Fate/EXTRA-NOCTURNE   作:ドラ

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思いのほか早く出来ました。次話になります。
第何話、と明確に区切って構想しているわけではないので、タイトルに悩みつつアバウトに決めました。小説はむずかしいです(口癖)

やや説明臭い話になってしまいましたが、原作沿いなので避けて通れない場面でもあり。まだまだ主従触れ合う機会が少ないですが、これから、これから。



はじめまして、おひさしぶり

地は空を覆っている。

路は砂に溺れている。

人は魂に還っている。

(カグツチ)は天に輝いている。

 

これが戦いの源泉。

これが再起の原風景。

世界(トウキョウ)が死んで、“僕”が生まれた。

 

思い出すな(忘れるな)。忘却は至上の救いであり、最悪の罪である。忘れるな。地獄から“僕”は生まれた。

これは忌まわしい夢。何処かであった、何処にでもあった、そして此処(げんじつ)に起きた、■■■の記憶である。

 

光の明滅と共に、世界は()いた。命は消える。思いのほかあっさりと。

肉親も友人も、名前を知らない隣人も他愛なく。

誰も彼も、死を受け入れる猶予すらなく、それを認識することすらできず消え失せた。

 

―――それが、どうしても承服できなかった。

何故、という疑問が消えなかった。

 

天災と人為の違いはあれ、なぜこのような悲劇が起きるのか。なぜ誰をも救うことができないのか。

いや、そもそも―――なぜ世界は、この地獄(創世)を許すのか。

 

………満ち欠ける陽光が降り注ぐ。

無力感と絶望の中、意識は薄れていく。胸に在るのは疑問と、怒りと―――。

多くの人間の、人生の、時間の痕跡が、跡形もなく消え去った。

その犠牲を見て、死の淵でなお頭をあげた。認めない、と。

まだ死ねない。死にたくない。なぜ自分(ぼく/わたし)が苦しみに喘いでいるのか、わからない。

 

だから、(あなた)は這いずってでも生き延びた。己の命、それ以外のすべてを、なにもかもを代償にして。

 

忘れるな。

地獄から“僕”は生まれた。

その意味を―――どうか、忘れないでくれ。

 

 

―――――――――

生存者:999人→128人

―――――――――

 

 

 

………何か。欠けた夢を、見ていたようだ。

 

のろりとした意識の覚醒に促され、僅かに眉根を寄せる。どうやら、わたしはすっかり眠り込んでいたらしい。

薄ぼんやりと開いた双眸に、真っ白な天井が映り込む。まだ指先の感覚すら曖昧で、麻痺したままの脳が一切の思考を拒んでいた。

しかし、何時までも微睡んでいるわけにもいくまい。自らの存在を確かめるように、ひときわ大きく息を吸って―――

 

「―――目が覚めたね」

 

ひゅっ、と。意識の外から唐突に声を掛けられ、跳ね上がった肩と共に限界まで大気を溜め込んだ肺に更なる酸素が送り込まれる。

許容量を超えたわたしは盛大に咳き込み、たまらず横になっていた身体を起こした。はい、すっかり目は覚めました。おかげさまで。それはもう、目尻に涙が溜まるくらい。

 

「そうか。まだ、傷は痛むかい?」

 

いいや。今となっては重傷だったはずの身体に支障は見られず、万全の健康体と言って問題ない。うん、それはいいことだ。―――でもですね、そうじゃなくて。

どうにも、彼に含みのある物言いで以て返答しても効果は薄いらしい。ぐしぐしと目元を拭ってこれみよがしに視線を送ってみたけれど、至って仏頂面のままである。

青白い地肌。剥き出しの上半身から頭部にまで巡る独特の模様。引き込まれるような、或いは直視できない、金色の瞳。

()()()()の終わりに、忘れようもない強烈な印象を刻んだ彼。………たしか、サーヴァント。そして、自らをアヴェンジャーと名乗っていたと思う。Avenge(アヴェンジ)、というと………仇討ち? 直訳すれば“仕返す者”、だろうか。

それが何を意味するのかは分からないが、思い出したことはある。

 

