ルートS 8 小動物 吠える
―・・・何も。
言葉が出ませんでした。会話になりませんでした。あれだけ練習したのに、あれ程皆さんに協力してもらったのに。
棚町先輩、桜井先輩、伊藤先輩、逢ちゃんに美也ちゃん。そして御崎先輩とそのお友達の人達にあれ程協力してもらったのに。励ましてもらったのに。
やっぱり私・・ダメです。本当に本当にごめんなさい。
「・・・。今日は日が悪かったかい?面接の日を改めようか?よかったら紅茶でも飲んでいって行ってくれ。いつも来てくれた常連さんだし、一杯ぐらい今日は奢るよ」
面接に折角時間を割いてくれたファミレス―JORSTERの店長さんはそう言って私を励ましてくれました。でも私はただ謝る事しか出来ませんでした。
私は―
一番皆さんががっかりする事をしてしまいました。
「くすん・・・くすん・・」
JORSTERのいつもの席で鼻をぐずぐずと啜りながら中多 紗江はいつも通り一人の「お客」として席についていた。
「面接に落ちる」では無く、そのスタートラインにすら立てなかった自分が恥ずかしくて悔しくて溜まらない。
「・・・さ~~えちゃんっ?」
その彼女に優しい声をかけながら向かいに座る癖毛の少女の姿がある。棚町 薫であった。
「・・棚町先輩」
「『残念だったね』って言うのも変だけど。ま。とりあえず日を改めよっか?・・色々あったもんねここ数日」
ここ数日―確かに「色々」あった。でも同時にその事はJORSTERにとって全く関係の無い事と言うのも事実である。それは言い訳にならないと中多は解っている。
「・・すみません。くすん・・」
「ただ店長によるとちょっとシフトと他の人の面接の関係でだいぶ期間は開けるかもって話よ。悪いんだけどそれでいいかな?」
「はい・・何から何まで本当に・・」
「う~~うん。・・正直さ?私も謝んなきゃって思ってたからこれぐらいさせて?」
「・・・?『謝る』・・ですか?なんで棚町先輩が・・?悪いのは全部私なのに・・」
涙目を思いっきりまぁるく見開く後輩の少女にまるで実の妹を見る様な優しい眼で棚町は微笑みこう言った。
「実は・・私ね?『お金持ちの子のちょっとしたヒマつぶしとかなら遠慮してほしいな』って最初考えてたの。でもね・・今日の日の為に紗江ちゃんが御崎君や他の皆と一緒にたくさん努力して頑張ってる姿見てたらさ?なんて失礼なこと考えてちゃったんだろうって思ってたの・・謝らせてね。ホント・・・ゴメンね・・この通り」
棚町は頭を下げる。
「~~~っ!」
その棚町の言葉への嬉しさ、そして同時自分に対する悔しさ、情けなさを振り切るように中多は唸り、ぽろぽろと流れる大粒の涙を拭い、掃ってポケットの中に手を突っ込む。そこから何とも可愛い彼女愛用のガマ口の財布を取り出し、「今日は俺の奢りでいい」と、店長が言ってくれたドリンクバー代を机の上に置く。
百円玉三枚、五十円玉一枚。その内の五十円玉がからから、くるくると覚束なく机の上を舞い、転がる。最後に共鳴を残しながらようやく裏面を天井に向けた。
まるで今の中多の様であった。
心許なく、覚束ないままふらふら、何もかも手探りでがむしゃらに足掻き、彷徨いながらココに来た。しかし、成果を見せられず見事盛大に失敗して打ちのめされ、倒れ込んだ今の自分の姿と机の上の硬貨を重ねる。
「・・・」
転がる四つの硬貨を中多はじっと見つめた。
たった350円。高校生どころか小学生ですらさして大した印象を持てない額だ。「使おう」と思えばほんの一瞬で跡形も無くなってしまう額である。
ただでさえ恵まれた家庭に生まれた中多にとってはほんの些細な出費。
しかし―実際はその内のほんの一円すらも自分の力によって手に入れた物では無いのだ。
彼女が心より尊敬し、大好きな父がいつも朝早く出かけ、夜に疲れて帰ってくる―そんな日々の中でその成果を抽出、凝縮して生まれた謂わば結晶なのだ。
確かに金額としてはとても少額。でも今の中多にはとても遠く儚い至宝の如きお金である。
だから焼き付けておこう。瞳に。
