16 走れ〇〇〇
絢辻は辟易した。
今朝はとても気持ちのいい朝だった。
早起きが得意な彼女だが、実は意外にも冬の朝の寒さはあまり好きではない。
表向きの彼女なら
「冬の朝の寒さは身がきゅっと引き締まるような気分がして好きなの~」
と、でも言えば周りは「流石絢辻さん。冬の朝の寒さが辛くて起きられない私達とは違うわ~」の、ようなやり取りをしてきたものだが、本音は
「・・寒いもんは寒いし、眠いもんは眠いっつーの」
なのだ。
しかし、何だかんだ言っても冬の早朝の空気の澄み具合は格別だ。白い息を空に拭きかけながら見上げつつ今日の天気を想像する。
乾いた蒼く高い空を見上げ、深呼吸と共に薫る季節の匂いを吸い込み、徐々に動き出す人々の音に耳を傾け、全ての感覚を以て今日一日の始まりを「感じ取る」。
そうすれば「早起きは三文の得」というのはあながち間違いではないと言い切れる。
今日の様にすっきりと乾き、雲ひとつない晴れを予感させる様な冬の朝なら尚更だ。
・・それなのに。
・・こんな「下らない事」になるなら思いっきり季節外れの台風でも来てくれればよかったのに・・。折角の気持ちいい朝、穏やかな陽気の晴れやかな気持ちを台無しにされるくらいなら。
「絢辻さん。どうしたの?ぼ~っとしていると危ないわよ?」
一見相手を心配している言葉に見える。が、その言葉に宿るイントネーションは晴れやかで爽やかな陽気には似つかわしくない粘り気を含んでいた。
ターン!
その声と共に乾いた地面に空気がはち切れんばかりに入れられたバレーボールが勢いよくバウンドした音が響き、しばし物思いにふけっていた絢辻も否応なしにそちらの方向を見ざるをえなくなる。
でも見なくても正直解る。さぞかし「そういう」顔をしているだろうと。その絢辻の確信の裏付けはものの数秒後だった。
―・・・。ふふっ・・まぁ何とも「お約束」のカオね。
あまりにも想像の域を超えない絶妙な相手の表情。自らの絶対的優位を疑わず、勝利を確信した表情。思わず絢辻は薄く笑ってしまう。
「・・・ちっ」
どうやらその絢辻の態度は「お約束」のカオの持ち主のお気に召さなかったらしい。
先程までニヤついていた表情を一気に般若みたいな不機嫌そうな「あんた・・今の自分の『状況』が解ってんの・・?」とでも言いたげな表情に変わる。
その「状況」とは、何ともあからさまで、単純。誰しもが一目で解る。これまた「あまりにも想像の域を超えない」構図だった。
4時限目。科目は体育。野外。
吉備東高校のグラウンドに誂えられた長方形のコートの中心に線が一つ。その境界を隔てて一方は所狭しと人であふれかえり、片や半面のコートにはたった一人の少女がポツンと立っている。
たった一人の少女とは言うまでも無く絢辻だ。その中心で絢辻は大した動揺の様子もなく腕組みしながら周囲を目線のみで窺っていた。しかし、流石に内心溜息をついていた。
―・・・ふぅ。・・体育の自習をさせるのは結構にしてももう少し明確な授業内容を提示してほしいわね、あの新任の体育教師・・。例えば・・「ボール競技は平等にチーム分けをすること」・・とか?
