ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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「う・・あ?・・・っ!?」




白い天井。ぼやけた視界とぼやけた頭。状況を把握するのにはしばし時間がかかった。ここで目覚める前の記憶を必死に探す。すると同時に体中から不自然な固定と鈍い痛みが少年―

源 有人を襲った。

「った・・・!」

体が痛みを思い出すと同時に記憶と意識が鮮明になってきた。

―そっか俺・・確か。・・そう!そうだ。

確か信号無視してきたバイクにふられて吹っ飛ばされて・・で・・左折してきた軽トラに轢かれて・・死んだ!?死んだよな?確か!?
あんなに血が出てて・・体も怖いぐらいに冷えて・・。

「・・・!?」

有人はとりあえず自分の体を見る。打撲の跡、頭に巻かれた包帯、顔の擦り傷、そして痛々しい包帯を巻かれて吊りあげられた右足・・。・・しかし、あれ程の大量の血だまりが出るほどの怪我はないようだ。あの時、確かに見ただけで自分でも致命的と解るような大量の血だまりの中で意識が真っ暗になっていった記憶が残っているのに。

―・・!?生きてる、みたいだな・・?

とりあえずここはあの世ではなさそうだ。死んでいる自分が最後に見ている夢だと言う可能性も無きにしも非ずだが、「どうせ死んだんなら体の痛みぐらいは消してくれよ神様」と悪態付きたくなるぐらいに体のあちこちが痛い。
そして奇跡的に一命を取り留めて、ICU(集中治療室)で体中に管を通された半死人の様な緊迫感のある状況でも無い。周りを見回してもどう考えても普通の病室だ。重傷には違いないがとりあえず今すぐに死ぬことはないだろう。

―・・・ふぅ。

ほっと安心すると同時に

「でも・・痛いもんは痛い・・・ぅいぃ・・」

有人はぼすんと、頭を枕に当て、体中に迸る痛みの箇所を一か所ごとに確認するようにしながら、心底痛そうに唸った。それと同時にドアが開く、ノックもせずに乱雑に開いた。

そこに現れたのは


「・・・!あ!兄ちゃん!?起きた!」


「相人」

有人の二つ下の弟―相人であった。
彼の弟は来年中三にも関わらず未だ幼さが抜けきらない表情で安心したように微笑んだ。・・様に見えた。事故の衝撃でコンタクトも吹っ飛んだのか有人の目もぼやけているのだ。

「・・あ、これいるだろ?はい!」

「あ。助かる・・」

弟が気を利かせて渡してくれた自宅用の眼鏡をかける。すると黒いサラサラの髪、切れ長の細い目をした見慣れた弟の表情が漸く映る。

「ホントよかったぁ・・あ。兄ちゃん俺の事解る!?大丈夫!?まさか記憶喪失とかは・・!?」

「そんな一気に話しかけんなって・・。頭がガンガンすんだから。・・第一さっき『相人』って名前ちゃんと呼んだろ?・・大丈夫。ちゃんと覚えてるよ」

「あ。そっか。あはは」

一瞬目眩を覚えながらも徐々に焦点が合い、目が日常生活の働きを取り戻すと脳ももう少し動き出したため、有人は弟に状況を説明してもらうことにした。

自分の怪我は重傷だが命に別条はない事。
安心した両親は一旦自宅へ必要な物を取りに行った事。
・・特に制服は悲惨な状況だったこと。

事故の瞬間、投げ出されていた有人をよけようとしたトラックは横転し、積み荷が投げ出された。

そこに積載されていたのが近くの洋食、料亭等に納入予定であった大量のトマトジュースであり、現場はトマトジュースで一面真っ赤になった。その中で倒れている有人の即死を誰もが疑わなかった。
実際本人ですら、だ。しかし、実際は粉々に砕け散った有人のロードバイクの破片が目の前で急ブレーキをかけた軽トラによって弾き飛ばされ、それが有人の頭にあたった事によって有人は意識を失っていたのである。
幸い直撃した破片は自転車のライトの丸みを帯びた部分であり、彼の脳に異常が残る怪我ではないと診断された。一番重傷なのはバイクの前輪に直撃された際の右足の骨折とのことである。

