桜井 梨穂子編
主人公
茅ヶ崎 智也
174
がっしり系だが筋肉太りというよりも準細マッチョ。ただ着やせはせず、制服の上からでもある程度の体格の良さが把握できる程度。
B型
家族構成 両親 祖父 姉
一人称 俺
他の主人公と異なり元体育会系の少年。高校に入ってからは帰宅部。気難しい一面を持ち、かなり硬派。体格の良さもあり、黙っていると威圧的な第一印象を与える。その上口数が少ないので誤解を招きやすい性格だが基本的に常識的な人間で真面目、人を思いやる事が出来る。腕っ節も強いが決して悪用しない。
桜井梨穂子とは幼馴染ではあるが、高校に入ってからはクラスも離れ、距離が離れていたようである。
ひょんなことをきっかけに再会し、変わった幼馴染と関係をどうにかしようと桜井は奮闘する。
ジャストサイズの黒Tが似合う素敵な日本男児です。
黙々と物事を片づけるタイプであり、積み重ねる事の意味を元体育会系のため知っている結果、成績は中の上、もしくは上の下である。ただし音楽と美術はダメ。保健体育も怪我の種類、治療法やらの話になると想像してしまい、結構嫌がる。元体育会系としてそれはどうかと。
高校に入ってからはその風貌から何処の学校にもある所謂「不良グループ」に属していた事もある。ただ成り行きであり、あまり自分から強く言う事をしないためズルズルと吸収されたきらいがある。ただし真面目である事の条件がある事と同じように、不良である事にもまず条件が存在し、それは頑と拒否したために自然とその集団から距離は離れていった。
結果一般学生と不良の両挟で孤立している。
中学時代はこんな性格ではなかったがある事件をきっかけにこうなった。
1 復興
「おまえ何やってんだ・・?」
五分前。
「うわぁー遅刻するぅ。」
親友の伊藤香苗の迎えの誘いを断るほどに桜井 梨穂子の今朝はめまぐるしいものだった。
梨穂子の母はのんびり屋だ。朝、娘を一度起こしに行って起きないと「再度時間をおいて起こしに行ってあげる」という概念がそもそも無い。うっかり一度寝過ごすと八時以降になっても放置プレイである。どうやら慌てふためく娘を見るのが好きらしい。趣味のいい事で。
今日はその日だ。
父から借りた目覚ましは心が通わず、性に合わない梨穂子にとって唯一の頼みが一回きりの母の声では遅刻もしたくなる。と、梨穂子は思っている。
―ああ~私自分に情けない言い訳してるなぁ~。
と梨穂子は苦笑いした。
吉備東高校の正門は拷問と言えるほど遠い。校舎が見えてから大きく迂回し、長い坂を登りきった先にある。
―遅刻者をそんなに苛めて楽しいのかな?くっそ~~。
「今日は奥の手を使うしかない!ふっふっふ~。」
そうあれだ。遅刻者の最後の手段。究極のショートカットルート!
正門までの道の坂を無視し、林を駆け上り、穴のあいたフェンスを潜った先には人目の付かないポンプ小屋の前に出る。
リアルに五分ほどは短縮できる夢のルートである。少なくとも何故か時間ぎりぎりにしか行動できない人間にとっては。常習者は結構多いようで、定期的に穴も「補修」されている。
「補修」と言っても逆の意味だが。獣道のようにフェンスの穴の大きさが学生が通れる大きさに維持されているのである。
―あぁ・・ホントにあそこ私が卒業するまで見つかりませんように。
そう思いながら挙動不審な動きで周りを窺い、林に突っ込む。ここを教師に見られたらアウトだ。遅刻確定の上に勘繰られてあの場所が見つかれば他の常習者に迷惑がかかる。本当の意味であのフェンスが「補修」されてしまう。
今日も無事成功。梨穂子ちゃん絶好調!そして見えた!希望の光がさすフェンスの穴!
味気ない緑色のフェンスに空いた穴がぽっかり口を開けて梨穂子を優しく迎え入れる。
―受け止めてくれー!!うが~~!
ずぼっ
―・・ん?あれ?
抜けない。
―おかしいな?
えい!えい!
―うそ・・。
口を開けたフェンスの容量をおそるおそる振り返って見る。・・洩れなくマックス。
飲み込む事も吐きだす事も出来ない。この梨穂子という物体を。完全につっかえている。
押しても引いてもダメだ。浪花節も通用しない。しかしさーっと血の気は引いていく。
もしこのまま抜けなかったら?遅刻は元より無断欠席・・って、明日日曜日だし・・。下手すれば・・月曜まで放置?それに時々ここを利用する遅刻者が来週開眼して遅刻をしなくなったら・・
―・・ひぃぃぃぃぃぃ・・・!
フェンスに挟まれた状態で発見される少女の遺体。
―・・あ。結構普通に怖いかも。怪談認定だね。あはは。
笑いながらも少し涙が出てくる。なんて情けない死に方だ!嫌だ!絶対嫌だ!
