ぐれほわSHARK・T   作:GREATWHITE

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・・この胸の中。


温めている物はなぁに?


温めた物はなぁに?



温めた人は・・だぁれ?




私を見つけた人は・・・だぁれ?





全てが素敵な事だった。幸せだった。





そしてその人が今も目の前に居る。傍に在る。







―君は・・・



「あの時」のままだね。







いつものように、あの時のように微笑んで・・彼はそう言った。


彼も変わらない。・・「あの時」からずっと。






誰もが恋に落ちるでしょう。



貴方の微笑みに。









ルートT 二十六章 涙をとどけて

 

 

 

26 涙をとどけて

 

 

 

 

 

 

 

「・・・大体十年ぶりくらいかな」

 

 

 

 

 

―あれからどれぐらいの季節が流れただろう。高校を卒業し、大学を経て、就職。俺は望み通り大人になり、家族のもとを、そして吉備東から離れて上京。忙しい日々を送っていた。

 

 

・・・あの子とはあの日以来顔を合わしてもいない。

 

 

元より会わす顔も無い。それを俺が気にすることを彼女も知っていたのだろう。

あのクリスマスが二十六日に変わる直前のあの日以来―彼女が最後に微笑んで病室を後にした後ろ姿が瞳に焼きついたまま、俺の人生から彼女は跡形もなく消えた。

 

その年が明け、新学期に入って彼女は何の挨拶もせず、吉備東高校からも姿を消していた。突然の絢辻の転校に当然2-A初めとする周囲は一瞬ざわついたが、今年高校三年生という人生の転換期に訪れた一つの「些細な出来事」としてすぐに彼らの記憶から薄れ、彼等は日常に戻っていく。まるで彼女等居なかったかのように。

 

当然、俺だけはすぐにそんな風には割り切れず、彼女の姉の縁さんが住むマンションに俺は未練がましくちょこちょこ顔を出したりした。縁さんは相も変わらずウルと戯れていたが、それを呆れ顔で眺め、微笑みかけるあの子の姿は俺が高校を卒業するまで終ぞ見る事は無かった。

春になろうとも、暑い夏を迎えようとも、秋を経て・・また冬を迎えようとも。あの美しい長い黒髪を河川敷に吹く四季折々の風に揺らされ、微笑む彼女の姿は俺の人生からまるで風景画の中からぽっかりと一部分切り取られた様に消えた。

 

考えてみると「あの子」を最後に見た、最後に言葉を交わした場所はここだった。

病室で最後に言葉を交わしたあの子は最後まで自分の事を他人事のように「あの子」と言い続けた。それに何の言葉もかけてやれないまま俺はただ黙り、底冷えする病室で更に冷たい指先で彼女の頬に触れることしかできなかった。自分が泣く事も、嘆く事も許されない、ただ謝る事しか出来ない。

 

いや、他でもない自分を守るために俺はひたすら何も出来なかったのだ。ただ自分を守るために、自分を許す為に謝っていただけだ。あの日から・・・ずっと。

 

 

 

 

「―なもと・・源?みなもっち~~~!?お~~~い!?」

 

 

 

 

「・・!あ・・・」

 

「なーにしてんだよ!久しぶりに会ったってのに・・さては酒が足りてねぇな?ほり、飲め飲め」

 

「あ、御免。ありがとう梅原」

 

有人はおとと、と、なみなみ注がれたグラスのビールを少し吸って、ぐっといけや♪的に微笑む梅原の顔に応えて彼も笑う。

 

 

―・・・俺は約十年ぶりにここ吉備東、故郷に帰って来た。大学、そして就職先の関係で吉備東を離れて以来、俺はここに戻ってきていなかった。

 

かつての吉備東高の同級生、友人達との交流はそれ以降も続いていたが流石にこの歳になるとお互い頻繁に会う事は困難だ。今回の同窓会を主催した梅原の様に要領よく全員の連絡先、各々の予定を把握したうえで日程を合わせ、奇跡とも思えるほどの日時、都合の良い宴会の場所を選定して今日この日の様に高校の同窓会を開きでもしない限り、まず会う事の出来ないメンツも居た。梅原の知り合いが経営しているという飾らない雰囲気の居酒屋で懐かしそうに騒ぎ合う彼らをやや大人びた微笑みで見回しつつ、有人はにんまりと笑う。