「嘘みたいだな・・」

「救急搬送された時のお医者さんも驚いてたみたいだよ。『何でこんなに血まみれな患者なのにここまで怪我が軽いのか。で、なんでトマト臭いのか』~ってさ」

「・・・はは」

「っと。いっけね。俺お医者さんに兄ちゃん意識戻った事言ってくるよ!」

「あ。ちょっと待て!相人」

「何?」

「ところで・・今、何時なんだ?俺どれくらい眠ってたんだ・・?」

「あ。そか。今は夕方の五時半過ぎだよ。と、言っても・・25日の五時だけどね。兄ちゃん丸一日意識なかったんだよ?」




「・・・いっつつつっつ!!!」

有人は駆けだしていた。

と、言っても足が折れているのだから走れない。這いずるのが精一杯である。

「ちょちょちょちょちょっ!!兄ちゃんダメだって!!そんな体で!!」

彼の弟は今の日時を知り、急に慌てふためきだした兄を諌めながら、担当医を呼んでくれた。クリスマスの日に夜勤を担当している少々悲しい四十代くらいの男性担当医に事情を説明する。彼は話が非常に解る人だった。
事の経緯を全て知っているその担当医は「こんな大事な二日間に浦島太郎状態じゃ仕方ないな」と笑って有人の外出(といっても勿論院内だが)を許可してくれた。
弟に馴れない車いすを押してもらって目的地に向かう。当然行先は公衆電話ボックスである。まずは・・梅原だ。


『おう!みなもっちか!めりーくりすます!』


能天気な友人のいつもと変わらぬ声に改めて有人は生を実感する。そして自分の状況を端的に告げる。梅原は心配しつつも大したこと無い病状に心底安心してくれた。

『そりゃあ災難だったな・・。でも無事なら良かったぜ。ん・・?ってことは!』

「・・そうなんだよ。察しが良くて助かるよ」

『・・おいおいおい!俺に電話してる場合じゃ無いんじゃね!?お前確か創設祭・・・』

「だから・・絢辻さんの電話番号を教えてもらいたいんだよ。なる早で」

『よっしゃ待ってろ!』

梅原はその後一分もかからず、絢辻の連絡先を調べて教えてくれた上に「国枝辺りにも連絡しといてやる。だからおめーは一刻も早く電話して謝りな」と最後に言ってくれて電話を切った。重ね重ねの梅原の配慮に感謝しながら、有人は手元のメモした絢辻の連絡先を見ながら暫しじとっと黙り込んだ。

―ここからだ・・・。

電話番号ボタンをプッシュし、最後の数字を打ち込む前に一度深呼吸してゆっくりと最後の数字のボタンを打ち込んだ。四回目のベルで受話器が上がる。
同時に有人の心拍も跳ね上がった。


『はい。もしもし絢辻です』


間違いない。


「彼女」の声だ。

一瞬姉の縁が出る事を期待したことを有人は心から恥じた。

「もしもし・・えっと・・源・・です」

『・・源君?』

「うん。その・・何て言ったらいいのか・・」

『・・・』

「先に謝らせて貰っていいかな」

『・・。どうぞ?』

「あの・・昨日行けなくてほんっとうにごめん!・・・俺・・事故に遭って・・今ようやく病院で意識が戻ったところで・・」

いきなり事故を言い訳にしてしまったあたりに「うわ。俺性格悪いな」と一瞬自己嫌悪に陥った。

『え・・・?』

「本当に本当にゴメン!」

『・・・・』

「・・・・ゴメン・・・謝って済む問題じゃないけど本当にゴメン・・」

『・・・・』

「・・?」

『・・・』

「・・・絢辻さん?」


長い。永い沈黙だった。有人は震える手で徐に十円玉を二枚追加する。絢辻の次の一言の予想がつかない。怖すぎる。

しかし・・絢辻の次の一言は何とも意外な物だった。

それよりも前に有人は気付くべきだった。このあまりにも長い沈黙の本当の意味を。
電話越しで。この電話線の先で絢辻が果たしてどういう状況かを推し量るにはこの「電話」という物がどれだけ不便な物であるかを有人が痛感するのはそう先の事ではなかった。




