くっ・・馬鹿な・・この俺が・・この俺がまさか・・
「逃げ恥」ロスに罹るなんて!!
ヒラマサ~~俺だ~~結婚してくれ~~。
「七咲。どう?」
塚原響は湯気に包まれて見えない七咲が居るであろう方向に向けて声をかけた。
だが七咲の表情は見えない。変わりに
「・・・。塚原先輩。」
何時になく神妙そうな声で湯気の中から七咲の声がする。断っておくが「湯かげんいかがですか?」ではない。
「何?」
「・・すごいの出来ちゃったかもしれないです。」
「・・そう。良く頑張ったわね。」
「はい!!」
湯気を切り裂いて現れた七咲の満面の笑みを見て塚原も笑った。
「「やった~~」」
と同時に歓声と拍手が上がった。
七咲と塚原を取り囲む水泳部の面々が七咲に喝采を浴びせる。同輩も、一個上の先輩も、塚原達三年生+なぜか森島はるかも例外なく。
「逢ちゃんお疲れ。」
「七咲さんやったね。」
「皆のおかげです。でもまだこれからです。出来ただけですから。頑張ってこの吉備東高名物水泳部特製おでんを完売させましょう。お手伝いお願いします!」
七咲がそう言ってぺこりと頭を下げる。と、同時に口々に水泳部の面々から賛同と頼もしい声が上がる。
「任しといて!」
「これで売れ残ったら私らのせいだわ!」
その中で―
「逢ちゃん!任しといて!この私が売れ残りなんて絶対させないんだから~~~!だから―。」
「皆!はるかを押さえて!」
がししっ!!
そう言った塚原の声と同時に水泳部員の腕利き五人が森島を取り押さえた。右手、右足、左手、左足、腰を押さえられ身動きのとれなくなった森島は叫ぶ。
「え、え~~!?ちょっちょっとぉ響ちゃんどういうことぉ!?」
そして取り押さえられた森島の前に塚原は腕を組み、ずいっと仁王立ちした。
「今年こそ竹輪とはんぺんは渡さないわ。開店前の七咲の努力の結晶・・何が何でも守って見せる・・!」
何とダサカッコいい間抜けで男前なセリフなのだろうか。
「ひっどぉーい!ひびきちゃん私を信用して無いの?」
「してない。みんな!橘君がこの子迎えに来るまでしっかり拘束しておいて!!」
「「「はい!」」」
「響ちゃんひど~~~い!お腹すいたぁ~~!!」
そんな森島の断末魔を開幕の合図に
199X年 12月24日 第57回吉備東高創設祭 開幕
今日吉備東高の校門は訪れる人を迎える煌びやかなイルミネーションを設けており、非常に明るい。待ち合わせ場所として好都合な場所である。
「そろそろ来るころかな・・」
そこに塚原は立ち、腕時計を覗きこみながらそう呟いた。
ゲートに現れた塚原を幾人かの生徒、主に男子生徒が彼女は一体誰と待ち合わせしているのかを興味深そうに見ていたが大体の人間は連れの女の子に促され、渋々付いていった。
クリスマス・イブに違う女の子に注目されては彼女達にとって溜まらないだろう。
だがヤロー同士で来た連中は虎視眈々と塚原に声をかけるタイミングを狙っていた。
しかし一人の男子に駆け寄る彼女を見て「あいつかよ・・。」という表情をしてぞろぞろと散会していった。
「コウ君・・ありがとう。本当に来てくれたの。」
「当然。暇人を舐めないで響姉。」
鼻を赤く染めながら子供の頃と同じ笑顔で広大は塚原にほほ笑んだ。ただあの頃より目線は大分上だ。身長が女子にしては高めな塚原も少し見上げるぐらいに。二人は平行して歩き出す。
歩股まで今は広大が合わせている。この前自宅まで送ってもらった時に塚原は改めて感じたものだ。男の子は本当に大きくなるということを。
「今日は寒いのに・・本当にありがとね。」
「はは。絶好のおでん日和じゃ無い?売上に貢献してくれそうだね。響姉。」
「そうね。そうなると嬉しいわ。」
「で・・俺は前に聞いていた通りの手伝いをすればいいの?」
「そうよ。でも、その前に屋台の台の板が破損していてね?その補強をお願いしたいのがまず一つ。後は前言った通り店番と呼びこみのチラシ配りを交互に水泳部の皆でローテーションするからその一角にコウ君を入れるつもり。やっぱり時折お酒の入った人とか来るから店番に男の子が居ると凄く助かるの。」
「了解。でも・・部外者で男の俺だし他の女子部員に余計な気を遣わせないかな?今更だけど。」
「安心して。常に七咲か私がコウ君の傍に居るから。それに今のコウ君は水泳部にとって一番信頼できる部外者の男子の一人なのよ?大丈夫。」
「ならいいんだけど・・。とりあえずやってみるよ。」
「勿論休み時間もあるから安心してね。」
「あ。あとこちらからも一つ提案があるんだけど・・。」
「何?」
「コレ。」
そう言って広大は脇に抱えていた輪ゴムに巻かれたポスターを塚原に渡した。
「ん?これは・・。ああ・・茶道部のポスターね。」
筆文字で茶道部の創設祭の出し物のスケジュールが事細かに書かれている。
達筆で読むのに全く苦労しない。文字と文字の程良い間隔も見事だ。
恐らく夕月瑠璃子か飛羽愛歌の字だろう。
「八時ぐらいから甘酒配るんだって。だからこのポスターを水泳部の屋台に貼って宣伝してくれると嬉しいって茅ヶ崎から頼まれたんだけど・・。ダメ?」
「問題なしよ。むしろ茶道部の人達には凄くお世話になったんだから、これぐらいはさせてもらえたら嬉しいわ。・・私も桜井さんに会いに行きたいし。この前のお茶本当に美味しかったから。」
「じゃあ・・休み時間に行かない?俺も茅ヶ崎見に行きたいしね。これ持ってきたから。」
「え?・・カメラ?」
「茶道部は着物でやるんだってさ。あいつ袴着るんだよ。茶化しに行こうと思って。」
「へぇ素敵じゃない!茅ヶ崎君体格いいから似合いそう。あ、じゃあ桜井さんも着物?」
「そ。楽しみじゃない?」
「いいわね・・。うんそうね。行きましょう。」
―・・計算通り。ありがとう・・茅ヶ崎。
二日前―
広大は茅ヶ崎の元を訪れていた。
「塚原先輩は梨穂子を気に入ってた。梨穂子も先輩を気に入ってた。ここまではいいな?杉内」
「うん。」
「そして当日・・コレを使え。」
「・・んだコレ・・茶道部のポスター?」
「そうだ。これを塚原先輩と一緒に行くように仕向けろ。『梨穂子が茶を点てる』って聞いたらきっと来てくれる。お前は俺の『袴姿を茶化しに行きたいから一緒に行こう』とでも言え。後・・ほれ。カメラもあれば信憑性が高まる。そのかわり撮った写真焼き増ししてくれよ?」
