【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

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Episode.11

 

 

 

 

 765プロと346プロの共同ライブの開催が正式に決まってからの対応は両社共にあっという間だった。

 私から高木社長が正式に共同ライブの話を承認したことを聞いた美城さんは次の日に自身が直接765プロまで出向き、高木社長と直に話し合ってライブの詳しい話をまとめると、すぐさま両社同じタイミングで公式ホームページを通し共同ライブの発表を行った。765プロは共同ライブ開催に従いチケットのファンクラブ先行販売、346プロは既にアイドル部門設立五周年記念ライブのチケットを持っているファンの人たちへ会場とライブ概要の変更のアナウンスを流したのだ。 

 これにより、346プロは765プロとの共同ではあるものの、ライブが中止になるという最悪の事態は免れることができた。この数日間は生きた心地がしなかったアイドルたちも346プロの社員たちもこのアナウンスを聞いてひとまず安心したようで、社内全体を覆っていた不安があっという間に消え去ってしまった。

 

 共同ライブ開催まで残り三ヶ月――……。時間はとても十分とは言えないが、それでも346プロは765プロに救われる形で何とかライブを開催することができるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、ちひろさん。コレって私たちのことだよね?」

 

「765からしたら私たちって迷惑だったんじゃ……」

 

 

 

 

 アスタリスクが出演する音楽番組の収録が終わり、二人を車に乗せて帰ろうとした時だった。スマートフォンを片手に、画面を見てアスタリスクの二人――……、李衣菜ちゃんとみくちゃんは不安げにそう呟いたのだ。李衣菜ちゃんが指す“コレ”が何のことなのか、私はすぐに理解できて思わず唇を噛んでしまった。

 765プロと346プロの共同ライブ開催の決定。このアナウンスに対する世間の反応は私たちの予想以上に良くなかった。そもそも346プロは単独でアイドル部門設立五周年記念ライブを行う予定だったが、使用予定だった会場の事故によりライブ開催が危ぶまれた。そこで765プロに頼み込んで共同で765プロとスポンサー契約を締結している東京ドームでライブを行うことになったのだ。

 346プロからすればこれは願ってもない企画だった。事故によって会場が使えなくなり、アイドル部門設立五周年記念ライブは中止になる予定だったのが中止にならずに済んだのだから。尚且つ、アイドル業界ではトップの呼び名高い765 ALL STARSと共同でライブが行える――……。これは新たな客層開拓のチャンスでもあり、765 ALL STARSと共同でライブを行うという話だけでもかなりの売名行為になるのだ。

 

 その一方で765プロはというと、もともと十一月中旬はライブも何も予定はしていなかった。そこで346プロと共同でライブを行うことになったのだが誰が見ても765プロと346プロとではまるで釣り合っておらず、そんな346プロと共同でライブを行っても大した知名度アップにも繋がらないことが目に見えていた。765プロと346プロとで、このライブを通して得ることの出来る目に見える利益があまりにも違い過ぎたのだ。

 そのことが765プロのファンたちはどうも気に入らなかったようで、共同ライブ開催のアナウンスが流れた日からネット上では数多くの厳しい意見が目立っていた。

 

 

“346が765に無理矢理すり寄ってきた”

 

“きっと346は金持ちだから、多額の賄賂でも払って一緒にライブをさせてくれって泣きついたんだろう”

 

“あんな金だけのプロダクションと共同ライブなんかしたって765には何の得もないのに”

 

 

 こういった心無い書き込みが後を絶たなかったのだ。

 だがこういった捉えられ方をされても仕方のない事で、私たち346プロ側としては765プロに頭を下げて事情を話し、我が儘な提案だということを承知の上でこの話を持ち掛けた。いくら765プロの皆が誰一人嫌な顔せず承諾してくれたとしても、そんな経緯をファンたちは知る由もないし、ましてや私たちが言い訳するかの如く説明するわけにもいかない。

