ルートT 十三章 二つの終わりの風景
12 終わりの風景
「・・貴方には耐えられるのかしらね?貴方が行った行為をきっかけにどれ程の人達が混乱し、どれ程の人達に迷惑をかけたのかを知ったら」
「・・」
「貴方解ってるの?貴方は別にいいわよ?ただ些細な嫌がらせを実行してそれが思った以上に効果がありすぎてほんの少しの罪悪感に苦しめばいいだけなんだから。・・そう。貴方だけの話なら」
「・・・」
「・・私は見てきたわ。一人一人に触れてきた。・・いきなり発注をキャンセルされ、関係各所に頭を下げる鉄工所のおじさんやその取引先の会社の人、不安げなおじさんの工場の従業員の人達の表情・・」
「・・」
「寝耳に水のウチの学校関係者も必死でその人達に謝っていたわ、そしてこの年末の忙しい時期に貴重な時間を割いて市との話し合いをしてくれているの。私達がまた委員会活動が出来るようにね。・・貴方・・最近の高橋先生とお話しした?私達の前では気丈に振舞ってくれているけど相当疲れているはずだわ。・・私には解る」
「・・っ」
「私は所詮『副委員長』ですもの!?それを気にかけるのは『委員長サマ』のお仕事じゃ無くて!?」と、言いたげな視線のみ黒沢は絢辻に返す。言葉は介さぬまま。しかし絢辻はそれを読み取っていた。
「・・そうね。確かに貴方が見る必要は無いのかもしれない」
「・・!!」
その絢辻の言葉に黒沢は心底気味悪そうに後退りする。思考を全て読み取られている気分だ。
―なんなの、
コイツ。
・・マジ気持ち悪い。
「それは私の仕事だから。私が自分で引き受けた仕事だから。それを貴方に言うのは間違いなのかもしれない。でも・・貴方がちゃんと目を見開いて見なければならない人達はいる!」
「・・・実行委員の子達?」
無言のまま沈痛な面持ちの黒沢の内心を代弁するように今度は有人が口を挟んだ瞬間、
「・・源君。口を挟まないで」
きっ、と絢辻が有人を睨みつける。
―コレは黒沢さん自身が自分で実際言葉に、声に出して噛み砕いて理解させなければ意味無いの、いけない事なの。
と、言いたげに。
「・・ごめん」
再び有人は一歩引く。
「・・」
「黒沢さん?貴方ちゃんと見てきた?自分のした行為が予想以上に悪い方向に行ってしまった結果を感じ取るだけで現実を直視するのを怠ったでしょ?」
「・・・」
そう。黒沢は見て見ない振りをしていた。
市が強行した「実行委員の作業の過剰な制限」が決定してからの委員の同輩や後輩達の混乱、落胆、そして失意の色を。
その色が黒沢自身にも浸蝕、じわじわと広がって自分の背筋に冷たい感覚が広がるのを身に感じていながらも彼女は直視する物を間違えていた。
自分が最も嫌う人間、認めたくない人間が自分の目の前で初めて屈辱に、失態による悔恨に耐えている姿を見せた事、そしてその忍耐が先日崩壊し、彼女の足場が大きく揺らいだ事から目を離せなかった。
気分が良かった。・・「最悪」の気分の良さだった。
黒沢自身、自分でも何処かで解っている。「私は何をしているんだ」と。でも、自分の弱い部分がこう言い訳する。
「確かに私がやった。でも私はここまで望んだつもりは無い。私のせいじゃない。悪いのは・・悪いのは・・」―そんな無意味な自問自答を繰り返し、その罪の意識に耐えきれなくなる度にそれから目を逸らし、彼女は再び目の前の快感に縋ってしまった。
大嫌いないけすかない女が初めて目の前で苦しみ、もがく様。
この目の前に横たわる下卑ながらも甘美な快感と背中を伝う罪の意識、この板挟みの際、目を向けるなら大概の人間はどっちを選んでしまうだろうか?
