シェルトに先導される形で法皇の館に姿を見せたのは、ニノ大司教と数人の聖堂騎士たちだった。衣服の汚れ、その顔色の悪さ。彼らの状況がどういうものだったのか、語らせるまでもなかった。やつれている顔を見せながらも、それでもレイフェリオの前に立つ彼らは背筋を伸ばしている。それが騎士たる者の矜持だとでもいうように。
「皆、よく生きていてくれた。ニノ大司教、貴方もよく無事で」
「……レイフェリオ殿下、此度のこと、深くお詫び申し上げます。法皇様をお守りできず、この場所を明け渡してしまい、巫女姫様もお守りできずにおめおめと生き恥をっ」
深く頭を下げるだけでなく、そのまま膝を折り崩れ落ちるようにしてニノ大司教は両手を床に置く。レイフェリオが知っているニノ大司教という人間は、そこまで信仰心が篤い人間ではなかったはずだ。それこそ次期法皇は自分だと言わんばかりの行動を取っていたような気がする。といっても、決して法皇を蔑ろにしているわけでもなかったので、悪い人間ではないのだろうなという認識だった。それでも目の前にいる姿とはあまりに一致しない。別人なのではないかと疑いたくなるレベルである。
「殿下、どうやら大司教殿は煉獄島で色々とあったらしく、何やら性格まで変わってしまったらしいです」
「どういうことだ?」
「そこまでは……」
困惑しているのはシェルトも同じらしい。だが共にいた騎士たちはそうではないようで、どこか笑みを浮かべていた。
彼ら曰く、煉獄島に放り込まれて直ぐの頃は、無駄な抵抗を色々としていたらしい。どうにか脱出しようと目論んでいたが、協力する者はおらず、そこにいる者たちは誰もが諦めていた。二度と地上に出ることはないのだと。
そんな中でもククールたちは諦めることはなく、じっとその機会を狙っていた。必ずその機会はあるはずだと。ニノ大司教も同じく、そのタイミングを狙っていた。そして、つい先日その機会が巡ってきた。
「ですが大司教殿は己ではなく、彼らを脱出させることを優先したのです。その後、我々にも謝罪を申し上げてくれました。これまですまなかったと」
「そうだったのか」
「複雑ではありますが、法皇様も常々申しておられました。必ずその想いが届く日がくると。その想いを大司教殿も受け取ったのではないかと、今は思っております」
こうして無事に脱出できた。その時に二ノ大司教を襲ったのは激しい後悔だった。ここに来るまで、その想いでいっぱいだったのだろうと。こうしてレイフェリオに会えて、謝罪する相手がいたことがまだ救いだったのかもしれない。レイフェリオは崩れ落ちるニノ大司教に視線を合わせるように膝を突き、その肩に手を置いた。ゆっくりとニノ大司教も顔を上げる。酷い顔色だが、そこにあるのは悲しさと後悔の念。それを和らげてやることができるのは、レイフェリオしかいない。
「ニノ大司教、猊下の遺志は失われていない。今この時も、猊下の力も遺志も私と共に在る」
「でん、か」
「それに、アイシアは生きている。あの時、彼女は私と共に避難した。今もこの非常事態に際し、巫女姫として力を尽くしている」
「生きて、おられる? 巫女姫様は」
「あぁ」
アイシアは生きている。ニノ大司教はそれを聞くと、一度俯いた後で立ち上がった。レイフェリオも合わせて立ち上がる。
「ありがとうございます。殿下、解放していただいた恩は決して忘れません。巫女姫様が今も尚その任を果たしておられるのであれば、私も大司教としての任を果たしたく思います」
「よろしく頼む。だがその前に、大司教も、そして騎士の皆もしばしの休息を取るといい」
「ご配慮、ありがとうございます」
近くにいたシスターに連れられてニノ大司教たちが去っていく。その後ろ姿を見ながら、レイフェリオはふぅと息を吐いた。
「お疲れ様でした」
「いや、シェルトもありがとう。あの様子ならば、この後も大司教に任せて大丈夫そうだな」
「はい」
「今日中とまではいかなくとも、明日の昼までには城に戻りたい。ククールたちともそうだが、叔父上とも共有しておいた方がいい。ゴルドで何が起きたのかも含めて」
ここまでの大騒動になった。空に浮かぶ存在が何かはわからなくても、上空に漂う異質な瘴気は隠しようもない。世界の人々があの存在を知るのも、そう時間はかからないだろう。聖地ゴルドか避難し脱出した人たちも多い。その口を閉ざすことを強要することもできない。あの地にレイフェリオとアイシアがいたことも、マルチェロが何をしでかそうとしていたのかも、多くの人々の目に留まってしまったのだから。
「はぁ……」
「気が重いですか?」
「いうなよ」
今この場にはシェルト以外はいない。だからレイフェリオは否定はせず、ただ苦笑した。
すべてわかった上での行動だ。この世界の大国の一つの王家の人間として生まれた以上は、そこに義務が存在する。同じであっても同じじゃない。明確に存在するその線引き。人々を導く側の者として、決して揺らいではならない。どのようなことがあっても感情をあらわにすることなく、冷静に客観的に物事を判断し、最善の行動を取る。それが王族の役割である。幼い頃に何度も告げられたものだ。
それでも、その責任も希望も期待でさえも、重くのしかかることがある。言葉にすることはできない。今は特に。すべてが終わるまで、この重さを背負っていくしかない。
「俺たちには殿下が背負うものを肩代わりすることはできません」
「シェルト?」
「アイシア様が貴方の前でだけ巫女姫という役割から解放されるというのであれば、せめて幼馴染である俺の前でだけは、弱音の一つや二つ吐いてもいいんですよ」
「……言わないな」
「そこは甘えるところだと思いますけど」
弱音を吐いていい。その言葉に、思わず口に出そうになったものを飲み込む。断ったことで不満顔を見せたシェルトに、レイフェリオは口元を緩めた。
レイフェリオがほんの少しでも弱音を吐いたところで、シェルトは何も思わないだろう。それでも言いたくない。意地のようなものだ。幼馴染だからこそ言いたくないものもある。未だ納得していない様子のシェルトに、レイフェリオはポンと背中を叩いた。
「すべて終わったら、久しぶりにグラスでも交わそう。ククールやヤンガスも交えてな」
「あのとんがり頭もですか? ククールはいいとしてあいつと同席は嫌な予感しかしませんけど」
「そういうなよ。誤解されがちは人相はしているけど、あれでいい奴なんだ」
「わかってますよ、貴方と一緒にいるんですから」
「じゃあなんで、そんな不満そうなんだよ」
「相性が悪いって言うことにしておいてください」
特に理由はないけれど気に入らない。初対面がいい出会いではなかったこともあるのかもしれない。確かに王族であるレイフェリオが付き合う友人としてどうかと言われれば、微妙な顔をする者たちが多いことだろう。それでもレイフェリオは堂々とヤンガスは仲間だと言える。友人であるとも思っている。誰がどう思おうとも関係がない。ククールもゼシカも、ゲルダもそうだ。できれば、呪いが解けた状態でもう一度トロデ王とミーティアとも邂逅したい。仲間で何も気兼ねすることなく騒いでみたい。それはきっととても楽しい時間になるはずだ。そのためにも、今を勝ち取らなければならない。
「そろそろ様子を見に行きますか?」
「あぁ、そうだな」