怪物の泣いた日   作:マイロ

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不安なことを考えない

 他に事務処理できるやついないのかよ、とPCを前に数時間作業していたアユムは、外の空気を吸いに出ることにした。

 

「ラディーチェ、ちょっと出てくる。何か飲み物とか要る?」

「はい。いえ――ええと、では珈琲を」

「承った。じゃあ、ちょくちょく休憩いれなよ」

「はい。ありがとうございます」

 

 デスクワークは、地球支部に残ったビスケットとアユム、そしてテイワズから派遣されたラディーチェで何とかこなしている。ビスケットは一時間ほど前に団員に呼ばれて仕事のちょっとしたトラブルを見に行っていた。アユムが抜ければ、ラディーチェひとりとなる。新入りとしては休憩に入るのも、一声かけて入らせた方がいいだろう。気を遣うだろうし。

 仕事上の人間関係は円滑にしておけば、結局自分の仕事がスムーズになる。

 幸いなことに、このテイワズから派遣されたこの男は有能だった。

 珈琲か、と口のなかで呟いて席を立つ。

 事務関係のこの部屋には硝煙たちがあまり寄りつかないとはいえ、一応、部外者が入れないように、カードでロックしてから出る。もちろん、PC自体には、二重のパスワードをいれないと開けないようになっているし、そのパスワードを入力する前に幾ら可笑しな操作をしようと中の情報に何の影響も与えられないようになっている。……これは、鉄華団の躾のなっていない少年らに電子機器を弄られて一式をおしゃかにしてしまったことの反省による。

 ああ、頭が痛いと医務官としての職務であるカルテで凝り固まった肩を叩きながら歩いていると、倉庫と倉庫の間を、貨物を乗せる煩い機械が往ったり来たりしているなかで、ひとり倉庫の脇の影で座り込む少年を見つけた。

 アユムが本業以外に掛け持ちで仕事をしているというのに、優雅に休んでいるとでも……? 本当だったら、アユムは問答無用で首根っこをひっ捕まえて、暴力に訴えかけて教育してやるところだが、その顔が見知った者で、そういったさぼりをするようないわゆる素行不良の少年ではないことに気づく。

 それでもほんの少し、と自分に決めた休憩時間を無駄にすることと天秤にかけて、結局ため息を吐いた。その少年は妹がいるのだが、ビスケットにも同じように妹がいるという、共通点を自分のなかで結びつけてしまったからだ。

 けれども、相手はビスケットではないんだぞ、と不承不承といった体を隠さずに、アユムはカルテを肩に乗せたまま、おいそこ、と顎を上げて座り込む少年を見下した。

「なにじめじめしてんの」

 少年――タカキは顔をあげた。

「ネイ……あ、アユムさん」

 

 亜麻色の髪でビスケットの双子の妹の送り迎えを代わってする際に、同じように妹を迎えに行くというタカキにも言い含めた。鉄華団の家族というのは狙い目だ、と教え込んで自覚させたので、こうして徹底させていた。クッキーとクラッカーには、優しく朗らかなお姉さんといった体で過ごしているので、名まえもしっかり「アユム」とタカキにも呼ばせていた。

 タカキの妹にも亜麻色の髪の姿であるアユムしか知られていない。

 

「あ、いや、その……なんでもないです」

「まどろっこしい。なんでもない顔してないからこうして訊いてるんだけど」

「オレの……勘違いかもしれないですし」

「ふうん…………」

 

 これは口を開きそうにないな(めんどうだな)。アユムも暇ではないのだ。手短に頼みたいものだが。

 どうやら、教育が足らなかったらしい。失敗失敗……。

 立ち上がろうとすると、手を掴まれた。

 

「は――?」

 

 油断していたので、接触を許していた。ビスケットと手をつないだこともまだないのに。

 自然険しくなるアユムの眉間だったが、その少年の表情は不安を抱える子どものものだった。目許にかかる黒髪を空いた手でかき上げて、荒く溜息をついた。とりあえず、カルテを持っている方の手首を振って放させた。

 

「アユムさん、聞きたいことがあるんです」

「なんだよ」

 

 アユムの問いかけには答えなかった。けれども自分はアユムに問いかけてくる。

 つまり、どういうことかというと――タカキは訊きたかったのだ。そして話したくもあったのだろう。

 