しかし、一方で今目の前に居る大嫌いな少女―絢辻は向き合っていた。黒沢 典子と言う人間を確実に直視していた。黒沢自身が切り離していた彼女自身を。
絢辻は黒沢の事が解っていた。誰よりも理解していた。
屈辱に身を震わし、自分の落ち度を嘆き、悔みながらも立ち続けた上で全てを受け入れ、自分の出来る事全てに目を背けず向かい合った上で今、黒沢の目の前に立っている。
そんな絢辻がまぶしかった。それ故に・・黒沢は直視できなかった。
―っ!!
目をそむける。また。また繰り返す。
絢辻はその黒沢の姿を見て「頃合い」と判断した。
「・・・。坂上さんが全部喋ってくれたわ。怪我の事を最初に話したのは貴方だってこと・・そしてそれを貴方が誰にも言わず黙っておく事を約束してくれたこともね。坂上さんはそれを信じて貴方に話したの。私に・・ううん、皆に迷惑をかけたくない一心でね」
「・・・!!」
当然、当事者である坂上も怖かったのだ。故意では無いとはいえ自分の過失が招いたトラブル。それを信用して話した相手―黒沢がそれを在ろうことか悪用した事。しかし、それを直接問いただす事は出来ない。十中八九黒沢の仕業だとしても証拠はない。
もう誰も信用できない。いや、自分の信じる人達にこんな自分の話を聞かせたくない。
事件以降、実行委員会に顔を出す事なく、ひたすら人を避けていたそんな彼女を直接捕まえ、辛抱強く話を聞き出したのは有人だった。
先日の絢辻の有人へのもう一つの頼まれ事とはこれである。
数日前―絢辻の計画で絢辻に悉く無視される光景を噂になるほど周囲に見せつける合間を縫って有人は探していた。この数カ月で随分有人は探し物が得意になっている。おまけに何人かの「協力者」も居た。
「・・そこまで私も坂上さんの事を知っているわけでは無いのでお役にたてるかどうかは解りませんが・・是非お手伝いさせて下さい。絢辻先輩には大変お世話になっているんですから」
「わ、私も・・源先輩にこの前お話に付き合ってくれた御礼がしたいですし・・しょ、その・・出来る限りの事はします・・」
先日ひょんなことで知り合いになった一年生の少女―七咲 逢とその友人―中多 紗江も協力してくれた。結果、彼女とコンタクトをとる事は容易であった。
「見つけた・・坂上さん?」
「・・・!源先輩・・」
奇しくも坂上が居た場所は彼女が有人の言いつけを破って作業を行っていた場所。つまりは事故が起きた場所だ。彼女は怪我をしながらもその直前、立派に自分の作業をやり通していた。
―ホラ出来るじゃない。私にだってこれぐらい―あ!!
そう思った直後の落下、失敗だった。
痛かった。悔しかった。悲しかった。怖かった。・・情けなかった。
「・・先輩ぃ。ごめんなさい・・・皆・・ホントごめんなさいぃ・・」
目の前で泣きじゃくり、うずくまる後輩の少女を有人は笑って宥め続けた。ゆっくりと一つずつ彼女の話をそのゆったりとした時間の流れの中、聞きだした。
そして現在―
その姿を目の当たりにした上で有人はこう懇願する。黒沢に。
「黒沢さん・・お願い。これ以上あの子を裏切らないであげて?」
有人はこう言葉を絞り出す。
「・・源君・・」
前述の通り、確かに確固たる証拠は無い。黒沢が絢辻、有人、教師、学校側に事故の話を通さず、直接悪意を込めて市―つまり市議会議員である自分の父親にリークした事など。
坂上が怪我をしたあの事件の際、初めに彼女に接触した黒沢の「立場」から考えれば、直接市に生徒の規律違反による負傷の情報が行った事から考えても限りなく彼女は「クロ」であることは間違いない。が、黒沢本人が否定すれば特に提示できる証拠も無いのもまた事実である。他の「何者か」が彼女達が口に出さずとも異変に気付いて「わざわざ」市に直接訴えに行った可能性も全く無いと言うわけではないのだから。
黒沢が今回の追求を素知らぬ顔で単純に否定すれば絢辻達にはコレと言って決定打はなかった。
しかし、もう既に勝負は付いていた。もともと勝負にもなっていない。そもそも黒沢ももう限界だったのだ。
