ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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ルートT 四章 仮面舞踏・解

 

 

 

 

 

 

5 仮面舞踏・解

 

 

 

「う~ん・・」

 

有人は唸っていた。

 

「お疲れ・・有人」

 

「お疲れだねぇ大将」

 

そう言って梅原、国枝の友人二人は差し入れを持って放課後の教室で唸る有人に話しかける。

 

「で、どうよ?実行委員の方は・・」

 

「・・。正直既に後悔してるよ・・自分の安直さが身に染みました・・」

 

実行委員になって早3週間。早くも有人は挫折を味わっている―と、梅原、国枝の有人の友人二人はそう判断し、彼が今凝視している実行委員会の活動予定表をひょいと国枝は取り上げた。

 

「失敬・・」

 

「あ」

 

「ま~見せてみろって。どれどれ~?」

 

同時に梅原も覗きこむ。

 

「・・・。ん?なんだ。噂ほど遅れてないじゃん。市との連携以外は順調そのものって感じだけど?」

 

「・・お~そーだな?これなら充分間に合うんじゃねーの?他の予定がほぼ計画通りで余裕があるなら市だって譲歩してくれんじゃね?あくまで『創設祭は生徒主体で行う行事』っていういつもの大義名分振りかざせばさ~?」

 

「・・・。まぁそれなりにこき使われましたからね・・」

 

「・・絢辻さんにか?まぁ彼女もいろいろ大変だったからな・・お前を頼ってくれてよかったよ。大分楽になったんじゃないか?お前がいて」

 

「・・ありがと」

 

勇気づけるようにそう言ってくれた国枝に有人は微笑んだ。そんな彼の背中を続いて梅原が

 

「源っちえらい!えらいぜぇ?引き続き頼まぁ!」

 

鼓舞するようにぽんぽん叩く。

 

「・・・」

 

しかし、微笑みながらも口数少なく、どこか憂いの在る有人の表情に

 

「・・・?」

 

幼馴染である国枝は首を傾げる。

 

「なぁその・・直・・?」

 

「・・何?」

 

 

 

「・・源君?」

 

 

 

「お」

 

―噂をすれば。

 

「おお!絢辻さん!お疲れっす!」

 

「!」

 

有人はビクッと体を痙攣させる。

 

「あら・・梅原君に国枝君・・」

 

「お疲れ様絢辻さん。有人から予定表見させてもらったけど・・順調そだね。安心した」

 

「さっすが絢辻さん!で、この予定表の修正案出したの絢辻さんなんだろ?高橋先生が偉い誉めてたぜ!」

 

梅原の心からの賛辞に現れた少女―絢辻 詞は照れくさそうに被りを振って

 

「そんな・・買いかぶりよ。それにこの予定が上手く行っているのは実行委員の皆が一人一人頑張ってくれているからこそ、よ。私一人じゃ何にも出来ないわ」

 

優等生の鑑と言える発言。

 

「・・そっか。俺らも何か手伝おうか?今日は梅原も俺もヒマだし」

 

「おう!何でも言ってくれ!」

 

「ふふ・・気持ちだけ受け取っておくわ。けど・・いざという時の為二人には作業の進み具合とかどんな状況かを知っておいてくれると嬉しいな」

 

「・・解った」

 

「了解!」

 

軌道に乗り始めた実行委員達の中にさらに新しい人員を入れるのは一見有効な手のように感じる。が、逆に人手が増えるということは個々に与えられていた自分の仕事を分担乃至奪われてしまう危険性がある。それはようやく纏まってきた実行委員達のモチベーションの低下に繋がりかねないのを絢辻は懸念しており、梅原も国枝も彼女の意図を汲みとる。

 

「・・いざという時は本当に二人に頼らせて貰う事になるかもしれないから・・せめて今はクラス内で行う創設祭の用意の事に集中して?でも・・有難うございます。・・二人共」

 

率先して手伝いを申し出てくれた二人の厚意を無碍にせず、絢辻はキッチリと礼を言った。

 

「おう!ま、その時までは大将をこき使ってやってくれ。こう見えて頼れる奴だからよ!」

 

「うん・・。じゃあ、俺らは帰るわ。・・頑張れよ有人」

 

「・・・うん」

 

「・・?有人?」

 

「有難う!じゃあ・・私達も頑張らないとね?源君!さぁ行きましょう」

 

「・・・」

 

絢辻に連れられ、有人は教室を去っていった。それを親友の二人は見送る。

だが・・その見送りの二人を見る当の有人の目を見て何故か二人の脳裡に浮かんだのが何故か「ドナドナ」のテーマだった。

 

『悲しそうな瞳で見ているよ』

 

やっぱり大変なんだろうな、と、二人は解釈した。

 

が。

 

その本当の意味を知る由は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日より二週間前・・

 

「う~ん・・」

 

有人はその時も唸っていた。

 

絢辻の先日調整した実行委員の新しい活動予定表を見て。確かに調整された予定表の日程に関して問題は特にない。むしろ良く出来ていると感心するほどである。

 

しかし・・時間的制約は緩和されても先日の絢辻の体調不良による欠席は予定云々より実行委員全員に与えた精神的影響は大きかったようだ。

もともと「生徒主導」の方針が「外注で済ませる」方針に傾きだしていたのを修正した実行委員の活動予定表を提案する事により、方向性を再び「生徒主導」に戻させたのは当の絢辻である。その彼女が体調不良によって先日倒れた事は少なからず他の実行委員を動揺させたらしい。

