【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

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Final episode

 

「本日の全プログラム、終了しました! 皆さん、本当にお疲れ様でしたー!」

 

 

 

 

 ディレクターの男性の声が響き、それと同時に大勢の人で埋め尽くされた控室は大きな拍手と歓声に包まれた。未だにライブの興奮が冷めていない両社のアイドルたちは近くにいた人たちと楽しそうにハイタッチを交わしたり、抱き合ったりしてライブの成功を各々の形で祝福している。765 ALL STARSの皆も346プロの皆も、そして私たちのようなステージには立たない裏方のスタッフたちも、この控室にいる皆が良い笑顔を浮かべていて、そんな皆の眩しいまでの笑顔がこの大規模な765プロと346プロの共同ライブの成功を物語っていた。

 

 

 

 

「ちひろもお疲れ様」

 

「律子さん……。お疲れ様です」

 

 

 

 

 嬉しそうにライブの成功を祝う皆の輪から出てきたのは律子さんだ。律子さんは一仕事やり終えたといわんばかりの満足気な表情でみんなの輪から少し離れた場所で立っていた私の隣に並ぶと、私に向かってやんわりと右手を差し出す。その差し出された右手がどういう意味を持っているのか、すぐに察した私は律子さんの右手を力強く握り返した。

 

 

 

 

「今日は本当にありがとうございました」

 

「いーえ、こちらこそありがとうね。言ってた通り、歴史に残るライブになったでしょ?」

 

「間違いないですね」

 

 

 

 

 ふんっ、と鼻を鳴らし、律子さんは得意げに両手で腰を抑えている。八年前と変わらない律子さんの自信が漲った頼りがいのある表情が妙に懐かしくて、私は小さく噴き出してしまった。「なによそれー」、と眉尻を上げて私を見る律子さんの様子がまた妙に可笑しくて、私は暫くの間左手で口元を隠しながら笑っていた。

 

 そんな私と律子さんの視界には、私にとって大切な人たちで溢れている世界が広がっていた。衣装を着たまま記念撮影をしている子たちもいれば、ライブの成功が余程嬉しかったのか、涙を流している子までいる。765プロと346プロの総勢四十人ものアイドルたちの創り上げたこの素敵な世界を、私はしっかりと目に焼き付けるようにして見つめていた。

 暫くそんな光景を静かに見守っていた私たちは近くの男性スタッフが律子さんを呼ぶ声で我に返った。

 

 

 

 

「ごめん、行かなきゃ。それじゃあ、この後打ち上げでね。ひとまずお疲れ様」

 

 

 

 

 律子さんは私にそう言い残し、そそくさと私の元から去ってしまった。そんな律子さんを見送った後も、私は暫く目の前に広がる大切な人たちで埋め尽くされた世界を無言のまま見つめ続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Final Episode 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 共同ライブが終わった後に打ち上げをしようと提案したのは高木社長だった。私が高木社長に呼ばれて765プロに行った時にも、「みんなでご飯でも行きたいですね」なんて話はしてはいたのだが、実際は今までずっとライブ前でお互いに慌ただしい毎日が続いており、八年ぶりに再会したのにゆっくりと話をする時間すらなかなか確保することができなかった。だからライブが終わってひとまず落ち着いて、それからゆっくりとご飯でも食べながら話をしようと、高木社長がそう言って私を誘ってくれたのだ。本当は346プロの皆も含んだ全員で打ち上げを行えれば一番良かったのだが、765プロの皆と私とて皆この八年間での積もる話も沢山あるだろうから今回は少人数の方が良いだろう。そう気遣って、高木社長は小さなバーを予約してくれたらしい。もっとも、高木社長が予約したバーは偶然にも瑞樹さんや楓さんたちと頻繁に足を運んでいたバーだったのだが。

 打ち上げの集合時間までまだ二時間も余裕があった。きっと時間が押すことも想定して、少し遅めにお店を予約したのだろう。だがライブは予定通りにアクシデントもなく進み、こうして高木社長の設定した時間まで微妙な時間が空いてしまったのだ。

 

 

 私は皆が会場を後にしたのを確認すると、一人で誰もいない東京ドームを歩き回った。静まり返った東京ドーム全体に、コツコツといった私の足音が響き渡る。五万人のお客さんが数時間前までこの東京ドームを埋め尽くしていたのが信じられないくらいに、東京ドームは静寂に包まれていた。数時間前までの盛り上がりからまだあまり時間が経っていないせいか、とても同じ東京ドームとは思えない。まるで異世界を歩いているかの感覚さえ覚えてしまうほどに、東京ドームは私に数時間前とはまるで違う姿を見せていた。

