ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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ルートT 二章 友人未満の最終日

3 友人未満の最終日

 

 

 

 

 

...SWISH!!

 

 

 

 

 

美しく宙に弧を描き、オレンジ色のボールはリングに一切触れることなく、軽快なネットの音だけを残した。そしてそのボールが体育館の床でターンと派手に跳ねる前に高く、興奮した女生徒達の歓声が上がる。

 

「はっ・・!はっ・・!・・♪」

 

ぐっ♪

 

少し息を切らしながらもその光景を満足そうに見ながら僅かに嬉しそうに両こぶしを握ったかと思うと少女はすぐにチームメイトたちに取り囲まれ、見えなくなった。

 

バスケットボールというものは中々重い。

 

腕だけでなく下半身を利用し、膝から体全体を連動させてリリースしないと遠くへ、そしてリングに吸い込まれる軌道になかなかボールは入らない。増してスリーポイントラインの外からのシュートとなるとそれなりの慣れが必要になり、プロの人間でもディフェンスが付けば成功率は良くて三割と言われている。

 

増してバスケ部員のいない女子達の体育の授業ではそうそう拝める物ではない。

だがその少女はその授業中にスリーポイントを決めた。ビギナーズラックでは無い。明らかに狙っていた。それも終了のブザーが鳴る直前を。

 

終了間際のバスケットボールのワンゴール差ビハインド―つまり二点差でとにかく「入れよう」、「止めよう」と、ゴール下に敵味方入り乱れて密集した女の子達から離れ、フリーで確実に打てる状況を完全に少女―絢辻 詞は狙っていた。相手チーム、そして絢辻の味方チーム共に単純に「あんなに遠くから打つ」という発想がそもそも無かった。

 

見事な逆転勝ちである。

 

「おおお。すげぇ・・」

 

その光景を見ていた梅原は思わず感嘆の声をあげた。審判役を務めていた女子バスケ部員の女生徒も眼を見開いて驚きながら、

 

「絢辻さんはね?この・・線の後ろから打って入れたから今のは三点なの。だからBチームの勝ちです。逆転です」

 

ラインを指差しながら懇切丁寧かつ簡潔に両チームの女の子達に説明し終わると、絢辻率いるBチームからさらに黄色い声が上がった。

 

「おい見たか今の!」

 

「そういうオメーはどこ見てんだよ」

 

梅原の隣に座っている杉内がうんざりしたように言った。

 

「あ~?負けてるウチのクラスの試合何ぞどーでもいいんだよ!それよりも見たか?今の絢辻さんのシュート!スリーポイントだぜ?スリーポイント!」

 

梅原は自分達の体育の授業そっちのけで隣のコートの女子のバスケに夢中だった。馴れない球技動作でキャッキャしている女の子達をなまあったかい目で見るのが相当に楽しいらしい。

片や大勢の決まってしまった自分達の試合よりも確実に面白く、眼の保養になる事は確かなので、事実、梅原以外の休憩中の男子もその誘惑に逆らえてはいなかった。

 

「とある男子」に至っては自分の試合中にその光景を凝視したため、味方からのパスが顔面を直撃し、鼻血を出すトラブルが発生している。

 

少年の名は花園 聖司。

 

通称「鼻血王子」の面目躍如だった。

 

―・・ああ。僕らの「鼻血王子」が帰ってきた。

 

ボールの直撃を顔面に喰らって倒れた彼の顔は何とも幸せそうだった。一片の悔いも無かったのだろう。鼻血を出しながら仰向けの状態でずるずるとコート脇に運ばれる彼の姿を見て男子達は心の中で口々に「・・お帰り」と呟いたらしい。

さらに一説によると彼の鼻血は「ボールが当たる前に既に流れていたのではないか?」という噂がまことしやかに囁かれている。・・まぁそんな事はどうでもいいとして・・。

 

「・・絢辻さん勝ったって?」

 

「おう。大将お帰り。こっちは派手に負けたね~」

 

「無理だって・・あっちバスケ部員三人いるのに・・」

 

汗だくの有人がどっかりと梅原の隣に座り、「あーきつ」と言いながら呼吸を整えていた。

 

