ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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この説話10の話。


似たようなイベントが実は本当に原作にあったりする。









ルートA 8,9、10

8 咲く響く

 

「杉内」

 

「ん」

 

「待たせた。桜井からアンケート預かってきたぞ」

 

「お。サンキュ!茅ヶ崎!!どうだった?」

 

「・・俺は美味いと思ったけどな。桜井の友達からも軒並み好評。ただ茶道部先輩方二人は『納得してない』とのことだ」

 

「桜井さんは?」

 

「・・相変わらず幸せそうに食ってた」

 

「だろうなぁ・・。食わせがいがあるよ」

 

広大はそういって茅ヶ崎から渡された端をホチキスで止められた資料を封筒から出し、開く。

 

「うーん。『大根に出汁が染みていない。そもそも出汁の味付け云々より大根の仕入れ先を変えた方がいい。大根自体が苦い。飛羽 愛歌』・・?・・ハイレベルな意見だな」

 

「まーな。あと野菜はなんかこの店で仕入れろってさ。『あたしの名を出せば安くしてくれるはずだ』って飛羽先輩が言ってた。」

 

「・・。あの人何者なんだ?」

 

「さぁ・・ナゾすぎる。将棋やらなんやら有り得ないぐらい強いし。飛車角落ちでこの前負けた」

 

「・・俺思うんだけどあの人さぁ・・高校生じゃないんじゃね?」

 

「確かに。何か少なくとも40年は生きてそう・・」

 

「本人には言うなよ・・その台詞。で。夕月先輩は?」

 

「『歯応えが欲しい。牛スジを入れろ。出汁も深みが増す』・・らしい」

 

「これまた渋いチョイスを・・高校生の女の子の意見とは思えん。・・解った。参考にしてみるわ。ありがと。茅ヶ崎」

 

「ん・・。また何時でも言え」

 

普段は口数が少なく愛想は無いが根はかなりいい奴である。最後に「茶道部の甘酒を飲みに来てやってくれ」と言い残し、ゆっくりと静かに茅ヶ崎は去っていった。

 

広大の知り合いの大体の人間に試食は済ませた。しかし、さすが個性的なあの二人を擁する茶道部である。大概の奴は「美味い」、「良いんじゃないか」的な評価を下してくれた前回の試作おでん。それも有難い事は確かなのだがそれとは真逆にはっきりとダメだししてくれて尚且つ改善案も出してくれているあの茶道部二人の先輩がたの意見は貴重だ。七咲と塚原の二人もさぞ喜ぶだろう。

手に持った資料を大事そうに鞄に入れ、調理実習室へと広大は向かう。

十二月まで一週間を切り、創設祭の準備のピークのこの時期に放課後に残る生徒は多い。

それも三年生から全てを引き継いだ二年生とまだまだ要領の掴めてないハッキリと戸惑いと迷いが見える一年生たちが今回の主役である。

このイベントによってこの吉備東高校の世代交代がすすむ。それは最初で最後の・・ある意味儀式のような行事である。広大は去年顔を出す程度しかしなかったが、今年周りの幾人かが積極的にこの行事に関わり、自分も少しながら手を貸すことで少しながらもその実感を感じ取る。

 

吉備東高校創設祭

 

クリスマス・イブというふざけた日程にも拘らず、この行事は非常に生徒参加率が高い。

地域密着で町がこのイベントを大いに盛り上げ、大いに出資も行うために大学の学祭並みに人が集まる。学校祭というよりは地域総出で行う地方の祭に近い。

生徒の親戚、親類、他校生徒、OBは元より、地域住民、そして近郊の市町村、遠方からもかなり人が来る。その自覚からか生徒側の力の入れようも半端ないものがある。

かなり他の高校に誇れる、いや、他の市町村に大いに誇れる好行事だ。

 

その中でも水泳部がこの学校の創設以来、この行事に出し続け、水泳部伝統の味として引き継いでいる味がある。それがこのおでんなのだ。

この事から七咲がその役目に任されることがどれ程重責であるかを改めて再認識した時、広大は部外者ながら率先して手伝うことを決め、塚原にも許可を取った。

 

「失礼します」

 

調理実習室の扉を開けた瞬間にむわりと出し汁の香りと湯気が目に付き、その向こうのシルエットが二つ動く。

「コウ君。いらっしゃい」

 

「先輩」

 

「はい。茶道部その他アンケート回収してきました~。斬新な意見満・載です」

 

「ありがとう。改善意見が欲しかったのよ。」

 

水泳部のおでんは確かに伝統にこだわる。が、このような柔軟性も兼ね備えている。それに互いに凝り性な塚原と七咲の性格も合わさって今年はすごいのが出来る気がする。そんな予感が広大はした。

 

「そもそもの材料―大根を変えろ・・か。考えた事も無かったわ。」

 

「あ。この店がいいって。はい。」

 

茅ヶ崎が一緒に渡してくれたコピーの写しを広大は塚原に渡す。

 

「「かおる青果店」・・聞いたことある?七咲?」

 

―ぷ・・。棚町さんと同じ名前だ。

 

「いえ・・。買い物は距離的に近所のスーパーで済ませる事が多いですから。」

 

「成程ね。素材を変えるか・・なんか本格的で楽しくなって来たわね。七咲?今日はこれ位で終わりにしましょう。出汁はこれで特に問題ないと思うから今度はこの助言通り入れる素材を変えて試してみましょう。そこで・・今日時間があるなら帰りに早速このお店に行って数本この店の大根を買ってきてほしいの。試せる事は早めに全部試しておきたいしね」

 

「了解です。」

 

そう言った七咲はすぐにテキパキ片づけに取り掛かる。どうやら出汁の改良は終わったらしい。

 

「コウ君?・・悪いけど七咲に付いていってあげてくれないかしら?他の部員も創設祭の委員会や部活で出張ってて頼めるのが・・。」

 

「暇人だもの。喜んで。」

 

「くすっ。ありがとう。」

 

「けど・・部外者がここまで関わっていいのかな?」

 

「はるかはどうなるの?」

 

はるか―森島 はるかは部外者でありながら何と水泳部の部員勧誘を春に行っている。その成果は塚原を遥か凌ぐ。

 

「あー納得。」

 

―ヘンなとこでフリーランスだよな。この部活。

 

「響姉はどうするの?」

 

「それがね・・。」

 