現在ここグラウンドの中心にて自習を言い渡された2-A女子達の多数決によってドッジボールが開かれようとしていた。誰しもが知っており、ルールも単純明快な球技である。何と言ってもこの競技の素晴らしい所は「あからさまな人数差、戦力差が有っても在る程度競技として体を成してくれる」という点だ。
ドッジボールのルール上、絢辻に外野の味方は用意してくれている。が―
「う、うう・・」
この状況にがっちがっちで震える栗毛の運動音痴な少女―田中 恵子一人では焼け石に水だ。
「んー・・何なら絢辻さんは三回当たっても大丈夫位にしておく?一瞬で終わってしまったら面白くないでしょ?」
彼女なりのハンデのつもりなのだろう。彼女―先日クラスの取り巻き二人と共に完全に絢辻に凹まされた少女―田口は自分が出来る限りの優しい声でそう言った。この絶対的数的優位を作りだした張本人が「ハンデをあげる」とは笑わせるが。
絢辻はまた笑う。
「いらないわ。チーム分けも平等だと思うし。なんなら最初のボールの権利もあげるわよ?どうぞ♪」
「平等」の所をやたら強調してあくまで平静に絢辻は返す。
「・・ははっ。相変わらず口減らないのね」
自分の絶対的優位を頼りに田口もまだ冷静を保っているが、明らかに先程より口調に棘がある。加えてバウンドさせているボールに内心の隠しきれない苛立ちをぶつけるようにしてペースが上がっていた。「落ち着け。負けるはずは無い」と自分に言い聞かせるように。
実質絢辻の「相手」は田口、磯前、山崎の先日絢辻に完膚なきまで打ちのめされた連中とそれに同調したほんの数人の相手チームの様な物であり、他は状況に流された連中に過ぎない。が、一部はお飾りとはいえ合計一クラス二十人以上いる女子がほぼ全員自陣に居るのだから強気にもなる。
「・・。じゃ、お言葉に甘えて。何処に当てようかな~?」
ちなみに今回のドッジボールのルール―通称「田口ルール」には「顔面セーフ」はある。だが田口としては何回か顔面セーフを狙いたい所だ。
田口としてはこの「状況」を作りあげたのだ。勝つことは最低条件。しかしそれではこの前完膚無きまでに打ち砕かれた彼女の復讐心はその程度では癒されない。
理想は絢辻の顔面にぶつけて痛みとショックで悶絶させた所を「寄ってたかって集中砲火を浴びせて泣かす」―といった所だろう。
逸る気持ちを抑えた余裕の表情でまたバウンドを繰り返しながら田口、そしてその取り巻きは徐々に前に出る。
その後ろで一応田口の味方であるその他大勢は不安な表情をしつつ、「早く終わって欲しい」と内心思いながらその状況を見ていた。
彼女達は絢辻を苛めたい訳ではない。しかし先日、あまりの絢辻の普段と全く異なる豹変を見た彼女達は萎縮し、得体のしれない不安感を絢辻に覚えた結果、あの日以来距離を離す他なかった。
「解らない」ではなく、「解らなくなった」ことの不安は時に「解らない」ことを上回る。信じていた相手が解らなくなったという事はそれを信じていた自分自身すらも疑う事になるからだ。
しかし反面、先日完全に絢辻に叩きのめされたあの三人の解りやすさと言ったらない。受けた恥辱を返すために目に見えた布教活動―「アンチ絢辻」を謳う分、非常にマニフェストが解りやすい。おまけにそれに反する者には目に見えた恐怖政治を敷く。
暴力は流石に使わないが、アンチ派に属さない人間を徹底的に無視し、疎外感を与えることで危機感を与え、結果、心ならずも入信させる。何とも分かりやすい。
絢辻もそれは百も承知だった。形式上アンチ派についた彼女達を責める気は毛頭ない。そもそもやり方はかなり雑だが、自分が今までやってきた事も実はこの三人と大差ないと絢辻は考える。
虚構の自分を信じさせ、虚構のコミュニティを作り上げてきたツケは払うべきだ、とも思う。
絢辻と田口達との違いを最も単純な言葉で言い換えるなら「騙す、欺く」と「脅す、強要する」の差であろうか。どちらにしろ他者に対して礼儀と誠意を著しく欠く行為であることは間違いない。それ故に絢辻は彼女達を責めない。責める資格も無いと本気で考えている。だから絢辻は今、こう願う。
―・・大丈夫。貴方達に非は無いわ。だから・・大人しくしていて。
今目の前に迫るアンチ派を無視して絢辻はその背後に居る少女たちを見た。睨んだのではなく、「本当に気にしないで」と語りかけるように。
それと同時に、試合は開始―
パンっ!!
―・・・え?
絢辻は身構えた体を起こし、驚きの中、目を真ん丸にして自分の足元にてんてんと転がってきたボールを片手で止めた。
「・・・!?はぁっ!?」
先程まで手元でバウンドさせていたボールが何故あんな所で跳ねているのか解らず、田口は不機嫌さと不愉快さを一切隠さない声を上げた。とりあえず絢辻を見る。その視線には現在田口など目に入っていなかった。それも田口の不快感を煽る。
―ちょっ・・!私を見なさいよ!!