「絢辻さんは逆転勝ちだぜ~。最後の最後でスリーポイント決めた時にゃあ声を潜めてこそこそ見ていた野郎連中も思わず声挙げちまってたよ」

 

「ふーん・・。成績優秀・・おまけに運動神経も抜群なんだ・・」

 

「ああ・・下手な部員より即戦力クラスだな。正直棚町並みの運動力だぜ」

 

「棚町さんレベル!?それは凄いな・・」

 

「全く・・非の打ちどころがないねぇ・・絢辻さんは。そして最近掴んだ情報なんだが・・彼女創設祭の実行委員の代表にも任命されたらしいぞ」

 

「え・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育時間終了後、体育館横 水道場―

 

「ふうっ・・」

 

絢辻は大きく息を吐いて清潔な白いタオルで顔を拭う。彼女は休日の外出時等以外は基本ノーメイクだが地肌が非常にきめ細かく、白い。普段から生活リズム、食生活、睡眠に気を配っている紛れもない証拠だった。そんな些細な所からも一分のスキの無さを感じて何とも声をかけ辛い雰囲気だと有人は思った。有体に言えば見惚れていたとも言える。

 

「絢辻さん」

 

「えっ・・わっ、み、源君?もう・・驚かせないで」

 

一瞬びくっと痙攣したもののすぐに少し困ったような笑顔で有人を絢辻は見た。

 

「あ、ごめん」

 

「いいよ。ところで・・私に何か御用?」

 

「うん。・・はい」

 

「・・え?」

 

有人はペットボトル専用の保冷袋に入れられたスポーツドリンクを手渡した。運動後の乾いた体をそれだけで潤しそうな綺麗な青いラベルが光っている。

 

「どうしたの・・これ?」

 

「どーぞ」

 

「・・いいの?あ、ありがとう・・」

 

絢辻は戸惑いながらも受け取った。

 

「それじゃ」

 

有人はそれだけ手渡してとっとと帰ろうとした。

 

「???ちょっ・・ちょっと源君?・・それだけ?」

 

「うん」

 

垂れた横目で少し悪戯そうに有人は絢辻を見る。何時もの彼らしく微笑みは絶やさない。

元々丸い目を限界まで丸くして絢辻は怪訝そうに佇んだままだった。

 

「・・?ひょっとして奢ってくれるの?」

 

「うーうん」

 

有人は首を振った。

 

「え・・。それじゃあお金・・あ・・私お財布まだ更衣室・・」

 

「お金も要らないよ。もともと『絢辻さんの』だし。それ」

 

「え・・?私の?」

 

その絢辻の反応を見てそろそろ種明かしする時間だと有人は判断した。

 

「正確に言うと『絢辻さんのお姉さんが置いていった奴』だけどね」

 

そう。犬にトドメを差しかけた予備軍の残党である。

 

「あ・・・」

 

昨日ふらつきながら自転車で帰っていった有人の姿を絢辻は遅まきながら思い出す。

 

「絢辻さんのお姉さんのモノ。つまりは絢辻さんの物だよ。・・流石に全部持ってくる訳にも行かなかったけど」

 

嫌がる犬に無理矢理飲ませるくらいなら今のように運動後の乾いた体に吸収させた方がよっぽど生産的で価値があるだろう。

 

「あ・・ありがと」

 

「うん。それじゃ。お邪魔しました」

 

「あ。ちょっと待って・・源君」

 

「うん?」

 

「・・・少しお話しない?」

 

「・・俺なんかでいいの?」

 

「いいから誘ってるんだけど?」

 

「ホント?じゃあ喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・昨日は本当にゴメンね。びっくりさせちゃったよね?」

 

「何が?遊んでもらったのは俺の方だし・・むしろお姉さん何か言ってなかったか俺不安なんだけど・・馴れ馴れしいヤツとか・・」

 

「・・。あーそう言えばそんな事を言っていたような・・軽そうとかチャラそうとか・・」

 

「え・・本当?」

 

「・・嘘♪」

 

顔を横に傾かせて悪戯そうに絢辻は笑った。どうやらさっきの有人のちょっとした悪戯に対する些細な返礼らしい。一切嫌みや毒っ気のない彼女なりの冗談のようだ。

 