 誰かに、聞いてほしいという受動的な姿勢は、そういえばこの鉄華団の少年たちには極端にみられなかったな、と思い出す。何かを尋ね、自分で行動しようとする。

 少しは立ち止まって、物事を見極めようとか、自分の心のなかを静かに見つめようとは思わないのだろうか。……そんな暇、なかったのだろうな。

 

「新しく入って来たものを疑えって言ってましたよね」

「ストップ、もし人名出すんだったら覚えらんないから、人物Bで」

 

 で? と目を合わせたまま、首を傾げた。B? と呟いてタカキもまた首を傾げる、「ええと」

 

「今まで身内に入ってきたら、みんな信じてきた。でも、疑ったら、進まないことだってあるんです」

「はあ、疑いたくないって話? 信頼関係を築いて共同作業するより先に、まず相手が信頼できるか否かを見極める必要がある。自分で自分の体内に毒を入れることはないだろ」

 

 それだけの話だよ、と言って目を細める。疑ってしまえば、仕事が進まないということだろう。そして多分、信頼関係を築けない、とも言っているのだろう。しかしその前に、見極めなくてはならない。ここは生きるか死ぬかの戦場ではない。選択肢が限られる中での、共闘というのはそれなりに信頼できるだろう。

 けれどもここは微温湯だ。選択肢は大いに広がり、そこでは自分の命と限られた選択とを天秤にかけるのではなく、自分の命を賭けずとも多くの選択ができる。

 つまり、選択するにおいて、自分の命程の価値を、重さを感じていない人間たちが相手なのだ。

 そういった場では、自分の利にならなければ、簡単に意見をひるがえす。選択を軽く見る。選択の結果が悪ければ、納得がいかなければ、だ。

 鉄華団は選択を、団長の決定を、自分の命程の価値を置いて、その重要性を念頭に置くだろう。

 しかし、相手は自分の不都合な部分が出てくれば、他の選択をするということも容易に流れていってしまうのだということを理解していなければならない。

 少年たちに理解させることは難しいだろう。

 常に、同じ価値を相手にも求めるだろう。相手の価値観を理解するというのは普通であっても難しい。

 ならば、はじめから疑ってかかる癖をつけるしかない。どうせ、近寄ってくる相手は、どこかしらに薄暗いものを抱えている者ばかりなのだから。

 

「タカキ、お前はどうしたい」

 

 タカキの口ぶりから、テイワズからの派遣でやってきた事務を担当するラディーチェ・リロトのことを言っているのだろう。アユムの目から見てみれば、有能な人物だとは思う。

 もちろん、何かあった時、例えばテイワズが鉄華団を見限るようなことがあれば、裏切る可能性は濃厚だろう。

 そういった意味で、全幅の信頼をしているわけではない。

 信頼とは、そういった能力面での評価とは別だ。

 少しでもいい。多角的な考え方ができればいいのだが、それが出来ないでは、お先真っ暗だ。

 

「オレは……」

 

 まるで、不安なことから目を反らすように、アユムから視線を外したタカキをじっと観察する。

 そして言った。

 

「タカキ。不安って言葉を20回言ってみろ」

「え?」

「はい、さん、し」

「えっと、ふ、不安不安不安不安ふあん……」

 

 そしてはいストップという。

 

「で? 何か不安なことは?」

「……え? えっと、不安なこと……は、あったんだけどさっきまで。でも、あれ、そんな心配するようなことじゃ………なかった、かも?」

「その気にかかったことを言ってみなよ」

 

 タカキはぽかんとした顔のまま、今度は軽くなった口を開いた、「えっと」

 

「これは、アユムさんが悪いってことじゃないです、けど、新しくきたえっとBに、下の子らが警戒してて……」

 

 友好的な笑みを浮かべたまま、相手を観察ということが出来ないのだろう。あからさまに威嚇でもしたかもしれない。でもまあ。

 

「別にいいよ、そんくらい」

 

 一人が一手に抱えて解決しなければならないようなことでもない。

 

「え、でも」

「年少の子らはちゃんとやることやってる。中くらいのタカキが場の空気を考えられてる。上出来だ」

「でも、それだとラ……Bが」

「それ以上のことは、年嵩のやつらに考えさせるさ。ビスケットもいることだし」

 

