【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

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いよいよ765勢との再会。

物語はこの話を含み、残り四話で完結予定です。




Episode.10

 

 

 

 私が765プロに行って高木社長に共同ライブの話をしてからの三日間は、恐ろしいほどまでに時間の流れが遅く感じられた。高木社長は前向きに検討してくれるとは言ってくれたが、赤羽根プロデューサーや律子さん、765 ALL STARSの誰かがこの企画を拒否したら当然だがこの共同ライブは実現することができない。346プロの事情を聴き、自分たちにはあまりメリットがないことを分かった上で高木社長はこの企画を認めてくれたが、765プロに関わる他の人たちが皆346プロの事情を理解してくれるとも限らない。私が自ら提案したこの案は、どう考えても実現の可能性が限りなく低い企画だったのだ。

 相変わらず社内の電話は一日中鳴り響いている。日を追うごとに増えていく全国のファンたちからの問い合わせ、募っていくアイドルたちの不安、ここ数日で346プロの人間は皆疲弊しきってしまっている。後を絶たないファンからの問い合わせに対応するべく、改修工事見合わせの発表があった次の日の夕方、美城さんの提案で急遽ファンに向けたビデオメッセージを公式ホームページに掲載することが決まった。だが346プロのアイドルの中でも特に人気のある小日向美穂ちゃん、川島瑞樹さん、高垣楓さん、塩見周子ちゃん、城ヶ崎美嘉ちゃんの五人が混乱するファンたちに落ち着いて続報を待つようにと言葉をかけても、全国のファンたちの不安はとてもじゃないが払拭することはできなかった。

 そんな皆の姿を見て、私は何度も何度も口を開いてしまいそうになった。

 

 

――今、765プロとの共同ライブを企画中です。この企画が通れば765プロとの合同になりますが予定通りライブは開催できます。

 

 

 この言葉をかけてあげることができたら、皆の不安を少しは解消できるのに。

 だけど私は言えなかった。私以外に水面下で765プロとの話し合いが進んでいることを知っている人たちも誰一人として口を開かなかった。共同ライブの噂が万が一ファンたちにまで漏洩し、もしこの企画が通らなかった場合にどれだけ765プロに迷惑がかかることになるのか。765プロは346プロを助ける義理などないはずなのに、我が儘を言って助けを求めたのは私たちなのに、結果的に765プロが認めなかったから346プロはライブを行えなかったという形になってしまうことを皆分かっていたのだ。

 例え自社のアイドルたちでも社員でも、絶対にこの話は正式に決定するまでは話さない。このことは美城さんから厳しく言い渡されていた。だからこそ、私たちは混乱するアイドルたちや社員を見る度に胸が締め付けられていたのだ。

 

 

 

 結局、高木社長との話し合いの日からずっと続いていた会議も、「765プロとの共同ライブが実現しなかったら正式にライブを中止にする」という結論で幕を閉じた。

 そしてその話をプロデューサーさんから聞いた数分後、私の社用の携帯に一通のメールが届いた。差出人は高木社長、恐らく先日渡した私の名刺に書かれたメールアドレスを見て連絡したのだろう。

 

 

 

 

『予定通り、明日の夕方十六時から765プロダクションでこの前の話の続きをしよう』

 

 

 

 

 高木社長のメールを見て、私は大きく深呼吸をした。

 明日、共同ライブの開催の可否がどうであれ765プロに行けばきっと今度こそ春香ちゃんたちに会うことになるのだろう。後輩たちだけじゃない、律子さんと赤羽根プロデューサーや音無さんとも、皆に会うことになるはずだ。

 八年ぶりに私を見て皆は何と言うだろうか。何も言わずに辞めたことを怒るかもしれないし、もしかしたら私の事なんて皆忘れているかもしれない。

 

 いずれにせよ、明日には全て分かることになるのだ。

 雨が降り注ぐ中、高木社長に自ら引退を申し出たあの日から八年。いつかは訪れるであろうと予感していた再会を直前に、私の胸には様々な想いが渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とうとう訪れた日曜日の昼過ぎ。今日は仕事も日曜日だから休み、小さなワンルームマンションでソワソワと落ち着かない気持ちで朝から一杯だった私は、じっとしていられずに予定より遥かに早い時間に外へと飛び出した。

 三日前と同じ駅で電車を降りて、九月中旬になったのに関わらずに未だ夏の暑さが感じられる太陽が照らす懐かしい道をゆっくりと歩いていた。三日前は急いでいて早足でこの道を歩いていたが、今日は三日前とは対照的に十分すぎるほどに時間がある。その有り余る時間が私に色々なことを考えさせるのだ。

