4 切り札⇔>ゴミ手
数日後
「!あ、ごめん」
2-A教室のドアから顔を出そうとした小柄な少女は同時に教室を後にしようとした背の高い男子生徒と軽くぶつかった。
「あ、いえ。いいんです。こちらこそすみません」
かなり見上げなければいけないほどの背の高めの男子生徒に少女は一瞬不安になったがその男子生徒の軽い謝罪の言葉に落ち着きを感じ警戒をほどく。
何よりもよく見るとこの男子生徒を彼女は幾度か見た事があった。
「ん?君は・・」
そしてどうやら彼もこの少女を見た事があるらしい。少しの印象と共に。
「あ。一年の七咲と言います。・・その・・」
「あぁ・・杉内に用?呼ぶよ」
「あ。有難うございます。あと・・申し訳ないのですが絢辻先輩も呼んでいただけませんか?創設祭の件でお聞きしたい事があると・・」
「解った。ちょっと待ってて」
「はい。有難うございます」
何か用があって教室をでようとしたのかもしれないのにその男子生徒はわざわざ教室に戻って二人を呼んでくれた。
しかし・・親切な男子生徒は教室で他の生徒の勉強を見てあげていた絢辻、早弁していた杉内に話しかけると・・
―あれ?席に座った?さっきまで教室でようとしていたけどいいのかな?
「七咲さん?御待たせしちゃったかな?」
「もぐもぐ・・何か用七咲?」
「あ。すいません。絢辻先輩に杉内先輩・・先日の水泳部の備品の件で聞きたい事がありまして・・今お時間大丈夫でしたか?」
「ええ。勿論よ。ちょっと待っていてね?」
「・・・?」
「いいのかな?」という些細な疑問を抱え、横目で直衛を見ながらも七咲は本題に入る。その視線に杉内が気付いた。
「・・。ああ、アイツは国枝。そういや七咲には紹介してなかったね」
礼儀正しい七咲という少女をよく知っている杉内は恩を受けた相手の名前ぐらいは知っておきたい彼女の意図を察した。
「国枝先輩・・ですね。先輩?よければ後で親切にして頂いたお礼をお伝え願えますか?」
「うん。伝えとく」
「それに私・・ひょっとしたら何か国枝先輩が他に用事があったのを邪魔しちゃったんじゃないかと思ったんですが・・」
「ああ・・気にしないでいいよ。七咲。アイツはあんな感じだから」
―・・特に最近はね。
そう思って杉内は座った直衛から視線を動かし、最近休み時間は決まってすぐにどこかへいなくなる薫の席を見る。
―様子がおかしいよな・・最近あの二人。
放課後
薫はテラスを訪れていた。テラスの椅子に腰かけ、ただぼうっと冬の夕暮れがかった空を眺めている。今日はバイトが無い。ゆっくりとした午後を過ごせる。
―最近私には居場所が無い。家はもちろん例の件で。
「あの人」がいなくなってしまってから長年二人が過ごしてきた場所であり、そして長年二人でやってきた間柄だからこそ・・母は徐々に娘の異変には薄々感づいているらしい。
さすがは私の母。でもまぁ気付くだろうね。
最近家に帰った途端自分の部屋に駆けこんで外部からの情報をシャットアウトして逃げていたから。
だって・・怖かったから。
母の口から真実を、そして母にとっての自分という存在の真実と現実を突き付けられるのがひたすら怖かったから。
バイト先の店長が作ってくれる美味しいバランス賄い料理のおかげで最近薫は家ではひたすら風呂と自分の部屋を往復する毎日だった。だがバイトの無い今日はそれも無理だ。
「外食は出来る限り避けるべし。そして出来る限り二人で食べる事。」
棚町家の親娘二人の長年の習慣が。他人に誇れる習慣が今の薫には億劫で仕方が無い。
そして
―学校では教室という心地よい居場所を自分自ら居心地悪くしてしまった。
いや、教室というよりもクラスの皆と・・
そしてアイツと居る場所を自らの手で気不味くしてしまった。
・・何やってんだろ私。
「はぁ・・わ・・・っあっ!!」
無理にもたれかかったテラスの椅子は薫の体重を支えきれずバランスを崩し、それを支えた両足でうっかりテラスのテーブルを蹴りあげてしまった結果、置いていた紙コップの飲み物が足にかかってしまった。
炭酸の抜けたもう飲む気もしなかったカップのジュースがとても・・
「冷た・・・。はぁ・・何やってんだろ私」
つい先ほど脳裡を掠めた言葉が自然と発され、溜息と共に白い息になって瞬時に消えた。
もうほぼ残っていない紙コップの中身を近くの花壇に捨て、食堂のおばちゃんに雑巾でも借りに行こうと思い席を立った時だった。
「あ・・」
「薫・・隣・・空いて・・いや、もう行くのか?」
「・・直衛」
「今日もバイト?」
「・・んーん。今日はまだいるつもり。・・って言うか今日は休み」
「そっか・・ん?零した?」
直衛も流石にテーブルの上の惨状に気付いたようだ。
「へへ・・やっちった」
薫は苦笑いでその場を濁した後、その場を―直衛から逃れようと食堂に入ろうとしたが時間切れだったようだ。既に食堂入り口は閉まり、テラスから中に行くことは不可能だった。
「・・」
―はは・・逃げ場なしっと・・。
「ティッシュならあるぞ?」
「・・てんきゅ」
「近くに水道があってよかったな。ティッシュだけじゃべとついただろうし」
水とジュースで汚れたティッシュ何枚かのうち一枚を少し離れた場所にある屑入に投げいれながら直衛はそう言った。だが・・屑入の枠に嫌われた。
「・・・外した」
「ヘっタクソ。よしっ!先に入れられなかった方が外したのと残りを捨てに行く事。い~い?」
次の一投を既に投じる気満々で薫は二つ目のティッシュを握っていた。
「いーよ。じゃ、次お前」
「うん!ほっ!・・あら」
「どショートじゃん・・」
「あはは・・。」
いつもの大胆さに似合わない消極的な結果が薫の精神状態をよく表していた。
結局二人共最後まで入ることなく、お互いにバカにしあいながら二人で外したティッシュを屑入に入れた。
「で・・薫はここで何してたんだ?」
「んー?別にぼーっとしてただけ。私・・寒いの嫌いだけど冬の空だけは好きなんだ~。澄みきってて高く見えるなぁ~って」