 

彼女のいないたった二日程の混乱で方向性の軸が再び揺らいでいたのである。

2-Aもそうなのだが創設祭の実行委員会でも彼女への依存度は低くない。

 

「どうかな・・?源君」

 

絢辻も不安そうに有人に尋ねる。

 

「・・『絢辻さんの負担が大きすぎる』って言ってた高橋先生の気持ちがよ~く解ったよ・・」

 

「あ、は、はは・・そうでも無い・・けど」

 

謙遜しながらも絢辻もやや複雑そうに眉を歪めてそう言った。

 

「・・・。基本実行委員で常に作業を行える人の割合が少なすぎるね・・特に二年生は部活と委員会活動と掛け持ちしてる主力メンツが多いし・・常に動けるのは一年生が殆どか・・」

 

そして女性陣が多いのも特徴である。もともと今年入学した一年生は女子の割合が例年より高く、必然的に実行委員も部活をしていない線の細い女の子たちが多い。繊細でち密、丁寧な作業は彼女達の美点だが、勢いと力で例え粗削りでも物事を一気に進める行動力、破壊力には乏しい。

そもそも創設祭の準備は力作業が少なくないのだ。それを手間無く、かつ安全に進めるのであれば外注して全てプロに任せたくなるのも解らないでも無い。

 

「今からでも力作業を推し進める人員が欲しいな・・とりあえず形だけでもいいから一旦在る程度の水準までのっけて・・あとは実行委員で丁寧に修正すれば・・」

 

「それに関しては・・今も新しい実行委員の勧誘を続けちゃいるんだけどね・・」

 

「芳しくない」と、いうことか。

 

「・・『飴』が必要かな」

 

「・・『飴』?」

 

「絢辻さん・・出来る限り実行委員で成績のいい子を集めてくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中間テスト期間・・部活動は一切活動を停止し、部活動をしている屈強な生徒達は馴れない鉛筆を握り、何処から手をつけていいか解らない苦渋の時間が始まる。

 

そして後日、返却された答案用紙を前に絶望するのである。

 

彼らに日々の積み重ねで得る堅実な学習力を期待するのは酷だ。稀に双方をソツなくこなせる人間はいるもののごく一部である。彼らに必要なのはテスト期間中の拷問のような短期集中、詰め込み学習である。

 

そこで・・だ。有人は考えた。

 

成績優秀、かつ教師に全幅の信頼を持っている生徒を実行委員の中から探してみると―

 

これがいるいる。

 

腕っ節は草野球でも頭脳と信頼ではメジャークラスの生徒達が。その子達に今回の中間試験範囲の問題を予想させる。

 

その子達は解らない所をちゃんと教師たちにこまめに聞きに行く習慣がある。つまるところ教師との接触回数が多いという事は試験に出題される問題の傾向を推し量れる可能性が高くなるのである。それらのデータ、また、授業の内容も情報として集めさせ、提出させた。

 

そしてそれをもとに絢辻が内容を吟味、抽出させると・・何ともコンパクトで要点の解りやすいテスト対策用紙が出来上がった。

 

はっきり言って「短期集中、詰め込み型」の人間が喉から手が出るほど欲しい特製出題予想用紙である。作った当の絢辻も集めたデータをほんの二日でまとめ、

 

「ついでに一年生の時の学習内容が復習出来て丁度良かったわ♪」

 

・・などと喜んでいた。彼女のあまりの勉強家ぶりに頭が下がるばかりである。そして・・部活動と実行委員を掛け持ちしている二年生―時期的に三年生が引退、部活でも最早重鎮になっているメンツに以下の様な悪魔の囁きを行うのだ。

 

「部活動は精力的だが少し成績が不安な同輩、後輩生徒はいないか・・?」と。

 

・・そして集まる。頭は草野球でも腕っ節はメジャークラスの生徒達が。

その子達に漏れなく絢辻、精鋭実行委員達特製のテスト範囲予想問題集が配られる。

その見返りとして貴重な力作業要員が手に入るというワケだ。

 

それにこのようにすれば彼らが勉強についてもし解らない事があっても絢辻を含めた直接成績優秀な実行委員に作業の合間を縫って聞く事も出来る。単に詰め込みをするだけでなく純粋に成績優秀者の学習法を学ぶ機会を得る事が出来るのだ。悪い事では無い。

作業を共にする事によって普段は特に関わりあいの無い生徒同士が仲良くなるという利点もある。

 

同性同士はもちろん、異性同士でもだ。

 

事実、今年の実行委員には女の子が多い事もあり、中間テスト期間が終わった後も下心があるのか手伝いに来てくれる部活の男子生徒も少なくなかった。

 

そして運命の中間テスト後―

 

―・・・?

