リンネ・ベルリネッタは登校途中、壁にマジックで書かれた落書きを見て、目を留めた。
『もぅマヂ無理。彼氏とゎかれた。ちょぉ大好きだったのに、ゥチのことゎもぅどぉでもぃぃんだって。どぉせゥチゎ遊ばれてたってコト、ぃま手首灼ぃた。』
"こんな壁の落書きに少し共感してしまうなんて"と、リンネは心底自己嫌悪に陥ってしまう。
なお、彼女は前半だけ読んで先に進んだため、後半の一刀火葬の流れを読んでいない。女性の悲痛な叫びだと勘違いしている。後半まで読んでいたら、共感なんてしなかっただろうに。
リンネは比較的内気な少女である。
なのに頑固で、微妙に協調性より自分の我を優先することがある。
孤児院出身の身でお金持ちの家に引き取られるという、大多数の人に見下されつつ嫉妬されるという身の上まで完備。
容姿も悪くなく、感情豊かでいい反応を見せるタイプで、何か問題があれば周囲に相談するのではなく我慢することを選ぶ性格という、いじめの的にされる要素の塊のような少女であった。
要素だけでいじめられることはない。
いじめられるかどうかは多大に運が絡んで来る。
そしてリンネは、昔から極めて運が悪かった。
孤児院時代から同年代によくいじめられてしまうくらいには。
「はぁ……」
登校途中に、思わず溜め息が漏れてしまう。
それも仕方のないことだろう。
昇降口の下駄箱に行けば、まず確実に上靴が隠されている。
廊下を歩けば、ひそひそ声と笑い声がこっそりと聞こえる。
教室に行けば机が切り刻まれていて、便所の水が机の中に満ちていることさえある。
ゴミ箱のゴミがロッカーに詰まっているかどうかさえ、運次第。
それが、悪質ないじめを受けるリンネの日常だった。
(あ、今日は上靴がちゃんとある。最近あんまり隠されてないな……)
下駄箱を開けると、そこには少し泥の付いた上靴だけがあった。
リンネの下駄箱はいじめのツールと化している。朝開けると、上靴は既に捨てられていて、ゴミが詰まっているだなんてことも日常茶飯事だ。
だが、最近はそうでもない。開けた下駄箱の中は掃除をした直後のように綺麗で、上靴は捨てられた後誰かが拾ってきたかのように、少し泥が付いているだけ。
ここ最近は、下駄箱のいたずらも――リンネの麻痺した感覚だと――控えめになっていた。
(……教室に行くのも、気が重いな)
教室に行けば、いじめっ子が居る。
かといって、行かなければ欠席扱いになって親に心配をかけてしまう。
覚悟を決めて教室に行ったリンネは、まだいじめっ子が来ていないのを見てホッとし、隣の席の男の子に話しかけた。
「おはようございます、ドローン君」
「おはよう」
彼の名前は『ライ・ドローン』。車っぽい名前だ。
この学校でも指折りの家格、指折りの魔法の腕を持っていると言われていた。
「先生、まだいらっしゃってないんですね」
「いじめっ子もまだ来てない。隠れてるってこともない」
「……」
「聞きにくいことでも、前置きなしに聞いていい。僕は答える」
「……ありがとうございます」
少年は『落ち込んでる人の励まし方』と銘打たれた分厚い本を読みながら、リンネの方も見ないまま話し、彼女が本当に聞きたがっていたことを教える。
「あなたは、いつも本を読んでますね」
「暇潰し」
「……そ、そうですか」
会話終了。
まるで会話が続かない。
この少年、コミュ力が絶望的だった。
「え、えっと、分厚い本ですね!」
「本が重いから、手が鍛えられる。
ベルリネッタさんと握手した時、また手を傷めないようにしようと思って」
「そ、その節は本当にすみません……」
「気にしなくていい。情けない僕が悪い」
リンネが会話を続けようとしても、中々会話が続かない。
いじめられている彼女はクラスメイトから距離を取られており、他のクラスに少し話せる相手が居るくらいで、クラスで話してくれる相手がこの少年くらいしかいなかった。
いじめられている自分と普通に接してくれる彼にリンネは感謝していたが、この会話のノリがどうにも肌に合わないでいる。
「あ、居た居た」
それでもどうにか話が繋がりかけてきた、そんな時。
リンネの耳に聞き覚えのある声が届き、少女は表情を硬直させて振り向く。
そこには、リンネを普段からいじめている三人の少女が居た。
「ベルリネッタさん、ちょっといい?」
「……はい」
ここで付いて行かなければ、後でもっと酷いことになる。それを知っているリンネは、大人しく付いて行くしかない。付いて行ったその先で、酷い目に合わされることが分かっていても。
クラスメイトは、皆見て見ぬふりをしている。
止めれば次は自分がターゲットにされると分かっているからだ。
「……」
連れて行かれるリンネを、少年が無表情のまま――よく見れば心配そうな目つきで――じっと見ている。