 ライブのオープニングで使ったポップアップの前を通り過ぎ、私はステージへと続く階段の前で足を止める。シンデレラプロジェクトの皆がライブを行う時、私はいつもこうして大勢のお客さんが待つステージへと繋がる階段を駆け上がって行く皆の姿を、この階段の前で見送っていたのだ。

 

 

――この階段を登った先に見える景色はどんな世界なのだろう。

 

 

 日に日に逞しくなっていく皆の背中を見送る度に、私はいつもそんなことを考えていた。私はもうアイドルではなく、アイドルの皆を支えるただのアシスタント。アシスタントの私はこのステージへと続く階段を登ることはできない。だから私はこの階段の先に見える世界を知ることができなかった。

 だけど私はこの階段の先に広がる世界はきっと、とても素敵な世界なのだと思う。だってシンデレラプロジェクトの皆はいつも緊張と不安が入り混じった表情で階段を駆け上がって行くのに、階段を下りて私の元へ帰ってくる時は対照的にとても幸せそうな、良い笑顔を浮かべて帰ってきているのだから。階段の前で少しだけ顔を強張らせる凛ちゃんも、身体全体が震えて今にも逃げ出しそうな智絵里ちゃんも、面倒くさそうな表情でボンヤリとしたまま階段を上がっていく杏ちゃんも、皆帰ってくる時はとても幸せそうな表情を浮かべて帰ってくるのだ。

 そんな皆の様子を私は何度も何度も見てきた。だから薄々勘付いてはいた、きっとこの階段を登った先の世界は皆を幸せにする素敵な世界が広がっているのだろうと。

 

 その世界が私も見たくて、私はゆっくりと階段に足をかけるとゆっくりと登り始めた。暗くて足元があまり見えないから踏み外さないように注意して一歩一歩確実に階段を登っていく。そしてようやく階段の一番上に辿り着いた私の視界に飛び込んできたのは、小さなスポットライトに当てられたステージの真ん中のまるで忘れ去られたかのようにしてポツンと佇むマイクスタンドだった。

 ほんの数時間前までは誰かしらがここに立って歌って踊っていた光り輝くステージの面影は完全に消え去ってしまっており、今となってはステージの真ん中を照らすスポットライトだけが寂しく光を放っている。

 

 

 その世界を見て、私は無意識に足を止めてしまった。私はこれ以上先に進んではいけない、そんな気がしたのだ。私の見つめる先のステージは舞台袖とはまるで空気が違っていた。何か神聖な空気が漂う聖域のような雰囲気さえ感じてしまうほどだったのだ。

 そんなステージを見て私は察した。ここから先はきっと私みたいな夢を諦めた人間が足を踏み入れてはいけない世界なのだと。必死に頑張って努力をして、ようやく栄光を掴むことの出来た限られた人だけが入ることの出来る世界なのだと、私はそう思ったのだ。

 選ばれた人しか立つことの出来ない世界だから、きっと大きな価値があるのだと思う。きっとここには自分の夢を諦めずに血の滲むような努力をした人だけが見える素敵な景色があって、その景色を何度でも見たいが為に346プロや765プロのアイドルたちは頑張っているのだと思うのだ。

 そんな世界に私のような夢を諦めた人間が入ってしまうと、このステージから見える素敵な世界を壊してしまうような気がした。皆が憧れている世界の価値を下げてしまう気がして、私はそれ以上先には進むことができなかった。

 

 それから暫く、私は階段を登ったところから動くことなくステージの真ん中で照らされているマイクスタンドを一人で眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 東京ドームで長居してしまったようで、高木社長から聞いていた打ち上げの時間をもう数分過ぎてしまっていた。バーの最寄りの駅で電車を降りた私は大学を出てから毎日のように通っている街灯が照らす通勤路を私は少し早足で駆け抜ける。向かい側から歩いてくる人たちを何度も何度も掻き分けて、時折口から漏れる白い息にも目もくれずに私は足を動かし続けた。

 ようやく見慣れたバーの看板が見えて来たのはもう既に時間から十五分も過ぎてしまっていた頃だった。バーまでの百メートルほどの残り道を、私は最後の力を振り絞って足を進める。コートに包まれた私の身体が熱を持っていて、少しばかり熱く感じていた。ほんの少しだけ湧き出てきた汗が私の髪をおでこに引っ付けて、その髪を必死に直しながら私は重くなった足を動かし続ける。