 季節外れのセミの虚しい鳴き声が何処からか聞こえてきて、私はその足を止めた。幾つもの大きな木が並んだこの並木道、私の目に飛び込んできたのは八年前に私が着ていた制服と同じものを着た五人組の高校生たち。どうやら部活の帰りらしく、私の方へと向かってくる五人の高校生たちは学校指定のバックではなく荷物で一杯になったスポーツバックを肩から下げていた。

 

 

 

 

「ねぇ、このあと新宿行こうよ」

 

「えー、今月小遣いが結構ピンチなんだけどなー。ま、いっか」

 

「新宿行くなら原宿の方がよくない?」

 

「原宿だと行くまでに時間かかるじゃん。私、明日提出の数学の課題もあるし、今日は早めに帰りたいんだよね」

 

「数学の課題って明日までだっけ!? やばっ、アタシ全然やってないし……」

 

 

 

 

 五人の高校生たちは仲が良さそうにワイワイと話をしながら歩いてくる。そんな高校生たちを見て、私にもこんな頃があったなー、なんて振り返ってしまい思わず微笑ましい気持ちになってしまった。

 季節外れのセミの鳴き声が途切れたかと思うと、暫くしてセミが羽ばたいていく弱々しい音が聞こえてきた。そのセミが羽ばたく音が次第に遠のいていくのと同時に、私はゆっくりと時間を遡る。そしてセミの羽ばたく音が完全に聞こえなくなってきた頃、八年前に私がこの道を歩いて、見て、感じていた情景が私の頭の中にフラッシュバックしてきたのだ。

 

 

 

 

“姉さん、このあと皆でゲームセンター行きませんか!?”

 

“ま、真ちゃんが行くなら私も行きたいですぅ”

 

“良いね、皆で行こうよ! 私、せっかくだしプリクラとか撮りたいなぁ!”

 

“は、はるか!? 私、あんまりプリクラとかは……”

 

“良いじゃない、千早ちゃん。皆で撮りましょ?”

 

 

 

 

 私の横を通り過ぎて行った五人組の高校生たちが八年前の私と重なって見えて、私は思わず二度と帰って来ない青春時代を思い出してしまった。

 この道を歩いた時のことを、私はアイドルになる夢を諦め八年の月日が流れた今でも鮮明に覚えている。思えばあの頃はこの並木道をほぼ毎日誰かしらと歩いていた気がする。平日の放課後に765プロで皆と一緒にレッスンを受けた後の街灯が照らす帰り道、朝から夕方までレッスンを受けたり時には小さなお仕事をした後に通った夕暮れ時の道――……。私にとってかけがえのない大切な時間だった。

 響ちゃんが飼っている動物たちの話、亜美ちゃんと真美ちゃんが通っている学校で起きた面白い話、貴音さんが私と二人だけの時にしてくれた色々と深く考えさせられる話――……。この並木道で誰とどのような話をして歩いたか、八年が経った今でも私は何一つ欠けることなく覚えていた。

 学業とアイドル活動の両立は大変だったが、私はそんな多忙な日々に充実感を感じて幸せに過ごせていた。大好きな後輩たちや高木社長や律子さんのような優しい大人に囲まれて、私の夢に向かって真っすぐに駆け抜けた私の青春時代。何事にも永遠というものはないということくらい当時の私でも理解してはいたが、それでもこんな幸せな時間がずっと続けば良いのに、といつもこの並木道を歩き終え誰かと別れて独りで電車に揺られながら帰る時にそんなことを考えていた。いずれこの夢のような時間も終わりを迎えるのだと、その現実はあの頃の私でも分かっていたはずだった。

 だが私はあの幸せな日々が終わってしまった今でも、時々昔を思い出してはこう思ってしまう。

 

 

 

 

――やっぱりあの頃に戻りたいなぁ。

 

 

 

 

 そんなことができないことくらい、私は分かっていたはずだった。

 時間というものは誰にでも平等に与えられたもので、どれだけ大金を払ってもどれだけ渇望しても、過ぎ去ってしまった時間には戻ることができない。だからそんな変えることの出来ない過去の時間に浸って現実から逃げるより、これから私に訪れる時間を如何にして素晴らしい時間にするかを考える方がよっぽど良いことだって、頭では分かっている。

 そもそも、そんな幸せな時間に終止符を打ったのは私なのに。誰かから辞めろと言われたわけでもなく、私が一人で考えて決めたことなのに。私自らの意志でこの幸せな時間から身を引いたのに、八年経った今でもその時間を渇望するなんて考えてみれば可笑しな話である。