・・今は仕方ない。今はこのお金を使わないことには前に進めない。店長さんの厚意は正直とても嬉しいが今はそこに甘えるわけにはいかない。中多は強く瞳を見開いて棚町の顔を見て頷いた。棚町も彼女の意図を察し、大事にそのお金を掌に納める。一つ一つ丁寧に。
「・・・。・・うん。確かに丁度頂きました。有難うございます。・・・またのお越しをお待ちしております。出来るなら今度は一緒に戦う・・同僚として、ね」
「はい・・!」
エントランスのドアを開け、中多を見送る棚町はもう一度励ますようにこう言った。
「私も貴方もやる事は色々在るけど・・お互いいっこいっこ片付けないとね。私らも出来る限り協力するから」
「・・はい」
「でもね・・今の御崎君を支えるのは紗江ちゃんだけだよ?・・頑張ってね」
「もう少し・・大人になってココに戻ってきます。その時はまだお客さんとして・・。太一先輩を連れて・・また美味しいケーキを食べに来ます」
「・・お待ちしておりますお客様。有難うございました。またのお越しを」
カランカランとJORSTERのドアのベルが鳴る。しっかりとした足取りの中多の背を棚町は優しい笑顔で見送り、
「棚町さん!」
店内より響く彼女を頼りにしている同僚達の声に
「はい!!今いきま~~す!」
と、力強く答え、中多から彼女もまた背を向け歩きだそう―と、思った矢先のことであった。
―・・・っと。
棚町は押し黙って中多の居なくなったエントランス周辺をじっと見る。JORSTERの外部には煙草の自動販売機がある。が、当然棚町は煙草は吸わない。棚町はそれ以外のJORSTERの外部に設置されているとある「物」を見ていた。そして―
「すみません!もうちょ~~っとだけお時間貰っていいですかぁ?」
この中多のJORSTERでの出来事が起こる前―
太一は直接例の三年生男子の元へ赴いていた。まず間違いなくあの出鱈目な「噂」の出所であろうあの上級生の元へ。しかし―当然認めるはずもない。
「知るかよ」
の一点張り。しかし、同時にあからさまに「俺がやりました」と認めているも同然な下卑た笑いで太一を見下ろしていた。さらにわざとらしく「ってかお前誰だっけ?会った事無いだろ俺達」と言い出す始末である。それでも尚追い縋ろうとする太一を突き飛ばし、「人違いの上に力も頭もよえ~の?」と吐き捨てて去っていった。
茅ヶ崎が御崎を殴った証拠は無いし、増して中多に横恋慕している等事実無根なのだが同時に御崎を殴ったのが本当はこの三年生の男子生徒だという証拠もまた無い。そもそもこの男子生徒は御崎と本当に面識も接点も何も無い。完全に個人的で手前勝手な理由故に逆に御崎を殴る根拠に乏しいのである。
そう。御崎にはあの男子生徒に殴られた事の原因すら解っていないのだ。
対して茅ヶ崎は本質は違えどイメージは一応「不良」に近い物がある。そして実際中多の男性恐怖症克服訓練で幾度か彼女を睨んでいた事は確かだ。その光景が非常に奇妙な構図で在ったことから目撃して居る人間はゼロでは無いのである。在る程度「噂」は現実味を帯びる。
また悪い事に茅ヶ崎がそういう物に対して強く言うタイプではない事も状況の悪化に拍車をかけた。現に御崎があの男子生徒に直接会いに行く前に茅ヶ崎の元へ顔を出しても「あんな奴ほっとけ」「お前も当分はここ来ない方がいいぞ」とあしらわれ、御崎は仕方なく2-Eを去る他無かった。そして非常に気が重く、躊躇われるのだがあの男子生徒に一人直接会って話をする事に決めた。
しかし―
状況は結局こうなった。ここで御崎を再び殴ってしまっては逆効果の可能性もでるので只管すっとぼけ、心底の嘲りと突き飛ばす程度に男子生徒は納める。
取り残された太一には拭いがたい屈辱と悔しさが滲み、思わず涙が出てしまうほどだった。
その光景を中多 紗江はこっそり見ていたのだ。
「・・・!紗、江・・・ちゃ、ん」
「・・・」
太一を庇うつもりだった。守るつもりだった。でも出来なかった。怖くて。怖くて。怖くて。陰でただ一人震える事しか出来なかった。
「ごめんなさい・・ごめんなさい・・」
「・・紗江ちゃん」
「・・はい」