絢辻の視線の先はそんな田口の不快感をよそにさらに離れていく。と、同時に田口の視線に自分の不快感を引き起こした「張本人」が今、絶対に超えてはならないはずの白線の境界を悠々と踏み越え、絢辻の陣地内に入って行った。
「・・。いんたーせぷとっ♪」
「張本人」―肩までのくるくる癖っ毛を揺らしながら一人の少女―棚町 薫は絢辻の足もとに転がっていたボールを
「よっ」
慣れた足さばきで浮かせ、左手の掌にふわりとのせた。そして田口達の居る「敵」陣を横目で見据え、ぴっと細長い右手人差指を向けて一言。
「そっちつまんない」
「・・・棚町さん。バレーボールを足で蹴ったらダメよ」
絢辻はクスリと笑って棚町を迎え入れ、同時「責任持たないわよ?」と言いたげにほぼ四面楚歌の状況をぐるりと目線のみで見回す。が当の棚町は―
「堅い事言いっこなしで。スルーしてよ♪」
「ま、これからの働き次第でスルーしてもいいわ」
「上等!さてと・・おお~い!!外野の田中 恵子ぉ!!!!」
棚町は大きな口を開け、大声を張り上げて目の前の田口達を通り抜けて外野の「三人目」の味方に声をかける。
「は、はいぃい!!!!」
「私が入ったんだからやる気出しなさいよ!!!」
「う、うん!!」
決して闘争本能、競争心が強い少女ではない。が、やはり「これは何かおかしい」と思いつつ、状況に流されていた田中 恵子が親友の「らしさ」と激励にホッとし、なけなしの戦意を絞り出すようにぐっと両拳を握って力強く返事する。
トントン拍子に展開が進んで行くが、棚町の離反に当然到底納得できない連中がいる。
「・・・ちょっと!!棚町さん!!何やって・・・キャっ!」
「あ、ゴメン。顔面セーフね」
棚町は手首のスナップだけで投げたボールを田口の額にポコンと「うっかり」当てた。痛みはほぼ無いが違う意味で痛い。
「ちょっ・・!!何やってんのよ!棚町さんはこっちのチームでしょ!」
「言ったでしょ?『そっちつまんない』って。こっちの方が面白そうだし。でもそっちがもし私と絢辻さんたった二人・・・あ。プラスその他一名に勝てないって言うんだったら仕方ないわね・・そっちに戻ってあげてもいいわ」
「なぁっ・・!!」
「うぅ・・『その他一名』・・?酷いよ薫ぅ・・」
田中は結構地獄耳である。外野で一人ぽつんと凹んでいた。
「アンタは細かい事気にしないの!禿げるわよ!・・で、どうする?やんの?やんないの?」
「・・いいわよ。別に」
田口は「覚悟しなさいよ」という意思をその言葉に秘めた。つまりこの出来レースのドッジボールの事だけでなくこれからの「事」を含めた脅しである。が、暖簾に腕押しだった。
「おっけおっけ♪」
パキパキと腕を鳴らして上機嫌そうに棚町は笑う。元々棚町薫はこの程度の脅しに屈する様なタマでは無い。もともと絢辻派だろうがアンチ派だろうがどーでもいい彼女にとってはこの絶対的不利を楽しみたい意図もある。
―そういえばそういう性格だったわね棚町さん。
「負けるのは嫌いだが逆に勝ちすぎるのも嫌う性格」―絢辻の幾人もの個人データの中でもこの「棚町 薫」という少女に関してのこの性格データの精度はとりわけ高いと自負している。
えてして絢辻は棚町の助力を得ることとなった。しかし絶対的な戦力差、人数差はさして埋まっていない。敵陣内を見据えて絢辻、棚町の二人は横目で互いに二、三声をかける。
「さってと・・色々ハードル上げちゃったけど・・そろそろ始めましょうかね。絢辻さん」
「バレーボールを蹴った事を帳消しにするぐらいの活躍お願いするわね?棚町さん」
「案外粘着質ねぇ~・・気に入った!」
そんな軽口を交わし、試合開始。
それからの二分、怒涛の攻めで絢辻、棚町二人は敵の内、アンチ派三名、その他八名を一気に外野に追いやった。
「・・すすすすごい。あの二人・・・」
こうなってくると外野の田中 恵子のプレッシャーはやばい。内野の二人の獅子奮迅の働きを見ると基本運動音痴の彼女は本当にヤバい。
―・・いつもよりボールが重いよぅ。
戦意のない幾人かが「早く当てて欲しい」との意思表示を示したのでその何人かを外野送りにしたが戦意満タンのアンチ派にはちと厳しい。彼女のハエの止まる山なりチェンジアップでは彼女らを仕留めるのは無理だ。
要するに田中が当て損なう回数が増えれば内野の守備機会の増大、つまりは味方二人絢辻、棚町両名の危機の増大に即直結しているのである。
―ひ~ん。私が足引っ張って負けたらどうしよう・・・。
内心泣きそうになりながら田中は二人についていくのがやっとだった。そんな彼女に―
「・・田中さん。無理して当てにいかなくていいよ」
意外な声が届く。
―えっ・・?
