7 仮面舞踏会
2-A教室―昼休み
「有人・・ん?本読んでんのか?面白い?その本」
やや寝ぼけ眼の国枝が、自席に座って本を読む有人の向かいに座り、頬杖突きながらそう尋ねる。
「うん・・面白いよ。読む手が止まらないレベル」
「マジか。読み終わったら貸してくれよ」
「これ絢辻さんのなんだ。だから一応聞いてみるね。大丈夫だと思うけど」
「そうか。解った。くぁ・・・俺眠いから少し寝るわ・・俺が読み終わるまでネタばらしすんなよー・・。・・ぐう」
「・・」
―「ネタばらし」かぁ・・。・・羨ましいよ。直衛。この小説のオチを知らない君が・・。
二日前―放課後
絢辻にひたすらこき使われ、満身創痍の有人にいつものように絢辻が話しかける。
「お疲れ様。源君」
にやり・・
そう言った絢辻は既に「あの」絢辻だった。絢辻が有人に本性を晒したあの日から二週間、「彼女」は度々顔を出した。周りに人の居ない頃合いを見計らって有人に肉体労働、嫌がらせ、愚痴とバラエティ豊かな精神的、肉体的暴行を加えている。
「お疲れ様・・まだ何か在る?」
「ううん。今日はこれで終わり。ノルマは達成できています。お疲れ様」
「絢辻さんこそお疲れ様・・元気そうで良かった。今日大変だったでしょ?」
そう言った有人自身の惨状を見る。元々体格は細身でどちらかと言えば女性的な有人な上、絢辻から課された肉体労働で現在へにゃへなであるが、それでも尚へらへら笑っており、おまけに彼女を気遣う事を忘れない有人を見、絢辻は呆れながらこう言った。
「・・いい奴ね貴方。正直ラクさせて貰ってるわ」
「そう。よかった」
「・・だんだん腹立ってきた~♪」
その台詞に似つかわしくない満面の・・しかし悪戯な笑みで絢辻は有人の顔を上目遣いで覗き込む。仕草は女の子らしく、可愛らしいが彼女の場合、少々危険な状態だ。
「ホント今日は勘弁して下さい・・もう体ガタガタです」
「ダーメ。・・はい♪」
「・・。え?」
絢辻は背中に隠し持っていたらしい一冊の本をとりだした。まだ買ったばかりなのだろう。帯がまだついている。近未来的な町を背景に一人の少女が自分の足元から長くのびた黒い影を振り返りながら見ている表紙の絵が印象的だ。書店に平積みされていれば恐らく思わず足を止めてしまうインパクトが在る。
「あ・・・コレって・・」
「あ、知ってる?」
「うん。それなりに話題になってる小説だし・・」
「そ。評判がいいだけあって中々面白かったわよ?映画化したらいいなって思っちゃった。こんな良質な作品がもっと出てくれればいいんだけど・・」
大抵の人間は絢辻の「表向き優等生」の彼女が小説を見ている絵面の良さだけ切り取り、彼女が普段からどんなジャンル、内容の本を見ているのかまで知ろうとした者は少ない。分厚いブックカバーに包まれた本を読む絢辻の優雅な姿を傍目で見ながら―
「はたして彼女は一体どんなジャンルの本を呼んでいるのだろうか?」―
それを話のネタにしている者は多い。
「ふん。恋愛もの一択だろ。あの優雅な読書姿で切ない、きゅんきゅんする小説を見ているに違いねぇ」
「いや、推理物だね。頭のいい彼女の事だ。最後の最後でひっくり返されるような読み応えのある物を読んでいるに違いないよ」
「違うね。きっとSFだよ。ボーイ・ミーツ・ガールから始まる壮大な物語に胸をときめかせているに違いないサ」
「若いなお前らは・・世相、時代に鋭く切りこんだ硬派なノンフィクションものに決まってんだろうが・・」
「い、いいい意外に官能小説とか、たたた耽美物とか?・・げへっげへっ」
「・・やっぱキモイなお前・・だが・・」
「「「「・・悪くない」」」」
・・云々。
「あの」絢辻なのだからさぞかし読む小説にも拘りがあるだろうと勝手に思い込んでいる連中は多い。
だが実際の所は本人はいたって強い拘りは無く、結構節操無く推理物、ドキュメンタリー、ノンフィクション、純文学、ジャンル問わず気になったものは片っ端から手をつけるらしい。特に「話題作や人気作家の注目されすぎた物には手をつけない」とかの妙な拘りもなく、実際の所、有人の前に出した小説も最近の小説売り上げのTOP3に入るような物であった。