・・ここで一つ訂正が入る。黒沢は確かに見て見ぬふりをしていた。自分の行為の結果で生じた様々な負の面を徹底的に。しかし、完全に見ていなかった訳ではない。今、黒沢の脳裡には一つ浮かぶ光景がある。
それは先日、作業を禁止され、新しく雇われた業者の手によってどんどん出来上がっていくメイン舞台の前に立ち、その光景を少し物寂しそうに見ている少年―
有人の姿だった。
彼が先日感じていた視線の正体は黒沢 典子の視線。彼女の物であった。
―あ・・、みな、も、と・・君。
彼女は声をかけようとした、でも出来なかった。
何時もと一緒。でも今回は何時もと全く違う意味で。
何時もは彼の向ける優しい瞳に鼓動が抑えられずに。でも、その時は・・彼の悲しい瞳にかける言葉を失う。
―私が彼にかけられる言葉など・・ない、んだ。
その時の有人の目は現在、今まさに黒沢を見る有人の目そのものであった。
「・・私だって・・私だってこんな事になるなんて思ってなかったのよ・・・!」
黒沢もまた絞り出すようにそう言った。
絢辻、そして有人。
黒沢が最も嫌い、片や最も想う全く相反する二人の存在によって頑なに凍りついていた黒沢の心が本音を吐露し始める。
13 もう一つの終わりの風景
校長室―
「これで今週の創設祭活動報告は以上です。作業の引き継ぎもスムーズに進みましたので明日から私が居なくても滞りなく彼らがやってくれるはずです。校長先生、高橋先生。今回の件では大変なご迷惑をおかけしました。それでも私・・いえ私達の我儘や無理を聞いて下さって本当に有難うございました。実行委員が活動を再開できたのもお二人のご協力のおかげです!」
絢辻はそう言って恭しく頭を下げる。相も変わらずにこやかで礼儀を失わない彼女の凛とした姿を絢辻の前で学長席に座る校長、傍らに立つ実行委員監督教諭、高橋の二人は頼もしく思いつつも何処かやりきれない、複雑な表情をした。
数日前―
絢辻は一人市議会議員、つまりは黒沢典子の実の父親である黒沢代議士に創設祭作業の再開を求め、直談判を行った。
そしてその翌日、校長、高橋他、吉備東高の教員の大半の作業の再開を求める要請を頑なに却下し続けていた市から正式に作業再開のGOサインが出た。
一体絢辻がどんなマジックを使ったのかが校長、高橋両名は大いに気になった所だがそんな事よりも更に気になる事が彼らにはある。その替わりに市の提示してきた「交換条件」だ。
「創設祭の実行担当教員高橋、そして生徒側最高責任者、絢辻 詞の解任」
それだけが今まで頑なに学校側の作業の再開を拒んできた市が要求してきた条件である。
これを受け入れれば今まで自粛を迫られてきた学校側が行える作業がほぼ事故前の状態に戻せるというものである。
この条件を絢辻は喜んで受け入れた。
「誰かが責任を取るのは当然です。元々あの事故は紛れもなく私の監督不行き届き、失態ですので当然でしょう。むしろ私一人で済むのならこれ以上望みません。市の寛大な処置に感謝いたします」
と笑ってそう言ったのが数日前のことである。
後任への引き継ぎの為の日数を貰い、それも今日、大した遅れも無く完遂した後絢辻は最後の挨拶にとここ校長室を訪れていたのだ。
「・・。絢辻君。本当にすまない。校長である私が君を大して庇う事も出来ずに・・」
「とんでもないです。私達だけではとても今回の作業の再開は実現しませんでした。校長先生、そして高橋先生・・・忙しい中、私達の意見もきちんと汲み取って下さって本当に・・本当に有難うございます。市との直接の交渉の仲立ちもして頂いたのに・・謝らないでください」
「・・そんな事しか出来なくて済まない。私ももう少し頑張らなくてはな。絢辻君を見ていると負けていられないとこの歳でも思うようになった」
「ふふふ。頼もしいお言葉ですね。あの・・校長先生?また・・校長室にお邪魔していいですか?今度はゆっくりとお話したいです」
「・・いいとも。おいしいお茶を用意しておこう」