そう。わたしは、あの何処へ繋がるとも分からぬ扉を抜けて、果てがあるともつかない路を突き進んだ。

その終着点で、死に瀕し、彼と出逢い、今に至る………? しばし時間を使って頭を捻っても、それからの記憶がない。

少しでも情報の把握を求めて周囲に目を向ける。のんびりと眠りこけていたわけだが、ここがまた得体の知れない異界であればと危ぶんだ………ものの、目に映る光景は存外馴染みのあるものだった。

どこかひんやりとした雰囲気に、見上げた天井と同色の清涼感漂うベッドにシーツ。周囲を覆うカーテンと、その向こうにあるクロスの掛かったテーブル。

壁の前に並んだ棚には薬品や救急用の器具その他が揃えられており、わたし自身この一室をよく見知っていると思う。ここは、我が校―――だったはずの―――月海原学園(つくみはらがくえん)の保健室であると思われる。

 

だとしたら。わたしは意識を失ったあとに此処に運び込まれ、ひとまず安静にと寝かしつけられたのだろうけれど。

つまるところ、あの突飛かつ超常の現象なにもかもがうなされるわたしの悪い夢であって、現実は滞りなく廻っていた………? もしそうなら、わたしはとても恥ずかしいわけなのですけども。穴があったら入りたい、このベッドに潜りこんでしまいたい。

 

「まあ、そういう捉え方もあるんだろう。この僕はたしかに、泡沫の夢のようなものだ。そして、悪夢という表現は実に的を得ていると思う。………が、この世界(SE.RA.PH)の中で夢を見ることはない。今ある仮想の風景こそ現実だ」

 

アヴェンジャーは淡々とした口調のまま、静かに答えてくれた。

特有の威圧感と容姿の異様さに隠れがちだが、その顔つきをよくよく眺めてみれば、きっとまだ歳若い。カタチとして見えそうなほどにありありと漂う風格(オーラ)をあえて無視すれば、わたしともそう変わらないだろう。

尤も。意図して目を逸らさなければならない雰囲気を纏っている時点で、見た目相応とは言えないのかもしれない。

結局のところ彼が目上なのか何なのか分からず仕舞いではあるが、兎も角どこまでも落ち着いた声色は、今のざわついた心境を下手に逆撫でしないのだ。すんなりと、素直に彼の話を聞き入れることができる。

 

やや脱線した返答ではあるものの、彼は夢のように曖昧な、あるいは儚い存在であるらしい。真意は不明だが記憶しておいて損はないと思う。

そして、“SE.RA.PH(セラフ)”という単語。加えて、『夢を見ない』といったこれまた意味を測りかねる発言。それをまとめて投げて寄越されて、なおも混乱して取り乱さずにいられるのは彼の沈着さのおかげだろう。

もうひとつ要因があるとすれば、それはきっとわたし自身。実感がない、というか現実味が湧かないのだ。彼の一言一言に疑問を持てるほど、まだ状況に適応していない。

 

なので、ここで噛み砕くのは問いに対する回答だけに留める。要するに、あの経験はやっぱり"あった"出来事であるらしい。

―――うん、まあ、そうだよね。正直なところ、分かってました。分かった上で、もしもを期待したのかもしれなかった。しかしやっぱり、案の定、というわけだ。

だって、この保健室はわたしの知っているそれによく似ているようでいて、どこか異質なものを感じるのだ。何が、と言われれば具体的な答えは返せないが、わたしの直感とか本能とか、そういった理屈でない部分が告げている。

さて、分かってはいたが困ってしまう。結局、あの日常は遥か仮初で、前触れなく直面した非現実こそがリアルな現在(いま)だと再認識させられる。

複雑な心境に無意識ながら俯き押し黙ったわたしに、アヴェンジャーは『それにしても』と無遠慮に言葉を掛ける。

 

「そんな言葉が出てくるということは、君は【聖杯戦争】が何か―――どのような意味を持ち、どこを目指すのか―――が、わからないのか?」

 

