ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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「ふぅ・・」

―・・・。あの子・・あの男の子とちゃんと話せているかしら?

ナースセンターまでの途中にある病室の患者幾人かの様子を見終わった後、親切な女性看護士は先程、先日事故で運ばれた少年の病室に案内した髪の長い美しい少女に思いをはせる。はっとするような美しい黒髪と整った顔立ち、育ちの良さを感じさせる礼儀正しさを持った十二分に魅力的な少女―そんな子がこのクリスマスという大事な日に、面会時間のギリギリに会いに来る相手だ。詰まる所は・・「そういうこと」なのだろう。

そう考えるとクリスマス・イブの夜、ここにかつぎ込まれてきたあの少年に大事が無くて本当に良かったと親切な看護士は思った。

少女は聞いてきた。熱心にあの病室の少年の具合を。

―あ、あの・・電話では確かに彼から「大丈夫」って事をお聞きしていたんですが・・その、ホントに・・・。だい、じょうぶなんでしょうか・・?

心なし少し声が震えていたのを覚えている。同時隠しきれない焦燥が表情にも表れていた。無事な姿をその眼で見るまでどこか安心できなかったのだろう。親切な看護士はそんな少女を自分の出来得る限りの相手を安心させる表情で微笑んだつもりだ。

―大丈夫。何も心配ないわ。元気よ彼は。見た目は半ミイラ男だけどカオは男前なままよ。・・中々カワイイわね?彼。・・お目が高い。

と。

その看護士の茶目っ気たっぷりの言葉に少女はようやく表情を緩めてくれ、ほうっと息を吐いた。そしてまるで自分の子供の命を救ってくれた大恩人に礼をしている母親みたいに大げさに数回頭を下げた。
これ程頭の良さそうな子だ。確かに重傷とはいえ、命に別条のない患者の、おまけに軽い治療をした程度の看護士相手にどの程度の感謝が適当であるかくらい解っているだろう。それでもこの全てにおいて大げさな所作は彼女にとって偽り難い本音を表す故の行動なのだ。
そんな少女をこれ以上自分が足止めしていいはずが無い―親切な看護士は彼女の背中を押しつつこう促した。「いち早く行ってあげなさい」―と。すると漸く少女はにこりと微笑んでくれた。美しいルックスと相まって笑うとより魅力的な美少女だった。

だが何故だろう?―と看護士は同時思った。

その少女の笑顔が何よりも哀しく、儚く消え入りそうに見えたのは自分の勘違いだろうか。
何と言えばいいのか・・「自分の存在に価値を置いていない」とでも言えばいいのか。


―「私」が行っても特に意味は無いけど―


職業柄、親切な看護士は何度もそういう表情をした面会者を見た事がある。
幾年も会わなかった、距離が離れていた近親者・・または実の親が急な入院をした時に駈けつけた面会者等の一部が時折浮かべる特有の表情だ。
大別すれば確かに彼らは患者を心配しているのだ。が、同時「自分がここに来ても特にやれる事は無い。医者が出来る事に比べれば所詮瑣末なことだ。なら自分がここに居る価値は無い」と言いたげな表情をする。そんな面会者達の表情を見る度に―

―そんなこと無いのに!

と、親切な看護士は何時も声に出して言いたくなる。

病気やけがをした人間の体の回復を助ける上で医者の貢献の割合は確かに少なくないかもしれない。しかし一方で時にそれを遥かに凌駕する驚異的な回復の促進をもたらすのが身近な人間が患者を傍で勇気づけることである。謂わば心の回復を助ける事だ。
これこそ医者がどれだけ技術を磨こうとも、医療がどれだけ発展しようとも中々手に入れることが出来ない最良の治療法、良薬なのである。

―ああ。あの少女にも声をかけてやればよかった!!
そんな悲しいカオせず、女の子のクリスマスを台無しにした罪作りな少年に面と向かって堂々と不平、不満をぶつけた後、最後に「本当に、本当に無事でよかった」とつけ加えるだけで、それだけで患者と面会者は、二人は満たされるはずなのだ。お互いに。