「お前・・また適当な事言ってるだろ?」
「え~なんで?」
「言っちゃ悪いが柄じゃ無いよね」
「アタシもそう思う」
「否定しろよ」
「・・ゴメン。そんな余裕ないから」
薫は初めてハッキリと弱気を口にした。
「・・・何か考え事でもあんのか?」
あの時飲み込んだ言葉を直衛は開く。
「・・・」
だが薫は口を開かない。
「じゃあはっきり聞くわ。何か在ったんだな?」
「・・詮索?」
「ん?」
「興味ある?惚れた?抱きしめたい?心苦しい?」
「・・まともに答える気ねぇってか」
「そうじゃないなら放っておいて」
薫は直衛と目も合わさずそう言った。
結構に二人の長い付き合いの中でここまで薫が直衛に対して冷淡になった事は無かった。
「アンタは関係ないの」―言葉では直接言わないがその言葉を突き刺すように言い放ったのも同然の口調。ここは突き放す。
「・・・。」
―ゴメンね。直衛。これはあくまで私の問題。私が・・
「・・もし『そうだったら』どうすんの?」
「・・・え?」
「『そうじゃないなら放っておいて』って言ったよな?」
「・・本気?」
「少し俺は変わったかもしれない。・・寝込み襲われたせいで」
「寝込み・・?・・な・・・!!!???アンタ・・起きてたの!?」
「・・口塞がれてそのまま寝てられる程図太くないつもりなんですがね。俺も一応いきものなんで」
「ちょっと・・そこはスルーしときなさいよ!男の子でしょ!?」
「意味が解らん・・」
「あ・・ぅ・・はぁぁ・・・」
頭を抱えると同時、唸るような喉の奥から声が出る。そしてそれと同時に喉の奥からこみ上げるような何かが気付いた時に・・
「ぷ・・・ふふ・・はははは」
笑いに変化していた。
「・・・?」
「ゴメンね。アンタには本当に色々迷惑かけちゃったね」
「・・そう素直に言われると何も言い返せなくなるのが悔しい」
「ううん・・『ゴメンね』じゃ無いね。ありがとう・・直衛。そう言ってくれて」
「ぬ・・」
「ホント嬉しいと思ってんのよ?こう見えて。でも言えないの。コレはアタシの問題。だから言わない方が正解。きっと弱気になるから。でもいつか・・耐えられなくなったらアンタに言う・・。だからお願い直衛。今は何も・・・聞かないで?」
何時になく真摯に、おふざけを交えないで真っ直ぐ薫は直衛を見据える。口調も声色も声量も適正。しっかりとした女の子の表情だ。
―なんだ・・ちゃんとそんな顔出来るんじゃないか。普段もしとけよ・・。
直衛はコリコリとまぶたの上を掻いた。
了解はしたが納得はしていないのが丸わかりだったが見た目だけ落ち着いた薫に対してほんの少しの安堵の表情が混じっていた。ほんの一割ほどだが薫には解った。
「そーんなカオしないの。言わないって決まったわけじゃないんだし・・かといって言うって決まったわけじゃないケドね」
「・・・」
「じゃ・・ね。話せて嬉しかった。直衛・・まったね」
背を向けた自分の背中に直衛の視線が相変わらず集中しているのに気付きながらも決して彼女は振り向かなかった。
・・アンタは私の切り札なの。
アンタがいてくれれば私は頑張れそうな気がする。今回の事だって乗り越えられる気がする。アンタは本当に頼りになる相棒だから。
優しくて。賢くて。
でも同時に怖い。凄く怖い。
アンタに助けてもらう事が。
何故ならアンタが私を救ってくれるという事は。
そつなく、粛々と事態を治めてくれたとしたら。
いつものように冷静に。沈着に治めてくれたとしたら。
それは即ち・・アンタの答え。
アンタの私に対する答え。
アンタ自身と私自身の事の明確な線引きの証明。
前にも言ったと思うけど。
私は本当に想像できないの。
アンタが私の事で焦って、テンパって、何もできなくなる事が。
この前の恵子の時みたいにすっきりと恵子を立ち直らせるぐらいにしてしまいそう。
私が逆に恵子に慰められるぐらいあの子を立ち直らせたあの時と同じように。
矛盾だらけ。
救ってほしいのに。助けて欲しいのに。
一方では完全に否定している。拒否している。
だから嫌。
だから私はこれを自分で治めて見せる。一人で乗り切って見せる。
答えなんていらない。結果なんて知りたくない。
切り札は使ってこそのもの。
でも使ってしまったら・・無くなるかもしれない。
もう二度とこの手に戻らないかもしれない。
握りしめた切り札がゴミ手になる事を想像できない故に場に出す事が出来ない。
カードゲームでは決して存在しない局面で薫は板挟みになっていた。
5 切なさ
「薫が?」
「うーん・・俺もそれとなくつついてみたんだけど尻尾出さない。田中さんはどう?」
「うん・・私も様子がおかしいなっていうのは思ってた。元々薫気分屋だけどここまで浮き沈みが激しいのは初めてかも」
「何か詳しく聞いてない?」
「・・ごめん」
「そっか。昔からバカなトラブル引き起こしたりする癖に肝心な事あんまり表に出さない、話さない奴だから」
「うん。ヘンなトコで気ぃ遣うんだよね」
田中は直衛から奢ってもらった紙パックのジュースを両手に持ってへへへと笑う。
「とにかくありがと。田中さん」
「ううん。私もごちそうさま。また何か解ったら教えるね」
「うん」
―・・私は少し演技が上手くなったと思う。
去っていく直衛の後ろ姿を見ながら田中はそう思った。
「空振り」。
―そう思ってくれたと思う。これでいいんだよね?薫。
直衛から奢ってもらえた紙パックのジュースの封を開けながら一切口を付けることなく田中はただ握りしめるだけだった。
―田中さんも何も喋ってくれそうにないか。手回しが早い。徹底してンな。あのめんどくさがりの薫が。
残念ながら田中の演技はまだまだである。
「どう?」
頬杖をついて源は教室に戻った直衛を迎える。傍らに御崎もいた。
その二人にただ直衛は首を振る。ただそれだけ。