わたしの瞳が困惑に揺れる。―――聖杯、戦争。そう言われても首を傾げることしかできない。

思い返してみると、あの荘厳な空間で頭上の声が口にしていた言葉のひとつだったかも、と薄っぺらい感想を抱くだけ。

そんなわたしの様子を察したのか、彼はこちらをじっと真っ直ぐに見据えて、こう訊ねた。

 

「わからない、のか。―――なら、どうして君はここにいる?」

 

その問いには、流されるままだったさすがのわたしも眉を顰める。

そんなこと、こっちが聞きたい。そんなふうに冷たい眼差しで、突き刺すように言われるとちょっと傷付く。

わたしはどうしてここにいるの、ここはいったいどこなのか、岸波白野(わたし)は果たして何者(だれ)なのだろう。まだ何も整理できていないから、ひとまず考えないようにしていたのに。

 

「………いや、すまない。責めているわけじゃないんだ。分からな()()()のは僕も同じだ。何も知らない君を無能だと(なじ)る資格はない」

 

抗議を色濃く内包した視線に、終始鉄仮面だったアヴェンジャーは意外なほど真摯に瞼を伏せてみせる。欠片も悪気はなかったようで、そうなるとこちらもこちらで睨みつけるような真似をしたことに恐縮してしまう。

彼はわたしを助けてくれて、今だってすぐ傍に居てくれているのに、すこしばかり恥知らずな態度を取ってしまった。謝罪合戦とばかりに頭を下げたわたしに、彼はただ首を横に振って応えた。

 

「詫びと言ってはなんだけど、君が身を置いている戦場についてよければ僕から伝えよう。………僕の時にはいなかった役割だが、あってほしかった機能でもある」

 

それは願ってもない申し出だった。ぜひとも、と首肯する。

ひとりごとに近い後半の呟きも気にはなるが、詮索は後にすべきだろう。言葉通りに受け取るなら、彼もかつてこの、聖杯戦争? とかいうものに巻き込まれたのかもしれない。

であれば、彼に対してもわずかながら親近感を覚えることができるのだけれど。

 

 

―――――――――

 

 

それから、彼の語り口調も手伝って、わたしはたっぷりと時間を掛けて現状について学んだ。

望みを叶える願望機、聖杯。それを巡った代理戦争。召喚される過去の英霊(サーヴァント)。割り当てられる7つのクラス。

決して簡単な話ではないし、素直に納得もできないけれど、とりあえず理解は出来た。わたしは好む好まざるに関わらず、その聖杯戦争とやらに参加してしまった事だけは。

しかし、どうにも辻褄の合わない事柄がひとつ。彼の説明によれば、英霊とは7つのクラス―――セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。そのいずれかに当てはまるそうなのだが。

そう、なんだよね? えっと、()()()()()()()………? もしや、わたしの聞き間違い? あの時は満身創痍だったし、強ちないことではない。彼の今までの言動を考えると、誤って呼んでいても指摘訂正をしてくれない可能性は大いにあり得る。

 

「いいや。僕にとっては呼称なんてさしたる価値もないけど、(マスター)に誤認されていたら一言くらい掛けるとも。僕はたしかに復讐者(アヴェンジャー)。7騎の何れにも該当しない、エクストラクラスになる」

 

なるが、あまり気にしなくていい、と。言外に『追求するな』と釘を刺されて、わたしは仕方なく二の句を引っ込めた。

サーヴァントが逸話に残る英雄の再現だというなら、彼がどんな偉業を成し遂げた人物なのか興味本位で訊いてみたかったのだが、今のところはお預けとするほかない。

それに従って、彼のクラス名(アヴェンジャー)ではない本当の名前―――真名についても、明かされることはなかった。暫くは『アヴェンジャー』と呼ぶことになりそうだ。やや言いにくいが仕方がない。

 

わたしに一通りの知識を教え込むと、彼は仕事を終えたとばかりに消えてしまった。一瞬戸惑ったけれど、まだわたしの傍に存在していることは感じる。

実体化している必要のない時は、こうして姿を消して―――霊体化と呼ぶらしい―――いるのだろう。同じく聖杯を狙う敵に見られて正体を悟られることを警戒しているのかもしれない。

