ざわざわ・・・
・・?
吉備東神社前―
それに続く空に続く長い階段―更にそれに面した道路に横付けされた一台の異質な黒塗りの高級車を前にして、いつもより妙に多い参拝客の数人かが何事かと怪訝な顔をして足を止める。凝視するべきなのかそれともそそくさと通り過ぎるべきか・・非常に対応に困る。
「・・」
はっきり言ってその横付けされた車を目の前にした少年―杉内 広大にとっては特に特筆すべき状況では無い。高級車に興味もなければ、そんな車に乗る様なイメージの暴力団組織との接点もない。関わらず視線も向けずに素通りにすれば良いだけの車を前にして―
「・・ふふっ」
広大は笑った。「何とも場違いな車だね」、とでも言いたげに。その広大の笑顔を契機にしたかのように徐に黒塗りの高級車の後部座席のウィンドウが機械音を立てながらスライドする。そこには―
「・・・杉内先輩っ。おはようございます」
頭の両サイドに可愛らしいリボンを誂え、小動物の耳のようにしたやや明るい茶色の髪を揺らしながらその黒塗りの高級車からは到底連想しえないカワイイ少女の顔がひょっこり覗く。
彼の通う吉備東高校の後輩―この四月から高校二年生になる中多 紗江だ。
「おはよう。紗江ちゃん。・・あ。今日はリボンの色変えてるんだね?似合ってるよ」
「や、やだ。杉内先輩ったら!うふふ・・ありがとうございます・・」
桜色に頬を染めた中多は気恥ずかしそうに上目遣いで広大を見る。
先日―
杉内 広大は中多 紗江に「乗り換えた」。
異性の他人の恋愛相談に乗っている内にその相手を好きになってしまい、結果付き合うこになった―よくある話である。
広大と中多の場合は二人が友人を介して出会った当初、広大に一向に懐いてくれない吉備東高校、女子更衣室裏に住み着いた黒猫―プーに対する恋愛(?)相談を中多が広大に指南する内に知らぬ間に仲良くなっており、プーが居なくなって以降も影ながら交流が続いた結果二人の心は徐々に接近、先日とうとうゴールインしてしまったという―
「杉内君・・?キミ・・度が過ぎるよ?・・・死ぬ?」
「・・ミサキ。なんだ居たのか」
「そりゃ居るよ。・・『しんべぇ』・・コイツ襲え」
わん!!
殺気の籠った不機嫌な声が中多の背後から響き、後部座席の窓から中多の側面を縫って勢いよく小型の、可愛いが少々頭の足りてなさそうなまぬけ顔をした柴犬が広大に飛びついて来た。
御崎家の愛犬―しんべぇ。
中多家の黒塗りの高級車の中でド緊張し、さっきまでプルプルと借りて来た猫の如く震えていたこのマメ柴はようやくこの緊張空間から解放される瞬間を待ちわびていた。
正直、この高級車内でビビって「あの手の粗相」をしでかさないかと先程まで戦々恐々だった飼い主の少年―御崎 太一も解放された気分であった。
「ふん!寄るな!この駄犬が!!」
生来の生粋の猫派である広大故に邪見にこの「幼獣〇め〇ば」をあしらうが、
はっ、はっ、はっ、はっ!