 そしてようやくバーの入口へと辿り着いて肩で息をしながら必死に呼吸を整えていた時、私はバーの様子がいつもと様子が違うことに気が付いたのだ。いつも見かけるメニューが書かれた看板が今日はないし、いつも薄暗い店内が覗けていた窓も今日は全て黒いカーテンで覆われている。明らかにいつもとは様子が違ったのだ。

 不安になって私はもう一度スマートフォンを取り出して高木社長からのメールを確認した。だが何度見ても高木社長のメールにはこのバーのお店の名前が書かれており、住所も間違いなくこの場所を示している。場所はここで間違いないはずだった。

 そもそも営業しているかさえ怪しい雰囲気のバーの前で私は暫く立ち尽くしていた。だがすぐに私は遅刻していたことも思い出してしまった。ただでさえ遅れているのにこれ以上遅れるわけにはいかない、高木社長が此処だと言っているのだから場所も間違いではないはずだ。そう自分に言い聞かせ、私は一度だけ深呼吸をするとゆっくりと重い木のドアを押した。

 恐る恐る店内を伺った私の眼に飛び込んできたのは異様な光景だった。今までにこのお店では見たこともないくらいの大勢の人がお店の中に溢れかえっていたのだ。何か今からイベントでもあるかのような雰囲気に包まれた店内を見て、やはり店を間違えたのだと私は確信した。一度外に出て高木社長に確認しよう――……、そう思ってドアに再び手を掛けた時だった。突然背後から私の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。

 

 

 

 

「あ、ちひろさん!」

 

 

 

 

 美波ちゃんの声に私は振り返った。すると店内に集まった大勢の人たちは静まり返ると一斉に私の方へと視線を移す。美波ちゃんの横に立っているのはアーニャちゃん、その近くで私を見つめているのはキャンディアイランドの三人――……、よく見れば店内を覆っている沢山の人たちは皆私の知っている顔ばかりだ。

 

 

――え、どういうこと? 765プロの人たちだけの打ち上げにどうして346プロの皆がいるの?

 

 

 765プロの皆と私とで皆この八年間での積もる話も沢山あるだろうから今回は少人数の方が良いだろう。そう聞いていたはずなのに、私の目の前にいるのは346プロの皆だ。状況が理解できていない私は混乱してキョロキョロと辺りを見渡してみる。だがどこを見てもここにいるのは皆私の知っている人たちばかりで、その皆が何か悪戯を隠す子供のような笑みを浮かべていた。どうやらライブが終わってそのままこのバーにやってきたようで、中には髪のセットがライブ中のままになっている子も数人見受けられる。

 

 

 

 

「ほらっ、プロデューサー君! ちひろさんが来たわよ!」

 

 

 

 

 何処からか聞こえてきた瑞樹さんの楽しそうな声。その直後にスピーカー越しにマイクのスイッチが入るノイズが狭い店内に響き渡った。

 

 

 

 

『えー、皆さん。大変お待たせしました。それでは今から千川ちひろのワンマンライブを開催しった……』

 

「もうなんで大事なところで噛むのよ!」

 

「だから元アナウンサーの瑞樹さんがやった方が良いって言ったのに……」

 

「あははは、良いじゃない! こういうのはプロデューサー君に任せる方が面白いのよ」

 

 

 

 

 瑞樹さんの声に、店内はどっと笑いが巻き起こった。

 だがそんな皆とは対照的に私は意味が分からず、その場で呆然と立ち尽くしていた。

 

――ワンマンライブ? 私の? 私が歌うの?

 

 確かにマイク越しでプロデューサーさんは今そう言った。それは多分聞き間違いではないと……、思う。だが私は何も聞かされていない。ただ高木社長に打ち上げをしようと誘われてこのバーに来ただけなのだ。

 未だに状況が把握できずに固まっている私。そんな私を見て皆は楽しんでいるようで、悪戯が成功した子供のような無邪気な笑顔を浮かべて私を見つめている。

 

 

 

 

「ちひろさん、これはドッキリだよ」

 

「……ドッキリ?」

 

 

 

 

 暫く呆然と立ち尽くす私に、凛ちゃんが呆れたように声を掛けてくれた。そして凛ちゃんは私の手を少しだけ強引に引くと、沢山の人がそっと両脇に動いて出来上がった道をゆっくりと進んでいく。訳が分からないまま凛ちゃんに手を引かれ、私が辿り着いた先にあったのは小さな一メートルほどの高さのステージ――……。その先端にはマイクスタンドが置かれていた。

 

 

 

 

「……これって、私が今から歌うの?」

 

「そうだよ。プロデューサーだってちひろさんのワンマンライブだって言ったでしょ?」

 

 

 

 