「・・・。茅ヶ崎!!」
何と言う至れり尽くせりの配慮!感動のあまり広大は茅ヶ崎に抱きつこうとしたがいなされた。
「寄るな・・気色悪い。」
実は茅ヶ崎の本音は案外黒い。
―これで茶道部の宣伝をしてくれる人間が増える。カメラ小僧の調達。塚原先輩が来る事で・・梨穂子が喜ぶ。うん・・。悪くない取引だ。
「コウ君?七咲が待ってるわ。行きましょう。」
「・・・!先輩!来てくれたんですね!」
おでんの屋台の向こう側でエプロンをかけた七咲は最後の備品のチェックに余念が無かったが塚原と広大の到着に両親が迎えに来た幼子のように微笑んで作業の手を止めた。
「はは。七咲機嫌よさそうじゃん。どう?出来は。」
「・・凄いの出来ちゃったかもしれません。」
悪戯そうに笑った。いつもは謙遜気味の七咲がハッキリと自信を示す。
「お疲れ様。七咲。頑張ったね。」
「・・・。先輩?まだこれからですよ?創設祭はまだ始まったばかりなんですから。」
・・本当はその言葉と共に頭でも撫でて貰いたいぐらいだった。
「そっか。」
「さて・・そろそろ開店しましょうか。七咲?そろそろ蓋を開いて。湯気と匂いでお客さんを呼ばないと。」
「はい!開けます!」
木の蓋を一気に外すと物凄い湯気が上がり、小柄な七咲の姿は一瞬で覆い隠された。丁度風が巻き、湯気が全て七咲の方に向かい七咲は直撃を喰らった。
「おおい七咲~~?大丈夫かぁ?」
「ぷわぁ~。」
もうもうと包まれた湯気の中から七咲が這いでる。
「『ぷわぁ~』って・・七咲・・可愛いわね全く。」
そんなやり取りの中、色とりどりのおでんの具材がとてもいい狐色のだし汁の上に所狭しと敷き詰められている光景が露わになる。
「よし・・コウ君。早速で悪いけど台の補強を早いうちにやっといてもらいたいの。だから店番は七咲、川端さんは呼びこみの皆の指示をお願いするわね?」
「はい!」
「はい!」
「了解響姉。でもちょっと・・待ってくれるかな。お客さんだ。」
「ん・・あ。」
「開いたかい?邪魔するよ。」
「今年はずいぶん遅かったな・・・。」
その姿には見覚えがあった。
「・・夕月さんに飛羽さん。いらっしゃい。今回は貴重な意見をくれてありがとうね。」
同学年の塚原がまず声をかける。広大も主に茅ヶ崎を通してこの二人を知っているが直接話をした事は無い。ただインパクトが非常に強い二人だと言う事を茅ヶ崎から聞いており、実際近くで見てみるとその姿は噂と違わない独特の雰囲気があった。
「あ・・茶道部の方は大丈夫なの?」
「今年も水泳部の味をイの一番に味わいたくてね。下準備は終わったから後は後輩に任せてきた。」
「中々生きのいい肉体労働役を最近仕入れてな・・。大助かりだ。」
「・・」
―茅ヶ崎だな。
「さぁ塚原。今年もあんたの味は健在かね?水泳部のおでんのアンケートを頼まれた時は期待を込めて辛口の意見を言わせてもらったけど・・。」
「・・あの味・・少し塚原の味付けと違ったが何かを試していたのか?」
「・・ええ。流石ね。試していたわ。でも試していたのは味付けじゃない。水泳部の次代を担う子達よ。」
そう言った塚原は誇るように屋台を見た。七咲をはじめ、水泳部の面々が手際よく作業を続けている。三年生三人のやり取りを見ていた七咲は作業を続けながら彼女たちに一礼した。
「だから今年味付けしたのは私じゃないの。今年主に味付けを担当したのはあの子よ。」
「ふーん・・。」
「ふむ・・。」
無表情にそう呟いた茶道部の二人は直後、不敵な笑みを浮かべて七咲を見た。
「じゃ・・早速貰おうかな。」
「一品百円だったな・・。」
「あ。二人には意見とかでお世話になったんだしサービスするわよ?」
「嬉しい申し出だけどね。塚原?アタシ達は客だよ?今度は試食しに来たんじゃない。それに最初の客に奢っていては他のお客さんに示しが付かないよ。だから受け取りな。」
「それに・・お客からお金を貰った時こそ自分が作ったものに対する責任が生ずる・・。後輩を育てるにはその方がいいのではないか・・?」
「そういうことだ。今度は客として評価したいからな。」
この二人、アクは強いが何だかんだ中々気持ちのいい連中である。厳しさの中に配慮と気遣い、配慮の中にも明確な線引きがある。
「成程ね。そう言ってくれて有難う。」
そう言って塚原は笑った。その二人の意見が純粋に嬉しかったのだ。
―・・。後輩を気遣う不安そうな顔をして無いな・・。期待させて貰おうか。
夕月 瑠璃子はそう思った。
「お邪魔するよ。」
「いらっしゃいませ。夕月先輩に飛羽先輩。今回は―」
「塚原から一通り聞いている・・。そんなに畏まらなくていいぞ。飽くまで私達は客だ。」
「そうですか。失礼しました。何にしますか。」
ややもすると突き放すように聞こえる飛羽の言葉をすんなり受け流し、七咲は調理用の長い箸を手にそう言った。
「そうだな・・・私は昆布を。後は大根だな。」
「アタシも大根。あと牛スジを頼むよ。」
「了解しました。辛子はどうします?」
「結構だ。」
「アタシも。」
―落ち着いてるなぁ七咲。あの二人相手に。
―緊張をちゃんと糧に出来るタイプよ。あの子は。
広大と塚原は二人に対する七咲のやり取りを見ながらそう漏らす。
いつの間にか他に作業をしていた他の水泳部の部員達も固唾をのんで見守っていた。
発砲スチロールで出来た容器に具を乗せ、二人の前に出す。器用に箸でつかんだ大根は崩れるどころかキズ一つ付けてない。
「はい。お代。じゃあ頂きます。」
「海の恵みに感謝・・頂きます。」
周りは徐々に創設祭の本格的な各イベントの開始で賑やかになっていくが奇妙なほど水泳部の屋台は静まり返っていた。おでんを目的に買いに来た他の客が何となく場に入りにくいぐらいに。
「・・・」
―ある種の営業妨害だよ。これは。
「・・・あんた・・名前は?」
大根に二、三口を付けた後、夕月が唐突に口を開いた。
「私ですか・・・?七咲 逢です。」
「七咲か・・う・・・。」
「・・『う』・・?」
―な、なんか何処となく苦しそう。おかしいな。毒を入れたつもりはないのに・・。
「うぉいっし~~~ん!!!!コレ!!」
「・・・。」
「あら反応なし?」
「あ、いえ!有難うございます!!!」
一瞬、予想の斜目を行く夕月の反応にあっけにとられたが持ち直し、ようやく七咲は実感を得られた。
―やった!!!