あしらわれればあしらわれるほどテンションをアゲるストーカー気質のこの駄犬は広大の足の周りを構わず跳ね回る。そしてガシガシ靴を噛む。この駄犬。噛み癖、悪し。
「・・・!!や、やめれ~」
「その調子だ。しんべぇ。もっとやれ」
真顔で満足そうに飼い主―御崎は飼い犬―しんべぇの健闘を称える。普段は怒られる粗相を褒められ、更にしんべぇはピッチをあげた。
「うふふ。杉内先輩?折角懐いているしんべぇちゃんにそんな冷たい事言うからですよ?『お仕置きです』って」
中多は既に御崎家の愛犬―「しんべぇ」に会った事がある。同じ「系統」である為に彼女達は出会ったその日に仲良くなった。元々中多自体がプーを初め、動物に好かれやすいタイプである事も影響したかもしれない。ある意味御崎 太一の「弟」とも言える「甥っ子」のようなこの犬は既に彼女のお気に入りであった。
「・・・へぇ。先輩にしては珍しくモテてるんですね?良かったじゃないですか」
後部座席―広大の手前から中多、御崎、そして膝に豆柴―しんべぇと並んだ順の最後尾、その席から中多より少し低く、落ち着いた、でもイタズラな少女の声が響く。同時に向こう側のドアがばたりと開いた。そのシルエットに向けて広大はこう言う。
「・・・ま。『本命』以外にモテてもね」
「・・そうですか」
車の後部トランクをぐるりと回って一人の少女―短めの黒髪を揺らし、悪戯な笑みを携えた綺麗な光一点の黒い瞳をした黒猫の様な少女はひょいと広大の足元に纏わりつく幼獣―しんべぇを抱え上げ、片腕でしっかり抱く。
「・・・」
広大はその彼女に向けて右手を延ばす。
「・・ミサキ。さんきゅ。・・確かに受け取りました」
「うん。確かに送り届けたよ」
「むっ・・お二人とも?人をモノみたいに扱わないでくださいっ・・・」
少女―七咲 逢がやや不満気に口を尖らせた後、ふふっと背後の中多と顔を見合わせて笑いながら広大の手を取る。
―・・受け取られちゃいました。
やや冷たくも心地よい春風が四人と一匹の間をすり抜ける。その擦り抜けた風に混じって幾房かの薄い桃色の花弁が浚っていった。
吉備東―春。
桜舞う。
断章1 桜の森
「・・・」
ひたりと手に添えられた少女―七咲 逢の一回り小さな指先の冷たい感触に反して広大の動悸が跳ね上がる。つい数ヶ月前、何の気なしに触れる事が出来た自分の正気を疑う。
「・・先輩?どうか・・、しましたか?」
「・・!あ。いや。行こうか」
「・・はい!」
健気に、しかし、しっかりと少女は顔を傾けながら微笑み、頷いてくれた。純粋で一本気で健気な心意気が突き刺さる。
日増しにどんどん可愛くなっていく、愛しくなっていく少女が現に、「自分を好きでいてくれている」事。これ程の幸福があろうか。
―・・・。今日ココに来て良かった。
だから七咲?もう初めに言っておく。心ん中でだけど。絶対今日は楽しくなるから。
だからありがとな七咲。いや、・・・逢。
・・・ただし―
「逢ちゃ~~ん!!良く来たわね~~~~?」
「先輩のおばさん。お久しぶりです!!」
「何時までも広大の手なんかに触ってないで私と握手握手~~」
げしっ
いつものケリ技で息子を蹴飛ばし、更に自分の息子の手を扱うとは思えない、虫を掃う様な動作で広大の手を掃って七咲の手を握る。
「はいはい。おばさんったら・・相変わらずですね・・?」
「ん?私何かした?っていうか『何か』居たっけ?最近物忘れがひどくてね~~?」
「・・・」
―コイツさえいなければ。
先日―
「花見に行く」
と、簡潔に広大が今日の予定を言った瞬間、
「逢ちゃん居るわね。私もいく」
と、即時広大母は同行を申し出た。
「無理」
広大は速攻で断固拒否したがその日の夜に広大にノンアポで彼女は七咲に連絡して泣きつき、広大母を気に入っていた七咲は快諾。外堀を埋められた。