「・・結構心臓に悪い冗談言うんだね。絢辻さんも」

 

「ふふ・・ごめんなさい。だって源君が嘘言うんだもん」

 

「嘘?」

 

「・・ホントは源君があの人に付き合ってあげてたんでしょう?あの人すぐ他人を巻き込んだり振り回したりしちゃうから・・。おまけにこんな後始末なんかさせちゃって・・」

 

さっき有人から手渡されたスポーツドリンクを絢辻は少し傾けながらそう言った。未だ栓は開けていない。絢辻は改めて隣の有人を見て苦々しそうに笑って続ける。

 

「あの人にはちゃんと言い聞かせておくから・・後、残った他の飲み物は適当に処分しちゃっていいからね。飲むも捨てるも源君の自由よ。あ、もしそれも迷惑だったら直接私が取りに行くから」

 

「・・それいいね。絢辻さんがウチに取りに来てくれるの?」

 

「え・・」

 

絢辻の笑顔が少し曇る。どう反応していいか解らないようだ。嫌なのか、良いのか自分でも曖昧なのだろう。そんな彼女に有人は

 

「冗談です♪・・俺んちさ?三人兄弟だから消費するには事欠かないよ。むしろ凄くあり難い。昨日散々弟に『兄ちゃん。これ飲んでいいの?』って何度も聞かれたからさ?」

 

「・・もう。言っていい冗談と悪い冗談が在るわよ?」

 

絢辻は少し口を尖らせた。怒っているというより今度は少し安心し、同時に照れている口調ではあった。

 

「ごめん。・・それじゃあ在り難く頂きます。でも、さすがにあんなに貰っちゃっていいのかな?・・正直まだ結構あるよ?代金は返せると思うし受け取ってくれないかな?」

 

その有人の申し出に絢辻はふるふると首を振り、漸く調子を取り戻したかのように何時もの笑顔を向ける。

 

「ううん。気にしないで。もともと私もジュースあんまり飲まない方だし、多分あの人も完全に忘れているだろうしね?・・第一、あの人に返してまたロクでもないことに使いでもしたらそれこそ勿体ないわ」

 

折角戻った絢辻の綺麗なカオがまた複雑に曇る。その複雑な心中を有人も察し―

 

「うん。・・それは・・違いねぇ」

 

有人は苦笑いしながら前日のあの光景を反芻する。

まさに「ロクでもない事」だった。さらに本人に自覚が無い、最早恐らく記憶にもないだろう所がまた恐ろしい。

 

「でしょ?」

 

「それでもなぁ・・うーん。じゃあ・・こういうのはどう?」

 

「うん?」

 

「俺が毎日こういう風にして少しずつ学校に持ってくるからさ?絢辻さんも処分・・ゴメン言い方悪いな・・飲むのを手伝ってくれないかな?」

 

「え?毎日?でも重いでしょ?・・悪いわ」

 

「ううん。毎日の飲み物代が浮くんなら大したことないって。毎日買うと結構な出費になるしね?飲み物って」

 

「でも・・」

 

「・・これぐらいはさせてよ。絢辻さんクラスの事で色々頑張ってくれてるんだし、それに聞いたよ?実行委員長も引き受けたんだって」

 

「・・あら。源君って結構耳が早いのね」

 

「事情通が知り合いに居ましてね」

 

「梅原君ね」

 

「うん。・・無理、しないでね?」

 

「ありがとう」

 

「それに・・運動後のスポーツ飲料程美味しいものって中々無いでしょ」

 

「・・。うんそれは・・言えてるかも」

 

絢辻は遠慮がちに栓を開け、少し口に含んだスポーツ飲料をゆっくりと体に染み込ませ、吸い込ませていく。その感覚は確かに絢辻にとっても悪くない爽快感、快感だった。

 

「源君?・・お茶か紅茶はまだ残ってたかな?」

 

それを聞いて有人はにいっと笑った。

 

「・・絢辻さんが選びそうなんで優先的に保護するつもりだよ~。弟に許可出ても『これだけは飲んだら殺す』って、釘さしといたから」

 