 だけど、頭ではそう分かっていても、私はこの過去の時間への未練を未だに断ち切れずにいた。

 

 

 どんなに願ったって、過去の時間は戻らない。その揺るぎない事実を、八年前とは違って独りでこの並木道に立ち尽くす夢を諦めた私は嫌というほど痛感させられたのだった。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

「ちひろちゃん、久しぶりね! 社長から聞いてはいたけど、見間違えるような美人さんになってビックリしちゃった」

 

「そんな……。音無さんも相変わらず元気そうで安心しました」

 

 

 

 

 少しだけ予定よりも早い時間に765プロに着いた私を出迎えてくれたのは事務員の音無さんだった。今日は日曜日、本来なら仕事も休みのはずだが私が来ることを高木社長から聞いてわざわざ出社してくれたらしい。

 音無さんは八年前の記憶の姿とは少し変わっていた。ショートカットだった髪は腰の辺りまで伸びており、印象的だったカチューシャも今は外してしまっている。そのせいか、765プロに到着して音無さんを見た時は誰だか全く分からなかった。

 

 

 

 

「社長はもうすぐ帰ってくるから、ちょっと待っててね」

 

 

 

 

 パネルパーテーションで区切られた小さな応接間に案内され、私は静かにソファへと腰を下ろした。辺りをぐるっと見渡してみても、どうやら今は音無さんしか事務所にはいないようだ。てっきりもう皆が事務所内にいることを想像していた私にとって、これは予想外だった。今から八年ぶりに会うのだと、ようやく覚悟を決めてやってきたのに肝心の後輩たちは誰一人事務所内にいなかったのだから。

 キョロキョロと辺りを見渡していた私の気持ちに気付いたのか、給湯室から二つに湯呑をトレイに乗せてきた音無さんが応接間に入ってくると私の前に一つの湯呑をそっと置いてくれた。

 

 

 

「皆は今『生っすか!?レボリューション』の収録に行ってるわ。そろそろ帰ってくる頃だと思うけど」

 

「あ、なるほど……」

 

 

 

 

 そういえば毎週日曜日に『生っすか!?レボリューション』という生放送番組に765 ALL STARSのメンバーが総出演していたことを思い出した。一度は番組終了を迎えたものの、視聴者の熱い要望によって再び復活したこの番組はもうかれこれ九年ほど続く長寿番組になっている。今となっては日曜日の午後と言ったらこの番組を思い出すほどに、765 ALL STARSの知名度が上がるのと比例して人気番組へと成長したのだ。

 ちょうどそのタイミングで鈍い音を立てて事務所のドアが開かれた。ドキッとした私は思わず両手で握っていた湯呑を机の上に戻してしまう。胸の鼓動が一気に加速して行く中、恐る恐る入口の方を覗いてみるとドアの前にいたのは高木社長と眼鏡をかけた一人の男性――……、美希ちゃんが恋心を抱いていた赤羽根プロデューサーだろうか。思わずホッとしてしまう、どうやら春香ちゃんたちではなかったようだ。

 

 

 

 

「社長、ちひろちゃん待ってますよ」

 

「おお、千川君か。お待たせしたようで申し訳ない」

 

 

 

 

 音無さんに急かされるようにして、高木社長と赤羽根プロデューサーは応接間へと入ってきた。立ち上がった軽く一礼した私に高木社長は座るように促すと、二人は私の向かい側のソファへと腰を下ろす。音無さんは高木社長たちが腰を下ろしたのを確認すると、そっと静かに応接間を後にした。

 一度だけ、高木社長がわざとらしく大きな咳払いをする。

 

 

 

 

「ゴホンっ、彼女が先日話した346プロダクション、シンデレラプロジェクトのアシスタントをしている千川ちひろ君だ」

 

 

 

 

 高木社長の説明を受けて、隣に座っていた赤羽根プロデューサーは私に向かってニコリと笑って頭を下げる。私も慌てて頭を下げると、すぐにポケットから名刺を取り出して赤羽根プロデューサーに向かって差し出した。

 

 

 

 

「千川ちひろと申します。よろしくお願いいたします」

 

「はじめまして……、かな。改めまして、765 ALL STARSのプロデューサーをやっている赤羽根と申します」

 

 

 

 