「うわーん・・誰かぁ・・・。」
「・・・・?梨穂子?」
「えっ・・。」
ザッザッと後ろから音がする。
カッポカッポじゃ無いのか?白馬の王子様なら。まぁ肝心のお姫様がこの状況では・・。
「・・おまえ何やってんだ・・?」
精一杯首をひねって梨穂子は振り返る。そこには梨穂子とは違う意味で首をかしげている少年の姿があった。
「智也ぁ・・。」
「じゃ、頑張ってな。俺遅刻するから。」
何とも酷薄な言葉が王子から発せられる。
「えぇぇぇぇ!?助けてくれないの?」
第一肝心の抜け穴は自分自身が塞いでいるのだ。どうやって・・。
「よっと・・。」
がしゃがしゃと少し耳障りな音がすぐに消え、タシッという着地音が響き、今梨穂子が羨望する自由を謳歌する智也の姿があった。そんな手があったのか・・。
まるで留置場の高い壁を悠々と越えていく鳥のように雄々しい。
※あくまでこれは梨穂子のイメージです。
「そんなぁ・・。」
「・・・。腹ひっこめろ。」
「え?」
「フェンスの穴少し大きくすっから。」
「助けてくれるの!?」
「別にほっといても面白いんだけど。絵的に。」
智也は両手の人差し指と親指を使って四角い窓を作り、今の梨穂子の惨状を片目で覗きこんでそう言った。
「面白くない~!!!助けて~!」
「はいはい。ほら!腹ひっこめろ。」
「ふひゅぅ~。」
「腹式呼吸がなってない!」
「うぅ・・歌の練習じゃないんだから。ふひゅううううう~~~」
「・・・。」
「あ・・動く!」
「まだ出るな・・。制服に傷付くぞ。」
「あ。うん。」
―はぁ・・久しぶりだなぁ・・智也にこんなに近づくの。
地にへばりついたままの限られた視界だが俯瞰で見える智也を梨穂子はじっと見ていた。
「よし。よ・・・!。」
「え。わっ!!」
ブレザーの肩を掴み、強引に智也は梨穂子をひきずりだす。
「・・でたぁ・・・やったー!!!」
「・・そして時間切れ。」
キーンコーンカーンコーン
御姫様を助けた王子様に与えられたのは遅刻の確定を告げる非情なチャイムだった。
凹む智也をよそに梨穂子は幼馴染との予想もしなかった再会に心躍った。
パタパタと梨穂子が体に付いた土埃を払い取る間に智也は歩きだす。
「あ。待ってよ。まだ・・お礼も言ってないのに。」
「んー?後にしようぜ。」
「ぶ~~」
―そんな事言わずに。お話・・しようよう・・。
「あッりがとうございました!智也は命の恩人ですよ!」
「まぁいいよ。面白いもん見れたし。」
「だから面白くないですぅ!」
「あーあ。梨穂子がいなければ俺悠々間に合ってたのになぁ。」
「う。ごめん。智也。」
「だから面白いもん見れたからいいって言ってんの。」
「・・うーん。ま。いいや。ありがとね。」
「おう。じゃ。」
―くぅ・・ここまで?クラスが遠いのって嫌だなぁ・・。
梨穂子は2-B 智也は2-E。校舎も逆方面である。
「うん・・。」
「あ、梨穂子。一つ言っておきたいんだけど?」
「ん!?何なに!?」
―何何!?
「お前また太った?甘いものは控え目にしろよ。」
「・・・。」
うら若き乙女の押し隠していた心配をえぐるなぁ。
―うぅ・・ダイエットしなきゃ・・。
少し智也はくくっと笑った。
梨穂子も膨れ面を戻し、笑い、そして思う。
―どうやら・・私はまだこの人の事を好きみたいです。
「さくらいー。提出物終わったぁ?」
2-Bの梨穂子の親友、伊藤香苗が声をかける。コンピュータ部の部長を務め、溌剌とした爽やかな少女である。おまけに面倒見も良く、ツッコミどころ満載の梨穂子を世話焼きつつ、楽しみつつ、からかいつつ傍に居ている。
「あー香苗ちゃーん今朝迎えに来てくれたのにゴメンねぇ?」
「いいよ別に。遅刻怒られなかった?」
「うん。特に。」
「桜井は得な性格だからね~。先生も怒りづらい雰囲気してるのよ・・。」
「そうかな~?」
「まぁ特にうちの担任甘いから。おまけに桜井はコレだし。2-Eの多野先生なんか今日遅れた生徒にHRそっちのけでカンカンだったらしいしね。あんまりうるさいんで隣の2-Fの部活の同期の奴がうんざりしたって。」
「ふーん。ん?・・2-E・・?」
「うん。らしいよ。」
「男の子・・・?」
「だと思う」
「智也・・?」
「えっ・・・。」
たたっ
親友を置いて梨穂子は駈け出していた。
「あっちゃ・・心当たりあったのか・・。私マズイ事言っちゃったかな。」
自分の軽率さに生真面目な伊藤は申し訳なさそうな顔で駆けていく親友を見送った。
場所変わり、校舎は2-A,B,Cの前半クラスの向かいにある校舎に梨穂子は向かった。
そこにD,E、Fのクラスが存在している。
そして教室2-Eには・・智也は居なかった。
―あれ?職員室かな。
即刻クラスから目を切り、再び廊下を戻ろうとした時、遠くの方から歩いてくる人影があった。智也だった。
「・・?梨穂・・桜井?」
基本的に二人で居る時以外、彼は名字で梨穂子を呼ぶ。その距離感が昔からもどかしい。それは高校生になった今でも変わらない。気持ちが変わって無いのだから当然だ。
「智也・・。大丈夫?」
「何が。」
「その・・。」
「お・・噂にでもなってたか・・。流石に多野さん騒ぎ過ぎだからな。」
彼は先生を時折「さん」付けで呼ぶ。
「その・・。」
「梨穂子。」
「・・・何?」
「多野さんをどう思ってる?」
「え?」
「いい先生だぞ。あの先生。」
「え。でも凄い声で怒ったって。」
「ああ・・ここんとこ全く俺が遅刻しなかったんで安心しきってた時に唐突に遅刻しちまったからな。ついカッとなっちまったんだろうよ。心配してくれてるからこそだ。」
「・・・。」
「今日はさすがに事情を話すわけにもいかなかったからな・・。実際ズルしてたわけだし。」
「でも・・結局私のせいだよね。」
「うん。お前のせい。」
「え。」
「お前がひっかかってさえいなければ、お前が太って無ければ、お前にフェンスを超す運動能力があれば・・。俺が遅刻する事も、多野さんも怒る必要も無かった。ぜーんぶお前のせいだね。」