「愛歌はどうよ。」
「ふむ・・。見事だ。七咲・・ありがとう。」
飛羽も夕月に遅れて深く頷いて、珍しく微笑んだ。笑うと飛羽は何だかんだ美人である。
「はい!!こちらこそ。」
「ほぇ~~。愛歌まで絶賛じゃないか。なかなか人褒めないんだよこの子は。大したもんだ七咲。」
まるで数年来の知り合いのように二人はさっき知り合ったばかりの七咲の名前を呼んだ。
「やはり・・嬉しいな。『かおる』さんの作った野菜をここまで大事に調理してくれて。紹介した甲斐があるというものだ・・」
「はい・・とってもおいしい大根を提供してくれました・・。これも飛羽先輩のおかげです。」
「ん。・・持ち帰りでいくつかくれないか?『かおる』さんにも食べさせてあげたい・・。貴方の大根をこんなに上手く調理してくれた、とな。」
「はい!」
「・・早くした方がいいぞ。」
「はい?」
「・・見ろ。」
彼女たちの後ろには「散々焦らしやがって早く俺達にも売ってくれ。」というオーラを持った複数の客が七咲を見ていた。
「・・コウ君作戦変更。おでんをよそうのを手伝ってあげて。後で水泳部の呼びこみから一人七咲のフォローに回すからその時に改めて板の補強お願い。」
最初の客の大絶賛に一行は喜びあう暇は無かった。予想以上にタフな夜になりそうだ。
「よし・・七咲どう?」
「・・・・。大丈夫そうです!先輩有難うございます!!」
破損した台板を広大が補強すると先程まで傾いていた器に入ったおでんの出汁は七咲の目線と同じ水平になった。
「かなりの応急処置だけど・・今夜ぐらいは持つといいな。」
「大丈夫ですよ。おかげで具材の補充が楽になりました。」
「はぁ・・嵐のような・・げ・・まだ二時間経ってないのね・・。」
ぐったりと腰を落とし、腕時計を覗いた広大がうなだれる。
「ふふ・・時間の感覚無くなりますね。」
「けど・・ここまで繁盛すると楽しいね。七咲。これも七咲特製のおでんのおかげか。」
「褒めても出しませんよ。おでんは。仕事が終わってからです。」
「・・良く解ったな。」
「顔に書いてあります。『お腹すいた』って。」
「・・お腹が空いているのに他人に美味しそうな食べ物を配るなんてなかなか拷問だよね。」
苦笑しながら広大はそう言った。
「じゃあ・・おでんは食べるわけにはいきませんがちょっと休憩しましょうか。丁度舞台の方で何かのイベント中でしばらくは落ち着きそうですし。」
嵐の様な二時間に疲弊しながらも満足そうな七咲は一息ついて、持参した自分のバックから水筒を取り出す。
「うっしゃあ!親父ぃ~熱燗くれ~。」
広大は二次会後のダメサラリーマンの様に屋台にずっかと座り込んでそう言った。
「・・はい?」
その広大の行為に冷極の視線を少女は向けた。
「・・あ、熱燗・・。」
―あ・・ヤバい。
「・・はい?」
抉るように少女は尚も聞き返す。その言葉と視線に一気に広大は酔いが冷めた。元々酔ってなどいないが。
「・・いや、なんか、おでんの屋台といったらこう・・酔いつぶれてこういう台詞が似合うかなぁ・・って。・・ゴメンなさい。」
「・・高校一年の女の子が『親父』って呼ばれて喜ぶと思ってるんですか。」
あくまで真顔で返す七咲。どうやらそれなりに怒っているらしい。空腹から来る投げやり感から出た戯れを心底広大は後悔した。
初めて七咲と出会った時以来だ。こんなに彼女に恐怖を感じるのは。
「・・・。」
「親父ぃ~熱燗私もくれ~。ってか?ひゃはははは。」
「!!!」
「!!!」
「ひくっ・・。」
そこには信じられない光景があった。
普段は厳しく少し固いところがあるが真面目で優しく、男女問わず生徒に人気がある彼女が何という有様だ。おでんの屋台の柱で体をようやく支え、トロンとした目をこちらに向け酒臭い息を振りまく。状態は完全に親父だが、辛うじて見た目は麗しい年頃の女性であるため、色気があるのが幸いか。
だが一教師としては正視に耐えない。
―誰だコイツは・・。高橋先生の姿をしたこの親父は。・・いいね!俺のアホな戯れが霞むぐらいのどえらいインパクトだ!
高橋麻耶
職業 現代文教師 2-A担任
独身
広大のピンチに颯爽・・颯爽?・・とにかく登場。
「ちょっとぉ~。出すの出さないのぉ・・?熱燗?」
「あ・・あの・・。高橋先生、その・・。」
七咲は違う意味で素面(しらふ)に戻る。怒りで+に入っていたものが一気に-になったような感じだ。さすがに少し脅えがある。
「高橋先生・・ある訳無いでしょう。」
広大が割り込む。一応万が一酔っ払いが現れた時の対策としても彼は呼ばれたのだ。
だが、まさかこのような変わり果てた担任を介抱する事になろうとは。切なすぎる。
見た目は綺麗な良い歳の女性が芸人になって笑えないギャグをしているのを見るような居た堪れなさがある。
「何よぉつまんないわねぇ。じゃあおでんでいいわ。」
「おでんしかないですって・・。何がいいですか?」
「そうねぇ・・。任すわ。」
「だって七咲。美味しそうなの選んであげて?」
「あ・・はいっ。」
その一言で七咲は落ち着きを取り戻した。
「はい・・先生座って?色気の無いパイプ椅子だけどね。」
「う・・ありがと・・杉内君。」
ちゃんと自分の教え子位は判別できるぐらいの意識はあるようだ。
「・・あ。先輩。あったかいお茶ありますよ。」
「あ。いいね。」
七咲は休憩時用に用意していたお茶を水筒のコップに入れ、広大に手渡す。
「ありがと。はい・・先生。飲んで。」
「酔い醒めちゃうじゃないのぉ・・。」
「七咲のおでん美味しいんですから。ちゃんと酔い醒まして味わったげてください。」
「・・くすっ」
―先生ちっちゃい子みたいだ。
そう思って七咲は思わず笑った。
「・・悔しいけどおいしい。」
高橋はそう言って割り箸をくわえながらよく出汁が染みた大根を味わった。
「何が悔しいのかよく解らないけど・・美味しいってさ。よかったね七咲。」
広大の言葉に七咲は嬉しそうにこくりと頷く。するとやや正気を取り戻したのか落ち着いた声色で高橋は喋り出す。
「七咲さんはね?町で買い物している時に時々会ってご一緒するの。」
「え・・そうだったんですか。そうなの?七咲。」
「ええまぁ・・。」
「・・・」
―成程・・いつもの高橋先生を知ってるだけに余計にビビったんだろうな・・さっき。ま。ビビるわな。
「いつも感心してたの。まだ若いのに家族の事をちゃんと考えて献立とか食材とか選んで、お得なセールの情報とか時間帯もちゃんと頭に入れてお買い物してるし・・。私も何度七咲さんの夕食の献立を参考にしたか知れないわ。」
広大が「そんなに凄いの?七咲って。」と言うような最早呆れ顔のような顔を七咲に向けると七咲は苦笑いしながら微笑み返した。「何時もの事ですから」とでも言いたげに。
「で、今日ハッキリした。やっぱり料理の腕も大したものだって。」
そこまで言った後、高橋の箸がピタリと止まり、その不動とは裏腹に彼女の中で何かがマグマの様に流動しているのが解る。
ゴゴゴゴゴ・・
―お。どうした先生?