 

「あ~わっかんないぃぃぃ!!!」

 

 

突如調理実習室後方から悩ましい奇声が上がる。

 

「のわっ!?あ・・。」

 

―・・・森島先輩・・いたんですか。

 

「ちょっとぉひびきちゃん!私の変わりにS大の試験受けてきてくんない!?このとおり!一生のお願いだから!」

 

無茶なおねだりをする女子高生もいたものである。

 

「はるか・・貴方『一生のお願い』を一生の内に何回使う気なの。第一替え玉受験なんてバレたら私の推薦入学まで間違いなく取り消しじゃない。何ら私に利点ないわ」

 

無理と端っから解っている事を敢えて話だけは乗ってあげる優しい塚原。本当に森島と相対するときの塚原は広大や七咲とは異なっている。

 

「ひっど~~い~。いいじゃない!ばれたらばれたで私と大人しく楽しい浪人生活しよっ!?ねっ?ねっ?」

 

「と・・いう訳よ。コウ君。七咲。本当にゴメンね・・。」

 

「・・了解。がんばってね響姉。・・いこか・・。七咲。」

 

「・・ふふふっ。はい。森島先輩?ファイトです♪」

 

ぐっと片手を握って七咲は森島を鼓舞する。その仕草に「ありがとう!逢ちゃん。私頑張るわ!!」と森島はやる気を復活させるが―

 

「むむむ~~~っ!!・・・むむむ~~」

 

教科書に眼を通した瞬間、見る見るうちに森島の瞳が死んだ魚の様に曇っていく。

「ダメ。もう一度『逢ちゃんラブ成分』を補給させて下さい」と森島はねだるが、「ダメです。一日一食限定です」と七咲はおどけて舌を出しながら笑った。

 

「・・・」

 

七咲は最近少し丸くなったと広大は思う。というよりも元々こういう子なのだろう。

 

「あ。コウ君!?こんにちは~。」

 

七咲にふられた森島は今度は広大に縋る。が―

 

「あ。こんにちは~。そしてさようなら~。」

 

広大は視聴者参加型番組のようなわざとらしい返事を森島に返しつつ調理室を出る。七咲も森島に対してクスクスと笑いながら手を振る。

 

「あん。もう行っちゃうの?コウ君~~。逢ちゃ~~~ん」

 

「コラ。はるか。貴方は集中するの。大学生になりたくないの?」

 

「ひ~~~ん。ずっと高校生がいいよぉ。」

 

 

森島の断末魔を背に広大と七咲は帰路につく。

 

 

「ここか・・。」

 

―どう見てもシャッターが閉まってるけど・・開いているのか?ここは。

 

「確かに『かおる青果』とは書かれていますけど・・誰もいませんね・・?野菜らしきものも無いみたいですけど。定休日とか・・?」

 

「いや。定休は月曜だから今日は開いてるはず。地図的にも・・ここだよなぁ・・。スイマセン誰かいませんか?」

 

意外にもすぐに反応があった。

 

「はいはい。」

 

人のよさそうなパーマのかかったおばさんが顔を出した。楕円の丸眼鏡がいかにも「今帳簿付けてて手が離せなかったのよ。」的な印象を与えるレンズの小さいものだった。

 

「あら。学生さんがお二人・・珍しいお客さんねぇ。」

 

「あ。いきなり失礼します。実はここでお野菜が買えるって聞いて伺ったんですけど・・。」

 

「そうよ。でも・・学生さんが買いに来るなんて本当に珍しいわね。」

 

おばさんはそう繰り返した。この手の人種は時々呪文のように何故か同じ言葉を繰り返す事がある。中々ナゾな生態である。

 

かおる青果店―

 

どうやらここは店頭販売を行っているのではなく、懇意の料理店や飲み屋に直接野菜を卸す業者であるらしい。しかし

 

―何故話を通せば誰でも直接購入出来る事を一女子高校生が知っている?飛羽 愛華先輩よ。

 

さらに

 

「誰かに紹介されたの?」というおばさんの問いに広大が飛羽の名を出すと

 

「は!あのお方が!?学生さん!貴方あのお方のご学友なのね!?」

 

―・・・「お方」だァ!??

 

 

数分後―

これが俗にいう有機栽培という奴なのだろうか。スーパーの物とは一線を画す奇妙な形でまだ土の匂いの香る大根をかなり格安で譲ってくれた。さらにおばさんは丁寧にも生のまま試食させてくれる。二人が口に入れた瞬間、正直これは驚きの一言だった。

 

「うおっ甘っ!」

 

「すごい!みずみずしい!」

 

「でしょう。おろさなくても、調理しなくても大根は食べられるのよ?そのままでもね。」

 

―かっこいい・・。

 

自分の作る野菜に自信と自負があるのだろう。得意気に微笑むおばさんのカオは純粋にプロッフェショナルな気概に溢れ、かっこいい。

 

「すいません先輩。私の家の分も買って行っていいですか!?コレ、もう、ホント、すごい!」

 

流石の七咲も幾分興奮気味。明日の筋肉痛を確信するほどの両手にいっぱいの大根やおまけの野菜を詰め込まれた袋を広大は抱えて帰路に着く。今両手にこれ程の大根を抱えている奇特な男子高校生は世界に居まいて。

 

「・・すごいお店でしたね。」

 

七咲は驚きと興奮が冷めやらない、未だ眼を丸くしながら広大の顔を覗きこんでそう言った。

 

「・・飛羽先輩が益々わからなくなったけどね。」

 

「同感です」

 

 

 

 

「・・。先輩?今日はもう帰ります?」

 

「ん?別に・・ひょっとして何か買い足すものでもある?」

 

「・・。ちょっと行きたい所があるんです。ここからだと近いんですよ。」

 

「ん?ここらへん他にお店あったけ?」

 

「いえ。そういう訳じゃないんです。まぁ・・付いてきて下さい。」

 

「?」

 

訝しげな広大を尻目に彼が両手に抱えた買い物袋の片方を七咲は一つ受け取り、

 

「さぁ行きますよっ。」

 

小柄な彼女は重そうな買い物袋を両手に抱え、やや後ろ寄りに傾いた重心で振り返り、そう言った。短めの肩ぐらいまでの髪が凛と揺れる。

 

五分後―

 

―確かに近い。確かに近い・・が。ここ?