その視線に気付いたのか、リンネは強がりの笑顔を浮かべた。
「心配しないでください。ね?」
ぎこちない笑顔を浮かべて、リンネはいじめっ子に連れて行かれる。
その言葉が、少年に何やら覚悟を決めさせたようだ。
「……」
少年が本を閉じ、少女達が教室を出てから数分時間を空けて、後を追うように部屋を出て行く。
少年が出て行くと、リンネが連れ去られた時は見て見ぬふりをしていたクラスメイト達が、無言のまま目を合わせ、神妙な面持ちで何度も頷いていた。
リンネは小体育館に連れて来られていた。
大体育館より小さく、大体育館が部活動で使われている時に一般生徒が遊ぶ時に使う体育館だ。
いじめっ子はここにリンネを連れ込んで、扉の鍵を閉めるという念の入れ様を見せていた。
これでは、偶然助けが来るということも期待できない。
「ここに犬のフンがあるんだけど、どう思う? ベルリネッタさん」
「あの、本気でやめてください」
"もっとやろう"という集団心理の熱に浮かされ、"これやりすぎかなあ"と良心の呵責に苛まれつつ犬の糞を持って来て、"やっぱやめようかなあ"と思いつつ他の二人の手前引くこともできないままここに来て、リンネの反応を見て少し加虐心を刺激され、やらかす寸前のいじめっ子。
三人の少女のいじめっ子はサイコパス等ではないため、人らしい心も持ち合わせてはいるが、その場のノリや集団心理で良心を無視してしまえるのが人間というものだ。
いじめとはエスカレートするもの。
インターネットでならば、自制心のある大の大人でさえ嬉々としていじめに加わる昨今、子供であるならばなおさらだ。
リンネが思わず目を瞑ってしまった、その時。
「待てい!」
どこからか飛んで来たバラが、犬の糞が入ったビニール袋を貫いて、いじめっ子の手から奪ったそれを壁に磔にした。
「!
ビニール袋の中身を一切こぼさないまま、壁に磔にする高度な技量と威力。
これは肉体の技だけでできるものではない。
高度な魔法の腕がなければ到底不可能だ。
ただ者ではない乱入者の存在を認識し、いじめっ子は振り返って叫ぶ。
そこには、バスケットゴールの上に格好良く立つ、白い仮面と黒い燕尾服の男性が居た。
「あれは……燕尾服仮面様!」
「燕尾服仮面様? 誰それ?」
「知らない。でもあの仮面はシャレオツね」
「燕尾服仮面様、それはこの学校に伝わる伝説の男!
神出鬼没、常に燕尾服と仮面を付けてだいたい高い所から現れる!
この学校の変身魔法を使う学生ではないかと言われるも、その正体は謎の中!
この学校で誰かが困っていると颯爽と現れ助けるという、世界で最も新しい伝説!
かつて怪我と病欠で魔法野球部が大会に出れなくなりそうだった時!
突如として現れて、幻の
野球素人の腕を補う魔法の腕とガッツでチームを支え、地区大会優勝に導いたと聞くわ!
燕尾服と仮面を付けながらボディスラも躊躇わないその姿は、仲間達の胸を打ったという!」
「サラ! 詳しすぎて気持ち悪い!」
「長すぎて耳にも頭にも入って来ないわよ!」
どこの誰かは知らないけれど、乙女は皆知っている。
「小学校にはびこる妖魔、いじめっ子共よ聞くがいい」
「な、何よ!」
「虚しいとは思わんかね。君達はベルリネッタ嬢を屈服させたいのだろう?」
軽やかにマントをなびかせて、燕尾服仮面はリンネといじめっ子の間に飛び降りた。
いじめっ子が後退し、男が少女を庇う形となる。
「君達はベルリネッタ嬢を負かしたいのだ。
いくらいじめても輝きを失わない、宝石のような目が気に入らない。
その強さに忌々しさを感じ、同時に……
本質的な良さが失われない目をしている彼女を、見下しているという事実に快感を覚える」
「ち、ちげーし!」
「だが、ベルリネッタ嬢の戦いとは、君達のいじめに耐え、その事実を隠すことだ。
誰にも心配されないことこそが彼女の勝利。
なればこそ、君達はベルリネッタ嬢を一度も負かしていない。いじめただけで、負けている」
「……!」
いじめっ子達が息を呑む。
彼が口にした理由こそ、彼女らがリンネを忌々しく思う理由の一つだ。
"いじめている自分達がリンネの眼中に入っていない"という事実に、彼女らも気付いている。
リンネはいじめられているが、考えていることはいつもいじめの事実を隠すこと、家族に自分の現状を知られないことに終始している。
いじめっ子のことは最初から相手にしていない。
三人を現状そこまで恨んでない上に、"時間が経てば飽きるだろう"くらいにしか考えておらず、逆襲して痛い目を見せようという暗い情熱すら湧いていない。
そういう点を薄々感づいているからこそ、いじめっ子達はいじめをエスカレートさせてしまったのである。
「見たくはないか?