『大丈夫なの!?怪我は!?』

「・・え?」

かつて無い逼迫した、同時真摯な心配の声色だった。

『今電話なんかかけて大丈夫なの!?安静にしてなくて大丈夫!?もう、馬鹿ね・・!電話なんて何時でもよかったのに・・!』

「・・・ううん大丈夫。お医者さんにも大丈夫って言ってもらえたし・・ありがとう。そんな事言ってもらえるなんて」

目を丸くしていた有人だったが絢辻からの言葉を頭の中で噛み砕き、咀嚼すると同時に心根がゆっくりと落ち着き、思わず謝罪よりも感謝の言葉が出る。

『心配するのは・・するのは当然でしょ?で、今どこの病院に居るの!?』

「え・・吉備東の市立病院だけど・・」

『病棟は?』

うぬぼれでも何でも無く、有人は絢辻のその強い語気に直感した。絢辻はここに来る気だ。それも確実に今から。

「え?だ、大丈夫だよ!それにもう遅いし!」

『大丈夫。今日は両親がたまたま家に来ているから・・車も出してもらえると思うわ』

「でも・・」

『あ。ごめんなさい・・無理言って。迷惑よね。でも・・私としては行きたいんだけどな』

「あ・・」

―謝らせてしまった。

非は全面的にこちらにあるにも拘らず、話の流れとはいえ結果彼女に謝らせてしまった事に痛恨の表情を有人はした。

「・・。俺は大丈夫だよ。怪我も・・来てもらう事も」

『・・ホント?』

「うん。ホントならこっちから行きたいんだけど・・外出はまだ許されてないから。でも絢辻さんが望んでくれるなら、もし来てくれるなら・・俺何時でも待ってます。それぐらいしかできないけど・・それでもいい?」

『ええ。充分よ』

「本当にゴメン。有難う・・」

『・・ううん。あ。お部屋は?』

「・・部屋は・・あ」

―しまった。勢いのままでたから病室の番号覚えてないや。

『ふふ・・大丈夫。本当に慌てん坊さんね?ま・・お互い様かな。・・いいわ。受付で聞く。・・お話しを通してもらえるとありがたいかな』

「うん。こんな事言えた義理じゃないけど・・待っています。絢辻さん」

『・・ええ。じゃあまた後で・・』



その年の12月25日。誰もが知っているクリスマスの日。有人は事故の結果、一日の大半を眠って過ごしていた。実質この日、彼が起きていたのは僅か五時間にも満たない。

しかしこの日は彼にとってこの日はとてもとても長い一日になった。

絶望と空虚、混乱と罪の意識。そして逃げ出したくなるほどの恐怖。
あらゆる負の要素が濃密に配合された時間はここまで流れにくくなるものかと。

有人はこの日の事を忘れないだろう。忘れる事が出来ないだろう。

そんな時間が今、くるくると―回りだす。







ルートT 二十一章 暗転

 

 

 

 

 

 

 

22 暗転

 

 

 

 

 

 

 

 

「う・・いって・・頭が・・重い」

 

予想以上に体調は深刻らしい。

当然だろう。意識の無い間、点滴に頼っていた体にそれ程の気力と体力が残っているとは思えない。何よりも先程の絢辻との電話のやり取りは意識を取り戻したばかりの体と脳には負担がやはり大きかったようだ。

まだ自分の頭が全身に負った怪我のダメージをちゃんと自覚していないのも問題だった。

命に別条は無くとも有人の体は間違いなく重傷で、安静を余儀なくさせる程のものである。

 

無事に病室に戻った後、「一旦家に帰るよ」と言う弟の相人に礼を言った―までは覚えている。しかし何時意識が落ちたのか解らない。

 

・・何処かで少し有人は安心していたのだろう。自分を責めもせず、電話の向こうで優しく、こちらを気遣ってくれた絢辻に。

 

 

―・・何も知らない癖に。何も理解してあげられなかったくせに。

 

 

後の自分がそう悪態付きたくなるほどの行為である事も気付かずに。

 

 

―・・ん?