何故あの少女があんな消え入りそうな表情をしていたのかはその看護士には解らない。それは本人たちしか解らない事情があるのだろう。そこまで深く踏み込む事は出来ない。
ただそれでも親切な看護士はまだ若く、これから未来のあるあの少女がいざ大事な人間への面会を前に「あの」表情を浮かべていたことに独特のもの悲しさを覚えていた。




―その時だった。



・・カツ――ン






「・・君」





いつ現れたか解らない。消灯し、非常口を照らす鈍い緑色に包まれ、薄暗くなった病院の廊下に立ったひとつのシルエット。それが身長の高い一人の男性であることがすぐに解る。そして白衣を着ていない事、聞き覚えの無い声からしてここに勤める医者ではない事を看護士はすぐに理解する。

―・・誰?

看護士はやや警戒が僅かに混じった視線を上目遣いにして声の主を見る。
響いた声、そして見た目からして恐らく・・四十代ぐらいだろうか?首元からつま先まで完璧に整えられた黒いスーツ姿のシルエットから落ち着きと同時威厳が感じられる。仕事、そして社会的地位に於いてそれなりの立場にあるであろう人間だと言う事が一目で解った。だが表情がまだ看護士からはよく見えない。

「は、はい。御面会の方でしょうか・・?」

警戒が抜けきらないながらも看護士は少し前に出た。お互いの表情がはっきり確認できる距離にまで近付こうと。シルエットの男性も彼女のその意図に気付いたのか、歩み寄り始める。

コツ――ン

コツ――ン

良質な革靴特有の心地いい程の高い音を立て、看護士の質問に薄暗い病棟の廊下から声、そしてシルエットの印象と寸分の違い無く、落ち着きはらった表情の紳士がぼぉっと躍り出た。

「・・・」

―わ。

近付くとより背が高い印象を看護士は受けた。同時、男性のスーツ越しにも解る一切無駄な贅肉が付いてない事が一目で解る節制の行きとどいた体、その体に完璧に整合されたオーダーメイドであろう漆黒のスーツが否応なくこの男性がやり手である事を窺わせる。艶、ハリ共に良いこの年齢の男性にしては肩にかかるぐらいの長めの髪を嫌味無く、しかし同時堅く感じない程度にふわりとウェーブさせつつ整えている。実年齢より確実に若く見えているだろう。

―・・・。

ハッキリ言って「素敵な男性」だと看護士は思う。彼女がぼぉっとしばし見惚れているとやや居心地悪そうに男性はえへんと少し咳払いし、

「失礼。ひとつお聞きしたい。ここに・・髪の長い高校生くらいの少女が面会に来たと思うのだが・・見かけてはいないだろうか?」

これまた均整のとれた適度な声量、壮年の男性らしい低い口調ながら聞き取りやすい心地いい声ははっと看護士の放心をほどく。

「・・・!あ、ああ・・あの青いジャケットを着た女の子の事でしょうか?」

「それだ。彼女が何処の病室に向かったか教えてくれないだろうか?」

「はい。あの、・・その、失礼ですが・・」

そのまますぐに案内しても問題はない―それ程「節度を弁えた大人の男性」という印象はあったが看護士は一応男の身分を確認しようとする。
これは「病院規則の決まり事」という建前の元、この思いがけなく出会った素敵な男性ともう少し話してみたい、という好奇心から来る本音が看護士の中で僅かに勝ったからであった。

「・・あ。ととと、失礼。この許可証を見せれば大丈夫と受付でもらったのだが・・怪しい者では・・・ないよ私は。恐らく」

紳士は少し慌てた動作で胸ポケットから本来は首から下げる来客用のネームプレートを取り出して看護士に見せた。其のネームプレートに記載された名前を確認し、看護士は合点がいく。

「ふふ・・・。・・・え~~。




―あ」

看護師は少し言葉に詰まった。そして「これは失礼いたしました」と続け、整った壮年の紳士の表情を覗き込む。















「・・お父様でしたか」


















少し残念そうになる口調を抑える事が出来なかったことに内心看護士は苦笑した。











ルートT 二十四章 仮面は泣かない

 