 だからこういったファンの純粋な想いを見る度に胸が痛んだ。私たちでさえこんなに胸が痛むのだから、765 ALL STARSと共にステージに立つ当のアイドルたちはもっと苦しい想いを募らせているはずだ。不安そうな表情で私を見つめる李衣菜ちゃんもみくちゃんも、きっと他のアイドルもアイドルとして大先輩である765 ALL STARSへ迷惑をかけているのではないかという後ろめたさがあるのは間違いなかった。

 765プロの皆は共同ライブの開催に前向きだったが、逆にこの話を提案した私たち346プロ側は765プロの皆に迷惑をかけてしまったという気持ちで一杯だったのだ。

 

 

 

 

「ライブの告知ポスター、346プロの子たちと一緒に撮れませんか? 私たちのスケジュールなら何とか調整してみますので」

 

 

 

 

 美城さんと二人で765プロを訪れたある日、私たちにそう提案したのは春香ちゃんだった。もともと急に決まったライブだったため本番までの時間も少なく、また765 ALL STARSの皆は各々で毎日のように仕事が重なっており、全体での写真を撮る時間を取るのは難しいということからライブの告知ポスターは両社のアイドルたちの写真をパソコンで張り付けて合成で作ることになっていたのだ。

 だがそれが逆効果になっているのだと、春香ちゃんは私と美城さんに話してくれた。私たちと346プロの子たちが仲良く写った告知ポスターの方がファンも納得してくれる。そして私たちに申し訳ないという思いを持った346プロの子たちと打ち解けて、少しでもその思いを払拭させないといけないのだと、春香ちゃんはそう言ったのだ。

 

 

 

 

「今回は346プロと765プロの共同ライブだから、どっちが主役でどっちが脇役とか、そういうのはないと思うんです。皆同じ立場なんだから、気遣いとか遠慮とか、そういうのは無しにしないと」

 

「春香の言う通りだと思います。スケジュールの方は俺と律子で何とか調整するので、告知ポスターはやっぱり一緒に撮らせてもらえませんか?」

 

 

 

 

 私と美城さんは春香ちゃんと赤羽根プロデューサーの言葉にただただ驚かされるばかりだった。

 おっちょこちょいで少しドジっ子な部分があった春香ちゃんが、こんなに立派な大人になっているとは思わなかったのだ。私たちにそう意見してくれた春香ちゃんからは、八年前の何処か危なっかしい春香ちゃんの面影は消え去っていた。それでいてあの頃から変わらずお節介なまでに相手を思いやる優しい、私の大好きだった春香ちゃんの魅力はそのままだった。そんないつの間にか立派な大人に成長した姿を見て思わず感心してしまった。

 

 結局春香ちゃんの提案通り、ライブの告知ポスターは346プロの撮影ルームで両社合同で撮影を行うことになったのだ。

 共同ライブの開催が発表されてから約一週間後の土曜日、765 ALL STARSは別の現場で撮影を終えた帰りにそのまま346プロにまで来てくれることになっていた。346プロはライブに参加予定のアイドルが多かったため全員は無理だったが、ある程度出番の多いアイドルたちが代表して765 ALL STARSと一緒に346プロの撮影ルームで撮影することになっている。

 これが765プロと346プロが一緒に行う初めての仕事だ。アイドル部門設立から五年でそれなりに成果が出てきたと言えても、それでも346プロに所属している殆どのアイドルからすれば765 ALL STARSは未だ遠い世界の人たちであり、同じアイドルとして憧れの存在だった。そのせいか、346プロの撮影ルームで765 ALL STARSの到着を待つ皆の間には言葉では言い表せない緊張感が漂っていた。あれだけいつも元気な未央ちゃんは緊張のせいか全く口を開いていないし、李衣菜ちゃんは平静を装うとして一人椅子に座り足を組んで目を閉じたままヘッドホンで音楽を聞いているが、十秒に一回のペースで目を開けてはスマートフォンの画面をチラチラと見て時間を気にしている。

 だがそんな緊張感も、765 ALL STARSが到着してからあっという間に消え去ってしまった。ガチガチに緊張している346プロの子たちに765 ALL STARSの皆は決して先輩の態度を取ることなく、同じ立場のアイドル――……、というよりも友達に近い感じで接しはじめたのだ。

 

 

 

 

「亜美、ほらっ見て! 杏ちゃん私より身長小さいよ!」

 

