ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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はじめに

基本的にストーリーは原作を踏襲するつもりですが、キャラ改変、キャラ改悪、後付け設定はかなり多いと思います。独自ストーリー展開も多いので耐性無い方は容赦なく切ってください。さらに原作であるソフトが既に手元に無いので今さら設定、イベント詳細、細かい台詞の確認ができません。「あれ?原作の設定と違うぞ・・。」となってしまってもご了承ください。そして長い。無駄に長い。

主人公が該当ヒロイン一人一人に個別に存在します。
アマガミ原作の主人公、デフォルトの「橘 純一」ではありません。全く個別のキャラクターが主人公になります。つまりヒロインの数だけ主人公が存在します。
「橘純一」とは性格もイメージ外観も家族構成も全く異なります。
今のところ用意しているのは五人分。(森島篇は用意してません。何度考えてもストーリーが浮かばない・・。)
アニメの様なオムニバス形式ではなく、時間軸の同じストーリーをそれぞれの主人公とヒロインの視点から話を進めます。どちらかというと少女漫画に近いのかな?よって原作の恋愛ゲームという感じはかなり薄れます。
大体ルールはこんな感じです。
「無い」という方は容赦なく戻るボタンをどうぞ。

ルートAの主人公設定
名前 杉内 広大 すぎうち こうだい
身長 170
やや細身
血液型 О
家族構成 両親 兄(既婚)
一人称  主に「俺」

同じ吉備東高校で三年の「塚原 響」の幼馴染であり、それ以上の感情を彼女に抱いている。同じ高校に入ったのもその経緯があってのことらしい。基本草食系で奥手であり、塚原に会えないかと室内プール倉庫裏を徘徊していた際、黒猫のプーに遭遇。それを追った結果階段下で階段上にいるヒロインと出会う。

成績 中の中 数学に強く、文系はとことん弱い。




ルートA 1~5

1 邂逅

 

不思議なもので人間大した目的も確固たる意志も持たないまでも足はとりあえず動く。

帰り道と一緒だ。過程はすっとんでいつの間にか目的地には辿りついているんだろう。

 

目指すは放課後の室内水泳練習場。

 

―でも俺がそこに行って今何になる?

 

言葉は浮かばない。きっかけも無い。度胸も無い。

ただ先輩と自分を繋ぐのは、保育所、小、中そして高と同じ空間で同じ時を過ごしたと言うだけだ。

その特権でお互いに下の名前で呼び合うくらいの間柄ではある。しかし年月が経つにつれその些細で誇るべき繋がりのみを盾にしている自分を鑑みると、足はさらに重くなる。

 

塚原 響

 

少年―杉内広大の一個上の先輩であり、十年来の想い人でもある。

彼の両親が塚原響の両親と古い知り合いであり、何かと帰りの遅い共働きの両親と当時グレていた歳の離れた広大の兄の代わりに専業主婦であった塚原の母に付き添い、保育所から即直行でよく家に遊びに来てくれた。

塚原 響は生来物静かで大人しい女の子であったが面倒見がよく、「自分は年上のおねぇちゃん」という自覚からかホントの姉のように気丈に振舞って一つ下の広大の面倒を見てくれた。そんな彼女に広大はべったりだった。

いくら感謝しても足りない。ぐれた兄が「お前がぐれなかったのは響ちゃんのおかげだな。」と、冗談交じりに言っていたがまさしくその通りだと思う。

けどそんな面倒見のいい彼女故に彼女の人生は徐々に慌ただしくなる。元々真面目で何事にも手を抜かない性格。よって周りの同級生、教師含め、誰にも頼りにされた。

成績優秀。さらに吉備東高校水泳部女子の主将であり、県大会でも上位。「自分は強面」と謙遜するが時折見せる優しい表情に同性、異性共に隠れファンは多い。ただ常に横に居るのが同級生の森島 はるか―吉備東校を代表する美人なので貧乏くじを引いているだけだ。美人だがとにかく危なっかしい森島先輩のフォローに走る時の彼女は好いている広大にとってちょっと切ない光景であった。だがその彼女を見て誇らしくもあった。同時寂しさもあった。

 

何とも平凡で特に取り柄のない自身のチンケさを否応なしに自覚するからだ。

 

少なくなったとはいえすれ違えば笑ってくれたり軽く声をかけたりしてくれる。

でも弟以上恋愛対象未満。これ程まで彼と彼女の関係でしっくりくる言葉はそうないだろう。

傍から見ればそれなりに「オイシイ立場」であるが当の本人にとってはとってもデリシャスではない。

 

「あーやっぱ帰ろ・・」

 

どうせ会ったとしても今更何を話せばいいのか解らない。あぁ何も考えず犬猫のようにすり寄れた小さい頃が懐かしい・・。

 

―・・・・・ん?

 

チリンチリン・・・。

 

―鈴の音?

 

その音色に辺りを見回す。既に水泳部更衣室前に来ていた。

 

―放心状態で女子更衣室前って重症だなこりゃ。

 

前科者の烙印から彼を救った鈴の音色に感謝しつつ、短く刈りあげた揉み上げの後ろで大きく開く耳をさらに象みたいに広げる。音の発生元を見つけるのにさほど時間はかからなかった。

 

「お」

 

更衣室の裏への曲がり角で雨水を吐き出す黒いパイプの向こうからさらに黒い物体が顔を出し広大と目があった。

 

・・猫だ。

 

毛並みは歳をとっているようだが、栄養状態はいいらしく、艶と光沢のある黒い毛と長い尻尾と手足を持った十二分に魅力的な猫だった。

人間というものは単純で目の前にとりあえずの鬱憤の捌け口を見つけたら手を出さずにはいられない。広大もさっきまで己を支配していた重い気持ちが消え去り、頭は「どのようにしてあの猫に触れてやろうか」としか考えていない。

 

 

その意図に気付いたのか猫は広大を見ながら踏み出しかけた左前足を何処に着けるか模索している。広大の出方を窺っているのだ。

生憎広大には現時点でその猫が自ら寄ってくるように仕向けられる魅力を持つ物を持っていない。

 

あれだけ母に口酸っぱく「入れるな」と言った昼の弁当の残りのアスパラガスではこの猫の警戒を解くことは難しいだろう。せめてアスパラを巻いていた豚肉があれば可能性はあったが既に彼の胃の中で消化されている。

 

じりっ

 

! ととととっ!

 

仕方なく足を踏み出したと同時に猫は倉庫裏に姿を消した。手強い。

だが後を追って角を曲がると猫は距離を保ちつつも広大を待っていたかのように振り向いていた。まだ広大という人間を判別できていないのだ。

虐めようとしているのか、追い払おうとしているのか、餌をくれようとしているのか、それともただ撫でたいだけか。何にしても猫にとって餌以外はお断りであり、広大にこの猫を御指名する権利は現状無かった。

 

ただ生来の猫好きには猫の事情など関係ない。この少年かなり猫好きなのである。

 

また広大は距離を詰めた。近付くとさらにわかる。本当に綺麗な黒猫だ。

また猫が距離を広大から放すと首輪に光る趣味のいい銀色の花の房の様な鈴が心地いい音色を立て、更衣室裏の階段下に猫は隠れた。薄暗い階段下を四つん這いで覗き込む。きらりと緑色の目が光った。黒猫はそこにいる。手も届きそうだ。

 

―お。やったね。触らしてくれるかな・・?

 

広大はゆっくりと手を伸ばす。ネコの鼻に手が届きそうになったその時だった。

「・・・何しているんですか?」

 

「え?」

 

唐突に上から声が聞こえた。明らかに不審と不快と敵意の混じった不機嫌そうな声だった。

反射的に伸ばした腕は引っ込み、視線が上を向く。

 

それがまずかった。

 

「え・・!?黒・・!?」

 

―チャレンジャーだな・・勝負パンツか?

 

「いやそこじゃない!」と広大の頭の冷静な部分が突っ込む。だがすでに時遅し。

スカートの奥をまざまざと凝視した彼に浴びせられる声の主の視線が冷極に達する。

ようやく声の主の全体像がはっきりとする。

 

「・・・」

 

細く小柄な体格の少女。健康的で飾り気のないショートカットの黒髪。見下ろされているこの状況もあるがきつく見据えるようなやや吊りあがった漆黒の瞳。口は完全にへの字に結ばれ、不快感を一切隠さない。まだ「きゃあああ!!」と叫ばれた方がましである。

 

―・・それも困るか。

 

申し訳なさと恥ずかしさと混乱で少女をまともに見れず階段下の猫の方に目をやった。

 

―お、おい・・お前も何とか言ってやってくれ。「誤解」だって。

 

そんな出来るはずもない助け船をあろうことか猫に求めた。

 

―ってあ、あれ!?

 

だが既に黒猫はそこにはいなかった。まるであの黒猫が今階段の上から自分を見下ろしているあの少女に化けてしまったかの様な感覚を広大は覚えた。

 

これが広大と彼女との出会いだった。

 

 

 

2 俺は杉内、君、七咲

 

翌日

クラス 2―B 一時限目休み時間

 

「おはようっす!」

 

いつもと変わらない相変わらずの能天気さで梅原正吉は席でうなだれる広大の頭を手刀で薙いだ。

 

「おはよう・・。」

 

―あーうっとおし。

 

「おーおーおー?どしたの?朝っぱらからすぎっちは。棚町!国枝!コイツなんかあったの?」

 

「さぁ?」

 

「知んなーい。」

 

広大の左後ろの窓際に座る「国枝」と呼ばれた少年とその少年の机に惜しげもなく座っている「棚町」と呼ばれた癖毛の少女が気の無い返事を帰す。

基本棚町という少女はテンションとノリが低いのが苦手なので今朝から机に突っ伏し、テンションどん底の広大をスルーしていた。

国枝と呼ばれた少年は血圧がどん底のためスルーしていた。

広大はこの状況でうざくじゃれついてくる能天気な梅原をスルーしたかった。

 

昨日の放課後の出来事は今になっても肝が冷える。

かといって僥倖もあった。・・別にパンツを見れた事ではない。

 

時は少し遡る。

 

あの進退極まるあの場所あの時間へと。

 

「覗き・・ですか?」

 

「いや・・その、別に・・」

 

「では何を?ここで・しゃがんで・上を見て。・・何を?」

 

つり目の少女は一言一句抉るようにゆっくりと言った。

冷静になれば後々意外に言い訳や真っ当な反論ぐらいはコロコロ出てくるものだが些かこの時広大はテンパリ過ぎていた。

 

「黒猫がこの階段下にいたので撫でようとしたところに君が来ました。不可抗力です。殺さないでください」

 

何故これが言えなかったのか。反省点は尽きない。

広大の泳ぐ視線を尻目に少女はコンコンと階段をゆっくり下りてきた。相も変わらず最大級の警戒をひっさげて。このまま黙っていれば生徒指導室に直行。叱責、罵倒、侮蔑、詰問→下手すりゃ停学か?