「キャーキャー」甲高い声が入り乱れる中、そこに似つかわしくない低い声が響いた。いつの間にかコートの傍らで胡坐をかいて寒さで震えている長身の男子の姿があった。
国枝 直衛だった。
男子はマラソンであり、前半走者だった国枝は既にノルマを終え、ジャージ姿でがたがた震えていたところ、女子側の不穏な異変に気付き、コートの近くで戦況を見守っていた。
しばし眺めるとすぐに状況を国枝は把握した。
―・・あからさま。
田中が、そして棚町が「これはおかしい」と思うのであれば当然、彼女らに近しい国枝も「おかしい」と思う状況である。よって当然国枝も「付く側」はこうなる。
「外野から当てるのが無理そうなら田中さんは確実に内野の二人にパスを渡して。・・後は薫が何とかするだろ」
「・・あんたねぇ。結構・・こっちも必死よ?」
少し息を切らした棚町は無責任な国枝の助言に苦言を吐く。
しかし戦略としては至極真っ当だ。田中の投力は元より、ドッジボールのコートの構造上、田中の居る外野から敵の内野の端にいる敵を狙うと的を外した場合、即、敵の外野にまでボールが流れ、結果相手にボールの権利を渡してしまうことになる。外野に複数味方が居ればこぼれ球のフォローも出来ようが残念ながら外野は現状田中一人。リスクを避け、おまけに投力も高い内野に居る二人の攻撃機会を増やす方がよっぽど合理的である。
しかし、この国枝の助言乱入にも納得いかない者がまたまたいる。
「ちょっと!!国枝君!貴方絢辻さんの味方なの!?」
「いや・・味方ってワケじゃないんだけど。ほら・・俺甲子園とか高校サッカーとか負けている方応援しちゃうタイプで・・」
「知らないわよ・・」
よく解らない国枝の理論に田口も上手い言い返しが浮かばない。
「悪い。じゃあ応援だけならいい?」
「・・・」
「・・よそ見してたら当てるわよ。再開してもいい?」
棚町が痺れを切らしたように田口と国枝の会話に割り込む。棚町としては田口の「国枝君は絢辻さんの味方なの?」発言がちょっと気に障ったらしい。
―・・コイツはアタシの味方だもん。
そんな怒りの結果、体力回復と共に少し戦闘力が増大している。
「頑張って・・田中さん」
「う、うん!」
国枝の助言と応援によって田中のやる気も増す。
・・少し切ない話だが田中は国枝の事が割と真面目に好きである。
「それと・・絢辻さん」
「・・何?」
「ちょっと待っててね?ふふっ・・」
「・・・?」
何処か意味深な珍しい国枝の笑顔と同時のその言葉に絢辻は首を傾げるが―
「絢辻さん!ぼ~っとしてないで!再会するわよ」
棚町の一喝に気を取り直す。
「あ・・うん!」
再開後の一投目で棚町は即アンチ派一人を沈め、そのこぼれ球を拾った絢辻も確実にもう一人を外野送りにした。流石に運動能力ではこのクラスの一、二を争う二人である。
みるみるうちにビハインド(ハンデ分)は詰められ、徐々に「こんな馬鹿な」という田口達の焦りの色が濃くなっていく。
―・・「負けている方につく」とは言ったけどこれは・・付く方間違えたかな?
国枝は胡坐をかいたまま頬杖を突き、
「・・・。ぐう」
寝た。
スパコーン!