英霊とは語り継がれる存在であり、となれば必然その欠点や落命の要因に焦点が当たることもある。それは即ち彼らの弱点ないし対処法として確立されてしまうらしく、看破されないに越したことはないのだとか。

見た目だけで何者か判断できるものか、と首を傾げたが、彼の外見は些か以上に特徴的だ。もしかしたら、そういうこともあるかもしれない。

 

ともあれ、ひとまずの静寂が訪れる。わたしは目覚めた時に誰かさんによって機会を逃した大きなため息を存分に吐きだして、壁に背を預けた。

一息に情報を詰め込んだので、若干の疲労が現れたのかもしれない。それにしては、自身の元々の記憶(メモリ)に空きがありすぎるせいかパンクする心配はなさそうである。

だからこそ改めて実感する。自分の頭の中には、ほとんど過去(なかみ)が残っていない。言語や常識のような一般知識こそ持ち合わせているが、それ以外には名前くらいしか思い浮かばなかった。

 

 

―――――――――

 

 

自身の境遇にやや陰鬱になりかけた頃。ガラリ、と保健室の扉が開き、数少ない顔見知りが姿を見せた。

制服の上から纏った丈のある白衣に、それよりも長い流れるような薄紫色の髪。穏和だがすこし儚げな表情―――名は間桐桜(まとうさくら)。この保健室を預かる保健委員だったと記憶している。

うん、まあ。顔見知りと言っても、わたしの稀少な友人だった人物の妹である、くらいしか分からないのだけど。

 

「あ、岸波さん。目が覚めたんですか? よかったです」

 

彼女は偽りなく、安堵した様子でこちらに歩み寄ってくれる。

ここに寝かされていたということは、彼女の世話にもなったのだろう。ここは礼を言っておかなければならない―――の、だが。

 

「身体に異常は見られませんから、もう起きても大丈夫ですよ。それと、セラフに入られた時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ので、ご安心を」

 

―――えっ………と。いま、なんて?

 

「聖杯を求める魔術師(ウィザード)は門をくぐる時に記憶を消され、学園の一生徒として日常を送ります。そんな仮初の世界から自我を呼び起こし、自分を取り戻した者のみがマスターとして()()に参加する―――。

 以上が、()()のルールでした。貴女も予選通過者として名前と過去(きおく)を取り戻しましたので、確認をしておいてくださいね」

 

すこし、待ってほしい。………名前と記憶を、取り戻す?

それはおかしい。だってわたしは、ついさっき実感し直したばかりである。わたしの記憶(なか)にはなにもない。

岸波白野。たしかに、名前ははっきりと口にできる。不思議な原理で誰もが学園の生徒だと思い込まされていた、というのも分かった。

 

しかしわたしは、未だに()()()()のことが思い出せていない―――!

 

「えっ? 記憶の返却に不備がある、ですか………? それは―――わたしには、なんとも。間桐桜(わたし)は運営・健康管理用に作られたAIですので」

 

声色こそ柔らかく穏やかなものだが、その内容は無慈悲に突き放すようにも思えた。

しかし、AIというなら当然の対応なのかもしれない。どうも、彼女は与えられた役割をこなすだけの仮想人格だったらしい。

あの学園での配役(かんけい)がすべて予選という舞台の装置であったなら、当時の彼女のことは忘れたほうが賢明だろう。

わたしがたまらず苦い顔をしていても、彼女は己の役目を果たすため、話を次に進めると共に手のひらサイズの携帯端末(タブレット)を差し出した。

これは、たぶん何かの連絡用ということだろう。他の機能もあるかもしれないが、ひとまずは表示されるメッセージに注意せよとのお達しだ。

 

そうして伝えるべきことのみを的確に言い終えると、彼女はそれが当然だというように保健室内のテーブルに着き、停止してしまった。

停止した、と言っても出来の悪いロボットのように固まってしまったわけではなく、しっかりと呼吸しているのが見て取れるし瞬きもしている。傍から見れば同じ人間としか思えない。