 

―・・母に殺される。

 

「何をしていたんですか・・?」

 

痺れを切らした少女が今度は上目づかいで睨む。近くにいると更に小柄である事に気付く。

 

「いや・・その・・うんと。その、ね?あ、猫。そう!猫!」

 

ここは猫だ。

 

「猫?」

 

「そう黒・・!!・・猫」

 

「やっぱり見たんですね・・・」

 

「そう!見た!」

 

「覗いた・・と。認めましたね。」

 

「・・・」

 

―くっ・・!逃げ出したい・・!!

 

「誰かいるの?」

 

「!」

 

「あ・・」

 

唐突にまた声が聞こえた。だがその声の主は瞬時に解った。今最も聞きたい声であり、また逆にこの場に来てほしくない声でもある。更衣室裏への曲がり角から無造作に頭頂部で結った髪を揺らしてひょっこりと顔を出した。

 

「あ・・ここに居たんだなな・・あれ?広大君!?」

 

「ひび・・・塚原先輩」

 

広大は嬉しさがこみあげてきた。

塚原の乱入で大きく流れは変わる。塚原は申し開きの場を設けずに一方的に「黒」と決めつけるような事は絶対にしない。面倒だとは百も承知でもじっくりと話を聞いてくれる。こんな人が裁判官なら痴漢冤罪は無くなるのかもしれない。

 

「どうしたのこんなところで?七咲まで・・?」

 

―・・ななさき?

 

「先輩のお知り合いですか?」

 

全く同じ言葉を出そうとした広大の言葉を遮って「ななさき」と呼ばれた少女は尋ねる。

口調は穏やかだが何となく「この変な生き物知っているんですか?」という感じに聞こえる。

 

―・・耐えろ俺。

 

「うん。でも・・どうしたの?こんな所で二人とも・・知り合いだったの?」

 

「いえ。さっき会ったばかりです。では失礼します」

 

予想以上にあっさりと「ななさき」と呼ばれた少女は矛を収めてスタスタと歩き出した。その背中を見送り、塚原は広大に向き直って尋ねる。

 

「何か在った?」

 

「いえ。何も」

 

見つけてくれたのが塚原だったのが不幸中の幸いだった。実際なところやましいところは広大には無い。不可抗力だったのは確かでも。もし他の誰かがこの場を見たらもっとひどい事になっていたかもしれない。塚原だったからこそ落ち着けた。

 

―この人だったらきっと俺を信じてくれる。

 

そういう確信があった。

 

塚原はまだ訝しげだが特に勘繰ることなく話を再開した。少し彼女の表情が変わり、細く切れ長の目が優しい光を帯びる。

 

「・・・。久しぶりね。広大君」

 

「はい。」

 

「おばさん達は元気?お母さんも最近会えないから心配していたわ」

 

「元気ですよ。そちらは?」

 

「太った以外は元気よ」

 

「え。太ったんですか?おばさんが?」

 

「お母さんじゃないの・・お父さんの方。この半年で十キロ・・ホント勘弁してほしいわ」

 

「あ。いたた」

 

「ふふっ・・あ、ごめんそろそろ時間だから行くね?」

 

「まだ部活に出ているんですか?三年生はもう引退じゃ・・」

 

「そうなんだけどね・・、実ははるかが急に『泳ぎたい』とか言いだしてね?下級生じゃ断れないからあたしが部室で待ち構える事にしてるの。ひきずってでも連れて帰るわ」

 

「はるか」とは塚原と同じ三年生で彼女の親友であり、フルネームは「森島 はるか」である。単純に言えばこの学校のマドンナ、アイドル的存在であり、それに見合った容姿とプロポーション、そして男女分け隔てなく気さくに接する事ができる徳を持ち、また結構な変わり者で思い立ったら即行動の脳筋でもあり、周りの人間を巻き込む暴れメス馬と化すなかなかに掴めないヒトである。

彼女の暴走を止められる人間はこの学校にそういない。そのうちの一人が塚原である。

 

「別にいいんじゃ・・同じ女の子同士なんだし」

 

「甘いね。あの子がいると男子がうじゃうじゃ寄ってくるのよ。部員の気が散って仕方ないの」

 

「あ。納得ぅ」

 

「じゃまたね・・。・・コウ君」

 

「・・・!うん。ひびき姉・・」

 

幼い頃からの呼び名を互いに呼びあった。

 

―案外変わってないのか?俺達。

 

広大はあれこれ悩む前にまず話してみるべきだったと今更後悔する。

結果論とはいえあの黒猫とあの・・「ななさき」という少女に感謝すべきかもしれない。彼女達に出会わなければこの瞬間もおそらく存在しなかった。恐らく先輩が来る前に帰っていただろう。

この程度で満たされているようじゃ話にならないのは解ってはいるが、思いがけず手に入った懐かしい感覚に広大の胸は躍った。

 

だがそれも一瞬だった。

 

「~♪・・・!?」

 

鼻歌交じりに曲がり角を曲がった時広大は再び凍りつく。先程とは打って変わった悪戯っぽい笑みを浮かべた「ななさき」がさっきの黒猫をあやしながらちらりとこっちを見てすぐ目を切った。

恐らく・・何かと色々と「解った」のだろう。

 

確かにいい日だった。だが同時に何かと疲れた一日でもあった。

 

ぐでぇ・・

 

その疲れを広大は翌日現在も引きずっている状態だった。

 

気付けば既に四時限目が終わり昼食の時間。疲れてはいようと食欲はある事から自分が健康であることが理解できる。ただ昨日アスパラガスを残した母の腹いせか弁当は野菜と魚がメインである。まぁ「あれ」さえなければ嫌いな食い物は特にないので一向に構わないのだが・・

 

―ん?魚?

 

「おい。すぎっち!うまそうなサバ美ちゃんを残してんじゃねぇ」

 

実家が寿司屋を営む梅原は商売道具、いや、パートナーを侮辱された事に抗議した。

 

「大丈夫だっつの。ちゃんと『有効』活用するって」

 

何時もより昼食は早めに済ませ、その分残りの昼休みを眠るのに回す。

 

声をかけに来た国枝が「・・お前何時も眠ってンな」と呆れていたがどこ吹く風だった。

 

しかし、その彼が実は次の時間の英語の今回広大に順番が回ってくる英文翻訳を見せてくれようとしていた事を知ったのは後の事である。

 

―放課後

 

「うわっさっみっ。う・・・・ぃきしっ・・!」

 

午後からふきだした風によって更衣室裏は過酷な環境に在った。

その中、ほぼ空の弁当箱を小脇に抱え、広大は小刻みに震えながら待っていた。

昨日のトラブルの発端であり、また逆に殊勲の逆転劇のきっかけを作った功労者を労うべくこの寒空の下、広大は待っていた。あの音色を求めて。

 

―・・・! 来た。

 

チリィン・・。

 

方向を確かめる。・・・あそこだ。昨日と同じ階段下。そこにふたつ緑色に光る目がある。

 

―うーん。血が沸くねぇ。

 

脇からゆっくりと弁当箱を抜く。某凄腕スナイパーに依頼の資料を渡す依頼人のように・・そう・・ゆっくり、ゆっくりとだ・・。

傍から見れば何とも間抜けな絵面だがやっている本人達・・少なくとも広大は真面目だった。

パカリと弁当箱が開く・・猫も意図を察し、今日は警戒しつつも低姿勢でゆっくりと近付く。

梅原命名の「サバ美ちゃん」とやらの切り身を白い床に置く。

 

人間の食べ物は猫にとっては高カロリー、塩分濃度が高すぎる。そのためちゃんと塩気、そして細かい骨は抜き、老齢の猫でも健康を害しないように調整済みである。

 

変なところプロフェッショナルな男―杉内 広大。

 

くんくん、あぐ・・

 

置いた切り身に黒猫は二、三度鼻をつけ、すぐに食べ始める。

 

―隙あり。

 

無防備になった額をわしゃわしゃするチャンス!

 

―くぅ~・・このために生きてるな!

 

「何やってるんですか!」

 

一喝。

背後から声が響く。

 

「おおっ!?」

 

完全な無防備状態の背中に突き付けられた怒声に否応なしに広大の体はビクつき、恐る恐る振り返る。

 

「・・・また貴方ですか・・・。」

 

―それはこっちの台詞だ。

 

昨日「ななさき」と呼ばれた少女が今回は警戒と言うよりも呆れ顔で溜息をつく。

黒猫はその声に驚き、我に帰ると気付かぬ間に目の前にあった広大の指を反射的に軽く噛み、切り身を持って逃げだした。おめでとう。初「アマガミ」は猫から頂きました。

 

―あ痛!あ。あらら・・くぅう・・。

 

声にならない叫びが喉元まで来て引き返しつつ、広大は一目散に逃げていく黒猫を敢え無く見送った。

 

「ななさき」と呼ばれた少女はまたすぐに大体の事を理解した。

 

なんて解りやすい状況なのだろうか?なんて解りやすい人なのだろうか?と。

 

また「ななさき」は呆れた。

 

「駄目ですよ・・。このコ人見知りしますから」

 

そういって彼女はまたスタスタと歩き中腰で猫を呼ぶ。

 

「プー。プー?おいで?」

 

「プー?」

 

「あの子の名前ですよ」

 

そう言って手慣れた手つきで白い床にさらに白い人差指と中指の爪でカチカチと音を鳴らした。

その音に反応し、サバ美を・・食事を終えた黒猫―プーはゆっくりと、しかしリラックスした動作で近付く。歩きながらぐぐぐと伸びをするくらいだ。

そうしてプーは「ななさき」の指に顎を乗せ、気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 

―バカな。俺の苦労は一体。

 

「・・何あげたんですか?あんまり変な物食べさせないでくださいね?」

 

「ん。ああ・・弁当のサバの切り身だよ。塩気も骨も抜いたから大丈夫だと思う・・」

 

不機嫌さと嫉妬心を隠さず広大はぶっきらぼうに呟いた。

 

「そうですか」

 

少し意外そうに明るい声を出した。

 

そう言えばこの少女と広大はまともに話すのはこれが初めてかもしれない。昨日の会話はまるで成立していなかったも同然だった。

 

「・・で。また覗きに来たんですか?」

 

「・・・」

 

振り出しに戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後・・

ゴール前に無数に「振り出しに戻る」マスが張り巡らされているような双六ゲームを抜け、ようやく納得してくれた。

 

「はぁ・・はい。解りました」

 

溜息の絶えない少女である。こちらに非があるのは確かだが。

 

「よかった。解ってくれた?」

 

「正直どうでもいいです。ではここから早く帰ってください」

 

「う・・」

 

名残惜しそうに広大は彼女の足にすり寄るプーを見る。

 

「無理ですよ。プーは。男の子にはあまり懐きません。何企んだり、考えてるか解んないからでしょうね」

 

何となくそれはプーだけではなく、彼女自身の主観も少なからず混ざっているようだ。

全男代表としてここは言い返したいところである。

 

「そういう君はここで何してるの?えっと・・『ななさき』・・だっけ・・?」

 

「あ。・・はい」

 

そう言えば昨日ちゃんと自己紹介をしていない。昨日から色んなことがあったがとりあえず知り合った以上名前を名乗るのは礼儀と判断する。塚原の知り合いでもあるのだし。

 

「ゴメン。色々あって結局自己紹介して無かった。俺は杉内です。2-A杉内広大。初めまして」

 

「『コウ君』ですね?」

 

「う・・」

 

―やっぱり聞いてたな・・?