 

「・・皆、案外変わりなさそうだね。元気そうで良かった」

 

「いや~?そうでも無いぜ。御崎の奴は今度なんと・・三人目だそうだ」

 

「太一君が!?え・・?確かついこの前・・二人目の出産祝いを贈ったと思うんだけど・・」

 

「また出来たんだよ・・。予定日は来年の三月・・予定通りなら『年子』だそうだ。あいつ・・この手で俺達を破産させる気なんじゃねぇか?畜生・・ギャクタマ野郎め・・羨ましい。・・あの美人の巨乳奥さんとの間に次々と・・」

 

本当に御崎を殺しかねない嫉妬の塊の如くの梅原をどうどうと有人は宥めつつ話題を切り替えようとする。

 

「ま、まぁめでたい事じゃん。で、で、他のメンツは、と・・。あ・・・!やっぱり『あの二人』は一緒か・・」

 

「・・。おぉ棚町と国枝か」

 

「・・。やっぱり?」

 

「あれこそ・・松ぼっくりに火が付いたっての?」

 

「・・『焼けぼっくい』ね」

 

 

飲み屋のバーカウンター。そこにはかつて、いつも付かず離れずの悪友同士がまるで話題等尽きる事が考えられない程楽しそうに会話している。そんなかつてと変わらぬ二人の姿を眺めつつも有人、梅原のやや憂いの籠った二人の表情が晴れない。

 

 

―・・・高校卒業後―大学二回生の時に直衛、棚町さんの二人は別れていた。

 

・・・志望大学にめでたく現役合格した直衛は俺と同様、高校卒業後すぐに吉備東を出た。棚町さんも推薦された美大へ進学。お互いに新しい出会いも行動範囲も飛躍的に増える。しかしそれとは反比例に二人の会える時間は減っていった。

そんな時間が約一年半続いた頃、ほぼ同じタイミングでお互い別れを切り出したらしい。

二人が別れたその日に飲み屋に呼び出され、珍しく荒れ、嘆き、眠りこける直衛の介抱をしたのが他でも無い俺なのだ。何が在ったかは良く解っている。

 

お互い未練が無いはずが無い。確かにお互いの境遇は異なるし、元々二人共全く正反対の性格の二人だ。衝突はいい意味でも悪い意味でも多い二人だった。しかし一方で真逆だからこそまるで磁石みたいに惹かれあい、晴れて高二の冬にようやく一緒になった二人すら引き離してしまうほどやはり距離、会えない時間、そして各々の新たな場所での出会いというのは大きいものなのだろうと酔いつぶれ、眠りこける直衛の隣に頬杖ついて座りながら俺は解釈した。

 

でも、やはり二人の縁は切れてはいなかったらしい。

数年前、高二のクラスのささやかなメンツであの二人が再会した時、明らかにあの二人だけ近寄れない絶対領域なものが敷かれていたのを他の友人誰ひとり例外なく感じ取っていた。

 

そして直衛の左手の薬指に光る輪を棚町さんが心底気にしていた事も。

 

直衛は既にその時棚町さん以外の女性と結婚していた。

それを知りながら直衛の前で笑う棚町さんの笑顔が何ともいたたまれなかった事を覚えている。

 

 

「・・・。ん~~~もうよそうぜ?・・こんな席で話す事でもねぇ」

 

「・・そうだね。ほら梅原こそグラス空いてんじゃん」

 

「お、すまねぇな。へへ」

 

―・・・。

 

それでもいつもと変わらない、あの頃から変わらない梅原の姿が俺の心を本当に和ませる。

今もこの町に住み、この町で働き、時々帰っては会いに来る俺達を隔てなく、壁無く迎えてくれる。こういう奴こそ本当に凄い奴だと俺は思う。

 

 