「何言ってんのよ真美、杏ちゃんはまだ子供だから当然じゃない」

 

「……いや、杏は今年で十九歳なんだけど」

 

「えぇ!? 嘘でしょ!?」

 

 

「我が闇の力、優しき同胞たちと共に更なる宴にて解放せん!」

 

「共に頑張りましょう。蘭子殿、宜しくお願い致します」

 

「クルータ! タカネ、すごいです。蘭子の言葉、理解しています」

 

「もしかして貴音さんも私と蘭子ちゃんと同じ、熊本出身なのかな……」

 

 

「きゃっぴぴぴぴーん! 皆のアイドル、菊地真ちゃんなりよ~! まっこまこりーん」

 

「ま、真ちゃん! もう止めなよ、未央ちゃんたちドン引きしてるよ……」

 

 

 

 

 大先輩である765 ALL STARSの面々を前に緊張で固まっていた346プロの皆は予想以上にフレンドリーな765 ALL STARSに最初は戸惑いを見せていたが、それでも次第に慣れ始めると完全に打ち解けるまで時間はかからなかった。春香ちゃんが言っていた通り765プロの皆は誰一人として先輩風を吹かすことなく、あくまで対等の立場として346プロの子たちに接したのだ。

 皆が打ち解けてから間もなく、告知ポスターの撮影が始まった。今ではすっかりとカメラに慣れた765プロの皆が346プロの子たちを引っ張る形でどんどん撮影が進んでいく。無意識に隣の子と肩を組んだり、手を握ったり――……、765プロの皆とカメラの前に立ち改めて緊張していた346プロの子たちの表情にも自然と笑顔が戻り始めていた。

 

 

 

 

「良いねぇー! 皆、良い笑顔だよ!」

 

 

 

 

 カメラマンが楽し気にそう呟くと、次々とシャッターを切っていく。カメラマンが切るシャッターの先には、繕った笑顔ではなく皆の素敵な笑顔が眩しいまでのライトに照らされて光り輝いている。そのまま最後まで、765プロの皆は朝から二か所の現場で収録を行ってきた疲れを感じさせることなく346プロの子たちをリードして撮影を終えた。

 

 私の眼に映る世界は不思議な光景だった。

 八年前に私が愛してやまなかった765プロの皆が、八年の月日を越えて夢を諦めた私が新たなに手にした大切な場所で大好きな子たちと仲良さげに一緒に写真を撮っている。八年前の大切な日々と今私が生きている大切な日々、この二つは決して交わることのないものだと勝手に決めつけていたからこそ、この光景は今でも夢なんじゃないかと思ってしまうくらいだった。

 だけど、これは夢なんかじゃない。なによりいつの間にか私の知らないところで立派な大人になっていた後輩たちの姿が、八年の月日が流れた現実を証明している。私はアイドルになる夢を諦めて765プロを辞めた。そして昔の私のような夢を持った346プロの子たちのお世話をするアシスタントとして夢破れた後の世界を生きている。八年前と今の狭間でずっと揺れ動いていた私を、この光景が現実に引き戻した気がしたのだ。

 

 願っても悔やんでも、過去に戻ることはできない。楽しい日々も苦しい日々も、いずれは思い出になって過ぎ去って行ってしまう。

 八年間、心の奥底で受け入れることのできなかったその事実が、八年前の大切なものと今の大切なものが交わった光景を見た今の私はすんなり受け入れることができたのだった。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 合同で告知ポスターを撮った後からお互いの距離は縮まり、次から次へととんとん拍子でライブの準備は進んでいった。両社のアイドルたちの距離が縮まると次々に面白い企画が飛び出してきて、千早ちゃんが凛ちゃんの『Never say never』を歌い、凛ちゃんが千早ちゃんのデビュー曲である『蒼い鳥』を、真ちゃんがプロジェクトクローネの速水奏ちゃんの『Hotel Moonside』をカバーし逆に速水奏ちゃんは真ちゃんの『エージェント夜を往く』をカバーするといったそれぞれのソロ曲をカバーする企画の他、両社から合同の限定ユニットの設立など、共同ライブならではの企画が続々と決まっていったのだ。