それでも、精確に過ぎる対応にわずかながら違いを感じざるを得ないのも事実。偏見を持つわけではないが、手放しで好感を抱くのも難しくて、知らず溜息が漏れた。

 

 

―――――――――

 

 

手持無沙汰のまま保健室を後にして、あてもないまま校舎を彷徨い歩いてみる。

見る限りでは、以前(予選)に見た景色と大きな違いはない。まずは自身の教室があった2階を目指して階段を上ると、すぐ正面に見覚えのある人物を捉えた。

あまり顔が広いほうではないが、この状況下で続けざまに知り合いに出逢えたのは幸運だ。幸運、なのだが。

その人物―――生徒会長の柳洞一成(りゅうどう いっせい)―――には、少々苦い記憶がある。無論、予選の日々でのものだ。

まだ何も知らなかった頃、何も疑っていなかった頃のわたしと彼の関係性は誇張なく友人と呼べるものだった。学園生徒を束ねる会長と平凡なわたしがそのような関係に設定された理由は知る由もないが、ともかく悪からぬ仲であったのは間違いない。

けれど。崩れかけた景色(せかい)の中、行われていた風紀検査。その陣頭に立ち、わたしに声を掛けてきたのが彼だった。わたしはリフレインする既視感に恐れをなしてその場を走り去ったが、にも拘らず表情すら変えずに話を続ける彼を覚えている。

それはまるで、与えられた台詞を繰り返す舞台装置(NPC)、すなわちAIのようで―――。

 

「おお、お前も突破できたか。良きかな、良きかな!」

 

―――そんなわたしの躊躇いを吹き飛ばすように、彼はわたしに笑いかけた。

これもまた決まった台詞の一環なのだろうと身構えたが、どうもそういった風ではない。

彼が参加者(ウィザード)ではなく運営側であるという認識は、たぶん間違っていない。その上で、彼はわたしの予選突破を祝福しているようである。

柳洞一成は人一倍真面目な男だ。きっとあの時も、自らの役割にどこまでも真っ直ぐに徹していたのだろう。人物としてもAIとしても非常に優秀と評して相違ない。

が、それでも。わたしにとってはやっぱり不気味さに拍車を掛ける大きな要因となったわけで、その辺りを突っ込んで訊ねてみると、彼はさらりと流して話題を変えた。これはてごわい。

 

「そうだ。本選の校舎を見て回っているなら、屋上からの眺めはなかなかのものだぞ! ぜひ覗いてみてくれ」

 

わたしがこの後、フラフラと校舎を右往左往するであろうところまでお見通しらしい。悔しいが、彼の言葉に乗るのは悪くない選択肢に思える。

屋上………屋上か。まあ、よし。ならば言われた通り行ってみるとしよう。この学園を知り尽くしているハズの彼が勧めるのだから、期待して損はないだろう。

 

 

―――――――――

 

 

澄み切った新鮮な空気が鼻腔をくすぐる。細やかに吹き抜ける風が心地よい。

屋上に出ると、どこまでも深い青空(水底)と、その全域に走る0と1で構成された羅列の帯がわたしを迎えた。

知らず、息を呑む。その壮観な光景に圧倒されて、わたしは数秒動けなかった。それこそ、不出来な自動人形のような様だったのはわたしのほうだろう。

これは、わたしの知識にある空ではない。皆の言い回しからセラフとはこの地のことを指すのだと予測はしていたが、いよいよもって異世界だと思い知らされる。

 

わたしの記憶のなかの空は───空、は。もっと、こう………焼けて焦げた、■■のような───。

 

───っ! 何かが脳裏を掠めた瞬間、稲妻のように鋭い刺激が脳を走り去る。ビリビリと、こびりつくような痺れがしぶとく離れない。

その一瞬どころか前後数秒間の記憶すら儘ならないような、真っ白になる自分に身震いを抑えられない。何も分からない。分からないことが、恐ろしい。

………きっと、わたしは空というものになんらかの苦手意識のような感覚があるのだろう。我が事ながら初めて知る記憶(データ)ばかりでイヤになりそうだが、嘆いている余裕もない。

 