 そう言われ、私たちは名刺を交換した。

 赤羽根プロデューサーは律子さんと二人で765 ALL STARSのプロデューサーをやっている。私がアイドルを辞める直前に765プロにやってきて、当時の私のプロデューサーは律子さんだったから赤羽根プロデューサーとは直接の認識はなかった。もっとも、美希ちゃんから赤羽根プロデューサーに関する話は何度も聞かされていたからある程度の話はしっていたけれども。

 赤羽根プロデューサーは私の名刺を静かに机の上に置くと、屈託のない笑顔で私を見つめる。

 

 

 

 

「昔、律子が担当してた子だよね? 春香たちが今でもよく千川さんの話をしてくれたから、色々と聞いてはいたよ」

 

「えっ? 私の話ですか?」

 

「そう。皆言ってたよ、誰よりも優しくて私たちを可愛がってくれた優しい先輩がいたって。今でも皆凄く会いたがっていたから、今日はみんなすごく喜ぶと思う」

 

 

 

 

 そう言って赤羽根プロデューサーは笑って見せる。眼鏡の奥にある瞳は優しくて真っ直ぐで、人のよさそうな表情をしている暖かな雰囲気を持った人――……、そんな第一印象を私は抱いていた。どうやらその第一印象通りだったようだ。赤羽根プロデューサーの話を聞いて少し小恥ずかしくなってしまい、私は音無さんが持ってきてくれた湯呑を口元へと運んだ。

 嬉しかった、春香ちゃんたちが今でも私の事を覚えていてくれて。皆私の事を忘れていたらどうしようと、ここに来るまでに何度も何度もそんなことを考えては不安になっていたのだから。そのことだけで、私は思わず目頭が熱くなってしまった。

 そのタイミングで音無さんが新たに二人分の湯呑を持ってきて、静かに私たちに挟まれた机の上へと置いた。私の様子をまるで父親のように温かく見つめていた高木社長は、音無さんが置いた湯呑を一度だけ口に付けると、再びわざとらしく咳払いをする。どうやら今から本題に入るようだ。

 私は高木社長の咳払いで再び背筋を伸ばすと、ジッと高木社長を見つめた。三日前に高木社長にお願いをした共同ライブの話、346プロのアイドル部門設立五周年記念ライブの開催可否が今高木社長の口から決められようとしているのだ。

 極度の緊張感がパネルパーテーションで作られた狭い応接間に漂う。高校受験時の合格発表を見に行った時と同じような――……、いやあの時よりもはるかに何倍も緊張している。背中が熱くなって、ヒンヤリとした冷たい汗が伝っていく気がした。

 

 

 

 

「では、本題に入ろう。先日千川君が提案した共同ライブの件だが……」

 

「はい」

 

「満場一致で開催することが決まった。是非良いステージにしようじゃないか」

 

 

 

 

 高木社長の言葉があまりにもあっさり過ぎて、私は唾を飲み込む時間すらなかった。思わず呆気に取られてしまう。喜ぶべきはずなのに、あまりも高木社長の言葉が簡潔すぎてどうこの喜びを表現すればいいのか分からなかったのだ。

 

 

 

 

「ん? あ、え……? 今、開催することが決まったって仰いました?」

 

「私はそう言ったつもりだが……。もしかしてそう聞こえなかったかね?」

 

 

 

 

 そう言われ、ようやく実感が沸いてきた。

 これで765プロと合同でライブを行うことができる。当初の予定通りの日程で場所も東京ドームだから東京グリーンアリーナからもそう離れていない。開催が危ぶまれた絶望的な状況からは考えられないような、あまりにも理想的な代理案だった。

 ほぼゼロに近い成功率だったこの案が、奇跡的に通って全てが上手く行く形で正式に決まった。高木社長に赤羽根プロデューサー、そして律子さんと765 ALL STARSの皆の協力のお陰で346プロは無事にライブを行えるのだ。アイドルを辞めて八年、突然ふらっと現れてはこんな我が儘なお願いをして、普通なら怒られても仕方がなかったのに――……。それでも765プロにとってメリットが少ないこの馬鹿げた案を、皆は真剣に検討して受け入れてくれたのだ。

 その765プロの皆の優しさを想うと、胸が熱くなってしまう。

 

 

 

 

「本当にありがとうございます! こんな我が儘な話を聞いてくれて……」

 

 

 

 

 気が付けば私はソファから腰を上げ、何度も何度も二人に向かって頭を下げていた。こんな形でしか今の私の感謝の気持ちは伝えれなくて、私は何度も頭を下げることしかできなかった。そんな私を見て高木社長と赤羽根プロデューサーは苦笑いをしている。

 

 

 

 

「……これは全部君のおかげだよ。私たちは何もしていない」

 