「・・」

 

―思い付きじゃ無く、もともとこの提案をするつもりだったのね。

 

絢辻は「してやられた」的なカオをし、それを見てクスクスと笑う目の前の少年にまた困り顔をしてこう言った。

 

「・・案外イジワルね。源君って」

 

「そう?」

 

「ふふっおまけに案外タチ悪いヒトだわ。・・じゃあ・・お願いしようかしら。・・何から何までありがとう」

 

「気にしないで。こっちとしては絢辻さんに毎日話しかける口実が出来たわけだし」

 

・・中々口の減らない少年である。

 

「・・・!もう・・心にもない事を」

 

「え。な、何故バレた?」

 

「あっ、ひっど~い。ホントにタチ悪いわね!!・・くすくす」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ・・。そろそろ俺はこれで。・・ゴメンね?絢辻さんが着替える時間大分削っちゃった」

 

「ううん。お話出来て楽しかった」

 

「あ、凄く嬉しい。その言葉」

 

「・・・源君。最後に・・ちょっと、いいかな?」

 

「・・何?」

 

明らかに絢辻の雰囲気が変わった。何気ない今までの会話の中で恐らく絢辻が最も話す機会を窺っていた話題だ。今までの会話は残念ながら軽いジャブの応酬の様な全て前置きだった事は有人は解っていた。

 

「『あの人』の事なんだけど・・」

 

「・・うん」

 

「あの人って?」とは有人は聞かなかった。散々さっきから自分の姉の事を「あの人」と連呼している彼女の言葉から有人は何処となく絢辻の複雑な感情が読み取れた。恐らく絢辻も意図して言い続けたのだろう。

 

「自分から昨日の事持ち出しといて何なんだけど・・出来れば『あの人』の事・・お姉ちゃんの事とか、起きた事とか・・誰にも話さないでもらえると嬉しいかな」

 

何となく予想は出来た絢辻の頼みごとだった。理由は解らないが色々あるのだろう。

 

「分かった」

 

ただ有人は愚直に頷いて了承する。「何で?」と、ふざけて困らせるには最早明らかに空気と、そして有人の性格が許さなかった。

 

「・・ごめんなさい」

 

「こっちこそごめん」

 

「・・『何が』?」

 

「・・う~ん。『話さないでもらえると嬉しい』って言われたばっかなので答えるわけにはいかねぇな?『口は災いのもと』ってもんよ」

 

わざと梅原風の江戸っ子口調で有人は砕けた。絢辻のちょっとした悪戯な誘導尋問を茶目っ気でかわす。

 

「くすっ・・そう。・・よかった。源君で」

 

「・・う~~ん。悉く嬉しい言葉を言ってくれるよね。言葉のチョイスがいちいち上手」

 

「だってそれが狙いですもの」

 

「うわお・・」

 

「ふふっ・・ね。源君ってちょっと面白いね」

 

「え・・。そう?その手の感想は頂いた事は御座いませんが・・」

 

「私の考え汲み取ってくれたし・・昨日の事だって・・。普通は放置された面倒なゴミやら空いてない忘れられたジュースなんて絶対に面倒生まれるから放っておくわよ?」

 

「・・そうか、なぁ」

 

「そうよ。普通は」

 

「だってゴミは良くないしね。それに未開封のジュースやらがあんなに置いてあったら変な騒ぎになる可能性だってあるし。それなら事情をある程度知ってる俺が後始末すれば何の問題もないでしょ?」

 

「・・ふーん」

 

「でもホントのとこどうなんだろ?正直あんまり深く考えなかったから良く覚えてない・・」

 

「そっか・・ふふっ」

 

「?」

 

「あたし、貴方に興味が湧いたかもしれない」

 

今度は絢辻の言葉に有人が虚を突かれた形になった。

 

「・・・!もう・・心にもない事を」

 

「ふふふっ♪・・それじゃあね」

 

冗談なのか、からかったのか、それとも本気だったのか。どれともとりづらい微妙で悪戯な微笑みが有人の茶色い瞳に焼き付く。

 