 

「ふふ。すいません。あの時塚原先輩に私も用があったのであちらで待たせてもらっていたんです。したらお二人の会話がたまたま耳にはいちゃって」

 

相変わらず悪戯そうな笑みは絶やさないものの、ちゃんと彼女は非礼を詫びた。元々印象にはあったがきっちりしている子なのだろう。

 

「・・あー。ん。そういうことか。いいよ。別に」

 

「はい。初めまして。私は1-B七咲です。先輩だったんですね。初めまして杉内先輩」

 

―1-B・・あぁ橘の妹と同じクラスか。

 

「下の名前は?」

 

「・・逢(あい)です」

 

少し間があったが七咲はハッキリとした口調で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 二つのアコガレ

 

「「アイ」・・ね。漢字で書くとあの「愛」?」

 

広大は指を虚空で「愛」となぞりつつ聞いた。

 

「いえ。違います。出逢いの「逢」です。難しい方の」

 

「あ~~・・ん・・・?」

 

杉内広大 現代文成績 2

 

「・・解らなければ良いです。ちなみに「ななさき」は数字の七に「咲く」です」

 

「ふーん」

 

―ま。確かに「愛」って感じじゃあ無いな・・。

 

「・・変わっていてすいません」

 

「あ、いや・・ゴメン。良い名前じゃない?俺も大概だし」

 

「「こうだい」・・ですよね?」

 

「そ。広大。「広い」に「大きい」って書いて」

 

「成程」

 

―名前負けですね。

 

―ほっとけ。

 

二人は目でそう会話した。

 

 

 

「・・もういいですか?そろそろ帰ってくれません?」

 

「ぬ・・そんなに帰んなきゃダメ?」

 

ちらりとプーを見る。縋る様に。しかし眼を逸らされる。

 

「はい。困ります」

 

プーの気持ちを代弁するように七咲が割り込んだ。

 

「・・・」

 

しかし尚もプーを見る。このまま引き下がれない。だが広大の視線を感じて更にプーは引き、下がる。七咲がふぅと溜息をつき、次に見据えるような目で笑顔を崩さぬまま言った。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「えい」

 

「あ!?」

 

七咲はあろうことか自らの手でスカートをまくりあげた。

 

「え、ちょちょちょちょ・・七咲!?・・いきなり何!?」

 

さすがに直視はできそうにない。ガン見したら何を言われるか解ったもんじゃない。だがちらりと見えたスカートの中は昨日と同じ確実に漆黒だった。

 

「何ですか・・?見たかったんでしょう?」

 

「だから・・!違うって・・!!」

 

「良いんですよ?見たからってアタシは何とも思いませんから」

 

「そういう問題じゃないって・・?え・・・?」

 

「冗談じゃなくちゃんと見てください?先輩」

 

「・・水着・・?」

 

「そゆことです」

 

そう言ってすぐにばさりとしゃくりあげたスカートを下ろし、ぱたぱたと両手で払う。

それなりに恥ずかしくはあったらしい。はたきながら顔を広大にしばらく向けなかった。

まぁ笑いをこらえていたというものもあるだろう。

 

「私、水泳部なんです。だからあんまりこの周辺に知らない男子がうろうろするのは・・・解りますよね・・?お互いにあんまり良い事無いと思いますよ?」

 

次に広大に視線を向けた時にはもう彼女は何時もの調子に戻っていた。

 

「あ~はは・・。」

 

成程ようやく何かと合点がいった。一気に力が抜ける。

 

「・・じゃあ昨日も?」

 

「はい。残念でしたね。ただの水着です」

 

「はぁ~~」

 

さすがに広大は内心頭を抱えた。

「んふふふ。単純ですね。先輩って。すぐ表情に出ちゃいますから。ちょっと可愛かったですよ」

 

そういって七咲はからかったつもりであろうが今回ばっかりは悪ふざけが過ぎる。はっきりいってとても褒められた行為ではない。増して知りあったばかりでおまけに年上の異性に対して。

礼儀云々以前の問題だ。

 

「七咲」

 

すこし意識して広大は口調を冷えさせた。説教というガラでも無いが塚原の大事な後輩である。

 

「・・何ですか?」

 

「とりあえずゴメン。事情は解った。でも流石に今のは余計。あんまり男をからかわない方がいいよ」

 

「・・はぁ」

 

「今までそんな意識をあんまりした事無いんだろうと思うけどさ。やっていいこと、悪いことの境は付けるべきだと思う」

 

「・・すいません。悪ふざけが過ぎました」

 

「そういう意味じゃ無くて・・ほら・・一応相手が男だってことを意識した方がいいっていうのかな・・男にも色んな奴が居るし、軽率すぎたんじゃない?って事」

 

「・・。肝に銘じます。・・先輩案外ちゃんとした人なんですね」

 

「・・どうも」

 

「あ。今のは別にからかったわけじゃないですよ。でも・・なんとなく先輩なら大丈夫かな~って思って」

 

「大丈夫?どういう意味?」

 

「杉内先輩、塚原先輩のお知り合いなんですよね?結構昔からの」

 

「まぁ・・。それが?」

 

「塚原先輩の知り合いなら大丈夫だと思ったんです。あの塚原先輩が警戒していない人ならある程度は信用できるかなって楽観的に考えちゃいました」

 

―成程一理ある。俺を信用していた、無警戒だったと言うよりも塚原先輩との接点から俺という人間を判断したのか。

 

「実際私の勘は当たっていましたからね。事実杉内先輩は私を襲うどころか、むしろ今忠告までしてくれましたから」

 

―くそ。情報戦で先を行かれていたか。不愉快な娘だ。

 

「塚原先輩の事尊敬してるんだな」

 

「それはもう。春先の入部の勧誘の時、声をかけてもらってからずっとお世話になってるんです。優しくて賢くて強くて頼りになって綺麗で。本当に自慢の憧れの先輩です」

 

不愉快には違いない。けど同感だった。異性としてと同性としての感情の違いはあるものの根っこに存在するものは彼女と広大も大差はない。

 

恩と情愛、親愛、憧憬。そしてちょっとした美化と依存。

 

―羨ましいな。

 

広大は七咲に対してほんの微かな嫉妬の様な感情を覚えた。

抱えている物は近いのに「今現在」と言う時間で言えば圧倒的にこの少女の方が塚原の近くにいる。また、居ても問題は無い。自由に教えを請う事も出来、甘える事が出来る。極自然に。

自分が成長するにつれ、そしてチンケな男のプライドが故に失っていった権利を塚原に出会って一年もたたない目の前の少女が持っている。少しその事が羨ましく思えた。

「嫉妬」というより「羨ましい」と言う方が似合っている。

 

―あーやだやだ。恋敵が女の子だなんて考えたくもない。

 

「先輩?」

 

「あ、悪い」

 

「ごめんなさい。私そろそろ行かないと。今日のお詫びにプーともう少し遊んで行ったらどうですか?懐いてくれないでしょうけど」

 

皮肉を込めた余計な一言をさらりとイタズラに言い放ちつつ少女は首を傾ける。

 

「いやそのリベンジはまた今度。俺帰るわ。悪かったな七咲」

何となく今の自分がこのコの前に居るのが嫌な気がした。この場にいるのも。

 

「・・?はい。では」

 

怪訝そうな少女に背を向けて歩き出す。違う意味で今日の彼の足は重い。

その後ろ姿を七咲は見送った。表情を変えて少し冷えた目で。その表情は少し大人びて見える。

七咲もまたお互いに関して近い印象を持っていた。同じ一人の人―つまるところ塚原 響を似たような感情で想い、慕っている・・。

 

しかし相手は男の子だった。

 

今の七咲では理解できない男としてのちょっとした劣情を抱えているのがハッキリと感じ取れる。だが男の子というのはそういうものだということも七咲も大体は理解している。

けど極論、尊敬、敬愛する先輩の傍にいて欲しいかと言われれば・・NOだ。

ちょっとした対立をバカらしいと決めつけ、完全に背を向けた広大に対して、七咲は必要とあれば衝突も辞さない覚悟もあった。

 

確かに彼は悪い人間ではないだろう。塚原先輩の知り合いで幼馴染。でも何となくアンバランス感は否めない。

そしてあの人は多分・・いやきっと持っている。塚原先輩への「思い」を。

同性同士では通常持ちえないそれを。それがちょっと癪に障る。それが例え理不尽なことだとしても不愉快な物は仕方が無い。理屈じゃないのだから。

自分は女なのだからあの人の思いを完全に推し量り、理解する事は出来ない。

けど共通するものを持つ同族として気に入らない。そんな感じである。

 

似ていても決して交わる事は無い。

 

二つのアコガレ。

 

お互いのアコガレを双方が守るためにとった決心は皮肉にも全く真逆だった。

 

 

 

 

 

 

4 「ズルイ」

 

初めてだった。

あそこまで激昂したのは。

それは他でもない。

彼女の言っている事が正しかったからだ。

彼女は俺に興味が無かった。そしてある意味で子供だったから。

つまり俺の事はどうでもよかったから。

容赦なく俺の心を抉った。

もう一度言う。

彼女の言う事は正しかった。

けどそれをハッキリと受け止めて背負い、笑うのは俺には無理だった。

詰まる所・・俺は子供だった。

 