「何か知ってそう、でも話してくれそうにない」とは言わない。田中の立場も考えなければ。
「ふぅん・・ここまで棚町さんが休むのって初めてだね・・。遅刻は結構するけど二日も休むなんて・・あーあ棚町さんに色々聞きたい事があったのに」
御崎はそう言って残念そうに肩を落とした。直衛から引き出せない情報となると宛てが彼にはもう無いのだ。事実上、手づまりである。
「御崎、バイト先には?」
「ここ数日来てないよ。一応テスト期間中だし来なくても不思議ではないんだけどね」
薫のバイト先のJOESTERは御崎ご用達の店であり、薫にとってお得意さんでもある。
さらに彼は「とある理由」であの場所に通う理由がさらに増えた。だがこれはまた別のお話。
「・・そっか」
「・・流石に心配だね。昨日は欠席連絡があったみたいだけど今日なんか無断欠席らしいし」
今日は珍しくコンタクトをせずに眼鏡で登校してきた源の薄茶色の瞳がレンズの中で歪む。
「・・今日帰ったら俺アイツん家に電話してみる」
「・・そーだね。国枝君がかけた方がよさそう」
「直?じゃあもし棚町さんに会ったら・・この二日分のノート取ったの絢辻さんが貸してくれたから渡しといて」
「ありがと」
―いい土産、且ついい口実だ。有難う有人。
考えてみれば直衛自身もこの二日間、まともにノートを取っていなかった。
絢辻の整えられた字が解り易く並び、細かくチェックされたノートの取り方の見本のような一冊をぱらぱらとめくりながらほんの少しの自嘲の笑顔をする。
―大丈夫かな国枝君・・。
―・・・。
それを見た直衛の向かいに座った親友の源、そして御崎の二人を不安にさせる事を全く気にすることもなく直衛はその表情を浮かべている。
最近授業中や登校時、居眠りもすることなく、ただ漫然とどこか心あらずに佇むだけの直衛の姿は友人の彼らには少し痛々しく感じた。
その日の下校時―
雨が降り出した。今日は変な日だ。
直衛のクラスの友人達は全員何らかの用があって散り散りに別れていった。皆下校時にすぐである。
ある友人に至っては昼休み以降教室に戻ってもこなかった。
一人として仲間内で都合がつかない珍しい日。暇人の帰宅部の自分達がここまで足並み揃わない日も珍しい。
昨今、直衛は自分達の「高二の冬」という受験を来年に控えた立場として「そろそろ真剣に考えるべき」との何となく空気の読めない考えを友人たちに振りまき、ちょっとしたヒンシュクを買っていた。
が、今日に限っては真に勝手ながら直衛自身がそういう現実から逃れたい気分に陥っている。
実は現実から一番逃れたいと思っているのは他でもない自分自身なのではないかと。
他の人間にそう言う事で他でもない自分自身に言い聞かせているのではないかと。
取り残されているのは案外自分だけではないかと。
皆は気付かぬ間に先に行ってしまっているのではないかと。
たった一人―自分だけを取り残して。
久々の孤独は直衛をそんな暗い、沈んだ気分にさせた。
傘から覗くいつもより狭い視界から覗く直衛の世界は現在灰色だった。
―・・まさか「アイツ」が居ないだけでこんなに世界が違って見えるなんてな。
差した傘も意味が無いほどの冷気が体にまとわりつくような寒い日。
だが・・
その日見た光景を直衛は生涯忘れる事はないだろう。
「・・・!」
ふと河川敷前の橋の前で足を止め、直衛はその灰色の世界に目を凝らした。
目の前に居た存在に。
・・・薫だった。
「あら・・お兄さん」
いつものように直衛に減らず口をたたく。いつものようにニヤニヤと。
―傘もささずに濡れているくせに。お気に入りだという自慢のフライトジャケットもお構いなしに濡らしているほどテンパッているくせに。
濡れた癖のある髪が乾燥後に焼きそばのようにもじゃる事を解っているくせに。
学校を休んだのに何故か制服を着ているくせに。
・・・痛々しいほど平静を装っているのがバレバレなくせに。
なんで・・
笑ってんだよ。
「ふふっ。直衛。一緒に帰ろ?」
「・・意味が解らんっていつも言ってんだろ?」
「・・ふふっ」
「・・はっ」
基本無表情な彼にしては珍しく、心底嬉しそうに直衛は笑った。その表情に安心したように薫もまた微笑み、直衛の差した傘の中へ自然と入って行くと彼の胸に額を合わせる。
「・・少しはドキドキしなさいよ」
「・・してるよ」
ふわりと薫る少女の髪の匂い。
見上げた彼の視界―鉛色の空に、世界に・・再び色が戻る。
「ここ・・私好きなんだ」
「・・ここが?」
何の変哲もない。
決して特別水が澄んでいる訳でもない。いつもこの河川敷を照らす夕日も今日は生憎の雨である。それを差っ引いても言い換えるならば何処にでもある風景だ。
そんな場所に濡れて冷えた体のままで居続ける少女を何故か直衛はすぐに連れて帰ろうと思えなかった。
「ここはお前にとってなんなの?」
「私にとって・・か。そうだなぁ・・私にとってだけじゃなく『私達』にとって大事な場所ってところかな」
「私達?」
「そ。私とお母さんと・・お父さんと」
「おばさんと・・おじさんの?」
「うん。よく遊びに来てたんだ。ここ」
直衛は薫の母親とは一応面識がある。
お互いに顔と名前が認識できる程度の仲ではある。娘に近しい直衛とその友人を歓迎してくれる気のいい母親という印象だ。
だが・・自分の父親の事は薫は一切話そうとしなかった。
元々この年代の少女が自分の父親を語る事自体珍しいのだが、それでも彼女は異常過ぎた。母子家庭であるという事はオープンに知られているが、父親がどういう人間だったのか彼女自身が語った事は無い。意図的に隠しているとしか思えないのだ。
世間一般的によくあるただただ無関心なだけか。徹底的に父親というものが嫌いだったか。
はたまたその真逆か。
「お前の親父さんって・・」
「死んだよ」
薫はあっさり軽く言い放った。
結構に長い付き合いである直衛がこういう風にちゃんと確認しないと解らないぐらい彼女の父親の印象は薄い。