 それと同時に本来行われる予定だった東京グリーンアリーナでのアイドル部門設立五周年記念ライブで全国デビューを予定していた新人アイドルたちも、この共同ライブでの全国デビューが正式に決まった。全国デビューが決まったのは最近メキメキと頭角を現してきていた一ノ瀬志希ちゃん、森久保乃々ちゃん、相場夕美ちゃんの三人。この三人は765プロの子たちと共同で歌うわけではなく、それぞれが当初の予定通り自身のデビュー曲をソロで歌うことになっている。だがそんな346プロだけの企画も高木社長をはじめとする765プロの皆は快く受け入れてくれた。

 

 

 

 

「三人のデビューを先延ばしにするのはどうしても避けたかった。本当に765プロの人たちには頭が上がらないよ」

 

 

 

 

 事情があったとはいえ以前トライアドプリムスの北条加蓮ちゃんと神谷奈緒ちゃんのデビューを先延ばししてしまい、罪悪感をずっと感じていた美城さんはホッとした様子でそう話していた。頑張り続けてようやくデビューの目途が立って喜んでいた皆の落ち込む姿を見るのはきっと誰でも心苦しいはずだから。美城さんは何度も何度も損得勘定なしで自分たちを救ってくれた765プロの人たちに感謝をしていたのだ。

 

 この三人のデビューを認めてくれただけではなく、765プロの皆は何から何まで私たち346プロに協力してくれていた。共同ライブが決まって765プロのファンたちに生まれてしまった誤解も、雪歩ちゃんが自身のブログで346プロのアイドルたちと一緒に撮った仲良さ気な写真を掲載したり、真ちゃんがラジオでプライベートでも仲良くなった未央ちゃんと遊びに行ったことなどを話したりしてくれたおかげで、少しずつ誤解を解消してくれたのだ。勿論二人とも765プロのファンたちの誤解を解く目的でそんな行動をしたわけでもなく、ただ単純に346プロの子たちと仲良くなったから写真を一緒に撮ったりプライベートで遊びに行ったりしただけだ。だが結果としてあからさまな行動ではなかったからこそこうして765プロのファンたちも分かってくれたのだと、美城さんは感心したように呟いていた。

 どれだけスケジュールが混んでいても、赤羽根プロデューサーや律子さんはどうにかして私たちの為に時間を作ってくれた。特に真ちゃんは仕事の合間に頻繫に346プロに顔を出してくれて、短い時間ではあるが打ち合わせや合同レッスンなど積極的に共同ライブへ向けての準備に参加してくれていたのだ。それが例え三十分だけだったとしても、真ちゃんはほぼ毎日のように時間を見つけては私たちの元までやってきてくれた。

 

 

 

 

「一緒にステージには立てなかったけど、こうして姉さんと一緒にお仕事できる夢が叶って嬉しいんだ! それに346の子たちも皆良い子で一緒にいて楽しいし」

 

 

 

 

 どうしてそんなに私たちに協力してくれるの?

 ある日、いつもと同じように短い時間を見つけて346プロに来てくれた真ちゃんにそう問いかけた時に真ちゃんはそう言ってくれた。

 あの頃と変わらない屈託のない笑顔でそう言ってくれた真ちゃんを見て、そう言えばずっと私と一緒にステージに立ってお仕事がしたいと、そう言ってくれていたことを思い出したのだ。そんな真ちゃんの変わらぬ純粋な優しさに、私は思わず胸が熱くなってしまった。

 本当に立派な大人になっていた765プロの後輩たち。それこそ赤羽根プロデューサーが言っていたように、765 ALL STARSの皆がこうやって自分たちのことより誰かのために動けるからこそ、沢山の人たちから愛されることができたのだろう。これが765 ALL STARSの何よりの強みなのだ。そしてそんな立派な先輩たちの優しさに触れて育った346プロの子たちが、いつかこんな素敵な大人に育ってくれたらいいなと思う。

 

 

 蹴落とすだけがアイドルの世界じゃない。それは綺麗ごとなのかもしれないけど、夢を叶える為に誰かを押し退ける世界より今私が見ているようなお互いが相手のことを気遣って助け合う世界の方がよっぽど素敵だと思う。