 

・・気配を感じた。ぼうっとする意識の中でその気配は徐々に形を成していく。感覚から視覚へ。ゆらゆら揺れながらもゆっくりと固定されていく。現実の形に。

 

しかし違和感。

 

「形」は確かに見慣れている。間違いない。この「形」は・・あの子だ。

 

しかし・・「かたち」は・・?見た目には表れない。しかし有人にだけ自覚できる彼女の「かたち」。形、貌は同じでも有人には理解できる、知覚できる違和感の中、有人の意識は徐々に覚醒へ。

その違和感の正体を「ぼやけた意識の中の勘違い、働かない頭の誤作動」―そう自分の感覚を卑下して有人は打ち消した。

 

意識が完全に落ち着いた時、現実が形を整えた時。

 

にこり・・

 

「かたち」は有人の目の前で微笑んだ。そしてこう言った。

 

 

「・・・おはよう」

 

 

「・・おはよう」

 

―ほら、見ろ。

 

 

・・・絢辻さんじゃないか。

 

 

一向に自分の中から消えてくれない違和感を抱えながらも塗りつぶす。

まるで色彩豊かな絵を真っ黒な絵の具で塗りつぶすみたいに。台無しにするみたいに。

 

 

 

その数分前・・

 

「じゃあ静かにね。他の患者さんもそろそろ就寝の時間だから。・・でも、静かに話す位なら全然OKよ」

 

親切そうな看護師の女性はそう言って静かに病室のドアを開け、入りづらそうにしている一人の少女を促してくれた。そろそろ面会の時間外になる時刻ギリギリに訪れた少女に一切迷惑そうな感情を持っていない事が解る笑顔で。

 

「・・すいません。こんなギリギリのお時間に無理を言って・・」

 

「いいのよ。何せ・・『こんな』日だしね。・・会いたいのも解るわ」

 

「・・はは」

 

「ではごゆっくり・・」

 

「有難うございました」

 

ぺこりと頭を下げて立ちさる親切な看護師の女性を見送った。

 

 

 

看護士の女性が去り、が黙りこむと周囲は静寂に包まれた。ようやく聞こえてくるのは恐らく小児病棟でクリスマス会をしているのだろう、その楽しげな音楽や笑い声が僅かながら不快ではない程度に少女の鼓膜をくすぐる。

しかし、それも病室内に入るとほぼ完全に聞こえなくなった。

 

 

―・・眠ってる。

 

 

少女―絢辻 詞はそう確信した。

 

すぅ・・すぅ・・

 

ほぼ無音の病室内で聞こえる僅かな息遣い。多分少しでも物音を立てればそれはあっさりかき消えてしまうだろう。だから音も無く、そして病室の電気もつけないまま少女は歩み寄る。廊下の電気で室内は照らされているが消灯された有人の病室内はそれでも薄暗い。それでもお構いなしにそのまま絢辻はベッドに近付いた。

 

 

―・・見えた。会えた。

 

 

切望していたその姿。その顔。無垢で無防備な寝顔。少年―源 有人の顔。

頬にガーゼ。痣。頭には包帯と少し痛々しいがそこから覗く閉じられた目、睫毛、その先にある小さな泣きぼくろ、面長の顔に少し長めの鼻、小さな息遣いの少しだけ開いた薄い唇。あの日、神社の裏の境内で穴が開くほど眺め、見つめたあの顔だ。

 

「・・・くすっ」

 

絢辻はこれ以上にないほど痛々しく眉をひそめて微笑んだ。そしてゆっくりと先程有人の弟の相人が座っていた丸椅子に座り、また暫し彼の寝顔を無言のまま眺める。その視線ゆえか彼が目覚めるのにさほど時間はかからなかった。

 

「・・・ん」

 

眼鏡の奥から光る彼の薄茶色の瞳は少し弱々しい。

 

「・・・おはよう」

 

「・・おはよう」

 

時刻はもう九時過ぎ。二人は時間的には何とも的外れな挨拶を終えた後、絢辻は有人の顔から彼の全身を見る。頭の包帯、顔の擦り傷、手にも包帯、固定された右足。そんな痛々しい有人の姿に心から心配そうに絢辻はこう呟いた。

 

「酷い状態ね・・大丈夫?」

 

「うん。大丈夫。むしろ・・」

 

「むしろ・・?」

 

