怪物の泣いた日   作:マイロ

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育むもの

 人間とは思考する生物だ。思考することが、他の動植物たちと一線を画している。

「きみたちが考えるんだよ」

 アユムは亜麻色の髪が肩から落ちかかってくるのを手で払いながら、集まっている少年たちを見まわした。

「僕はきみたちにどうしたらいいか、いちいち提案する。きみたちはそれを考えるんだ。どうすればいいかを」

 少年たちが何かを言う前に、アユムはさっさと言葉を続ける。

「例えば僕はこの部屋を綺麗に保つことを提案する」

 

「綺麗にしなくったっていいじゃんか」

 挙がった声は一つだったが、同じようなことを思っているような顔がほとんどだった。怪訝そう、興味なさそう、違うことを考えている、反発的……さまざまだったけれど、その声には同意する気配が多かった。

 反応があっただけよし、とアユムは首を傾けて目を細めて睥睨しながら少年たちに言う。

「部屋を衛生的に保つこと、綺麗にしておくことは、きみたちの仲間が怪我をした時や病気になった時の生存確率をあげる、といえばきみはどうする?」

「せいぞん……かくりつ?」

「命が助かるかもしれない可能性のこと。きれいな部屋で、適切な手当てをすれば、その怪我がもとで病気になってしまうことを減らせられる」

 言葉を切って、アユムは分かるようにもう一度言った。

「なすすべもなく死んでしまう仲間を減らせられるかもしれない」

「きれいに、する」

 不服そうながら、そういった少年にアユムは目線を合わせて更に尋ねた。

「それならどうやって? どうやって部屋をきれいにする?」

「掃除する、だろ?」

「それはきみひとりで? この部屋をずっと毎日きれいにし続ける?」

「そりゃ、みんなでやるとか」

「そう。じゃあ、掃除には何と何をすればいい?」

「……アトラがやってたみたいに箒で床のゴミを」

「それと?」

 えーと、と考え込む少年の横で、他の少年が答える。

「あと、雑巾で机とか拭いてたな」

「そうだね」

 アユムは頷いた。少年たちに、掃除についていくらかの理解が得られたことを認めた。それをアユムが行動で示す。アユムは教師で、彼らは生徒。正しければ頷き、理解を促す。いつか生徒が自分の頭で物事を考えられるようになるまで。

 アユムは少年たちに言った。

「掃除について、きみたちやることに僕は口を出さない。君たちのやり方でやりなよ」

 アユムは腰に手を当てて元の姿勢に戻す。少年たちを上から見下ろしてひとつ息を吐いた。

「それと、僕からはもう一つ」

「なんだよ」

 まだあるのかと見あげてくる少年たちに向かって、淡々と言う。

「きみたちに、勉強してもらいたい。ビスケットと僕とで教えるから。簡単な計算と文字の読み書き」

 子どもたちは顔を見合せていた。思ったより、感触は悪くなかった。誰かが少年たちに読み書きの重要性を教えたのか。ビスケットが教えたのかもしれない。

「でも今そんなのやって、どうすんだよ」

「きみたちに自分で考える頭を持ってもらう」

 今やること、その瞬間すべきこと――そういった瞬間的な思考や判断をすることしかなれていない。戦場ではその瞬時の判断が生死を分ける。この鉄華団という組織に、大人が数名しかいない。団長でさえ、少年の域を出ていない。他の少年兵と変わらない立場だった。当然、長期的な視野をもってこの組織を回していく裁量があるとは思えなかった。

 視野は学ぶことでいくらでも広げることができる。逆に言えば、学ばなければ、自分の経験の範囲内での広さしか持てない。

 一度、学んだことのある人間は少なからずそのことを知っている。ここではビスケットがそうだ。将来についての展望と不安。それはこの組織にいる限りつきまとう。なぜならそこに属している大多数が、刹那的に戦場を生きる者ばかりだからだ。恒久的な平穏には程遠い状況の中に居たのなら当然だ。

 アユムにも、そんな『記憶』がないとは言わない。

 アユムの『記憶』は、人間を殺して食べることで、その人間からの報復を懼れながら生きていた。生きること自体に罪を感じた。自分と変わらない姿をした人間を食料とせずにはいられないことに葛藤があった。食料といっても、彼らはアユムと同じ言葉を喋り、感情を持っていた。言葉をもたない家畜とは違い、殺される瞬間にも死にたくないと口にして、恐怖と恨みと怒りの表情を向けてくる。