「・・ひょっとして俺に貸してくれるの?」
「まさか。自慢したかっただけよ。貴方に貸す位なら古本屋にでも売りに行ってさっさとお金に変えた方が百倍マシ」
・・きっつ~~。
「・・」
・・しゅん。
流石に有人。露骨に凹む。
「・・嘘よ。どうぞ」
「ありがと。嬉しい」
「・・そう。・・・」
―・・ふふっ♪
少し落ち込ませて、飴を与えると有人はどうやら絢辻の心の「何か」に触れる表情をするようだ。今まで感じた事の無い動悸と愉快さ、そして少しの苛立ちを彼女に与える。
これを乙女的な「ときめき」ととらえるのは絢辻のプライドが許さなかった。それによってより苛立ちが増幅される。バランスを保つために愉快さが必要になるため、そのための行動が必要になる。
まぁ要するに・・再び虐めたくなるのである。
「・・あぁそうそう。源君?」
「ん?」
「犯人は主人公自身で実は主人公が住んでいる世界は仮想現実なの。んで、その表紙に書かれている少女は主人公が作り出したもう一つの人格で主人公は彼女を追っているつもりで実は自分の犯行を証明して行くことになるわけ。298ページにそれらしき伏線があるから。ラストは悲惨よ~~?覚悟しといてね?」
簡潔かつ丁寧、そして慈悲も容赦もないネタばらしをかます。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「んふふ・・」
―この表情・・たまらないわね。
自分に芽生えた心地よい純粋な気持ちとどす黒い外道さがせめぎ合う感覚を彼女は楽しんでいた。
これは本当に世の人間には真似してほしくない行為である。何せ後ほどその小説を楽しんでいた人間は↓こうなるからだ。
二日後―現在。眠る国枝の前で「件の298ページ目」を見る有人。
―・・・成程・・この博士の一言がヒントになっているわけだね・・絢辻さん・・。
面白い・・面白いけど・・。誰か・・誰か俺のこの小説のオチの記憶を消してください。
眠る親友の前で本を読む少年。二人の仲のよさ、気の置けなさを物語る光景であるが、有人の心象は見た目に反して少々悲しかった。
その時であった。
ガァァンッ!
「あんたっっっ・・!!ふざけてんじゃないわよっ!!!」
「ん・・!?あ・・!」
突如クラス内に響いた怒号に有人は本を読む手を止め、反動で本を閉じてしまった。うっかりしおりを挟む事も忘れて一瞬有人は後悔したが、絢辻がご丁寧に何ページかまで教えてくれた大事な伏線のページ周辺を先程まで見ていた事を思い出し、少し悲しい事無きをえた。
―298・・略して「にゃんきゅっぱ」。は、はは・・。悲しいほど覚えやすいよ絢辻さん・・。
杉内 広大も一発で覚えるであろう語呂の良さ、響き、そして萌え度である。
―・・おっとそんな場合じゃない。あの声は・・。
「・・・薫か」
有人の目の前で寝ていた国枝がのそりと起き上がり、そう呟く。
そして彼が向かう先には既に修羅場と化し、周りの人間が一定距離を開けた空間がぽっかりと空いていた。
その中心に棚町 薫、そして「田村 孝之」というクラスメイトの少年が取っ組み合い・・というか棚町が一方的に田村の胸倉を掴んで制圧しているように見えた。先に手を出したのはほぼ間違いなく棚町の方だろう。
流石に他人から借りた大事な本を持ってあの修羅場に入っていくのは抵抗があるため、有人はまずは国枝に任す。それが今のところ間違いなく最善手だという確信があった。
―棚町さんは直に任せておけば大丈夫・・。
有人の予想通り、国枝を仲介にした一行の少しの会話の後、怒りを隠せないものの少し落ち着いて教室を去っていく棚町の姿を認め、有人は本を安全な場所に置くと改めて国枝のもとへ行く。
「お~お~どうしたのよ。一体」
陽気な雰囲気で場を収めようと梅原もそこに馳せ参じた。場はさらに落ち着きを取り戻そうとしている。その中で―
―ん?
