SHARK・T
ルートS
年が明け一月、吉備東神社にて―
空に続く社までの階段の前にて、次々に訪れる参拝客でごった返す人の流れから少し外れ、一際小柄な少年が晴れ渡った冬の夜空を眺めながら一人の少女を待っていた。
「!」
程なくして彼の待ち人は現れる。寒さのせいかそれとも自分の今の姿に自信が無いのか・・頬を赤らめ、いつもの小動物の耳の様に二つ結わえた髪を揺らし、心許なく視線をちらちら逸らしながらも少年―御崎 太一を上目遣いで見上げつつとぼとぼ歩いてくる。
見事な薄い桜色の着物姿に身を包み、陶器のように白い肌もまた少し紅潮させて白い吐息を漂わせる見惚れるような色香を放つ小さな姿―
―・・・。
太一は寒さで赤くなった鼻を少しぐずらせながら歩み寄り、彼女の目の前で深々と頭を下げた。新年の挨拶と共に。その所作に戸惑い気味で頬を赤らめていた彼女も応え、何ともぎこちない所作でぺこぺこと何度も頭を下げる。
新年の挨拶もその頭を下げる回数に合わせて切り貼り。「新年!」「明けまして!」「おめでとう!」「ござい!」「ます!」「太一!」「先輩!」そんな彼らのやり取りをいつもの様に―
「~~~♪」
背後から現れた「女性」がハイテンションで突っ切ってくる。そして何ともぎこちない新年の挨拶を終えた二人の間に堂々と割り込み、太一の両手を握って先ほどまでの二人のぎこちないやり取りとは一転、何とも豪快で軽快な新年の挨拶をまくしたててくる。
澄んだ紺碧の海のような深い藍色の着物に、かなり複雑な意匠の簪を頭頂に見事に施された大人の女性の色香を放ちながらもまるで幼い少女のような遠慮のない踏み込み方である。
「・・・」
そんな彼女にあきれ果てたように無言で壮年の紳士が背後より彼女に続く。彼はどうやら「今回は」無事日程を明けることが出来たらしい。娘と妻を引き連れ、太一の下に新年の挨拶に来てくれたのだ。そんな彼にも太一はしっかりと頭を下げ、紳士も最初は戸惑いながらも娘と妻に視線で促され、「・・解っているよ」と言いたげにしっかりと頭を下げる。
そんな所作に満足したように藍色の着物の女性は相も変わらず少女のように太一のぐいぐい手を引っ張り、「早く行きましょ♡まずは今年の太一君と私の運勢を神様にうらなってもらわなきゃ♡」と急かす。彼女に浴びせられる「た、太一先輩にあまりベタベタしないでよぅ・・」と言いたい不満げな視線もどこ吹く風で。
―・・・。
そんな彼女を相手に―
「・・・?」
ポンと太一は彼女の頭頂にて簪で綺麗に、そして丁寧に誂えられた髪を崩さないように柔らかく乗せ、彼女の怪訝そうな顔にすっと顔を近づけてこう言った。
「・・新年あけましておめでとう。『紗江』ちゃん?凄く大人っぽくて似合ってるよ~?」
「~~~~!!」
見る見るうちに藍色の着物を着た少女―中多 紗江の表情がいつもの様に崩れていき、すぐにわんわんと泣き出した。
一方―
ガーン!!!
「今回も」見破られた桃色の着物を着た女性―中多 紗季はあんぐりと口を開け、「完全敗北」を前にがっくりと肩を落とす。そして「馬鹿な。対策は完ぺきだったはずなのに」と悔しそうにぐぐぐっ、と拳を握った。
娘との「とある特定部位」の差異に関しては体形をとことん隠す今回の和服、着物によって解消済みだ。そして今回は娘の紗江との特訓―いや、太一に娘を自分と誤認させるためだけに、嫌がる娘―紗江を最早洗脳レベルで一方的に調教し、短期間で自分の口調、所作も完璧に身に着けさせた。彼女もまた太一を前にしたときの娘の所作、仕草、視線の合わせ方を彼女がかつて中学生時代に行ったカエルの解剖の時並みの集中力を発揮し、徹底的に調査、解剖し、終いには自分に「私は紗江ちゃん、私は紗江ちゃん・・」という呪詛のような暗示までかけて今日この日に挑んだのだ。
しかし、それでも、・・駄目なのか・・!