だから、せっかく来たばかりになるけど失礼しよう。この景色そのものは、たしかに目を奪われるものだったのだが。肩を落とし、仕方なしに踵を返すため視線を動かすと、フェンスの際にある少女の後ろ姿が目に飛び込んできた。

彼女は壁や床をなでたり、つついたり、時には耳を寄せたりしながらぶつぶつとひとり何事か呟いている。傍から見れば怪しいことこの上ない。

あれがまったく知らない顔であれば早々に立ち去るところだが………そう、たしか。直接の面識はないけれど、きっとあの少女は遠坂凛(とおさか りん)だろう。

容姿端麗、成績優秀な月海原学園のアイドル。風の噂もよく聞こえたし、友人からもずいぶん愚痴を吹き込まれた。やれ、素直じゃないだの分かってないだの、わたしが無知ゆえに否定する材料を持ち合わせていないのをいいコトに、何度も拘束された記憶がある。

ただ、そうした評判はあの作られた平和のなかで与えられたもの。今はもう、認識を改める必要があるだろう。うん。彼女はちょっと近寄りがたい。なぜとは言わないが。

 

というのは、まあ、冗談半分。近寄りがたいのは事実だし、不審な行動をとっているのも事実だが―――わたしが声をかけられないのは、彼女の双眸に宿る強い意思の光に気圧されてしまっているからだ。

その瞳は、偶像(アイドル)などという淡く可憐なイメージの存在ではあり得ない。あれは()()()が持つ覚悟を秘めた鮮烈な光だ。如何に学校を模していてもここは戦場なのだ、と。彼女から伝染する空気はそれを如実に表していた。

ワケもわからないままに巻き込まれた、わたしとは違う。目に映る人間はすべて敵で、殺し殺される関係に過ぎないということをまるで実感できないわたしとは、違うのだ。彼女は疑いようもなく、戦うために此処にいる。

 

「………あ。ちょっと、そこのあなた」

 

突然に声を投げかけられ、思わず身を固くする。その鋭い眼光に射抜かれるかと身構えたのだけれど―――彼女はわたしを認めると、ふっと表情を和らがせた。

ようやく、こちらも肩の力を抜く。理由がなくとも、対面する相手が柔らかい表情を湛えていると、ちょっと安心する。

 

―――それで、えーっと。もしかしなくても、わたしのことですよね。

 

「そう、あなたよ。………そういえば、キャラのほうは、まだチェックしていなかったわよね。ちょうどいいわ、ちょっとそこ動かないでね」

 

あ、はい。と、反射的に返事をしてから考える。いったいなにがちょうどいいのだろう?

わたしが首を傾げる間にも、彼女はずんずんとこちらに歩を進めてくる。そして、真正面に位置取ってわたしの動揺に泳ぐ瞳を見据えると―――そっと、その指先が頬に触れた。

繊細なガラス細工に指を這わせるようにやんわりと、次いで感触を確かめるようにむにむにと。彼女の手のひらは細くしなやかで、且つ柔らかく、無遠慮なボディタッチは些かくすぐったい。

自然、小さく声をもらしたわたしに興味深そうに『へぇ』と呟いて、またさらにぐっと顔を近づけてくる。

 

「温かいんだ、生意気にも。………あれ、おかしいわね? なんか顔が赤くなってるような気がするけど」

 

それは、そうだろう。なにしろ互いの鼻先はいまや、数センチの間隔を残すのみで。頬に掛かる吐息が、風に流れて首筋を掠める彼女の長く艶のある黒髪が、わたしの鼓動を早めていく。たった数秒で喉の奥が渇く。

けれど、純粋な好奇心で肩や腹部を撫でまわす仕草と表情は、さっきまでの戦場に相応しい眼差しの持ち主と同じとは思えないほどに幼くて。なんだか拒み制する気にもなれず、棒立ちのまま受け入れることしかできない。

 

やがて一通りの触診を終えて満足したのか、彼女は一歩距離を離すと感心したように頷いた。

 

「なるほどね。思ったより作りがいいんだ。外装(みため)だけじゃなく感触もリアルなんて、驚いたわ」

 