「解ってるけどどうしようもないんだって言ってんだ!ああ!君は正論を言ってる!正しいよ?けど相手の気持ちなんかどうでもいいから自分の気持ちを伝えたい、それが無理ならせめて持ち続けたいっていう気持ちは七咲には解んないだろうな?多分人を本当に好きになった事なんて無いんだろ?この人だけには嫌われたくないって思った事が無いんだろ?相手の都合?つり合い?そんなもん全て計算に入れて感情をコントロールできるほど俺は器用じゃないんでね!」

 

・・言ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてだった。

確かに言い方は良くなかった。

私が行った行動も大概だ。

でも私は間違えた事を言ったつもりはない。

だからこそあの人は怒った。

逆上もいいとこだ。怒るなんてズルイ。

でも、

だからこそ、

私は泣いた。

相手に正論を言って、現実を直視させて、非難して・・

・・そして己の現状も知った。

だから・・涙が止まらなかった。

 

あの二人が出会ってまだ二週間のある日のことだった。

 

 

時間はまたそれより少し前。広大は相変わらず放課後度々ここ部室裏に訪れていた。

彼はプーに会いに来た。例え頭を撫でさせてくれなくても、弁当のおかずを食い逃げされようとも辛抱強く彼はここに来た。

かといって長々と居座る事は無い。ちゃんと水泳部の部活が始まる前には居なくなっていた。

相変わらずプーは振り向いてくれないがそれでも懲りずにこれを続けていれば「ある幸運」に巡り合うことも多い。

確かに彼にとってプーに懐いてもらうのは大きな目標の一つではあるが「ある幸運」に比べれば、それは適度で刺激的な暇つぶし程度のものだった。

 

それが根本的にプーに懐かれない遠因なのかもしれない。

 

「コウ君?また来てたの?」

 

・・今日は当たり日だったようだ。

 

「うーん」

 

「なんだ・・また駄目だったの?」

 

「もう少しなんだけどね・・ぬ・・・」

待ち人が来たかのようにプーは最早一切広大など目に入っていないかのように一直線に塚原のもとへ向かった。

 

「ふふふ・・おいで」

 

プーは尚も広大に全く目もくれず塚原の膝もとを狙い、ローファーに前足をちょこんと乗せ、塚原に座るようにアピールする。塚原は要求を聞き入れ、膝を下ろし長いスカートの上に簡易のハンモックを作り、そこにプーを抱き上げ、仰向けにさせた。プーは拒む様子も無く首元とお腹をさらし、塚原がお腹と顎をさすると気持ちよさそうに目を細める。

 

「さすが」

 

「ん・・ノミはいなさそうね。首元は集まりやすいんだけど・・また念のため今度薬を差してあげた方がいいかな」

 

「薬を差す?ああ・・ノミとかダニ用の奴?」

 

「そう。猫の首の裏、・・ここ。前足の肩のこのくぼみにね?薬液を垂らすの。結構効果あるわ」

 

「へぇ・・。ん?またって事は前もあるの?」

 

「ええ。プーはね?我が水泳部員の一人もとい一匹なの。歴代の水泳部員が世話してきた私の先輩、まぁお局さんみたいなものね。だからちゃんとトイレも用意しているし、定期的に動物病院にも行かせるの。水泳部が全面的にちゃんと面倒を見るという原則付きで学校から特例を貰ってるわ。すごいでしょ?」

 

「えー・・」

 

―知らなかった。お前物凄いVIP待遇だったんだな・・真面目にうらやましいぞ?

 

広大の形相変化。

 

―水着の女の子にそれに響姉にも囲まれて至れり尽くせりだとぉ・・!?けしからん!!・・あ、メスか。

 

 

「一体何年くらい前からいるのさ?」

 

「さぁ・・?詳しい経緯は私も聞かされてないわ。私が此処の水泳部に入部した時当り前のように既に此処にいたし、何の疑問も感じずに世話する人間が年々変わっていったんでしょうね。今いるあたし達よりもずっと長くこの水泳部を見続けている存在だってことは確かよ」

 

「お前・・すごい奴だったんだな・・」

 

「そう。あたし達が会った事もない水泳部の歴代の先輩たちをこの子は向かい入れては送りだしているの」

 

プーは相変わらず広大に一瞥もくれないが広大の心からの賛辞の言葉に機嫌を良くしたように毛づくろいをしている。

 

「『そうだ。もっと敬え~。』だって・・ふふふ」

 

塚原はそうおどけて言ってプーの心情を代理した。

 

「・・昔はノミは手でとってたっけ」

 

「そうね。懐かしいわ。コウ君の家のクロも立派なノミ屋敷だったものね」

 

「飛んだり、跳ねたり、引っ掻いたりする動くノミ屋敷だったね」

 

 

広大の猫好きは幼少に遡る。

広大の家には広大よりも三歳年上の雄の黒猫がいた。このプーみたいに綺麗な猫ではなかった。どちらかというと醜猫の部類だろう。しかし杉内家、そしてよく杉内家に遊びに来た塚原にとって大きな存在だった。

実際のところ飼い猫と言うのは素質的な可愛さも大事だが、長年共に過ごすことで生まれる「愛着」も大きな要素である。

大概の猫好きの人間は自分の家の猫が一番可愛いと思うように出来ている。親バカならぬ飼い主バカだ。

 

ただそれ故に避ける事が出来ない瞬間は訪れる。

彼らは人間の四倍から五倍の速さの「生」を歩んでいるのだから。

「コウ君のおばさん・・まだ新しい猫を飼う事許して無いの?」

 

「うん。というよりもう一生飼わない気かもね」

 

「少し寂しいね。気持ちは解るけど」

 

優しい目で気遣うように塚原は言う。

 

ふと時計を見ると四時を過ぎている。

だが塚原は未だに気持ちよさそうに目を細めるプーの頬を人差指で優しくこすり続けていた。

 

「・・。部活始まるよ?いいの?」

 

「ん。大丈夫。新キャプテンも決まったし。今日はちょっと顔出そうかなって思って覗いたんだけど何となく顔を出し辛い雰囲気だったの。皆これからは自分達でやっていかなきゃならないって自覚が出てきたみたい。だから今日はここでゆっくりしようかな」

 

「ひびき姉」

 

「ん?」

 

「少し寂しいね」

 

「うん。嬉しい反面ほんの少し」

 

塚原は両手を上に一杯に伸ばし、のびをした。未だスカートの上で横たわるプーもつられて伸びをする。

 

「ん~~!」

 

広大も足を延ばす。

・・どさくさにまぎれてリラックスしているプーの額を狙う。

だが殺気を感じ取ったプーはすぐに身を起こし警戒の姿勢を見せた。

 

「・・いい加減慣れてくんないか?終いにゃ俺も凹むぞ・・」

 

「あはははは。残念でした!コウ君」

 

 

うとうと・・

 

小春日和も手伝って塚原の瞼が落ち始め、ゆっくりと肩が上下する。

 

疲れているのだろう。

 

当然だ。高2のこの時期と高3のこの時期は全く以て異次元に近い。肉体的にも精神的にも否が応にも疲れは蓄積していく。それでも自らを慕う人たちの為に彼女は体を張っている。

ちゃんと比べると比較的細みの男子である広大と比較しても今目の前でまどろんでいる彼女は華奢だった。

 

「よっと」

 

静かに広大は自分のブレザーを塚原の肩にかける。

陳腐な、ありふれた言葉だが―

 

「幸せ」だった。

 

今の彼には自分を表すのにそれ以上の表現が思い浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後―

 

2-A 教室

 

「広大」

 

「ん?」

 

今日も弁当のおかずのどれをプー皇后に献上しようかと素材を吟味しているところに人懐っこそうな笑顔の少年が広大に声をかける。

色素の薄い茶色の髪を箒のようにあげ、やや面長の顔にぱっちりとした眼もと、口角が常に上がり親しみやすい表情。友達が多そうな好青年だ。

 

「ゲン。何?」

 

「お客さん」

 

そういって「ゲン」と呼ばれた少年は自分の左胸の上部分を人差指で指す。どうやら彼の後ろの教室のドア前に客人がいるらしい。

 

「俺に?・・・誰?茅ヶ崎?」

 

「違う。あの子だよ。知り合い?見ない顔だな」

 

「ゲン」が半身になったその先に「客」が見える。

 

―成程・・本当に意外なお客さんだ。

 

広大からの視線に気付き、「意外なお客さん」はペコリと頭を下げる。「ゲン」に対する礼の意味も兼ねて、しっかりと礼儀正しく頭を下げた後、広大を見据えた。

 

「・・七咲?ありがとゲン」

 

「うん」

 

「ゲン」と呼ばれた少年は広大の背中を見送った。その後ろ姿が何気なく合点が行っていないように感じる。戸惑いを隠せない感じだった。

 

―あんまり見ない顔だけどこの学年の子じゃないな。広大の知り合いにあんな子いたんだ。それにしても・・。

 

―まぁ、詮索しても仕方ないか。

 

「あの子・・この前創設祭の水泳部の書類を出しに来た女の子ね」

 

唐突にロングヘアーの女の子なら誰もがうらやむ様な理想の髪質と整った顔立ちを持つ少女が「ゲン」に話しかける。胸の前で腕を交差させて学級日誌を持つ仕草はいかにも清楚な優等生イメージだ。

 

「絢辻さん。知ってるの?」

 

絢辻 詩 あやつじ つかさ。この2-Aクラスの委員長であり、二学年代表の創設祭の実行委員長であり、学年トップクラスの成績と信頼を保持する優等生である。

 

「うん。確か一年生だったと思う」

 

「『ななさき」・・とか広大が言ってたかな。あってる?」

 

「あ、そうそう七咲さん。数字の七に咲くって書いて。素敵な名前よね?一年生なのにしっかりした子で話が早くて助かったわ。だから記憶に残ってるの。是非委員会に欲しい逸材ね」

 

「ふーん。水泳部・・・?」

 

「うん・・?そうだけど?それがどうかした?源(みなもと)君?」

 

ゲン―本名 源 有人 (みなもと ゆうと)。

彼は広大の「事情」をある程度把握している中学時代からの付き合いだった。

 

「あ。ひょっとして杉内君の彼女か何か・・?可愛い子だし」

 

絢辻は他聞を憚って小声で、しかし明るく言った。

 

「いや。違うと思うな」

 