頭をぽんぽんと太一に撫でられ、わんわんと嬉し泣き続ける娘―紗江を見ながら、対照的に「く~~~っ」と悔し涙を流す母―紗季を「・・本当にもういい加減にしなさい」と背後の紳士は窘める。が―
絶対に、絶対にあきらめない。
彼女の文字に再起不能(リタイア)という文字はない。
ルートA
「・・・」
すこし寂しそうに少女は吉備東神社の夜空を無言のまま見上げていた。
多くの参拝客とすれ違う社までの道の途中で足を止め、ただ只管星空を見上げている一人の少女は周りの参拝客には少し奇異に映っただろう。
あの人―杉内 広大があの日、彼女―七咲 逢に言った言葉の通りだ。
「ただ通り過ぎる人間は絶対に気付かない」、「気づいてあげられない」。
まして既に散ってしまい、あの日広大と見上げたあの季節外れに開花した桜の花―「二期桜」があった名残すらも残っていない現在の裸の茶色い枝のみを残す、何とも物悲しく、寂しいソメイヨシノの木の枝に誰が気づき、足を止めてまで眺めることが有ろうか。
春に咲く桜たちの様に誰にも咲く姿、そして散る姿を見てもらえることなくただひっそりと咲き、ひっそりといつの間にか散っていった「あの子」の事をこの賑やかな初詣の参拝客の中で思い浮かべるのなんて変わり者の自分一人くらいだろう、と七咲は自嘲の笑いを浮かべてクスリと笑って歩き出す。もともと歩くのが早い方ではない彼女の足がいつもより更に歩が進まなかった。
―・・・?
「・・・!」
そんな彼女の背をポンとたたく一人の少年の姿があった。
相も変わらず慢性的な体力不足であり、ここまでの道のりで小休止を行って七咲に後れを取っていた少年―杉内 広大がようやく呼吸を整え、人混みを掻き分けて先行した七咲に追いついてきたのだ。
「・・・!・・?」
しかし、振り返った少女の現在の瞳がややうっすら潤んでいるのを確認すると少年は心配そうにやや神妙な面持ちに代わる。
そんな彼に「散々寒い中、待たされてこうなった」と、七咲は笑って誤魔化す。それを言われるとぐぅの音もでず、少年―広大は反省の表情を浮かべたのち、早々に帰り路の飲みもの―コーンポタージュ代を彼女の分も負担する話の運びとなった。
七咲はそれを了承してからっと笑い、とりあえず初詣という行事に訪れた以上、「やることやって帰ろう」と自然に足を二人は一緒に踏み出した。いつもと同じ、広大が七咲に歩幅を合わせて。しかし―
「・・・」
二、三歩ほど歩いてつと広大がいきなり足を止める。二人の後ろから続いていた参拝客が数人「おっと」と、声を上げて驚くぐらいの急停止。彼らに軽い謝罪を言って先に行かせた後も広大は立ち止まったままだった。
「・・・?」
怪訝な七咲を前に「・・そういやもう願い事決めた?」と広大は妙にずれた質問をしてくる。それここで、そして今じゃなきゃダメなのか?という疑問を呑み込み、七咲は「取り敢えずお賽銭放ってから考えようと思ってます」と、妥当な返答を返す。
元々今年に関して彼女は少し願いたい事が多すぎた。だからすぐに浮かんでこないし選びにくい。しばし考えたのち、取り敢えずは「皆の無事と健康を望もうかと思っています」となんとも七咲らしい解答に広大は満足げに笑い、「ついでに俺の分もお願い」と笑った。
「・・・」
―何とも適当なことだ。と、七咲は内心少しため息をつく。中途半端に場違いな質問をしてきたかと思えば、広大の落し処が結局「他人任せ」という結果に。
彼女の中から次から次へと湧きでる広大への文句の言葉が止まらない。時々「自分の悪い癖だな」と彼女自身思うが止められなかった。
適当ですね。
っていうかズルくないですか?
私に自分の分までお願いさせといて先輩は自分の事だけお願い、ですか?
呆れながらくどくどそのような文句、ぷんぷん悪態つく七咲に「・・そのつもりだけど?」と全く悪びれずに広大は笑う。とうとう七咲の堪忍袋の緒が切れた。
「もう!ひどいです!せめてその願い事、私に聞かせてくださいっ!」
「・・・う~~ん。また『あの子』に会えますように、七咲と一緒に見られますようにってのは・・ダメ?」
広大は夜空―いや先ほど七咲が目を離せなかった「あの子」が咲いていた場所を指さしながらそう言った。
―・・え?