「・・そうだったか」
「ふふん。アタシの家を母子家庭ってことでからかってアタシの制裁を喰らった事さえあるアンタがねぇ」
「え。そんなことあったっけ?」
「ちょっと・・覚えてないの?」
「・・すまん」
「アンタねぇ・・ま。いいけどサ」
「・・アタシのお父さんってさ、すっごくカッコよかったんだよ」
「・・」
「若い頃は勉強もスポーツも・・何でも出来たんだって」
「へぇ・・お前の運動能力は親父さん譲りか」
「みたい」
「顔は思いっきりおばさんだけどな。お前は」
「・・オバサン?」
「あ、ワリ。おばさん『似』ってこと」
「そう?ありがと」
「・・珍しいね薫は」
「え。なんで?」
「自分の両親に凄く似てるねって人から言われたら『え。嘘?本当?』とか言って微妙な顔する子多いから。少なくとも俺の周りじゃそうだった。けど似てるって言われてはっきり嬉しそうな顔する子はあんまりいない。ま、照れ隠しの場合も結構あるけど」
「アタシは・・隠す必要なんて無いと思ってるから?お母さんは好きだし。尊敬もしてる。だからその人に似てるって言われて単純に・・正直に嬉しかったからそう言っただけ」
「そっか」
「それに私・・お父さんの事も大好きだった。お母さんと比べられない位二人共大好きだった」
「・・ふーん」
「私のお父さんね・・本当にカッコよかったんだから。もし生きてたらアンタにも会わせたかったなぁ」
「・・遠慮しとく。自分より遥かにカッコイイ男と会うのって結構複雑な心境になるもんなの」
「そうなの?結構ヘンなトコ気にするんだね?」
「男の子ですから」
「そうだよね。直衛も男の子だもんね」
「・・薫も女の子なんだよな」
「・・反応に困る発言止めてくんない?」
「お前が言い出したんだろが」
「私さ・・気付いちゃったんだ」
「・・何を?」
「お母さんにとっての私」
「どういう意味?」
「・・聞いてくれる?直衛・・」
「・・・。俺でいいなら」
「・・アンタだから話せるの」
―いいの?
薫の中で誰かがそう囁きかける。
―うん。
―知らないよ?
―うん。でももう耐えきれないの。
―・・解った。
「この前ね。バイト帰りに街で母さんを見たの」
「・・?」
「『見た』って言うのは・・色んな意味で。『見ちゃった』」
「・・。」
「・・知らない男と一緒だった」
「・・・!」
薫は絞り出すように言った。直衛はただ無言で目を見開く他ない。
自分が母子家庭で在る事に負い目を感じず、むしろ誇りを持っている事が常日頃の言動、行動、態度から感じられる薫と言う少女にとってその光景がどれほど彼女の心を複雑に揺り動かしたかを推し量ると中々言葉等出る物ではない。
「直衛・・?」
「・・・!?あ、悪い」
「ううん。はは。私相変わらず唐突でゴメンね」
誤魔化すように笑うが薫にいつもの元気さ、力は無い。儚げなほほ笑みだった。
「・・何か聞きたいことある?」
「・・特に。お前がそれを見て『そういう風』に判断したって事は解った。だから『まだそうと決まったわけじゃないだろ』って言葉は間抜けだってことだな?」
「・・うん」
「薫の事だし直接聞いて確認したろ?おばさんに」
元々何事もはっきり白黒つけたい性格だ。無言の冷戦状態を長々と続けられるほど我慢強い性格では無い。
「うん」
「おばさん・・何て言っていたか聞いていいの?」
「うん・・」
「有難う薫」
「ううん。ひとしきり口喧嘩したら・・『再婚・・考えてる』って言われた」
「・・・そうか」
「そう。仕事仲間だとか。同僚だとか、私も最初色々考えた。勘違いだって。考えすぎだってね・・」
そう言って視線を足元に落とした事により、癖のある髪は直衛から彼女の横顔すら見えなくした。全てを語りたくともせめて少しでも羞恥心を押し隠すように。それ程今回の出来事は娘である薫にとって屈辱的であったのであろう。
「でもね。違うの。確認しなくても一発で解ってた。だって私もあの人の娘だもん。ずっと一緒に居たんだからそれぐらい解んの。今まで見た事のない笑顔してくれちゃって・・正直ムカついた」
「・・ムカついた」
「だってそうでしょ?私はあの人の負担にならないようにバイトもして、家事もしてる。そうやって協力してやってきたの!二人で生きていけるって、二人で生きていこうって約束したの!お父さんが死んだあの時に!」
感情が徐々に高ぶると同時に薫の語気も強まっていく。
「・・」
「この裏切られた気持ち解る?ねぇ!解る!?」
「・・」
「で、同時思い知るの・・・自分がやってきた事が・・自分があの人に強要していた事がどれ程あの人を縛り付けていたのか」
くしゃりとくせがかった髪を顔の半分を覆い隠すように無造作に掴み、今度は明らかに涙声が混じり始める。
「強要・・?」
「そう・・お父さんが死んで少し経った時・・私お母さんに言ったの。『死んだお父さん以外私は誰も父親として絶対に認めないよ』って。・・お母さん受け入れてくれた。あの日からずっと二人で生きてきたの。でも・・」
「・・・」
「あの日全てを否定されたの・・私とお母さん二人の日々が・・。私がお母さんとした約束は実は私が一方的な『契約』だったって。あの時・・知らない男と一緒に居たお母さんの笑顔が全て教えてくれた。私がお母さんを縛っていたって!重荷だったって!!!」
「重荷・・!?待て。薫。違うだろ」
「違わない・・違わないよう・・。娘の私が・・お母さんがお父さんの『替わり』を見つけることを諦めさせて、結局はお母さんの笑顔奪ってたってことよ・・?」
最早完全に涙声である。直衛の言葉も意味を持たない。
少し直衛のこめかみが痛々しく歪んだが今の薫にはそれを気遣う余裕は無かった。
「お母さんホントはお父さんが居なくなって寂しくて仕方なかったって・・不安で仕方なかったって・・!じゃあ私が懸命に頑張ってきたのは何?私と一緒に過ごしたお母さんとの時間は何だったのよ!もう・・ワケ解んない・・」