有人と言う少年は拾い物に縁があるらしい。
床に明らかに今落ちたばかりであろう綺麗に整えられた紙が目に入った。裏面から見ても綺麗な字が描かれている。手紙だ。有人はそれを拾い上げる。
絢辻の手帳の一件で懲りていた。「中身は見るべきではない。即持ち主に返すべき」―
・・しかし、これを「今の」持ち主―田村に返す事が有人は何とも気が重かった。
先日彼が拾った絢辻の手帳は彼女にとって間違いなく大切なものだった。自分の根幹にかかわる秘密を誰かに握られる事を恐れ、聡明な彼女があそこまで自分を見失うほどに。
しかし・・
今有人が拾ったこの手紙は「今」のこの手紙の持ち主にとって何なのだろうか?
返す事に何の意味も意義も見出せそうにない。落とした一円玉を親切に拾って持ち主に返すようなものに感じた。
でも・・返さなければならない。これはあくまで有人―部外者である彼の所有物ではないのだから。間違いなく今回の事件の発端になったであろうこの一枚の手紙をどんなに心苦しくても当事者に返さなくてはならない。
「・・これ落としたよ。田村の?」
拾ったことへの感謝なんか別に欲しくない。ただコレが今の持ち主に返す事にほんの少しでも意味のある事を感じさせる反応をしてくれる事を有人は内心願った。が・・
「お。サンキュ」
何とも予想を裏切らない空気よりも軽い田村の言葉が有人の耳に突き刺さる。
―まぁ・・こんなところだろうね。
そして、ふと有人は国枝を見る。
―あ。やばい。
二、三、田村と言葉を交わし、表向き平静に見える親友―国枝の湧きあがる激昂を感じ取っていたのは現時点で彼の幼馴染の有人だけであった。
そう。この幼馴染の親友、冷静に見えて根は結構熱い。
「直!」
出来る限り簡潔に、手短に制止を促したつもりだったが無駄だった。
再び派手な音を立て、ひっくり返された多村の机と足早に静かに去っていく幼馴染の友人―国枝の後ろ姿を有人は敢え無く見送った。
「・・・」
再び混迷気味の教室で有人、そして梅原は早々に落ち着きを取り戻し、ひっくり返された自分の席をあくせく直そうとするが作業が一向に捗っていない田村を手伝う。
派手に散乱した教材、ペンケースから飛び出した筆記具を一つ一つ丁寧に揃えてやる。
「な、なんだよアイツ!ちょっ、わけわかんねぇ・・・!!!」
「・・・」
その田村の言葉に有人を手伝い、ペンを直していた梅原の手がピタリと止まる。普段は表情豊かな彼にしては珍しく仏頂面をして多村にこう言い放った。
「ほんとに解んねぇの?」
「え?」
「・・いやはや・・厄介だねぇ」
呆れたように被りを振る。
「そりゃあ田村、花野・・君達が悪いよ」
一方作業の手を止めないまま、有人も梅原に同調し、多村をやや哀れむような瞳で見る。
「・・は?何が?俺?俺が悪いの?」
「おい・・タカ・・」
被害の少なかったもう一人の当事者の花野はまだ冷静だった分、空気が読めた。これ以上の恥の上塗りは彼らを四面楚歌に巻き込みかねない事を悟っていた。が、肝心の彼の「相棒」―多村は最早、傍から見ると理不尽で思慮の浅い怒りに支配されていた。
「俺の何が悪い」・・この心理状態に陥った人間の耳は基本、人の話は右から左である。
ガチャン!