「あ・・う・・。」
「・・フェンスの越し方教えてやる。運動力も付いてダイエットも出来る。遅刻も無くなる。一石三鳥だぞ。」
「・・うん!」
梨穂子にとっては一石四鳥だった。
運動力が付く。
ダイエットも出来る。
遅刻も無くなる。
・・この人とまた昔みたいに話せる。
2 吉備東のお局
「あいつか・・。」
「・・どうやらそのようだ。」
昼食時間のテラス。
一人黙々と昼食を口に運んでいる少年を刺すような瞳で二人の少女が物影より目を光らせていた。
一人は光の加減で瞳の奥底が見えない妖しい眼鏡の少女。
一人は長い髪をセンターでわけ、横からは全く表情を窺い知ることの出来ない・・悪く言えば不気味な少女である。話し方も独特だ。
「ほうほう・・なかなかにいい体格しているじゃあないか・・。」
「梨穂っちもなかなか・・筋肉ふぇちとは知らなかったが。」
―・・見られてる。
視線を感じる。近寄りがたい智也を遠くからじろじろと不安そうに見る視線ではない。まとわりつくような好奇の視線だ。
「・・気付いているようだ。」
「そのようだね。よし。行くぞ。」
「・・」
―いや・・そりゃ後ろのテーブルでじっと睨んでいたら普通気付くって。
「おいそこの奴。」
眼鏡の少女が不遜な態度で智也に話しかける。おまけに腕組みしながらだ。
「・・何か?」
「・・・。」
片割れの少女は無言だった。変わりに眼鏡の少女が答える。
「ちょっと付き合え。」
「どちらさまですか・・?」
雰囲気からして後輩、同輩ではない。いやむしろ女子高生の貫録ではない。
智也が敬語になるのも無理は無かった。しかし初めて口を開いた片割れの少女の答えは・・。
「・・桜井梨穂子・・。」
ずる・・。
―なんだそりゃ。
「・・桜井のお知り合いですか?」
「Shut Up!!」
どうやら日本語が通じないようだ。というより智也の言葉を聞く気が基本無いらしい。
「いいから付き合うのか、付き合わないのか?」
「さぁ・・どっち。」
「お断りします。」
「ほう・・気持ちいいぐらいに言い切ったな。」
「いい度胸だ・・。」
「素状のしれない方々にホイホイついていけるほど自分に自信ないので。」
元々絡まれることの多い彼にとって火種に自ら突っ込んでいくのは愚の骨頂である。ただ違う意味でこの二人は・・距離を置きたいと智也は思った。
「素状が解ればいいのか。」
「そういう訳でもないですけど。」
「私は夕月 瑠璃子だ。」
眼鏡の少女はこう言う。
「飛羽 愛歌・・。」
髪の長い少女も続く。
「・・あ、ハイ」
―あ・・そっか・・日本語通じないんだ・・。
唐突な思いつきで海外の旅行に飛び出した青年のような現実を智也は再認識する。
「ちなみに私は茶道部部長だ。」
「私はひょっとしたら副部長だ・・。」
「あ~・・うん。そうすか・・。」
なんとまぁ・・勿体つけた会話だろう。最初の二分はこの世で最も無駄な会話の一種だった事は確かである。
「素状は解ったよな?それじゃあ行こうか。」
「・・はい。もういいです。何をすれば?」
「・・コレだ・・。」
「・・コレは・・!」
「何に見える?巨大なはんぺんか?アオザメは今貴重だ。ウチにそんなに部費はない
ぞ。」
「こたつの天版ですね。」
智也素無視。彼のスルー力は中々の物である。
「・・正解。」
ちょっと寂しそうに眼鏡の少女は頷きつつ
「うん。ちょっとこれ運ぶの手伝って。部室まで。」
こう続けた。
「え。それだけ?」
―・・この会話本来なら十分の一以下の時間で終わるウッスィ~会話だよな・・。
「そうだよ。」
「いぐざくとりー。」
「・・解りました。でも一つ聞きたい事があります。」
「何だ?」
「言ってみろ・・。」
「テラスにわざわざよくこれ持ってきましたね。」
「・・・。」
「・・・。」
茶道部部室―
「これで・・終わりすね。」
「ははは。さっすがに男の子だねぇ!こんなに早く終わるなんてさ。」
「ぐっじょぶ。」
「それじゃ・・。俺はここで」
「あ!待ちな!忙しい男だね。のんびりしていきな。茶ぐらい出すからさ。」
「でも・・俺作法とか知らないし。」
「そんなもん素人に強要するか。」
「・・」
―手伝い強要したくせに。
「瑠璃子・・少し反抗的な目をしたようだぞ。」
目ざとい女だ。
「ま。そうしたくなる訳もワカンネぇこたぁねぇべよ。ま、いいからゆっくりしていきな?アンタとは話してみたかったんだよ。アタシもこの愛歌もね。」
「ふん・・それは確かだ。」
「・・・。じゃ・・御馳走になります。」
「ん・・・。あぁ。おいしい。」
智也は何げなく出された茶道部部室の備品の冷蔵庫から出された冷えた煎茶を飲むと驚きの声を出した。
「淹れたてとホットならさらにまだ香りが増すよ。それにしても・・「おいしい」か・・。なかなか殊勝で控え目ないい言葉を吐くじゃないか。」
「・・確かに。」
「素直な感想ですよ。それにしても・・色んなものがありますねこの部室。冷蔵庫やら、コタツやら・・あとあの・・デカイ茶色い棚何です?すごい中気になるんですが。」
「おっと・・そいつは教えてやれねぇなぁ。」
「そこは企業秘密だ・・。見たければ・・。」
「あ。結構です。特に見たくも無いのに気になるとか言ってすいません。」
「・・残念だ。」
「あんた・・茅ヶ崎智也・・だっけ?」
「はい。あ。俺結局お二人の名前だけ聞いて自分の自己紹介していませんでしたね。失礼しました。2-E 茅ヶ崎 智也です。」
「知ってるよ。梨穂っちから色々聞いてるから。」
「耳タコ・・。」
「あいつが?俺の何の話を?」
「私らの口からはちょっと・・ねぇ・・?」
「・・・。ねぇ・・。」
「・・。お二人とも三年生ですよね。でも今の時期って・・。」
「ああ。本来なら次期部長に引き継いで引退ってとこなんだが・・いろいろ事情もあるし、アタシらも受験勉強の傍ら癒されたい事もあるのさ。」
「梨穂っちも癒してくれるしな・・。」