君達に決定的に敗北し、敗者として君達を見上げるベルリネッタ嬢の姿を」
「―――!」
ゆえに、彼女らの心情を理解していた燕尾服仮面の誘導は、彼女らの心にカチリとはまった。
ぞくり、と三人の少女に暗い快感の予感が走る。
燕尾服仮面が助けに来てくれたのかと思い、黙って経過を見ていたリンネが、焦りを見せて男のマントを引っ張った。
「燕尾服仮面様……あなたは、どっちの味方なんですか?」
「自分の味方だと思ったのかね? あいにく、違う。
君の学園生活の平穏は、君自身の力で掴み取らなければならないのだ」
そして、燕尾服仮面はリンネの手に運命を切り開く力を握らせる。
それを見たいじめっ子の一人・サラが、驚愕と焦燥から声を張り上げた。
「む、あれは『ビーダマン』!」
「知っているのサラ!」
「あれは玩具からビー玉を発射するという画期的発想から生まれたホビー!
1993年に世間に登場し、明治時代末期に普及したビー玉の新たな遊び方を生んだ麒麟児!
ビー玉はそもそも平安時代に生まれたおはじきを祖に持つ由緒正しき遊具!
そこにボンバーマン等のゲームキャラという最新の要素を加えた新古の融合体!
1995年以降はコロコロとアニメで大人気シリーズが成功を収め、一気に普及!
一世を風靡し、歴史に名を刻んだ伝説的ホビー……知識人ならば必ず知っている代物!」
「サラ! 詳しすぎて気持ち悪い!」
「気持ち悪い!」
高町なのはのレイジングハート、その待機状態が駄菓子屋で買える赤いビー玉みたいな形であることからも分かるが、ビーダマンと魔導師に密接な関係があることは周知の事実だ。
発射されるビー玉は、魔導師の魔力弾にも例えられる。
燕尾服仮面は、ダンボールの中にぎっしり詰められたビーダマンを少女達の前に置いた。
「これで決着を着けるがいい! 正々堂々と!」
「え、この歳になった女子にビーダマンはちょっと……
大人になってもアニメ見てる気持ち悪い人じゃあるまいし……」
「逃げるのか妖魔のいじめっ子! 怖いのか!」
「上等よ野郎ぶっ殺してやるわ!」
いじめっ子の煽り耐性が高いわけがない。それは科学的に証明されている。
「せっかくだから私はこのコバルトブレードを選ぶわ」
「ええっと、じゃあ私はこのバトルフェニックスで」
ミッドグーグルという検索サイトでミッドググれば一発で出る(推奨)ような有名な機体を、二人はそれぞれ手に取った。
いじめっ子の一人は青い剣をモチーフにした機体。
リンネは燕尾服仮面から受け取った燃える不死鳥をモチーフにした機体。
燕尾服仮面は二人がビーダマンを手に取ったのを見て、指を鳴らす。
すると突如として体育館の中央に、卓球台に似たビーダマンの競技ステージが構築された。
(! この高度な物質操作魔法……ただ者じゃない……いったい何者なの……?)
魔法の知識がある者なら誰にでも分かる、燕尾服仮面の魔法の技量。この男は何もかもが謎で不確かな男だが、魔法の腕だけは確かなようだ。
ホビー漫画にありがちな"突如出現する対戦場"を魔法一つで作れるのなら、それも当然か。
「ちなみにその機体は締め撃ちができるぞ、ベルリネッタ嬢」
「締め撃ち?」
「キャノンショットとも呼ばれるものさ。
人差し指で球を押さえ、親指で押し、デコピンの要領で撃つ。
その威力たるや、漫画の主人公が使えば金属が消滅するほどだ」
「しょ、消滅!?」
「何、案ずることはない。君の可愛らしい腕では、そんな威力は出ないさ」
「か……可愛くはないです!」
いじめっ子といじめられっ子がステージの両端に着く。
その姿たるや、まるで古代ベルカの騎士が行う決闘のよう。
ここに来て初めて、一方的な加虐の関係が無い状態で二人が向き合うようになったのだと、燕尾服仮面以外の誰もが気付かない。
「ルールはクラナガン公式ルール! 三本勝負だ!