「ちっくしょおおお!!!」
「うわっ!?」
「『味付けが濃い、好みじゃ無い』?ふざけんな!なら自分で作れや!」
高橋大噴火。
「気合い込めて作ったんだぞ?労働でしこたま疲れてる体に鞭打って!公務員の仕事、教師の仕事なめんなよ?それをなんだあのガキャ!『これは出来損いだ。食べられないよ。』だと?どっかで聞いたような台詞吐きやがって!」
彼女の台詞自体もどっかで聞いた事がある台詞ばかりだがこれが偽りざる本音なのだろう。
よくある話なのだ。これが。
「ううっぐすっ。」
「先生ほら鼻かんで。」
「ヴ・・ヴぁ・・ありがとう。七咲ざん。」
「・・」
―新しい何かの剣術の技ですか。先生。
何とも正視に耐えない良くない担任の暴露話が始まってしまった。加えてさらに予想外の事態が広大を襲う。
「ぐすっ。」
「え。な、七咲まで・・?ど、どしたの!?」
「だっで・・だってとても他人事だと思えなぐて。あたしだって上手く出来なかった時そんな風に言われたことありますしぃ・・。弟に。」
「・・」
―ええ!?い、嗚呼・・君までもらい泣き?
片や一人は酔い。片や一人は場酔い。
―じ、地獄絵図になってきた・・。戯れで吐いた暴言のツケかな・・仕方ない。
広大は諦めてもらい泣きした七咲をもう一つ用意したパイプ椅子に座らせ、替わりに自分が店頭に立った。
「はい七咲座る」
「すいません先輩・・ううっ、ぐすっ・・」
「よし!七咲さんに杉内君、私がおでん奢るから貴方達二人も食べなさい!買ったのを食べさせるなら文句ないでしょ。誰に何食わせようと私の勝手よ!」
「そうです!」
「・・・。」
思いがけなく広大の空腹は埋まりそうだが余計な気苦労が生まれそうだ。
三十分後―
「よ。ほ。」
「・・どうしたのコウ君・・?」
店頭でいつの間にか店番を主にしている広大に訝しげに塚原は声をかけた。
「あ。おかえり。響姉。長い箸でおでんの具すくうのって結構難しいね・・。お客さん何人かハラハラさせちゃった。」
「そ、そう・・。そろそろ交代で休憩時間いれるから。お疲れ様。茶道部に顔出しに行きましょう。」
「やった。あ。茅ヶ崎と桜井さんにおでんの差し入れ持って行きたいから響姉よそってくれる?お金持ってくるから。」
「うんいいよ。ところで・・七咲は大丈夫かしら?」
託された仕事を思わずほっぽり出して何かに夢中になっている七咲という少女の光景が塚原にとっては意外な光景だった。
「高橋先生と意気投合しちゃったみたい。お互いの境遇に。響姉・・怒らないであげて。」
「・・怒らないわ。あんな七咲初めて見る。コウ君には見せるのね?ああいうトコ。」
眼を丸くしながら塚原は広大の顔を見つめる。
「?」
「中々隙を見せてくれない子だから頼もしい反面寂しくなる事もあるのよ。悪い言い方をすれば結構必死で自分を取り繕うタイプだから。あの子。そこが猫っぽくて可愛いんだけど。」
「まぁ・・そう、かな?」
「・・意外?」
意外というよりも広大にとって違和感に近かった。
「確かにそうなんだけどそうとも言いきれないっていうか?」
「ふ~~ん・・・ちょっとカチンときたかな?今の言葉。」
「えぇ!?なんか俺悪い事言った?」
「くすっ・・。ふふふっ・・当人同士じゃ気付かない事か・・。・・!あ、高橋先生が・・。」
「ん・・。」
七咲にぐったりと高橋は寄り添っていた。高橋の手から取り落としそうになったおでんの容器を七咲は手際よく取り上げて下に置く。その中にはもう出汁しか残っていない。綺麗に完食してくれたようだ。
「ふふっ・・先輩?・・高橋先生寝ちゃいまし・・・あ。」
広大の傍らで微笑む塚原に気付く。夢中で高橋と話し込んでいた自分の不手際を誰よりも尊敬する人間にみられた事が気不味かった。
「・・お疲れ様七咲。丁度そろそろ二人の休憩時間だから高橋先生を保健室まで送ってあげて。仮眠スペースとして使えるはずだから。その足で休憩時間に入って大丈夫。交代の子ももう呼んであるから直に来るはずよ。」
嫌味も怒気も無く淡々と、しかし親しみとほんの少し悪戯っけを秘めた優しい表情で塚原は七咲にそう言った。
「すいません・・。」
―ああ。私とした事が・・。
恥ずかしそうに七咲は目線を逸らしたが、塚原は後輩の意外な一面が見れた事に本当に嬉しそうに微笑んでいた。
その後―
店番交替の水泳部員が着くと同時に七咲は高橋をとりあえず少し起こし、肩を貸しながら保健室に向かった。広大と塚原の手伝いを断って。
そしてその際ちらりと広大を睨んで少し微笑んだ。
―・・いってらっしゃい。先輩。
「おわっ・・結構混んでる・・。」
こんな事なら水泳部まで協力して宣伝する必要も無かったんじゃないか?と思えるほど茶道部の野点(のだて)の会場は盛況だった。
甘酒の配布と野点の体験会を兼ねているため双方の客がごった返している状況なのだ。
「わ、っとと。」
「あ。すいません!」
「いいのよ。気にしないで。」
甘酒を友人の分だろうか両手に無理に抱えた生徒に塚原らしい気遣いをしながらゆっくりと広大と塚原の二人は人の間をぬって進んだ。
「あ。響姉こっち。」
見知った顔を見つけた広大は塚原の手首を掴んで引き寄せた。
「あ。・・・」
―力も強くなったね・・コウ君。
「いたよ。桜井さん。ほら」
「・・!あ、ああ」
茶道部の先輩二人は野点の体験会の進行役をしている傍らで桜井は体験会を終えた者、甘酒を貰いに来た双方に甘酒を配っていた。とても忙しそうだ。
「・・?茅ヶ崎がいない。」
「そう言えば・・どうしたのかしらね。」
列が途切れたところを見計らって広大は声をかける。
「桜井さんお疲れ様。大盛況じゃん。」
「あー杉内君!塚原先輩も来てくれたんだぁ。あ、でもごめんね。今丁度甘酒が無くなっちゃって・・智也が補充用の甘酒を取りに言ってくれてるからちょっと待ってね。」
「いいよ気にしないで。」
「・・桜井さん着物・・すごく似合ってる。」
「そ・・そうですか?うわぁ~・・嬉しいです。塚原先輩にそう言って頂けるとは~~」
本当に似合っているのだ。これが。
桜色に仕立てられた振袖がやや寒さで上気し、桃色がかった彼女の白い肌によく合う。掻き上げてまとめた栗色の髪の毛が忙しさの為か所々散逸しているが妙にそれが色気を助長している。
―・・なるほどね。茅ヶ崎がカメラを俺に渡すわけだ。「これを撮っとけ」ってことね。
友人の裏の企みを看破して広大は早速・・
―最初の一枚・・これしかない。
「響姉、桜井さん寄って?一枚撮るよ?」
「・・。おー杉内・・休憩入ったか。」
そう言って重そうな甘酒が詰まった巨大な寸胴鍋を茅ヶ崎は片手間に台の上に乗せ、業務用コンロに火を付ける。成程、コレは確かに貴重な『肉体労働役』だ。
―どうです?貴方の一家に一台?ってか・・。
「ふむ。」
「ん。」
「ほっほう・・。」
広大は何とも奇妙な笑い方をしてにやにやと茅ヶ崎を見た。
「んだよ・・。」