「さてと・・うーん。やっぱり無理だったのかねぇ」

 

梅原の同業者の友人が経営するという貸し切りの飲み屋をぐるりと見渡して梅原はおおげさに溜息をついた。わいわいと騒ぐかつての学友達を嬉しく思いながらもどこか心残りそうに。

 

「・・?何の話?」

 

「・・・俺の情報網を使ってどうにか、ようやく先日コンタクトは採れたんだが・・あ~いやワリぃな、こっちの話!気にするねぇみなもっち!!」

 

「・・?」

 

そんな会話を有人が梅原としていた五分後のことであった、

 

 

「おっ!!!??マジか・・!?・・あ!・・・ととととっと失礼・・みなもっち!?体全体がすべったぁ~!!」

 

 

ざわっ!?

 

 

 

梅原が挙動不審にいきなりそそくさと自分の座っている位置をわざとらしい台詞と共にワザとらしく変え、有人の視界を遮ったかと思うとその梅原の背後で歓声の様などよめきが湧いた。

 

「わ。・・・んんっ?誰か来た?凄い歓声だけど」

 

「いやいや・・その・・な?はは~」

 

「誰?」

 

「まぁ~気にすんなよ?いいからみなもっち・・・今は・・俺だけ見てろ・・」

 

有人に熱っぽく迫る梅原。正直正視に堪えない。恐らくその手の人間でも需要は限りなくゼロに近い迫り方。露骨に有人は表情を強張らせる。

 

「うぇ・・きもい」

 

「ひでぇな・・。そんな照れんなって・・」

 

「・・って!!だから近いよはなれろ!梅原!!・・げ。おい!皆見てる!!」

 

二人に周囲からの視線が集中する。「需要はゼロ」のはずだが、なんで好きこのんでこんな男二人のキモイやり取りを見ているのか有人は不思議で仕方無かった。

だが、その有人の疑問の答えは次に辺りに響いた声ですぐに払拭される事になる。本当の「注目の的」が彼らに接近していたからだ。

 

 

 

 

 

 

「・・・あら。お二人お取り込み中?私・・お邪魔かしら?」

 

 

 

 

 

「・・え?」

 

 

「・・・こんばんは梅原君。この前はお電話有難う。折角お招き頂いたのに遅れちゃって御免なさい」

 

 

 

こんな麗しい、透き通る様な声をこの目の前の気持ち悪いニヤニヤ笑う梅原が出せるのならコイツは寿司屋をやめてオカマバーでも経営した方がいい。

 

「ふふん。今回のサプライズゲスト満を持して御来店~ってな?」

 

得意げに笑う梅原が俺の視線の先をようやく譲る。

 

 

 

「・・・ふふふ」

 

 

 

そこには上に着ていたであろう品のいい茶色いコートを脱ぎ、小脇に抱えて真っ白な首まで包むセーターを着たあの日と同じ髪の長さの、しかし、より大人びて美しくなったあの姿があった。

 

「ぅわ・・・」

 

思わず有人の喉からそんな声が出る。

 

「・・・。ちょっと・・久しぶりに会った女の子に対してその反応はどうかと思うわよ?

 

 

 

 

 

 

・・お久しぶりです。源君。元気そうで何よりです」

 

 

 

間違いなく絢辻 詞であった。高校時代の彼女のイメージそのままに大人の女性になった彼女が顔を傾け、曇りない笑顔で有人に微笑みかける。

初めて出会ったあの春の日の様に一旦有人は目を逸らし、今日はちらりと自分の左手を確認する。すると―

 

「・・お久しぶり。絢辻さん」

 

何時もの調子を取り戻して彼もまた微笑んだ。

 

「・・・。相変わらずねぇ?」

 

絢辻もまたにっこりと微笑み返す。

 

 

 

 

その後―

 

―・・意外すぎる彼女の来訪に気付いたかつてのクラスメイト達がかわるがわる彼女に挨拶しに来た。その誰ひとり欠けること無く彼女は覚えていた。当然だろう。暗記は彼女の得意技だ。・・この記憶力はさぞかし「今の彼女の仕事」を助けていることに違いない。

