眠っている光秀がコートを握っているため、魚住はそれを脱いで立ち上がった。キッチンへ移動してコーヒーを入れると石黒の元にひとつを置く。
そうして光秀のそばに座ると嘆息をひとつ漏らした。
「果糖を与えると、その機能が動き出すのか?」
「簡単に言えばそうなります。ヒューマノイド購入ユーザーの中には、それを性行為の相手とする者もいます。そこで開発されたのがラブドール機能というものです。そのネームセンスはともかく、機能そのものは画期的と好評を得ているようですよ」
「だがこいつは明紫波教授が個人的に作ったものなんだろう? なのにそんな機能が必要なのか」
ヒューマノイド研究の権威のような扱いの教授ならそれなりに老齢だったろう。そんな人が作るヒューマノイドに、俗物的な機能がつけられるのは不自然だ。そんな偏見めいた考えとともに魚住は疑念をぶつける。
すると石黒はパソコンを操作する手を止めてコーヒーを飲んだ。
「教授は彼を息子として扱おうとしていました。しかし教授のご子息は、彼に恋をしていたようです。なので機能をつけたのはご子息でしょう。そして開発サポートをしていた方は、そんなご子息に恋をしていた」
「三角関係だったのか」
「生まれたばかりの彼には関係のない世界でしたけどね。それにヒューマノイドに恋心を抱くのは、若い開発者にはよくあることです。けれど…ヒューマノイドの記憶をいじるのは、開発者のやることではありませんね。一部消去された痕跡があります」
そう言いながら画面を見つめる石黒の表情には素直に嫌悪が表れている。
「ラブドール機能は、最近のヒューマノイドのほぼすべてに搭載された機能です。ですからご子息がそれをつけるのもおかしな事ではありません。あなたが必要ないのであれば、果糖を与えるような事をしなければ良いんですから」
唐突に話題を引き戻した石黒に魚住は眉を浮かせた。
「与えるような事というのは、食生活に気を付けろと言うことか。だとしたら栄養素を知る必要が…」
「知らないんですか? 精液はほぼ果糖で構成されているんですよ」
「は?」
「性行為によってヒューマノイド内に果糖を入れる。それによってスイッチが入ります。それ以外でしたら、相当な量を与えない限り機能しません。もちろんスポーツドリンクなら数リットルは飲まないと影響は出ないはずです。ただ昨日の彼は充電が十分ではなかったためシステムエラーが起きたのだと考えられます。戦闘モードを使ったそうなので」
石黒の淡々とした説明を聞いた魚住は強い疲労感を覚えてうなだれた。ネームセンスの悪い機能はともかくとして、確かに昨日の光秀は戦闘を行っている。
三人の男を簡単に制圧した上でハンカチひとつで手を拘束してしまったのだ。その手際のよさには警察官である魚住も驚かされた。
「彼は前に作られたふたりと同じく人を守ることのできるヒューマノイドです。ですから魚住さんが危険な状況に陥れば、彼は迷わず助けに行くでしょう。その点に問題はありませんが、エネルギー残量には気を付けてください。通常のヒューマノイドは睡眠中に充電できますが、彼はそれでは足りません」
「その時はどうすれば良いんだ?」
「スポーツドリンクよりも高濃度の果糖を与えれば回復しますよ」
「だが、それをすると例の機能が動くよな」
「ええ、そうですね。しかしこの部屋では彼の充電ができるほどの電圧はないでしょう。だとしたら人間と同じように果糖と休眠を与えるしかありません」
「電圧か…」
そこで会話が途切れて魚住と石黒はしばし見つめあった。そのまま長い沈黙が室内を包み込んでいく。
研究員である石黒は今後も光秀のサポートをすると約束をして帰っていった。もちろんそれは何も知らない魚住には助かる話だ。
ただ帰り際に告げた石黒の言葉が引っ掛かる。
「開発のサポートをしていた男が003の記憶をいくつか削除していました。それが原因で感情プログラムがきちんと機能していないようです。しかし先程行ったアップデートに自動修復機能が含まれていますから、いずれ修復されるでしょう。その時はよろしくお願いします」
つまり一度は削除された記憶が、自動修復で回復するということなのだろう。難しい話はわからないが、魚住はそう理解した。ただそうなると、最後の一言が気になって仕方ない。
そのため玄関先であったが石黒に質問を向けた。
「よろしくというのは、具体的に何をすれば良いんだ?」
そう問いかけた魚住の目の前で真面目過ぎる研究員は表情を曇らせた。
「彼のすべてを受け入れてくれると助かります」
そう告げた石黒は頭を下げて会釈をすると帰っていく。それを見送りながら魚住は彼の言葉を頭に刻み込んだ。
すべてを受け入れる、という事がどんなことなのかは魚住にはわからない。ただ光秀の行動は、今のところどんなことも許せている。もちろん二日一緒にいるだけでは見えないこともあるだろう。
だが光秀が、受け入れがたいようなことをするとはとても思えなかった。