「そうだね・・あの子は次期部長を任すにはちぃと頼りないしアタシらも心配なんだけど居るだけで場が和むからねぇ。御もてなしが身上の茶道では垂涎な才能だよ。アタシらが・・というか大抵の人間が望んでも持てない物持ってるねあの子は。」
「成程・・解る気がします。ほっとけないという点については。」
「それだけかい?」
「?」
「ま、いいか。」
「ふ。」
「・・?」
「まぁ時々でいいから顔だしな。お茶も美味しそうに飲んでくれるし、あたしゃアンタを気に入った。」
「今度は茶菓子も出してやる・・。」
「・・有難うございます。次は何をすればいいんでしょうかね?」
「ははは。いい勘してるよ。タダより高い物は無いってね。ま。その都度何かあったら声をかけて見るさ。」
「解りました。では・・失礼します。」
「ふむ。」
「成程・・梨穂っちのお気に入りだけのことはある・・。」
「『見た目で誤解されやすいけどとってもいい人なんです!!』か・・。少し皮肉屋なところが玉にキズだけどねぇ。」
「責任感もありそうだ・・。だが・・。」
「ん・・なんだい?」
「帰宅部である事が不思議な男だな・・。体格といい性格といい・・。」
「確かにね。梨穂っちの話じゃ高校入ってからは部活動に一切属して無いって話だから。」
「解せんな・・。」
「ま。アタシらと一緒でそこは深い事情があるんだろうさ。でも逆に考えればアタシらにとっては好都合!」
「だな・・。我らが茶道部の為にも。」
「我らが梨穂っちの為にも!」
吉備東高校茶道部。
11月半ばの時点で正式部員数三名。内二人が三年生。文句なしの存続の危機。
3 ひとり
・・またあの夢か。
まるで録画した映像を繰り返してみるようなあの夢。
まだ夜中の三時だと言うのに智也の眼は冴えていた。こんな中途半端な眠気ではまたあの夢を見てしまうかもしれない。
例えうたた寝であろうとほんの十五分のうちに夢を見る事は可能なのである。
そして智也の言う「あの夢」が「再生」し、終えるまでには十分な時間である。
それ程に短い時間だったのだ。
現実に起こったあの出来事とフラッシュバックのように繰り返される「あの夢」は。
「茅ヶ崎。」
「はい。」
「・・よし。」
小声でそう付け加え、2-E担任の多野は出席確認を続けた。
メガネの奥に一見陰湿な鋭い光を持つ目があまり好かれない教師ではあるが生徒指導の一貫性と生真面目さが結構に智也は気に入っている。
「鷲田。」
「はい。」
「よし・・HRを終わる。日直は黒板を消しておきたまえ。」
事務的で威圧的な態度を崩さず、多野は教室を出た。
途端教室中が「はぁ~。」と、息が漏れる。
「相変わらずあの先生いつも機嫌悪いよなぁ・・。」
「ちったぁ愛想見せればいいのによ。あの見た目であの態度じゃ・・。」
―そうでもないぞ。
と、智也はそう思う。
多野のあの「よし・・。」と言う言葉には隠しきれない安堵のような感情がこめられていることが智也には解る。
いつも誰かの欠席、または遅刻等があると何らかの反応を示すのも多野の特徴だった。
ほんのわずかな沈黙の時間であるが考え込むような「間」が存在するのである。
それは担任であれば当然のことなのかもしれないがそこに抱く感情が多野は真っ直ぐなのである。無責任でも諦めでも無関心でもない。純粋な心配と不安と責任感が混じった様な沈黙なのである。いつもスキがないように心がけている人間同士。それがはっきりと知覚できる。
昼休み。中庭にて。
「ねぇねぇ桜井。」
「んー?」
お弁当のフォークをくわえたまま力の抜けるような鼻声でそう言いながら理穂子は真ん丸い目で彼女の親友の伊藤を見る。
「ちょっと聞きたいんだけどいいかな?」
「んー?」
「茅ヶ崎君のこと。」
「ん~?」
「付き合ってるの?」
「ん~!!????」
「ははは~何言ってっか解んねぇけど色々解った~~」
―フォークを口から出せばよかろうに・・。何ゆえわざわざそんなめんどくさい反応をするのか・・。首を必死で横に振っているから否定をしているのは解るがその態度は余計な情報まで垂れ流しにしてしまうぞよ?親友よ。
「ま。桜井のことだからそんなこったろうと思ったけどさ。なんやかんや長くない?」
「ん~~~。んぁん!ん~ん!」
「わからん!とりあえず口からフォークを出せ!」
「最近また話せるようになったとか、この前は血相変えて飛び出していったとかあったし、ちょっとは何かあったのかな~とか思ったけど相変わらずか。」
「何かあるって・・何?」
梨穂子は少し顔を紅潮させて上目遣いで親友を睨む。
「それを私の口から言わせるな。こっ恥ずかしい。要するに桜井がどうしたいかってことよ。」
「・・。」
「はいはい・・わかんないってことね。」
「そりゃあ・・どうにかしたいって気持ちはあるよ?でもこのままでもいいかな~って思うときもあるし・・。」
「う。なまじ共感できるだけになんにも言えない。」
「・・そっちも?」
「そ。相変わらずよ。桜井よりかは暗躍しているつもりなんだけどな・・。」
「あんやく?」
「密かに手を打ってるってこと。でもダメだあいつぁ~!子どもだ!」
ガンガンと伊藤は座っているベンチを握りこぶしでたたく。
「でも・・茅ヶ崎君って・・ちょっと印象変わったって言うか・・中学から見てるけど・・なんていうか掴めない人よね。」
「うーん。香苗ちゃんでもそう思っちゃうんだ・・。」
「・・?そうでもないの?」
「うん!変わってないよ!智也はあの人のまま。変わってない!」
「そこまで言い切れるんだ・・。愛だねぇ・・。けど私みたいな第三者から言わせればホント茅ヶ崎君の印象ってコロコロ変わるんだよね。」
「やっぱりそうなのかな・・。」
「うん・・桜井には悪いけど高校入ってからびっくりしたもんね」
智也は高校入学当初、何処の学校にもある所謂不良グループに入っていた。
もともと体格が良く、腕っ節が強い。表情も豊富とは言えない為、威圧感がある。
乱暴者ではないが必要以上に自ら自分というものを大きく出さないため、彼の印象は完全に周りの評価によって決定づけられる。