おまけに
「飲食費は全てもってやる」
とか言いだしたから万年金欠の広大は断る事も出来やしなかった。
「・・この子が中多 紗江ちゃんと、その彼の御崎 太一君ね?逢ちゃんと広大から話は聞いてるわ。・・いつもお世話になっております。不肖の息子だけど仲良くしてやってね?」
「は、はい。あ。改めて初めまして。僕は御崎 太一です。広大君とは去年からクラスメイトをさせて貰ってます」
「杉内君が言っていた通りのお母さんだな・・」と、内心御崎は苦笑いしながらさらにこう続ける。
「で、こっちは―」
「は、はい!な、中多 紗江です・・よ、よろしくお願いします」
―か、「彼」・・うふふふ~~。
中多は中多でヘンな所で妙に一人密かにハイテンションになっていた。
「は~~い♪こっちこそよろしくね~~♪お二人さん♪」
基本広大の母―杉内 博子は息子の友人に非常に優しい。
その反動なのか実子、自分の旦那に対しては本当に容赦なし、ボロクソであるが。
ぎりり・・
七咲を奪われ、友人には猫かぶって良いカオしやがる母を忌々しそうに見る広大の傍ら、四人のやり取りを見守っていた黒い高級車の前方座席のウィンドウが開く。そこには―
「・・こんにちは。とても良い日和ですね?」
娘とよく似た声ながら口調と声量を適度に整えた淑女が助手席から下車しつつ、広大母―博子に声をかける。
「初めまして・・わたくし中多 紗江の母の紗希と申します。今日は紗江ちゃん達をよろしくお願い致しますわ」
今日は娘と自分を「判別」してもらう為に後頭部で髪を誂え、ポニーテールにした中多母―紗希の姿があった。
「あら!お恥ずかしい。・・先にご挨拶もしませんで失礼いたしました。こちらこそ初めまして。わたくしこの杉内の母、博子と申します。いきなりはしたない所をお見せして・・あはは」
「いえいえ。・・『逢ちゃんに会えた事が嬉しい』って私には気持ちが痛いほど解りますわ。正直私も逢ちゃんはウチに持って帰ってウチの子にしたいぐらい可愛い子ですものね~~?うふふ~~」
中多母は心底娘―紗江に兄弟、姉妹をあげたい。・・例えさらってでも。
「まぁ!中多さんも!?お気持ちわかりますわ!おほほ~~」
広大母は心底可愛い娘がかつて欲しかった。・・例えさらってでも。
「うふふ・・・」
「おほほ・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・ねぇ杉内さん?」
「何ですか中多さん・・?」
「私たち・・仲良くなれると思いません?杉内さん・・いえ!ヒロコさん!」
「・・!ええ!私も!なんか初めて会った気がしませんわ!!お友達になりましょう!!サキさん!!」
母二人はがっしと両手を繋ぎ、既にまだ詳しい漢字も知らない名前で呼び合って見つめあう。そんな二人のやり取りを少年二人、広大と御崎は微妙な表情で見送っていた。
―・・やっぱり紗江ちゃんのおばさん・・母さんと「同族」か・・。
―・・どうやら同類項みたいだね。扱い息子同様気をつけよっと・・。
「外道」同士、気があったらしい。
「紗希・・いい加減にしないか」
右座席―黒塗りの高級車の持ち主である運転手の男性―中多父がえへんとせきばらいをした後、妻を諫めつつ、広大母に会釈する。壮年の男性として威厳も落ち着きもある佇まいだが―
「あら何?紗江ちゃんと折角のお花見の日にウチに会社の同僚をお呼びしやがったダメ亭主、ダメパパのあ・な・た?お陰で私もお花見に行けず、家にいなければならないんですよ?解ってますそれ?」
中多母は中多父の致命傷の傷口に練り辛子と塩縫って、さらにククリの先端あたりで抉るような冷たい口調でこう言った。
「・・・。んんっ!では・・皆をよろしくお願いいたします。杉内さん。杉内君、七咲君も・・紗江をよろしくお願いします。・・太一君もな」
