点ける。そのまま静かにキセルを吸い煙を吐いた。
「うわあああああああああ!!?」
小屋の中から寛次の叫び声が響く。爺は刀に手を当て素早く戸を蹴り破り中に入った。
そこには腰を抜かした寛次が床にへたり込んでいた。爺に気がつくと急いで這いずり後ろに隠れた。
「お…お侍様!オ、オークだ!!」
「ああ、言われなくても見えてるぜ」
寛次が薄暗い場所に指を向ける。そこには緑色の肌をした、長身の筋肉質なオークが立っていた。
特に何か仕掛けてくる様子はなく、ジッと二人を見ていた。
先に切り出したのは爺のほうだった。
「安心しな。別にここで殺り合おうって腹じゃねぇみてぇだ」
「し…信用できねぇ!昨日の晩だってきっとこいつの仕業ですぜ…!」
「人間に信用される筋合いは無い。望みとあらば勝負してやる」
腰にぶら下げていた斧を手に取り刃先を爺に向ける。爺はニヤリと笑い鞘に当てていた手をピンと伸ばし、オークに指先を向けた。
「なんの真似だ」
「東にはよぉ…自らの手を刃とした武術がある。その道の達人ならば風を裂き岩を断つことも朝飯前だ…。受けてみるか?東の無手は西より甘くはないぜ…」
不敵に笑い、オークを睨みつける。
オークの身体に伝わる重圧、爺の殺気は全身の毛を逆立たせた。
額に汗が溜まっていることに気がつくと、持っていた斧を両手でしっかりと握った。