有人と梅原が折角直したペンケースを再び自ら床に投げつけ、田村は教室を去っていった。
直前、手紙も叩きつけようとしたが勢いよく振った腕とは裏腹にひらひらと舞い、音なく床に落ちる。
「・・・・」
「やれやれ・・」
梅原がそう言って、バカらしくなったのだろう。首をコキコキと気だるそうに鳴らした。
「悪いな梅原。あんまり状況解らないだろ」
「まーな。でも今ので大体解りました・・さて、とっとと片付けますか」
「やり直しだけどね」
「それを言うねぇ・・悲しくなる」
「ん?・・・。うわ・・最悪。田村のペンケースに墨汁入ってたみたい・・」
にちゃあと黒い粘り気のある墨汁が糸を引いてペンケースから漏れだした。有人、梅原と共に「うひ~」と言う苦笑いの表情をしてお互い顔を見合わせる。
「おろ~・・大将・・俺雑巾持ってくるわ・・ちょっと待ってろや」
「うん。ごめんな梅原」
「・・何で大将が謝ってんだか」
困ったように眉毛をしかめてお互いに苦笑いをして梅原が去ったほんの三十秒後の事―
「・・どうかしたの?源君」
「・・絢辻さん」
中腰で有人の顔を心配そうに覗きこむ少女―絢辻の顔を見て有人はまた笑った。
「成程ね・・」
場所を移し、クラスでの事の顛末を有人から聞いた絢辻は頷きながら理解する。既に彼女は素に戻っている。
「・・直衛から詳しい話聞いてないけど多分そういう事だと思う。そうじゃないとあんなに直は怒らないし。棚町さんもそう」
「・・・で、貴方と梅原君は尻拭いしてたワケ、と。・・で、得があるの?貴方達に」
そう質問しながらも既に「無い」前提で絢辻は有人に尋ねていた。しかし当の有人は
「あるよ♪」
事も無げに微笑んでそう言った。
「・・・とりあえず聞いておくわ」
「直と棚町さんが気持ちよく教室に帰ってこられるように、迎えてあげるために。・・せめて、ね」
今回の件、どう転がろうと後味が良い物にはなりそうにない。ならばせめて自分達だけは普通に振舞って国枝達を迎え入れてあげたかった。
「・・天然記念物級のお人好しね」
「あはは」
「へらへらしてんじゃないわよ。絶滅したいの?」
「ゴメン・・」
「・・ま、いいわ。手伝ったげる。・・丁度借りがあるあの三人の事だしね。先生への口添えと・・壊れた席の言い訳と・・あとちょっと脅えている子達のケアでもすればいいかしら?」
眉を顰め、困った笑顔を絢辻は有人に向け、彼女は自分が立場上やるべき事を既に見据え、簡潔に言葉に出した。
「ありがとう」
有人もまた愚直に返す。素直な笑顔で。
「・・・!・・。・・で、当のその『バカ二人』は何してんの?」
だがどうやら絢辻は直前に向けた有人の屈託のない笑顔にちょっとムッと来たらしい。やや口調を低くして棘のある言葉を絢辻は吐く。今回の件の「悪い意味での発端」という丁度いい鬱憤の矛先に絢辻は毒づいた。
「・・花野は梅原と一緒に掃除してるよ。田村は・・ゴメンちょっと解んない。どっか行っちゃったから」
「・・・」
絢辻の組んだ腕の細く白い指先がまるでご機嫌斜めの猫の尾の様に二の腕をトントンと叩く。
「その・・」
「ぁん?」
絢辻は呆れを通り越したせいでやや口調が粗い。多村達はともかく、目の前の少年の貧乏クジさ加減にも呆れているのだ。口調と共に彼女の整った顔立ちも今からカツアゲでもするヤンキーみたいに歪んでいる。有人は財布でも差しだしてとっとと逃げたい気分だが―
「・・お手柔らかにね」
恐る恐るながらもとりあえず有人はそう言い切った。
「チッ・・イライラするわねぇ・・貴方・・悔しくないの?怒っていいんじゃないの?」
「直衛も棚町さんももう散々怒ってくれたから。これ以上部外者の俺達が怒ってもね」