一瞬心底、泣きそうな位、沈痛な表情を見せた後、それを振り払うようにした男性―中多父は広大母、そして広大、七咲に律儀に頭を下げ、車窓から顔を出して皆に笑顔で手を振る妻―ポニーテールを軽快に揺らしながら去っていく紗希とは対照的に明らかに「後ろ髪を引かれる思い」で高級車を走らせる。無言の男の背中は確実に泣いていた。
おいたわしや、紗江ちゃんパパ。
中多夫婦が去った後、残された五人と一匹は吉備東神社の境内に向かう階段を前にぼちぼち動き始める。
「さ。逢ちゃん?紗江ちゃん?そろそろ行きましょ。久しぶりの運動だわ。一杯お腹すかしてお昼の美味しいご飯食べに行きましょう?」
「その前にお花見ですよ。おばさん?」
「あら。お恥ずかしい。まぁ何を隠そう実は・・花より団子派なのよね、私」
「知ってます」
「逢ちゃんひど~~い」
「・・うふふ。・・杉内先輩のお母さんって・・とっても面白いんですね?」
既に広大母は中多とも溶け込んでいた。こういう所は流石広大の母である。
「・・」
歩きだしたその四人の背を見送りつつ、広大は掌を見た。七咲の冷たい指先に触れられた掌が熱い、熱もっている。最近彼は彼女に触れる度、いつもコレだ。
―・・後から逢に聞いてみると
「結構前から・・先輩に惹かれてたんだと思います。『純粋にいつから?』って聞かれちゃうと正直・・困っちゃいますけど」
彼女は照れながらも正直にこう語ってくれた。
と、言う事は俺が何の気なしに逢に触れていた時、彼女もこうなってしまっていたんだろうか?
そう考えると広大は何ともやるせない気持ちになった。
「・・ほい!」
背中をポンと叩かれる。御崎だった。広大が振り返るとニコニコ笑っている。しかし冷やかすような笑いでは無い。ただ「解るよ」と、言いたげだった。
「僕らものぼろっか。・・置いてかれちゃうよ?」
「・・そだな」
少年たち、そしてよちよちと幼獣も歩きだす。
しかし、五分後―
ぜ~ぜ~ぜ~ぜ~。
ひ~~ひ~~ひ~~ひ~~。
「だ、大丈夫ですか・・太一先輩・・・」
・・くぅ~~ん
↑しんべぇ
「あ、相変わらずひ弱なんですね・・・先輩」
「我が息子ながら・・情けない」
男衆二人は既にガス欠を起こしており、それぞれ介抱されていた。
この春から彼女―七咲 逢もまた中多 紗江と同様、吉備東高校二年生となる。
一つ学年が上がり、吉備等の新入生、部活の新入部員を迎える準備にあたってその自覚から七咲は一層大人びた。
出会った当初は「周囲の印象」こそは「大人びている」であったが実際の所は中学生っぽい、どこか排他的な幼さや危なっかしい一面もあった。が、それも形を潜めつつある。
広大的に言えば彼の幼馴染―「塚原 響に似てきた」と言えばいいだろうか。よって最近広大にとって塚原に感じていた妙なコンプレックスの様な物に似た何かを七咲に感じるようになってしまっていた。
それでも。
彼女と現在の広大の関係は以前の塚原と広大との関係とは異なる。既に彼女は一応「広大のもの」と言う事にはなっている。あくまで形式上は。
しかし「前まで」の様にただ無責任に「想う」、「憧れる」、「焦がれる」だけではいけない段階ではある。そうなってくると広大は否が応なしに自分の現状を思い知らされた。
彼の母は先日「釣り合わない彼女を持つ息子が信用できない」と冗談気味に言っていたがよくよく考えてみると否定できない言葉だと広大は思う。
・・それ程に。
七咲と言う少女は可愛くなった。綺麗になった。真面目で健気でガンバリ屋と言う彼女の本質をそのままに。
広大は彼女の事をはっきり好きなのだと自覚した当初、彼女に対しての想いに「これ以上、上があるんだろうか」と、思っていた。それ程に体験した事もない地から足が浮くような幸福で、彼の貧相な語彙では上手く形容しようがない程、新鮮で温かな気持ちを彼女はくれた。