 今すぐには無理かもしれない。だけど、こうして損得勘定なしで人の為に動ける765プロの優しさに触れた346プロの子たちが大人になって、今の765プロの皆のように誰かの為に行動できるようになったら――……。きっとアイドルという世界は今以上に魅力的で素晴らしい世界になると思う。私は共同ライブへ向けて協力し合う両社のアイドルたちを遠くから見守りながら、私の大好きな765プロの皆と346プロの皆がそんな夢のような世界に私を連れて行ってくれるような予感を感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ちひろさん!」

 

「美希ちゃんじゃない。今日も遅くまでレッスンお疲れ様」

 

 

 

 

 346プロで合同練習が行われた日の夜遅くに私は廊下で美希ちゃんに呼び止められた。振り返った先には使用感が感じられる黄色のジャージを着た美希ちゃんが少しばかり汗をかいて私の方を見つめている。

 

 

 

 

「美希ちゃんも何か飲む? レッスンで喉乾いたでしょ?」

 

「う、うん。ありがとう……なの」

 

 

 

 

 ゆっくりと私の傍に向かってくる美希ちゃんを確認して、私は目の前の自動販売機に千円札を入れた。すぐに各ジュースの下のボタンが青く光り、私はいつも飲んでいる缶コーヒーのボタンを押す。ガランっ、と音を立てて缶コーヒーが落ちてくると再び各ジュースの下にあるボタンが青く光った。そのタイミングで私の隣に立った美希ちゃんは遠慮がちに手を伸ばすと、一番最上段の端にあったスポーツドリンクのボタンを押した。

 お釣りを受け取り、缶コーヒーの上に重なるようにして落ちてきた冷たいスポーツドリンクを手に取って美希ちゃんへと渡す。美希ちゃんは綺麗に整った金色の眉毛を八の字にして受け取ると、そのまま力なくスポーツドリンクの蓋を開けた。

 

 どこか美希ちゃんの様子が変だった。いつになく態度がよそよそしいし、私の隣でスポーツドリンクを飲む美希ちゃんの表情はまるで何かを壊してしまい、それを親に隠している怯えた子供のような表情をしていたのだ。美希ちゃんはもともと純粋で正直な子だから、きっと何かを隠そうとしてもこうやって顔や態度に出てしまうのだろう。

 

 

 

 

「美希ちゃん、どうしたの?」

 

 

 

 

 いつもと違う訳を聞いて良いのか迷ったが、私はそう問いかけた。私に並ぶ形でベンチに座る美希ちゃんは一度だけ私を見ると、すぐに視線を落として握り締めているスポーツドリンクのペットボトルをボンヤリと見つめている。

 

 

 

 

「ちひろさんにずっと言いたかったことがあったの」

 

「私に? 何かしら」

 

 

 

 

 ペットボトルを見つめる美希ちゃんの額から、汗が一滴床へと落ちて、美希ちゃんの言葉を待って口を閉ざしていた私の耳にはその微かな音が響き渡った。もじもじと子供のようにペットボトルを触る美希ちゃんと私の間に自動販売機の起動音が静かに響き渡る。暫くそんな状態が続いた頃、廊下の奥から未央ちゃんと真ちゃんの話し声が聞こえてきた。その二人の声に我に返ったかのように美希ちゃんはゆっくりと顔を上げると、眉を八の字になった迷ったままの表情で私を真っすぐに見つめた。

 

 

 

 

「社長から聞いたの。ちひろさんが辞める直前に私を765 ALL STARSへ推薦してくれていた事。それと、そんなちひろさんと私が最後の一枠を争っていた事も……」

 

「……そう」

 

「ちひろさんは全部知ってたんだよね? 分かってて私を推薦したんだよね?」

 

「そうね。美希ちゃんの言う通りよ」

 

「……そっか」

 

 

 

 