 

 

 

「娘さんはこの先にある308号室の患者さんの面会に向かわれました。相手は『源 有人君』という同じ学校の・・お友達、クラスメイトとのことです」

 

親切な看護師は壁に掲示されてある病室の間取りを指差しながら紳士に懇切丁寧に伝える。

 

「・・そうか。この先だね?丁寧な案内をどうもありがとう。・・・失礼するよ」

 

「はい・・・あ、あの・・」

 

紳士が一礼して一歩踏み出し、横切ろうとしたが看護士は少し名残惜しそうにその精悍でたくましい紳士の広い背中に自然に声をかけてしまっていた。

 

「・・む?」

 

きちんと振り返り、紳士は「まだ何か?」と言いたげに少し目を丸める。少し幼さを感じさせるその表情に看護士は情動が少し和らぐ。

 

「・・・。凄く礼儀正しいお嬢さんですね。ご両親の教育の賜物でしょうか」

 

「・・ええ。自慢の娘です。ありがとう。では失礼」

 

 

壮年の紳士はそこで看護師に向かって初めて微笑んだ。

 

 

「・・・はい。お大事に」

 

親切な看護士はいつもならこの時間帯の来客にはある程度の諸注意などを促すのだがこの紳士には全く以て不要だとその笑顔から直感し、道を譲って頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―・・・どこかで見た様な気がする。

 

 

去っていった男性が薄暗い病棟の廊下の先で見えなくなるまで見送った後、看護士は少し首を傾げながらそう思う。

 

かといって何かの芸能人という訳ではなさそうだ。そういう人種に比べると纏っているオーラが全く異質である。その既視感をハッキリさせるため・・まずはあの紳士の娘だと言う少女の名前を頭の中反芻する。

 

―あの子の名前は確か・・絢辻・・。・・。絢辻 つかささんだったかしら・・?

 

 

・・・「絢辻」?まさか・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24 仮面は泣かない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在―有人の病室にて

 

「・・!・・は、はい!どうぞ?」

 

こんな時間、そしてこの病室への意外すぎる来訪者のノックに有人は反射的に放心状態を解き、即招き入れる返答をした。

 

 

「・・夜分に失礼。・・・詞?居るのか?」

 

 

低い声と共に、病室のドアに誂えられた曇りガラス越しに大きな黒いシルエットが浮かび上がる。同時に―

 

「・・・!あ・・」

 

絢辻が気不味そうな小さな声を上げたと同時にドアが開く。そこには漆黒のスーツに身を包んだ背の高い壮年の紳士が立っていた。

整った身なり、精悍な表情、姿勢、引き締まった口元を真一文字に結んだその姿は年相応の威厳、厳格さを感じさせる。が、娘を確認した瞬間、視線、表情を幾分柔らげ、ほっと息を吐くようにこう呟いた。

 

「・・。ここに居たか。遅いので心配したぞ」

 

「あ・・はい」

 

いきなり訪れたその紳士の正体を有人は聞かずとも解った。

 

 

 

 

間違いなく絢辻の父親だ。

 

 

 

 

顔はそこまで強く似てはいない。恐らく絢辻、そして姉の縁共に母親似なのだろう。

しかし、堂々とした立ち振舞い、佇まいのスキの無さ、しかし堅くなり過ぎずに適度に人を受け入れる包容力を伺わせる雰囲気―それに関して完全に絢辻は父親譲りだ。

 

「・・・」

 

娘の姿を確認し、二、三言葉をかわした後、くっと切り替えるように紳士は目だけ有人の方に向け、すぐに体の角度も顔の向きも視線と同様、有人に向け、軽く目を閉じて会釈した。

 

「こんな遅い時間にお邪魔をしてしまって申し訳ない。・・私も娘を止めたのだが押し切られてね。・・君が・・源 有人君だね?ココに来る前に娘から一通り話を聞いているよ。・・娘がいつもお世話になっております」

 

「あ・・。っ・・!」

 

有人も紳士に合わせ、姿勢を正そうと体の向きを変えようとしたが横っ腹と足に激痛が走る。思わず苦悶の表情を浮かべる有人に―

 