―・・・。
彼が歩みを止めたのはその為だった。場違いな場所にとどまり続けた理由も。中途半端な場違いな質問も。それはあまり「あの子」が居た場所から離れるわけにはいかなかったからだ。
「一年の計は元旦にあり」―そんな言葉すらある新年早々、広大は何とも目先の事、些細な願い事を願うことに決めた。彼の性格、計画性の無さを象徴する何とも「らしい」ことだ。
広大は先ほど一瞬、振り返った七咲が浮かべて居た切ない表情の意味にちゃんと気づいていたのだ。大切な小さな少女のほんの僅かな、そして一瞬の感傷を目に前にしてこの少年は一年に一回、初詣の願いごとをあっさり「これ」に決める。そもそも「これ」以外にないとも考えている。
「ただ通り過ぎるだけでは気付かない、気付いてあげられない」―その言葉を体現するようなその広大の言葉は―
―私がこの人を見ているようにこの人も・・私を見てくれている・・んだ。
そう七咲が感じるのに十分だった。
「いこ。・・逢」
「・・ふふっ。・・はい」
満たされた心で踏み出した次の彼女の一歩の歩幅はいつもより僅かに広い。
ルートR
この吉備東神社の近くには世代をまたいで子供たちに受け継がれる秘密基地的な場所がある。
・・と、いっても所詮段ボールで出来た簡素な小屋をハサミ、ガムテープを使った子供の手で拙い補修作業を繰り返された代物である。しかし、子供たちにとってそこに居る瞬間、時間は真剣で、かけがえのない、そして掛け値なしに楽しいものであった。
そんな場所をかつて利用していた現在高校生の幼馴染の二人の少年少女は久しぶりに訪れたその場所に懐かしさを覚えつつ、それなりに双方大きめの体をせせこましく中に滑り込ませる。
「梨穂子・・お前もっと痩せろ。狭い。壊れる」、「む~~っ失礼な~~。第一智也がおっきくなり過ぎなんだヨ~~」などの会話を挟みながら数分後―
「あ~ようやく落ち着いた」と言いたげに二人息を吐き、晴れて簡素な段ボールの室内で「夫婦で楽しいホームレス生活体験」、開始。
太ましい栗毛の少女―桜井 梨穂子が持参した水筒のお茶を「しゃちょ~?まぁ一杯ぐぐっと♪へへへ~~♪」と、がっしりした体格の少年―茅ケ崎 智也の持ったコップに注ぎ、次に「こうじょうちょ~~今度は私が~~♪」と珍しくノリノリな智也が梨穂子のコップにお茶を注ぎ込む。
そして二人同時に段ボールの独特の香りのする室内で、香ばしいお茶を啜り―
「「ぷへ~~っ( ゚ Д ゚)_旦~~(*´Д`)旦~~」」
と息を吐く。
一見何とも癒し系な二人の光景である。が―
「ふんふんふん~~♪」
―・・・。
表情、声色、血色すべて桜色のご満悦、幸せ満開の梨穂子とは異なり、なぜか内心智也は焦っていた。
なぜなら彼のケツ周辺で「最近のガキ進み過ぎだろ」レベルのえぐいエロ本が二、三冊転がっているからだ。昔から「秘密基地とエロ本」は何故か切り離せない永遠の癒着関係であると相場が決まっている。
「~~~♪~~~♪」
「・・・」
―・・こんなもん見て今の幸せそうな梨穂子と微妙な空気になってたまるかぃ。
「今度梅に頼んでもっと健全な内容の奴に変えてやるぜ、クソガキどもめ」と智也は内心そう毒づきながら決心し、さらに「臭い物には蓋を」理論の下、エロ本を奥に奥に押しやろうとする。・・残念ながらこれがいけなかった。
びりっ
―・・・!!!??