 

高二の冬、突然居なくなってしまった彼女はあの時のイメージのまま、クラスの一人一人に刻まれていた。彼女が居なくなる直前に起きた不穏な様々な出来事はすっぽりどこか抜けおち、もしくはまるで無かったかのように彼らは彼女を認識していた。そして当の彼女も意識して行っている風ではない。あの頃のように誰彼も分け隔てなく完璧に応対している。

 

自然だった。不自然すぎるほどに。しかしその不自然を認識できる人間は俺一人だけだった。そして・・そんな俺に気付いたのも一人だけだった。

 

周りに不自然に思われない程度に振舞っていたつもりの俺の動揺に気付いていたのは。

 

昔と同じように他全員の目線を一瞬盗んで彼女はそっと俺に近付く。そして耳元でゾくりとするほど程良い薄いピンクの紅を差した唇を震わせて俺にこう囁く。

 

 

 

「・・・なに呆けてんの?もっと自然に振舞いなさいよ。ばれるでしょ」

 

 

 

―・・悪戯そうにそう言った。

 

 

 

 

数時間後―

 

 

 

「・・・ホント久しぶりね」

 

「・・俺はそんな気しないけどね」

 

「ん~そうかもね。私って今ちょっとした有名人だしね」

 

吉備東の繁華街を昔の様に二人して歩いていた。昔と同じように絢辻を一歩先にしてそれに有人は続く。

 

 

帰宅が決定した女性陣を送る役目を有人は願い出た。元々生来酒に強く、おまけに思いもよらないゲストの登場で有人の酔いは随分醒めている。あの絢辻がこの同窓会に参加するなどと有人は露ほども考えてもみなかったからだ。

 

「最近、忙しいの?やっぱり・・」

 

「・・う~ん・・・」

 

絢辻はそう唸って腕を組み、自分の顎に右拳をあて、眉をしかめて目を閉じたのち、パッと目を開いて有人に振り返り、にぱっと子供みたいに笑う。

 

「うん!すっっっっごい忙しい!正直この私のほんのわずかなオフの瞬間を凄腕のスナイパーみたいに見事に射抜いた梅原君には脱帽モノよ。私のスケジュール管理を頼みたいくらいだわ」

 

「寿司屋から有名人の秘書に転職か・・。大出世だね梅原。でもちゃんと正式に引き抜きのオファーは俺を通してね?安くないよ?アイツは」

 

「あら・・仲介人になってくれるの?」

 

「その手の仕事をしているもので」

 

「ふふっ・・残念だけど・・貴方には向いてそうねその仕事」

 

「ははっ」

 

「・・で。源君」

 

「・・・」

 

 

「奥さん・・居るんだね」

 

 

 

 

先程久しぶりに会った絢辻から有人が目を逸らした時、ちらりと向けた視線の先の左手―そこには銀色の指輪が施されていた。

 

先日有人がペアで買っていた婚約指輪だった。

 

「・・まだ籍は入れてないけどね。来年式挙げる予定」

 

「それはそれはおめでとう♪お幸せに♪」

 

「ありがとう」

 

「・・・」

 

「・・・?」

 

「・・ひょっとしてお相手は梅原君?」

 

「・・・」

 

 

 

 

 

 

「もう・・帰るの?」

 

「うん。私を遥かに上回るほど父が忙しいから・・。明日の朝には向こうにとんぼ返りよ。久しぶりにゆっくり吉備東の街並みを眺める事も、懐かしむ事もできそうにないわ」

 

「・・そっか」

 

「・・ありがとうね?源君」

 

「うん?何が?」

 

「率先して送ろうとしてくれて。・・気を遣ってくれたんでしょ?気付かれない様にちらちら時計見てたつもりだったけど」

 

「・・そっちこそこっそり時々携帯いじくってたでしょ。『あぁあんまり時間無いんだな、忙しいんだな』ってすぐに解った」

 

「相変わらずそういう所は目ざといわよね。貴方って」

 

「皆解ってたと思うよ。君は『二次会無理だな』って」

 