そのような状態になるとまず彼に近づく人間は限られてくる。
事無かれの遠巻きから見る人間よりも「そういう人間」に需要がある人間。
自然とそのようなグループに吸収された。
結果彼のイメージは確固たるものになる。
「近づいたら何をされるか解らない人物。」
しかし・・智也はそのような周りの評判、印象に合わせた行動をする事は最後まで無かった。「不良」も「不良」である以上やらなければいけない行為というものがある。
それが彼らの「誇り」であるからだ。
反社会的と言われようとも通さなければならない筋がある。彼らの言い分を。
しかしそれを受け入れる事は智也には出来なかった。受身で投げやり的な立ち位置により自然とグループに入った彼であるが、ある種の不動の線引きが彼の中には敷かれていた。揺るがない強固な境界が。
結果グループと智也の間柄は特に大きなトラブルも無く自然消滅する。しかし残ったのは彼の孤立と宙ぶらりんな立ち位置だけだった。
ただ・・それでいいと彼は思ったのだろう。
その状況を変えようと足掻く事もまた特に他の誰かと接しようともしなかった。
不良との線引きも確固たるものなら堅気の側に対しても越え難い線引きも彼は行っていた。
そしてその原因を梨穂子は解っていた。
「中学の始めの時と高校の初めと今の茅ヶ崎君・・アタシにとっちゃあ目まぐるしすぎるぐらい印象が変わってどーにもなんないんだよね・・。」
「・・・。」
「でも・・仕方ないよね。」
「ん?」
「好きになっちゃったもんは・・。私も楽な方に行こうとな~んど思ったか知んないけどサ。仕方ないのよね・・。好きだもん。」
疲れたように伊藤は苦笑した。自分への呆れと気付かない相手への呆れと消しきれない好意をにじませた親友の手を梨穂子は握った。
「・・・ちょっと桜井?」
「えへへ・・。」
温かった。同じ「温度」だった。
普通同じ温度の物同士であるならばそう大した感覚は働かない。自分の掌と掌を合わせたようなものだ。しかしこれの意味あいは少し違う。
彼女たちは「同じ」だった。
同じ温かさを以て誰かを想っている。その温かさは同じだから。
それを親友と共有している事が梨穂子は嬉しかった。
「よーっす。茅ヶ崎!」
「・・梅。久しぶり。」
「梅ゆーな。」
「梅原。久しぶり。」
「・・・。やっぱ梅でいい。どーよ最近。」
「お前こそどうよ最近。剣道部には顔出してんのか?」
「いや・・ちと幽霊部員気味・・先輩引退してからなーんかモチベーション上がんなくてよ・・。」
「実家の寿司屋が忙しいんだろ?仕方ないよな。」
茅ヶ崎は単に梅原が「憧れの先輩が居なくなった」、ただそれだけの理由で幽霊部員気味になった訳ではない事を知っている。
この梅原が軽そうに見えて実家の稼業に対して真摯で真面目に、かつ貪欲に知識を吸収している事を良く解っていた。
彼は三人兄弟だがその全員が家業を継ぐ事に抵抗を持ってないかなり稀有なブラザーズである。梅原は兄弟仲が悪いように振舞っているが、実は兄弟三人で安くて美味くて誰でも食いに来れる寿司屋をこれからも守っていくことが夢だと時々茅ヶ崎に語ってくれた。いい意味でも悪い意味でも真っ直ぐな奴だった。
「そんな風に言ってくれんなよ。ただ行き辛いだけだって。」
「ふん。」
「で、茅ヶ崎。オメ-はどうなのよ。・・正直お前が入部してくれりゃ俺なんかより遥かに即戦力だと思うんだけど?」
―・・・。
茅ヶ崎の中の何かがずるりと重く揺れ動くのを感じながらも梅原は訂正しなかった。
実は軽い気持ちなら「冗談だよ。」とおどけなければいけない程、この梅原の一言は茅ヶ崎に重い意味を持っている。つまり梅原は本気だということである。
「・・。遠慮しとくよ。何だかんだで俺らも直に高3だしな。第一こんな時期に入部してきた奴に色々部内引っかき回されんのも迷惑だろ?おまけに「俺」だし。」
「・・・」
―何言ってんでぇ。お前がもっと自分出していたらそんな事にはならなかっただろうに。
・・自分からそういう風に仕向けた癖によ。
梅原は頭の中で苦言を言ったが、苦言を頭の中に留めた。彼が茅ヶ崎の事をよく知っている人間であるからだ。
紛れもない二人は親友同士である。
「そっか。残念。ま。気ぃ向いたら何時でも来いや!」
梅原はいつもの軽い調子に戻ってそう言った。
「・・・それはちゃんと部活動に出ている人間が言う台詞だな。」
「はは。違ぇねぇ。」
「俺行くわ。次多野さんの授業だ。」
「お。そりゃやべぇな。チャイム鳴ったら席座ってねぇと怒られるらしいじゃん。」
「そうなんだよ。じゃ。」
「おお!」
―はぁ・・今日も今日とて勧誘失敗、と。部活勧誘上手で通っている俺もあいつにかかっちゃ型なしだわ。
茅ヶ崎と梅原は中学時代、同じ剣道部に所属していた。
二人の中学校の剣道部は当時非常に厳しい部活動として知られていた。が、茅ヶ崎は幼少のころから剣道を習っていたため、全く躊躇なく入部を決める。退部率の高い規律の厳しいその部活動に対しても比較的自然に溶け込んでいき、口数は決して多い方ではないが明るさも向上心も持ち、その姿勢を周りも評価していた。
梅原はその茅ヶ崎の姿に惚れこんで途中入部した部員である。
初心者の梅原にとって中々に辛い下積み時代だったが茅ヶ崎の協力も在って何とかやっていけ、実力はそこまで無くとも生来の底抜けに明るい性格とノリで二年進級後、いつしか部内のムードメーカーの立場を射止めた。正直天職だろう。
その立場が彼は嬉しかった。
これから恐らく部の先頭に立っていくだろう友人、茅ヶ崎を支えられる立場になれる。
そう思っていた。
・・だが二年の冬。
その茅ヶ崎は突然部を辞める。梅原に何の相談も無く。
積み重なった事情を鑑みれば納得出来る、納得しなければならないものなのかもしれない。が、梅原はそれでも納得できなかった。
茅ヶ崎の事も、ムードメーカーの役割を果たせなかった自分も含めて。
―何故よりによってあんな時に俺はあの場に居なかったんだろうな?