 

妙に平均点の高かった部活生徒達に教師達は喜ぶ半面首を傾げる。力作業を全般的に任す事によって現実行委員の負担が減る。心配されていたクオリティ低下も予想範囲内かそれ以下である。

 

もともと部活動を真面目に出来る人間は目の前の事に手を抜かない性分である子が多い。そこに実行委員のフォロー、絢辻の的確な指示もあって作業は思いの外順調だった。

テスト期間という作業の鈍化が起こりやすい期間中に多くの作業量をこなせたのは幸いである。

そして帰ってきたテストの結果にホッと胸を撫で下ろして嬉しそうに報告してくれる後輩の子達に絢辻もホッとした。絢辻が監修した特製のテスト予想問題集は中々的確だったらしい。

 

実行委員の子達も大抵の子が何時もと同様、もしくは成績をあげてくれたのも絢辻を喜ばせた。成績が下がった事を理由に実行委員会の行動の自粛を迫られる生徒が出る心配も抑えられ、既存の人員を確保出来たまま、創設祭の準備は後半に入れることになった。

 

「成程ね・・」

 

絢辻はテスト予想問題集に関してお礼を言ってくれた一年生の後輩を見送ると傍らで作業をしていた有人を見てそう言った。

 

「・・基本俺もテスト前に詰め込む方のダメな人間ですから・・」

 

「ダメなんかじゃありません。それは頑張ってくれた皆を否定する言葉よ?」

 

「・・そだね。ゴメン」

 

「・・『積み重ねることが大事』ってのは解るけど・・時には例え短い時間でも目の前の事に本気で集中できれば凄い事が出来るし、新しい事にも気付く事が出来るってことよね・・」

 

「そこまで計算した訳じゃないよ。自分が望んでいない、もしくは特に興味がない事をやる、やらせる以上、何か動機や、見返りがあれば楽しくやれるんじゃないかなって思っただけ・・その見返りを作ったのは絢辻さんと実行委員の皆だよ」

 

「ふふっ・・そうね?だったら嬉しいわ」

 

作業と学業を両立させ、少し自信が付き、頼もしくなった後輩たちの姿を見て絢辻は大きく深呼吸し、何かを決心したように有人を見た。

 

 

「ねぇ・・源君?」

 

「はい?」

 

「い、何時でもいいんだけど・・しょの・・」

 

「え・・」

 

―噛んだ?「あの」絢辻さんが?

 

「噛んだ・・」と小声でやや恥ずかしそうに絢辻はバツが悪そうに目線を逸らした。

 

「・・?」

 

 

「・・!その・・ちょっと待ってね?すぅ~~~っ・・はぁ・・」

 

また深呼吸。相当に珍しい。

 

「・・よしっ。源君?」

 

「はい?」

 

 

「・・何時でもいいんだけど・・私と・・お出かけしてくれませんか?」

 

 

胸の前で掌を合わせ、懇願するように絢辻はそう言った。

 

「・・・え」

 

意外すぎる絢辻の申し出に有人は言葉を失う。

 

「その・・ダメ、かな?」

 

「・・マジ?」

 

「・・まじ」

 

似合わない、絢辻らしくない台詞だがそこが妙に可愛い。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

「全っ然OKだけど・・俺なんかでいいの?」

 

「・・またそう言う風に聞く・・自分を卑下するのもほどほどにね?源君」

 

「あ・・ゴメン。・・それじゃあ明後日の木曜は?確か高橋先生にこの日は『絢辻さん休養日』って言われて絢辻さん委員会お休みだよね?」

 

「うん!その日なら・・源君は?」

 

「俺もじゃあ・・笹部あたりに作業引き継いでその日変わってもらうよ」

 

「そっか・・急で御免なさいね?」

 

「ううん。絢辻さんの貴重な休みに使ってもらえるのなら幸いです」

 

「・・」

 

「う・・今のもダメ?」

 

「『使う』ってのはちょっと・・私が源君を振り回しているみたいじゃない」

 

「・・あながち間違ってないんじゃ?」

 

「・・言うわね~源君って。・・ふふっ」

 

「・・ふふっ」

 

「ありがと・・じゃあ明後日に」

 

 

この二人の幸せなやり取りが有人にとって本当にシャレで済まなくなる事件が起きるXデーまで―

 

 

・・あと二日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木曜―

 

・・X DAY

 

 

放課後2-A教室にて

 

「有人・・今日笹部に委員会引き継いだんだって?」

 

「うん。まぁ。ちょっとお休みもらおうかな~~って」

 

「って事はゲン久しぶりにヒマなんだな?なら・・俺と一緒にプーを手懐ける協力をしてくれ!ゲンと一緒ならあの気難しい黒猫も何か今日いける気がする~~」

 

国枝と共に居た少年―杉内は懇願するように言った。彼がかける多種多様のモーションを全て袖にする強敵の黒猫―プー相手に彼は最近手詰まり状態であったのだ。

 

「・・無いと思います」

 

「ゲ~~ン・・俺達友達だろう~~?」

 

「いりません・・猫を手懐ける為に利用されるような友情なんて・・。広大ゴメン。今日は他にちょっと予定があるんだ」

 

「・・ほら杉内。帰るぞ。有人は諦めろ。じゃなー」

 

国枝はそれ以上有人を詮索することなく、ずるずると杉内を引っ張っていってくれた。

 

「じゃあね。広大、直」

 

友人達を見送り、夕暮れの教室でぽつんと有人は一人になった。

絢辻は先に2-Aクラス委員の仕事、そしてやっぱり気になった実行委員の後輩達の様子をほんの少しだけ見に行く、とのことである。

「自分から誘っておいて御免なさい。やっぱり少し心配で・・・」と、彼女は謝っていた。

有人は気にすることなく「適当に教室でゴロゴロしておくよ」と、絢辻に言った通り、机の上に上半身を預け、傾いた陽で日向ぼっこする猫のようにゴロゴロした。

 