「まぁね。でも・・正直何人かの男性陣は私を狙っていたわね。社会人になって経済力もついて・・ちょっと自分に自信が出来た連中が『今ならかつての憧れの女の人を口説けるかも』ってカンジで。まぁ・・『あの高嶺の花』の私ですもんね?仕方のない話とは言え笑ってしまうわ。貴方も気付いてたでしょ?」

 

「・・相変わらずだなぁ」

 

「ん・・・?それじゃあひょっとしたら貴方も?悪い男ね?フィアンセいるくせに」

 

「どうだろ」

 

「・・ふふっ。な~~んて。・・そんなことしないわよね。貴方は」

 

「お互い立場がありますから」

 

「・・あの頃とは違うもんね」

 

「でも・・」

 

有人は歩みを止め、こう言った。

 

 

 

 

 

「君は・・・『あの時』のままだね」

 

 

 

 

 

「・・・」

 

 

有人の一言に急に絢辻はおし黙った。

 

有人には解っていた。その証拠に再会してから有人は一度も彼女の名前を呼んでいない。

 

「最後」に絢辻と言葉を交わしたあの時、あの河川敷で初めて彼女を「つかさ」と読んだ時の様に下の名前で呼ぶことはおろか、今は「絢辻」とすら呼んでいない。

今の彼女は居なくなった「あの子」が作りだした・・「あの子」の真似を・・「あの子」の姿を作りあげて気丈に振舞っているだけに過ぎない―

 

 

「何か」だ。

 

 

空っぽの世界にただ一つポツンと佇んだ欠片の様なもの。

 

それが今の彼女の全て。

 

傍目には自立し、社会的に認められ、容姿も美しく、優秀で誰もが認め、一目置く。かつての学生時代の彼女が望んでいた理想の自分だ。自分で歩き、自分で判断し、自分の道をつき進める自由な「大人」の姿―それを「相も変わらず」演じているのがこの有人の目の前に居る小さな小さな・・

 

 

・・「何か」だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―この胸の中。

 

 

温めているもの物はなぁに?

 

 

温めた物はなぁに?

 

 

温めた物は・・だぁれ?

 

 

私を見つけた人は・・だぁれ?

 

 

 

全てが素敵な事だった。幸せだった。

 

 

 

 

そしてその人が今も目の前に居る。傍に在る。

 

 

 

 

「君は・・・『あの時』のままだね」

 

 

 

 

いつものように、あの時の様に微笑んで・・彼はそう言った。

 

 

彼も変わらない。・・「あの時」からずっと。

 

 

誰もが恋に落ちるでしょう。

 

 

 

貴方の微笑みに。

 

 

 

 

 

 

そう・・。私は変わらない。「あの時」と同じ。

 

今の私は「あの子」が残した、託された遺志に則って気丈に振舞っているだけの―

 

 

・・・「仮面」のまま。

 

 

 

 

 

 

 

「あ~あ。やっぱりダメか・・・」

 

諦めたような口調でしょんぼりと絢辻が苦笑いする。

 

「・・・」

 

「これでも頑張ってきたつもりなんだけどな。やっぱり源君は騙せない、か・・」

 

くるりと踵を返し、とことこ二歩前に出て絢辻はそう言った。

そしてまたくるりと有人に振りかえると同時、攻撃的な口調、視線は和らぎ、あの日の―今度は全てが止まったあの病室での絢辻に戻る。

有人にとって「絢辻」ではない絢辻が。

 

 

誰もが誰よりも先に進んでいると考える、理解する、認識する―そんな有人の目の前の女性は実はあの日17歳の冬から一歩も前に進んでなどいなかった。そして有人と再会した今この時も彼女の時は動こうとしていない。

 

しかし。

 

「彼女の中の時」は止まろうとも時間は進んでいる。巻き込まれている。そう。実際には時間は過ぎているのだ。彼女の時が止まろうとも時は待たない。彼女の人生は続いていく。

 