自責の念が梅原にはあった。
―・・皆で話しあったんだけど。茅ヶ崎。お前は主将として不適格であるっていう結果が出た。お前が出張ってたんで欠席裁判みたいになって申し訳ないけど了承してくれると在り難い。次期主将は俺が任されたから何か引き継ぎがあったら教えてくれ。
―・・解った。頼む。
「・・。またか。」
全く何度も何度もよく見せてくれる。目を開けるといつもの味気ない天井が智也の眼に映る。深く息を吸って逞しい右腕で両眼を覆い、記憶を反芻する。
中学二年の夏。
智也が所属する剣道部の顧問が急逝した。
国公立でありながら剣道の強豪校だった智也の中学を支えていた重鎮の顧問。
厳しく、愛想が無く、無口。自分を出そうとしない男で自分の評価を完全に周りに委ねていた。・・そういうところが今の担任の多野によく似ていた。
さらに共通しているのは生徒に対する指導の一貫性。
誰わけ隔てなく厳しく接する昔堅気の人間であり、良くも悪くも好みの分かれる人間だったと思う。
智也は言うまでも無く前者だった。
もともと彼の父も祖父も厳しい人間であるため、彼にとってはさしたる気にはならず、他一部の部員の様に顧問の厳しさに萎縮し、距離を置いたり、避けたりする必要も無かった彼はその顧問の厳しさの中の人間臭さや優しさに触れる事が多かった。
やたらと食い物や茶に煩い人だった。
部活動を終え、ノンレギュラーの先輩にパシリにされて度々職員室の彼に練習内容の報告に行くのを楽しみにしていた。
茶と菓子を美味そうに一人頬張っている場面を何度か目撃し、口封じの為、何度か馳走になったりしたものである。
「今日の茶葉は○○だ。高いんだぞこれは。」とか。「友人の茶畑で採れた茶葉だ。感想をくれ。」とか。「今日の和菓子は和三盆を使ってる。一味違うぞ。」などなどやたら濃い、そして人間臭い一面を見せてくれた。
さすがに
「実は俺は茶道部の顧問になりたかったんだ。校長に直談判して苦笑いされたよ。」
と言いだした時は笑いをこらえる事は出来なかった。
このキャラクターをもっと多くの人間に見せていれば彼の評価はまた違っていただろうにと、何度も思った。
煙たがられる事も無かったはずだ。
結局端々に人間臭さを見せてくれ、尊敬していた顧問は智也を次期主将に任命した二週間後、急逝した。脳溢血だったと聞いている。
顧問の厳格さという支柱を以てバランスを保っていた剣道部の瓦解は自然だった。
張り合いを失った部には空気の弛緩が顕著に表れ、また、三年生が部を卒業した直後ということも相まって統率をとることに難しさが生じる。
やはり中学生。
足を止めてみると周りが見え、ストイックだった自分らの学校生活から少し離れた場所に行くと色んな誘惑がある。目移りしてしまうのも仕方ない。
(それは決して悪い事ばかりと一概には言えないのだが。)
その非常に難しい時期の主将を任された茅ヶ崎はその煽りをもろに受ける形になる。
尊敬していた顧問の遺志を継いで部を鼓舞しようとした智也と、鬱積し、内包されていた不満を顧問の死を機に顕在化し始めた部員との摩擦が起きる。
智也は少数派に回った。
急逝した顧問の本質を知っていた人間と知る事が出来なかった人間にくっきりと分かれる形になる。それが辛かった。
恩師のしていた事は伝わりにくくとも確実に自分達に対する「善導」。
それが伝わっていない事が悲しかった。
恐らくもう一年卒業まで顧問と共に居ればこんな事にはならなかっただろう。
智也が尊敬していた彼の本質に出会う事が出来た部員は少なくなかったはずだ。
しかし・・「間」が悪すぎた。
本来の主将の発言権は望むべくも無く、そして彼が他の雑事で出張っている時、そして梅原が私情で休みだった時を狙われる。多数派は少数派を丸めこみ、智也の主将不信任を決定づけ、後日、本人には結果だけを宣告した。
智也はそれを受け入れ、翌日ひとり退部した。
主将を後任に引き継ぐ際、「少数派に回った部員を決して蔑にしない事」を条件につけて。
その出来事以降、
彼は変わった。
4 智也 安らぎの日々
「よ」
「・・・」
夕月と飛羽のそれぞれの手が下校直前の智也の両肩を捉えた。
「暇かい?ちょっとツラかしな」
「・・悪い様にはしない」
「構いませんけど・・先輩方・・俺なんかに構ってていいんですか?」
『今は三年生の大事な時期だ。今の彼らを今のうちに見ておけ。自分が一年後どういう状態か、そして今どうすればいいか少し見えてくるだろう』と、最近担任の多野が言っていた。今を楽しんでいるまだ気楽な二年生にとっては鬱陶しい言葉かもしれないが多野らしい中弛みをしている二年生の生徒にはとてもいい言葉である。この言葉が一年後になって自分も含めて骨身にしみる連中も多いはずだと智也は思った。だが・・
「安心しろ。こー見えてアタシ達は成績と外面はいいんだ」
「無問題・・」
「ほら、いくよ」
この二人は例外のようである。もともと高校生離れした雰囲気の二人だ。例外であっても不思議ではないのかもしれない。
茶道部部室
部室に踏み入ると先日、智也が運んだコタツの天版の上に上半身を預け、恐らく「ふー・・やっぱり冬はコタツに限るねぇ」などとジジ臭く供述していただろうと思われる梨穂子がいた。
「邪魔するよー?梨穂っちぃ?」
「・・失礼」
「あ、るっこ先輩、愛歌先輩いらっしゃ・・・・・・い???」
コタツによって骨を抜かれた梨穂子がふにゃふにゃと脱力した声で出迎えようとしたが、二人の先輩に連れられた客人を直視して徐々に声がフリーズしていく。
「・・お邪魔です」
「と、ととととと・・」
「おー梨穂っち。今日は新入部員を連れて来たぞー喜べ」
「・・生きがいいぞ」
「勝手な事言ってないで今日は何すればいいんですか?先輩方」
「智也―っ!?」
八秒ほど遅れて梨穂子の時は動き出した。
「・・おそ」
「ハエが止まる・・」
「と、ととと智也。ええと手を洗って、歯を磨いて・・よし!いいよ!お休み!!」
「「「落ち着け」」」
三分後
「と、いう訳でこの前コイツにこのコタツを運んでもらってな。そしてお礼に茶で餌付けをしたらすっかり懐かれてしまったわけだよ。いやぁまいったまいった!もてる女は辛いねぇ」
「・・照れる」