 高木社長は美希ちゃんに全てを話したようだ。美希ちゃんは弱々しくそう漏らし、また困ったようにして私を見つめた。私はそんな美希ちゃんに何も言わずに静かに笑って見せる。私は765 ALL STARSに入った美希ちゃんが笑う姿を見たかった、美希ちゃんが入ることによって私は皆とステージに立つことはできなかったがそれでもテレビ越しで皆の活躍する姿を見て心の奥底から幸せを感じることができている――……、という想いを込めて。八年前に私が決断した判断を、私は今でも間違いだったとは思っていない。例えそれが自分の夢を諦める決断だったとしても、だ。

 私の夢は叶わなかった。今私が送っている日常は、あの頃私が夢見ていたアイドルとしてステージで光り輝く姿とは全く違う平凡な毎日。私はそんな想像していた未来とは全く違う未来に辿り着いてしまったが、それでもこの日常に幸せを感じて生きている。夢を持った若い子たちのお世話をして、テレビでは大好きな後輩たちが活躍する姿を毎日のように見ることができて――……、例え偽善者だと言われたとしても、それが今の私の幸せなのだ。

 だから八年前の私の判断は正解じゃなかったとしても間違いではない。今の私はそう胸を張って言う事ができる。

 

 

 

 

「美希ね、765 ALL STARSに入れるって聞いて嬉しかったの。ハニーにだってもっと見てもらえるし、もっともっと大きなステージで歌えるんだ!って思うとホントにホントに嬉しかった――……」

 

 

 

 

 でも、そう区切ると美希ちゃんは苦しそうな表情を浮かべて私から視線を逸らした。

 

 

 

 

「ちひろさんの話を聞いて複雑な想いになったの。嬉しいんだけど、胸の奥に何かが引っ掛かってる気がして、苦しかった。765 ALL STARSに入れたのは嬉しかったよ? でも、なんだか素直に喜べない気がして……」

 

「美希ちゃん……」

 

「でも765 ALL STARSに入れて嬉しいって思う美希もいて、どっちが本当の気持ちなのか分からなかったの。嬉しいのに悲しくて、悲しいのに嬉しくて、そんなモヤモヤがずっと消えなかった」

 

 

 

 

 

 そう話してくれた美希ちゃんの本当に辛そうな表情を見て、ひどく胸が痛んだ。

 美希ちゃんも私と同じだった。美希ちゃんに笑ってほしかったから夢を自ら諦めて、だけどキラキラするステージへの憧れは消えることなくて――……、そんな私と同じ苦しみを美希ちゃんもこの八年間抱えて生きてきたのだ。念願の765 ALL STARSに入れたものの、その代わりに私がアイドルを辞めたことを知って、美希ちゃんは夢を掴んだ達成感と私への罪悪感の狭間でずっと揺れ動いていたのだろう。美希ちゃんはそんな苦しみにどうやって向き合いながらこの八年間を生きてきたのだろうか。決して忘れ去ることのできない胸の奥のモヤモヤを八年間抱えてアイドル活動を行う苦しさはどれほどのものだったのだろうか。そんな美希ちゃんのことを考えると私も胸が苦しくなった。

 

 

 人間って本当に不器用な生き物だと思う。どうして完全に記憶を捨て去ることができないのだろう。それが自分を苦しめる記憶だって分かっていながらも、どうしてその記憶と向き合わないといけないのだろう。

 自分にとって都合の悪いことはすぐにでも忘れ去ることができたら、きっとこんなに苦しむことなくもっと楽に生きていけるはずなのに――……。

 

 

 

 

「それが『生きて行く』ってことなのよ」

 

 

 

 

 私の言葉に美希ちゃんはゆっくりと顔を上げた。私を見つめる美希ちゃんの瞳には涙が溜まっていて、今にも零れ落ちそうになっている。

 そんな今にも溢れだしそうな涙に、私はそっと人差し指を当てた。大粒の涙が私の人差し指を伝って零れ落ちていく。美希ちゃんは鼻を真っ赤にして、涙を堪えるようにして私を見つめていた。

 

 

 

 

「私も美希ちゃんと同じよ。美希ちゃんたちが輝く姿を見て幸せな気持ちになる反面、今でもステージへの憧れは消えていないもの。まだ『ステージに立って歌いたい』って思うことだって沢山あるし……」