その中で「あの子」を失った絢辻はひとり闘い続けていたのだ。人生の中で最も心強い、誰よりも自分自身の味方であってくれるはずの自分の一部ないし大部分を見失ったまま彼女は目の前に敷かれた苛烈なレール、競争社会の中を生きた。

 

その苦悩が、その苦痛がどれほどであったか有人には想像もつかない。

 

 

しかし、一方で確実に解る事はある。そのことが有人自身にどれほどの恐怖、そして罪悪感を与えるかはうかがい知れる。

 

 

・・その上で。

 

 

恥を承知で有人は今の絢辻にこう言ってもらいたいのだ。楽になりたいいのだ。例えうわべだけの言葉だけでもいい。

 

 

「貴方のせいではない」

 

 

「貴方には何の責任もない」

 

 

と。

 

「あの日」と同じように彼女にはもっとも自分が傷つかないようにしてほしいのだ。振舞ってほしいのだ。そして―

 

 

 

・・居なくなって欲しいのだ。自分の人生から。

 

 

 

誰よりも何よりも自身を守るために。自身が犯した罪、罪悪感から目を背ける為に。

 

 

 

 

しかし・・

 

年月は残酷だった。確かに当初、絢辻はそう思っていたのかもしれない。そもそもあの日の状況を考えれば有人を過剰に責める事はあまりにも酷だ。しかし反面、彼女はそれをきっかけに自分を見失い、それによって生じる欠損により、更に生ずる不便、不都合、理不尽の矢面にさらされた事実がある。

 

悲しむこと、憤る事を禁止され、ひたすら他者との中で生き抜くために培った他者にとって都合のいい「仮面」の自分を表現し続けるしかない。苦痛の積み重ねをするしかない人生―考えるだけで怖気が走る。

 

そのやり場の無いものを誰にぶつけることが出来るのか?それは唯一にして絢辻がその状況に陥ったことを知る人物。同時きっかけを作った人物。

 

かつての「あの子」を知っている目の前の源 有人しかいないのだ。

 

それでも今の絢辻は「それ」をも止めようとする。耐えようとする。有人の望む言葉を吐こうとする。それが「あの子」に作られた今の絢辻の謂わば「機能」だからだ。そして残された、託された「あの子」の「願い」、「遺志」だからだ。

 

 

しかし・・もう限界だった。その残された絢辻すら今―

 

 

壊れた。

 

 

絢辻の中でぱぁんと何かが壊れ、砕け落ちる音を有人は確かに聞いた。

何の音なのか?・・言うまでもない。

 

 

 

 

「仮面」が粉々に砕け落ちた音だ。

 

 

 

 

 

直後・・絢辻が語り始める。まるで酸素を求め、口をパクパクさせる水槽の金魚みたいに。

 

 

 

「・・源君・・?」

 

 

 

 

「私は・・何度も殺してきました。私という存在を何度も殺してきました。色んな人に出会って・・色んな場所に行って新しく芽吹きそうな、新しく生まれそうな自分を・・何度も何度も・・殺してきました。父がそれを望まなかった事もあります。けど・・そもそも私にそんな『機能』が無かったと言うのが正直なところです。新しい自分に気付いてそれを育てていくこと・・それこそ貴方に出会って変わっていった『あの子』の様になれればと何度も思いました。でも、・・出来ませんでした。私・・。私・・。・・その・・・一体、一体どうすればいいんでしょうか?」

 

まるで糸の切れた人形みたいにだらりと上体と視線が危うくぶれる。しかし機械的に今の絢辻はただ言葉を発する。生気の宿らない、しかし隠しきれない怨嗟の呪言の如くの言葉を。

 

「源君・・・私には・・『あの子』が必要だったんです。貴方にとっての『あの子』以上に。遥かに。ずっと」

 

病的に乱れた前髪の奥に虚ろで最早光の宿らない「空洞」と化していく絢辻の真っ黒な瞳が有人の恐怖の頂点を超えさせる。

 

 

「・・はっ!・・・!はぁっ・・!」

 

 

過呼吸に陥りそうなほど空気が薄く、重い。呼吸すらままならない。意識が飛びそうなほど苦しいのに有人の意識は、そして頭は異常なほどにクリアだ。疎ましいほどに。

 