「救急搬送された時にハサミで切られちゃった制服が痛いかな・・」

 

「え・・?」

 

「あ。大丈夫だよ?本当に。俺・・ぶつかった軽トラの積み荷のトマトジュースを全身に浴びたみたいでさ?血まみれに見えたらしくて・・救急の先生も『出血の割になんでこんなに外傷が少ないんだ?』って不思議に思ってたって」

 

「そうなの・・?」

 

「うん。怪我自体は本当に大したこと無いから・・それよりも待ち合わせの場所に行けなかった上に、こんな時間に呼び出して、心配もさせて・・絢辻さん。何から何まで本当に・・・ゴメン・・!」

 

勢いよく頭を絢辻に向かって下げ、そのせいでピシリと有人の体中に激痛が走るが、それをかみ殺すように歯を食いしばって耐える。しかし、目の前の聡明な少女にはお見通しだった。ふるふると首を振る。

 

「・・いいのよ。仕方なかったんだし。・・それよりも!!あんまり無茶しないで。ホラ・・楽な姿勢になって?病人は大人しくしているものよ?」

 

「・・つつつ」

 

有人は体を起こす。体中に走る痛みが抜けきらないまま顔を上げたせいで表情は未だやや引きつっていた顔のままであった。それを見てクスクスと絢辻は笑う。

 

しばしの沈黙の後、絢辻が懐かしむような口調でこう呟いた。

 

「・・そう言えばあの時と立場がまるで逆ね?・・私が風邪をひいて学校を休んで・・源君が看病をしに来てくれたあの日と」

 

「そうだね・・」

 

「あ、そこにある林檎・・何か食べても大丈夫なの?」

 

有人の弟が置いていってくれたらしいパックに入ったままの林檎を指差しながらまたクスクスと笑い、絢辻は徐に手を伸ばした。くるくると艶のいい林檎を捜しながら有人をちらりと優しい瞳で見る。

 

「これも『あの時』と一緒ね・・食べる?」

 

「あ。俺が剥くよ」

 

「・・・その手で?」

 

「あ・・」

 

自分の右腕に巻かれた包帯を見て有人は申し訳なさそうに苦笑いするしか出来ない。それに向けて絢辻は優しくも今度は呆れた笑顔で顔を傾ける。

 

「こういう時は人に甘えなさい。ね?」

 

絢辻は一つ一つ林檎の形を確かめるように二、三個手を付けた後、見つくろった一つの林檎をスルスル近くに有ったナイフで器用に剥き始める。

 

「・・お上手」

 

「ありがと。・・あの日の源君の手つきに感化されてちょっとは練習したのよ?練習の成果を発揮できた上にお披露目まで出来て嬉しいわ♪」

 

丸い大きな瞳をくりくり動かしながら器用に林檎とナイフを滑らせ、見事に林檎の皮はこれまたあの日と同様にあの形になる。

 

「どう。綺麗なS字の完成。大したもんでしょ?」

 

得意気に絢辻はまるで眼鏡を装着するみたいに、剥ききった林檎のS字の皮を顔の前で茶目っ気たっぷりに誇示した。

 

「お見事・・痛!」

 

―・・手を叩くことも出来ないのか。

 

自嘲の表情でびりっと激痛が走った右手の患部をさすっている有人の姿に

 

「ふふっ・・無理しないのっ。ハイ・・召し上がれ」

 

切り分けられた林檎の少しいびつな方を有人は手にとって口に入れる。

そう言えば目覚めてから何も口にしていなかった。空腹も喉の乾きも今思い出したように蘇る。改めて有人は自分の生を実感する。

 

「・・」

 

そして同時気付く。・・やはり自分の感覚が「正常」である事も。

 

 

―・・やっぱり気のせいじゃない、よな。

 

 

何かが「変」だ。有人は踏み込むしかなかった。

 

 

「・・絢辻さん?」

 

「うん?何かしら」

 

「どうかした?」

 

「え・・?」

 

「何か・・変だよ」

 

「・・・?何が・・?」

 

「上手く言えないけど・・変だよ」

 