「僕弱いね」
「そ、そんなことありません!た、太一先輩は・・太一先輩は・・」
「・・・ううん。いいんだ。何よりも僕がそう思いたいんだ・・今は」
「紗江ちゃん・・僕ね?昔から『弱くて良い』と思ってた。『弱さは罪じゃない。力の無さは罪じゃない』って・・言い聞かせてた。例え僕が弱くても・・僕の替わりに強い人がいつも最後は守ってくれる・・そんな風に考えてた」
―・・私と一緒ですね。私もいっつもパパと・・ママに助けられて、守ってもらってます。
「でも!!こんなに・・!こんなに弱い事が辛いって思わなかった!!悔しいって思わなかった!!僕を思って頑張ってくれた強い人に対して何にも出来ないのがこんなに辛い事だって僕・・思わなかった!!!!」
歯を喰いしばり、泣きじゃくる太一を見ながら、中多もまた涙を流す。
この時は中多は言えなかった。
でも。
「今」なら言える。
何もかもダメだった。
皆に支えられ、助けられて努力してきた、積み上げてきた折角の物をすべて自分の脆さ、弱さゆえに台無しにしてしまった直後の「今」だからこそ―
―私。太一先輩に言える。伝えなきゃいけない事がある。明日それを伝えに行こう。
・・ああ。それでも明日まで待たなければいけないんですね。今すぐにでも伝えたいのに。今のこのままの気持ちを太一先輩に。臆病で弱気ないつもの私が顔を出す前に。
駅について改札を通り、いつもなら腰掛けるベンチにも座らず中多は立っていた。向かいのホームに電車が到着し、その窓にいつもとは見違えたような自分が映る。常に整列の時は最前列クラスの小さな自分の身長も心なしか今は大きく見えた。
「・・・」
そんなナチュラルハイの状態の中多は何気なく周りを見渡してみた。「合間」の時間帯なのかほぼ無人だ。おまけに向かいの電車が動き出した事によってある程度喧騒もある。今ならば・・出来るかもしれない。言えるかもしれない。
普段の自分であれば絶対に言えないような言葉が。絶対出来ない様な行動が出来るかもしれない。
―・・・!うん!勇気を出す!!頑張れ私。
すぅっ・・・
―伊藤先輩!私やります!言って見せます!!
ダメダメ!いつまでも『御崎先輩』じゃ!!名前の『太一』で呼ぶの!!ほら、『太一!首洗って待ってろよ!』はい!復唱!
「た、たたた太一~~~~く、くくく首洗って待ってろよ~~~!!!??」
中多 紗江 16歳。花の高校一年生。
今羞恥を振り払い、精一杯の声を張り上げ、「妖怪く〇お〇て〇」になる。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・!」
―やった。やったよ。言えましたよ!!伊藤先輩!やっ―
「さ、紗江・・・ちゃん?」
「へっ?」
向かいのホームでやや脅えた顔で首ねっこを抑えつつ、小柄の少年が今までの人生で一番思い切った直後の息も絶え絶えの少女を唖然と見ていた。
十分前―
御崎家に一本の電話があった。電話の相手は・・・棚町 薫であった。
『御崎くん?アンタどうせヒマ人でしょ?紗江ちゃん・・迎えに来たげてよ。今から直ぐ出たら間に合うと思うから』
『・・自分の事で大変なのは解るけど・・もう少し気にかけたげてよ。紗江ちゃんの事・・』
『じゃ、まったね』
素晴らしく気の利いた、そしていらない気遣いであった。一瞬でさ~~っと血の気の引いた中多の唖然とした顔が向かいの太一と完全にシンクロする。
―た、たいひ先輩?こ、っこれは、で、ですね?ふ、ふ、深い訳がありましてですね・・。
「せ、先輩・・違うんです。こ、これはその、本当に本当に―
違うんです~~~~~!!!!」
完全に我を失った中多の次の行動に
「い~~~~~っ!!?????」
太一は目が飛び出さんほどに前のめりになった。(注※)向かいのホームから中多が飛び降り、線路をまたいでこちらに一直線に走って来たのだ。
「さ、紗江ちゃん!?ダメダメダメダメダメ!!それホントダメ!!!」
無我夢中のまま太一は足元まで来た中多に縋り寄り、
―あれ。あれ!?上が、上がれない。せせせ先輩~~!?