 ステージの前まで連れてこられて凛ちゃんはそっと手を離した。そして未だにポカンとしている私を見て呆れたように苦笑いを浮かべている。

 丁度その時、ステージ前の一番端からすっと高木社長が出てきた。後ろで手を組んだままの高木社長は私の元へとゆっくりと歩み寄って来る。そのタイミングで凛ちゃんはそっと大勢の人混みの中へと姿を消した。

 

 

 

 

「た、高木社長。これは一体……」

 

「千川君、これは私たちから君へのプレゼントだよ」

 

 

 

 

 そう言って静かに笑うと、高木社長はそっと後ろへと視線を向けた。高木社長の視線に釣られ、私もその方向を思わず見つめる。その視線の先には、得意げな表情で私を見つめる765 ALL STARSの皆と赤羽根プロデューサーと律子さんの姿――……。

 ようやく私は状況を把握することができた。私は高木社長から打ち上げをするからといった理由でこのバーに呼ばれたが、実際は私を呼び出すためのただ嘘だったのだ。本当の目的は打ち上げではなく、私へのドッキリ――……、だったらしい。

 

 

 

 

「ちひろさん、今でも人前で歌いたいってこの前言ってたでしょ?」

 

「ボクたちも姉さんの綺麗な歌声がまた聞きたいって思ってたんだ!」

 

「今日はちひろさんが主役なんです。だから遠慮なんかなしで、思う存分歌ってください」

 

 

 

 

 未央ちゃん、真ちゃん、楓さんの声が順々に狭い店内へと響く。三人以外の他の人たちも、皆が私の方を見てステージに上がるのを今か今かと待ち望んでいた。

 

 私は自らの意志でアイドルを辞めた。誰かから強制された訳でもないのに、自分一人で結論を出して誰にも挨拶もせずに765プロを出て行った。それなのに、アイドルを辞めてから八年が経った今でもステージへの渇望は消えることなく私の胸の奥底で存在し続けていた。

 何度も何度も、そんな自分に言い聞かせてきた。もう私はアイドルではないのだと、自分で辞める道を選んだのだからそんな未練は捨ててしまわないといけないのだと。どれだけ願ったってあの頃の時間はもう二度と戻らないのだから、いつまでも戻らない過去にしがみついて生きるくらいならもっと前を向いて生きて行く方がよっぽど良いに決まっている。そう頭では理解はしていたが、それでも私の胸に残り続けた渇望は消えることがなかった。

 

 

――きっと私がアイドルを辞めて八年が経った今でも人前で歌いたいって思っていたから、こうして皆が私のステージを用意してくれたんだ。

 

 

 そう思うと皆の優しさが身に染みて、胸がいっぱいになっていくのが分かる。視界が潤んで、皆の顔がしっかり見えなくなってしまい、その事を隠すかのように私は思わず両手で鼻を覆ってしまった。

 

 

 

 

「ちひろさん、もう泣いちゃったの?」

 

「……こんなことされて泣かないはずがないじゃない」

 

 

 

 

 美嘉ちゃんのからかうような言葉に、私は思わずそう言い返した。それと同時にポツポツと頬に涙が流れ落ちていく。ステージを前にして私の瞳から涙が溢れ出て止まらなかった。

 本当に嬉しかったのだ。大好きな765プロの人たちや346プロの皆がこんな私の為に歌う機会を作ってくれたことが。ずっと叶わないと願っていた夢を、大好きな人たちが叶えてくれたのだから。

 こんなに幸せなことをされて、泣かないはずがない。皆の優しさに、私の涙が止まることなく溢れ出ては次から次へと足元へと流れ落ちて行った。

 

 

 

 

「姉さん、涙の後は笑って……」

 

「スマートに」

 

「でも可愛く……」

 

「進むんでしたよね?」

 

 

 

 

 真ちゃん、貴音さん、美希ちゃん、そして春香ちゃんの四人が私のデビュー曲である『お願い!シンデレラ』の歌詞を伝って笑ってそう言ってくれた。その様子が何だか可笑しくて、思わず吹き出してしまう。四人の言葉に力が抜けてしまって、私の瞳からは再び大粒の涙が零れ落ちてしまった。

 一通り涙を流すと私は強引に涙を拭い、ゆっくりと一メートルほどの高さのステージへと足をかけて登った。それと同時に店内は大きな拍手に包まれる。店内に響く皆の拍手が何だか妙に照れ臭くて、私は逃げるように視線をお店の隅へと動かした。

 そんなお店の隅へとふと視線を向けた瞬間だった。私の視線の先のお店の隅で私に向かって手を振っている小さな子供を肩車した眼鏡の男性が留まって、再び固まってしまったのだ。