「え?」

 

 

 

 

 高木社長の言葉の意味が分からず、私は頭を下げるのを思わず止めて聞き返した。高木社長は何も言わずに、手で私に「とりあえず座りなさい」とメッセージを送っている。訳が分からないまま、私は高木社長の指示通りソファへと腰を下ろした。

 私が座ったのを確認して、赤羽根プロデューサーがニッコリと笑って口を開く。

 

 

 

 

「実は高木社長と僕と律子以外、千川さんがこの提案をしたことは知らないんだ」

 

「え? じゃあ春香ちゃんたちは私が此処に来たことも知らなかったんですか?」

 

「まぁ、そうなるかな」

 

 

 

 

 それから赤羽根プロデューサーはどういった経緯で共同ライブが開催されることになったのかを話してくれた。

 まず三日前、私が帰った後に高木社長は赤羽根プロデューサーと律子さんを呼んでこの共同ライブの話をした。私が朝一に765プロへやってきてどういった事情があって346プロと765プロの共同ライブの話を提案したか、それを全て話したらしい。そこで三人はとりあえず今の段階では何も決めず、765 ALL STARSの皆の意見を聞いてみることにした。

 その後、全員が揃ったところで赤羽根プロデューサーと律子さんが共同ライブの話を全員に相談したのだ。東京グリーンアリーナが改修工事中に事故が起こって346プロが予定していたライブが行えなくなってしまったこと、だからその代わりとして765プロと合同で東京ドームで合同ライブを行いたいと申し出てきていること、更にこの共同ライブがもし行われたら自分たちは結果的にライバル社を助けることになるということまで話したらしい。

 その際に私の名前を出さないで話をしようと提案したのは律子さんだった。私の名前が出ればどうしても皆の判断には情が入ってしまう。私が関わっていることを話さない上で皆がどのような判断をするかに任せてみることにしたのだ。

 

 だが皆の意見がまとまるのに時間はかからなかったらしい。満場一致で開催すると、その意見に誰一人異議を唱える者はなくまとまったのだ。

 

 

 

 

「みんな言ってたんだ、『346プロの子たちが困ってるなら力になりたい』って。誰一人として346プロのアイドルたちと関わりがある子はいなかったんだけどな」

 

「勿論、あの子たちは誰一人として千川君が346プロで働いていることを知らない。でも、あの子らは皆346プロに協力することに前向きだったんだ」

 

 

 

 

 そこまで説明して、高木社長は赤羽根プロデューサーと一度顔を見合わせる。そして私の方を見ると、何度も私に見せてくれた暖かな笑顔で私の眼を真っすぐに見つめた。

 

 

 

 

「八年前の千川君と同じだよ。自分のことよりも困っている人を助けたい、誰かを幸せにしたい、そんな誰よりも人の為に行動していた千川君の優しさがあの子たちにも伝わっていたんだと思う」

 

「俺は当時の千川さんとはあまり関わってなかったから八年前の事は分からないけど……」

 

 

 

 

 そこで一度区切ると、赤羽根プロデューサーは身体を捻って壁にかけられている額に入った何枚もの賞状へと視線を移した。それは私がいた頃には見たことがなかった賞状たち。きっと765 ALL STARSの皆が勝ち取ったものだと思う。

 

 

 

 

「アイドルの世界って本当に厳しくて、正直あの子たちがデビューから八年が経った今でもブレイクできてることが信じられないくらいなんだ。あの子たちより才能がある子は沢山いるし、歌が上手い子たちだって沢山見てきたから」

 

 

 

 

 私は何も言わずに赤羽根プロデューサーの話を聞いていた。赤羽根プロデューサーは名残惜しそうに額に入った賞状たちから視線を話すと、再び私の正面へと身体を向ける。

 

 

 

 

「でも共同ライブをしたいって言った皆の姿を見て思ったよ。きっとこうやって自分たちのことより人の為に動けるから、沢山の人たちに愛されることができたんだなって。これが765 ALL STARSの魅力なんだなってさ」

 

「その魅力をあの子らに与えたのは紛れもなく八年前の千川君だと、私は思っている。千川君がいなかったら今の765 ALL STARSは絶対に有り得なかったのだから。本当に心から感謝している、ありがとう」

 

 

 

 

 高木社長の言葉に胸が熱くなってしまった。それと同時に私の目頭も熱くなってしまう。

 こんなことを言ってもらえるとは思っていなくて、私は口元を両手で覆ってしまった。二人が思っているほど、私はそんな大層なことは何もしていないのに。ただ単純に765プロの優しい皆が好きで、そんな皆の力になりたいと思って動いていただけなのに。