何時もの優等生然とした彼女とは違う。まるで絢辻が違う生き物のような片鱗を感じる。

「女の子というのはそういうものだ」と言うのは漠然と彼の知識や世間の共通認識程度として存在したが、実際に実感するのとは全く別ものだと有人は認識した。

 

 

 

 

 

 

しかし後日―

 

 

それ自体も見当はずれであった事が解る。

 

 

彼女は全く特殊だった。

 

彼女は美しく、優秀で知的で。

そして・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絢辻と共に縁が残していった飲み物を処分する日が始まってから一週間が経ち、順調に有人の家の在庫は減っていった。

 

「これでカンバン・・かぁ」

 

そして8日目のその日、残った最後の絢辻用のミルクティーと自分用の炭酸飲料を鞄に詰め込んで有人は登校する。

 

流石に教室で絢辻に堂々と手渡すのは何かと問題があったので、一週間、人目を忍んで絢辻にそれを配り続けた。

教室移動の際、体育の授業、放課後が狙い目である。毎日人目を避け、校内の何処かに居る絢辻を探していると気付く事がある。何時も皆から頼られ、周りに常に囲まれているような印象がある彼女だが、意外にも一人の時間をとても大切にしているという事だ。

人から何かを頼まれたり、頼られると決して断らず、丁寧に時間をかけて面倒を見るのだが、それらが一切ない時、彼女はいつの間にか消えるように姿を消し、静かな場所で一人何かに集中している事が多い。

 

屋上でリラックスしていたり、テラスで本を読んでいたり、放課後の図書室で勉強をしていたりと何と言えばいいのかメリハリがキッチリとしていた。

助けが必要な誰かには必ず手を差し伸べ、それが無い時は打って変わって自分の事を、気分転換や勉強などの自分に奉仕する事も忘れていない。自分のモチベーションの保ち方をよく知っているのだろう。何と無駄のない時間の遣い方だろうと有人は感心する。

他人に傾倒しすぎる事、逆に自分の事に傾倒しすぎる事で発生する歪み、ズレを生まない生活サイクルだ。

 

そこに一人割り込むのは少し申し訳のない事で最初は憚られたが、絢辻はその度いつも温かく有人を向かい入れてくれた。

 

「密会」のような感じがして正直妙な高揚感もあった。年頃の男の子はそんなもんだ。

 

―・・居た。

 

「最終日」は屋上だった。

 

 

 

らららら・・ららら・・ラララ・・♪ラン、ラン、ラン、ランララ・・。

 

 

 

絢辻は今日、どうやら屋上でカンぺを使って英熟語を覚えた後、何か小説を呼んでいたらしい。

 

―・・・。

 

好天の風の気持ちいい日に長く、綺麗な黒髪を押さえながら足を崩して座り、一人小説を読む優等生の美しい少女。口ずさむは最近紅茶のCMの挿入歌になった曲―

中々絵になる光景である。

 

「・・こんにちは」

 

有人は屋上に吹く風に箒頭を押さえる必要もなく話しかける。彼の生まれつきの剛毛はこの程度ではへこたれない。

 

「・・源君。こんにちは」

 

「はい・・コイツでラスト。お手伝い有難うございました」

 

笑って絢辻がお気に入りだと言うミルクティーのペットボトルを渡す。

 

「お手伝いだなんて・・とんでもない。こちらこそ有難うございました」

 

「あーあ。リッチな毎日ジュースも今日でおしまいか・・明日からまた家のお茶持参だよ・・」

 

「あら。それが一番よ。健康の為とお財布の為には・・ね!」

 

そう言って絢辻は最後の紅茶の封を開け、ほんの少し口をつける。すると少し残念そうに笑ってこう言った。

 

「ん~・・でもこれが味わえないのはやっぱり少し残念かな・・悔しいけど美味しい」

 

「タダだから尚更なんだよね。じゃあ・・俺はこれで。お邪魔しました」

 

「・・え。もう行っちゃうの?」

 

「折角の休み時間だし、ゆっくり休んでね。色々忙しいんでしょ?」

 