「似合ってんじゃん・・袴。」
広い肩幅、胸板、そして硬いが厳格で意思の強そうな茅ヶ崎の表情に袴がよくマッチしている。
絶滅危惧種の日本男児の古き良き姿がそこにある。茶化そうにも粗が見当たらない。ここはとりあえず褒めておこう。それが一番面白い反応が見れそうだ。
「でしょ!?杉内君もそう思うでしょ。」
「・・梨穂子」
「うん。響姉もそう思うよね?」
「うん。本当に二人共良く似合ってるわ。茅ヶ崎君?とっても素敵だと思うわよ」
「・・そうすか。有難うございます」
塚原の賛辞に茅ヶ崎の耳は少しずつ赤く染まる。
「・・ほれ照れてないで寄れ二人共。撮るよ?茅ヶ崎、桜井さん。」
「あ?」
「え?」
「早くしろって。甘酒あったまったらまた配るんだろ?今のうち。」
業務用コンロの上で少しずつ煮立ち始めた甘酒が急かすようにふつふつと湯気を上げていた。
「・・おお。」
「へへ・・ありがとう。杉内君。」
「いいって。・・あ。茅ヶ崎。撮る前に一言聞いておきたい事があるんだけど。」
「ん?何?」
「今日の桜井さんの着物姿どう思う?」
「・・早く撮れやヴォケ。」
「・・・。」
「あはははは。」
塚原もそんな三人のやり取りに口に手を当て白い息を指の隙間から吐きながら笑った。
この広大の一言で今日のベストショットは決まった。茅ヶ崎の耳は極限まで赤く染まり、片や桜井も自らの着物の桜色に匹敵するほどの顔色で照れながらも満面の笑みでほほ笑んだ。茅ヶ崎の反応がただただ嬉しかったのだろう。
―この写真は焼き増し出来ないな。一枚で十分。・・この二人だけのもんだ。
カチカチとインスタントカメラのフィルムを巻き直す音がどうにも広大は心地よかった。
広大と塚原があったまった甘酒を飲みながら談笑している傍ら―
「梨穂子。」
「ん。何?智也」
「・・確か『アレ』まだ他にあったよな?部室に。」
「?アレ・・?」
「耳貸せ。」
「ん~?ふんふん、ふんふん。っ・・!」
ひそひそ・・
「わ。智也!それ賛成。賛成!わかった~。やってみるね」
「見てろや・・杉内のヤロー。目に物見せてやる。」
茅ヶ崎反撃に転ずる。恥欠かしやがってあのやろー。
「・・・。ねぇ智也。」
「ん?」
「・・どう?」
彼女にしては珍しく少し真剣な目つきで着物の手首の袖を両手でつまみ腕を広げながら智也に少し不安そうに・・はんなりとそう聞いた。
「・・似合ってる。」
「えへへ~ありがとう。智也も似合ってるよ。」
にぱりと桜井は笑った。
茶道部部室
そこに来ているのは桜井と・・何故か塚原だった。
「すいません。塚原先輩。休憩時間中だっていうのに変な頼み事しちゃって・・。夜の学校に入るのって一人じゃ怖くて・・。」
「いいのよ。で・・部室のどこにお茶とお茶菓子があるのかしら?」
「・・それが・・。」
「?」
「すいません!先輩!こっちへ!」
「え?な、何!?さ、桜井さん!?」
・・暫くお待ち下さい。
「遅いな。桜井さんと響姉。」
「折角おでん持ってきてくれたのになー。何やってんだろなー梨穂子の奴。」
―まだか。梨穂子。
「・・?」
何時になく棒読みな茅ヶ崎の言葉を訝しげに思いながらも広大は二杯目の甘酒をこくりと口に付けようとした時だった。
「御待たせ~。」
「あ、お帰り・・ふ、た・・りと・・も?」
「・・おお!おかえり。二人共」
―・・すっげ、塚原先輩・・・でかした梨穂子。・・杉内。俺の屈辱の半分でも味わいやがれ。
「あはは・・着せられちゃった。」
見事な漆黒の着物に袖を通した塚原がそこに立っていた。
着物を着た女性としての美しさだけでなく、華美になりすぎない落ち着いたイメージと彼女の雰囲気にこれもまた桜井と違った意味で良く合っている。
「・・私の身長に合うのがこの黒いのしか無いらしくって・・なんかカラスみたい・・じゃない?もっとも明るい色なんて私に似合いそうにないけどね。」
口々にネガティブな発言で恥ずかしさを押し殺そうとする彼女の言葉を聞きながらも広大は返す言葉を失った。
その姿のまま塚原は校庭に出る。
・・・・!!??
周りの反響がすさまじく、制服に戻るタイミングを逸してしまったのだ。
「茅ヶ崎、これじゃフィルムが足らねぇ!」
広大が叫ぶ。カメラ小僧は自分を見失っている。
「知るか。とりあえず早くお前も一緒に撮っとかないと知らん間に・・あ。もうダメだ・・ホレ。」
「え?あ!!」
塚原はすでに多数の女子に取り囲まれ、さながらアイドルのように注目されている。
男子の連中はその姿に硬直し、遠巻きにその中心の主役に見とれていた。
茅ヶ崎、復讐完遂。
「さって・・俺は仕事に戻るわ。精々頑張れ『コウ君』。」
「ファイトだよ~。杉内君~。」
水泳部の差し入れのおでんを美味しそうに頬張りながら楽しそうに桜井は言った。
「おい食うのは後にしろ・・。仕事終わって無いんだから・・。」
「ダメだよー。おでんは熱いうちに食べないと。うーん。やっぱりおいし~。幸せだよ~。」
「ダメだって梨穂子・・。そんな。・・おい・・食べすぎだって。」
「・・・」
―夫婦か。・・式には呼んでくれよ。
仲睦まじい二人の背を呆れ顔で見送り、振り返ると相変わらず恥ずかしそうな塚原が目で広大に助け船を求めていた。
一方―保健室
相変わらず存在を疑われる保健室の先生はいない。
ずっしりと眠気で重くなった高橋の体をようやく白いベッドの上に横たわらせる。
―う・・先生スタイルいい。
そんな些細な嫉妬の炎を打ち消すように掛け布団をかける。最近になるまであまり気にもしなかった事だ。自分の女性としての魅力を誰かと天秤にかけ、嫉妬を覚えるなど。
「くす・・。」
そう言えば広大もココで介抱したことがあっただろうか。意地を張って強がる広大を軽くいなして放課後の約束をしたあの日。・・何となくあの時の自分の方が勇ましかった印象すらある。
いや・・違う。何も知らなかっただけだ。
「おやすみなさい・・高橋先生。」
静かに保健室を七咲は後にする。
校内はとても静かだ。いつもの部活の帰り際の静けさに比べたら騒がしい事は確かなのに。
ここを抜ければすぐにあの騒がしさと煌びやかな光が自分を包み込むだろう。
しかし・・何となく七咲は今のこの静けさを失うのに抵抗があった。
変わりにいつもポケットに忍ばせたプーの鈴を久しぶりに七咲は解放してあげた。
リィン・・
何とも心地よい、そしてクリスマスという日にあった音色だろうか。
喧騒に入ってしまってはこの小さな音色を味わう事は出来ない。だから少しいつもより機嫌よく七咲は歩く。その七咲のテンポが鈴にも伝わり一定の間隔で響く鈴の音は七咲と共に一個の楽器のようになった。
「ふふっ・・。~~♪」
いつになく七咲は上機嫌になった。
しかし唐突に
「っ!」
人の気配を感じた。気付けば七咲はいつもの場所―水泳部更衣室前に足が及んでいた事を悟る。
そこに誰かいる。
―こんな時間に?しかもこんな所で?