「・・甘いのね」
「はは」
「笑わない!イっライっっラするでしょ!」
「すいません!」
「はぁ・・とりあえず・・一通り用がすんだら田村君は私が探すわ・・」
「ど、どうするつもり?」
「安心して。どーもしないわよ。上手く言いくるめてとりあえず教室に帰させるだけ。当然、国枝君や棚町さん達を逆恨みしないようにちゃんと反省させた上でね」
「うん・・ありがとう」
「・・ふふん。冷静にさせてクラスの冷たい雰囲気に晒すの。良いお灸の据え方でしょ?頭に血が上ってる状態では人間反省なんてしないからね。徹底的に冷やして自分がした事をはっきりと自覚させてやるのが一番よ」
「まぁ・・そうかな」
「それに・・なにかと必要悪を作った方がクラスっていうものは纏まる場合が多いしね・・バカ二人と他のクラスメイト全員の一体化なら良い取引だと思わない?」
心底愉快そうに悪戯な有人にだけ見せる表情をし、カラカラと絢辻は笑う。「らしい」とは言え―
「悪い顔だなぁ・・」
有人はそう言わざるを得ない。
「冗談に決まってるでしょ。・・じゃ、行ってくるわ」
「あ、絢辻さん!後一つ頼みたい事が・・・」
「・・何?」
「これ・・」
有人は多村が投げ捨てた事の発端になった手紙をかさりと絢辻の目の前に掲げる。差出人は2-Aのクラスメイトであり、棚町 薫の親友である田中 恵子だ。
「ん・・手紙?ああ・・これがトラブルの発端になったって奴ね。・・全く・・気の毒ね?こんな扱いをされたばっかりに・・」
綺麗に整えられた白い手紙、真摯な思いが伝わってくる綺麗な字が整然と並び、何度も失敗しながら、懸命に書いたであろう田中の手紙を前に流石の絢辻も同情を禁じ得ない表情をする。
「絢辻さん。これを・・田中さんに返してあげて欲しいんだ。男の俺が返しに行くのも気が引けるし・・中見ちゃった?って聞かれるのもう嫌だし・・」
「貴方・・とことんこういう拾い物に縁があるわね・・」
この手紙といい、先日の絢辻の手帳といい、絢辻の姉の残した大量のジュースといい・・有人が拾ってしまうものは何かといわくつきの物が多い。
「うん。俺もそう思う。は~~。・・たまには景気よく札束の入った財布でも拾いたい・・」
有人がこうぼやきたくなる気持ちも解らなくはない。だが少々・・・軽率だ。
「・・へ~~・・アタシの手帳は源君にとって不景気で迷惑な代物なんだ~~。・・ふ~ん。そう・・」
有人の失言に絢辻は腐った魚を見る目をし、氷点下の口調で有人にこう言い放つ。
「だぁあ~!決してそんな意味では!」
自分の失言に気付き、有人は取り繕おうとするがもう遅い。
「あ~傷付いた。とっても傷付いた!あ~あ私の手帳、もっと素敵な人に拾ってもらえていたらな~・・しくしく」
「俺でスイマセン・・生まれてきてスイマセン・・」
腐った魚を見る目で絢辻に睥睨された有人の目が腐った魚の目になる。
「ぷ。ふふふっ・・・もう、あんまり時間が無いのにいちいちからかいたくなるようにさせないで?・・楽しいから」
「・・・」
「それじゃ行ってくるわ」
「あ・・、絢辻さん手紙!」
「それは源君が田中さんに返してあげて?他の事は私が全部上手くやっとくから。それに・・それだけはきっと私より貴方が適任だと思う。国枝君、棚町さん、そして田中さんを私よりよく知っている貴方の方がね。・・任せたわよ?」
自信に満ちた眼差しと綺麗に整えられた人差し指で有人を指差し、彼を鼓舞するように絢辻はそう言った。
「・・・」
絢辻 詞と言う少女―その本性は頭は良いが、同時口も悪い。意地も悪い。客観的に見れば「いい性格をしている」と言えるだろう。それでも彼女はこの様に在る程度正義の味方ではある。いや、有人的にもっと簡単に言い換えるならば―