 私は沢山の人にお世話になって支えられていたのに何も告げずにアイドルサバイバルから逃げ出した。戦うことすらしないで、「私には実力がなかった」なんて言い訳をして、765プロを出て行った。そんな無責任な行動をして、夢から逃げ出したのは私のはずなのに。

 それでもそんな私に高木社長と赤羽根プロデューサーはこんなに優しい言葉をかけてくれた。思わず涙が出そうになってしまって、私は強引に鼻を啜った。今すぐにでも壊れそうな涙の堰を、どうにかして私は壊れないように支えていた。

 

 その時だった。事務所の中に突然ドアノブを捻るガチャガチャという音が鳴り響いたのだ。その音に反応して、私の心臓が大きな音をたてて動き始める。

 誰かが帰ってきたようだ。閉まりの悪いドアに苦戦しているようで、ドアノブが捻る音は何度も何度も事務所内にこだましている。その音が私の耳に届くたびに、私の胸がざわついた。遂にこの時がきたのだと、そう思うとここに来る前に固めたはずの覚悟があっという間に崩れ去って行くのを感じた。何度も何度も私なりの覚悟を決めてここに来たはずなのに、その覚悟もドアノブを捻る音を聞いただけで跡形もなく消え去ってしまったのだ。

 だがそんな弱々しい覚悟が消え去ったからと言ってどうにかなるわけでもない。ここにきた以上、逃げ場などないのだから。私は高木社長と赤羽根プロデューサーに気付かれないようにそっと目を閉じて深呼吸をする。そして、大きく息を吐いた。

 

 

 

 

「たっだいまー!」

 

 

 

 

 私が大きく息を吐いたのと同時に、ドアノブが開いた。ドアノブを捻る音の後に事務所に響いたのは響ちゃんの元気な声。テレビ越しでもラジオ越しでもなく、八年ぶりに生で聞いた響ちゃんの声だった。

 向かいのソファに座っていた二人が立ち上がり、応接間から出て響ちゃんを迎えた。二人が出た後に、私も二人に付いてくるようにして応接間を後にする。響ちゃんは最後に出てきた私を見て、驚いたように目を見開くと眉を八の字にして困ったように苦笑いをした。

 

 

 

「あ、お客さんが来てたのか……。って、アレ……?」

 

 

 

 

 響ちゃんは大きく見開いていた目を、今度は極限まで細める。私はその視線にどう返せば良いのか分からず、ただ静かに笑いかけただけだった。

 だがそれだけで響ちゃんは気付いたようだ。再び大きく目を見開くと、慌てて私に踵を返したかと思いきや、そのまま走って事務所から出て行ってしまった。

 

 

 

 

「ちひろさんだ! ちひろさんが戻ってきた!」

 

 

 

 

 物凄いスピードで去っていた後、開けられたままの事務所のドアの先から響ちゃんの叫び声が聞こえてくる。響ちゃんの声の後には、狭い階段に響く十一人の騒然とした声。そしてバタバタと慌ただしく聞こえてくる皆の足音。十一人の大きな足跡が徐々に私の耳に近付いてきた。

 開いたままになっていたドアの先に一番に現れたのは真ちゃんだった。全速力で階段を駆け上がってきたようで、事務所のドアの前に立ち肩で息をしながらじっと私の方を見つめている。

 

 

 

 

「姉さん……。姉さん!」

 

 

 

 

 真ちゃんはからっていた鞄を投げ捨てるようにして事務所の床に落とすと、そのまま走って私の胸へと飛び込んできた。真ちゃんを受け止めた私の肩に、冷たいひんやりとした感触が伝ってくる。それが真ちゃんの涙だということに私はすぐに気が付くことが出来た。

 八年前と何も変わっていなかった。男女問わず幅広い年齢層から人気のある真ちゃんは、『王子様系美少女』なんて世間から言われてはいるが、その中身は八年前と変わらず人一倍繊細で傷付きやすい、か弱い女の子のままだったのだ。

 

 

 

 

「どうして何も言わないで辞めちゃったんだよ! 残されたボクたちがどれだけ寂しい想いをしたか……」

 

「……真ちゃん、ごめんね。本当にごめんなさい」

 

 

 

 

 今の私にはこう言うことしかできなかった。

 真ちゃんは私の腕に抱かれたまま、力なく右手を丸めて作った拳で私の肩を何度も力なく叩いている。そんな真ちゃんを見て、何度も鼻の奥は熱くなって、私は無理矢理鼻を啜って涙を堪えた。私の肩に真ちゃんの涙が伝う度に、何度も涙が零れ落ちそうになる。だから私は必死に鼻を啜っては、涙が零れ落ちないように天井を見上げた。