近くにそれらしいイベントをしている気配は無い。
「・・。誰?」
ここは水泳部の大切な場所。七咲にとっても大事な場所だ。思い出の場所なのだから。
そこに居る何者かをせめて知らなければ納得できない。ハッキリ言うと危なっかしいことこの上ない。さっきまでの妙な高揚感があったからこそ勢いで行った行動だった。普段ならこんな事があったら怖くて近寄りもしなかっただろう。
先程まで今までの鬱憤を晴らすかのように鳴っていた鈴を再び黙らせ、いつもの更衣室裏を角から覗きこむ。その時鳴らないように握りしめていたはずの鈴が音をたてた。
リン・・
―・・・!?あ!?しまった!!
「え・・。」
倉庫裏に居た人影から声が漏れる。確実に今のは聞かれた。「え・・。」と書くには書いたが不明瞭な言葉であり、敢えて字で表すとしたら一番この字がしっくりくるだろう。
―・・まずい。
思わず七咲は眉を歪めた。
「・・プー?」
「え・・?」
「その音は・・プー?プーでしょ。おいで。」
恐怖、焦り、そのような感情がその言葉によって一気に七咲の中から消え去り、歪めた眉を目と共に丸くして。しかし尚も動作は恐る恐るでゆっくりと角から顔を出す。
「・・っ!あ・・生徒さん・・?」
そこに居たのは一人の女性だった。手には缶詰を持っている。猫用の。
「・・・こんばんはっ。」
彼女は自分の状況が他の人間にとって誤解を招いても仕方のない状況であった事を自覚しながらも七咲にまず笑いかけてそう言った。二十代後半ぐらいの女性だろうか。
耳の少し下くらいまでの髪をセンターで分け、清潔感を感じさせながらも分けた前髪の先に独特のエッジをきかせている所に深いこだわりと女性としての強さを感じさせる。大人っぽいダークグレイのコートでハイネックの黒いセーターを包み込む。暗い中で少し光る光一点の瞳、優しげで落ちつきのある声。そして何よりも・・彼女から発せられた「プー」という言葉。
その時点で七咲はその女性に対する警戒を解き、相手に挨拶を返す。
「こ、こんばんは・・。」
「ははっ驚かしちゃってごめんね。待ち人・・もとい待ち猫がいてね。鈴の音がしたからてっきり・・。」
チリン・・
「・・・!」
また七咲の意図を反して鈴が鳴る。まるでプーの鈴がひとりでにこの女性を呼んでいるようだった。
「!・・また・・。なんか貴方から聞こえるような気がするんだけど・・ひょっとして貴方がプーだったりして!?」
笑って冗談気味に言って女性は続けた。
「は~~~可愛い子になっちゃったね。」
その言葉に照れて微笑みながらも七咲は少し複雑な笑顔をした。
もう色々解ってしまったからだ。この目の前の女性がプーにとってどういう人間か。
そしてこの人には確実に伝えなければいけない事がある。他の誰でもない自分自身が。
それがこの鈴を託された自分の責任なのだから。
―・・・っ!
覚悟を決めた。七咲はポケットから手を出し、そして手を開く。
「・・・。これ・・。」
リィン・・
小さな手の平で「蕾」は転がり、かつての知己に挨拶した。
「そっか・・居なくなっちゃったのか。」
その女性は十年近く前の元在校生。水泳部OBだった。吉備東高の創設祭の間口は広く、毎年来るOBは数知れない。既婚だろうと四十代以上になろうと来る人は来る。別段珍しくもなかった。
「はい・・。」
「私ね。卒業以来毎年じゃないけどちょくちょくプーに会いにここに来てたんだ。プーは覚えているんだか忘れているんだか解んない顔してたけど。」
「でも寄ってくるって事はきっと覚えていたんですよ。」
「ならいいんだけどね。」
「・・・その鈴を取り外したトコ見たの久しぶり。私の記憶じゃ買った時にお店で包んでもらった光景が最後じゃないかな。あとはずっとあの子につけたままだったから。」
「え・・それじゃあ。」
「うん。修学旅行だったかな?神戸に行った時に骨董屋で買ったの。・・震災前にね。御店被災しちゃったからおんなじのは多分もう他にないよ。」
彼女は長い間知られてなかったプーのルーツそのものを知っていた。塚原も水泳部の部員達も、七咲の大先輩たちが知らなったあの猫のルーツを。
女性は色々と話してくれた。
プーとどのようにして出会い、部員皆で学校の規則や規範を重んじる生徒会、風紀委員と闘ってプーの権利を勝ち取り、プーをしつけ、後輩たちにもプーの世話を引き継ぎ、卒業と共に後輩たちに託していった事を。
そして自分達の名前を知る人間がこの学校にほとんどいなくなろうとも彼女達が残した規律、そしてプーという一匹の猫は確実に残り、受け継がれた。
そして今年、七咲の代で終わりを告げた。
「ごめんなさい・・先輩。」
十年も上の「先輩」を相手に七咲は謝る。しかし女性はあっけらかんと笑い、
「?なんで謝るの?もともといつかは終わるものだったの。それが貴方の代だっただけ。アイツは生きていたんだから当然よ。生きている以上どんな形であろうとも違う場所に行く日は来るわ」
「・・・。」
「むしろ私が謝らせてほしいわ。別に負う義務も無い何処の誰かも知らない先輩が作った決まりと残された我儘な黒猫の世話を後輩たちに押しつけ続けたって言っても間違いじゃ無いでしょ?」
「・・正直私もそう考えた時期もありました。」
「正直な子ね。」
「これぐらい言ってもバチはあたらないかと。」
「そうそう。不満はちゃんと口にしなきゃね?」
「不満の種を撒いた方が言う言葉ですか?」
「あ・・言うわね・・それが本来の貴方なの?」
「どうでしょう。」
くっくと二人はまるで姉妹のように笑った。
「でも・・プーは私達にとって大事な『先輩』でした。」
「うん。ここに来て毎回いつもと変わらず我儘で元気なプーを見るたびに解ってた。沢山の後輩達があの子を大事にしてくれているんだって。・・たくさんの後輩達を代表してお礼を受け取ってくれる?」
「・・はい。」
「・・ありがとね。本当に。」
「こちらこそ。」
正直恐縮だった。他の先輩達と比べると七咲とプーの時間はたった一年足らずの短い時間。
なのに、今まで自分より長くあの猫の世話をしてきた先輩達に変わって自分がお礼を受け取っていいものかと。真面目な七咲らしいことである。
考えてみると本当にこの一年足らずの間の七咲の大切な出会いの場にはプーがいた。
塚原と出会った時も。
・・広大に出会った時も。
プーが居なければ今の自分も、今のこの気持ちさえも存在しえなかったかもしれない。
そう考えればこの目の前の女性は本当に―
七咲にとって大恩人だ。
「・・こちらこそ本当に有難うございました。」
静かに、しかし強くそう七咲は繰り返した。
それが目の前の女性に対しての言葉なのか、それとももっと他の多くの対象に対しての言葉なのか七咲自身にも解らなかった。でも―
―どうでもいい。
例え今は伝わらなかろうと。
これから伝えていけばいいんだ。
これがまず第一歩。
「あーすっきりした・・これでもう心残り無いわ。」
「え?」
「何となくこのまま消えちゃったりしないかな」なんてバカな心配を七咲はした。
それほど予想外の、そして素敵な出会いだったからだ。
「いや・・成仏とか自殺とかしないよ?ほら・・足もあるし」
安心したような七咲の顔を見て女性は優しい笑顔で笑ってこう言った。
「私ね・・結婚するの。それでこの町を離れるから・・多分ここへ来るのも最後じゃないかな。」