―~~♪お出かけ日和のいいお天気~♪

 

そんな「毛づくろい」の様な事を終え、本当にやることが無くなった有人は席を立ち、少しうろうろする。実際彼も落ち着かないのだ。

一体絢辻はどこに出かけるつもりなのだろう?それも有人と二人で、だ。

 

―・・・。

 

何気なく有人はかつて一学期の春―絢辻が作った自己紹介用紙がクラスの全員分貼られていたことすら忘れられた教室の後ろの味気ない掲示板を見る。そこには今は生徒会の報告書や高卒後の就職先への斡旋を行う学校側の企業案内などが貼られている。

今の有人には何とも味気なく、人間味を感じない事務的な内容だ。暇つぶしには少々荷が重い。

 

せめてここにあの時の自己紹介用紙があったらどんなに在り難い事だろう。

新学年が始まって半年以上が経ち、クラスメイト達がどんな人間か大体理解した今だからこそ敢えて見たくなるものだ。当時それを見た彼らの印象と、在る程度解ってきた今の彼らの印象と見比べたら中々面白いに違いない。

そうすれば彼女―絢辻が来るまでの時間などあっという間だろう。

ひょっとしたら絢辻が来ても逆に有人自身が「ちょっと待って」と言ってしまうかもしれない。

 

―・・しょうがないわね。少しだけ、よ?

 

そんな事を言いながら少し困ったカオで有人を見る絢辻の顔が脳裡に浮かぶ。

しかしそれは決して実現しない。何時外されたかもしれない自己紹介用紙達は外された後何処に行ったのだろうか。多分クラスメイトの今更誰に聞いても明確な答えは返ってこないだろう。「そういや、いつの間にか無くなっていたな」ぐらいの感想しかないだろう。

 

―ん?・・でもひょっとしたら絢辻さんなら・・?

 

絢辻なら何かを知っているかもしれない。記憶力のいい彼女なら?そして元々彼女が提案したものだ。それがいざ取り外される時は何らかの相談が彼女にされていてもおかしくないのではないか?

 

―・・いい話題が出来たな?絢辻さんに聞いてみようっと・・。

 

有人がそう思い、少し上機嫌で席に戻ろうとした時、

 

コツ・・

 

彼の左足に何かが当たった。

 

 

「・・・・ん?」

 

黒く小さな長方形の物体が有人の足に寄り添うようにくっついていた。

違和感ですぐ足を止めたのが幸いだった。蹴り飛ばさなくて良かったと内心有人はほっとする。

 

―・・手帳?

 

通常、一年のこの時期になれば大抵の人物の物はくたびれた、中古感がぬぐえなくなるその物体は未だ新品のように黒光りしている。相当丁寧に扱っているのだろう。

人物によっては手帳とは時にタダの飾りでもある。

だが落とされていたその物体の佇まいからして落とし主にとってのそれの重要性はすぐに理解出来た。「確実に困っているはずだ」、と。

 

「よっと・・・」

 

有人はそれを拾い上げる。落とし主はほぼ間違いなくこのクラスの人間。どこかに個人を特定するものさえ載っていればどうにかなる。後は担任にでも渡しておけばいい。知り合いなら電話で知らせてやればいいだろう

 

・・正直軽い気持ちだった。その物体の意味も、重みも何も知らない無知ゆえの行動。

 

―ちょっと失礼します。持ち主さん。

 

とりあえずプライバシーもあるのでぱらぱらと内容は頭にいれようとせずに適当にめくる。

 

―・・恐ろしく字が綺麗だ。どうやら女の子だなコレは。

 

おまけに予定もびっしりくさい。担任に渡す事決定。帰り際に職員室でも寄ればいいだろうと席に戻りかけたが、つと思考が待ったをかけ、足が止まる。

 

―・・・?この字どっかで・・・?

 

有人がそう思った瞬間だった。背後で教室の前方の扉が開き、反射的に有人は両手で覆うように手帳を閉じると同時に振りかえる。その字の既視感とその眼に映った光景で有人は全てを理解した

 

しかし・・合点がいったと同時に生まれたのは違和感だった。

 

―あれ・・・?

 

 

 

 

 

 

 

「絢辻さん」

 

有人は確かにそう言った。だが・・その言葉はまるで確認するかのような疑問形の響きを隠さなかった。

 

「絢辻さん?」

 

「・・・」

 

絢辻は黙ったままだった。

 

―・・「また」、だ・・。

 

彼女は時折このような表情をする。

全ての接続を「断った」かのような顔をして、しかしその内部は何か有人では感じ取ることも出来ない「何か」が動いている。蠢いている―そんな感じだった。

しかし、何時もは一瞬のはずのその現象が妙に長い。今までは有人自身がその「現象」がひょっとしたら自分の気のせい、ただの勘違いの産物であると思っていたが今日、今この時にそれがその類の物では無い事を実感した。

 

「・・源君?」

 

少し首を傾かせ、長い髪がほんの少し揺れたかと思うと絢辻はいつもの表情に戻り、そう言った。

 

「・・・!あ、はい?」

 

「ゴメンね・・御待たせしました」

 

「いや・・大丈夫だよ」

 

「・・それ・・」

 

絢辻はそう言って人差指を伸ばし、有人が両手で挟んでいる手帳を指差す。

 