驚いたのはこちらのほうである。今も顔が熱く火照って仕方ない。

初見での行動も鑑みるに、彼女は興味を示したものを触り倒す性質なのかもしれない。これまたてごわい。

などと失礼な感想を抱くわたしを見咎めたのか、彼女は顔を顰めた―――のかと思ったが、どうやら矛先はこちらではなかったらしい。誰もいないはずの後方を振り返って、何かに反論している。

………いや、いるのか。おそらくは、零体化した彼女のサーヴァント。姿の見えないどなたかは、聞く次第では今し方の遠坂凛の行動に言及しているようだった。

 

「いや、NPCでもデータを調べておけば何かの役に立つかもしれないじゃない。………え? 彼女もマスター?

―――ウソ。だ、だってマスターなら、もっと………! ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、調査気分で全身ベタベタさわってた私っていったい………!」

 

瞬間、みるみるうちに彼女の整った横顔が茹蛸のように朱く染まる。

恥ずかしいのも、こちらのほうだ。やった人間はすぐに忘れられるが、やられた人間はいつまでも覚えていると言うし。

 

「うっさい、痴女とか言うなっ! 職業病みたいなものよ、こんな精巧な仮想世界で燃え上がらなくて何がハッカーだっての!」

 

遠坂凛の剣幕は凄まじい。彼女のサーヴァントが入れたのであろう茶々に拳を握りしめて熱弁している。

その内容を理解できるわたしではないが、それはともかくとして聞き逃せない言葉がある。

仮想世界。ハッカー。具体的な意味は知れないものの、大まかな推察くらいは出来る。そのまま思考に耽ろうとしたところを、『だいたい!』と指をつきつけながら呼びつけられたことで中断する。

 

「そっちも紛らわしいんじゃない? マスターのくせにそこらの一般生徒(モブキャラ)と同程度の影の薄さってどうなのよ。

 今だってぼんやりした顔して、緊張感ってものがないの? まさかまだ予選の学生気分に浸ってて、記憶をちゃんと認識してないんじゃないでしょうね」

 

彼女が言葉を切るまで怒涛の勢いに押されて一言すら挟めなかったが、無理もないと思う。まず、訂正する言葉自体も持ち合わせていない。

なにしろ、冗談交じりに為された指摘は紛れもなく図星であり事実であるからだ。当のわたしですら、途方に暮れてしまうほどの。

 

「………え、まさか本当に記憶が戻ってないの? それ、かなりまずいわよ。セラフへの行き来は一方通行、たとえ知識(データ)がなくても経験(ログ)がなくても、ホームには戻れない。そんな状態のまま戦ったら、とてもじゃないけど―――」

 

言いかけて。ああ、でも―――と、その声色を静める。

こちらを心配して気遣うものから、ひどくどうでもいいことのように。

わたしたちは互いに敵同士であるということを、改めて思い起こしたのかもしれない。

 

「ま、関係ないか。聖杯戦争の勝者はひとり。どうせ、あなたも何処かで脱落していなくなるんだから」

 

………それも、そうかもしれない。

だって、わたしには覚悟もなければ何もない。

遠坂凛の言うことはまったくもって正論で、空っぽのわたしには否定する材料などあるはずもなかった。

 

でも。

 

「それはどうか。ここは無限の多次元世界。混濁極める(そら)の城。零が一に、一が百に、百が億に成る可能性を。どうして否定することができる?」

「な―――!」

 

彼においては、違ったらしい。

前触れもなく姿を現した異様に、遠坂凛は狼狽えながらも瞬時に警戒し。

そして、それをも上回る張り詰めた空気を伴って―――蒼い猛威が両者の間に浮かび上がる。

 

「おっと。それ以上近づいてくれるなよ、坊主」

「ちょ、()―――あんた、なに勝手に出てきてるのよ!」

「そう怒鳴るなよ。嬢ちゃんにとっちゃ相手を探る良い機会に思えるんだろうが、悪いこたぁ言わねえ。コレはやめとけ」

 