その言葉に明確に源は否定した。それはない。有り得ない。「あのこと」がとりあえずの決着を見せていない以上は。

 

「・・そーなの?」

 

「・・何となくなんだけど・・嫌な雰囲気だった」

 

 

「・・・?」

 

杉内、七咲とすれ違いで今度はやや長身の少年、国枝が二人が出ていった扉から入ってくる。何処となく彼も雰囲気がおかしい。長めの前髪から覗く瞳が怪訝そうにドアの方・・いやドアの先の見えない空間を見ているように感じた。そして、源と国枝は目があう。源はすぐさま聞いた。

 

「見た?直衛(なおえ)」

 

「ん・・。一緒にいた子誰?」

 

「解んない」

誰かは「知ってる」。今聞いた。でも「何者か」は知らない。

 

「・・・そっか」

その意図を古くからの親友同士である源と国枝は理解し合っていた。

 

国枝 直衛 (くにえだ なおえ)

 

彼もそれなりに杉内の「事情」に関しては精通しているため戸惑いを隠しきれなかったようだ。

 

「ちょっとぅ・・・私を置いてけぼりにしないでよう・・」

 

「あ。絢辻さん。ゴメン・・また今度で・・・・」

 

源は再び表情を崩して特有のへらへら顔で笑った。

 

「・・・ふーん」

 

何時になく絢辻は低い声で目を細めるように言った。

 

「あ・・・」

 

「ん?どーした有人?」

 

「い、い、いや。何でも無いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「七咲?」

 

「・・・」

 

七咲はずっと黙ったままだった。いつもの更衣室裏に着くまで何度も話しかけても一向に反応が無かった。別段怒っている様子でも無い。だが楽しい事情でない事も確かのようだ。ただ凛とどこか喜怒哀楽を捨てて感情を抑えているような不思議な佇まいをする。

遠くを見据えるようなただ澄んだ瞳で。

 

「何か?」

 

改めて聞く。そろそろ反応があるはず。そう確信していた。

 

「言わなければわかりませんか?」

 

「いや?いきなり言われてもなぁ」

 

「そんな考え込まなくても大丈夫な事ですよ。私が先輩を呼びだす理由はそうないと思うんですけど」

 

相変わらず遠まわしの言い方。「ひょっとしてプーのこと?いやぁ相変わらず懐いてくれなくて・・。」と、砕けたかったが幾分此処を覆う空気はそれを許さないだろう。

 

―仕方ない。本題に入ろう。

 

「・・先輩の事?」

 

「解ってるじゃないですか?昨日も一緒でしたね。」

 

「見てた?」

 

―だろうね。

 

「あんまり時間もないし、率直に聞きますね?杉内先輩ってどうしたいんです?」

 

「・・何を?」

その問いかけに彼女は反応しなかった。変わりにまた「言わせる気ですか?」と、言うような表情に変わる。いや表情は相変わらず全く変わっていないのだがそう言っていた。

 

「・・どうしたいんだろうな。これでいいかなと思う時もあるんだけど」

 

「成程。それは・・塚原先輩の選ぶ権利と機会を与えない事になりますよね?」

 

「・・・」

 

「それってズルくないですか?」

 

「ズルイ?」

 

「ええそうです。答えを出させない。ハッキリしない事でズルズルと塚原先輩の傍にいる事だけ!塚原先輩の迷惑も考えずに!」

 

七咲は初めて感情を露わにした。

 

塚原は広大を無碍には出来ない。元々の彼女の性質ではあるしそもそも塚原には恋愛感情は別として幼少からの弟の様な広大に対しての思慕はある。同じ時間と思い出を共有した存在としてきっちりと広大はその役目を担ってはいる。

ただ広大は少し違う。と言うより、成長の過程でもう一つの感情が余分に付けたされている。

明らかに彼自身は勿論、彼の周りにいる人物、そして恐らく塚原 響本人すらも気付いているだろう。その枠に収まりきらない感情を持っている事を。しかし彼は踏み出しはしない。

その距離こそが彼の間合い。これ以上離れたくないが逆に言えば近付きたくもない。

この距離が一線を置いていると言えば聞こえはいいが「塚原響にとっての杉内広大」という存在を疎ましく思っている人間にとってこの行為は看過し辛いものがある。

理不尽であるかもしれないが本人同士が構わないと思っている事を全くの第三者が許容出来ない事は存在する。

 

彼の目の前の七咲という少女がそれだ。

 

確かにそれは勝手だと笑う人間もいる事だろう。

ただその思考に至った経緯を考えないままに笑い飛ばすのもまた第三者の勝手な行動だとも言える。

 

七咲 逢

 

彼女は仕事の忙しい共働きの両親の家庭に生まれた長女であった。下に弟が一人いる。

彼女はいつも気を張っていた。少し歳の離れた弟を仕事が忙しい両親に変わって良く世話をし、家事全般もうけ持つ。それを誇りにも思っていた。

ただ逆を言えばそれ故の理不尽を抱えたのは一度や二度ではない。

別に言い訳をするつもりはない。けどやりたい事が出来なかった事もある。

時折感じる周りの女の子達と自分の隔たりが疎ましく思う時もあった。

もともと勉強は好きではなかったけど成績もあまり上がらなかった。

それを自分は何処かで「自分はこんな環境に身を置いているからだ。仕方ないんだ。」と、無意識に思っている事に気付き、自分に厳しい彼女は落胆した。

弟は可愛い。家事も楽しい。両親もその彼女の献身に感謝を隠さずに褒章してくれる。

充実した時間である事は解る。でもある意味「それのせい」にして自分の心身の均衡を保とうとしている事を自覚した。

「逢は本当にイイ子だね。」

その言葉は誇りであり、重荷でもあった。

 

そんな時出会った。

塚原 響に。

春、入学式を終えた帰り道。

 

中学生の時には考えられないほど大人びた女生徒がしきりにまだ此処に訪れて間もない、幼さの抜けきらない自分と同学年のコ達に話しかけている。それが森島はるかだと聞かされたのは随分と後のことだった。

水泳部員ではなく部外者の彼女が勧誘していた事を知った時の主に男子達の落胆といったらなかった。

七咲は当然そちら組には入らず、人だかりの出来た森島の勧誘の脇をすり抜け、水泳部の資料だけをそっと頂いてその場を去るつもりだった。

しかし運命的な出逢いは待っていた。

 

「入学おめでとう。今度体験入部があるから是非顔を出してね?」

 

森島とはまた対称的に落ち着いて凛とした大人びた女性がややすると鋭く見える目を此処まで見事に柔和に見せる事が出来るのかと驚くほど優しい瞳でほほ笑んでくれた。

第一印象と言うものは初見の人間を判断する上で、意外にも重要な部分を占める決定要素の一つであるというのはなかなかに有名な話である。

七咲は咄嗟に声を出せずに照れた。しかし何故かその場をすぐに去ろうとは思えなかった。

履きなれないローファーが鉛のように重い。

緊張を感じ取ってか塚原はまた微笑んで近くにあったパイプ椅子を彼女に勧めた。

 

「ちょっとお話していこうか。時間あるかな?」

 

そう言って机越しに向かいのパイプ椅子に塚原も腰掛ける。

 

「は、はい!」

 

「・・ゴメンね。緊張してるみたい」

 

「いえ・・そんなことは・・」

 

忙しそうに現在より少し短い髪を掻き上げる動作をした七咲はすぐその行為を後悔した。

 

―私のバカ。余計緊張しているように見えるじゃない。

 

実際緊張しているのだから取り繕っても最早意味は無い。だが、ただひたすらその時は自分のふがいなさを責め、取り繕うのに必死だった。

「・・よし、と。私は塚原 響。三年です。貴方も名前を聞かせてくれるかな」

 

塚原は主将という自分の立場を敢えて隠した。

 

「1-B七咲・・逢です」

 

「七咲 逢さんね。綺麗な名前」

 

嬉しい言葉だった。自分の名前を気に入ってる彼女には。

だが何を話せばいいのかは相変わらず解らなかった。

 

「何か聞きたい事はある?」

 

との塚原の質問に脳をフル回転させるがそれはフル回転と言う名の空回り。よっぽど何も考えていない時の方がましな質問が浮かびそうな状態だった。

見かねた塚原はまず自分の質問から始める。

最初はありきたりな質問だ。

出身中学、七咲の水泳の経験、中学の所属クラブ、得意種目など。

じっくりとゆったりと、しどろもどろの七咲の返答を静かに聞いてくれる。

その仕草と落ち着きに徐々に自分も気持ちが落ち着いてきた時に七咲の足元にするりと何かが通り過ぎる感触がした。

 

「・・・ひゃっ!・・?」

 

「・・?あ!この子ったら・・御免ね」

 

「え・・な、何ですか?」

 

「よいしょ・・重いわプー。もう少しダイエットしないとね」

 

塚原はかがんでそう呟いた。七咲も右肩側に体を傾け、机の下を覗く。すると黒い物体が塚原に引きずりだされていく。

 

「・・猫?」

 

「そ。猫。そしてあたし達水泳部の一員。プーっていうの」

 

「プーさん・・ですか」

 

「ちゃん、ね。女の子だから。でも初対面の子にはあんまり懐かないから珍しいね。プーは七咲さんを気に入ったみたいだよ」

 

「触ってみても・・噛まないですか?」

 

その言葉に塚原は躊躇いもせず大きく頷いた。

 

「本気で嫌ならこの子は近寄ってもこないわ。保証する。大丈夫よ」

 

「・・・」

 

塚原の言うとおりだった。

塚原に抱えられた黒い大きな猫は差しだされた七咲の右手の人差し指の匂いを少し嗅いだ後、ぺロリとほんの少し舌の先で触れる。気に入らない人間に対して猫が行う行為ではない。

七咲の背中から後光が差すように笑みがこぼれる。それを見て何処か内心安心したような顔で塚原も微笑む。

 

「ほら、ね?七咲さんの事をプーが気に入った証拠。抱いてみる?」

 

「え、はい!よいしょ・・重い・・ですね」

 

「ほら見なさいプー。七咲さんも重いって」

 

塚原が少し意地悪そうにそう言ってプーを見るが、プーは七咲の肩に両前足を預け、ゴロゴロとのどを鳴らし、明後日の方向を向いて目をつぶっている。完全なリラックスモード。

そのふてぶてしさに塚原は苦笑いし、七咲も笑った。

日向ぼっこをして暖かく良い匂いを放つ猫の毛はとても心地よい。プーを抱いたまま七咲は塚原と話す。もう緊張は無い。もうこの手にある資料も必要ないだろう。

七咲はその日、その時に水泳部への入部、そして何と言ってもこれからお世話になるであろう水泳部の大先輩の一人と一匹に付いていくことを決めた。

 