「てっ!!」
「あ。ごめ~~ん。直衛♪間違って当てちゃった~♪」
棚町はそう言ったが確実に「・・ワザとね」と、絢辻は確信していた。国枝に当たったリバウンドのボールがキッチリ棚町の手元に帰って来た所、そして明らかに棚町の表情が
「寝るな。私見ろ」と語っていたからだ。
数分後―
「・・・・っと!あっちゃ・・」
棚町 薫は顔を歪める。敵側の不用意な外野へのパスをカットしようとしたが、こちらも不用意だった。片手で器用に止めたまではよかったものの、少し目を切るのが早かった。
片手からするりと、とりこぼす様な感じでボールが滑り落ち、反応が遅れた絢辻もフォローに回ったが無情にもボールはすとんと地面に落ちる。
「・・・あ」
肩で息をした絢辻の喉の奥から空気が抜けた様なか細い声が洩れる。
「・・。ごっめ~ん。当たっちゃった・・」
棚町は不用意な自分の失態に下唇を噛みしめる。そんな棚町にふるふると首を振って
「・・うん!気にしないで棚町さん。後は私がやるから」
相も変わらず申し訳なさそうな棚町からボールを受け取る。
「・・!」
―お。薫の奴当たったか・・ま~た油断したな?アイツ。悪い癖だ。・・ん~まずいかも。いくら絢辻さんでもな・・。
「・・薫」
外野で田中は奮闘した親友―棚町を迎い入れる。当てられはしたものの、彼女が外野送りにした敵の数は絢辻すら上回った。しかし、その親友―棚町は渋い顔をしていた。
「くっそ~散々ハードル上げときながらしくったわ~。ここで負けちゃ意味無いのに!」
棚町は自分に腹が立っている様子だった。確かに負けたら立場はない。絶対的不利な状況下で完全に打ち負かすこと、これが棚町にとって散々不快だったアンチ派の活動を収束させるために必要なことだった。
実際の所、棚町はそこまで絢辻とは親しくはない。しかし、有人から伝え聞いた絢辻の今までの数々の頑張りを知っている棚町にはその人間に対する余りに過ぎたバッシングにはこれ以上の我慢がならなかった。それ故に志半ばで矢面に立たされている人間を肝心な所で孤立させてしまった事に歯痒さを感じている。
「はっ!・・・はっ!はぁっ」
たった一人内野に残され、息を切らしている絢辻の姿を悔しそうに見据えながら棚町は苛立たしそうに腰に両手を据えた。そんな性格の親友を良く知っている田中は少し笑い、そして鼓舞するように表情を引き締め、親友を見据える。
「薫!」
「わ!?な、なに?けーこ!?」
「まだ終わってないよ。ドッジボールは外野でも出来る事があるんだから!」
「・・。そね!アンタもたまにはいい事言うじゃない♪恵子♪」
棚町が気を取り直した直後、歓声が上がる。当てられた棚町から受け取ったボールで絢辻が一人を仕留めたのだ。相手は田口を筆頭にとうとう残り三人まで減った。
しかし、ボールの権利は再びアンチ派に戻り、消耗した絢辻は膝に手を突く時間もそこそこに身構えるしかなかった。
―・・。案外手堅いな。薫を当てたとしても外野にいるって事が良く解ってら。
アンチ派の堅実な内、外野へのパス回しを見て国枝は内心感心した。
疲れが見え始めた絢辻は相手のパス回しのたびにひっきりなしに内、外、また内、また外と移動する事になる。休む暇も無く、だ。
かといって運動量を落とせば、即狙われる。相手のミスを待つのも手だが正直ジリ貧である。リスクを払って相手の強攻をあわよくば受け止めてもまだ相手は三人残っている。これを最低でも三回は繰り返さなければいけない事を考えれば正直勝ち目は薄い。
―・・・!
彼女お得意の奇策を思いつこうにもハードワークを課された体に流石に頭が働かない。
そして疲労の際、最も先に異常が現れる場所がとうとう音を上げた。
「あっ・・と!!」
崩れるとは行かないが少しストンと絢辻の腰が落ちる。
「寄越して!!」
ここを見逃さない手は無い。田口はパスを受け取った味方から強引にボールを毟り取ると同時に強攻に出る。タイミングも悪くない。国枝は目を見開く。
―ヤバい。やられ―・・・・!?
スコーン!