背が小さ過ぎる上に運動音痴故、上手く向かいのホームへ上がれず、ぴょんこぴょんこ跳ねる小動物の様な中多の手を掴み、抱き寄せて引き摺り上げる。
折角のその少女の二つの「モノ」による「素晴らしい」感触もあまりの混乱、焦燥故にロクに味わう余裕も太一には無かった。
引き摺り上げた後は後でようやく追い付いてきた現実感に太一の頭に血が上り、初めて中多を太一は叱った。
「ご、ごめんなさい~~~くすん・・」
中多は再びいつもの臆病で弱気な少女に戻ってしまった。
「・・・」
そんな少女の頭を小さな少年は軽く撫でる。本当にほっとけない、守ってあげたい子だ。
でも自分も小さく弱い。弱過ぎる。この先この子を自分が守ってやれるのか、苦しい時、悲しい時に庇ってあげられるのか本当に不安になる。そんな太一の不安を―
次の少女の一言が掻き消した。
確かに中多はいつもの彼女に戻っていた。でも―ただ脅え、庇われていただけのかつての少女では無い。失敗、挫折、自責の念はほんの少しでは在るが彼女を本当に大きくしていた。
「太一先輩・・?私達弱くてもいいんです。小さくても、力が無くても・・失敗してもいいんです。・・大切なのはそこからどうするかなんです・・。だから―」
「・・だから?」
「一緒に悩ませて下さい!一緒に考えてさせて下さい!私達だけで足りなければ・・私達以外の誰かを頼っちゃって良いんです。だって私達と同じ思いの人達は・・一緒に戦ってくれる人が絶対にいるはずですから!!」
―私や太一先輩が一人で無かったのと同じように。
今理不尽の矢面に立たされている茅ヶ崎先輩だって・・一人じゃないはずです。
だから行きましょう。今は小さくても、弱くてもいい。力も無くて良い。ただ・・
強くなりましょう。一緒に。
・・太一先輩。
ルートR 8 鶴の一声 2
「落ち着いて!桜井!桜井ってば!」
「・・・」
親友―伊藤 香苗の制止も聞かず、ずんずんと桜井 梨穂子は廊下を歩く。ややいかり肩で。こういう時、伊藤は思い知る。この友人が色んな意味でずっしりと腰が坐っている重量級タイプである事を。そしてそこに彼女には似つかわしくない「怒り」という感情が含まれていれば彼女の進撃を防げる者はいない。彼女の目的はハッキリしている。
あの噂の真実―まず間違いなく無実の智也の濡れ衣を晴らす事だ。
智也から話を聞く必要すらない。智也がそんなことをする訳がない。彼女には確信がある。
「桜井さん!」
そこに男子にしては明るく、高い声が梨穂子の耳に届いた。ようやくそこで梨穂子の進撃は止まる。そして彼女に追いすがり、息を切らせて走りよる小さな少年の姿を認めた。
「・・御崎君?」
「・・・。その様子だと・・『噂』知っているみたいだね・・」
「・・・」
御崎の言葉に頷きも返事もしない。ただ梨穂子はふるふると首を振った。
―違う。そんなはずないもん。
「うん。そうだよ。茅ヶ崎君は悪くない。・・全て僕のせいだ。本当にごめん・・」
「ううん。・・うん。全部わかってるよ」
―・・解る。解るよ。御崎君も智也も二人とも悪くないことなんてはじめっから。
沈痛な面持ちで頭を下げる御崎に梨穂子はまたふるふる首を振り、御崎の肩に手をやる。
智也は当然、そして御崎にも何ら責任が無い事も理解している。その二人のやり取りを見て、伊藤が口を開いた。
「・・・。大体解った。今回の『噂』が全くのでたらめって事がとりあえず。・・ちゃんと話聞かせてくれるよね?御崎君」
「・・うん!もちろん!」
御崎は大きく頷き、屋上を指差し、二人も同意した時、御崎の後ろからまた声がした。
「おい大将」
梅原だった。
「梅原君・・杉内君も」
「や」
「俺達も混ぜろや」
自分の後ろに居る杉内 広大を指差しながら梅原は笑った。しかしいつもの飄々さは無く、本気で怒っている事を隠さない表情でもあった。
「何それ・・噂と全く真逆じゃん。って言うか噂流したの確実にその三年生の男子じゃないの?」
伊藤は心底気分が悪そうに顔を歪めた。御崎も事の顛末を伝えきった後、ばつが悪そうな顔をした。その隣にはしゅんと落ち込んだ顔をした小さな少女の顔もある。
「本当にご、ごめんなさい。私のせいで・・」
最早泣きそうな声で視線を落としながら少女―中多 紗江はさっきから何度も謝り続けている。
「いーのいーの。紗江ちゃんは全く悪くないって!」
むしろあの茅ヶ崎をこんな小さな体で止めようとした少女の度胸を伊藤は買っていた。
・・が、誤解なのが頭の痛いところではある。止めたのが茅ヶ崎で無く、せめてその三年生の男子生徒なら・・と、伊藤は思い、憤懣やるかたない表情をした。