 

 

 

 

 何かを得るために何かを捨てる――……。そんな器用なこと、残念ながら人間はすることができない。できないからこそ、そうやって何かを失った過去に折り合いをつけて生きて行かないといけないのだ。

 

 

 

 

「でも私は今でも八年前の判断が間違っているとは思わないわ。美希ちゃんが765 ALL STARSの皆と一緒に輝く姿を見て、ホントに幸せを感じているんだから」

 

「……ホントに?」

 

 

 

 

 堰を切ったように、美希ちゃんの瞳からは涙が溢れていた。涙でぐしゃぐしゃになった美希ちゃんの顔に私は頷いてみせると、綺麗な金髪の頭を優しく撫でてもう一度笑いかける。

 

 

 

 

「本当よ。だから美希ちゃんはいつまでもステージで輝いて、いつまでも私を幸せにさせてね。そんな顔の美希ちゃんを見てたら、八年前の決断が間違いだったって思うかもしれないじゃない」

 

「……うん、うん!」

 

 

 

 

 美希ちゃんはそのまま私に抱き着いてきて、私の胸の中で声を上げて泣いた。それこそ765プロで八年ぶりに皆と再会した後に律子さんの胸で泣いた私のように、美希ちゃんは子供のように声を上げて泣き続けた。

 美希ちゃんもこの八年間苦しんでいたのだ。きっと夢を諦めた私より比べ物にならないくらい辛かった八年間だと思う。そんな八年間と独りで戦い続けてきた美希ちゃんを想うと、私も目頭が熱くなってしまった。

 美希ちゃんの背中に優しく触れて、私もグッと涙を堪えたのだった。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

「ちひろさん、取り乱しちゃってごめんね。そろそろ律子……、さんが迎えに来るから行かないと」

 

「ううん、気にしないで。共同ライブ、楽しみにしてるから練習頑張ってね」

 

「ありがとう! それじゃあまたなの!」

 

 

 

 

 散々泣いて真っ赤にした目で美希ちゃんは笑って見せると、そのまま一度も振り返らずに走り去って行ってしまった。もう迷いは吹っ切れたようで、私が八年前から知っている美希ちゃんの元気な後姿を見えなくなるまで見送ると、私は一人残されたベンチに腰を下ろした。

 ちょうど私がベンチに腰を下ろした時、美希ちゃんが走り去っていった方向とは逆の方から人の足音が聞こえてきた。ベンチに腰を下ろしたまま足音の方を向くと、そこにはバツの悪そうな表情で立ち尽くす凛ちゃんが私を見つめている。

 

 

 

 

「あら、凛ちゃんじゃない。もしかしてさっきの話、聞いてた?」

 

「……ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだけど」

 

 

 

 

 どうやら私と美希ちゃんの話を聞いていたらしい。凛ちゃんは申し訳なさそうに頭を下げると、重そうな足取りで私の傍までやってくる。私がそっと腰を動かして凛ちゃんの前にスペースを作ると、凛ちゃんは軽く一礼して私の開けたスペースへと腰を下ろした。

 

 

 

 

「ごめんね、この前は生意気なこと言っちゃって」

 

「あぁ、気にしてないから大丈夫よ」

 

 

 

 

 凛ちゃんの言う“この前”とは恐らく私が昔アイドル活動をしていたことがシンデレラプロジェクトの皆に知られた時のことだろう。私は大丈夫という意味合いを込めて凛ちゃんに笑って見せると、凛ちゃんは困ったような表情を浮かべながらも苦笑いを浮かべてくれた。

 

 

 

 

「私ね、あの人に誘われるまでアイドルなんて興味もなかった。ただ漠然と夢中になれる何かが欲しくて、ボンヤリと毎日同じような時間を過ごしてた」

 

 

 

 

 私の隣に座る凛ちゃんが突然、淡々と話し始める。私は何も言わずに、ただただ相槌を打ち続けた。

 

 

 

 

「でもあの人に誘われて、もしかしたら夢中になれる何かが見つかるかも――……、って思ったからアイドルやってみようと思ったんだ。実際挑戦してみて良かったと思う。あの人が誘ってくれなかったらきっと今でも夢中になれるものが見つかってなかったと思うから」