こういうものは不思議なもので隠そうとすれば隠そうとするほどに何故か表に出てしまう。不倫みたいなものだ。
「・・・?」
慌てふためく智也の隣で暗闇の中、爛々と輝く梨穂子の瞳が心配そうに彼を射抜く。
あの破れたような音の出所を彼女は探し、心配しているのだ。あれがこのホームレス秘密基地の損壊音なのか、それともこの狭さで智也の着ている服がどこか破れでもしたのではないかと心配しているのだ。
昨今の女子にしては珍しく「裁縫道具を持ち歩く」という稀有な少女―桜井 梨穂子。
迫る。
智也に。その彼の背後にあるなんとも迷惑なシロモノに。
これほど梨穂子の純真無垢な瞳に智也が怖気づいたのはこの時を置いて他にない。
―・・・助けてください。
助けてください!!!
彼の人生でここまで強く他人に助けを請うのもまた初めてだった。これも彼なりの成長か。
ルートK
「・・・!・・・♪」
肩までのくるくる癖っ毛の少女が手元の白い小さな紙を思い切ってパッと開くと同時、パッと満面の笑みを浮かべて振り返り、彼女の背後に立っていた長身の少年に自慢げに広げて見せた。
そこには「大吉」の文字。
そして同封されている小さな金の招き猫のキーホルダーを得意げに少年―国枝 直衛に晒したのち、「大吉」の少女―棚町 薫は嬉しそうに財布の中に招き猫をしまう。
「~~♪」
何とも新年早々幸先のいいおみくじの結果に心底ご満悦の薫はおみくじの内容―特に「金運」あたりを食い入るように見始める。
―・・・。
現在の角度からは彼女の瞳は直衛から死角になっている。が、確実に彼女の瞳の中が「¥」になっているであろうことが見ずとも長い付き合いの彼には瞬時に分った。
彼女のらしさにやれやれと首を振りながらスカしていた彼であるが―
――!!!??
薫と違って何の感慨もなく開いた彼のおみくじの内容に戦慄する。
・・「大凶」。
本当に存在したのか、都市伝説ではないのかと思っていたおみくじの最低地位の運勢が今直衛の目の前で現実に存在している。
「・・・!」
奇しくも今年彼は高校三年生だ。あ~~あ、あ、あ。高校三年生~♪
そんな大事な勝負の年に新年早々こんな仕打ちがあっていいのか。おまけにご丁寧に「学門」の運勢欄に「妥協は大事」「目標は分相応に」とか余計なお世話な事が書いていやがった。そんなあんまりな結果のおみくじに愕然とする直衛の手元からするりとおみくじが取り上げられる。
下手人は当然薫だ。
「・・・?・・・!~~~~っ」
ほぼタイムラグなく薫の口がフルフルと歪みはじめ、目もぐにゃりと綺麗なバナナか、柿の種みたいな「逆U字」に代わる。
・・笑っちゃダメ→・・笑っちゃダメ→でも・・コレ無理だって!!という最早様式美を感じるほどの表情ローテンションを経て薫は―
「ぷっ・・・!!!あっはははははははは!!!」
盛大に吹き出し、バンバンと隣でしかめっ面の直衛の背中を彼が呼吸困難を引き起こすレベルの強さで叩いた。
帰り道―
「♪」
「・・・」
終始ご満悦の表情で歩く薫の隣で彼女が引いた「大吉」のおみくじの文面を見ながら憮然と直衛は歩いていた。・・金運はこの際どうでもいい、彼にとって納得いかないのは何よりも彼女の「学門」の運勢の文面だ。
学問:今までの積み重ね、努力が実る年。今まで苦手だった教科、科目が嘘のように得意科目となり貴方の心強い武器になってくれるでしょう。
―・・・。
あまりにも棚町 薫という少女にかけ離れた文面に直衛は流石に怒りを禁じえない。
・・「積み重ね」ぇ?「努力が実る年」ぃ?ざっけんなや!下手すりゃコイツ推薦ぞ!完全な「ぽっと出」やぞ!むしろ俺が引くべきちゃうんかい、このおみくじ!!・・と関西弁で突っ込みたくなる直衛であった。
「・・・」
そんな理不尽すぎる結果を前に必死で自分を抑えながら直衛は薫におみくじを返す。隣でご満悦の薫にこんな文句を言っても仕方あるまい。むしろこれもまた理不尽、八つ当たりもいいとこだ。
そんな感じで必死で平静を装う直衛の横顔を見て薫は少し薄く笑い、いきなり直衛の左のポケットに手を突っ込む。