「・・そうなんですか。」
「あーあ。まさかあの人と結婚するとは思わなかったけどね。屋台で朝まで一緒に飲み明かすような色気のない間柄だったのに。」
彼女はそう言うが幸せそうだった。今気付けば左薬指には綺麗な指輪。
良く似合っている。その男性がこの女性の事をよく見ている証拠だと勝手に七咲は思う。
「おめでとうございます。・・それじゃあ結婚祝いと言っては何ですが・・これを受け取ってくれませんか?」
「え・・?」
七咲は鈴を差しだす。既に決めていたことだった。元の持ち主だと解った時点で。
やはり自分がこれを持ち続けているのに違和感と負い目があったのを拭いきれていなかったのだ。でもこれですっきりする。
「元の持ち主に返す」。そんな叶いそうに無かった願いが思いがけず叶いそうだ。
少し寂しい気はするがこれが自然だ。きっと。
「よかったら・・・貴方が持っていてくれない?」
「・・はい?」
「貴方がこれを見つけてくれたんでしょ?無くなった物を見つけたのは貴方。だったら持つ権利は貴方にある。それに・・貴方はまだこの学校にいる。プーがもしひょっこり帰って来た時にプーに返してあげて?」
「あ・・。」
「こう見えて私まだアイツが死んだなんて思ってないのよ?」
彼女はこう言ったが何処かで確信はあった。
広大と七咲が残されたこの鈴を見つけたあの時、何故かもう会えない事を確信してしまったように。同様に彼女も七咲の手にのった鈴を見て「気付いて」しまっていた。
虫の知らせに近い独特の感覚。
その時点で鈴は誰のものでもなく、順当にいけば元の持ち主である彼女の物だ。
しかし彼女はそう言った。
「だから貴方が持っていて?勿論捨てるも何も貴方の自由。それを戻ってきたプーに返すのも自由。見つけた貴方の物なんだから。」
七咲は少し驚いた。広大とこれを見つけた翌日に塚原に言われた言葉によく似ていたからだ。
―心配して、懸命に探して見つけたのが貴方ならそれは貴方の物。それを重荷に思うなら戸惑う事は無い。捨てなさい。貴方にはその資格がある。最後まで責任を持って動いた七咲だからこそ、ね。
そして笑って塚原は付け加える。
―コウ君もそう言っていたんでしょう?
―そんな器用な言い回しは杉内先輩には無理でしたけど。
―あははは。そうでしょうね。でも私が言いたい事はきっとコウ君と同じ。受け取ってくれる?七咲?
「あは。そういえばまだ名前も知らなかったね?貴方のお名前は?」
「・・?七咲・・逢です。」
「逢さんね。綺麗な名前。」
「あ・・。」
「じゃあ。逢さん。改めて。その鈴の事をお願いできませんか?」
「でも・・最初に見つけたのは私じゃないんです。一緒に捜してくれた人が。」
「・・。じゃあ何故貴方が持っているの?」
「それは・・その人が預けてくれたんです。」
「それはつまり貴方が預けるに相応しいとその人が判断したからじゃあないの?」
「・・。」
「そしてそれが嫌なら・・重荷なら貴方は断る事も出来た。捨てる事も出来た。でも実際今も手に持って大事にしてくれていた。私に見せてくれた。もし今日私が貴方に出会わなくても貴方はそれをいずれ捨てていたかしら?」
それはない。絶対に。捨てるものか。七咲は言葉には出せなかった。思いが強すぎれば逆に言葉など出ない。
「そうじゃなければ・・お願いできませんか?逢さん。勝手な先輩の我儘で本当に申し訳ないけど。」
返事はしない。七咲は戻しただけだ。いつもの場所に。ポケットの中に。
―・・おかえり。
そう心の中で呟いて。
「・・もう一度言わせて。今度は貴方だけに。七咲 逢さん?・・本当に。本当にありがとう。」
女性はそう言った後、微笑んでその場を後にし、その聖夜の夜を最後に永遠に七咲の前から姿を消した。
「いた!七咲!」
「・・杉内先輩。」
「帰ってくんの遅いから迎えに来た。見つけて良かった。」
「コウ君。いた?七咲?」
「いたいた。」
「塚原先輩まで・・え?その格好。凄い・・綺麗。」
「あ。はははは・・。」
「茶道部の陰謀でね・・。響姉が浚われて戻ってきたらこんな風になってた」
―だが正直ナイスだった。茅ヶ崎と桜井さんには今度何か精のつくもの送っときま~す。
広大は内心上機嫌だった。
「いいなぁ・・。」
「ありがとう七咲。なんなら七咲も茶道部に頼んでみる?」
「・・来年の楽しみにしときます。」
―だって比べられたらさすがに塚原先輩には負けそうだもん。
「フィルム残しといてよかった・・。七咲?塚原先輩と映れよ。」
「え?いいんですか?」
「そのためにフィルム残しておいたんだって。」
「でも・・お二人は撮ったんですか?」
「うん。はるかが何枚か撮ってくれたわ。・・変わりにその三倍ぐらいははるかと一緒に映ったんだけどね・・。」
ミスコンサンタ姿の森島と着物姿の塚原。焼き増しして販売したらいい商売になりそうなぐらいのツーショットである。今茅ヶ崎からもらったこの冴えないインスタントカメラはお宝写真の宝庫だ。
―現像屋・・万が一現像ミスったら俺は貴方を一生許さないだろう。
「よし!撮ったよ。」
「有難うございます!」
「有難うコウ君。・・七咲もコウ君と一緒に写ったら?」
「え。」
「・・先輩と?」
「だって?どうする?」
「先輩が良ければ・・是非。」
「・・マジ?あ・・じゃあ喜んで。」
「・・はい!OK!」
「ありがと。」
「有難うございます。先輩!」
「どういたしまして・・・フィルム後一枚残ってるけど・・何か撮りたいものある?」
「・・どうせならこの三人全員で撮りたいよね。」
「・・そうですね。賛成です。」
「私も賛成。・・おでんの屋台で撮りましょうか。コウ君が直してくれた台座に座って。」
「何気にプレッシャーかけてる?響姉。」
「信じてるわよ?」
「信じてますからね?」
「七咲まで・・。」
最後に彼らが撮った数枚を七咲が後日見ると笑ってしまった。
何故なら最後の一枚の直前に広大と二人で撮った写真と見比べると最後の三人で撮った一枚は何とも落ち着いた、リラックスした顔を浮かべているものだと。
広大も何気にカタイ。あまり予想もしていなかったのだろう。少し目線が泳いでいる。
七咲は少し残念に思いながらも今回のベストショットはやっぱり最後の一枚だったなぁ、と苦笑いした。
三人で撮った初めての写真。屋台の台座に並んだ三人の笑顔は格段にいい。
塚原を真ん中に右に広大、左に自分の写真。
どちらも彼女にとってこの一年間に出会った沢山の人達の中でも最も大切な二人。
そう言っても過言じゃ無い。
それを改めて気付かせてくれた・・思えば名前も教えてくれなかったあの女性。
でも
本当に会えてよかった。
二人にも。
プーにも。
名も知らぬ貴女にも。
今年の創設祭も大詰めに入る。
この乾燥した時期に非常に危険だがキャンプファイヤーをやるのである。しかし肝心な締めくくり行事はそれではない。
それを囲む・・男女混合フォークダンスだ。
修羅場の匂いがぷんぷんする。広大も本気だ。今日の着物姿の塚原を絶対に盗られるわけにはいかない。
だが・・ダークホースというものは現れるものだ。
「響ちゃん!私が男の子側に入るわ!一緒に踊ろ!」
「え。はるか・・。」
究極のKY。本領発揮。
KYの「K」とは森島 はるかのK!!KYの「Y」とは森島 はるかのY!!