おかしい所はたくさんあった。このクリスマスという肝心の日に有人がみまわれた不運を前に彼女の予想された悪態。侮蔑。不満。憤り。皮肉。

それを全面に出しつつ、押し殺して優しく、いかにも親切そうに彼女が振舞っているのなら解る。いつもの彼女がすること、やりそうなことだ。

確かに有人にとっては不可抗力の事故とは言え、彼女にはそれぐらいの権利は許されている。「こんな日に限ってなんて間の悪い人なの!?」ぐらいの不平不満、嫌味、愚痴や皮肉を聞かされたとしても妥当とも言えるだろう。

 

 

でもそれも無い。

 

 

それどころか今の絢辻には全く欠けている。有人に多少なりとも存在する負い目に対してそこを嬉々と悪戯に責める、自分達の不運さに憤る、等の感覚が全くぽっかり欠けている。

 

そして

 

何故か今の彼女の表情にはあろうことか含まれている物に有人は気付いていた。

優しく微笑みつつも憂いのある伏せ目がちな瞳、控え目な声量、そして相対する有人との視線を可能な限り合わせようとしない、一歩引いて自重した様な態度。

それは状況を考えれば本来有人が持つべき負い目、絢辻が決して背負う事は無い、必要も無いもの―謝罪、同時自己嫌悪の様な感情が宿っていた。

 

 

「何で・・絢辻さんはそんな顔をしているの?」

 

「・・」

 

有人の問いかけに否定も肯定もせず、絢辻はおし黙った。表情も全くの無に変わる。

彼女が有人に本性を晒す前に何度も見せていた謂わば「接続」の儀式である。

 

が、しかし―

 

 

 

・・Error

 

 

・・接続は断たれました。

 

 

 

・・直前の状態に復帰します。

 

 

 

「・・・。気付いちゃうか。源君はやっぱり・・」

 

絢辻はそう言って微笑んだ。これ以上なく寂しそうに。

この時の自分のいくつもの問いかけ達が「今」の彼女にとってどれ程残酷な言葉であったかを有人はこの時、知る由も無い。

 

絢辻は覚悟したように言葉を紡ぎ始める。

 

 

「・・出来るなら貴方が落ち着いて体も怪我も・・そして心も回復した時にお話ししたかったんだけど・・やっぱり私ってこういう肝心な時にダメね?・・手帳を落とした時もそう」

 

自己嫌悪ここに極まれりといった表情のまま絢辻は右手で髪をくしゃりと覆う。綺麗に整えられた黒髪の間から覗く水晶の様な黒い左の瞳が一層憂いを帯びた。尚も消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。

 

「・・ちゃんと伝えなきゃいけない事がある時に限って上手く出来ない・・ホント、ダメ・・」

 

「・・・?あや、つじさん・・・?」

 

「・・源君?」

 

「・・何?」

 

「これから私変な話をすると思う。理解できないかもしれないし、気持ち悪いと思うかもしれない。とても今の状態の源君にはお勧めできない・・それでもいい?」

 

「・・・」

 

即答できなかった。普段の自分なら一歩退いて考え込むのかもしれない。日を改めるのかもしれない。だが・・今の有人にはそれが無理だった。

 

・・ぶるっ

 

身の毛がよだつ。正直今有人は怖い。他でも無い絢辻が怖かった。

自分の事をまるで「他人事」のように話す絢辻の事が。

 

「・・・」

 

沈黙だった。今有人が出来る事はそれだけだった。

しかし・・絢辻は

 

「そう・・嫌、だよね。でも・・やっぱり話すね?解るように精一杯話すから聞いてほしい。

 

 

・・貴方に『あの子』の最後の言葉を。多分『あの子』もそれを望んでいると思うから」

 

 

と、発した言葉は彼女の言葉通り、有人には理解できなかった。そして、言いしれない不気味さ、気持ち悪さが有人の背筋に差しこんでくる。

 

 

 

 

 

 

―・・・。酷い状態ね。

 

―うるさい!

 

―貴方はあの人を責めているの?それともあの人を信じ切れなかった自分を責めているの?

 

―・・・。

 

―どっちもね。

 

―煩い!解ってるくせに。だって・・だって

 

 

 

貴方は私なんだから!!!