これが半年程前の出来事である。

時間に換算すればそれは一応に短いものであるかもしれない。ただでさえ七咲は他人と打ち解けるのが特別うまいという少女ではないし本人もそれは大いに自覚している。

しかしこのプーと同じように彼女は人によっては第一印象だけで極端にあっさりと受け入れてしまう自分の一面もまた自覚している。そしてその判断力は中々に良質。勘がいいのだろう。

この一年で言えば該当するのはクラスメイトの橘 美也、同じく先日転校してきたクラスメイト中多 紗江。そして塚原 響。といったところだろうか。人を見る目は確かなのである。

特に塚原 響。

彼女が七咲という少女のかけがえのない憧れの存在になるまでさほど時間はかからない。

 

七咲にとって学業、部活、リーダーシップ、これ程スキの少ない女性は初めてだった。

凛と厳しく皆を諭す父性、そして包容力、母性、校内トップクラスの学業成績、またその他諸々に関する知性。

だが、だからといって近寄り難いわけではない。冷静な指摘役をこなす中でもどこかとぼけた一面をもち、時には後輩や同輩たちに親しみやすい笑いをも提供し和ませる。

「笑わせる」のではなく「笑わせてくれる」のだ。

本人は真剣であるため、そこが・・まぁ憧れの先輩に対してちょっと不適切な言葉かもしれないけど「可愛い」一面も持った先輩である。

この春の水泳部の勧誘で自分は結局七咲一人しか勧誘できず、ちょっと真剣に悩む先輩をからかう事も出来た。それをふくれっ面で聞きつつも最後には優しく微笑んでくれる。

そんな先輩。

ああこの人なのだ。自分が求めていた存在は。

幼少期より自らが我慢の対象であった自分が一切気兼ねなく自分を預ける事が出来、さらに甘え、頼るだけでなく、その行動自体を参考に、見本にして自らを成長させてくれる存在。

 

・・・それ故に。

 

七咲はその短さを。

塚原と自分にある時の短さを嘆いた。過去もそしてこの先も。

この季節になって三年生が引退し、日々日の短さを実感できる今日この頃。

忙しい塚原の時間は七咲だけのものではない。

それは解っていても彼女から得られるものを得る時間は否応なしに日に日に減っていく。その現実は少し七咲を落ち込ませ、焦りにすらなった。これ程時の短さというものを嘆いたのは今まで無い。

 

そんな時だった。

 

この人が現れたのは。

 

杉内 広大。 塚原先輩の幼馴染だという一学年上の男子。

 

ハッキリ言うと気に入らない。

 

別にそんなに嫌な人でも無い。塚原先輩の知り合いなのだからきっと悪い人じゃない。

少し抜けているところもあれば、変なところで年上の安心感を見せるヘンな人。

でも・・気に入らない。

自分よりも遥かに多い時間を共に先輩と過ごし、またこれからもその時間は立場上与えられていくであろう存在。

その与えてもらった時間を持ちながらにしては頼りない面、印象が目立つ。

 

―一体先輩から何を学んできたの?

 

そして先輩につかず離れず、ふわふわと一定の距離を保っている。

私には・・あたしにはそんな時間は無い。余裕もない。繋がりもない。

だから必死。今は必死。

少しでも先輩の傍にいたい。

けど何故何もしないこの目の前の存在が私では手に入れられない、手に入らない積み重ねを持ち、これからも持ち続けていくのか・・それが理不尽でたまらない。こう考えること自体私の方が理不尽なこと言っているのは解る。

仕方ないのは解っている。

 

けど・・やっぱりズルイ。

ズルイよ。

何もしていない側に傾き続ける天秤なんて。

 

 

時は再び今に戻る。

 

「ズルイです」

 

もう一度絞り出すように七咲は言った。

しかし、だからと言ってここでこの目の前にいるこの頼りない少年が七咲の言葉に感化され、塚原のもとへ行き、ハッキリとその思いを伝えれば・・そして万が一塚原がそれを受け入れたとしたら・・今の自分の行動は全くの逆行もいいとこだ。

 

でもどこかで確信もあった。きっとこの目の前にいる存在は私以上に自分に自信が無い。

そして積み重ねの長さゆえに逆にそれが突然損なわれてしまうのを恐れている。

自分が積み重ねの短さを嘆き、また恐れているのと同じように。

だからきっと動く事は無い。でも自分は動ける。何せ残された時間が少ないのだから動くしかないのだ。

 

と、すると今の七咲の彼女の行為は?何の意味が?

 

至極単純である。

大別してしまうと一言で済む。ただの「嫉妬」

ただの嫉妬による嫌がらせだ。

玩具を買ってもらえない家に生まれた子供が恵まれた環境に生まれた子供の持っている玩具に嫉妬して嫌がらせをするのと大差ない。

さらにその相手が反論できない事も充分知っての上での攻撃である。

 

となると一体誰が本当に「ズルイ」のだろうか?

 

―はは。私、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめは受け入れた。

 

確かにズルイ。俺はズルイ。

 

確かに七咲もズルイ。ただ自分のやりきれない気持ちをただ発散するためだけに俺を抉ったのは・・ズルイ。

でも君は知らない。

君がうらやむ。俺と響姉の積み重ね。

そこには「ある者」にしか解らない、持つ事が出来ない感情がある。

「無い者」にしか解らない、持つ事が出来ない感情もあるように。

そんな仕方のない事をただお互いに「ズルイ、ズルイ」と言いあっていただけの事なんだ。

でもそんな下らない事でも俺には踏み込まれたくない領域だった事は確か。

 

力無く笑ってまずは受け入れた。

 

七咲?大正解。

 

君の言う事は正しい。

 

ん?

 

釣り合いが取れてない?

 

んーそうだな。

 

けど塚原先輩と釣り合いがとれる人って中々大変だと思うぞ。

 

それを全く気にしないチャラ男に到底なびきそうにないしなぁ。響姉は。

 

あ、ごめんこれ昔からの癖なんだ?

 

―へへん。いいだろ?

 

・・・・・。

 

・・・!

 

・・。・・・!

・・・・?・・。

 

・・!!

 

・・!!!

 

 

 

押し問答は単純だ。

書き連ねる必要もない。

ただ意味もない言葉の応酬が続いた。お互いの感情が徐々に・・徐々に上気していくだけの。

 

話し始めてからお互いに最終的にこうなるのは解っていたのかもしれない。

「そうでもしなければ止まらない。」

というのがお互いに解っていたのかもしれない。

誰もが想像の通り、お互いの感情の堰は崩壊。

見るも無残な子供の喧嘩だ。

 

そういえば・・最後に女の子を泣かしたのっていつだったっけ?

その瞬間やたらと肝が冷えて血の気がひいていた感覚を思い出す。

ああ・・こんなの、こんなのだった。

気分最悪。

怒りと罪悪感がない交ぜになる。

ズルイ・・ズルイって。泣くのは・・ホントに。

いや違うな。

 

―はは。俺最低。

 

 

 

 

 

 

 

5 ☓(ばつ) ゲーム

 

「す、杉内君大丈夫!?保健室行った方がいいんじゃない?」

 

「あ・・ゴメン絢辻さん。次移動教室だったよね・・。悪いけど先生に言っといてもらえるかな?『杉内は死にました』って」

 

「ホントシャレにならない冗談は止めて。今の自分の顔色解る?結構リアリティがあるのよ。今の杉内君」

 

「あ。そう?あはは」

 

 

 

「・・絢辻さん。俺が広大保健室に送るんで久代先生にそう伝えてくれるかな?俺も送り終わったら向かうから」

 

流石に絢辻でも男子一人を抱えて保健室に運ぶのは無理がある。源が見かねて助け船を出した。

 

「・・そう?でも一人じゃ・・」

 

「大丈夫♪」

 

ひょろっとした決して太くない腕を見せて源はニッカリと笑う。

 

「・・。そう。じゃあお願いするね。先生にはちゃんと言っておくから。源君。有難う」

 

「こっちも一緒に資料運べなくてゴメン。あ。そだ。マサ辺りに頼んでみて?きっと引き受けると思う。アイツ今先生に呼び出しくらって職員室にいると思うから、助け舟と同時にこき使ってやって?」

 

「ふふ。了解です。そうするわ。杉内君・・お大事に」

 

そう言って絢辻はにっこりと笑って教室を後にした。

 

「さてと・・。保健室行く?こー大?」

 

「ただの寝不足なんで大丈夫。一人で行けるよゲン」

 

「無理無理。絢辻さんも言ってたけど君自分の今の顔解ってないでしょ?生き倒れになりそうでマジ怖いんだって」

 

「そんなにひどい?」

 

「うん。・・やっぱり昨日何かあった?俺が聞く事でも無い事かも知んないけどさ」

 

「・・・」

 

答えない広大をじっと見る源の後ろから声がした。

 

「有人。次移動教室だぞ」

 

国枝だった。その後ろには棚町もいる。

 

「わーってる。先行ってて」

 

「何―?どうかしたの?ってうっわ! 何?杉内君どしたの?未だかつて無い表情に戦慄を覚えるアタシがいるわ」

 

あわわと言った表情で棚町は何かエグイものでも見るような眼で広大を見下ろす。

 

「棚町さんも何か言ったげて?なっかなか保険室に行ってくんないの。用もない時とか結構行くタイプなのに」

 

「直衛―?アンタが背負ってやったら?いくらなんでもこれはヤバいと思うわよ?」

 

「・・本気でそうする?」

 

「みっともないからいいデス」

 

「いや~そのままの方が中々にみっともないと私思うんですケド」

 

「・・何?保健室に行きたくない訳でもあんの?」

 

「・・・」

 

―・・というより今はちょっと一階「は」遠慮したいんだ。万が一でも会いたくない。

 

あの子に。

 

保健室のある一階は一年生の教室と同じ階にある。

 

「・・。じゃあ授業が始まってからにする?廊下に人もいなくなるし、それだったらみっともなくないだろ?広大?」

 

「・・・そうする」

 

―ホントいい奴だなゲンは。

 

「決まり。直、俺ももう少し遅れそうって伝えてくれる?一応絢辻さんには伝えちゃいるんだけど」

 

「いいよ。本当に背負わなくて大丈夫か?」

 

「・・・だいじょぶ」

 

「む。行こう。薫」

 

「・・うん。ホント・・・だいじょぶ?」

 