 

「・・水泳部のトレーニングの一環ですか?七咲さん。」

 

「あ。そういう考え方もありますね。」

 

広大の目の前にそびえたつのは鬱蒼とした森に囲まれた長い階段だった。傾斜もなかなかにきつい。階段の右の草むらにはいくつかの地蔵と仰々しい漢字で描かれた石碑が建っている。今から起こる惨劇を前にしては圧迫感が半端では無い。

 

「・・七咲が行きたい所って吉備東神社だったんだ。しかし久しぶりだな。昔は兄貴や父さんと一緒に蝉捕りとかに来たりしたけど。」

 

「私ここ好きなんです。鳥居をくぐるまでのこの階段を小さい頃から夢中で登ってました。私・・小さい頃体が弱かったから両親が『体力をつけるために』って何度か連れてきてくれたんです。水泳を始めてから行く回数も減りましたけど、今でも時々ここに遊びに来るんですよ。」

 

「へぇ・・一人で?」

 

「はい。大抵は。」

 

「変わってるね。七咲は。」

 

「先輩に言われたくありません。さぁ登りますよ。」

 

「え。そんなに急がなくても。」

 

―荷物が重いんだって。ゆっくり行こうぜ・・。

 

「日が暮れると見えにくくなりますから。」

 

「見えにくく?何が?」

 

「んふふ。内緒です。さぁ!今は口より足を動かして下さい。」

 

その会話から五分と経たぬうちに広大はその口を聞けなくなった。

 

 

―やば。きつい。

 

「ぜ~~ぜ~~ぜ~~」

 

「はっ・・はっ・・はっ・・」

 

広大とは対称的に七咲は登れば登るほど溌剌と、いつもより表情が柔らかくなっていった。

広大が視線を足元の階段にしか集中できない息も絶え絶えな状態に対し、七咲の呼吸感覚は常に一定、鬱蒼と囲まれた木々を懐かしむように見つつ視線は常に上向いていた。これが運動部と帰宅部の差。後者には現在景色を楽しむ余裕すらない。

 

―くそ。大根が恨めしいほど重い。む。今見たら南瓜も入ってんじゃん。有難う。かおる青果店のおばちゃん。その心遣いが今は・・何よりも切ない。

 

「むぅ・・先輩は今まで連れてきた人たちの中で一番ひ弱ですね。」

 

「無茶、・・言、うなって・・荷物、も、あるんだし。・・結構他の・・誰かとも来るの?」

 

「はい。大抵は弟とですけどね。時々友達とか部員達とも来ますけど。ほら・・図書室で紹介した一葉ちゃんとか。美也ちゃんとかも。」

 

「あぁ一之瀬さんね。・・。美也?・・あぁ橘の・・。」

 

「あ。知ってるんですね。」

 

「まぁ珍しいしね。歳一個違いで同じ高校に通う兄妹だし。」

 

「そう言われると確かに珍しいですね。ウチなんか八つ違いですし。」

 

「え。そんなに歳離れてんの?」

 

広大は七歳上の兄と離れているが上には上がいた。

 

「はい。両親も忙しいのでちょっと・・何て言うか。私に・・。」

 

「べったりか・・。」

 

「はい・・。」

 

―まぁ一つ違いで血も繋がってない俺が響姉にアレだからな・・。それに比べたら自然かね?

 

「けど皆今の先輩程ばてていませんよ?私を置いてっちゃうぐらい先々行っちゃいますし。」

 

「くぅ・・。辛辣なダメだしですナ」

 

「ほら。落ち込んでないで・・着きましたよ。」

 

鳥居をくぐり、ようやく拓けた視界にはあまり見た事がない初冬の吉備東神社が映る。

ひんやりとした雰囲気と紅葉が終わり、葉が落ちている木々のせいで記憶の中にある吉備東神社とはやや違いがある。参拝客もいない。・・これは好都合だ。

 

「ぷ・・はぁ~。」

 

大根と南瓜が所狭しと入った買い物袋と鞄を置き、誰もいない事をこれ幸いと広大は仰向けに大の字で寝転がった。良い子は真似しないでね。

 

「はい。お疲れさまでした。・・丁度いいところですね。先輩。」

 

「あぁ・・誰もいなくてホント良かった。あー、ぜいぜい・・きつ。」

 

「いえ・・。そうじゃ無いんです。先輩のその位置・・視線の先が丁度いいんです。計ったんじゃないかって位いい位置に居ます。」

 

「いい位置・・?」

 

「・・見えませんか?」

 

七咲はそう言って荷物を下ろし、広大の前に歩み寄ると膝を曲げて座り、顔を近付ける。柔和な笑みと共に―

 

「くすっ・・先輩?動かないでくださいね・・?」

 

―え?・・・!

 

・・その近づいてくる顔は途中で踵を返し、広大に出来るだけ近い目線で彼女は空を見ていた。

振り向きざまに揺れた髪の香りがする。同時に彼女は指をさす。細く白い指が真っ直ぐと乾いた初冬の虚空をなぞる。

 

「・・よかった・・。」

 

小さな声で七咲はそう囁いた。

 

―・・・。

 

広大は訳が解らなかった。

七咲にも。

今の広大(じぶん)自身にも。

何となく七咲の顔がまっすぐ見れず、言い訳のように七咲の指の先を目で追った。その時はその指先が何とも丁度よく都合のいい視線のやり場に感じてしまった。

 

―指差してるんだから・・その先を見なきゃダメだよな・・うん。

 

しかしそこにこそ主役がいた。それこそが七咲が最も広大に見せたかったものだった。

 

「・・あ。」

 

「・・よかった。・・咲いてる。」

 

二人の視線の先には枝。ただの枝。虚空に張り出した茶色いただの枝。

けどその先に光る「とある」物は広大の疲れも、ついさっきまでの妙な動揺もしばし忘れるほどの存在感があった。小さいがとても大きな生命力を持ったその枝はソメイヨシノの木の枝。

つまり・・。一見冬枯れにしか見えないその枝から息吹くものは

 

・・ほんの数房しか無いにしろ確かに・・桜の花びらだった。

 

「・・何で?」

 

広大の何の計算も調整も無く自然に出た言葉である。

 

「・・・綺麗でしょう?『二期桜』っていうらしいですよ。」

 

大の字で寝転がっていた上半身だけを起こし、ただ広大は上手く言葉を選べず、今は見とれた。

 