「えっ」
「あっ!」
「へっ?」
「おー・・」
高く舞い上がったボールは絢辻に触れること無く、絢辻の陣地内に落ちる。しかしそのボールに目もくれる事も無く絢辻は瞳を見開いてただ一点を見つめていた。
コート外から突如現れた黒い「影」が田口と絢辻を結ぶボールの軌道上に割り込み、それに当たったかと思うと「影」はよろよろふらふらと舞い、ぱたりと倒れた。
「・・・・!源君!?」
自陣に転がったボールに一瞥もくれず「影」―源 有人に絢辻は一目散に駆けよった。
「すんませ~ん!ちょっとタイムで!」
「????」
まるでグラウンドで違うグループの所に転がってしまったボールを追っかけるようにして一人の少年―梅原 正吉が女子のコートに流れ込んできた。そしていち早く有人に駆け寄った絢辻の傍らに座る。
「ちょっ!!何やってくれてんのよ!!!」
千載一遇のチャンスを逃した田口が心底憤った声を上げる。
「わりぃわりぃ・・コイツマラソンを走り終えた瞬間に意識が飛んだみたいでさー。ゴールした後もふらふら走り出したと思ったら・・こういうワケ・・」
「源君?源君!しっかりして!」
絢辻が声をかけつつ揺さぶるとわずかに有人から反応があった。ぜーはーぜーはー息を切らす有人の口が不明瞭な言葉を発する。
「え!?何?何て言ったの?」
絢辻は彼の口に耳を近付ける。
「・・・。・・。・・、・・・・・」
「・・・!・・ばか・・」
「本当に失礼しました~~!国枝!オメ-も寝てねーで手伝え!大将を引っ張りだすぞ!」
「・・ん」
のっそりと立ち上がり、ゆ~~っくり時間をかけて梅原の元に向かった国枝はゆ~~~っくり、の~~っそりと有人にモタモタ肩を貸しながらひ~~っそりとこう呟いた。
「・・『早かった』じゃねーの」
「・・・」
その親友の声に力無く有人は顔をあげて白い顔で少し微笑んだ。いや「白い顔」というのは語弊があるか。もろに田口の渾身の一撃を顔面に喰らった有人の顔は少し赤く腫れている。顔色が悪いのに顔が赤いという矛盾に有人の親友二人は顔を見合わせてくくっと笑った。
「おう!陸上部の奴がタイム見て腰抜かしてたぜ」
梅原も小声でひひひと笑いながら頷いた。そして、コート脇に寝かせ、
「・・源君にこれ使ったげて」
その場に居たクラスメイトの女子一人に借してくれたタオルでばっさばさと有人を仰ぐ。そして仰向けの有人にひそひそと梅原が話しかける。
「・・。おい。みなもっち。絢辻さんに何て言ったんだ・・?」
「・・・。・・・・」
その相も変わらず息も絶え絶え、不明瞭な有人の声だが側に居た友人二人には聞こえた。
「・・まともに声をあげられない状態で言った言葉がそれかよ。むしろお前がしろって~~の」
その有人の言葉とは―
(・・絢辻さん。今の内に深呼吸)
絢辻はその言葉を聞き取り、深呼吸の様な溜息の様な曖昧などっちつかずの呼吸をして笑った。委員会で散々「無理をしないで」と口を酸っぱく彼女に言って来た有人らしい言葉に絢辻は心からの笑顔を禁じえなかった。
「さて・・余計な邪魔が入ったけど再開ね。ボール貰うわよ」
「・・どうぞ」
絢辻から田口はボールを受け取る。自分の陣地の真ん中より少し前で最前列に居る田口に向けて絢辻は軽くボールを投げて渡し、そして―
「・・・」
無言のまま、その場から動かなかった。明らかに危険な、充分に「狙える」位置で絢辻は立ちつくしたままだった。
「・・・?何?ひょっとして諦めた?」
田口のその言葉に絢辻は無言で笑った。そしてこう答えた。
「私・・解っちゃったの」
「・・・?何言ってるか解んないけどまぁいいわ。・・よく頑張ったんじゃない?」
田口は身構える。
「・・。ふむ・・。相変わらず解ってないのね?」
満面の笑みから一点、絢辻は哀れむような、しかしどこか蔑むような表情をして少し首を振り、妖しく笑った。
―・・・!ぜっっったい泣かしてやる!!!
それを契機に田口が渾身の力でバレーボールを投じた。
・・ガっ!