「とりあえずその三年生の男子に話聞かないとね。正直ぶっ飛ばしてやりたい所だけど・・」
「いや。それが・・すぐに聞きに行ったんだよ。僕」
「え?そうなの」
「うん、でも・・『知らねぇ』の一点張りだった。話もまともに聞いてくれなかった」
「勿論誤解を解く気も無しってこと?・・ムっカつくなー・・そいつ」
杉内もあまりの胸糞悪い仕打ちに苦虫を噛む。
「・・だよな。御崎殴った上に茅ヶ崎にその罪なすりつけてトンズラかよ・・最低だぜ」
「あ~~も~~そんな奴の事どうでもいいよ!気分悪くなるだけだって~~。で。当の茅ヶ崎君はどうなってんの?なんか言ってんの?」
「勿論会いに行ったよ。でも、あんまり『俺に近寄るとまた変な噂立てられるぞ』って・・」
「・・あ~あいつらしい」
杉内は悔しそうに唇を尖らせた。
―アイツの美点でもあり欠点でもあるな・・。
「大将・・」
納得したように梅原、杉内は腕を組む。
「え。え?どういうこと?殴られてた当の本人が会いに行って仲良くしてんのよ?フツー『噂』がデマだって解るんじゃ?」
「いや・・。僕たちが茅ヶ崎君に脅されて『無理矢理仲良く振舞うようにさせてる』って思う人間もいる可能性があるって事だよ・・」
「だったら・・いつもの様に『噂が納まるまで、ほとぼり冷めるまで俺が我慢すりゃイイだけの話』って言いてぇのよ。大将は」
「・・・あ~~成程。ん・・・?ちょっと桜井?あんた肝心な時に黙ってんじゃないわよ!」
憤慨する一向をよそに全くその会話に入りこもうとしない一人の少女に伊藤は呆れた声をかける。
「・・ん?ああ。ごめんねぇ」
しかし―何時もの梨穂子らしいゆる~~い返事が返ってくる。それに伊藤は大げさに溜息をついて
「全く・・愛しの幼馴染がこんな理不尽な目に遭っているっていうのにこの子ときたら・・」
「い、『愛し』って・・香苗ちゃん・・う~~~」
「・・・だったらちゃんとアンタも考えなさいよ!」
「え?もう私がやる事は決まってるよ?」
「「「「へっ?」」」」
梨穂子を除く一同は狐につままれたような顔をした。たった一言でその場を一瞬で支配した梨穂子はその場に集まった全員の顔を澄んだ瞳で一望。・・成程。もう既に彼女の中で今やるべき事の結論は出ている事を周囲に確信させる光を帯びている。
「御崎君や紗江ちゃんだけじゃダメなんですよ。皆で行くんだよ~~?智也の所に。・・・絶対に一人になんかさせないもん」
と言って頼もしく微笑んだ。
―気付かせるんだ。
智也は誰も脅したり、強制したりすることなんてない。そういう人。
智也の周りには勝手に人が集まっているんだって。打算、計算なんて何もない、智也の傍には人が集まるんだ。
智也はそういう人なんだって他の皆に気付かせるんだ。
そして何よりも智也自身に自分が「一人じゃ無い」って気付かせるんだ。
例え呆れられようと、煙たがられようとも。
ただ私は貴方の元へ行く。
真っ直ぐとそこに居る全員の顔を見据え、曇りのない瞳を見せ、梨穂子は微笑んだ。
そう。桜井 梨穂子とはこういう子だ。
他の人間が迷い、一歩立ち止まっている所にあっさりとそれを打ち破る結論を出してしまう。
至極単純、明快。それ故に異論をはさむ者はいない。
「・・・♪」
「桜井さん・・」
「・・・」
―桜井センパイ・・素敵です。
「よおーーっしゃ!!!俺にメンツ集めは任せとけぇえ!!!!!」
「えっと・・ゲンに国枝に棚町さん、田中さん、・・絢辻さんもつれて来れるかな・・めちゃくちゃ心強いし。あ。いっそ七咲も呼ぶか。紗江ちゃんよろしく~~」
「・・・」
―何だ?・・こりゃ。
智也は自分の席で心底煙たそうに、呆れた様な顔で頬杖をついていた。
彼の半径5メートル、ぽっかりと空いていたはずの2-Eの空間にヘンな連中が突然一斉にたむろしてきたのだから。彼らは意識的に2-Eのクラスの連中が引いたその領域をあっさりと破り、所狭しと智也の周りに居つく。その数何と十人を超える。
「・・ははっ」
唯一あの噂以降も時折2-Eで智也にちょくちょく声をかけ、御崎と同じように智也に追い払われてすぐその領域から外に閉め出されていた2-Eクラス委員、成瀬 幹夫も意気揚々とその輪の中へ入っていく。
―・・おい成瀬。
少しその成瀬に咎める様な顔を一瞬智也は向けたが、最早成瀬はどこ吹く風だった。
―創設際の実行委員会長の絢辻さんと源君まで来てくれているんだから・・僕が先日のお礼言わない訳にもいかないよね?茅ヶ崎君?
