去っていく姿を見送りながら、アユムはため息をつきたくなった。ビスケットを守るために来たというのに、なぜアユムはビスケットもいないところで残ってやるのだろうと先刻の発言を後悔する。けれども、口にしてしまったからには仕方がない。
こんな年端もいかない少年たちが死地へ臨むのだって、本当はどうだっていい。
この広い宇宙においてはありふれた話なのだ。けれども、ビスケットを、少年たちは慕っているから。ただ、それだけのことだが、アユムは助けてやろうと思った。
それでもせっかく十数年ぶりに直に再会した、ビスケットと離ればなれになるのは痛かった。持ちだしたものの一つ、トランクに入っていた白衣をまとう。これで替えはあと一枚しかなくなってしまった。だめにしたのはこの数日の間で三着だ。血はなかなか取れないのだ。
ここから生きて戻って、団長のオルガがまだ死んでなかったら、給料とは別に必要装備として経費を吹っ掛けてやると誓う。
黒い前髪を片手で後ろへ流して、仕事場である建物へ戻ろうとして目を見開いた。
「――ビスケ、どうしてここに?」
帽子を目深にかぶったビスケットが困ったように微笑んだ。
「ネイハムが、またひとりでムチャをしそうだと思ってさ」
そう言って、肩をすくめていた。
何を格好つけているのかと詰め寄ろうか、それとも去っていく団員たちを追いかけてビスケットを放り込んでおこうか、と考えたがそんなやる気も失せてしまった。
あっそう、と素っ気なく言ってやる。ふいとそっぽ向いてから、建物へと足早に向かう。後ろからちゃんとついてくるビスケットの足音を聞いて、アユムはなんだかどうでもよくなった。
薬品を用意して、たらいと湯を沸かせる準備を整える。そしてアユムは建物の裏へと行くと、傍の木に着ていた白衣をそっと脱いで枝にかける。その場で屈伸をしていると、後ろからやって来る足音に、アユムはため息をついた。
「ネイハム、どこへ行くんだ」
「僕の患者を回収しに」
思っていた通りの人物に、アユムは淡々と答える。
「オルガに言われてた、約束覚えている?」
アユムは黙って思い出す。ビスケットを死なせない約束、そしてアユムが死なない約束をした。そのなかで、オルガに言われたのは、アユムが死なない約束だ。
「大丈夫、分かってるよ」
なら、僕は何も言わない、とビスケットは帽子のつばをあげて少し微笑んで、顔を引き締めていた、「気をつけて」
「もちろん。ビスケもね」
戦場のあちこちで少年たちが乗っている機体が潰れていく。そこから中にいる負傷した少年たちを外に出すことは、人間の腕力では無理だ。しかし、アユムにとってしてみれば、なんてことはない。勢いをつけて倒れた機体の側面を走り、潰れたコックピットの扉を開く。即死している者もいれば、辛うじて息をしている少年もいる。即死している少年はほとんどいない。頭が完全につぶれていたり、身体の中央に機体の大きな破片が突き刺さったりしているのは稀だ。
頑丈なコックピットの開け方は簡単だ。隙間に指を差し入れて、こじ開けるだけ。隙間がなければ、無理やり作る。完全に力技だ。それでも喰種であるアユムの肉体は強靭で、簡単に扉は後ろに吹っ飛んだ。中には機体のシートに座ったまま、血を流して意識をもうろうとさせた少年や、視覚を失うくらいに瀕死の少年がいた。幸いなことに、彼らに施された独自のシステムのおかげで、コックピットの中でシャッフルされて首の骨を折るといったことはない。怪我をした状態のまま、シートに固定されている。
アユムは両脇に少年たちを抱え、さらに背中にも二、三人の少年たちを抱えて一気に駆け戻る。木々に隠れた処では赫子を使って、速度を上げると、八分ほどで建物につくことができる。アユムはつかうと消耗が最も激しい種類の赫子をもっている。そのため、使用するのは最小限にとどめた。
戻り次第、手早く応急処置をする。重傷者から先に手を尽くす。といってもほとんどが重傷者であったが。どれも予断を許さない。輸血用の血が足りないときは、簡易の血液検査装置で少年たちの血液型を調べて、死なない程度にそれぞれ移し替えた。本人の了承は得ていない。彼等は意識がないのだ。すべてアユムの独断だった。
「O型はいないわけ!……ああ、こいつだ。ってこいつに血が足りないじゃん、余ってるのどいつだよ」
ぐちぐちと言いながら、輸血をしていく。この衛生的とは言えない状況下での、処置に不安がないとは言えない。けれども、文句を言える相手などいない。アユムは、顔に落ちてくる黒髪を、襟のリボンを抜き取って一つに結んだ。表面的な傷はすぐに手を施すことはできるが、脳に損傷のある者については、処置をする余裕はなかった。けれども、シートに固定されているため、おかしなところに頭をぶつけているような少年はほとんどいない。
アユムがいない間、ビスケットが治療に必要な準備をしている。およそ、三十分に一度、戦場に行き、負傷した少年たちを回収してくるアユムが戻ってきて治療がすぐに始められるように、お湯やタオル、布を引き裂いて即席の包帯などを準備してくれている。
お互いに、声を交わす余裕はなかった。
意識が戻らないまま、治療を終えた少年たちを床に並べていく。目を覚ます者もいれば、まだ覚まさない者もいる。そして、目を覚まさないまま、息を引き取る少年もいる。ひとり、またひとりと。
そして、アユムが尽くせる手をすべて尽くしたとき、戦場にオルガの声が響いた。やっと終わったのだと知る。けれども、アユムがいなければ、建物の中にいる少年たちはすべて死んでいただろう。その人数は十人や二十人ではない。
ひと段落ついてビスケットの顔を見ると、険しい顔をしていた。
鉄華団で夢をかなえていくと言っていた。アユムには鉄華団が何を目指し何をしようと興味はない。けれどもそこにビスケットがいるのならば、話は別だ。
何を考えているのだろう。
アユムのような怪物を恐れて、びくつく臆病な少年だ。
そして、アユムのような怪物でも、打たれれば何とかしようと思ってしまう心優しい少年なのだ、ビスケットは。
死にゆく少年のそばに膝をつき、俯くビスケットの拳が握られるのを、アユムはすこし離れたところから見ていた。
「折れちゃだめだよ、ビスケ。……きみは正しいんだから」
アユムはそっとため息のなかに呟きを混ぜた。
更新が遅れました。すみません。
次回からは二期の内容になります。