小さな体、華奢な割に柔らかい抱き心地、嫌みなく香る清潔な香り、耳をくすぐる心地いい声。でも―それもこれから先、徐々に落ち着いていってしまうのではないかとも考えた。
が、それはとんだ杞憂だった。
―ありえない。
可愛い。
何なんだ、この子は。
七咲 逢という少女は広大、周囲の予想以上に天井知らずの延びしろを持った子だった。広大だけでないだろう。周りにいるメンツも確実に予期している。ココに居る御崎も中多も他の彼の友人達も口をそろえて言うだろう。
―・・あの子。これから絶対まだまだ可愛くなるな。正直、大丈夫か・・?お前。
現にはっきりと国枝、茅ヶ崎あたりにそう言われている。
―そう。
間違いない。
事実、俺はこの子の事をどんどん好きになっている。・・大丈夫じゃないよ。
今のガス欠の自分の状態と一緒。息も絶え絶え、ついていくのがやっとだ。傍にいるのがやっとだ。これから自分がどうしていけば、彼女の為に何が出来るか、なんて全く、何も、解らない。
ただ単に好きで、恋焦がれていれば。
ただ響姉についていけばよかったあの時とはもう違う。
例え息絶え絶えで在ろうと、先は見え無かろうと歩いていく他ないんだ。じゃないと響姉に笑われる。
・・七咲も遠くに行ってしまう。
ざあっ・・
「・・・」
息も絶え絶えの中ようやく鳥居をくぐり、広大の拓けた視界に神社の社が見える。
「うわぁ・・」
「綺麗ですね」
その周囲はまさに満開の、「桜の森」と呼ぶにふさわしい光景がそこに在った。
同時広大の火照った体を冷やす心地よい冷たい春風と共に舞う桜色の花弁がやや甘い香りとともに彼等を包み込んでいる。しかし―
ふわり・・
―・・え?
桜の控えめで儚い香りとは異なる、かといって決して強い香りでは無い、嫌味の無い心地のいい清潔な香りがした。
「んしょ・・」
その香りの正体は息も絶え絶えの広大の体を傍で支えた少女―七咲の香りであった。
「・・逢?」
「・・『着きましたよ』。先輩。・・丁度『あの子』がいた場所です」
「『あの子』・・?」
「・・ほら。ここです。覚えていませんか?」
「・・!・・ああ」
「あの時」と同じように広大は七咲の指先を目で追う。あの時は都合の良い視線のやり場であったが、今は違う。他の何よりも目で追いたい綺麗な指先だ。その先には―
「『あの子』の仲間が・・今はたくさん咲いていますね」
嬉しそうに七咲はくすくすと笑う。
数ヶ月前、七咲が『あの子』と呼ぶ季節外れの冬に咲く桜―「二期桜」を広大に見せてくれたあの地点の枝には現在、あの時とは比べ物にならない程の薄紅色の花弁が所狭しと咲いている。
あの時は「個」。今は「群」という差があるにせよどちらにせよそれはただ只管美しい。余りに美しいコントラスト。
しかし、今この場に居る誰も恐らくはそれを理解する事が出来ないであろう。広大と七咲二人にしか解らない境地、秘密である。今も、そしてこれからも二人は誰にも話す事はない。二人だけの秘め事。叶うなれば・・・一生の。
「・・!七咲?」
「・・はい・・?」
「・・・しんべぇ呼んでる。・・行っておいで。紗江ちゃん誘ってさ。・・俺はも少し休むよ・・俺と一緒でバテバテのあそこの御崎の面倒は俺が見とくからさ」
「え・・・?あ。御崎先輩・・大丈夫かな」
二人の視線の先にはバテバテで桜の木の幹に腰掛け、中多にハンカチでぱたぱたと煽られている御崎の姿があった。足元には愛犬しんべぇが心配そうにうろついている。
―・・?ウチの母は・・いつの間にか姿消してやがる。
こういう所は流石、博子である。気の遣い方、気の遣い所の要所は心得ている。
「・・いいよ逢。紗江ちゃん達と行ってきな。折角のお花見なんだし」
「あ・・でも・・先輩は」