「あ、これ?ここに落ちてて今丁度拾ったとこなんだけど・・」

 

有人は既に気付いていた。手帳の持ち主が誰であるかを。それが裏付けられるのも一瞬だった。

 

「それ・・私の手帳なの」

 

「そうなの?丁度良かった。誰のか解らないから職員室にでも持っていこうかと思ってたんだ」

 

「・・そう。ありがとう。・・返してくれるかな?」

 

「あ、うん。はいどうぞ」

 

正直現時点では内容は頭に入っていなくとも手帳を覗き見した事は紛れもない事実だったため、その手の罪悪感が徐々に有人の体を覆い始める。

―そりゃあ他人に、それも異性に自分の予定やらなんやらをひょっとしたら覗かれていたとしたら戸惑ったり、複雑な気分になるのも頷ける・・そう考えていた。

が―

 

「現実」を有人が認識するのにさほど時間はかからない。自分がどれ程のアンタッチャブルに触れたか理解するまで。

 

「あ、ありがとう」

 

絢辻は恥ずかしさのあまりしゃくって取るとか、逆に畏まって賞状でも受け取る時みたいに両手で受け取る事も無く、極自然に片手で手帳を受け取った。

ただ有人の手から手帳が離れる際、絢辻の手帳を掴む力と有人の手から引き離すような力が妙に強いと感じた。普段の絢辻からは連想が難しい見た目には表れない違和感がある。

 

何か・・何かがおかしい。

 

「・・・?」

 

「ほ・・。そ、その・・じゃあ行きましょうか。本当に御待たせしてゴメンねっ」

 

安堵した絢辻がほんの少し背を向けて有人を誘導しようとした。

 

「あ、うん」

 

見ている方が逆に安堵する様な絢辻の安堵の表情に有人が落ち着き、気を取り直してそれに続こうとすると・・

 

「・・・源君」

 

「・・ん?何?」

 

「ひょっとして・・もしかして中を見ちゃったりした?」

 

背を向けたまま・・絢辻はそう言った。それを聞いて有人はどうやら自分が思った以上に絢辻は相当恥ずかしかったんだろうなと解釈し、下手に嘘を言うのも申し訳なく感じた。

誤解に誤解が積み重なっていた事をその時の有人は知る由もない。

 

「・・・ゴメン。どこかに名前があれば持ち主に直接返せるかなって思って・・すこしだけ」

 

「・・そう」

 

「正直言っちゃうと・・字を見た時点で絢辻さんのじゃないか?ってのは思っていたんだけどね・・あっはは・・」

 

少し有人は照れてそう言った。この時の自分を有人は過去に戻って後ろから張り倒したくなる。そしてこう言うのだ。

 

―・・ここは俺に任せて先に行け。

 

これ程人生でこの台詞を言うチャンスは無かったろう。まぁタイムリープが出来る前提での話だが。

 

 

 

 

「・・」

 

絢辻は背を向けたまま尚も押し黙る。これも有人の誤解を煽った。

 

「はは・・」

 

「・・・見ちゃったんだ」

 

「・・ごめんね」

 

「・・よりによって貴方・・か」

 

「え?」

 

絢辻は有人から背を向けたままいつものように女の子らしい右手で髪を掻き上げる動作をした。相変わらず優雅で美しい動作だ。後ろ姿でも独特の色香がある。

 

・・だが・・右手が絹のような髪を撫でて首筋に達したと同時に―

 

 

「考えられない」所作が行われる。

 

―え。

 

 

 

こきっ

 

 

 

絢辻は気だるそうに左手を腰にあて、右手をうなじに回して首をコキッと回し、こう言った。

 

 

 

 

「あ~あ・・マズッたなぁ。手間が省けたって言えばそうなのかもしんないけど・・」

 

 

 

 

「・・・!!!???」

 

 

 

「不本意だ・・わ!」

 

 

 

 

背を向けながらも「彼女」は明らかに有人の位置を把握していた。ズレの無い軌道で絢辻の腕が有人の胸元のタイを捉える。次の瞬間、有人の視線から絢辻が急に消えた。

そのかわりに有人に与えられたのは何時もの優しい「あの子」の髪の香りと顎から下の気配、そして・・違う意味で意識が遠のくほどの強靭な力で締め付けられる首への圧力である。

 

ぎりぎり

 

彼女は有人のネクタイで彼を引き寄せ、完全に懐に入った。格闘技的に言うなら完全有利な状況である。

さらに戦意がある相手ならともかく、完全な不意打ちである。混乱する頭の上に、酸素の供給減をシャットアウトされては成すすべがない。苦痛と妙な恥辱と高揚感が混ざった形容しがたい意識の中で有人はその名前を呼んだ。

 

―絢辻・・さん!?