「おー」

 

「解った。無理しないでね。コイツは何時でも貸すから。有料だけど」

 

「ありがと。棚町さん」

 

 

 

数分後チャイムが鳴る。他に人がいなくなった教室はひんやりし、さっきまで外から聞こえていたグラウンドの歓声がピタリとやみ、代わりに打って変わって作業的な体育の体操の号令が聞こえる。

「そろそろ行こう。広大」

 

「ゴメン。行こう。ゲン」

 

聞きたい事を飲み込んでくれた親切なクラスメイトに感謝しつつ、ゆっくりと体を起こす。

寝不足だけではこの体の重さは生じないだろう。昨日の自らの行為の後ろめたさはそれを超える足枷を足首に巻きつかせる。

 

―泣いていた。泣かせてしまった。

 

彼女は声を上げる事は無かった。

ただ唇をかみしめワナワナと震えながら俺の激昂にも視線をそらさずに見据えていた。

「泣いている。」という言葉で表現するのに適当な彼女の所作はわずかな震えと澄んだ眼にやや浮かぶ涙ぐらいだ。

だが相当に恐かっただろう。

やはり彼女も所詮女の子なのだ。それもまだ高一の。

自分より大きく声の野太い男子の激昂の声、恐怖が無いはずがない。

怒りに身を任せた俺は良かったかもしれない。

 

 

「怒る」。また「泣き喚く」と言う行為は自分をある意味現実逃避という自己防御のセーフティの役割もこなす。感情の奔流を一気に発散することで自己の過大なストレスを流し、結果精神の安定の一助となる。これをこらえる事は中々に難しい。

しかし、彼女はそれを自分の意思で止め、恐怖に震えながらも自己を保ち、見据えたのだ。

恐怖の対象を。つまり広大を。

 

 

―確かに別に反論したわけでも、反撃してきたわけでもない。

ただ見据えて、目をそらさず、じっとしていただけだ。

それがどれほどすごい事かは相対した俺しか解らない。

俺は完全に負けていたのだ。

目の前の小さな少女に。

その証拠にあろうことかその場を先に去ったのも俺だった。

あーあ。もうホントに。完膚なきまでに。全く以て・・

 

「・・・負けだ」

 

「え?何?いきなり」

 

親切なクラスメイトの心配をよそにもう言葉が出なかった。

 

―言葉に発してこれ以上発散しようとするな。

抱えて、噛み砕いて、少しでも。あの時あの子が抱えたもののほんの一部でも残しておくんだ。恥の上塗りはもう・・嫌だ。

 

 

「すいません。彼を寝かしてやってくださーい」

 

源は「誰かいますか?」「失礼します」ではなく、友人をあくまでも案じる第一声を保健室に放つ。しかし応答はない。保険の先生は外出中だった。

 

「うー相変わらず仕事しない先生だよなぁ。保険の来崎先生。広大?先生来たら事情説明できる?それとも来るまでここにいようか?」

 

「・・大丈夫。ホントあんがとゲン。しばらく一人で寝てるから。横になるだけだしここでいいよ」

 

「・・そうか?大丈夫?」

 

「いけって。大丈夫」

 

「ん。解った」

心配そうな表情は崩さないものの、幾分源はいつものにへらとした笑顔を見せ、静かに戸を閉めてくれた。

「うー・・よっこらせぇ。はあ・・あぁ・・・」

 

落ち着いた。やっぱり横になると違う。白い清潔なシーツの肌触りは何とも言えない。

足元にある上布団を掛ける事も億劫なほどの倦怠感だが取りもあえず落ち着いた。

ただゲンが去り、部屋が静寂に包まれると勝手な話だが何処となくさみしい感情を覚える。

人間サボった時は案外気楽にこの状況を楽しめるのだが、いざ本当に体調を崩してこの保健室という場所に正当な理由で来ると何故か変に居心地の悪さを感じてしまう時がある。

今日はその時だった。

授業に戻り、皆のもとに帰っていったゲンを本当に勝手ながらも羨ましく感じた。

授業をサボりたい、仮病を使って保健室に行きたい、それを達成した時の満足感は自分の心身が健常だからこそ意味があり、本当に体調を崩していざこの場所に来ると大概この場所は・・何というか心の牢獄になる。何せ心身が参っているところに寂しさと静寂が訪れるからだ。

わずかに聞こえるグラウンドからの音、普段聞こえにくい時計の秒針の音が響く。

 

やたらと時間が重く、長い。

 

「じゃ・・・し・・す。」

 

不意に保健室の扉が開く音がする。その音に掻き消されたのか声はよく聞き取れなかった。

いつもサボっている時ならこの音にビクつく。何故なら本当に体調の悪い人間が来た場合確実にこの場を譲らなければならない。それはサボリ魔―「サボりマー」として最底限のモラルとマナーだ。しかし今日はそれもできそうにない。さすがに幾分の睡眠は必要そうだった。

 

―すまない。今日は譲ってやれそうにない。名も知らぬ同志よ。

 

だが部屋に入ってきた気配は気遣うような小さな足音でベッド側には近寄る気配は無い。

薬か何かでも貰いに来たのだろうか?

 

「相変わらず先生居ないな・・ここ」

 

―ん?んんん!?げ・・・・!??この・・声?

 

「・・・なな・・さき?」

 

―あ。

おいおいおいおいおいおいおいおい。

なんで?

なんで!?

なんで声出しちゃうよ?俺!?

 

「えっ?」

 

慌てて口を塞ぐ。

とりあえず「えっ」という声の反応で推察は気のせいではないという結論が生まれた。

「あの子」だ。まず間違いなく。

 

―あっちは気のせいだと思ってくれ・・。

 

そう思ったが事前策が甘すぎた。

丁寧かつ几帳面な彼の友人、源は「Ⅱ-Aすぎうち」と書かれた上靴を丁寧にそろえ、ベッドの横の人目になるべく触れやすい位置に移動させてくれていた。

 

「ここに病人がいます。静かにね。by源」

 

―すばらしいアピールプレイ。シミュレーションはまずとられまい。さぁ審判!!俺を退場させてくれ。この場から今すぐに!

 

「すぎうち・・杉内・・先輩?」

 

―あーあ・・。もうどうにでもして。

 

「こんにちは・・七咲。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・風邪でも引いたんですか?」

 

「いや・・別に。サボりかな・・?」

 

―・・なぜ強がっているんだろう。「風邪伝染るからさっさと出た方がいいよ。」とでも言えばいいのに。この子もこの子だ。昨日のあんな出来事の翌日にわざわざ何でまた?

 

「そうには見えないですけど・・?」

 

「寝不足だからサボってるだけだよ。それよりも七咲はいいの?一応授業中なんだけど」

 

少なくともサボっている設定の人間が言っていい台詞ではない。

 

「私は氷をとりに来たんですけど先生がいないみたいなんで・・」

 

「・・怪我?」

 

「いえ。まぁ・・」

 

「・・湿布ならそこにあるよ。持って行ったら?」

 

「先生がいないのでまた今度にします」

 

「そ」

 

「・・では」

 

「うん」

 

「・・・。足・・上げてもらえます?」

 

「え?は?」

 

「上布団。被った方がいいですよ。本当に体調悪いんでしょう?」

 

「・・いいって」

―しまった・・否定を忘れた。

 

「・・やっぱり」

 

小さく少しいつもの悪戯っぽい口調でそう囁いた。聞こえるか聞こえないぐらいの声。広大は聞こえないふりを選んだ。

 

「・・」

 

「いいんですよ。体調が悪い時はどうしても人恋しくなりますもんね」

 

―・・・!こいつ・・。

 

そういって七咲は広大の足先からゆっくりと上布団をかける。やけに手慣れた動作だ。誰かを介抱する事に慣れているのだろうか?その答えは現時点の広大では出なかった。

 

何にしろ広大は全く彼女の事を知らないのだ。

傍から見ればなんとも奇妙な関係である。お互いに何も知らないのだ。この二人は。

接点が塚原 響、プーと言うだけで。

 

「失礼しました。お大事に」

 

「・・ありがと」

 

広大のようやくの精一杯の言葉だった。

 

「いえ」

 

「・・」

 

「先輩・・」

 

「・・何?」

 

―まだ何か?

 

「あの・・何時でもいいんですけど先輩に付いてきてほしいところがあるんです。放課後でいいんですが」

 

―は?

 

「勿論体調が良くなってからで・・嫌じゃなければ・・なんですけど」

 

「・・・」

 

「・・じゃあ・・」

 

「別に今日で良いんじゃないの?俺今サボってるだけだし。俺が暇なの君知ってるでしょ?」

 

―あぁ何とも我ながら小さい。さっきうっかり体調が悪い事を暗に認めたばっかりじゃん。

なのに何?今更意地を張るこの小ささ。

 

「そうですか。解りました」

 

「・・水泳部は?」

 

「中間テスト前休みです」

 

「あれ?まだ中間までに二週間近くあると思うんだけど?」

 

「うちの部は二週間前からテスト休みをとるか、自主練習に参加するか決められるんです。個人の意思に任せてどちらを優先するか判断しろという事です。一週間前は問答無用で休みですけどね。だから大丈夫です」

 

「ふぅん・・。で。放課後にクラスに迎えに行けばいいの?」

 

「あ・・出来れば校門で」

 

「・・了解。もういい?」

 

「はい。お大事に」

 

七咲はそう言ってまたゆっくりとした歩調で来たとき以上にゆっくりと戸を閉める。

とりあえず体調を戻さなければ。意地を張った以上「やっぱりいけません」は何が何でも避けねばならない。

 

―何処へ行くかは不明だが失態続きの汚名挽回・・いや名誉返上・・いや・・汚名返上・・ん?名誉挽回?んあ!とにかくそういうニュアンスで!