創設祭の用意の本格化と中間試験期間、彼女一人、自分の事だけなら問題は無いが、彼女に縋りつきたい人間はゴマンといる。今日も休み時間の彼女の席の周りは満員御礼。

今、昼休みに彼女はようやく解放されて休んでいる状況を有人なりに気遣ったつもりだったが、当の絢辻が有人を呼びとめた。

 

「・・。待って?お祝いしましょうよ。そうね・・めでたく『ジュース達が無くなりました』会とか?」

 

「それめでたくないなぁ。・・むしろ『無くなっちゃった残念会』じゃない?」

 

「んふふっ♪・・そうかもね。まぁとりあえず・・乾杯」

 

「・・乾杯。御馳走様でした」

 

「お粗末さまでした」

 

軽く傾けた味気のないペットボトルが触れ合う音、そして有人の炭酸飲料の炭酸の抜ける音が好天の蒼白い空へ吸い込まれていく。

 

 

 

 

「じゃあ『be supposed to do』は?」

 

「~する事になっている」

 

「正解。じゃあ『do away with』は?」

 

「~を取り除く」

 

「・・正解」

 

絢辻特製の熟語カンぺをランダムに五〇程尋ねてみたが全く絢辻は言い淀むことなく全て言い当てた。

 

「お見事」

 

「ううん。そのカンぺは基本中の基本のカンぺだから・・」

 

「基本中の基本」とは言うものの・・恐らく今有人が持つ絢辻の五つのカンぺで軽く700~800問はある。そこから全くのランダムで50を選んだが絢辻は全く考え込む事は無かった。恐らく残り750問を聞いても絢辻は一問も間違えず、ノータイムで答えるだろう。そんな確信があった。

 

「俺も勉強しないとね・・」

 

「でも・・源君は成績決して悪くないって印象があるけど・・」

 

「定期テストはね。在る程度担当の先生の傾向さえ解ればヤマはそれなりに当たるよ。読みやすい人多いし」

 

「へぇ・・器用ね」

 

「ありがと。でも、だから地力は全然。直に勝った事無いしね」

 

「『直』って・・国枝君のこと?」

 

「うん」

 

有人は50位から60位、国枝は校内で定期試験20~30位の間を行き来している。

片や絢辻は1ケタ代。ベスト5もザラである。地力は雲泥の差だろう。50と1ケタ、数字には表れないそれ以上の差があるはず。

 

「・・でも」

 

「ん?」

 

「源君なんか全然悔しく無さそう」

 

「うん・・むしろ嬉しいかな。俺の自慢の幼馴染だもん」

 

翳りのない笑顔でそう言った。有人の本心だった。

 

「・・・」

 

その笑顔を何故か絢辻は真顔でじいっと見て少し黙っていた。有人が初めて彼女の姉―縁と出逢った日、自宅の絢辻の部屋の窓から河川敷に居る有人を見ていた時と同じような何かをシャットアウトしたような表情である。

 

「・・絢辻さん?」

 

「・・・うん?」

 

その表情を一瞬有人が知覚した後、あまりに自然に絢辻は「いつもの」絢辻に戻った。

 

「・・・」

 

―あれ?

 

「どうかしたの?源君」

 

絢辻の異変に対して先に疑問を持った有人の方が逆に「どうしたの」と聞かれるという奇妙な構図になった。

 

「・・いや、何でも」

 

―・・・?気のせいかな。

 

「そう?さて・・そろそろ教室に戻りましょうか」

 

そう言って立ち上がった絢辻の僅かな衣擦れの音と共にふぁさりと髪の毛が揺れる。体のほぼ全てのパーツに置いて有人より一回り小さい絢辻が唯一上回る箇所だ。それがさらさらと心地よい風でなびく。一本一本がまるで統率された生き物の群れのように乱れることなく順に流れていった。

 

―・・・。

 

今度はそれを見ていた有人が無表情になった。無表情になって何か推し量れぬような思考を張り巡らしていたような絢辻とは異なり、彼は完全に思考が止まり、枷が外れていた。ただバカみたいにその時の情動をあまりにも直情の過ぎる次の言葉にして発してしまった。

 

 

「・・・綺麗」

 

 

「え・・・?」

 

流石の絢辻もそのいきなりの言葉に戸惑ったようだった。その絢辻の反応に有人も気を取り戻して思わず口を塞いだ。

 