「!・・・?」
怪訝な顔をする直衛のポケットから薫が取り出したのは先ほどの直衛の「大凶」のおみくじだった。
改めて見直しても笑いが込み上げてくる。それ程散々な内容にくすくすと笑いを堪えながら薫は徐にその直衛の「大凶」のおみくじと自分の「大吉」のおみくじをぺたりとドッキングさせ、くるくる巻いた。
「~~♪」
「・・・?」
薫の意図が直衛にはわからない。薫は目線だけ明後日の方向を見つつ、何か「ふん、ふん、ふん、ふん。ふん・・」と、いつも整えられた綺麗な指先で指折り何かを数えたのち、今度は嬉しそうに直衛を見てこう言った。
「確か大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶に大凶の順なはずだから・・ならえ~~っと・・うん!!私の『大吉』とアンタの『大凶』を足せば・・あ~ら不思議。真ん中の『小吉』になっちゃった♪」
「え・・。いいのかよ。お前・・折角の大吉なのに」
「いいのっ」
薫は重ねて巻いたおみくじ二つを持って駆け出し、そして境内にびっしりと無数に結びつけられたおみくじの隙間を探して「ここらへんかな~♪」と言いながら楽しそうに結び付け、最後に彼女にしては珍しくすこし神妙そうな笑顔を浮かべながら瞳を閉じ、手を合わせる。そして隣の直衛にその姿勢のままこう言った。
「・・私は去年散々アンタに迷惑かけた、で・・・」
「?」
「・・・同時散々幸せにしてもらった。だからいいの。今年は私がアンタに幸せのお裾分け」
「・・・薫」
「くすっ・・い~い直衛?耳のどっかをかっぽじるのよ」
「・・・」
「元々アンタは『神頼み』なんてしないでしょーがっ?運気なんて小吉もあれば十分でしょ?・・らしくない事してないでいつも通り精々頑張んなさいよ。それが・・アンタでしょ?」
薫は直衛に向き直り、とん、と拳で軽く直衛の胸を殴ってにんまりと微笑んだ。
「・・・。お前ってさ・・」
「ん?」
「・・案外いい女だな」
「今頃気付いたの~~?ふふっ・・帰ろ?・・直衛」
―・・「幸せにしてやりたい女の子」ってのは・・まさしくこんな女の子のことを言うんだろうな。
直衛は楽しそうな薫に手を引かれながら珍しく、本当に優しく笑った。
ルートT 了章 おいで。「ここ」へ
「・・寒くない?」
「大丈夫よ。へーき」
吉備東神社の裏手社の軒下―
彼女―絢辻 詞が大好きなこの場所のいつもの特等席に彼女は今日も座り、未だ新年の参拝客の多い表の通りの喧騒もどこ吹く風、静かな夜を過ごしていた。
風でざわめく竹林の合間から覗く冬の夜空の満天の星を見上げ、黒い水晶の様な瞳に映しとるように絢辻は目を閉じた。そして今度は傍らで一緒に星を見上げている少年―源 有人の姿を憂いの籠った瞳で見つめる。彼の傍らには松葉杖が二つ立てかけている。
「・・大丈夫?・・源君。まだ無理しないようにお医者さんに言われているんでしょ?」
「ん~ん。だいじょぶ。それよりごめんね」
「・・?何が?」
「俺の退院の関係でこんなに初詣に来るのが遅れちゃって。新年気分・・もうだいぶ薄れちゃってるでしょ?」
「・・なんだ。そんなこと気にしなくていいのに。それよりも私は無理をしている貴方の体の方が心配だわ。ここまで来る階段なんてハラハラしちゃったし」
「あは。心配させてゴメン。でも少しは動いた方が絶対回復も早いしね」
―・・何よりも俺の気が楽。
俺が動けない間に君が、絢辻さんが居なくなっちゃう気がして。
12月27日以降―
「あの男」は絢辻の下を去った。そしてどうやら絢辻の転校、転居、吉備東を出る話も同時に立ち消えとなったらしい。これまで通り絢辻が吉備東高校に通えることを「あの男」に話を通してくれた中多 紗江の父親―中多 左京が確約してくれた。
流石にこの件に関してはまだ未成年である二人にはどうしようもない事だった。そのある意味一番の問題ごとを見事に解消してくれた彼には感謝の言葉もない。・・「あの男」と何を話したのかは頑なに話してはくれなかったが。