 

「見たわね・・?はっきり答えなさい・・?」

 

さっきまでと比べると優しい口調だが明らかに危険な香りがする。

声は確かにあの絢辻 詞の声。だが、違う。

 

違うのだ。

 

混乱した頭の中で有人は便宜上、今この自分の首を絞めている彼女を絢辻(?)と呼称した。

 

「・・・!!??」

 

「・・答えなさい?見たのね?」

 

「答えろ」と言う割には解答者にその余裕を与えていない。しかし、全く声が出せない状態でも無い。拷問の基本を心得ている。苦痛から逃れたい故の間に合わせの相手の自供を聞きだすのではなく、確実に真意を問いただすための詰問もとい拷問だ。

それ故、有人は真意を話す。もとい彼は真実を知られようともやましい事など一つもない。

・・無い事も無いかもしれないが。

 

「な、何が・・?」

 

「・・こ~~ら。質問を質問で返さないの・・」

 

真実を述べたとしてもこの解答は絢辻(?)のお気に召さなかったらしい。少し首への圧力が増した。ぐぇと情けない声が有人の喉から洩れる。

 

「『見た』?『見てない』?で、答えなさい。ま。どっちを答えようと結果は同じなんだけどね・・酷い事になるの。解る?」

 

―・・!どっちにしても絶望じゃないか。

 

どうやら絢辻(?)は「見た」と確信しているらしい。確かに手帳の中身は見た。絢辻の字だという事は解った。確かにそういう意味では有人は「見た」。しかし、それで死ぬのか?死ななければならないのか?

 

「・・・俺は何を『見た』のさ・・?」

 

「・・・。意味不明ね。よくこの状況でそんな台詞吐けるわねぇ?」

 

そんな反応を絢辻(?)はしたが、ひょっとしたら力加減を間違えて有人が必要以上に正気を失っていると思ったのか幾分締め付けは和らいだ。やや発言が楽になる。

 

「・・こっちも意味不明なんだって」

 

「・・・意味不明か・・。まぁこんな状況になってそう思っちゃうのも解る気がするけどね・・うんうん」

 

理解は示しているようだが歩み寄りは全くない。

 

「そうじゃ無くて・・!」

 

「ん~~?・・何がそうじゃないって言うの~~?」

 

「その・・なんていうか・・」

 

「・・嘘がヘタね。正直者は馬鹿を見るって奴かしら?」

 

―ダメだ・・埒が明かない。

 

 

・・ぱっ

 

その状況が長く続く事を絢辻(?)もよしとしなかったのか急に有人は解放された。

 

「待って。・・ここじゃいずれ人目についちゃう可能性が高いわね。場所変えるわよ?ついてきて」

 

顔は有人から逸らさず目線だけで鋭く周囲を窺い、絢辻(?)はそう切り出した。

 

「・・・!?」

 

「言っとくけど逃げないでね」

 

ただそれだけの言葉だったが有無を言わせない迫力があった。逃げるという一時的な見返りを得て生じる割に合わないリスクを確信するような語気である。

 

「それと人のいない場所に出るまでは何時ものように振舞って。実行委員の子達に会って余計な心配かけたくないから」

 

絢辻は有人の知る限り命令した事が無い。

いつも「~してほしい。」やら、「~してくれるかな?」などの少し迂回する表現を使う。

それ故断りやすい。(ある意味断りにくいが)だがこの絢辻(?)のセリフは対称的である。

断る事を強制的に阻止する凄味が備わっている命令、厳命である。有人はYESマンになるしかなかった。

 

「・・・」

 

しかし・・実行委員の後輩に対する配慮に少し何時もの絢辻の名残を感じ、戸惑いながらも有人は彼女についていく。

 

 

―一体・・

 

 

何が起こってるんだ・・?

 

 

 

 

 

「絢辻先輩。源先輩さようなら」

 

「はい!さようなら。後はよろしくね」

 

「あ、絢辻先輩、お疲れ様です。源先輩もさようなら」

 

「お疲れ様。頑張ってね」

 

「はい!」

 

「・・うん。安全第一で頑張ってね」

 

今は何よりも自分の安全が欲しい有人は絞り出すような笑顔でそう言った。

 

「はい!」

 

 

「おお!?先輩達デートっすか!?うらやましいな~」

 

一年の男子、実行委員の中ではムードメーカーだが少し口の軽いヤンチャな後輩がからかうように二人に声をかける。

 

「・・もう。口より手を動かしなさい久野君」

 

ヤンチャな少年は冷やかすように少しひひひと無邪気に笑い、「これはお邪魔しました」というような素振りをする。何処の学校にも何人かは存在する所謂「不良」の生徒も絢辻には頭が上がらない。少し照れながらも凛と諌める何時もの絢辻である。

しかし・・確実にこの少女は先程教室から共に出た絢辻(?)と同一人物である。

 

「じゃあお気をつけて~。源先輩!絢辻先輩ちゃんと送るんすよ~?送り狼になっちゃダメっすよ~。そんな事になったら俺先輩でもボコりますから~」

 

「もう!久野君ったら!!」

 

「・・」

 

―・・狼?あの赤ずきんちゃんを食べたって言うイヌ科の草原や森林に棲む猛獣のことか?