 

・・現代文勉強しないとな。

 

とりあえず正解は。

 

○汚名返上 ☓汚名挽回

○名誉挽回 ☓名誉返上

 

数時間後・・昼休み。

 

同じクラスの面々がどっと見舞いに保健室へなだれ込んできた。

 

「おーっす。大将!倒れたんだって?しっかたねぇなぁ?サバ美をくわねぇからそうなるんだぞ?ほれ今日は俺の弁当にシャケ代(よ)が入ってるから遠慮なく食え!」

 

「はい。広大。お弁当。お腹すいてる?少しは食べた方がいいよ」

 

「おーっす。杉内君。おっ大分顔色よくなったねぇ?さて!今日は保健室にて皆で昼食としますか!ちょうど先生も他の患者さんもいないみたいだし?」

 

「薫・・騒ぎすぎ。ホントに誰か来るぞ。杉内?お前ウーロン茶でよかった?一応飲み物買って来たんだけど」

 

「失礼します・・って薫!何これ!保健室で昼食なんて大丈夫なの!?しかも大人数!」

 

「あ、けーこ。いらっしゃーい。ま、ここ座れや?」

 

「田中さんを巻き込んだな・・」

 

田中恵子 たなか けいこ

2-Aのクラスメイトで棚町薫の親友であり、主に振り回されているがそれを楽しくも思っている少し内気だが気のいい少女である。どうやらちょっとマゾ気が強いらしい。

 

「だってむさくるしい男共がいる密室の中にこんなセクシーでプリチ―な女の子がいたら何があるか解らないでしょ?その時は恵子を盾にして逃げればいいと思って」

 

「ええええええ!?薫!ひどいよ!」

 

「何!?棚町!そいつは聞き捨てならねぇな?俺達がそんな奴だと?」

 

「んーみなもっちはともかく梅原君と直衛は危ないかもね。病人の杉内君からも逃げられるとして・・後は恵子を犠牲にすれば完璧。何のために運動音痴を連れて来たと思ってんの?」

 

「あ。俺許された。ラッキー」

 

「・・田中さん。お疲れ様。はい座って。この痛い子の相手で毎回大変だよね・・」

 

「あ、うん・・お邪魔しまっす・・国枝君」

 

「ちょっと直衛!するっと流すな!恵子もあっさり受け入れちゃダメ!」

 

「ずるいぞ!大将!自分だけフォローに入って結局俺だけ危ない奴じゃないか!」

 

「早いもん勝ち。コイツも言ってたろうが。俺の盾になれ。ウメハラよ。俺は前科者になるのはゴメンだ」

 

「回転はやっ!流した振りしてのっかってるし!」

 

本当に持つべきものは友だと広大は思った。体調を崩して保健室で眠っている時に気付くなんてなんか間抜けな話だが心が晴れる気がした。

 

―午後からちゃんと授業出よう。その後の事は・・。うん。

 

あ、けど五限目現文だっけ?

むぅもう一時間・・・・。

 

―放課後

 

「ふぅ・・よしっと」

 

体から重みは消え去り、逆に頭がふわふわするような眠気を覚えたが、初冬の外気に触れると意識はより鮮明になった。

校門前にはHRを終えて足早に行った。世話になった友人達とのあいさつもそこそこに。感謝と埋め合わせはまた今度させてもらおう。

今はただ自分の体調と気持ちを回復させてくれた彼らに心で礼を言うしかない。

校門前にはまだ他の下校者も、校門前掃除担当の生徒も来ていない。

確実に一番乗りであった。本当にちゃんと授業が終わって帰っていい時間なのか疑わしくなる程に。その心配はすぐに払拭された。二番目の下校生徒が現れたからだ。

 

「あ」

 

「よう・・」

 

七咲だった。

着ているクリーム色のダウンジャケットはお洒落と言うよりも完全な防寒着として機能を重視させているところが彼女らしい。

 

「あ。すいません。御待たせしましたか?」

 

広大を見つけるとやや小走りで七咲は走り寄る。

 

「いいよ。それよりも行きたいところって?」

 

「・・この分だと次のに乗れそうですね・・。急ぎましょう先輩」

 

「・・『次の』?『乗る』?」

 

「後です。付いてきて下さい」

 

万年徒歩登校が可能な広大にとってあんまりバスというものは利用した事がない。最寄り駅に行くのも自転車で事は足りるし、遠出は車好きな父や兄のおかげで事足りている。

久しぶりに乗ると感心するものだ。よくもまぁこれだけでかい車をコスらずに時間通りに目的地に着けるものかと。

 

「結局何処行くの?」

 

「吉備東海浜公園です」

 

「・・海?」

 

「行った事無いですか?」

 

「いやあるけど・・シーパークに小学生のころ行った以来かな・・?」

 

―なんでまたあんなクソ寒い所に・・。俺を沈めるつもりかな・・?

 

「あ、寒いですよ?覚悟してくださいね?」

 

「・・・」

 

―知ってるよ。

 

「でもよかったです。保健室でいたのはサボっていただけと仰ってったので。体調の悪い日にはとてもお勧めできませんから」

 

「・・・」

 

―強がり、見栄っ張りな人間ってホント損するな・・。大人になろう。もう少し。

 

バスから降りた瞬間に潮風がツーンと鼻を突く。だが思っていた以上に寒さは感じない。

その辺はちゃんと七咲も計算していたようだ。ブレザーでもある程度は過ごせる状況ではある。

恐らく何か話す分には問題は無い。七咲の用向きはきっとそれだろうから。

それに他でもない広大自身の用向きもそれだったのだから。

だが・・広大はなぜ「わざわざここなのか」という疑問をもっと強く持つべきだった。

 

「はい。どうぞ」

 

「はい?」

 

―え。何これ?

 

「見たら解りませんか?」

 

「・・・」

 

―いや解るけど・・でも何・・これ?

 

「え。本当に解りません?」

 

「・・ゴミ袋。そして・・軍手。火バサミ」

 

「正解です」

 

「・・やったぁ」

 

彼の人生でこれほど空虚な「やったぁ」は今まで無い。

 

「ではいきましょう。私はあちらから始めます」

 

「オッケイ。俺こっちからね。・・って、待て」

 

「まだ何か?」

 

「・・とりあえず説明をくれないかな?」

 

「はい。うちの水泳部はボランティア活動で吉備東町の景観維持のための慈善事業に参加しています。要するにゴミ拾いです。以上です。では開始。あ。缶とペットボトルはちゃんと分けてくださいね」

 

―・・これ以上ツッコんでも何も出まい。

 

広大は諦めた。

 

時刻は四時前・・日が傾き、波の音とかけあわさってここ近辺の有名なデートスポットになるのがうなずけるほど景色は良いのだが、いかんせん切ないほど色気が無い。

下を向き、火バサミでゴミをほじくり出す憮然とした少年が一人。

最初はそこまで寒さを感じないものの、時折吹く強い風は徐々に体温を奪う程の冷たさは持ち合わせている。

 

しかし中々に重労働だ。ゴミというのは案外に重い。

ゴミ袋半分ほど埋まった程度の量でも海水を吸った雑誌や缶類を入れるとその重さは簡単に増す。

おまけに泥の中にあったゴミもそれを増長させる。

人間不思議なもので自分が悪い事をしているとめんどくさい事にその悪事をせめてもの虚栄心で隠そうとする。わざわざ埋めるのである。それならなぜ帰り道にある公衆便所前のゴミ箱に捨てないのか・・疑問は尽きない。

 

「どうですか?あ、結構採れていますね」

 

三十分程後、七咲が様子を見に来た。そう言った当の彼女のビニール袋は既に満杯になり、納まりきらない分を仕方なく片手一杯に持っている。

それを広大はまだ余裕のある自分の袋に入れるよう促し、彼女は無言で頷いて入れた。

 

「ひどいね。何考えてこの場所にゴミ捨てるんだか?せっかくいい景色なのに」

 

「景色だけを見て足元を見てないんでしょうね。いい思い出だけ自分の中に残して、それによって生じる些細な責任や義務は置いていく・・そんな感じじゃないでしょうか」

 

そう言った後、彼女は少しハッとした表情をした。

というのもその言葉が図らずも偶然に広大と塚原の状況に重なる部分が大きかったからだ。

ただ前日と違って彼女は別にそんな含みをもたせて言ったわけではない。全くの過失。

それ故に少し表情を翳らせ、視線を横に逸らした。

思わず少し広大は笑った。作り笑いでも何でもなく。

 

「・・綺麗な言い回しだと思うよ。七咲。まぁ国語苦手な俺に言われても・・だけど」

 

それを聞いて少し安心したように顔を伏せながらも七咲も笑った。

二人は気付いていないが本当にこの二人がちゃんと笑いあったのはこれが最初である。

 

・・些細な・・二人の記憶にも残らない瞬間ではあるが。

それからまた三十分後。

結構な量になった二つのゴミ袋をそれぞれで抱えていたが広大はそれを七咲の手から取り上げるように掴んだ。

「七咲?俺このゴミ捨ててくるから先に手を洗ってきていいよ」

 

「え?いえ。私も行きますよ」

 

「・・軍手俺に貸しただろ。やけにちっちゃいと思ったら君用の軍手だったわけだ」

 

「あ・・・」

 

「だからいいよ。先に行って」

 

「はい・・ありがとうございます」

 

「じゃあ後で鞄置いたベンチで」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・はい。コーンポタージュでいい?熱いから気をつけて」

 

広大はそう言って缶を渡した。洗ったばかりなのと寒さで赤白く変色した七咲の指が通常のジュース缶より小さめなコーンポタージュの缶をからめ捕る。

 

「あ。ありがとうございます。お金後で払いますね」

 

「いいから」

 

「あ。でも」

 

「いいから」

 

「・・解りました。では頂きますね。はぁ・・あったかい」

 

―君にはいろいろと貸しがある。

結局のところここまで来たのは全て君の主導によるものだ。

これ位なんでも無い。

きっかけを与えてくれた相手には安すぎる礼というものだ。

 

「・・!?あ、七咲振らないと!」

 

「え?あ。あ!?」

 

すでに缶の口は小気味のいい音と共に見た目にも温まる湯気をあげていた。

 

 

―この後二人が結局昨日の出来事に触れる事は一切なかった。

言葉は少なめ、ただ淡々とゆっくりした時は流れた。

 

恐らくは昨日の二人の間で起こった出来事は・・お互いの幼さ、未熟さ、そして無理解の上に陥った思考の袋小路だったのだろう。

引き返して冷静に見渡せば違う道はすぐに見つかる程度の。

ただお互いに塚原 響という一人の人物を想った結果、お互いの視野は狭まり、結果到達してしまった場所だったのだ。

 

そしてその二人が翌日のこの日選んだのは・・というより、七咲が提案し、広大が受け入れた今日この日この場所の出来事は無言の、暗黙の了解の「☓ゲーム」だったのだろう。

 

お互いのお互いに対する謝罪を自分への戒めと共に。

 

 

見ての通り「☓」という記号は二つの線が重なり合った結果その先が全て別の方向のベクトルに向かって走っている。

二つの線が一度交差し、交差した事によって別の場所、別の答えに向かっていく。

「☓」の意味とは「ダメ」「不正解」ではない。

別の方向へ向かうための通過点なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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