飄々(ひょうひょう)とした口調ながら、どこか厳粛に(たしな)める重みを感じさせる。

逆立てた青い髪に、明確な敵意こそないが仮に睨まれればたまらず身も竦むであろう眼差し。よく引き締まった筋肉質な肉体が一際映えるボディスーツが印象的な青年だった。

彼の唐突な割り込みに、アヴェンジャーは不釣り合いなほどゆっくりと(かぶり)を振る。

 

「………別に、獲って食べようというわけじゃない。ただ、その断定するような物言いに疑問を抱いただけさ」

「そりゃ、そっちの嬢ちゃんに期待しすぎってもんだろう。アンタが何者だろうが、肝心のマスターが寝惚け眼じゃあな」

「………ふうん、そう。つまり、マスターにさえ恵まれていれば驚異的な相手ってことね。なによ、人畜無害なフリしてちゃっかりしてるじゃない」

 

三者三様に牽制しあうように視線を交わらせ、一触即発ながら火花の散らない絶妙な距離を保っている。

蚊帳の外なのは、わたしだけだ。アヴェンジャーの背に護られるようにして立ち尽くすわたしだけが、彼らよりもずっと後方でまごついている。

情けない事この上ない。せめてすこしくらいはわたしの意思を示さねば、と目の前の彼の腕を引く。

 

―――待ってほしい。彼女の言葉は正しかった。だから、あまり気分を害するようなことはしたくはない。

 

「………へえ?」

「そうか。………君にまでそう言われるということは、僕の訊ね方が良くなかったんだろう。失礼をしたね」

「気にしてないわよ、べつに。それよりも、自分の心配をしたほうがいいでしょ、あんた」

 

青衣の青年は眉を吊り上げて声を漏らし、変わらず無表情のままの彼は静かに瞳を伏せ、赤い少女は呆れたように―――それでいてどこか励ますように―――言葉を返す。

さっきまで戦士の目をしていた三人が、それぞれの色を乗せてわたしに視線を集中させたことに肝が冷えたが、下手に諍いを起こすよりは何倍もマシだと思える。これくらいは我慢、我慢。

それじゃあ、邪魔をしてごめん、と。空気が悪くなってしまう前に、わたしは小さく頭を下げて背を向ける。それに従って、アヴェンジャーも姿を景色に解けさせていく。

その間際、彼はもう一度だけ振り返って、こう訊ねた。

 

「―――そうだ。改めて、君は、僕らが早々に消えると思うかい」

「え? ………まあ、そうね。順当に考えるなら、だけど」

「おう、そうなってくれりゃ余計な気は回さずに済むだろうぜ。嬢ちゃんのためにも、出来るだけ見えないところで終わってくれや」

「ちょっと、それって私が情を移してるとでも言いたいわけ? ナメるんじゃないわよ、私だってね―――」

 

アヴェンジャーの問いに、概ね似たような返答―――と、わたしには思える―――を残して、遠坂凛たちは再び互いに言葉をぶつけあい始めた。

構図としてはやはり、からかう青年とそれに憤る少女、となる。彼女ら主従の関係性は、なんとなく見えた気がした。

それにしても。アヴェンジャーとあのふたりの間に流れる雰囲気には、どこか気になるところがあったというか。思い切って、ひとつ訊ねてみることにした。

 

 

―――そういえば(そういえば。)ねえ、アヴェンジャー(ねえ、■■■■。)彼女とサーヴァントのこと(あの子のサーヴァントのこと、)何か知ってるの(何か知ってるの?)

 

―――さて、どうだろう(さあ、どうだかな。)とりあえず(とりあえず、)一筋縄じゃいかないのはたしかだろうさ(一筋縄じゃいかねえのはたしかだろうよ。)

 

 





と、本当はもう少し進む予定でしたが気付けば1万字を超えていたので区切りに。

投稿者も手探りの状態ですので、感想やご意見はたいへん励みになっています。皆様ありがとうございます。
ちなみに更新頻度は月1~2回を目標にしているのですが、今回のように集中して書けることもあるので結局は不定期更新となります。なので次回更新も予告はできませんが、頭の片隅にでも置いてお待ち頂ければ幸いです。
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