そのボールはあまりにも近距離に居た絢辻を難なく捉え、そして確かに地に落ちた。
アウトだ。
負けだ。
しかし―
田口の顔に張り付いたのは勝利の笑顔ではなく、驚嘆の表情だった。
「・・・・!!!???」
絢辻の足もとで跳ねたボールを絢辻は右手でボールをとる。負けたのなら。勝負が終わったのならば全く意味はない行為だ。
しかし事実、まだ勝負は終わっていなかった。その証拠が田口の表情によく表れている。その眼に映った絢辻の姿を未だ田口は信じられない。信じられない光景だった。
ばさあっ
いつも定規で整えられたような長い髪は乱れ、絢辻の顔を覆い隠していた。それを片手間に首を振って払い、絢辻は田口を見据えた。
「顔面・・・セーフよね?」
乱れた前髪の下でボールが直撃して赤く腫れあがった右目をやや痛々しそうに閉じながらも絢辻は不敵な笑みを田口に向け、凍りつかせた。
一瞬時が止まったそのコート上で動き出したのはただ一人、絢辻だけだった。田口、そして残された彼女の味方他二名も目の前の光景―絢辻の気迫を前に後退する事を忘れた。
「・・ふっ!!」
一人、二人と田口の残された取り巻き二人が逃げる暇も無く立て続けに絢辻は捉える。更に跳ね返ったリバウンドボールを味方陣地内で素早く拾い、残すはただ一人、田口を見据えた。
「・・・・はっ!!!」
味方を全て失って漸く平静を手に入れた田口は全速力で下がった。最早反撃など考えていない。完全な回避だけの行動。「逃げ」といってしまってもいい。
しかし絢辻はそれすらも見透かしていた。ニッと微笑む。
勝負は確かにまだ決まっていない。しかし今決まった。それを確信させる表情だった。絢辻が放ったボールは完全に田口という的を―
・・逸れていた。
―・・・・え!!???
絢辻の「的」は田口ではなく、その後ろの影であった。
―・・・馬鹿ね?ビビって下がりまくってる貴方を私がわざわざ狙う必要ないじゃない?
「・・そゆことね♪」
場を支配した絢辻の「時」をいち早く理解し、動いていたのは対戦相手の田口ではなく、外野にいた絢辻の味方―棚町 薫であった。
絢辻からのピンポイントのパスを難なく受け止め、至近距離ながら未だ背を向け、呆けたままの田口に向けて棚町は腕を振り下ろす。
「あ」
「あ・・・」
体育の授業終了後、ばったりと顔を合わせた二人は赤く腫れたお互いの顔を見合って、
「ぷっ・・」
「ふふっ・・」
笑いあった。
「・・・はい」
「・・・?」
有人は右手の上にのせた袋に詰められた氷を絢辻に手渡した。
「広大と太一君が用意してくれた。仕事しない保健室の来崎先生を叩き起こしてね」
「・・貴方の方が必要でしょ。もう少し冷やしときなさいよ」
「・・・もう一つあるから大丈夫」
有人は項に回していた左手を絢辻に見せる。その手の上にもう一つの氷袋がタオルに包まれた状態であった。それを見せた後、再び左手を項に戻し、有人は何時も通り微笑む。
「・・・。有り難く受け取るわ」
受け取ると絢辻はすぐに右目周辺の患部にそれを当てる。ほぼ直撃だった有人に比べ、絢辻は右前頭部を深めに掠めた程度であり、腫れた範囲は有人に比べると狭い。
しかし、右目を覆い隠すように氷袋をゆっくりと押し付けると、患部の少しの沁み入る様な痛みと相まって冷えた頭に突き刺すような感情が思わず絢辻に刺しこむ。
「・・・」
絢辻の表情に目に見えて翳りが生まれる。その点は絢辻も女の子だ。ボールをぶつけられ、髪はボサボサ。軽いとはいえ顔も傷付けられてショックを受けないはずはないだろう。
「・・無茶したね」―そう言いかけた言葉を有人は飲み込む。暗く射しこんだ絢辻の感情が直に伝わってくるような感じがした。
「・・。『無茶したね。絢辻さん』かしら?」
「・・・」
―察しが良すぎるよ。
無言で頷きもせず、有人は少し目を翳らせて尚も微笑んだ。