「くすっ・・この時期にみる桜も風流でしょう?・・私のとっておきの秘密の場所です。」

 

「・・毎年咲くの?」

 

「解りません。けど・・この時期にいつもここに来たら咲いていたのを覚えてます。初めて見つけたのもいつだったか・・。」

 

「・・・凄いな。七咲は。」

 

「え?」

 

「普通絶対気付かない。気付いてあげられない。」

 

「・・・。」

 

「だからホントに凄い。ただ単に通り過ぎてしまう人間は絶対に気付かないし、この価値も解んないと思う。」

 

「・・。見せた甲斐があります。嬉しいです。そんな風に言ってくれて。」

 

「いや。俺こそ。見せてくれて嬉しい。」

 

広大の素直すぎる立て続けの賛辞に流石に七咲も照れ、やや頬が赤く染まる。

 

「・・。実は・・ちょっと見せるの不安だったんですよ?こんな普通誰も気付かないような物に気付くなんて変な奴だって思われるかもしれないって。」

 

「それは無いって。七咲らしいとは思うけどね。」

 

「・・それはちょっと・・けなしてません?」

 

「え?そんなつもりホント無いんだけど。うーん。褒めたいんだけど褒め方が解らないのって案外もどかしいのな。何て言うのかな・・。」

 

「いいですよ。先輩が私をバカにしてないってことは解りますから。」

 

「いや。面目ない。」

 

「ふふふふっ、何で謝るんですか。」

 

 

―・・嬉しい。

 

自分が抱き続けてきた価値観を目の前の「この人」が曇りなく共有してくれた事がただ純粋に。

 

驚いてくれた。

感動してくれた。

喜んでくれた。

 

そしてそれを必死で伝えようとしてくれた―それがただただ純粋に嬉しい。

 

「よ、と。」

 

広大は少し起こした上体を再び倒し、腕を後頭部で交差させ、また見入った。

 

「いつまで見られるのかな・・。」

 

「・・春の桜と一緒です。咲いたと思ったら・・すぐに・・。」

 

「そっか。」

 

「あの・・・。」

 

「ん?」

 

―・・ああ。まただ。なんで?

不自然で。唐突で。不意に襲いかかるこの感情。

でも別にいいよね。自分から言い出したことなんだから。

だって私言ったよね?「この人」に協力するって。応援するって。

 

「塚原先輩に・・いずれこれを見せてあげてくれませんか?勿論私が教えたことは内緒で。」

 

「え?」

 

「塚原先輩ならきっと喜んでくれると思うんです。今日先輩に見てもらって確信したました。」

 

「あー成程。今日は下見がしておきたかったわけだ。」

 

「・・まぁそういう事ですね。」

 

「響姉なら確実に喜んでくれるだろうな。そんな不安がる事無いと思うのに。」

 

「でも咲いてなかったりしても困りますからね。」

 

「え~~・・俺実験台かよ。」

 

「そうです。おでんの毒見を兼ねてる先輩です。今更ですね?さ、咲いている事も解ったし帰りましょうか。本当に今日はお付き合い有難う御座いました!」

 

自分の中にある何処かもどかしい、形容しがたい「何か」を振り切るように七咲は勢いよく立ちあがった。

 

・・軽率である。

 

「あ!ちょっ!!立つな!七咲!」

 

 

「え?あ!!?ひゃっ!!」

 

 

・・・!!

 

・・・!~~~・・・。

 

 

「見え・・ました?」

 

「あ~~事故事故。うん。これは事故。ノーカン、ノーカン・・」

 

「・・・色は・・?」

 

「今回は黒じゃなかったね。・・はっ!!」

 

「う~・・・!」

 

ぎりぎりと悔しそうに歯を喰いしばり顔を紅潮させた七咲が広大を見下ろす。

 

「ちょっ・・ちょっと待て・・落ち着け・・俺の体勢をよく見るんだ七咲・・俺まだ寝転がってるからね?いま手ェ出すの反則だよ?」

 

「!」

 

げしっ!

 

「・・足かよ!」

 

良い子は真似しないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七咲は最初、何故自分がこのあまりにも短い期間のこの風物詩を広大と「共有」しようとしたのか理解出来なかった。

 

少なくとも。

 

この場所に共に来るまでは。

 

だが知ってどうなるのだろう。

 

―先輩の子供みたいな瞳に映っているのは多分・・私にとっても大事な塚原先輩。

なのに相変わらず私は先輩を見ている。目を離せないで居る。

その初めての感覚が今は何と心地いい事か。

 

同時

 

・・何と残酷なことか。

 

でも、所詮私を映す先輩の瞳には私は映ってはいないだろう。

先輩の中には色濃く残っているのだ。私が憧れる塚原先輩との思い出が。

ついこの前までは全く異なる意味でそれが疎ましかった。妬ましかった。

 

でも、それが変わっていっている。音を立てて。何かが崩れ去っている様な感覚と同時、何かが自分の中で急速に積み上がっていく感覚を最近覚える。そしてその感覚は如実に私にこう囁く。

 

 

 

「貴方は所詮、新参者」。

 

「結局の所、貴方と彼と塚原先輩の間に横たわる物は深遠の海。深く、届かない隔たりがある」。

 

 

 

 

 

「七咲?」

 

「・・はい!?」

 

「う・・まだ怒ってる?」

 

「あ。いえ・・。」

 

「そう?帰ろっか。送ります。今日は有難う。・・七咲」

 

広大の無言の謝罪なのか何も言わず七咲の家用の野菜も広大は持ち、少し半身で七咲を見た後、背を向けた。

 

 

―七咲

 

―七咲?

 

―七咲!

 

 

―響くなぁ・・。この声。いつからだろう?