・・俺が?いや、むしろ・・

 

「源君?行きましょうか?」

 

振り返った目の前の可憐な、どちらかと言えば確実に「赤ずきんちゃん」に該当する部類の少女の笑顔に有人は戦慄を覚え、今は校内で余計な事を考えるべきではないと気持ちを切り替えた。

 

 

 

・・絢辻(?)に連れられ、随分と歩いた。

 

未だに絢辻(?)は口を開かない。そして有人も話しかけるタイミングを逸していた。そもそも自分から話しかける事を絢辻の後ろ姿から禁止されているように感じたため、有人はひたすら足だけ動かした。

そして在る場所にさしかかると絢辻の歩みに変化が生じた。

 

―え?ここ・・。

 

吉備東神社の入り口への階段である。そこの階段の一段目に絢辻(?)は足を置いた。どうやら行くつもりらしい。人目の無さにはかなり高ランクな静かな場所である。

 

・・断末魔もさぞかし聞こえにくいに違いない。犯行後その場で即死体を埋めることも可能だ。在りがちなサスペンスドラマの展開を妄想しつつ有人は階段を上る。

 

 

―・・・。

 

 

少し寒いがまだまだ森林浴を楽しめる気候である。風が奏でる森の音は心地よい。

普段初詣や縁日など人がごった返す時以外は有人には特に縁の無い場所であるが、有人にとって「季節外れ」の神社は存外退屈には程遠い場所だった。旅行で神社や寺を回る人間の気持ちが良く解る。風流の言葉の意味を垣間見たような気がした。

 

 

 

「・・・こっち」

 

絢辻が唐突に口を開いた。両手を後ろに回したまま有人の一歩前を進み、帰り道終始無言だった彼女が初めて口を開いた。目的地が近いのだろう。だがその方向は・・

 

「・・『こっち』って?え?えぇ・・?」

 

神社の裏手への入り口を絢辻は進む。むしろ入り口とは言えない。普通に参拝に訪れた人間は決して踏み入る事は無いであろう場所に絢辻(?)は惜しげもなく侵入していく。

 

―「そこ」・・入って大丈夫なの?

 

と、有人が正直思った程である。しかし絢辻(?)は馴れているかのように何の躊躇いも無く歩を進めた。対称的に有人は周りを思わず窺って誰もいない事を再確認し、少し出遅れた足をそそくさと挙動不審さ全開で入っていった。

 

「・・・わ」

 

この社の裏に今まで彼は足を踏み入れた事は無かった。思った以上にその空間は広い。

生い茂った深い緑の樹林が風に吹かれざぁざぁと音を立てる。それらをバックに石碑、灯篭が整然と並ぶ。社の軒下には座れるスペースもあり、成程。何か考え事をする際には丁度いい、絢辻らしい「隠れ家」かもしれない。正直心地いい場所だ。

 

出遅れた有人が裏手への曲がり角を曲がってその光景に僅かな驚きと、そこに足を止めていた絢辻(?)を見、ここが目的地だと理解する。

 

「こんな所あったんだね・・」

 

ちょっとした触りの言葉。その言葉に続けて「ここって入って大丈夫なの?」と有人は続けようとする。が・・

 

「・・・。本題に入りましょうか・・」

 

絢辻が遮る。一息つくつもりは無いらしい。景色を愛でるヒマはないようだ。

 

―・・・?「絢辻」さん?

 

意外にも有人が今知覚した絢辻は「絢辻」だった。だが・・厳密に言うといつもの絢辻に限りなく近い「絢辻」という表現が一番近い。その証拠に語気は何時もと変わらないものの異常なほど表情を押し隠していた。その表情は何時ものように美しい彼女の顔だったがどこかCGのような危うい作られた完璧さを持った表情に感じる。その「絢辻」が尚も言葉を紡ぐ。

 

「お願い・・正直に答えて下さい」

 

「嘘をつく事は何よりも誠意を損じる行為だよ」と、感じさせる語調で「絢辻」はそう言う。境内、社の軒下、神の御許での虚偽の解答は許されない。

 

ザァッ・・

 

風に「絢辻」の長い髪が舞う。その様は神々しさすら感じられるが、同時にどこか寂しく、物悲しい。

 

「・・うん」

 

「貴方は手帳を『見た』?」

 

「・・見ました」

 

「どこを?」

 

「予定とメモ欄の所を少し・・」

 

「そう・・・メモ欄をね」

 

どうやらそこが「絢辻」の懸念点だった「らしい」。しかし―

 

「でも本当に詳しい内容までは・・元々手帳を覗く以上、内容は頭に入れないようにしようと思ってたし・・それに字体さえ見れば誰かはともかく男女の予想は付くと思ったからそれさえ解れば対処も楽になるかなって思って・・。・・教室に落ちていたって事はまずウチのクラスの誰かだし・・正直軽い気持ちで。それに関しては軽率だったって思ってる・・。その、ゴメン・・」

 

「・・確かに手帳は『見た』。でも内容は『見てない』。そういうこと?」

 

「うん。・・信じてもらえないかもしれないけど事実です」

 

「本当に?」

 

尚も「絢辻」は聞き直す。

 

「・・字ですぐにまず女の子だと解ったし・・それにあの字に見覚えが全く無かった訳じゃ無かったから内容が頭に入る前に見る事は止めたと思うんだけど・・」

 

「・・本当に?」

 

「うん・・それは信じて欲しいかな」

 

「・・・・。ふぅ・・」

 

そう言い切った有人を見て「絢辻」は大きな溜息をついた。そして有人から瞳だけをそらし、右手の人差指で右目の下をコリコリと掻く。人間がよくする動作ではあるが「絢辻」のその動作には異質な印象を受けた。もともとそのような所作をするイメージは無い上に彼女の場合はどこか・・自分の肌に合わない着衣を着た結果、生じた形容しがたい「痒み」に仕方なしに片手間に対応している・・そんな風に感じる。

 

しばしの沈黙が場を包む。再び口を開いたのは「絢辻」だった。

 

「・・今日ね。もともと私は貴方を『ここ』に誘うつもりだったの」

 

「・・?」

 