「・・別に悪い事ばかりじゃないのよ?これでもうこれ以上田口さんが私にどうこうする事は無いと思うわ。ここまで完膚無きまでの負けをクラス全員に晒したんだもの、あの圧倒的有利な状況でね。・・少なくとも私ならもうこれ以上恥をさらそうとしないわ」
それは真実であった。そもそも強制的に「クラスの女子ほぼ全員対絢辻」という対立構造をあれ程あからさまに突き付けた時点で田口自身認め、幅広く公言しているも同然なのである。「絢辻にまともに行って勝てるはずが無い」という事を。
その時点で物凄い屈辱なのだ。それを認めながらも手に入れようとした意味も無い勝利の優越感すら絢辻に真っ向から阻まれた。それどころか絢辻の壮絶な覚悟と行為を目の当たりにし、更に自分との差を痛感してしまった。
そして感じ取っていた。クラスのほぼ全員が絢辻の覚悟の前に圧倒され、完全に流れが変わった事も。
「・・だから、ね?もう、・・大丈、夫なの。有難うね。私は・・・だいっじょ、うぶ・・」
そう言って絢辻は有人から見える左目を語尾を詰まらせながらも精一杯緩ませて笑った。しかし、緩ませたと同時、僅かに自分の残された左目の視界がゆらゆらぼやけている事を絢辻が認識した直後であった。
「・・・えっ?」
次の瞬間、何も見えなくなる。変わりに左目にも目が透き通るような冷たさに覆われた。
何をされたかはすぐに解った。咄嗟に離そうとした右目の氷を支えていた手も冷たい少し大きな手に覆われて引きはがせない。有人の両手が力強いが優しく柔らかく絢辻の両眼を氷袋を通して包み込んでいた。
「何・・?」
「・・吐きだそ?全部・・」
「・・・っ」
その今は見えない有人の言葉に絢辻の口が歪む。冷やされているのに目頭が熱くなる。何も言うつもりは無いのに喉から何か汽笛の様な物がこみあげてくる。
「ふ・・・くっ・・・な、によっ!な、んなんだって、のよぉ・・?」
「・・・」
「なんっ・・・でこうなるのよぉ・・?」
「うん」
「私・・・な、んにも悪くないわよぅ?何も手を抜いた事も無い、し、らく、をしようと思った事も無い、わよ?積みっ上げて積みっ上げて・・・」
「うん。そだね。間違いない」
「でも・・なんっにも残って無い。居場所も無くして・・。それ、も私のせい、な、の?全っ、部・・?」
「・・ううん。それは違う」
「嘘・・。それっが、違うなっら・・何っで、こんな目に、あ、遭うのよ?・・私が自分の頑張、りの見返りに望んだもの、ってそんなに許っされないものだったかしっら・・・?」
「・・ううん」
氷が解けた水なのか。伝っていく。何筋も絢辻の頬を透明の滴が。
両手がふさがっているため、有人はそれを拭ってあげる事は出来ない。
ただ、今目を塞いで何も見えない絢辻にも見えるように、解るように、
・・微笑んでいた。
2-A教室―
何時ものメンツが集まっていた。ただし―
「・・・。有人と絢辻さんが戻ってこない?」
「そうなんだよ。昼休み以降誰もあの二人見てないって・・先生も早退するとは聞いてないらしいしさ・・鞄も残っているから校内には居ると思うんだけど・・」
「・・・。そうか」
御崎からの報告を聞いて国枝は腕を組み少し考え込む。
「あ~あ・・私と恵子と三人で祝勝会したかったのにぃ~ね~~?け~~こぉ?」
「いや薫。その、私は・・別に」
「なに~~け~~こぉ?私の出す酒が飲めね~~ってのか?」
「あっははは・・で、どうする?・・国枝君」
「心配ない。・・梅原、今日の委員会の有人の不在の言い訳考えとくぞ」
「おう!任しとけ」
「サボりの理由なら俺達に任しとけよ。なぁミサキ?」
「・・え?僕?杉内君とは流石に一緒にされたくないんだけど・・」
「サボりの年季なら私も負けてないわよ~~?う~んそうねぇ・・もうこの際『逢引』の為、位でいいんじゃな~~い?」
「「それだ!」」
「・・国枝く~ん、田中さ~ん・・この三人止めて・・」
「あ、ははは・・」
「その案は却下・・結構その・・・リアル、すぎる」