「あぁ~すまない。無理をしなくていい。楽な姿勢で居てくれていいよ。・・しかし災難だったね。こんな年の瀬に事故とは・・」

 

紳士は大きな左掌を向けて無理をしようとする有人を制しつつ、大人の対応で少しにこやかに場を緩ませる。

 

「そんなに畏まらなくていいんだ。こんな時間にこちらが面会等の無礼をしているのは重々承知だからね」

 

「いえ・・こちらこそすいません・・こんな状態で。では改めて・・僕は源 有人と申します。初めまして。こちらこそ絢辻さんにはいつもいつも大変お世話になっております」

 

有人は体の向きを変えられないまま謝罪の意味も込めて頭を下げてこう続けた。

 

「むしろ無理言って絢辻さんがここに来てもらうことをお願いしたのは僕です。こちらこそ本当に申し訳ありません。わざわざ来ていただいて本当に有難うございます」

 

「うむ。ならいいのだが・・詞?」

 

「はい・・」

 

初対面同士の父と有人の和やかな会話を無言で聞いていた娘が戸惑いがちにおずおず返事をする。明らかに様子がおかしい。

 

「彼もこんな状態で大変だろう。時間も時間だしもう今日はそろそろお暇させてもらおう」

 

「・・」

 

妥当で節度を弁えた絢辻の父親からの申し出であった。しかしそれに対して娘は頑なに首を縦に振らず無言のままである。

 

「・・詞」

 

無言の娘にほんの少し紳士の口調が冷えた、窘める様な論調に変わる。

 

「・・すみません。父さん。私はもう少し彼とお話したい事があるんです。もう少しお時間を頂けませんか?」

 

何とも他人行儀な敬語を並べ、絢辻は自分の親と接する態度には見えないほど卑屈に頭を下げ、懇願するようにこう言った。だがしかし―

 

 

 

 

「ならん」

 

 

 

 

先程の有人との会話から一転し、静かだが強い口調での否定、却下の一言であった。いかにも「絢辻 詞を育てた父親」らしい厳しい一面を見せる。よくよく考えてみれば自分に対して娘に敬語を遣わせている所からもそれがうかがい知れることだった。しかし娘―絢辻は

 

「お願いします・・」

 

尚もそう言って頭を下げ続ける。

 

「・・。あの・・僕からもお願いします。もう少しだけお時間をくれませんか」

 

そう言ったがその有人の言葉は実は自分の真意と真逆であった。

 

正直有人はこの場から逃れたかった。足が固定されて動けない自分がもどかしいほど逃げ出したかった。そして有人の真意はこの厳しい父親が「これ以上彼に迷惑をかけるのは良くない。今日の所は一旦帰るぞ。詞」くらいの言葉を言ってくれる事を予期し、期待した。

 

有人にとって絢辻の父親の思いがけない来訪はこの時に於いては「僥倖」という他ない、ベストタイミングであったのだ。この針の筵の様な空間、時間から一時的であろうとも逃れられるのでは―少なくとも有人はそう思っていた。そして数秒後、確かにこの期待は叶う事になる。

 

しかし―

 

それはあくまで「この父親が娘の申し出を断って連れ帰ろうとする」という点においてのみである。

 

 

 

 

 

「ならん。私もそんなに暇ではない。詞。お前だけの体ではないのだ。聞き分けなさい」

 

 

 

 

―・・・え?

 

有人の予想を遥かに凌駕する冷たい言葉が有人の「見せかけ」の言葉を全く無視し、紳士の口からなんとも冷淡に頭を尚も下げ続ける娘のみに発された。

 

―そんな言い方って・・。

 

まるで心臓を鷲掴みにされたみたいに有人の呼吸は止まった。そして気付く。頭を下げている絢辻の閉じた瞳がこれ以上なく、歯を食いしばる様に強く閉じられている事に。

 

「・・・っ・・お願いします」

 

有人の予想を遥かに超えた強い絢辻の懇願の姿であった。その姿に自分の事だけをただ考え、この場を一旦凌ごうとした自分の浅ましさに有人は自己嫌悪に陥り、閉口する他なかった。しかし―