・・どちらも入っていない!!苦しい!!
「!!!!!!!!!!」
全吉備東高男子生徒に戦慄走る。
―寄りによってミスコン制覇者のパートナーが女の子!!!???
―それも相手が塚原先輩だとぉ!!!!????
全男子生徒が泣いた。
広大は違う意味で泣いた。
塚原は森島に強引に引っ張られながらキャンプファイアーへ向かっていく。
呆気にとられている男子メンツと塚原がまだ状況を飲み込めてない混乱状態を縫うように森島は塚原をさらった。空気が読めない癖に異常な程虚を突くのは上手い。相変わらず不思議な少女―森島 はるかである。
―うっぞ・・。はっ・・!!!ちょっと・・橘!お前何やってんだ!!これでいいと思ってんのか!!森島先輩はお前が責任持って・・。
広大は正気に戻り、怒り心頭でクラスメイトの橘を探した。そしてその姿を校庭の横の舞台前で確認する。しかしその肝心の橘は・・。
―いた!って、ああ!!
―森島先輩と一緒に踊れないのは残念だけど、喜ぶ顔が見れたからそれでいいや。相手が塚原先輩じゃ仕方ないよ。うん。ニコニコ。
―って顔してやがる!ダメだ。もうダメだ。
殺せー!いっそ殺せーーー!!
「・・残念だったな。杉内・・。」
広大の肩に茅ヶ崎は優しく手を置く。
「あ、あはは・・気を落とさないでね・・杉内君。」
桜井もそれに続く。最早公認と言っても過言じゃない二人はごく自然に列に参入。
「いっそ殺せ・・。」
がっくりと広大は膝をつく。多分今日創設祭が始まって以来のローテンションに今吉備東校は包まれているであろう。主に男子メンツが。
「残念でしたね。先輩。」
「七咲・・。」
「くすっ・・森島先輩の手にかかっちゃったら仕方ないですね。」
「あ~そうだね。」
「ふぅ・・仕方ないですね・・。」
七咲は息を整える。一瞬我を見失っていた男連中と異なり、彼女は冷静だった。
まさしく千載一遇である。
しかし、状況を見極めれば見極めるほど上気していく心臓の音が彼女を落ち着かせなくしていた。
―落ち着け。私。よし!
「行きますよ?先輩。」
「え?」
「ほら早く。」
自分の動揺を悟られぬように勢いに任せて七咲は広大を連れだした。
「七咲!?」
広大のその言葉に応じず、七咲はフォークダンスの列に加わる。・・森島、塚原ペアの隣に陣取って。
「森島先輩?塚原先輩とは私も踊りたいです。負けませんよ?」
・・なんとも可愛い言い訳である。
「OH!!逢ちゃん!いつになく過激ねぇ~?GOOOD!!」
「七咲・・。」
幾分不安そうだった塚原も参戦した二人の姿を見て少し安心した表情を見せた。
「んふふふ。あたしは逢ちゃんとも踊りたかったからね。嬉しい誤算だわ♪」
―結局相手は女の子ですか!?
広大を含め、男子生徒達が一同に森島 はるか内心突っ込みを入れる。
と、同時に音楽が鳴り始める。
「あ。始まるよ。」
「・・。あ。」
―勢いで来ちゃったけど先輩・・ごめんなさい。私よく知りません。フォークダンス・・。
基本的に運動神経のいい七咲であるが効率的で機能的な動きをする「運動」と異なり、見た目、華やかさ、イメージ力を必要とする「体操」は少し苦手だった。音楽が鳴っても戸惑い気味だった七咲の様子を見て広大も気付く。
「あ、わかんない?」
「すいません・・。」
「ん・・ま、いいや。ほら周り見て。」
「周りって・・。・・」
―・・隣の親友コンビ以外は何か・・・誰しもカップルに見えます・・。先輩。
考えてみればとんでもない所に来たもんだ。
「だいたい皆のと動き合わせれば後はノリ。手ぇかして。」
「・・はい・・。」
広大の開いたその掌は案外に大きい。それに控え目にのせる。
「コウ君!ちゃんと逢ちゃんに手ほどきしてあげてね?逢ちゃん。焦らなくていいよ!」
森島は満面の笑みで踊りながらそう言った。その可憐な姿に一時絶望した男子達は幾分癒されたようだった。トラブルの発端になりながらもなんやかんや最後は丸くまとめる手腕。
森島はるかは想像を超えたやり手だった。案外良い会社の女上司になるタイプかも知れない。
「あいてっ。」
「あ、す、すみません。」
「っ・・大丈夫。」
「ほら、七咲。リズムリズム。1、2、3、2、2、3.」
横から塚原も応援する。女子側に回った塚原は森島のリードもあって見事な動き。
着物姿のフォークダンス。これまた風情があっていい。おまけに着物が似合っているので尚更である。とことん目を引く二人だ。
「はい。ここで回る。」
「はいっ。」
「いや・・これだと俺が回る事になるんだけど・・七咲が女の子側だからね・・?ま、いいや。」
「あ・・・。」
身長差があるのに広大側が七咲の片手を軸に無理に回る。小柄な七咲相手だとその不格好さに拍車がかかる。
「・・すみません。先輩。」
「あはは。どんまい。楽しけりゃOK。」
「逢ちゃん・・なんてカワイイの・・。」
「ふふふっ。全くね。」
「・・・。」
七咲は恥ずかしいが楽しかった。
自分より年長の三人に同時にあれこれ世話を焼いてもらう様な経験は彼女の記憶には無い。
そういうものを何処か自分の中で「恥」だと勝手に決めつけていたのだろう。
大別すると「恥」には違いなくともその感覚は存外気持ちよくて、心地よくて、優しかった。
そう思うと自然な笑顔が出た。
表情を常日頃からある程度自在に調整できる方の彼女がどうしても戻すことができない。
無力だった。
包み込まれたその空間の力に。
そして何よりも握られた手の暖かさに。
無意味だった。
虚勢も。演技も。強がりも。
「あぁ~もう可愛いなぁ逢ちゃん!コウ君交代!」
・・今回ばかりは森島の空気の読め無さは流石にボーンヘッドじゃなかっただろうか。
少なくとも七咲にとっては。
森島に後ろから抱きつかれ、七咲は大きく後ろにバランスを崩す。
その瞬間、広大の掌から解き放たれた自分の小さな手が、指先が虚空を泳ぐ。
離したくない。離れたくない。
しかしその掌には自分とは違う手が真っ直ぐに向かっていた。
美しく綺麗に整えられた細く長い塚原の指先が何の抵抗もなく広大の掌にたどり着く。
その光景の何と美しい事か。
何と残酷な事か。
そして少女の瞳に映るのは最も尊敬する女性と・・
大好きな人の笑顔。
第57期吉備東高創設祭終了。