 

「そうだったんですね」

 

 

 

 

 私は凛ちゃんがどういった経緯でシンデレラプロジェクトに来たのかは聞かされていなかった。プロデューサーさんが直接スカウトして来たという話だけしか知らなかったのだ。

 今思い返せば凛ちゃんは少し変わった子だった。アイドル志望や歌手志望でもなければ、有名人になりたいという野望があるわけでもない。何かしら憧れや目標があり、オーディションを勝ち抜いてシンデレラプロジェクトにやってきた皆とは違って、凛ちゃんには大まかな目標や夢が何もなかったのだ。それでいて凛ちゃん自身の愛想も決して良いとは言えず、どうしてプロデューサーさんはこの子をスカウトしてきたのだろうといった疑念を感じたことだってあった。

 だけど凛ちゃんは戸惑いながらも一年間のアイドル活動を通して、自身の夢中になれる何かを見つけたと言ってくれた。

 

 

「初めは何も分からずに始めたけど、今はアイドルになって良かったと思う。こんなに夢中になれるとは思ってもいなかったから」

 

 

 これは冬の舞踏会ライブが終わった後、凛ちゃんがプロデューサーさんと私に言った言葉だ。その時は凛ちゃんがシンデレラプロジェクトにきた経緯を知らなかったから意味が分からなかったが、今こうして初めて経緯を聞いてあの時の言葉を納得することができる。

 

 

 

 

「だから、ちひろさんの話は納得いかなかった――……。ステージへの憧れがあるなら今からでも挑戦すれば良いのに、ってそんなことを思ったんだ。皆を優先することでそんな自分の夢から逃げてる気がしたから」

 

「凛ちゃん……」

 

 

 

 

 きっとアイドルの先に何があるのか分からなくても挑戦した凛ちゃんだからこそ、最後まで挑戦することなく夢を諦めた私に納得がいかなかったのだろう。

 凛ちゃんはまだ若い。もうすぐ二十七歳になる私と違ってまだ凛ちゃんは高校生だ。人間という生き物は大人になるにつれ、色々なことに折り合いをつけて生きて行かなければならなくなる。そのことを凛ちゃんはまだ知らない。今はまだ無限に可能性が広がっている高校生なのだから、理解できなくても仕方がないと思う。

 だけどこんなカッコ悪い大人の台詞を私は言いたくなかった。『大人になったら分かる』なんて無責任なことをまだ可能性が無限大に広がっている凛ちゃんの前では絶対に口にしたくなかった。

 

 

 

 

「でもね、ちひろさんみたいな生き方もカッコいいなって思うんだ」

 

「え?」

 

 

 

 

 凛ちゃんの口から出てきた予想外の言葉に私は思わず呆気に取られてしまった。

 そんな私を見て凛ちゃんは静かに笑みを浮かべている。

 

 

 

 

「ちひろさんみたいに優しくて純粋な気持ちで誰かの為に生きるのもカッコいいなって思うようになったんだ。そういう生き方も素敵だなって」

 

「そ、そんな大してカッコいい生き方じゃないわよ」

 

「ううん、カッコいいよ。じゃないと、こんなに沢山の人から慕われるわけないでしょ」

 

 

 

 

 そう言って凛ちゃんは笑って見せる。一年前の凛ちゃんからは考えられないような、自然な笑顔を私に向けてくれた。なんだか私が照れ臭くなってしまって、思わず溜息をついてしまった。

 

 

 

――私みたいな大人になったらダメよ。

 

 

 

 この言葉は言ってはいけない気がして、私は喉まで出てきていた言葉を唾と一緒に飲み込んだ。

 

 

 

 

「共同ライブ頑張ってね。皆のステージ、楽しみにしてるから」

 

 

 

 

 私の言葉に凛ちゃんは何も言わずにただ笑顔で頷く。

 346プロと765プロの共同ライブはもう二週間後にまで迫ってきていた。

 

 

 





いよいよ次は共同ライブ。

一話伸びてしまい、エピローグ含めあと三話で完結です。



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