 

 

「詞。いい加減にしなさい」

 

 

尚も有無を言わせない口調で壮年の紳士は娘を窘め続ける。先程まで有人がこの場に居るのを考慮した語調であったが、今は最早彼が居ないものと仮定しているレベルの語調に切り変わっている。

 

「・・私・・・まだ彼にお話していない事があるんです」

 

「・・。『話していない事』・・?詞。お前・・まさか・・」

 

「・・・・」

 

 

「『まだ』話していなかったのか・・?」

 

 

「・・・」

 

有人は二人の会話についていけなくなった。

 

―何の・・・話だ?

 

戸惑う有人を尻目に紳士はふぅと息を吐き、無言のまま頭を下げ続ける自分の娘を脆く見下ろす。

 

「はぁ・・そんな大事な話を今まで話していなかったとは。何のために予め縁を通して早めに伝えておいたか解っているのかい?お前は」

 

―・・あんまり私を失望させるな。

 

言外に確実にそんな類の言葉を含んでいる様な声色の実の父親を相手に

 

「申し訳ありません・・」

 

あの絢辻が返す言葉もなく、只管謝る事しか出来ない。ただ彼女は一人打たれ続けていた。他でも無い自分の実の父親から。事情の全く解らない有人は彼女をかばう事も出来ない。ただ彼らの会話を呆けて見守る事しか出来ない。

 

「『申し訳ない』・・?それを私に言ってどうするんだ?それはむしろ彼に告げるべき言葉だろう。今『その事』を知らされる彼の身になりたまえ」

 

「・・・」

 

「・・良いだろう。少し時間をあげよう」

 

絢辻の父親は再び大きくため息を吐き、有人の方を再び振り返って、またほんの少し頭を下げ、こう言った。

 

「いや・・見苦しい物をお見せして申し訳ない。すまないがもう少し娘の話を聞いてやってくれ。そして・・理解して納得してやってほしい。それでは私は失礼する。

 

 

 

 

 

お大事に・・」

 

 

 

 

 

 

言葉を閉じながら薄く男は眼を開き、やがて踵を返して病室を後にした。

ここまで初対面の娘の友人に対しての態度、言葉の選択としてはごく自然、適当と言える。

 

しかし―それが有人にもたらした「状況」は全く異なるものだった。

 

―・・・!?

 

その僅かに開かれた瞳に映っていた「もの」に有人は気圧された。

 

そこには消し難い「無関心」という感情があった。有人という存在を物の数にしていない。丁寧で基調を整えられた節度ある数々の態度、言葉―その全てが「仮面」であることが垣間見える。それも絢辻の「それ」を遥か凌駕する付け入る隙が微塵もない頑強な物が展開されていた。

しかし・・同時「もう一つ別の感情」が僅かにちりりと混ざっている事が有人には読みとれた。

否、有人には「わざと感じ取らせた」。と、言った方がいいかもしれない。

 

―・・・・・!

 

有人は絶句していた。

 

絢辻の父親の凍える様な冷たい瞳のさらに奥で凍傷を引き起こすほどの冷気が発せられていたのを感じ取った。

それを前に自分が果たして今凍えているのか、焼け爛れているのか、はたまた痺れているのかも解らない曖昧な感覚を有人は覚える。今までの人生で彼が感じた事の無い、言いしれない不快感であった。それの適当な表現はただ一つ。

 

 

 

 

 

 

それは有人に対する明らかな「敵意」をにじませた眼差しだった。

 

 

 

 

 

 

 

雪が降り始めた外より数段温かいはずのこの病室の方が現在遥かに寒く感じる。あの男が存在していた事自体が有人の現在の体感温度を更に貶めていたからだ。

絢辻の父親が踵を返して病室を後にした瞬間、室内でも溜息が白くなるんじゃないかと思いながら息を吐く。「塩を撒いて身を清めたくなる」とはまさにこの事だろうか。体を包み込む不快な寒気が一向に体から離れていかない。

 

有人は理解した。

 

学校の同学年であり、クラスメイトであり、そして友人かそれ以上の関係である娘の前に居る存在に―

 

 

 

「あの男」は微塵も好意を覚えていない。

 

 

 

それが有人にとっての「あの男」の第一印象だった。

 

 

 

―・・・!!なんだよ・・!あれ・・・!!!