 

そう思って七咲はジャケットのポケットの奥にある物体を握りしめる。

決して開かない蕾。あの日広大から受け取り、後日正式に塚原、水泳部の皆が託してくれたプーの鈴。あの日以来ずっと持ち歩いている。それを握りしめる。七咲の心とは裏腹に、響かないように。強く握りしめる。

 

咲く事が無いのに咲かないように。

強く握りしめる。

 

桜は咲いて、

 

「この人」の声は私の心に響いて。

 

咲く、響く。

 

でも。

この鈴は咲かない。

咲かせてはならない。決して。

なら、

響かせない。

 

・・決して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9 今いるこの場所がいつか懐かしくなればいい 

 

「コウ君。」

 

「あ・・ひび・・塚原先輩。何か用ですか?」

 

「くす・・何で言い直すの?・・はい。ようやく改良おでんが昨日完成したの。」

 

そう言って塚原は大きな水筒のような物体を広大に手渡す。

魔法瓶型の大容量の弁当箱。中身を冷やさず、密閉されているため汁物も問題無く入れる事が出来る優れ物である。それ故如何せん重い。

 

「響姉・・こんな重い物持ってきたの?言ってくれれば俺自分で取りに行くのに!」

 

「気にしないで。色々とコウ君には七咲や創設際の件でお世話になってるんだし。それよりも今回のは七咲の自信作よ。食べてあげて。」

 

「完成したんだ」

 

「出来は・・うんホント私も驚いたわ。・・っと、後は食べてからのお楽しみ・・ね?味わって食べて。そして感想をちゃんとしてあげてね。」

 

「うん。」

 

「じゃあね。コウ君。」

 

「あ。待って。」

 

「ん?」

 

「良かったら今日一緒にお昼食べない?」

 

「・・私となんかでいいの?」

 

 

「勿論。」

 

「・・そうね。久しぶりに一緒にご飯食べようか。場所はどこにする?」

 

「折角あったかいおべんとだし・・逆に寒いトコで。屋上はどう?」

 

「くすっ。いい案ね。解ったわ。じゃ、お昼に。」

 

―おっしゃい!

 

内心軽くガッツポーズ。

 

「うん。あ、ゴメン。後・・。」

 

「うん?・・あぁ。七咲ならいないわよ。今日は一年生全員校外学習で出張ってるはずだから。」

 

「あ!そんな時期か・・。むぅ・・。」

 

「どうかした?」

 

「呼びたい奴が居るんだけど・・いいかな?」

 

 

 

 

昼休み―

 

 

「お邪魔します。」

 

「失礼します~。」

 

「あ。来た。」

 

ランチタイムの屋上は中々ににぎやかである。

しかし、今日は一学年まるごといないため、いつもよりはいい場所が空いている。

座ってもズボンが汚れない場所が結構に限られているところがこの場所のネックだ。

広大が下っぱサラリーマンの花見の席とり並みの気の入れようでべスポジを確保し、塚原を向かい入れたその場所に今回お招きした二人が顔を出す。

 

茅ヶ崎 智也、桜井 梨穂子の二人である。

 

今回会心の案を出してくれた茶道部から二名。といっても茅ヶ崎は部外者だが広大も広大なので気にしない。

 

「久しぶり~杉内君。今回はお招きありがとうございまっす!えへへ~。」

 

中学の時から変わらないほんわかとした笑顔に似つかわしく無い敬礼のようなポーズを現れた少女―桜井 梨穂子はとる。今回は「おでん」という食い物が関わっているためいつもより一層に表情が締まらないようだ。

 

「桜井さんも久しぶり~。」

 

つられて広大も口調が締まらなくなる。彼女は存在自体が癒してくれる。

 

「桜井さんに、茅ヶ崎君。今回の件の協力本当に有難うね。」

 

塚原も礼を言う。今回試食会にこの二人を誘う事に塚原は大賛成してくれた。直接お礼を言いたかったらしい。

 

「いえ。・・俺らは何も。意見だって殆ど夕月先輩と飛羽先輩の案ですし。」

 

桜井とは対照的に落ち着いた、低い口調で茅ヶ崎は返す。別に不機嫌なわけではない。

あくまで彼はこれが素なのだ。

 

「ううん。そんなこと無い。本当にアンケートを出してくれた皆には感謝してるの。お礼と言っては何だけど・・食べていってね。代表として。」

 

そう言って塚原は柔らかく微笑んだ。

 

「・・いただきます。」

 

茅ヶ崎を見るときは表情よりも耳だ。彼の耳は顔よりもはるかに彼を語る。

現在色がやや紅潮気味。少し照れているらしい。隣の桜井もそれに気が付いているのか横目で少し妖しく笑いながら見ている。どうやら少し不機嫌さも隠せないようだ。

ここは茅ヶ崎のために彼女に食い物に集中させてやらねば。

 

「あ。・・・いい匂い。」

 

「んへへ~溜まりませんなぁ・・。」

 

魔法瓶から出しただけなのだが既に充満する暖かい湯気と香りに既に二人ともほんわかしている。

 

「辛子もあるぞよ。」

 

「あ、ありがと。杉内。」

 

「あ~!!あたし辛いのダメ~!!!」

 

大げさな手振りで桜井、必死に必死にアピール。これはブリではない。素だ。

 

「か、可愛い・・。」

 

思わず塚原からも言葉が漏れた。

 

 

 

 

二十分後―

 

「食べた~。うー。御馳走さま~。」

 

「・・わりと幸せ」

 

茶道部二人の味の感想はこの台詞から察してほしい。

 

食後に桜井は茶道部で用意したという水筒に入れた緑茶を振舞ってくれた。即席で用意した紙コップで「味気なくてゴメン」と苦笑いして言っていたが、綺麗な色をしたお茶を均等に振り分け、勧めてくれたお茶は・・

 

「さすが茶道部・・。桜井さん。ぜひこのお茶葉と淹れかたを教えてくれないかしら?」

 

と、塚原に言わしめる程のものだった。

 

「ふふふ。企業秘密です~。教えるには我が茶道部への入部が必須条件です!」

 

―おお。桜井さんも交渉術を身につけたのだな。

 

ただ卒業直前の三年生を前にして言う言葉としては何分ズレすぎている感は否めないが。

 

「今から入部?いいわね。新入生になった気分だわ。」

 

「あはは!」

 

さすが桜井である。彼女の周りを流れているゆっくり、ゆったりとした時間は周りに居る人間を巻き込んで、惹きこんでしまう。初対面の人間には案外近寄りがたいといわれる塚原でさえあっさりと打ち解けている。本当にこの二人を連れてきてよかった。楽しそうな塚原を見て広大はそう思った。

 

―案外いいペアかも知れないな?この二人。

 

 

暫くの四人の歓談の後―

 

 

「・・梨穂子。戻ろう。」

 

小さく、しかしハッキリと桜井だけに聞こえる声で力強く茅ヶ崎はそう切りだす。

 