そこまで言って濁流のように流れていた薫の時は止まり・・嗚咽しか聞こえなくなった。
その言葉を直衛は無言で聞く。
「ねぇ・・直衛・・?これって我儘かな・・?」
「ん?」
「私はお父さんが大好きだから・・だから再婚には絶対反対っていうのは我儘なのかなぁ・・?」
「・・悪い。俺には掛ける言葉が無い」
「そうだよね・・」
「でもな薫・・コレだけは言える。ってぇか言うぞ。・・止めんなよ」
「・・え?」
直衛は薫の潤んだ瞳をしっかりと見据えた。
このままこの健気な少女を自責に押しつぶさせる事を目の前で許せるほど自分は大人ではない。言うべきだ。
例え自分が彼女、そして彼女の家族の事に関して他人であっても、部外者であっても。
・・言うべきだ。
「それぐらいの我儘は言うべきだし・・お前はそれを言える資格があると思う。本当に頑張ってきたんだから。お前のお母さんと比べたら俺なんか全然短い付き合いだし・・俺も自分の事に精一杯だから常に薫の事を見ることは出来なかったと思うけど・・それでもこれだけは言える」
「直衛・・?」
「お前・・裏切られた・・ムカついたとか言っておばさん責めてるように見えるけど実は自分を一番責めてるんだよな。でも責めるって事は大切に思ってるってことだろ?おばさんの事も・・おじさんの事も」
「・・・」
「だから反対したくなるのは当然。それはきっと我儘なんかじゃなくてお前が相手を―おばさんを大事に思うからこそ行きつく当然の・・相手に対する思いやりだと思う」
「・・でもそれが・・お母さんの重荷になったら・・?」
「・・そこが難しい所だよな。でもおばさんもそこは解ってると思う。だからこそおばさんも苦しいんだよ。おばさんはお前が反対した時、一方的に話も聞かず、自分の意見だけを通そうとしたか?」
「・・ううん」
「だろ?お前の思いやりが嬉しいからこそ辛いんだよ。お前もおばさんもな。意見は正反対だけど・・お前とおばさんにある想いは共通してる。すれ違ってるだけで」
「でもすれ違ってたら意味無いよ・・」
「そう。そこから先は本っ当に俺が入れる世界じゃないんだよ。お前とおばさんの世界なんだ。歯痒いけどね。でもこれが現実だ」
「直衛・・」
歯痒そうに唇を噛みしめながら部外者が立ち入れない部分に関しては一線を引く。
悔しいがそうするしかない。でもせめて少しだけでもこの少女の気持ちを楽にしてやりたい―そう思いながら直衛は頭をフル回転させる
「っ・・!俺が言えるのは薫とおばさんの今までの事を否定する必要は絶対に無いって事。お前がおばさんとの時間を大切にしてきたようにおばさんも薫といた時間を絶対大事にしてる。
もちろんその前のおじさんといた時間もね。もしそうじゃなかったら例え薫に反対されようとおばさんはお構いなしだったろうな」
「・・・」
「さっきも言った様にお前が言うその『我儘』はお前がおばさんを・・おじさんとの思い出を大事に想っている事の証明だろ?もしどうでもいい事なら『再婚なんて勝手にすりゃいいじゃん』ってなるはずだ」
「うん・・。『勝手にしろ』なんて言えるワケない・・」
「薫。お願いだから自分の責任だなんて思うな。おばさんが寂しかったのは確かだろうし不安だったのも確かだろう。当然だと思うよ?大事な人を失って・・そして残された大事な人のこれからを不安に思う事だって。大事な人って当然お前の事だよ?薫」
「お前が力不足、ましてお荷物だったんじゃ無い。それは絶対ない。おばさんにとって当たり前のように存在していたおじさんっていう大事な人の一人があまりにも早く居なくなってしまっただけだ。それは『不足』じゃない。『欠損』なんだよ」
「思い出は確かに大事。でもこの先の事を考える事もまた大事。人は前に進まなくちゃいけない。でもこの先自分一人で本当に薫を幸せに出来る力があるのか?不安だ、とても不安だ―そう思い続けて生きていくのは大変だ。誰だって自分は可愛いし、それ以上に自分の娘は可愛い。一人じゃ怖いんだ。ならこの先を進むには誰か信頼できる人が傍に居てくれるならそりゃいい。そんな人が現れてくれたら誰だってそりゃあ表情にでる」
「・・・」
「なぁ薫・・お前おばさんが見た事もない笑顔してたって言ったよな?じゃあお前に見せた今までのおばさんの笑顔は全部偽物だと思うのか?そこまで疑ってるのか?」
「・・違う」
「そうだよな。娘だもんな」
「うん・・」
「それぐらい解るよな。大好きなおばさんの事なんだから」
「うん」
「全部真実なんだ。嘘は何もない。・・帰ろう・・薫」
「・・ヴん・・」
泣きじゃくる少女が歩きだしたのを見て、その自分と比べれば小さな歩幅を合わせ、直衛は少女の頭上に降り注ぐ冷たい雨の傘になる。
「薫・・今日は有難う」
「・・なんでアンタがお礼言うの?」
「・・こう見えて凹んでたんだ。今日は。こう見えて色々思う所があって」
「あは。そうなの?」
「うん。話しててちょっと不安だったから・・『あんたに何がわかんのよ!!』とか言われたら正直立ち直れなかったかも」
「・・言わないよ。そんなこと。言いたかったのは確かなんだけどね」
「・・地味に凹む言葉を有難う」
「あははは♪」
「・・直衛。アンタは優しいね」
「・・たまにはね」
「・・いつもだよ」
「・・・」
「照れてるの?」
切った。
切っちゃった。
切り札を。
あんたはやっぱり・・優しいよ。
本当に嬉しかった。
あんたと居るとやっぱり笑っていられる。
優しくて・・。
暖かい。
もう濡れた髪もジャケットも気にならない。
一つの難題・・これは切り札を切ってどうやら突破できそう・・。
あんたのおかげで。
でも
次の難題
・・ハイどうぞ。
私にはもう残って無い。
というより元々無かったのかもしれないね。
こんなにそばに居るのに。
こんなに暖かいのに。
―遠い。アンタが。
6 日常か非日常か