「また適当な事を・・人をパシっておいて」
「・・・智也」
「あ?」
「・・ホントなの?」
「りほっち・・」
―うわ・・本気にしてるよ。この子。
「コタツ運んだのはホントだけど他は本気にすんな。まぁお茶は美味しかった事は確かだけどな」
「素直でよろしいね。・・ほら、お望みの茶だよ。今日は淹れたてホットだ。香りが違うよ~~?香りが」
急須で丁寧に注がれた緑茶の色は綺麗な淡い緑色。見事である。
「りほっち?たしか羊羹あったよな?コイツに出してやんな」
「あ、は~い」
梨穂子はこたつから出て部室の冷蔵庫をがさがさと漁り始めた。
「本当に今日はお茶菓子付きですか」
「あの仙石堂の栗羊羹だよ。高いだけあって美味いぞー?ホントならアタシ一人で丸っかぶりしたいところだったんだが・・」
「そんなことはさせません!」
栗羊羹を両手でひしっと抱き、何時になく強い口調で梨穂子は言った。親を守る子供のような強い眼差しである。
「聞いてたのかい・・。食いもんがかかるとこの子は何時もコレだ・・」
「地獄耳・・」
「はい。ちゃんと切り分けましょう。仲良くね」
「・・・そんな見比べたって一緒だって」
包丁でうすーく切り分けられ、皿に二切れずつ綺麗にそえられた美術品のような美しい羊羹を鑑定士のように梨穂子は眺める。もっともその鑑定基準は至ってシンプルである。
「どっちが大きいか、量が多いか」これに尽きる。
「こっち・・・うーんやっぱりこっち!」
「ようやく決まったか」
「んー・・あー・・でも見直すとそっちの方が大きいかも・・」
未練がましそうに選ばなかった方をじっとりと眺める。食いにくいったらありゃしない。痺れを切らした智也は梨穂子に選ばれなかった方の皿の羊羹の一切れをひょいと取り上げ、一飲みにした。
「・・うまい」
「ああ・・・うう」
手元に二切れが残っているのに梨穂子は自分の子供の双子の内一人が連れて行かれた母親のような悲しい顔をした。
「・・ほら。もう一切れやる」
「え?」
「これだったら大きさどうのこうのじゃないだろ?」
「いいの・・?」
「ああ・・ただし・・だ」
「え?」
「羊羹のカロリーは和菓子とはいえ高い。平均約300カロリーだ。一切れ増すごとにそのカロリーを消費するには反復横とび往復、腕立て、腹筋、スクワットも50回ずつ必要となる・・お前にその覚悟があるか?」
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
全く以てでたらめの数字なのだが当然梨穂子は真に受ける。彼女にとって「カロリー」という横文字を出すだけで発狂ものなのだ。
「ほー・・ということは三切れで合計全ての運動を150ずつする必要があるワケだ?」
「ふむ・・解りやすくて梨穂っちには丁度いいな・・」
「いや~?百から数える事が梨穂子に出来たらいいですね」
「あわわわ・・」
思いがけない羊羹達の親不孝に母親の梨穂子は戦慄を覚える。
―ふふふ・・。やっぱいいわぁこの子。リアクションが可愛くてぇ・・。
―まさに愛玩動物・・。
―・・。この羊羹マジでうまいな・・うん。今度買ってこよう。
梨穂子を除く三者三様、思い思いの身勝手な感想を述べて同時にお茶をすする。
三十分後
お茶会の後、智也が変わりに押しつけられた仕事が茶道部部室の備品管理だった。
以前、智也が気になっていた茶色い棚の中身を整理し、申請を行う作業との事。
腹ごなしには物足りない作業だと智也は思ったが・・甘かった。
智也はこの作業で茶道部の本質の一旦を垣間見る事になる。
「よっし・・梨穂子、チェックの用意いいな?いくぞ~」
「うん。どうぞ~」
「まず茶の陶器が三個、紅茶用のカップが三脚、茶の<略>、茶の<略>」
「ふむふむ」
「・・・・む?」
「どうしたの?」
「・・サッカーボール?」
「ふんふんサッカーボールね」
「ピンポン玉に・・ペンラケット二つ・・おまけにシェイクハンドラケットまで・・」
「ふんふん」
「将棋盤に囲碁セット・・?」
―何部だよ?ここ?
「ふんふん」
「・・・!!??釣り竿!?スピニングリールとベイトリールの一式・・ルアー多数・・」
「ふんふん」
「懐かしい!旧型携帯ゲーム『キッズ』!ソフトも・・なんか入ってる。点くかな・・?ダメだ・・電池が無い」
「ふんふん」
「・・恐竜の模型。多分トリケラトプス」
「ふんふん」
「・・ダンベル二個」
「ふんふん」
「・・ミニカー二つ」
「ふんふん」
―もう何が来ても驚かねぇ・・。
智也がそう思ったその矢先。
「ん・・・?うわっ!びっくりしたぁ・・・」
「どうしたの智也?」
「・・じ、人体模型」
「ふんふん」
「・・・なぁ梨穂子?」
「ん?なぁに?」
「お前・・驚かないの?」
「何が・・・?」
「いや・・この棚に入っていたモン見てさ・・」
「・・・智也」
「あ?」
「気にしたら負けだよ」
「・・」
―・・俺の知らない梨穂子がいる。可哀そうに・・。洗脳されてやがる。
「・・・。でもこれ申請して通るのかよ?」
「大丈夫。都合悪いものは省くって、るっ子先輩が」
「政府か」
「どうだい?終わったかい?」
「・・もたもたしてんじゃねぇぞー」
そうしているうちに三年生コンビ―梨穂子の洗脳の下手人は意気揚々と帰ってきた。
「はい。るっこ先輩」
「ふんふん・・コレとこれとこれは省いてと・・よし・・コレでOK。これで提出してきな梨穂っち?」
「は~い」
―不穏なセリフが所々聞こえた気がするが・・。
「茅ヶ崎・・」
智也のそんな疑問を見透かしたかのように飛羽が話しかける。相変わらず目ざとい。
「何でしょうか」
「何か変わった事は無かったか・・?」
「・・何の事です?」
「・・よろしい」
「して・・先輩方はどこで何を?」
「何・・他にも茶道部用の倉庫があってな・・そこも同じように整理をしていた所だ・・」
とことん業の深い部活・・茶道部。
「・・参りました」
数分の思慮の後、智也は両手を胡坐で座った両太股に乗せ、恭しく頭を下げてそう言った。
「ふむ。有難うございました・・」
応じて飛羽も少し頭を下げる。
「え?え?どうなったんですか?」
そのやり取りを見ながら梨穂子は目線を双方に右、左する。今日の小学生に横断歩道を渡る際是非見習ってもらいたい。