 

 

 

絢辻は向かい合っていた。他でも無い自分自身と。

 

 

―・・そうね。貴方が何時も自分を責める時に都合よく作りだした。貴方が都合の悪い時に全てをなすりつけて逃げるために作りだしたのが「あたし」なのだから。

 

―そうよ!

 

―「成績優秀、品行方正、清く、正しく、美しく。」・・私は貴方の「仮面」そのもので、みんなにとっての「絢辻 詞」だった。・・ただ一人「あの人」を除いてね。

 

―・・・。

 

―・・でも解っていたでしょう?あの人はあくまで「ああいう人」だってこと。確かに「私達」はあの人に相応しい。むしろお釣りが来てもおかしくない位に「私達」はあの人の傍に居ていい人間のはずよ。でも・・貴方があの人を必要以上に欲した時に全ては崩れるの。気付いちゃうのよ。「ああ私達にとって彼は絶対だけど彼にとって私達は必ずしも絶対じゃない」ってことを。

 

―いや・・。嫌・・。言わないで・・言わないで。聞きたくない。

 

―「いや」、じゃないの。・・貴方も認めてくれないとね。・・「私」にはもともと選択肢なんて無い。貴方が否定したい、目を逸らしたい事象をすべて引き受けるしかない、それで前に進まなければ・・いえ違うわね。傍目には「前に進んでいる様に振舞わなければならない」んですもの。だって貴方が作り出した私ってそういう「役目」なんだから。

 

・・「仮面」の私は、ね。

 

 

―・・言わないで。

 

―仕方ないでしょう?あの人の傍に居る、居たいと思う事は即ちそういう事よ。「絶対」になれない自分を受け入れてでも彼を望むのであれば、だけど・・国枝君も言ってくれたでしょ?

 

 

「アイツは君を傷付けるかもしれない」

 

 

・・って。貴方あの時ふんぞり返って言ったわよね。国枝君の前では私が何時も出張るのにあの時だけわざわざ茶々入れてまで。

 

 

「解ってる。でも仕方ない。そんな簡単な気持ちじゃ無いの」って。それが・・このザマ

 

 

・・だものね。

 

―・・うぅ・・。

 

―・・ま、彼の本質は今置いておくとして・・・彼の性格からしてあの日あの時、私達との約束を放り出して他の子といたり、めんどくさくなって投げ出したり、すっぽかしたりするような人じゃないってぐらい散々に解っていたはずでしょ?それなのに今あなたはここに居る。あの人を信じきれなくて、自分の事なんてどうとも思ってないって勝手に思い込んでね。

何よりも彼の傍に自分が居てもいいのか、居るべきなのかの自信が無くて。

・・・貴方は彼を疑ったんじゃない、彼の中に在る「自分」―絢辻 詞を疑ったのよね?彼が「私なんかを好きになってくれるはず無い」って。ホントは「散々自分を苦しめた私を心底面倒臭く想っているのじゃないか」って。

 

―お願い・・もうやめて・・。

 

―信じようとした。でも出来なかった。彼を信じる強さよりも彼の中に居る自分を疑う心の方が強かった。勝っちゃった。

ははは・・。笑っちゃうわ・・。何が「もうこれ以上何も望まないね。バイバイ・・」―よ。浸りすぎよね。可哀そうなヒロインでも演じたおつもり?

 

―・・もう。やめて。やめてよ・・・。

 

―止めないわよ。っていうか止められないの。私は貴方が向かいあえないものに「表向き」は向かい合えるように、対処できるように貴方がわざわざ設定した「仮面」なんだから。

 

―ッ!!解ってる!解ってるから・・。全部・・。

 

―解ってない。だから反芻するの。・・続けるわね?そして貴方が自分の中で閉じこもり、勝手に解釈した幻想の中に逃げ込んだ中、今「この場所」のことね?そこでその真実は明らかになった・・

 

―・・。

 

―彼は貴方との約束を破った訳ではない。本当の本当に昨日あの場所・・私達の元へ行けない「確固たる理由があった」。何とも安い、在りがちなドラマの展開よろしく彼は交通事故に遭い、病院に運ばれてしまいました、とさ。

 

―・・・。

 

―まぁ?・・こういう展開では大概の場合、主人公の男の子は死んじゃうのだけれど・・幸い彼は軽傷。よかった良かった♪めでたしめでたし♪

・・しかし、よくない子が一人いる。と~~っても都合が悪い人が居る。・・それが貴方。

 

―・・。うう・・。

 

―「こっぴどく振られた」。「すっぽかされた」。「別の女のもとに行かれた」とかならまぁ・・それならあの時の貴方の台詞はまだカッコはついたかもね?