「へ。まだ時間あるよ?」

 

「俺達が居ちゃ邪魔なの。」

 

「ん?そうなの?解った・・。」

 

「じゃ。俺達はこれで。御馳走様。杉内。塚原先輩も有難うございました。」

 

「ん。もう行くの?」

 

「桜井がう○こだって。」

 

「はい。そうなんです~~~。・・・って何それ!??私言ってない~!」

 

「じゃ・・う○ち?」

 

「言ってなぁ~い。智也のばかぁ!」

 

パッチーン。

 

―あ。桜井さん割とマジでぶった。

 

そそくさと去る茅ヶ崎を追っかけるようにして桜井は屋上を後にした。最後に広大と塚原の紙コップに改めて綺麗なお茶を一杯注いで。

 

「はぁ・・ホントおいしい・・。お茶の奥深さを改めて感じたわ。」

 

塚原は桜井が去った後も相変わらず彼女のお茶をべた褒めしていた。

 

「冗談抜きで今からでも入部したいぐらいね。それに桜井さんすごいわ・・私もあれほど勧誘上手なら・・。お茶と一緒にあのスキルも学びたいものね。」

 

さりげなく彼女は今年七咲以外の新入生への水泳部勧誘が悉く失敗に終わった事を心底気にしている。

 

「まぁ桜井さんの場合は天然であれだからね。響姉には無理だよ。」

 

「・・ひどいコウ君。そんなの解ってますぅ・・」

 

珍しく拗ねた様な塚原の声が可愛い。思わず広大は―

 

口がするりと滑った。

 

「響姉の良さはすぐにはわかんないって。」

 

「・・!そう言う事は簡単に言わないの・・。」

 

「う・・。」

 

塚原は少し気不味そうに紙コップを口に運んで口元を隠す。

 

「びっくりするじゃない・・」。恐らくそんな類の言葉を塚原は小さな紙コップの中に閉じ込めたのだろう。それは声にならず、変わりに心地よい香りと湯気が隙間から洩れ、塚原の顔をなぞる。

 

「・・」

 

口走った当の広大の顔も上気を止められない。何となく広大も口に茶を運ぶが桜井に改めて入れてもらった熱いお茶も火照り上がる自分の動悸に比べると妙に温く感じる―が、それは気のせいだった。事実茶はまだ熱かった。

 

「あっチっ。つ。えっほ!げぇっほ!」

 

「ちょっとコウ君!大丈夫!?」

 

「大・・じょ・・ぶぇっ!こっ!」

 

―じゃねぇ。

 

涙は出るわ、鼻は出るわ。

 

「ぷ・・ほら。鼻かんで。」

 

そこにはいつもと変わらない塚原が居る。昔から変わらない、記憶のままの。広大は悔やむ。

折角塚原が自分でも思いがけず口走ってしまった発言に驚き、些細な動揺、綻びを見せてくれたのに自分がいつもの綻びを見せたせいであっさりと形を潜めてしまった。まだまだ広大は修行不足。笑いながら介抱してくれる塚原の笑顔を見るだけで満たされていく自分が何とももどかしい。

 

 

 

 

「ああ・・楽しいなぁ。」

 

不意に塚原はそう言った。

 

「・・・?」

 

「ホントにホントに楽しい。」

 

「響姉・・?」

 

「コウ君が居て、七咲が居て、はるかが居て、皆が居て・・また今日の茅ヶ崎君や桜井さんみたいに会った事はなくても私の傍に居た人たちがこの場所には居る。」

 

「・・プーも。」

 

「うん。」

 

塚原が何を言いたいのかが広大にははっきりとは解らない。けど解る。感じ取る事が出来る。広大の粗末な語彙では言語化できそうにないが―それでも自分が「理解している」という根拠のない確信が広大を包んでいた。

 

「コウ君。こっち、来て・・」

 

塚原は珍しく、親を促す幼子のように軽い足取りで屋上の柵に手をかけ、広大を呼ぶ。

彼女のいつもは大人びた笑顔もこの時は別物に感じた。いつもは安心感のある彼女の笑顔がその時はどうしてもほっとけない小さく、頼りない笑顔に感じて広大は足早に塚原の隣に行く。

 

「・・・」

 

そこから見える景色はいつもの、なんの変哲も無い退屈な吉備東の町並み。ありふれた。何処にでもあるような町。でも本当はこの世に一つしかない場所。

 

「一緒に見てくれないかな?この『場所』好きなんだ。大好きなんだ」

 

塚原が言ったのは「この場所から見える景色が好き」ではなく、この場所を構成する全ての事象、構造物、そこを構成する人、場所を全肯定しての言葉だった。

 

慈愛、敬愛、感謝、そして少しの悲哀。

 

そんな感情の割り振りだったと広大は思う。

 

 

 

 

 

 

少し先の話になる。

 

 

四ヶ月後の彼女の卒業式の話だ。

 

塚原は泣かなかった。

 

涙と嗚咽で包まれたその場を彼女は笑いながら歩いていた。彼女を送り出す皆を一人一人丁寧にじっと見据え、笑いながら歩く。広大にはそれが舞うように歩いているようにも見えた。滑稽なほどのしっかりとした歩み。

 

彼女は泣かなかった。

 

去りゆく場所を想い、涙を流さなかった。残される者、いや、全てを託していく者達の為に笑っていた。

 

彼女が泣いたのは・・四か月前のこの日この場所。それを唯一見たのが広大だった。否「見た」というのは語弊があるだろうか。

何せ―

 

 

「・・!・・響姉?」

 

「・・」

 

隣に立った広大の肩に塚原は寄り添い、軽く頭を乗せる。ふわりと充満する清潔な香り。飛び上がりそうなほどの衝撃のはずだが何故か・・

 

―・・・。

 

広大の心根は落ち着いていく。普段は大人で隙のない塚原が小さく消え入りそうな程年相応なまだ十代の少女としての儚さを感じたからだ。

広大は無言のまま、寄り添う塚原が無粋なチャイムによっていつもの彼女に戻ってしまうまで眼下に広がる塚原の大切な光景を目に焼き付ける。塚原の表情を決して覗き込むことなく。

 

「見ないようにした」か?「見て見ないふりをした」か?

 

「それとも見たような気がしただけ」か?