―そんなことで君の頑張りに報いる事も出来ないだろうが。
校長は内に抱える絢辻への申し訳なさと自分への不甲斐なさに対する自責の念を表情には出さずににこやかにそう答えた。この点はやはり「年の功」というべきか。
―・・・。
彼の隣に居るまだ二十代の女性教師、絢辻の2-A担当教員、無言の高橋の顔は誰が見ても解るぐらい校長の抱えた感情をはっきりと表情に出していた。
絢辻は自分の解任が決まってここ数日、高橋に何度謝られたか解らない。
高橋は自分が解任された事よりも遥かに絢辻の解任を止められなかった事を嘆いた。そして同時憤っていた。
五分後―
「全く・・君は生徒の時から変わらんな。いつまで生徒の前でそんな顔をしているつもりかね?」
絢辻の去った校長室で未だ顔色を曇らせたままの十年来の教え子―高橋を諭す。高橋はこの学校の出身であり、現在の校長がまだ教諭時代だった頃からの付き合いである。
「・・だって・・だってあまりにも理不尽じゃありませんか・・・!絢辻さんには何も悪い所はありません!」
「教師が生徒の様な事を言っていては困るな・・確かに彼女には落ち度は無いよ。君の言うとおりだ」
「なら・・なら・・!」
「あるとすれば生徒達が幼さ、若さゆえにどうしても生じてしまう綻びを我々大人がフォローしきれなかった事だ。そこが最大の落ち度だろう」
「・・・!はい・・」
「まぁそれにしても・・今回の件で市が一生徒の責任をあそこまで過剰に追求したがる意図が見えてこないがね」
「・・そうですよ!絢辻さんは生徒なんですよ!まだ高校二年生の女の子なんですよ!?何で・・一つの失敗であそこまで責められなければいけないんですか!?今まで彼女は生徒の代表としての責任を十二分・・いえ!それ以上に果たしてきました!それなのに・・」
「うむ・・。全くの同意見だ。君の言葉は稚拙で感情的だが簡潔で本質をよく捉えてる」
「・・」
「・・。『まだ高校二年生』の、『女の子』、か・・。その『子供』があれ程までに立派に自分の立場を受け入れ、責任を重んじ、我々に気を遣って気丈に振舞っているというのに片や我々大人が、はっきりしない、不透明かつ曖昧なまま一方的な処置を彼女らに突き付けているのだからな・・」
「校長・・」
「・・・。これではどっちが子供なのだか・・」
何時もは飄々として掴みどころのない、高橋にとっては所謂「タヌキじじぃ」の校長だがその校長がここまで沈痛な表情を浮かべているのを高橋は初めて見た。
「・・・これで私の作業はお終い。後のことはよろしくね?源君」
日が傾き始めた生徒会役員の一室にて、絢辻は実行委員会で使用していたコンパクトな私物達を抱え、有人に微笑んだ。
彼女がこの場に残さなければならないものは多い。絢辻が今まで必死に積み上げてきた功績は彼女がこの場を去る事が決定した今でも実行委員会にとって有用な物が多すぎる。
その全てを残して彼女は今日委員会を去る事になるのだ。
「うん」
有人は何時も通り明るい顔で頷いた。その笑顔に絢辻は少しクスリと笑い、まだ日が射している窓の外を見る。
「・・。はぁ。今日はこんなにまだ日が出ているのに帰っちゃってもいいんだ・・」
「なら・・少し手伝ってくれる?実行委員の長としてじゃなく一生徒の一人としてさ」
その有人の提案に絢辻は腰に手を当て、悪戯な笑みを浮かべて横目で有人を見る。
「馬鹿ね。そんなことしたらあの子の立場なくしちゃうじゃない?折角念願の実行委員長サマになれたのに」
あの子―黒沢典子。
絢辻の退任後、次期実行委員長を引き継いだのは彼女だった。
あの騒動をややこしくした張本人が後任を引き継ぐ形を絢辻はすんなり受け入れた。
「安いものよ。これで皆がまた頑張れるならね。自分の娘が代表になることであの議員サマも満足するでしょ。当然これでこれからは市の横槍、嫌がらせも減るでしょうし一石二鳥よ」
退任が決まった事を有人に告げた時、絢辻は皮肉そうに笑ってそう言っていた。
