怪物の泣いた日   作:マイロ

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世界が変わりはじめたくだりを語る前に、その個体の世界が変わるまでの話をしよう――。


思春期に想う――

 

 火の渦の中で研究者が死んだその日、被検体№GH1189は、研究所が崩落する前に連れ出されていた。

 そしてその後――表向きには、研究者の遺児として、子どもがいない中流階級の若い夫婦に引き取られて育てられた。新しい名と姓を与えられ、ネイハム・歩・グラークとしての新しい生活が始まった。

 

 

 より良い学校へ行かせたいという養父母の願いを突っぱねた被検体は希望した通り、労働者階級の子どもが通う学校に行った。

 

 被検体は、己のことをよく理解していた。己の食欲が求めるものが人肉であり、自分が世界でも異質な存在であるということを。

 養父母は“アユム”のことを知っていて『知らない』振りをしている。盲目的に“アユム”を愛している彼らの他に“アユム”自身のことが知られれば、きっとこの周りの世界は変容してしまうに違いない。

 決して貧しくもなく、特別裕福でもないぬるま湯のような世界は、“アユム”のちょっとした失態で変質してしまうだろう。そうした、じわじわと苛んでくる危機感と不安感は無感情だった“アユム”の心を荒ませた。

 

 

 ただ生きることにさえ気を張らなくてはならないのはどうしてだ。

 こんなに不安と焦燥を日常的に感じながら生きなくてはならないのはどうしてだ。

 

 

 試験管の中で生まれた、幼い“喰種”のまっさらな心はささくれ立っていた。

 

 

 普通に自制して暮らしてもこのように苛まれるのならば、いっそ欲のままに行動してやろう。

 仄暗い思いに背を押された“喰種”はベッドの中から起き出した。

 

 久しぶりに顔を見せた子に、父母は喜んだ。長くなってしまった髪を特殊なハサミで整えさせ、新調した服を着せてテーブルにつかせる。自分たちと同じような見た目のステーキを用意させて、共に食事をする。はじめは変色してしまう目の色を普段通りに維持できるようになっていた。

 

 一か月ぶりの食事をして、“喰種”は労働階級の貧しい子どもたちの通う学校へ行くと言い出した。

 

 幼い“喰種”は聡明でありながら残虐性も持っていた。

 上流階級、中流階級の子どもたちの通う学校で、『もし』行方不明者や変死者が現われれば大問題になるだろう。けれども、下流層の、貧しい労働者の子どもがいなくなったところで、問題になるだろうか。

 労働階級においては、親が仕事を失えば夜逃げすることもあるし、治安の悪さから子どもの誘拐などはよくある話だ。“喰種”によって食われたなどと誰が思うだろう。そもそも、今の時代の人々はそんな化け物がいたことすら知りはしないのだ。人目を避けて後始末さえなんとかすれば好き勝手出来るだろう。

 そういった欲望と打算のこもった父母へのおねだりは、見せかけの躊躇の後に二つ返事で叶えられた。

 

 ちょうどドルト2へと出張することになっていた父に、母と“アユム”がついていくことになった。そこの労働者階級の子どもたちが通う学校へと行く。

 

 我が子に目ざとい父母は、“アユム”が何かをしでかそうとしていることに気づいているようで、学校への送り迎えの度に緊張している様子だった。けれども、我が子の思うとおりにさせているところに、溺愛という呆れだけでは済まされない、情を“喰種”に感じさせることになった。

 人間という生物について改めて再考する“喰種”は、奇しくもその価値観を大きく揺るがす存在に出会ってしまった。

 

 今までに感じたことのない未知の強烈な食欲をそそる、柔らかそうな脂肪を蓄えたその少年の名は――ビスケット・グリフォン。

 

 

 

 己が喰らおうとして近づいた少年に、紆余曲折あって言葉を交わし親睦まで深めてまった“喰種”の世界は予想だにしない方向へと変質した。

 

 その変化を“喰種”は祈りとともに『恋』とよんだ。

 

 




なにあれおいしそう――たぶん、鉄血のなかで一番“喰種”の食欲をそそるのはビスケットだと思う。
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