「君たちが気にすることではない」
と笑い、彼は去っていった。柔らかくも押隠したわずかな怒りの焔を消し切れない笑顔だった。
とにもかくにも事態は収まった。
でも、あの日以降―毎日有人は絢辻のマンションに病院から電話を掛け続けた。絢辻が居なくなっていないか不安で仕方なかったからだ。新年明けてすぐに退院して以降はお互いに出来るだけ会うようにしていた。
でもやはり絢辻は彼女の言う「あの子」を見失ったままだ。「表向き」は問題ないとはいえ学校が始まれば「何らかの支障」が出てくるのは確実。そして絢辻自身も少なからず不安を覚えていることもまた確かだろう。何せ「あの子」の居ない時間は当然ながら彼女の人生には無かったのだから。
「・・・」
無言のまま有人は彼女の整った横顔を横目で見やる。
彼女が「あの子」を見失ってからはや二週間。一見問題なく元気そうだが気丈に振舞っているのは明らかだった。そもそも彼女自身が見栄、虚栄心、言い換えるなら「あの子」の「強がり」そのものでもあるのだから。
「頑張るな」と言っても頑張ってしまう子だ。かと言って逆に「頑張れ」もまた今の彼女には危険な言葉である。
これはまさしく綱渡り。それも目隠し状態の。ここからは有人は何もかも手探り状態だ。
でも幸いなことに彼と彼女が過ごしてきた時間は短い。二人の距離が開けば、会える時間が無ければ失われるのも早かったろうが、幸いなことにそれを動けない有人の代わりに彼の仲間皆が防ぎ、二人を繋ぎ止めてくれた。
その短い時間の記憶―だが大切な記憶を未だ鮮明に有人は覚えている。そしてきっと絢辻自身も。・・当然「あの子」も
それを踏まえてまず有人にできることは二人で一緒に記憶を辿って、一緒にいろんな場所で色んな事をしたことを思い出して、話して、そしてこれから先また違う場所に一緒に行って違うことをして・・どんどん新しい記憶を積み重ねて彼女の心を揺り動かし続ける。
未来と過去と今、すべてを賭けて。ただ心を通わすのだ。愚直なほどに。
そうしたらきっと眠っている「あの子」は茶々入れずにはいられないはずだ、と有人は考える。元々何とも趣味の良い性格だし、茶目っ気もある。そして案外好奇心も旺盛。きっとひょっこり顔を出す。あの強気な顔をして腕を組んだり、腰に手を当て―
―へらへらしてんじゃないわよ。
とか言いながら。
悪戯な視線で、生粋の毒舌家で、時にちょっと・・いや、かなり暴力的で。の、わりに変なところ妙に繊細で、義理堅くて人情脆くて。
そんな絢辻 詞という少女が有人に残した記憶―その欠片を拾って今はつなぎ合わせていく。
その第一歩、その一片がこの場所だ。吉備東神社の裏庭。言わずもがな絢辻が大好きな場所だ。二人以外に言わせれば風景自体は少し物悲しい光景かもしれない。が、この二人にとってはとても人間臭い、何とも喜怒哀楽全てがあふれた場所である。
現在、吉備東高校は冬期休暇中だ。入校することはできても普段と違い、静か過ぎる。結果、彼女と一緒に最初に行くべき場所はここ以外有人には思いつかなかった。
しかし―
この場所においても現状―今の絢辻には大きな変化が一見見受けられないように有人には見えた。楽しそうではある。が、やはり少し物悲しく、消え入りそうな儚さが見受けられる。
―・・・。ま。そんなに簡単な事じゃないよね。
期待はしていた。でも同時そんなに甘くないとも思っていた。・・この程度でへこたれてはいられない。有人の表情には少し残念さが滲みながらもいつもの様に柔らかく絢辻に向かって微笑みつつ立ち上がり、隣に立てかけていた松葉杖を手に取る。
「・・もう、行くの?」
「ううん。すこし体冷えてきたからウォーミングアップしとくよ。・・でももしウォーミングアップで俺が燃え尽きて倒れたら絢辻さん・・介抱お願い」
「了解しました。でも何すれば?流石に私じゃ源君背負って帰るのは無理よ?」
「あっためて。人肌で。多分飛び起きる。骨折箇所もつながるかも」
「バカ!」
―・・・。
絢辻は軒下に座り、そして瞳を閉じて語り掛ける。胸に手を置いて。・・彼女の心に。