「返してくれませんか・・・?」

 

もう一度絢辻はロボットみたいに繰り返し愚直にそう呟く。口調、表情、生気、最早全てにおいて感情はこもっていない。電池の切れかけのおもちゃが電池切れを示す直前の赤い赤い点滅ランプを灯すのと大差はない。

 

 

「お願い・・・返して・・・・『私』を・・『あの子』を・・」

 

 

―返して。

 

 

ふらふらとおぼつかない足取りで「絢辻の様なモノ」は有人に迫る。そんな抜けがらの彼女にかける言葉も何も見当たらない。ずるずると後ずさりしながら真っ暗な絶望の底を今有人は漂っていた。

 

 

「う・・うあ・・」

 

 

目を逸らすように頭を抱え、恐怖に満ちた瞳を有人はぐるぐると回転させる。

 

 

 

 

 

―許して。許して。

 

 

 

誰か。

 

だれか。

 

助けて。

 

お願いだ。

 

 

直。梅原。太一君。広大。棚町さん。田中さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・絢辻さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

―・・・来い

 

―・・?

 

―おい!

 

―・・・・?

 

 

 

 

―こっちだ!有人!!

 

 

 

 

 

 

有人は「彼ら」にこの日ほど感謝した日は無い。

 

 

 

「彼ら」が来なければ、居なければ・・「これ」はまさしく「現実」として繋がって行った気がする。ぽっかりと未来の道の先に落とし穴の様な大きな穴が開いていることを知りながら、気付きながらもそれに向かってただ漫然とゆっくりと歩いていく自分の歩みを。

ただこの「悪夢」に繋がっていく一本道を。悪夢の様な冷めない現実が訪れるまでの道をただなぞって行くだけの人生を送ってしまう所だった。

 

 

 

 

「・・・!おい!起きろ!!有人!!!」

 

 

 

 

 

「大将!!」

 

 

 

 

「・・・えっ・・・?」

 

 

 

明るい病室。ベッドに縛られた自分の姿。窓の外は昨夜積もった雪が日光を反射させ、白く照らし出された病室には何時もと変わらない友の姿があった。長い髪から覗く強い目の力を持つ幼いころからの親友。そしてひょうきんで澄んだ優しい目をした親友の二人の姿を映す。

 

悪夢の中の彼らの様にまだスレていない。未来にまだどこか希望、期待を持っている幼い高校二年生のままの二人だ。

 

「・・大丈夫か?有人・・?」

 

「びっくりしたぜ・・」

 

 

「な・お・・梅、原・・・」

 

 

有人は茫然と二人の友の名を呼ぶ。掻き消えそうな声で。しかしそのか弱い声の下から何かこみ上げる様な力強い何かが湧きだしてくる。今、目の前に居てくれる形ある有り難い存在達に包まれた安堵によって有人は導かれる。ここ数年有人が感じる事が無かった、人によっては「弱さの象徴」と断罪する「それ」を。有人が彼の人生を歩む上で意識的に自重し、閉ざしてきた「それ」を―

 

 

今、どうしても堪えることが出来なかった。

 

 

 

 

「・・・!?有人・・・!」

 

 

「おい・・大将・・どした?」

 

 

 

 

 

「う・・っくっ・・・くぃっ・・・うぅぐっ・・・・」

 

 

 

 

有人は泣いた。

 

 

 

―・・温かい。

 

 

まだ「こんな物」が俺の中にあったのか。昨夜の出来事、そして今の悪夢。その中では決して生まれる事の無い温かみ。昨夜のあの子にも、悪夢の中のあの子にも決して生まれる事の無かった物。

 

溜まっていく。

 

こめかみを伝って、久しぶりにかけたメガネのレンズの上へ。

 

一粒、また一粒。

 

 

 

この一つ一つを失った「あの子」に。また許されない今のあの子に。

 

一粒でいい。

 

とどけてくれ。

 

 

 

涙を

 

 

とどけて。

 

 

 

 

 

 

 










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