 

有人の中に何かが浸蝕し、どす黒く拡がっていく。その正体は言うまでも無く彼の人生で初めて向けられたあの「敵意」だ。出会ったばかりの、そして自分より明らかに上位の存在にハッキリ向けられた理不尽とも言える強烈な敵意―それに有人が恐怖、そして昂りを覚えないはずが無かった。

 

「・・源君?」

 

「・・」

 

「大丈夫?」

 

「・・」

 

「・・御免なさい」

 

―ああいう人なの。

 

絢辻の言葉少ない謝罪にそんな言葉が含まれている様な気がした。絢辻も当然気が付いている。初対面の有人に対して自分の父親がどんな行為をとったかを。力無く笑う絢辻の顔に何処か諦めた様な微笑みが張り付いた。

 

「時間無いから・・話を続けるね」

 

 

―・・・!!

 

そんな絢辻の言葉も耳に入らないほど有人は混乱していた。

絢辻の父親が有人に向けたあの敵意は彼を恐怖させただけでなく、ある意味彼の「誇り」をこれ以上なく傷付けたからだ。

 

自分の出生の秘密を知って以降、他人から怒り、憎しみ、非難、疎外などありとあらゆる他者から自分に向けられる様々な負の感情を向けられないようにする為、彼の選んだ生き方を実は無意識のうちに彼自身誇っていたのだ。

 

それを真っ向から否定された・・いや、行使する間もなく一方的に向けられた。あの敵意を。

 

・・・絢辻の傍に居るだけで、だ。

 

その理不尽さに有人の中で今まで覚えた事の無い感情が形を成していく。

周りを見失うほどの吐き捨てたくなる感情―皮肉なことにそれもまた・・あの男が有人に僅かに、そして意図的に嗅ぎ取らせた「敵意」だった。

 

そして敵意から来る混乱、屈辱、怒りはこれ以上ないほど有人を盲目にさせる。彼の目から一瞬だけ今の絢辻を外させるほどに。今の「あの子を失った」という絢辻が細い細いロープの上で目隠しのまま綱渡りをするかの如く危うい状況である事を知りながら、今有人は自分に突然向けられた理不尽な「敵意」に対する感情の奔流、激流のみに囚われた状態であった。

 

―・・・源君・・お願い。私を見て。

 

 

・・一人にしないで。

 

 

しかし有人は気付かない。未だ忌々しそうに己の誇りをこれ以上なく傷付けた男の背中を睨むように病室のドアを睨んでいた。そんな有人を振り向かせるために、絢辻は「この言葉」を使うしかなかった。今の有人はいつものようにじっくりとゆったりと耳を傾けてくれる有人ではない。それが今の絢辻には無性に悲しかった。

 

―お願い・・聞いて。「いつもの」優しい貴方で。

 

・・こんなズルイ言葉で・・今の貴方を振り向かせたくないのに・・なのに・・・!

 

 

しかし有人は振り向かない。振り向いてくれない。悲しかった。悔しかった。

 

 

でもやっぱり自分は・・泣けない。

 

 

 

―だって

 

 

「仮面」は泣かないから。

 

 

 

否。

 

 

 

泣けない。から。

 

 

 

 

 

 

 

 

絢辻は諦めたようにこう切りだした。

 

 

 

「源君・・私ね―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近いうちにこの町を出なきゃならないの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・。・・・え?」

 

その絢辻の突然発した台詞にまるで彼の中で逆回転の台風同士がぶつかって相殺したみたいに有人の顔は全くの無表情になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―・・ようやく振り向いてくれた。

 

 

今にも泣きだしたくなるような情動に駆られる。が、絢辻の中の何かがそれを止める。

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面は―

 

 

 

 

泣かない。

 

 

 

 

 

 

 

泣けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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