そもそも黒沢 典子同様、市もまた限界だったのだ。創設祭の実行委員の諸活動によって地元企業と密接に結びついた絢辻の方が、一方的な作業を強行して推し進めた市議会よりも遥かに信頼関係が上である。
そこで地元企業の横の連携を利用すれば市を取り巻く包囲網が広がっていく。地元企業の繋がりを手繰っていけば市議会に対する発言権が強い人間にも行きつく。その人間が今回の件のどう考えてもおかしい市の強行に疑問を覚えて抗議すれば市はそれを無視できない。
そもそも市の要請により、先に発注を受けていた業者を差し置いて創設祭の作業を受け継いだ後任の業者自身も今回の市のあまりにも強引な手法に疑問符を持っていたのだ。
思いがけない受注は確かに嬉しい。が、前任と後任の業者同士、「仕事を奪った」、また「奪われた」などで生ずる無駄な軋轢は嬉しくないということである。
唯一味方であるはずの後任業者からもあまりいい印象を持たれていない結果、更に市は孤立を深めていた。
これ以上は市と地元企業、引いては市民との間に自ら楔を打ち込む愚行だ。ハッキリ言って誰も得しない。そこを徹底的に利用すれば絢辻は彼女自身の解任命令すら握りつぶせる可能性はあった。絢辻には味方の方が多い。
もう少し両者の対立を焚きつけたならば。言い換えれば絢辻に信を置いた地元企業の人間に絢辻がほんの少し得意の「おねだり」でもすれば、まだまだ闘ってくれたに違いなかった。
しかし、結局絢辻はそれを望まなかった。これ以上悪戯に孤立した市を責め立てることもまた益にはならない。ならばこれ以上溝が深まる前に自分が譲歩すれば市もメンツが立つ。
元々吉備東高の創設祭というものは市と地元が一体となって成功させる行事である。
子供の稚拙で些細な悪戯、失敗が原因で予想以上に、そして無駄に大きくなってしまったこの下らない事態をさっさと終結させる事―絢辻はそちらを選んだのである。
「ま。私は今の状態をさして悪い物ではない・・そう思っているわよ?」
自分の功績を殆どここに残し、身軽になった少女は軽快そうに有人にそう言った。
無理をしてそう言っている事は確かだろう。しかし少なからず本音も混ざっているのではないか、ということも有人は認識する。
―・・・。案外元気そうで良かった。
それは少し彼の気分を軽くする。それを理解したのか絢辻は有人に向かってもう一度小さく微笑み、
「・・。これから大変だと思うけど頑張って。ごめんなさいね?私が貴方を巻き込んだも同然なのに」
本性の彼女にしては優しく、そして本当に心からすまなさそうにそう言った。
「ううん。任しといて」
「・・・。そ」
「っと・・俺そろそろ行くね?笹部が待ってると思うから」
「・・うん。いってらっしゃい」
有人は今、身軽になった絢辻とは対称的に色んな創設祭関連資料、そして目に見えない色んなものを抱えて部屋を後にした。
絢辻が抱えていた物を全て彼が受け取る事は出来ないだろう。しかし、絢辻にとっては有人が今抱えているものが例え自分が今まで抱えていたモノと比べてまだまだ軽いものだとしても、それはとても羨ましいものだった。
絢辻は去っていく有人が遠い存在に感じる。一人立ちした子を見送る母親はこんな思いをするのだろうか。そんなことも考えた。・・悪くない。むしろ心地よい感覚。
・・でも。
絢辻の中から全く別の感情が徐々にずるりと浸蝕し始める。拭いがたい「ナニカ」が。
―・・ウソツキ。「くれる」って言ったじゃない。「貴方と私がいる日々」。日常を。
絢辻自身が理解し、納得し、受け入れたはずの今の状況。予想外の落とし穴の先で自分が選んだこの道。これが最善の道だったという自負はある。
殆ど全ては元通り。ただ・・そこに自分がいないだけ。
―・・・。
絢辻はあの日の自分の言葉を思い出す。神社の社の裏で有人が自分の手をとってくれた日。
―ただ今は同じ時間と場所を共有しているだけ。それがこれからも続く保証も全くない。
・・解っていた。確かに。
でもあまりにも・・・早すぎる。