 あれで、ビスケットはよく考えている。新設したばかりの地球支部で、忙しくないはずはないのに、わざわざ事務の手伝いをしている。それは、事務仕事の大切さを、少年たちにも理解させようとしているのだろう。少年たちの仕事と同じくらいに、優先させることによって。

 

「まあ、よく考えられたよね。なかなか見どころがあるんじゃない?」

 

 しっかりやれよ、と頭を軽く叩いた。

 

「お前たちは所詮、自分たちの世界しか知らない。血で血を洗うような戦闘以外にも、言葉と言葉で憎しみ合い争いあう戦場もあるってことを、知らない」

「言葉と言葉? でもそれって死なないでしょう」

「言葉は人を殺しもする。まあ、お前たちにはまだ分からないだろうけど、そんな世界もある。それは同じくらい悲惨だよ」

「死ぬのと同じくらい?」

「死よりも人を惨めにさせ、貶め、冒涜する。死ぬのは一度きりだけど、言葉での戦いっていうのは、当人が死んで口が無くなっても、槍玉にあげられる。業が深いのは、無知な輩が死人を侮辱することだよ」

 

 あれは死んでも安らかに眠らせない。

 嫌なことを思い出した、と首を振る。その傍らでタカキが眉根を寄せていた。

 

「なんか、難しいですね」

「タカキ、お前はこれを理解しろよ。お前がひとつ、頭が抜きんでているようだから」

 

 どんぐりの背比べレベルに、アユムとしてはため息しか出ない。それでも、少しは見どころあるかもしれない。

 

「契約書一つで人が塵に成り下がる時代だ。言葉や文面がどれほどお前らの『外』で重要視されているか、分かればいいんだけど」

「――あ、アユムさん」

「何」

「言葉やぶんめん? の怖さは解るよ」

 

 ほんとかよ、とアユムはカルテを持つ手を腰に当てて呆れ顔をつくる。

 だが、タカキは大きく頷いて言った。

 

「アストンは人間だってこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

『人間だってこと』

 

 タカキはヒューマンデブリであった少年のことについて言っていた。

 それは世に言う、奴隷は人間ではないということを反論するかのように言っていたのだろう。あるいは、アストンという少年を人間だと家族だと言いたかったのだろう。

 

 アユムの目には、世にヒューマンデブリと言われている者だって『人間』に見える。

 だから人間だと疑いもしない。

 

――知っている。彼等が人間だということは。

 

 人間ではないアユムは、だからこそそれを知っているのだ。

 

『人間だってこと』

 

 タカキの言葉が頭から離れない。

 

「うるさい」

 

 考えないように、考えないようにする。

 ラディーチェに渡す用の珈琲を買って、また没頭するかのように残りの仕事をする。ラディーチェは優秀で、大分片付いていた。

 その後は、医務官として治療中の少年たちの様子をカルテに記す。

 そして、今、何もすることがなかった。

 

「考えないようにってしてもな……」

 

 白熊の実験というのがある。「今から30秒間、白熊のことを考えるな」という教示をされると、人はどのようにその30秒間をやり過ごすのか。『白熊』の――いや、○○のことを考えない、とひたすら頭のなかで念じ続けるかもしれない。あるいは黒熊のことを考えよう、と念じるかもしれない。はたまた、まったく別のことを考えようとするかもしれない。

 その30秒間を、どのように過ごすだろう。

 その30秒が来たとき、人はどのように感じるだろう。

 大抵は、『ああ、やっと終わった……』とほっとするだろう。

 つまり、その人にとっては、とある何の変哲もないことでも『考えないようにする』と意識することは、少なからず苦痛だったということだ。

 

 また、タカキにしたような、何度も言葉を繰り返させるというのがある。それは脱フュージョンという。口に出して繰り返させることによって言葉の持つ意味が薄れることだ。不安ならば、『不安』という言葉の持つ意味が薄れる。不安という感覚も薄れる。

 

「知ってても、自分に使えなきゃ、世話ないよ」

 

 ビスケットは、何かを考え込んでいるようだった。

 あの丸まった背中を、遠くで眺めなければならないなんて、奇妙な感じだと思った。

 





アニメが完結しました。
途中から見るのをやめていたのですが、最終話は観ました。
なるほど……(真顔)

こちらも決着をつけたいなと思います。
もう少しかかりますが。
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