この長方形の右端と左端がそれぞれの陣地!
そこに置かれたピンを全て倒した方の勝ち!
両者の最後のピンが同時に倒れたなら、決着はジャンケンで決めるものとする!」
審判は燕尾服仮面。クラナガン公式ルール、正式名称バトルモード0992(ゾイド感)。
今、いじめられっ子によるいじめっ子への反逆が始まった。
「ビー……ファイト!」
戦闘開始直後、ビーダマンにあまり馴染みのないいじめっ子は、とりあえず適当に思いつきでビーダマンを持った手を引く。そして、ビーダマンを突き出しながら発射した。
「このルールなら、こういうのもありでしょ!」
発射されたビー玉は大気との摩擦で自然発火。
リンネの陣地に置かれたプラスチックのピン――子供が飲み込む危険があるとPTAからクレームが来て生産中止、ネットで叩き売りされていたピン――の、1/3ほどが吹き飛ばされる。
いじめっ子がなんとなくで出したその技を見て、サラは叫んだ。
「あ、あれは! ビーダマンの発射と同時に腕の力でビーダマンを前に突き出す技!
ビー玉は指の力で発射するもの! そこに腕の力を乗せる技!
腕の力が10、指の力が10、そのため生まれる力は100にもなる!
魔導資質持ちであれば、発射の際にビーダマンさえも大気摩擦で燃えるという!
故グランガイツチャンピオンの現役時代の炎熱必殺技、ブーストマグナム! みたいな技!」
「サラ、落ち着いて!」
そうこうしている内に、いじめっ子は第二射を発射。
リンネ陣地のピンの2/3が倒れ、残るは1/3。その間、リンネは手元のビーダマンを不思議そうに眺めながら、一発も撃っていなかった。
「ベルリネッタ嬢! どうした、押されているぞ!」
「あの、これどうやってビー玉を入れるんでしょうか?」
「ベルリネッタ嬢っ!」
そして、最後の1/3も倒される。
三本勝負の一本目は、いじめっ子の完封勝利に終わったようだ。
「よし、一本先取!」
「勝者は二回先取した方だぞ、いじめっ子よ」
「分かってるわよ!」
燕尾服仮面はいじめっ子に釘を刺しつつ、容姿から想像できないくらいに脳筋だったリンネにビーダマンの指導を始めた。
リンネは心優しいが、人や物に対する理解力が少し低いのかもしれない。
「玉入れはこう、こう」
「はい!」
「締め撃ちはこう、こう」
「はい! 燕尾服仮面様、ああいうこと言ってた割に親切に味方してくれますね」
「気のせいだ!」
味方する筋合いがないはずなのにいい人だなあ、とリンネは呑気に思っていた。
「締めて、狙いを定めて、トリガーを押す。締めて、狙いを定めて、トリガーを押す……」
「ちょっと教わったくらいで……
貰われっ子でお嬢様気取ってるだけの奴に私が負けるわけないでしょ? ベルリネッタさん?」
「締めて、狙いを定めて、トリガーを押す。締めて、狙いを定めて、トリガーを押す……」
「……忘れないように頑張ってるのは分かったから! こっちの話も聞きなさいよ!」
勉強していなかった不良学生が小テストの前に単語を覚えて、それを頭の中で何度も繰り返す悪あがきのごとく、リンネは教わったことを忘れないように何度も反芻していた。
第二戦。
「ビー、ファイト!」
開始。
いじめっ子はまたしてもビーダマンを持った手を引き、ブーストマグナム(仮)を構える。
「もっかいさっきの、三発一勝っ―――」
「えいっ」
が。
それを撃つ前に、いじめっ子の横を『何か』が通った。
その『何か』がリンネの
放たれたいじめっ子のピンの右半分を衝撃波に巻き込んで倒し、作られたステージの壁をぶち壊し、なおも止まらずいじめっ子の後方の扉に命中。
体育館の鋼鉄製の両開きの扉、その右半分を吹き飛ばした。
「……えっ」
「あ、外れた。左左……えいっ」
左を狙ったのに右に飛んでしまった。締め撃ちではよくあることである。
リンネは今度はちゃんと狙って、可愛らしい声と共にピンの左半分へと締め撃ち。
当然のように全てのピンを衝撃波だけでなぎ倒し、ステージをぶち抜き、いじめっ子の服をかすりながら後方の鋼鉄製の扉に直撃。