 アユムは鉄華団の少年たちよりも命の駆け引きに感情が伴っていたかもしれない。

 彼らはただ、敵を屠ることを仕事として選んだ。事情が、状況が彼らにそうさせていたのだとしても。けれども、アユムには選択肢がなかった、はじめから。

 生きているだけで、罪のように感じた。生きていくことは、食べること。食べることは、人の命を奪うこと。罪悪感を覚える心を疲弊させて、喰種たちは生きていた。そのせいで、本来とても温厚な性格の喰種も、どこかしら歪な面を持っていた。餌である人間を前にするとき、自分の居場所を脅かしかねない存在が現われたとき。そのときに出る残虐性が、その喰種のすべてではない。喰種に生き物の死を悼む心さえ持たないと思っているのは、恐怖に支配された人間だ。けれども、喰種はその食行動によって、それを肯定するように思われてしまう。はじめは喰種の誰もがきっと抱いたはずの心を。

 毎日が生きることで、精一杯。だから先行きのわからない生活に、誰を頼りにすることも出来ず、周りがすべて敵の中生きていく。そして精神が荒む。どんなに優しい喰種でも、いや優しいが故に、歪みは大きくなる。二重人格、多重人格を生み出すことさえある。そんな環境で、そんな生き方をしてきた『過去』がある。

 ここの少年たちはどうか。少なくとも、頼ることができる仲間がいる。アユムにとってのビスケットがたくさんいるということではないだろう。けれども、彼らの結束力はとても強い。彼らは鉄華団という居場所を拠り所としている。そこにいる仲間のために戦うことができる。戦ってくれる仲間がいる。

 それは少なくとも、希望だと思える。

「いいかい、きみたちの強みは結束した団体であることだ。きみたちは団長の判断に従うね」

「もちろんだ」

 即答する少年たちに、アユムは目を細めた。

「――でも、団長が良い人物だと判断しても、違う場合があるかもしれない」

「それでもしおれたちが死んだとしても後悔はしねえ。おれたちは団長に全てを託してんだ」

「その心のありようを否定するつもりはないよ。でも、団長が物事を見落とすっていうのはあり得る話さ」

 子どもが口を開きかけたのを手で制して続ける。

「だってこれから団長の周りに寄ってくるのは、自分は無害だと言うものたちばかりなんだから」

 それでもオルガの判断なら、と言い募る少年たちに、ふっと息を吐き、腰に当てていた手を下ろして腕を組んだ。

「きみたちの忠誠心は見上げたものだよ。そして思考の転嫁もね」

 見上げた、といいつつ、顎を上げて見下す。たとえば、と告げる。

「オルガを騙そうと近いてきたやつらにきみたちは気づくかもしれない。みすみすオルガが騙されるのを放っておくのかな?」

「そんなの、オルガに怪しいっていうさ」

「その上でオルガがそれでも相手を信じるって言ったら?」

「……その判断に従う」

「みすみす相手の思惑に乗ってやるんだね。果たして状況的にきみはどっちの味方になるんだろうね?」

「何のはなしだよ?」

「……考える頭がまだ育ってないってことさ」

 堪えず、ため息をついた。

 アユムは膝に手を置いて、少年たちに目線を合わせた。分かりやすく、少年たちに伝わるように言葉を選んだ。

「きみたちはオルガを頼りにしてる。でも、それって今の状態のままだと、オルガが頼りにできる人間になれないってことだよ」

 オルガはきっと一人で背負うことを覚悟してそこに立っている。けれども、その立場は支えがなければ立ち続けることなど――アユムは敢えて言う――不可能だ。ひとりの力でいったいどこまでできると幻想を持っている? アユムは知っている。『記憶』が教えてくれている。個人の力はいくら強大であったとしても、現実の前でどれだけ抗うことができるか。

 無知の状態で、彼らが彼らの仲間のひとりを孤独な立場に追いやらないように。すべてを託すにしても、その意味を知ってからだ。

 そしてその意味を知ったなら、仲間思いで結束の強いこの少年たちが、団長という立場を負ったオルガの意を汲む行動をしないだろうか。

「ビスケットは自分で考えてる。おかしいと思ったら、何がおかしいかを意見する。それを、きみたちは団長を裏切っていると思うのかい?」

「違う! ビスケットさんは団長やみんなのために……」

「ビスケットが、していることをきみたちもできるようになれ」

 子どもたちがやっと顔を上げる。

「ひとまずの課題は、オルガが受け入れた新入りの僕への判断だ」

 え、と声を上げたのは一人二人ではない。何を驚くことがあるだろうと呆れる。

「僕が信用に足る人間か見極めろ」

「それ、自分で言う?」

 少年のひとりがいう。

「きみたちに知っておいてもらわないといけないからね。これから先、鉄華だに入ってくる連中にはかならずいい人づらしてオルガやきみたちに気に入られるような輩がいるだろうさ。これからは外ばかりではなく中に入ってくる敵に注意しなきゃいけない」

 ビスケットの足音が聞こえてきた。いっしょに他の足音もあった。

「名をあげるっていうのはそういう影響があるんだよ」

 僕からはここまで、といって話を終わらせる。振り返りはしなかったが、少年たちの何かを考えるような戸惑いの空気を感じて、こんなものかと少しの落胆をする。気長に付き合っていく必要がありそうだった。

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