 

「幸せだった。」?

 

「何も望まない。」?

 

あははは!これはカッコ悪い!すっごくカッコ悪い!あの人は貴方を裏切ってなんかいない。意識が回復して即連絡もくれた!必死で謝ってくれた!

・・でも。「貴方」じゃ無く「私」にね?

肝心の貴方はその時既に「ここ」に隠れていた。そして彼からの電話を、彼の声を聞くのが怖くて仕方なかった。でも・・聞き耳を立てずには居られなかった。・・耳を澄ました。私とあの人の会話を。真実を。

 

―・・・。うぅ~~~っ。

 

―その真実はあまりにも平坦極まりないものだった。貴方が自分の中で勝手に作り上げた悪い予感、想像、妄想を遥かに下回る些細な不運。電話もとで聞く彼の声に心底安堵しながら、噛みしめながらも貴方の意識は更に深い深い方・・この場所に墜ちていった。・・電話を、というか全てを私に任せて、押し付けて、ね。

 

「何してたのよ!」

 

「心配したのよ!」

 

「このドジ!何であんな日に限ってそんな目に合うのよ。この倒変木!」

 

なんて・・言えるわけがないわよね?貴方は昨日憤りもせず、ただ粛々と、淡々と受け入れた。貴方が勝手に作り上げた幻想をね?彼とのいい思い出、楽しい日々だけを残して綺麗に終わろうとしたの。

 

・・・「予定通り」に、ね?

 

―・・・。

 

―その方が楽だから。ほんと、笑っちゃうわ・・。

 

彼を信用しきれなかった自分、彼の中の自分を疑った自分、そして自分という人間を疑い、真実を知ろうとする事も無く楽になろうとした自分。居なくなろうとした自分・・。

 

「何も望まない」、「幸せだった」―そんな虚勢を張って美学に逃げ、綺麗に、美しく、華麗に終わらそうとした。その行動が後に知った真実を知った時、有り得ないほど滑稽であったかを知ったとしたら成程・・「ここ」に膝抱えて無様に蹲って籠りたくなる気分、気持ちも解るけどね。彼に合わす顔が無いものね?

 

・・いいえ。「顔」ならあるかしら?「丁度いい」のがあるから。何せ貴方には在るから。この貴方ご自慢の―

 

 

 

私という・・「仮面」がね。

 

 

 

―・・。解ってる。もう・・全て解ってるから。もうほっといて・・お願い。

 

―・・。会わないの?彼と。

 

―・・。無理だよ。恥ずかしいし、情けないし、悔しいし、もう・・無理だよ。・・もう消えたい・・居なくなりたい。

 

―・・解った。元々私には拒否権なんて無いものね。

 

―ごめんなさい・・ごめんなさい。

 

―いいのよ。私は貴方なんだから。

 

―・・・。

 

―最後にあの人に伝えたい事・・・何か在る?

 

―・・・こう伝えて―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










「―『ばいばい』」





「・・・・!!」





何を言ってるのか解らない・・そうのたまってしまえればどれ程楽だろう。
その絢辻の言葉を頭のいかれた女のたわごとだ、実は嘘をついて俺が苦しむのを楽しんでいるんだろう?と思えれば。

しかし・・その気配が一向に現れない。種明かしをする「あの子」の姿が。今の血の気の引いた有人の顔をからかい、また罵倒する「あの子」の姿が。

有人は唐突に思い出す。神社の裏であの「契約」したあの日・・

彼が「あの子」の物になったあの日。


―・・・「あの子」はあの日言った。「不安を覚えている」と言った。

「貴方が居なくなる可能性」が怖いと。


俺はこう言った。笑って。


「俺はそう簡単に居なくならないよ」、と。





でも・・・俺は予期していなかった。


まさか








「君」が居なくなるなんて。














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