両開きの扉、その左側も吹っ飛んだ。
この瞬間、二本目の試合におけるリンネの勝利が決定した。
「Oh……」
ビーダマンが恐ろしいのか? それもある。だが真に恐ろしいのは、リンネの腕力であった。
燕尾服仮面はちょっと冷や汗垂らしながら、壊れたステージを再構築する。
「三戦目ですね。負けませんよ」
「あ、あの、ちょっと……」
「えいっ」
リンネは"コツを掴んだ"的な得意げな顔をして、ちょっと浮かせたビーダマンを構え、斜め上から撃ち下ろすような角度で締め撃った。
いじめっ子の陣地のど真ん中にビー玉が着弾し、爆音に近い破砕音が鳴り響く。
衝撃波で全てのピンが倒される。
発射されたビー玉はステージの底を斜めにぶち抜いて、いじめっ子の股の間を抜けて行った。
スカートにかすったビー玉の感触。
上着さえ揺らす衝撃波。
スカートの中に流れた風。
股の間を抜けて行ったビー玉が、あと少し上を通っていたら? そう思った瞬間から、いじめっ子の背筋にとてつもない悪寒が走る。
(―――と―――トイレに行けない、体にされる―――!)
三本勝負、二勝一敗。
勝者、リンネ・ベルリネッタ。
「あ、ええっと、これで勝ちでしたっけ? 燕尾服仮面様」
「凄いパワーじゃないか。尊敬するぞ、ゴリラネッタ嬢」
「ゴリラネッタ!?」
リンネは気付く。そして理解しない。
燕尾服仮面が自分を先程までと違う目で見ていることに気付くも、何故そんな目で見られているのか理解できていないようだ。
「ゴリラネッタ……」
「リンネ・ゴリラネッタ……ひええ……」
「ゴリラ・ゴリラ……リンネ・リンネ……」
(あれ? なんでだろう……
この三人に悪口言われるのは初めてじゃないはずなのに、今日は特に胸が痛いよ)
なんと恐るべきパワーか。
燕尾服仮面が話に伝え聞く、第97管理外世界のジャッキー・チェンやランネー・チャン並みに、同性同年代と比べて飛び抜けたパワーを持っているようだ。
「あっ、扉が! ど、どうしよう、私が壊しちゃったの……!?」
「今更!?」
しかも天然。
天然にゴリラパワー。
この子がキレて拳を振るえば、いじめっ子達の命は風花のように吹き散らされ、輪廻の輪に乗ってしまうに違いない。
「この壁は私がどうにかしよう。君達は帰りたまえ」
「でも……」
「そろそろ朝のHRだ、と言ってもかね」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
登校直後にビーダマンで遊んでいた少女達の顔色が、さっと変わる。
時計を見て、更に青くなる。
「やばい!」
いじめっ子達は、リンネ以外に対する態度はそこそこいい子ちゃんをやっている。遅刻なんて考えもしない。そのため、先生が来る前に席につこうと一目散に駆け出していた。
リンネも教室に戻ろうとするが、その前に振り向き、丁寧に深々と頭を下げる。
「あの! ありがとうございました、燕尾服仮面様!」
「ふははははは! さらばだお嬢さん達!」
それは少女の方が去っていく時の台詞じゃなくて、少女達を置いてお前が去っていく時の台詞じゃないのか、とツッコむ者は誰も居ない。
リンネは教室に向かって走り、途中で廊下の窓からまた燕尾服仮面の姿を目にする。
彼は息を切らしながら、倒れた鋼鉄製の扉を必死に持ち上げ、扉を元の場所に戻して魔法で修理しようとしているようだった。
(燕尾服仮面……いったい何者なんだろう……?)
リンネはなんとか間に合ったようで、教室の自席に着く。
(あれ?)
そこで、隣の席の少年が居ないことに気付いた。
この時間に何があるんだろう、と思っていると、教室の後ろの扉が開いてライ・ドローンが――汗塗れ、頬は上気、息も絶え絶え――現れた。
その数秒後に先生が教室に入って来たことを考えると、リンネ以上にギリギリのタイミングで。
「ドローン君、どこに行ってたんですか?」
「……はぁ、はぁ……用事が……あって……」
息を切らす少年を見て、この人がこんなに必死になってるの初めて見たな、とリンネは思った。
燕尾服仮面……いったい何者なんだ……