「順を追って話をするつもりだったんだけど・・思うように行かないものね」

 

少し溜息をついて「絢辻」は苦笑いした。表情が戻った。「絢辻」はいつもの絢辻に戻る。

 

「話・・?」

 

「さて・・源君には二つの選択肢があります!」

 

有人の言葉には反応せず、絢辻は右手の指を二本立てる。何処か事務的ながらも楽しそうに戯れるような茶目っ気を込めた声であった。

 

「今から私はこの場を少し離れます。ここに残るも帰るも貴方の自由です」

 

「え?」

 

「ただし!『帰る』を選ぶには条件があります。『今日起きた事を一切忘れて絶対誰にも話さずここを去る事』・・です」

 

「・・・???」

 

頭から混乱と疑問が抜けない怪訝な表情の有人にくすりと笑って

 

「・・・嫌だったら本当に帰ってもいいから・・そのかわり誰にも言わないで」

 

努めて明るく振舞っていたが語尾がやや物悲しそうに感じたのは有人の気のせいだろうか。今日起きた事を「全てを無かった事にする」申し出、それがどこか寂しいのかもしれない。

 

「・・」

 

「多分それが源君の為でもあるから・・お勧めはこっちだけどね」

 

「・・ここに残れば・・?」

 

「・・ネタを少しばらしちゃったから大体想像はつくかもしれないけど・・お勧めはしないかな?けど・・」

 

「けど・・?」

 

「『今日起きた事を一切忘れず、誰かに話してしまう』よりかはマシかな?」

 

そう言って本当に絢辻は有人から背を向けた。そして有人の視界から消える社の曲がり角の直前で立ち止まり、

 

 

「じゃあ・・気が向いたらまた会いましょ?気が向かなかったら・・また明日、ね?・・源君?」

 

 

そう言って絢辻は微笑む。少し困ったように眉をひそめながら。

 

明日また会う事前提の言葉。でもどこか今生の別れの様な去り際の絢辻の言葉であった。

 

「・・・」

 

その場にポツンと有人は残される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















―・・・んあ~あ・・。




・・・やっちゃった。






あたしとした事がこんなポカをするなんて・・よりにもよってこんな日に・・。全く・・何をやっているんだか。

ちゃんと段取り踏んで、相手の受け答えも反応も予想して、出来る限り引かれないように徐々に、徐々に振舞っていこうとしてたのにぃ・・。

元々あの手帳が誰かに見られた際に考えていた対策・・いくら焦っていたとはいえ実行しちゃダメでしょあたし・・。
それにあの人・・実は大して内容を見てなかったっていうオマケ付き。忘れてた・・あの人が結構なお人好しでかつ変な人だったこと・・。全く・・程ほどにしときなさいよね?むしろ弱み握って嬉々として迫ってくるなら対応のし様もツブシ甲斐もあるのに・・。


・・・。

・・びっくりしただろうな。

・・引いてるだろうな。

事実血の気も引いていたみたいだったし・・。そしてあろうことか意味不明な数々の言葉を残して去るあたし・・。

あんなんじゃ残ってくれるわけ無いじゃない。とっくに逃げ帰ってるに違いないわ・・。


・・ふぅ。そろそろ戻りましょうか・・とりあえず確認はしとかないと・・ね。


少女は少年の居る・・かもしれない、居なくなったかもしれない神社の裏口をひょっこりと覗きこむ。






「・・・」






―・・・。「忘れてた」。

少女はそう思った。

さっきそう思ったばかりなのに。忘れていた。全く本当に今日の自分はどうかしている。

自分が触れて欲しく無い、ひた隠しにしてきた自分の「領域」に意図せず迷い込んでしまった少年がお人好しでかつ変な人だという事を。


「あ・・っ!・・はは」


戻ってくる自分に気を遣おうとでもしているのか、それとも混乱の中全く足が動かず、ただ立ち尽くしていただけなのか、それとも見た目に似合わず大胆な好奇心を持った少年なのか―

それは解らない。

先程とほぼ立ち位置が変わらないまま少年は少女を待っていた。
目のやり場に困っていたらしいが戻ってきた絢辻の姿を認め、少し安心したのか不安が隠しきれないながらもとりあえず笑って見せてきた。
引き攣っていると言えばそれまでだが今できる最大限の努力で笑って見せている。
その姿に絢辻はまた深い溜息をつく。そして思う。

―嘘をつかないって・・楽しくないけどラクね。

そして溜息と同時に伏せた目が薄く開き、口の端が緩む。ただし何時もの柔和で包み込む彼女の笑顔ではなく、不敵で強気。「緩む」というより「歪む」といった形容の方がしっくりする。
少なくとも今の彼女にそのどちらかの表現が適当か本人自身に判断してもらっても恐らく彼女自身も後者を選ぶであろう。
挑戦的で攻撃的な「歪み」。
さらに水晶のような瞳も何時もとは異なる光を帯びる。見た目の変化は無きに等しいのに青が赤に変わったような真逆の変化が引き起こされているかのような瞳の輝き。と、それにさらに拍車をかけるように整えられた眉は鈍角な緩いカーブから鋭角にこちらは顕著に変化している。



「・・・御待たせ。気持ち切り替えて来たわよ」



今彼女の人生で些細な、しかし一大決心を抱えた大きな変化の渦が始まる。




今―




仮面舞踏・解。









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