 

それではホントに泣いていたのかなんてわからない。確かにそうだ。でも広大は確信している。隣に居る広大の肩に寄り添う彼女の表情を広大は見ていないが恐らく塚原は

 

・・泣いていたのだ。

 

広大はこの時の事だけは自信を持って言える。見る勇気が無かったわけじゃない。

広大は自分を誇らしいと思った。塚原が涙を流す唯一の場として広大を選んでくれた事実。これが何よりも広大にとって誇らしかった。

 

何の取り柄も無い自分を。何時まで経っても幼い自分を他でもない彼女が選んでくれた事が―

 

 

何よりも。

 

 

 

 

 

 

 

10 今いるこの場所がいつか懐かしくなればいい。2

 

「くわっ!負けたぁ。」

 

広大のハサミに他の梅原、棚町、国枝、源の全員の握りこぶしが炸裂する。

 

「よっしゃ!大将!俺チキンサンド!」

 

「私はエッグサンドとスノーボール!頼んだ杉内君!」

 

「俺は・・じゃ、レーズンパンで。」

 

「炭酸系なら何でもいいや。俺は飲み物だけでいいよ。広大。」

 

「うー・・了解。」

 

「あ。炭酸か・・そう言われちゃうと私も飲みたくなってきた・・。杉内君?スノーボールキャンセルであたしも炭酸系の飮みもの買ってきて!ただコーラは気分じゃないからそれ以外でよろしく!」

 

「くぅ・・質の悪いお客さんだ・・。」

 

「私はそんなのと日夜闘っているのよ!」

 

「あ。大将!やっぱ俺メンチカツサンド追加!」

 

「はいはい・・追加ね。・・くそ。解らなくなった」

 

「杉内君!そういう時はね。『オーダー繰り返します』って言って聞き直すの。」

 

「いつから俺の職業訓練になったのさ・・おーだーくりかえしま~す・・。」

 

そのやり取りの中・・顔を青くした少女が棚町に向かって話しかけてきた。

 

「うー薫ぅ・・。」

 

田中恵子だった。

 

「恵子?どしたの?またフラれた?」

 

「ぐさ。ひどい薫・・。違うよ・・おべんと忘れちゃった・・。」

 

きゅるる~~

 

彼女のその言葉に触発されるように彼女のお腹が鳴る。その憐憫さは先程までワイワイガヤガヤやっていた五人を閉口させる程だ。

 

「あらら~・・お気の毒。それは振られるよりある意味深刻かもね・・。」

 

「お腹すいたよぅ・・。」

 

「あぁ・・あ!じゃあ丁度いいじゃない。これから杉内君が私らの昼食買い出し行くからついでに恵子も何か買ってきてもらったら?」

 

「え・・いいの?杉内君。」

 

「うん。もうこの際一人分増えようと特に大差ないと思うし気にしないで。ではご注文は?」

 

投げやりな言葉だった。しかしこれをすぐに広大は後悔する事になる。

 

「・・ありがとう。お言葉に甘えちゃうね。」

 

「どうぞどうぞ。オーダーは?」

 

「えーーと、ハムエッグとサラダサンド。それと・・。」

 

―・・ん?

 

俄かにその場の全員に緊張が走る。

 

「ロールパン二個、チョコパン、クリームパンにアンパン、全部一つずつで今日は良いや。飮みものは牛乳、一リットルのパックでお願いね。あと食堂のおばさんの隠れメニューの裏おにぎりメニュー、通称「うらぎり」のBセットで。これだけ。」

 

「・・・。」

 

―「今日は?」「これだけ?」

 

一同絶句。彼女の親友の棚町すら絶句だった。

 

「杉内・・俺がメモとるわ。」

 

「・・有難う。国枝。」

 

数分後―

 

メモを片手に教室を去る広大を田中恵子を除く四人はまるで戦地に向かう親友を見送るように幾分どこかせつない表情で送り出す。

 

 

杉内広大君 万歳!ばんざ~~い!

 

 

広大が見えなくなった後、田中を除く三人に国枝がすまなさそうに言った。

 

「あいつ(広大)・・じゃんけんの時に絶対最初はチョキ出すって言ったけど・・お前らあれ忘れてやってくんないかな・・。」

 

「うん。善処するわ・・私も。」

 

「中々難しいと思うけど・・俺も努力するよ。」

 

「すまねぇ・・すぎうっち・・。」

 

―重い。

さっすがに重い。

パンは十個でもさしたる重さは無いが、液体はどうしようもない。炭酸飲料複数、おまけに田中 恵子ご注文の牛乳大パックがあるのだ。幸いにも食堂のおばちゃんが気を利かせて紙の袋を用意してくれた。

だがそれに所狭しと買い出し品が詰め込まれている。そのてっぺんにたった一つ広大の昼飯―チョコチップメロンパンがちょこんと乗っている。

 

「おととと・・。」

 

ここでこれに落ちられたら大惨事だ。両手の塞がっている彼には到底取る事はできない。一度床に置いて立て直す必要が出来る。果てしなく面倒くさい。

しかしこういう時はえてして・・

 

「あ・ああ~~。うわっ・・やっちった。」

 

広大のメロンパンはてっぺんからドロップアウトした。

 

てんてんてん・・

 

さらに悪い事に一階から二階への階段の中間地点から、広大のメロンパンは一階に向かって彼から逃げるように転がり落ちていく。

 

―うっわ最悪。

 

「杉内君・・?」

 

―!その声は・・!

 

二階から声がしたと振り返ると後光の差す美しい少女が一人。なんと神々しい。

 

「あ、絢辻さん・・!」

 

 

 

 

絢辻は一階下に転げ落ちた広大のメロンパンを拾い上げ、わざわざ階段を上がってきてくれた。地獄で仏。いや天使か。

 

「どうしたの?その・・パン・・?」

 

だがさすがにその天使もこの広大の状況には訝しげだった。

 

「昼飯です。」

 

「え・・杉内君コレ全部食べるの?」

 

「まさか。連れの分まで昼飯の買い出し中・・俺じゃんけんすっげー弱いんだよね・・。ぶっちゃけ俺の昼飯は今絢辻さんが持ってるのだけ。」

 

「ああ~。買い出しだったのね。・・それにしても・・多すぎない?」

 

「いやぁ・・今回思わぬ伏兵が参戦して来まして・・。」

 

「・・?そ、そうなんだ。あ、はい。杉内君が落としたのよね。」

 

絢辻は広大の抱えている荷物のてっぺんにその手のゲームか何かの様に慎重にパンを置こうとするが・・

 

「う、わ。わ。ちょっと・・怖い。」

 

崩れると解っている積み木を置くのは絢辻のプライドが許さないようだ。

 

「やっぱ無理っぽいかな・・。」

 

「んー・・。杉内君?」

 

「ん?」

 

「今日は・・カゼとか花粉で鼻詰まってたりとかしてない?」

 

「ん?別に・・?」

 

「よし!じゃあ・・。」

 

ぱりっ・・

 

絢辻は何を考えたか広大のメロンパンの封を突然開けた。

 

「え。」

 

そして少量を細く白い指でちぎり・・

 

「はい。あーん。」

 

「ええっ!?」

 

「ほら。あーん。」

 

―おおおおお!?ま、マジか!?