「うわっ、とととと・・ご、ごめん・・」

 

「・・!あ、あははっ」

 

自分の意思に反して他人の目を奪った自分の髪の毛を諌めるように絢辻は自分の髪の毛をあくせくと整えていた。「か、髪、髪の毛ね。ご、ごめんね。ウチの子が。ははっ!」と、でも言いたげに

 

「あ、ありがとう」

 

「・・前から思ってたんだけど絢辻さんの髪ってすっごい綺麗だよね」

 

「そ、そうかな?たまにケアしている程度よ?」

 

「へぇ・・そうなんだ」

 

そういえば先日出会った彼女の姉―縁も誰もが羨む美しい黒髪を持っていた。本人達自身のケア、努力もあるだろうが、正直素質の面が大きいだろう。男なら「凄い姉妹」だと喜び、女なら「血筋」って理不尽よねぇと愚痴の一言になってやっかみや嫉妬より諦めが先行する。そんな髪の毛だ。

 

「あのさ・・絢辻さん?怒らないで、・・聞いてくれる?」

 

「え?」

 

「・・触らせてもらっても・・・いいかな?」

 

「・・・髪を?」

 

「うん」

 

「・・・どうぞ。すこしだけなら」

 

女の子にとって大事な大事な髪の毛である。それを異性に触らせるという事は彼女にとってそれなりに有人という少年は信用が在る、という事だ。しかし勢いに任せて言った言葉がいざあっさりと通されると有人の中で現実味が失われていった。

 

―うわっ。凄い緊張する・・。

 

ゆっくりと延ばす手もまるで自分の手じゃ無いみたいだった。だが自分の手であって自分の手じゃ無いような現在の有人の指先から感じた感触は想像を超えていた。

 

―・・・!何、これ!?

 

有人は正直この言葉を口から出さないようにするのに苦労した。あまりに失礼なその単語が真っ先に浮かんだ自分の語彙力を呪う。あまりにいきなりの無茶な要求の上、さらに内心とは言えその稚拙な感想をした自分に罪悪感すら覚えた。

 

「・・どう・・かな?」

 

長い髪を伝って彼女の僅かな鼓動の乱れが届いてきそうだ。が、それにも増して自分の鼓動が有人は煩くて仕方なかった。

 

「・・」

 

―・・「どう」と言われましても。・・お願いだから言葉を取り繕う時間をください。

 

手櫛でも全く指に絡みつきそうもないまるで絹のような髪の毛である。彼女の体の一部であるにもかかわらず、温度は初冬の外気温に合わせてひんやりとしていたため、まるで澄んだ冷たい清流の川の水みたいに有人の掌を伝う。

 

 

「・・正直」

 

「・・?」

 

 

「・・ずっと触っていたいくらい」

 

 

漸く言った有人のその言葉は「取り繕えた」とはお世辞にも言えない独特の湿り気があった。

 

「え!?は、はい!おしまい!!」

 

「もうお預け!」とでも言いたげに絢辻は一歩後ずさって有人の掌から毛先をするりと解放する。

 

「・・あら」

 

「・・『あら』じゃないです。そんな風に言われると恥ずかしいわ」

 

「う・・ごめん」

 

「ふふ・・褒めちぎるのは程ほどにね?『褒める』っていうのは適度だからこそ意味があるんだから」

 

「・・ふーん。じゃあ今のが『適度』かな」

 

少し調子を取り戻して有人は何時ものように笑った。

 

「こーら。いい加減にしなさい。さ。教室に戻りましょ」

 

恥ずかしさを押し殺すように絢辻は足早に先を行く。一瞬取り残された有人もすぐにそれに続く。お互いの手には残り少なくなった紅茶、炭酸飲料が残っていた。

 

その日以降、当然ながら有人は彼女を探す口実も話す口実も無くなった。

 

でも同時必要も無くなっていた。

 

 

 

ただ少年と少女、お互いに一つの新しく生まれた「想い」を持って。

 

 

 

 

 

 

―君と。

 

 

 

 

 

―貴方と。

 

 

 

 

 

 

 

話がしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


















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