そんな言葉を笑顔にこめ、成瀬は茅ヶ崎を見た。
そして―
「邪魔するよ~はぁ~・・二年の教室は久しぶりだねぇ?自分が若返った気がするよ!ねぇ愛歌!」
「ふむ・・十年ほど若返った気がするな・・瑠璃子」
異様な・・女子高生とは思えない雰囲気を纏った三年茶道部コンビ―夕月 瑠璃子、飛羽 愛歌も参戦。
「お~~っす。茅ヶ崎?あっそびにきったぞ~~?だから何かくれ」
「ぷりーず・ぎぶ・みー・・とりっく・おあ・とりーと・・・」
「げ。せ、先輩方まで・・」
追っ払うには流石の智也にも厳しい。人選に手心が無さ過ぎる。そして恨めしそうに「この騒ぎ」を引き起こした張本人を見る。
―・・!ふっふっふ~~智也~?追い返せる物なら追い返してみろ~~?
それは隣に居た。遠く幼いころから常に隣に在った。
一見抜けて、ぽ~っとしている癖にいざ動くとなると一転大胆にこんな事を仕掛けてくる。正直智也はお手上げである。
梨穂子はそんな智也を見て、少し悪戯そうにいししと笑う。
「・・・。む!?何だこれは?おい!お前らさっさと自分の教室に帰れ!」
「あ、は~い」
予鈴後、2-Eに担任の多野が教室に入ってきた後、波が引くように一斉にその集団は撤収を開始。もみくちゃにされた智也は心底疲れた顔をして、密集状態の中まともに吸えなかった空気を肺に流し込む。それを多野はじっと見ていた。
「ぷはぁ・・」
「・・・」
―あの連中はあいつのか。・・驚いた。絢辻君までいたぞ。
流石の多野も困惑気味である。
「・・日直!号令」
連中が去った後、多野も少しの混乱から気を取り直していつもの調子を取り戻すようにぴしりと教室の空気を一言で張り詰めさせる。
―多野さん・・おかげで落ち着きました。有難うございます。
智也は内心多野にお礼を言って何気なく連中が去っていった教室の後ろのドアを見た。
その時だった。
「・・・!」
そこにはまだ梨穂子がいた。ひょっこりとドアのガラス越しに斜目に顔を出し、智也と目があった瞬間、もう一度にこにこ微笑んで手を振った。
―バイバイ。また来るね。
そう言いたげに。
「・・・ぷっ!」
―もうくんな。
思わず智也はもう授業中だと言うのに人目憚らず吹きだした。吹きだすなんて何年振りだろうか。しかもこんな張り詰めた緊張感のある場でこの場違いすぎる笑いを智也は禁じえなかった。
「・・。茅ヶ崎」
多野は珍しく呆れた様な声を出して智也を窘める。
「・・すいません」
ようやく智也が言ったこの言葉も少し笑いが噛み殺せず、ふざけた様な口調になったが多野はそれ以上咎めず、授業を始めた。
智也と多野、この似た者同士の二人の見た事も無い口調を2-Eのクラスの連中は垣間見た。そこには何の疑念も生まれない。あの全員が「茅ヶ崎の脅しによって集まったのではないか」などと勘繰る人間は最早一人もいなかった。
―どうやら「噂は嘘」、だな。