源 有人は一階下足場で自分のロッカーに学用のマウントシューズの泥を落として入れ、上靴に履き替える。すると近くに気配を感じた。
「ん?あっ・・!」
「あ・・」
そこには二日間音信不通だった少女―棚町 薫がいた。少女の何時に無くどこか憂いと躊躇いがある表情に―
「棚町さん。おはよ」
源はいつもと変わらぬ微笑みを携えてそう言った。何とも心根が和らぐ普通さである。
「おっはよ!みなもっち!」
「久しぶり」
二日ぶりの登校の薫に心配も戸惑いの表情も見せない。その笑顔は薫にいつもの何気ない日常に引き戻そうとする力がある。
「・・心配した?」
たが薫は源の気遣いを敢えて空気の読めない・・読まないようにした発言を返す。
「無かったこと」として振舞う事は、恐らく色々気を遣ってくれたであろう源達に逆に申し訳ない様に彼女は感じたのである。
「・・それはもう」
その意図を感じ取ったのか源はすぐ切り替える。薫が正直に真っ直ぐにお礼を言って楽になれる様に。
「そう?色々と・・てんきゅね。あ、あとこれ・・絢辻さんから借りたノート・・返すね?しっかし『さすが』って感じだわ・・テスト前だったらお金とれるぐらいの代物ね。これ・・」
―・・・。
ほんの少し源は押し黙る。が、直ぐ表情を何時ものように緩めて微笑んだ。
「はは。同感。見やすく、解りやすく、短く簡潔。俺も初めて見たとき驚いたもん。無駄を省いて要点がピンポイントで解るからね。これさえあれば本人の努力次第だけど定期試験なら一教科+20点マジで夢じゃないかもなぁ」
「あはは。それなら赤点無しで補習も無しかぁ・・。悪くないね」
「そだね」
「・・・直に昨日会ったんだ?」
「うん。ま、ね」
「しばらくは預かっといて貰っていいよ」と、絢辻が源にそう言って渡してくれ、直接薫への渡し手として直衛に貸したノートは思いがけず翌日には帰ってきた。
予想外のノートの帰還の早さに直衛と薫の・・何というか「縁」というか「絆」というのか・・そういうものを感じずに源は居られなかった。
「ありがとう。確かに受け取ったんで俺が絢辻さんに責任もって返しとくよ」
「うん。私も直接お礼したいんだけど・・ほら?絢辻さんに借金もあるしさ。貸しが多すぎてカッコつかないからもう少し・・待ってもらいたいんだよね・・」
「はは。ダメだよ。お金の事はちゃんとしなきゃ」
「うう。みなもっちまで直衛みたいに言わないで」
―やっぱり親友同士だなこの二人。
薫はそう思いながら一瞬苦い顔をしたものの、相棒の親友の優しさに触れた翌日の清々しい朝を堪能して微笑んだ。
―有難うね。ほんとに。みんな・・。
―・・・。
「ん?」
源と一緒に教室へ向かった途端、妙な違和感を感じて薫は周りを伺ったがすぐに「気のせい」と判断し、源と雑談しながら教室へ向かう。
その日の昼休み屋上―
「お。いたいた。発見。おーいこっちこっち~」
「ぬ・・?」
「デカイ図体の癖に気配消すのは一流ね。一体いつの間に教室出てたのよアンタ」
そう言った当の彼女―薫は校舎屋上の給水塔―この学校で一番高い所に陣取り、直衛を待ち伏せていた。
足をぷらぷらさせながら何時ものように口を悪戯そうに釣りあげて直衛を見下ろしていた。彼女のやや短めのスカートが悩ましげなほどに舞う。
「ん・・。・・上見たら殺すわよ」
「・・相変わらず理不尽なコトを。人をそっから呼んどいて」
「いいからあっち向いてなさいよ。アンタがそこにいると降りられないんだけど」
「じゃ、なんで登るの。何で呼ぶの」
「いいから!」
「・・」
粛々と直衛は背を向けた。
「それでよし。よ!」
タン、と直衛が背を向けた後ろで音がする。
―おしとやかさが相変わらず足りない。何のためらいも無くあの高さを飛ぶのか。
少しパタパタと衣類を整える音が直衛の背後で数秒続いたのち、消える。
「・・もういい?」
「うん!どーぞー」
「・・・。っと・・!」
「・・にっ」
振り返った途端、直衛の目の前には薫の悪戯な笑顔が直前にある。思わず直衛の上半身が後ろに仰け反り、それによって二人の距離は少し離れる。
「あら。失礼な人・・」
「どっちがだ・・」
「全く・・休憩時間に入ったら入ったであんまりウロウロしないでくれる?探すのに苦労するじゃない」
「・・どっからツッコんだらいいのか解らないので敢えて省略しますね」
「省略しない!伝えるべき事はちゃんと伝える!」
「んーじゃあ、何で俺探してたの」
「・・私にお礼ぐらいは言わせてくれないの?」
「・・」
「これでもほんの少し、ミリ単位ぐらい感謝してんの」
「そんな安い感謝なら俺はいらない」
「受け取って!私にしてはレア物の感謝なんだから」
「お前、よくそれで人間界に生息できるな・・」
「全く・・ホントにひねくれ者ね。素直に感謝を受け取ることが出来ないの?ま、いいや。感謝終わり」
「・・今の会話のどこに感謝があったのかな~?」
「だからミリ単位って言ったでしょ」
「・・物凄い説得力だわ」
知覚できないほどの大きさ。知覚できないほどの感謝。
―果たしてそれは「感謝」って本当に呼べるのか?薫。
「それよりも!・・大事な話があるの」
「また厄介事?」
「何で私避けてンの?」
「・・・」
図星。
「当たりか。柔軟性がまだまだ足りないわねアンタも」
「・・別に避けてたつもりないけど」
「しなやかさはないわ、取り繕うわ、おまけにハッキリしないわ、トドメに本番に弱いわ。人間として終わってるわよ。あんた・・。お母さん心配だわ。貴方の将来が・・。くうっ・・」
わざとらしい嘘泣きをする。
「・・言いたい放題言ってくれるな」
「だからアンタも言いたい事言えって言ってんの」
泣き真似をけろっと止め、びしっと人差指を立てて直衛を見据えながら簡単に言い放ったこの薫の一言は実は結構彼女に勇気を要求した。
避けられていた理由がもし昨日の一件で「薫はもう大丈夫だ。後は薫の問題。出来るだけ関わらないでおこう。」とか直衛が考えていたとしたら?