「・・俺の完敗」
「何・・お前もよく戦った・・」
そう飛羽は言ってくれたが所詮、飛羽側の飛車、角落ちのハンデ付きの勝負での負けである。棋力の差は歴然だった。
「ま。愛歌は将棋の腕はプロ級だからね。ウチの学校の将棋部でもこの子に勝てる奴はいないんだよ」
「・・この将棋盤も将棋部に勝負を挑んで勝った際に戦利品として奪ったものだ・・懐かしい・・あれももう二年前の事か・・」
しみじみと思い出を反芻するように恐ろしい事実を淡々と飛羽は語る。ツッコむべきか流すべきか・・。智也の苦悩は続く。
「あの時は大会前だと言うのに将棋部の副将と大将を破ってしまってな・・今考えると気の毒な事をした・・」
「・・・」
―勝てそうもない訳だ。
「さてと・・勝負も終わった所でぼちぼち帰るとするかねぇ?」
「・・そうですね」
「茅ヶ崎。今日もおかげで助かったよ。・・それにしても・・あんたが部室に居るのは既に違和感がないね。どうだい?このまま茶道部へ入部するのは・・?」
横目できらりと薄く閉じた目を光らせ、夕月はそう言ったが・・。
「・・・?どうした梨穂子」
「・・お~い。無視かい」
「ん~っ・・・」
梨穂子は対局が終わった後にまだ駒が残された将棋盤を凝視している。
「・・どうかしたか?梨穂っち・・?」
「・・智也?ちょっと確認していい?この・・お馬さんってこう動けるんだよね?」
―お馬さん?桂馬の事か。
「・・ああ」
「で、この銀さんが・・こう、で、こうだよね?」
「そいつは斜め後ろにも二つ動けるよ。こことここ」
「あ、そっか・・んーでも・・」
「・・・?」
「智也がこうしたらどうだったかな・・?愛歌先輩が次こうするとして・・」
「え?」
「・・・!」
普段滅多に表情の変わらない飛羽の双眸が少し見開いた。
「ほう・・いなされたな・・梨穂っち・・将棋をした事は?」
「え?無いですけど・・」
「ほう・・梨穂っちには将棋の才能があるのやもしれんな・・」
「またまた~そんなの無いですって~」
謙遜では無く本当にそう思っているようである。照れながら梨穂子は折角道が生きた対局の将棋盤の駒を片づけてしまった。
「あーあ・・勿体ない」
「・・問題ない。駒の配置と持ち駒は既に記憶してある・・帰ってゆっくりと続きを楽しむとしよう・・ふふふふ」
どこぞの漫画のような台詞を吐いて飛羽は嬉しそうに自分のカバンを持ちあげた。
やはり雰囲気が女子高生じゃない。
「? ? ?」
梨穂子はまだどういう状況か掴めないようで頭の周りから?マークが消えようとしなかった。
「・・梨穂子。帰ろう」
「失礼しました」
職員室に茶道部部室の鍵を返した梨穂子が扉を出てキョロキョロあたりを見回す。すると吉備東校の各部活が現在所持しているトロフィーやら賞状の入ったガラスケースを見ている智也の姿を見つけると少し笑顔を見せて駆けよった。
「御待たせ。智也」
「・・おう」
「ん~・・?どうかした?」
「・・将棋部・・地区で三位じゃん・・」
「あぁ・・助っ人で愛歌先輩が参加したらしくって・・凄いよね~愛歌先輩」
それでも団体戦で三位である。一人がずば抜けて強かろうと全体のレベルが高くなければここまでの成績は残せまい。その副将と大将を破ったと言うのだから・・。
「あ。そうそう。ちなみにこの書道部の地方大会優勝はるっこ先輩がこれまた助っ人で入ったんだよー」
無邪気に笑ってそう言った。
―梨穂子には言えないが人材の墓場かよ。茶道部・・。スペックが高すぎるぞあの二人。
そして何と言ってもその二人にこれ以上なく気に入られ、二人が驚く潜在性を持ち合わせ、その二人が羨む独特の雰囲気を持つこの梨穂子という自分の幼馴染の少女を見る。
思った以上に梨穂子は凄い奴なのかもしれない。と。
「・・智也」
「・・ん?」
「・・お腹すいた・・何か食べて帰ろ?」
「・・」
ホッとすると同時にこの脱力感は何だろう?
背負ったリュックの肩ひもがずるりと垂れ下がり、呆れ顔の智也を見て昔と変わらない屈託の無い笑顔を見せて梨穂子は笑った。
彼女の茶色い髪が沈みかけの太陽の最後の抵抗を受け取って紅く光る。
それに応えるように薄く笑って智也は先に駆けだした梨穂子を見送った。
そしてまたちらりとガラスケースを見る。
そこには
「新人戦 優勝 吉備東高校 剣道部」
と彫られたトロフィーがあった。
「・・・・」
時間にして二秒に満たない時間だった。智也は歩きだす。
その夜―桜井家 梨穂子の自室
「やっぱりあの人と一緒に居ると楽しいよ。シュナイダー」
梨穂子は両手で抱え上げたぬいぐるみを前に寝間着姿でそう言った。
微笑ましい光景であると文章で感じるかもしれないが彼女が抱え上げている「シュナイダー」と呼ばれたぬいぐるみは・・ワニである。カラーリングも緑と結構リアルだ。
しかし、梨穂子という少女にとって何よりもそれは可愛い宝物だった。
もっともこれを貰った当時、流石に梨穂子も「ワニ」という悪く言うならゲテモノ動物の縫いぐるみに少し戸惑いはしたものの、くれたのが他でも無い智也だったのでその日から小さい頃に両親がくれたクマノミの縫いぐるみに変わり、それは彼女の宝物になった。
小学生低学年の時に貰ったプレゼントを宝物として高校二年生まで持ち続ける。その歴史は彼女の片想いの歴史と共に在り続ける。
「ワニは子供思いなんだぞ。産卵した瞬間に放っておく魚なんかよりずっといい奴らなんだからな!」
図鑑で聞きかじった知識を自信満々でふんぞり返って話す意地っ張りな智也を思い出す。
(「クマノミも子供を育てるんだよ」とは言えなかったが)
変わってしまったと皆が口を揃えて言う彼を梨穂子は真っ直ぐ捉えて確信する。
そりゃあ彼は変わったかもしれない、でもそれは男の子が成長する上での当然の変化、根っこの所は変わって無い。あの人はあの人。優しくて、あったかくて、少し意地悪で、静かだけど私の話をじっとゆっくり聞いてくれる。
そして・・・とっても意地っ張り。
見てたよ。
そんなに寂しそうな顔をしないで。
そんなに悲しい目をしないで。
貴方は気付かれていないと思っているのかもしれないけど。
ちゃんと気付いているんだから。
その日、シュナイダーを抱きしめたまま梨穂子は眠った。