 

 

 

 

「か、かずさん!? どうして此処に……」

 

 

 

 

 私に名前を呼ばれ、かずさんは照れくさそうに人差し指で頬を掻いている。そしてかずさんの周辺にいる人たちも何処か見覚えのある顔だということにすぐ気が付いた。

 

 

 

 

「社長から突然連絡が着たんだよ、ちひろちゃんのライブを行うから来てほしいって。だから大学の時の友人を集めて来たんだ!」

 

「昔、千川君のファンクラブに登録していた人たちの電話番号に片っ端から連絡を入れたんだよ。もっとも、殆どの人は連絡が付かなかったがね……」

 

「そうだったんですね。わざわざありがとうございます、私なんかの為に……」

 

「君のように誰よりも人の為に生きる人間が主役になれる日がたまにはあっても良いじゃないか」

 

 

 

 

 高木社長は何処まで良い人なのだろう。こうやって私の為にわざわざ当時のファンの人たちにまで連絡を取って、そして私だけのステージまで用意してくれて――……。

 そんな高木社長の優しさを想うと、また涙が溢れ出そうになってしまった。私は薄暗い店内を照らすオレンジ色の電球を見るかのように顔を上げると、無理矢理に鼻を啜った。これ以上涙が出ないように、大好きな皆の前で笑顔で歌えるようにと思いながら。

 

 

 

 

「パパ、あの人がパパが言ってたちひろさんって人?」

 

「そうだよ、とっても純粋な心を持った素敵な歌を歌う人なんだ。ちひろもよーく見ておくんだよ」

 

 

 

 

 かずさんの優しい言葉を聞いて、私と同じ名前の小さな子供が無邪気手を振ってくれた。その小さな手に私は笑って振り返すと、改めて深呼吸をする。

 ぐるっと店内を見渡してみる。ステージの最前列には765 ALL STARSの皆がいて、その後ろにはシンデレラプロジェクトを含む346プロの皆がステージに立っている私だけを見つめている。その両脇では昔、私を熱心に応援してくれていたかずさんたちがいて、反対側には高木社長や律子さんに赤羽根プロデューサー、慣れない様子でマイクを握っているプロデューサーさんに暖かな眼差しで私を見つめる美城さん――……。

 

 

 私の目の前の狭い店内は、夢のような世界だった。私の大好きな人たちが、私の大好きな歌を聞きにきてくれているのだ。数時間前に行われた東京ドームでのライブに比べたら何千分の一の規模かもしれないし、お客さんだって五十人もいない。もしかしたら私がアイドル活動をしていた頃に経験した舞台よりも小さなステージかもしれない。

 だけど、私は今、世界中の誰よりも幸せな自信があった。どんな大きな会場よりも、何万人の前で歌うステージよりも、私は間違いなくこの狭い空間で行われるライブが私にとって一番なのだと。そう胸を張って言える自信があったのだ。

 

 

 

――私にとっての本当の幸せは何なのだろう。

 

 

 

 リスクを承知で夢に挑戦する瑞樹さんたちを見て、女性としての幸せを掴んだ恵子を見て、私はそんなことをずっと考えていた。私は自分のやりたいことから逃げ出して、他人の人生に重ねることで逃げているだけではないのかと。そんなことを考えた時もあった。だけど今は違う。あの時見出せなかった答えを、今なら自信を持って言う事ができる。

 だって今、私はこんなに幸せな気持ちになれているのだから。こんなに幸せを感じられる人生が間違いのはずがない。結果的に私がこれ以上ないくらいの幸せを感じられているのだから、今までの人生は誰がどう言おうと間違いではなかったのだ。

 

 

 

 

「さぁ、早く千川君の純粋な歌声を聞かせておくれ」

 

 

 

 

 高木社長の声に私は力強く頷いた。そしてマイクスタンドからマイクを外すと、ギュッとマイクを握り締めた。

 目の前には私の過去と今の大切な人たちが今か今かと私のステージを心待ちにしている。そんな皆に私は深く一礼すると、右手に握り締めたマイクのスイッチをそっと入れて口元へと近付けた。

 

 

 

 

「それでは聞いてください! 『お願い!シンデレラ』!」

 

 

 

 

 私の声に、大好きな皆が作ってくれた夢のような狭い空間は大歓声に包まれたのだった。

 

 




一応、これにて本編は完結です。

あとはちょっとしたエピローグだけ追加しようと思います。
短い間ではありましたが、拙い作品にお付き合いいただきありがとうございました。



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