もしくは「厄介事一つ完了・・はぁもうめんどくさい。当分薫には関わらないでおこう。」
とでも思われていたとしたら?
直衛の事を薫は信じてはいるが、そういう不安を払拭しきれない事もまた確かだった。
しかし・・帰ってきた直衛の返答は薫にとって全くの予想外のものであった。
「有人と・・何話してた?」
「・・へ?」
「・・今朝」
「え・・へ?へ!?・・おお!?」
薫は自分でも意味不明な言葉が口から出る。
「え・・何って別に」
「・・。有人にまた無茶なこと言ったんじゃ無いだろな・・」
何となく直衛のこの言葉は間に合わせで取り繕った印象があった。そんな些細で稚拙な牽制を―
「ううん全然」
薫はハッキリと否定してやった。疑問の余地が出ない位に。
迷惑をかけたのは本当だが、その上にまた無理難題吹っ掛けるようなどうのこうのは実際一切してない。
―伊達に私、人間界生きてないよ?直衛。
その返答に直衛は尚更困った顔をした。
「・・。じゃあ・・」
「あ~昨日アンタが帰り際に渡してくれた絢辻さんのノート、借りてくれたの源君だったんでしょ?だから・・何か絢辻さんに直接返しに行くのも気がひけたし、ほら、私絢辻さんに借金もしてるし?だから源君に頼んで返してもらおうと思って、たまたま今朝話しかけて・・それに心配もしてくれていたみたいだから、ちゃんとお礼もしたかったし・・」
―・・自分でも驚くぐらい必死に詳細を語っていると思う。あのめんどくさがりな私が。
ただ・・真実なのに言い訳みたいなのは何故だろう?
だけど、これ、何?
何か、・・すっごい気分イイ。
え。趣味悪い?上等よ!
「それだけ?」
「うん。・・で・・アンタこそ、それだけ?」
「ん・・おお」
「直衛さ・・ひょっとしてアンタ・・妬いてんの?」
直球で言った。勢いに任せて。
―いや、アタシが勢いで行動しないってこと自体珍しいんだけど。
ただそれ以外の選択肢は今の彼女には浮かばなかった。
だが・・直衛の返答は。
「妬いてなんかないよ」
何とも素っ気ないものだった。
「え・・」
―なにそれ・・。あーあ期待してソンした・・。あー白けた。もう帰ろっかな・・。
「・・。と、言いたいんだけど・・そう・・なのかな」
「え。え・・・!!」
―~~・・・!!!!ちょっ・・後だし反則!
一瞬薫は言葉にならなかった。
これは嬉しい。少なくとも気になっている相手にいきなりこんな事を言われたら。女冥利に尽きると言うものだ。
「ぷ・・・あははははは!何?アンタ?可愛い所あるじゃない!!」
―まず笑って全てをふっきれさせる。頑張って我を保たないと!私の感謝より遥かにレアな瞬間なんだから・・。・・せいぜい噛みしめなくちゃ。
・・ああ~~。なんか妙に~~―
幸せ。
「んぎ・・」
悔しそうな直衛の歯ぎしりがこっちまで聞こえてきそうだった。
「んふふふ。正直でよろしい♪」
「・・ふん」
―やだこいつ。何~?本当に可愛い・・。
「・・・。正直な子にはご褒美上げないとね」
癖のかかった髪を何時ものように乱雑に手櫛でほぐし、少し妖しい笑顔で薫は直衛を見た。
「怖いぞ・・お前」
「さぁ直衛・・?何か・・したいこと・・ある?」
「・・したい事?」
「・・うん。やってみたい事とか」
「うーん・・」
「相変わらずいざという時に男らしくない奴ねぇ?またびびってんの?」
「じゃあ・・・キスとかでいいの?」
「・・はぁ?」
「え・・結構勇気振りしぼったんだけど」
「それなら・・『した』じゃない。」
―押しが弱い。ここまで女の子に言わせといて。ま、まぁそれもいいけど。
「男らしいとはとても言えないわね。女の私が出来る様な事を焼き直す程度じゃ、ね」
―ふぅっ・・貴方にはがっかりだわ・・。
ドラマで大人の女性が見せる様な落胆と失望の色を演じて見せる。
―初めてにしては上手くいったんじゃない?・・うん。
「・・!あ。それじゃあ・・」
「・・んふふ。何をしてくれんのよ」
「指の股にキスをするのは・・?」
「・・・。」
―ふーむ・・。また微妙なところを・・。そういう趣味だっけ?コイツ。
「何で指・・?」
「・・紳士の嗜み・・?」
「アタシに聞かないでよ」
「・・ダメ?」
「う・・別にいいけど。じゃあ、はい」
「また随分とあっさり・・・ってか位置低いんだけど」
「・・せめて跪くぐらいしてよ。ふいんき出ないし」
「『雰囲気』、ね」
「いいの。細かい事は・・」
「・・何だかんだ言って・・これ結構恥ずかしいわね・・」
「・・跪いてるこっちの身にもなれって。これ誰かに見られたら俺は登校拒否になるやもしれん」
「大丈夫。誰もいないよ。・・多分」
「・・そ」
「痛。何で指開くのよ」
「指の股って言ったろ」
「そうだけどさ・・。痛い。痛いって!」