 皆の前では絶対に泣いちゃいけない。私に泣く資格なんてないのだから。これは此処に来る前に私が決めたことだった。こんなにも私を慕ってくれる可愛い後輩たちがいてくれて、私の事を応援してくれるファンの人たちもいて、私は沢山の人に支えられていたはずなのに、私は高木社長にしか告げずに逃げるようにしてアイドルを辞めて夢を諦めた。こんな無責任なことをして許されるはずがないのだ。

 でも泣いてしまえばそんな無責任なことも許されてしまいそうな気がした。だから絶対に皆の前では涙は流さない。そう誓って、私は765プロに来たのだから。

 

 

 

 

「ちひろさん――……っ!」

 

「ホントだ、ちひろさんだ! ちひろさんが帰ってきたんだ!」

 

「ちひろさ~ん、ホントに会いたかったですぅ~!」

 

 

 

 

 真ちゃんの後に続くようにして、次々と私の大切な後輩たちが私に駆け寄ってくる。雪歩ちゃんと春香ちゃん、美希ちゃんに響ちゃんと亜美ちゃんと真美ちゃんは真ちゃんと同じように私の傍まで駆け寄ってきてくれて私の顔を見るなり声を上げて泣いている。その光景を少し離れたところから貴音さん、千早ちゃん、あずささん、やよいちゃんと伊織ちゃんが涙を堪えて見守ってくれていた。

 大好きなこの場所で大好きな仲間たちに囲まれて過ごす時間――……。それは私がアイドルになる夢を諦めたあの日からの八年間で何度も何度も夢にまで見た光景だった。もう二度と帰っては来ない日常なのだと分かってはいながらも、それでもその理屈に納得することができずに私はいつも765プロのことを思い出す度に渇望していた。

 

 

――もし、もう一度だけあの頃に戻れるのならば、私は何だってするだろう。

 

 

 そんなことを考えたことだってあった。

 だが今こうして八年ぶりに皆と再会して、私は改めてこの時間はもう二度と戻っては来ない時間なのだと痛感させられた。八年ぶりに会った私をこうして歓迎してくれる皆を見て、嫌というほど八年という月日の重さを私は感じたのだ。

 やよいちゃんは幼かった記憶の中の姿とは変わり果てて、今では立派なお姉さんになっている。性格も顔もそっくりだった双子の亜美ちゃんと真美ちゃん、亜美ちゃんは身長が伸びて表情も別人のように大人びている一方で、真美ちゃんは八年目からあまり身長は変わっておらず表情もあの頃の子供っぽさを残したままだ。伊織ちゃんに関しては貴音さんと並ぶほどまでに身長が伸びていて、真っすぐに伸びた綺麗な脚が際立っている。

 

 

 

 

 

――みんな、成長しているんだよね。

 

 

 

 

 当たり前の事実が、私の胸の奥にスッと入り込んできた。

 それと同時に、今までずっと胸に抱えていた過去への未練が入れ替わるようにして私の胸の奥底から消え去っていくのを感じた。此処に来る前に通った並木道、あの道で私は胸が締め付けられる程にあの頃に戻りたいと思っていたのに、それが不思議なほどまでに今は何も感じなかったのだ。

 

 きっと皆に会わなかったら私は多分死ぬまであの渇望を抱えたままだったと思う。だけど今こうして八年ぶりに大好きな場所で大好きな後輩たちと再会して、私のそんな渇望は消え去ってしまった。

 私の大好きな後輩たちはこうやって前を向いて今を生きている。だから私もいつまでも過去の事を引きずらないで現実を生きていかなければいけない。そんな当たり前の事を、私は今になって感じたのだ。

 

 

――ホントに此処に来てよかった。

 

 

 色々な想いが交錯して複雑な心境だったけど、此処に来てよかったと思う。こうして私は過去への未練を絶ち切れたのだから。

 

 

 それから暫く、私は泣きじゃくる大好きな後輩たちを一人一人丁寧に、この一瞬を噛みしめるようにして抱き締めたのだった。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

「えー、もうちょっとゆっくりしていけば良いのに! ね、ハニー? それでも良いよね?」

 

「美希、千川さんにも色々仕事があるんだから我が儘言うなよ。それに、どうせまたすぐ会えるだろ?」

 

 

 

 