 

「杉内君?みんな教室で待ってるんでしょ?ほら早く。あーん。」

 

「は、はい!では・・。」

 

 

 

二分後―

 

「・・御馳走様でした。絢辻さん大変美味しゅうございました」

 

―何時もと違って今日は極上の味だったぜ・・チョコチップメロンパン!!

 

はらぁ・・いっぱいだぁ・・。

 

「はい。お粗末さまでした。じゃ。また次の授業で。遅れないように。」

 

そう言って絢辻は去っていった。

 

―ふぅ・・なっかなかに濃密な時間であった。

 

 

 

じりっ・・

 

 

 

「・・?・・!」

 

 

背後に気配。広大が振り返るとそこには―

 

「先輩・・楽しそうでしたね・・。」

 

「え?はっ!!七咲!」

 

「美味しかったですか・・?メロンパン・・。」

 

「いや・・学食のパンだし。でもまぁ・・そこそこ。」

 

―うわ~~あれを見られたのか!!マジ立ち直れない!マジ恥ずかしい!

 

「塚原先輩というものがありながら・・!!!先輩って人は・・!!」

 

「あ・・ぅ。」

 

「デレデレしちゃって・・もう!」

 

「いや・・でもね。その。」

 

「先輩なんて・・!もう・・!もう・・・!―」

 

 

「・・・」

 

―ダメだ。聞く耳持ってない。

 

 

広大は精神的にも物理的にも完全に手詰まりな自分の状態を嘆く。が―

 

次に七咲が発した不思議なセリフに時まで止まる事になる

 

 

 

 

 

「先輩なんてメロンパンになってしまえばいいんです!!!」

 

 

 

 

 

―!!!

 

「・・・。」

 

「はぁ・・はぁ・・。」

 

「・・七咲。」

 

「はい!?」

 

「ゴメン。ちょっと・・これ持っててくれるかな。」

 

「え!?ちょっと・・なんで?」

 

「いいから。」

 

有無を言わせず広大は七咲に荷物を押しつける。小柄な彼女が持つとその荷物はさらに大荷物に見えた。

 

「ちょ・・何ですかコレ!?」

 

「乱暴に扱わないでね・・それ俺の分じゃないから。」

 

「う・・!」

 

こういう所は真面目で責任感のある少女な七咲らしい。しっかりと紙袋を預かった。

 

 

 

 

―・・・。もう・・ダメ。ぷっ・・・

 

びくっびくくっ!

 

広大の笑いの堰は崩壊。当分は止められまい。口を押さえ、小刻みに痙攣しながら広大は悶絶した。

 

「ええっ!?ちょっと・・何がおかしいんですか!!っていうかキモイですよ!!中途半端に笑わないでください」

 

「む、むりぃ・・・ん、くふふ・・なはは・・」

 

「怒りますよ!先輩!!」

 

「お、怒ってるじゃん!既に。くっ・・ふふ、あははははは!!」

 

今は七咲の言葉全てが広大の笑いのツボだ。そういう状態に入っている。

 

「~~~!!」

 

それが解っているのか七咲は悔しそうにしながらも声を出せなかった。今は耐えるしかない。これ以上言うと広大に更なる笑いのネタを提供し続けるだけだ。

 

 

一分後―

 

「はぁ・・はぁ・・はぁ・・!!ゴメン七咲・・落ち着いた・・!!」

 

この前、吉備東神社に登り切った時よりも余程整った呼吸で清々しそうに広大はそう言った。

 

「先輩!!」

 

怒りんぼ七咲、反撃開始。しかし―

 

「いやぁ~ゴメンゴメン・・何で・・何で俺はメロンパンになれないんだろうな・・。」

 

「なっ・・・!!~~~~っ!!」

 

「くくっ・・。ダメだ・・もっかいくる・・。」

 

振り出しへ。

 

 

 

 

もう一分ほどたつと七咲は怒る気力も失せてきた。なんか凄く疲れた。

興奮が冷めてくると徐々に先程発した自分の発言も大概恥ずかしいし、広大は笑い止まないしで、もう穴があれば入りたい気分だった。

 

―ううぅ・・もう・・帰りたい。

 

「七咲。」

 

「はぁ・・何ですか。」

 

「はい。」

 

「むぐ!?」

 

七咲の口に何か甘いにおいが充満し、それに続いて味覚も反応した。

 

ロールパンだった。

 

 

「・・。大丈夫。俺は絢辻さんとは何でも無いよ。・・こう見えて結構長い時間片思いしてんだから。」

 

 

そういって広大は七咲の頭にポンと左手を乗せ、軽く撫でる。今度は下卑た笑いじゃない。

 

いつもの・・優しい笑顔だった。

 

「笑わせてくれた御褒美と慰謝料変わり。安いけど貰ってね。じゃ、また。七咲。」

 

「あ。わっとと・・むぐ」

 

広大を呼びとめようと開いた口からロールパンが転げ落ちる。慌てて七咲は小動物のように両手でそれを支えた。口に銜えたままで―

 

「う。う~~~。」

 

そういう風に唸るのが精いっぱいだった。

 

「は~笑った笑った。」そんな様な事を言いながら上がっていく広大を七咲は見送る。

 

 

 

「・・(おいし・・)」

 

 

何の変哲もないロールパンが今日は何故か殊更に甘い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





「あれ?杉内君。私のロールパンが一つ足りないみたいなんだけど?」

「あ。あ~ゴメン田中さん。買い忘れちゃってたみたい。」

―・・覚えてる?やっぱり・・。

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