―・・優しい少女(コ)。
である。
「・・何よ」
「ううん何でも・・・了解。・・本当に有難う絢辻さん」
「ううん。・・じゃあ」
最後にそう言って絢辻はくるりと有人から背を向ける。振り返った彼女の視線は既に「いつもの絢辻」に戻っているのだろう。
清く、正しく、美しく。皆の知る「絢辻 詞」だ。
しかし、それはまさに仮面。
有人だけが知る本当の彼女は言わば「ダークヒーロー」といったところだろうか。清濁両方持ち合わせ、どちらも必要とあれば行使する。それ故純粋な「正義」とは言えない存在。
でも、それでもいい。彼女が周りに及ぼす好影響は本質的には何も変わらない。
今、有人にはただたた彼女が仮面を装着し、変身したカッコいい仮面ヒーロー・・
・・いや、失礼。
「仮面ヒロイン」に感じた。
「・・うん。大体の事は解りました。源君ありがとう・・」
田中 恵子は有人から手渡された手紙と事の顛末を彼から聞き、複雑な表情をしながらも嬉しそうに笑っていた。
もちろん「嬉しい」と表現するのには疑問は残る。想いが受け入れられないばかりかこんな手酷い仕打ちを受けたのだ。
が、
それでも今の彼女には今回酷い失恋をした事実よりも、彼女の隣や背後で自分達を支えてくれた人達がはっきりと見え、「その人達の方が遥かに自分にとって大事である」という事が解った事が「嬉しい」と笑ったのだろう
「へへっ♪」
特に言えることも無かった有人がその田中の笑顔とお礼にどれだけ救われたか、解らない。そして・・田中の笑顔に応えて笑った源の笑顔に少なからず田中も救われていた事も。
「源君?・・直と棚町さん、いつ帰ってくるかな?」
「盛大に・・いや何時もみたいに普通に迎えてあげないとね」
「・・そだね」
絢辻に綺麗に言いくるめられ、冷静になって戻ってきた田村が正気を保ったまま落ち着いた教室内で無言の針のムシロにさらされたのとは対称的に
―お帰り。
有人、梅原、そして田中を初めとする友人達は国枝と棚町の二人を温かく迎え入れた。
その日の放課後―
「絢辻さん」
「ん・・?源君?何かしら?」
「今日は色々有難う」
「ううん。気にしないで」
本性の彼女であれば、この台詞に「フン。借りを返しただけだから。確かに返したわよ?」と、でも付け加えるのだろうが教室では無理だった。
「それで話は変わるんだけどさ・・絢辻さん?」
「ん?」
「今日・・皆でビリヤード行く事になったんだけど・・良ければ絢辻さんもどう?」
「ビリヤード・・?私も行っていいの?」
「勿論」
「そうね・・。あ。・・でもダメだ・・。今日私実行委員の休養日じゃないし・・」
「・・実は高橋先生に先に話通してみたんだ・・一応了解してもらえたんだけど」
「え・・」
意外な源の強引さに驚きの表情を見せて絢辻は目を丸くした。
「ちょっと・・何て言うか・・さっき高橋先生をヨイショして・・持ち上げたら『解ったわ!今日は皆で遊んでらっしゃい!』だって・・・」
「何時の間にそこまで手を・・。案外黒いのね?・・・源君って」
「絢辻さんに言われたくない」―有人は危うく言いかけたその言葉を飲み込んだ。今の絢辻側に言えない台詞があるならば、有人側にも決して言えない台詞がある。
「・・ふふ。解った。高橋先生に確認が取れたら・・お邪魔させて貰おうかしら」
二時間後―
校内をかけずり回っている2-A担当教諭―高橋は息も絶え絶えで呟いていた。
「しまった・・せ、生徒にノセられるなんて。・・し、知らなかった!絢辻さんがいないとこんなに大変だなんて・・。う、恨むわ~・・源君」