 赤羽根プロデューサーの言葉に美希ちゃんは不貞腐れたように頬を膨らませている。

 あれから久しぶりに再会した皆と色々と話し込んでしまい、あっという間に時間は流れもう時計の針は六を指そうとしている。共同ライブの開催が正式に決まったことを早く美城さんやプロデューサーさんたちにも知らせないといけないし、何より此処に長居するのも悪い気がして私はそろそろ帰らないといけないのだと切り出したのだ。

 私ももっと皆と話をしていたかった。だけど今は皆と話す前にやらないといけないことがある。話し合いの結果がどうだったのか、首を長くして私の帰りを待っている人たちがいるのだから。

 

 

 

 

「また今度ゆっくり話しましょ。皆でご飯でも食べながら」

 

「うん! 姉さん、約束だからね!」

 

「真ちゃんもありがとう。また連絡するわね」

 

 

 

 

 そう言って皆に深々と頭を下げると、私は事務所を後にした。夕暮れ時を迎え、暗くなった階段に夕陽の光が差し込んでいる。その階段を私は一歩一歩、踏み外さないように力を込めて降りて行く。どんどん事務所から聞こえてきた皆の声が遠のいて行って、私の足音と階段の軋む音だけが響いている。そんな中、私は一度も立ち止まらずに振り返らずに、ひたすら前だけを見て階段を下り続けた。

 最後の階段を下りてドアノブを開けてビルの外に出た私は、一気に力が抜けてしまい、倒れ込むようにしてビルの壁に背中を預けてしまった。ずっと張り詰めていた緊張の糸が一気に解れていき、私の身体中のエネルギーを奪っていってしまったのだ。ビルの壁に触れた背中が冷たい。私はビルの壁に背中を預けたまま、ゆっくりと雑居ビルの隙間から見える空を見上げた。

 綺麗な夕焼け空だった。真っ赤に染まった広大の空の向こう側がちょっとばかり黒味を含んでいる。夏も終わり秋に入ろうとするこの時期特有の、生暖かい風が吹いた。優しくて、何処かノスタルジックな想いを感じさせる秋風が私の髪を静かに揺らしている。

 

 その時、丁度一滴の滴が私の頬を濡らした。雨だろうか、そう思って無意識に頬に右手を伸ばすと、その右手に新たな滴が伝って来る。

 

 

 泣いていた。

 

 

 いつの間にか無意識に涙が零れていたのだ。その事に気が付いた瞬間、私の眼からは堰を切ったかのように涙が溢れてきた。皆の前では絶対に泣かないと、そう思って必死に堪えてきた涙が一人になったこのタイミングで溢れるように次から次へと止まることなく私の頬を伝って流れ落ちていく。

 その時、私のすぐそばから鈍い音が鳴ってビルのドアが開かれた。出てきたのは律子さんだ。律子さんは泣いている私を見つけ、静かに歩み寄ってくると、そのまま私が真ちゃんたちを抱き締めた私と同じようにして私を抱き締めてくれた。

 

 

 

 

「……本当に辛かったよね。ちひろだってアイドルになりたいって真剣に思ってあんなに頑張ってたんだから」

 

 

 

 

 律子さんの言葉に、私は何も言えずにただただ泣いた。アイドルを辞めたあの日から一度も流さなかった涙が、どんどんと溢れ出てくる。 

 

 

 

 

「夢を諦めた場所に戻ってくるのは辛かったでしょ? ちひろは優し過ぎるのよ。そうやって皆の前では泣かないようにして、誰にも見られないように一人で泣いて――……。あの頃から何も変わってないじゃない」

 

 

 

 

 そう言って律子さんは私を少しばかり強く抱き締めてくれた。

 もう涙が止まらなかった。もうすぐ二十七歳になるというのに、私は律子さんの胸の中で声を上げて泣いた。今まで必死に取り繕ってきたものが音を立てて壊れていった気がする。皆の前では泣かないようにと涙を堪えていた強がりも、律子さんの前では何の意味も持たなかったのだ。

 

 

 

 

「辛いのに皆に会いにきてくれてありがとう。理由はどうであれ、またちひろに会えて嬉しかったわ。私も高木社長も、あの子たちも。本当にありがとう」

 

 

 

 

 律子さんの言葉に私は何も言えなかった。何かを言おうとしても、次から次へと溢れ出てくる涙が邪魔をして、口を開くことすらままならないのだ。

 だが律子さんは何も言わず、ずっと私を優しく抱き締めてくれた。その律子さんの優しさに甘え、私は律子さんの胸で枯れるほど涙を流したのだった。

 


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