―・・眠ってる。
あの日病院の屋上で有人と話して以来、絢辻は自分の中にはっきりと「あの子」が居ることが自覚できた。ひょっとしたら有人の語り掛けによってまた「あの子」が「生まれた」と言っても良いのかもしれない。「あの子」がかつて自分を生んだように。
でも生まれたばかりなのに「あの子」はとっても疲れている。沢山頑張ってきた、悲しい思いも辛い思いもしてきた。傷ついたり、失望したりもした。その疲れは恐らく眠るだけでは癒されないものなのだろう。
―でも・・今は眠って?そのままでいいから。・・私とあなたは繋がっているんだから。今の私の瞳に映ったもの、感じたものは全て貴方のものでもある。
思い出して。
懐かしんで。
そしていつか一緒にまた歩こう?過去を見るだけじゃなく今も、そして・・明日も。
ひょっとしたらずっとこのままかもしれない、眠ったままかもしれない―そんな不安を覆い隠しながらも絢辻はそう祈って瞳を開く。
その時―
「・・・え・・」
開いた視線の先に在る「もの」に絢辻は瞳を見開いた。
―・・・あ。
「う~冷えるね」
有人が冷える両手に息を吹きかけながら小脇に抱えているその松葉杖の先端。そこには―
朽ち果てた、大半がすでに「あの日」炭化し、雨風、そして先日の雪にさらされ劣化、風化してほとんど原型はとどめていないものの、それは紛れもなくかつて絢辻が「自分の心」と読んでいたもの―
黒い手帳の断片が残っていた。
絢辻の視界を通して記憶が一気に繋がっていく。フラッシュバックの様に記憶が走る。
これはかつての「あの子」そのもの。あざとく、未熟で意地っ張りだった「あの子」の断片。
「・・ん?絢辻さん?」
「・・へらへらしてんじゃないわよ」
「・・・!」
ほんの僅かな瞬間だった。だが次の瞬間には―
「・・・っ?・・あ?あ、あぁ・・・」
絢辻はつい一秒前の自分の発言に信じられないような顔をし、次に困惑するような恥ずかしそうに顔を真っ赤にして目を伏せる。再び元の状態に戻ってしまった。
しかし―見た。ほんの一瞬であるが確かに有人は見た。「見たよ。確かに見たよ」と、言いたげにやや泣き笑いでぎこちなく微笑む。
「あは・・ははっ」
―見間違いなんかじゃない。やっぱり君は・・・「そこ」に居る。
今、これから彼らが歩む道が全くの暗闇、全くの手探りではなく、ほんの僅かではあるが道筋、光が差した瞬間だった。
「あ・・あはは。み、源君・・」
それを絢辻も理解しているのだろう。自分の状況に混乱、困惑しつつも嬉しそうに顔を上げた。
雲間からわずかに差し込んだ光はすぐに立ち消えた。が、分厚い雲の上に確かに光があると分かったこと―なら雲が晴れるのを待つことも出来る。いっそのこと雲を飛び越えていくことだってできる。
その先に光があると解っているのなら。人は・・進める。
有人は松葉杖を捨てた。カタコトと地面の上で乾いた軽い音を立てながら暫く鳴動し、松葉杖はすぐに動かなくなる。そしてそのまま震えながらも一歩踏み出す。痺れるような足の痛みが今は―
「~~~っ!」
何故か妙に今の有人にとって心地よかった。「前に進む」、「一人で立つ」ということは時に辛く、痛みを伴う。そして所詮一人で立てたところで今の自分が半人前であることには変わりない。それは有人も解っている。
でも、二人なら、目の前の半身を見失ったこの少女と一緒なら立派に「一人前」になって歩いて行ける―そんな根拠もない確信の下、彼はまたびりりと痛みの走る足を踏み出す。
―なんでだろう。なんか俺・・今一人で立って、一人で歩いている気がしないや。
そんな彼の心象を全て解っているかのように、まるで初めて立った子供を見守る母親の様に絢辻は微笑んでいた。
―おいで。「ここ」へ。
急がなくていいから。
今の私たちの時間はきっと溶けて、消えてなくならない。
だからおいで。「ここ」へ。・・・来て。もう一度「ここ」へ。
私を・・見つけて。
そんな少女に向かってもう一歩踏み出し、少年―源 有人もまた微笑む。
ルートT 了