「大丈夫。俺も休んだらちゃんと御崎と一緒に行くから・・・―
『先に行ってて』・・」
「・・解りました。ちゃんと付いてきて下さいね」
「ん」
くすりと微笑んでクラスメイトの友人の元へ少女は走り出す。香るだけで体が浮いてしまいそうになるほどの心地よい残り香と、多分一生見ていても飽きないであろう美しい笑顔を残して。
「ミサキ・・だいじょぶか?」
「す、杉内君こそ・・さっきまでバテバテだったのに」
「一応・・『経験者』だからな。回復は早いさ。・・ただ一向に体力不足が改善されんのが悲しいとこだが」
「そなんだ。・・それって意味あるの?」
「・・・だな。よっと」
どっかと広大は御崎の隣の桜の幹に腰掛ける。
「・・何が悲しくて野郎と桜を見ねばならんのか」
「杉内君。同感です・・」
でも下から見上げる桜の木は壮観だ。暫し二人は無言になった。
「・・・」
「・・・」
「・・杉内君さ~~?」
「・・ん?」
「・・確かに釣り合う、釣り合わないかで言ったら僕たちきっとお互い釣り合ってないかもね。正直言ってさ」
「・・!ミサキ・・」
「でもね・・仕方ないじゃん?好きになっちゃったんだから。そして『好きだ』って言ってくれたんだからさ。一番近くに居る事を許してもらえたんだから・・はっきし言ってこれ以上の事ってないよ」
「でもな・・ミサキ・・」
「うん。解る。解るよ。でも焦っても仕方ない。・・取りあえず・・それだけで今の僕たちはいいんじゃないかな。好きな人の為にこれから何が出来るのか、これからも傍に居るなら何をすべきか・・僕等はさ?『他の人』と違って明確に彼女達に何が出来るかってまだ決まって無いんだよ。出会って間もないからね。多分・・それは今から決めるべき事なんだ。だから・・これから考えて行こうよ。探して行こうよ。・・お互いさ」
「・・」
「だから今は・・見つめていようよ。・・僕はさ?・・今の紗江ちゃんを見逃したくないから。目を逸らしたくないからさ。杉内君も・・それは解ってるんでしょ?」
「・・そだな」
迷いを断ち切ってくれた友人―御崎の言葉に少し気が楽になる。
広大の視線が前を向く。彼にとって見逃したくない物、目を逸らしたくない物をただ今は見据える為に。
「・・・」
―どうやら。
去年俺が「咲かせた」らしい少女は満開に向けて咲き誇ろうとしている。
信じられない話だが、そのきっかけは俺らしい。不真面目で、ずるくて、サボり癖のある彼女とはあまりに対照的なこの俺らしい。
でも正直「お前が彼女に何をしたか」と、誰かに問われたら俺は何も答える事が出来ないだろう。
でも気が付けばいつの間にか好きになってた。大事になってた。誰よりも・・愛おしくなっていた。
そして・・何よりも彼女に愛されていた。彼女は愛してくれた。
・・信じられない話だ。これを至福と言わず何と言おう。でもだから同時に怖くなる。失う事が怖くなる。
その少女は今、春風の中、無数の桃色の花弁が舞い散る中で、友人の少女、しんべぇと共に満面の笑みを浮かべながら駆けまわっている。
舞い散る桃色の花弁をその身に纏いながら舞い踊る様に。
少年にとって何者にも誰にも変えられない。
たった一人の至宝の少女をこれ以上なく美しく照らしだす。
まるで去年、季節外れに咲いていた七咲の言う『あの子』が自分を見つけてくれた彼女に恩返しをしているみたいに広大には見えた。
広大は「咲き」を越された。何とも粋な恩返し。
―でも
今は有り難い友人ミサキの忠告通りに。
有り難い『あの子』の恩返しに甘えよう。
ただ今は―
咲き誇り、
咲き乱れる。
君をただ。
今はただ見てる。
今はただ見つめている。
花びらに替わる。
君をただ。
「・・・?くすっ・・先輩?」
―私も・・見てますよ。いつも・・。
―俺も・・君をただ見つめているよ。
花びらが流れるこの「桜の森」で。