「・・。案外開かないもんだな。じゃあこっちは?」
人差指と中指の間隔が直衛はお気に召さなかったらしい。
「え?そっち?そっちは尚更・・痛!」
「はい。最初は我慢我慢」
「そんなに開かないって!ちょっ・・バカ!なにしてんのよ!」
「む~」
「裂けちゃう」
「・・・」
「痛い!」
「ま、こんなもんでいいか・・。」
「は?」
「いや、別に」
「?」
薫から痛みが唐突に止んだ。その直後・・
「・・・」
「ん・・・!!」
―・・くすぐったい・・。
3分後・・。
「どうだった・・?」
「・・まぁまぁ・・思ったより・・悪くなかった。」
―ほんのちょっと・・征服感あったしね。英国淑女・・悪くないじゃない。
「・・そ。よかった」
「ぷ・・くくく」
「・・これはなかなか・・恥ずかしいな・・」
その3分前―
屋上入り口での出来事である
―ココが最後・・多分いると思うんだけど・・。
薫の親友田中恵子は昼休み開始早々に消えた薫を探して校内を彷徨い、候補地の最後のこの屋上に来た。そして屋上へのドアノブに手をかけた瞬間だった。
「・・だけどさ・・痛い。痛いって!」
―あ。薫だ!やっぱりいた。
「・・。案外開かないもんだな。じゃあこっちは?」
―え。国枝君もいる?っていうか「開かない」って?「こっち」って?
「え?そっち?そっちは尚更・・痛!」
―え。まさか。
田中はびったりと屋上へのドアへ耳を押しあてた。
「はい。最初は我慢我慢」
―が、我慢しなきゃならない痛み!!??そ、それってどう考えても!!
「そんなに開かないって!ちょっ・・バカ!なにしてんのよ!」
―ええええええ!???
「む~」
―ひゃ~~~!!
「裂けちゃう。」
―!!!
「・・・」
―!!!!
「痛い!」
―!!!!!
「ま、こんなもんでいいか・・。」
―準備完了!!!???ダメ!もうここには居れない!
脱兎のごとく田中は真っ赤な顔をして屋上から逃げ出した。
翌日―
「薫」
「ん?どした直衛?」
「何か今度は田中さんがよそよそしい・・」
「・・え?アンタにも?どうしちゃったんだろ~?恵子の奴・・」
世の中には知らない方がいい事だってある。
「この前の会議でオーナメントの件こうなったけど・・正直綾辻さんどう思う?」
「う~~ん。ちょっと性急過ぎる気がするけど・・坂上さんはどう言ってた?」
「それが―」
創設祭の準備に勤しむクリスマス実行委員二人に薫は話しかける。
「お~~~い。みなもっちー?」
「ん?ああ棚町さん。何?」
「はい。差し入れ。はい。絢辻さんにも」
二つの缶の炭酸飲料を惜しげも無く薫は二人のそれぞれの席に置く。
「? あ、有難う。棚町さん」
「い~のいいのっ。いつもありがとね。二人共」
「・・?棚町さん?」
「絢辻さんにはまだビリヤード代返して無かったわね。はい。お待たせしました♪」
「あ、なんだ・・何時でもよかったのに・・」
「いいの、じゃまったねお二人さん。~~~♪」
鼻歌交じりに意気揚々と去っていく薫を源、絢辻両名は怪訝な顔で見送る。
「・・・」
「・・・」
「源君・・どう思う?棚町さん絶対に変よね」
「・・。そう・・?いつも通りだと思うけど?」
―何かいい事は在ったみたいだけどね。
事情に通じている彼には何となく薫の感情の機微が理解出来た。
「でも・・ちょっと不気味よね」
奢ってもらった缶ジュースにただならぬオーラのようなものを感じ、絢辻はまじまじと見つめた。
「・・毒入り?」
「いや・・さすがにそれは『無い』、と思うよ。・・色んな意味で」
そう言った絢辻は後方で絢辻が出した創設祭の資料を見て、何かと検討をしている杉内の姿を見て話しかけた。
「・・。杉内君。ちょっといいかしら」
「何?絢辻さん」
「いきなりで申し訳ないんだけど・・確か黒猫がいたわよね?確か水泳部の部室裏に」
「プーの事?」
「・・炭酸飲めるかしら・・?その猫?」
「・・は?多分・・飲まないと思うけど・・」
「ふーん、そっか。あ、ありがとう。ゴメンなさいね。いきなりヘンな事聞いて」
「?」
「・・・」
「源君?あらやだ冗談よ。うふふ」
「・・・」
「飲まないの?」
「いや・・飲むよ?」
―やっぱり俺だよね。
「そ。じゃあ私が栓開けてあげるね」
・・片手の指だけで簡単に開ける。意外に腕力がある。この子。
「はい。源君。御先に召し上がれ?」
日常か、非日常か。
それでも同じ時間に変わりは無い。
でもあの日を境に何か変わっていけているのかな?
私達進んでいるのかな?
直衛。
いつもと同じようで、いつもと違う時間を過ごせていますか?
・・私。
たとえそれが私の思い過ごしでも。
実は全く何にも進んでいない何時もの何気ないアンタとのバカな時間だったとしても。
・・大切にしたいんだ