【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

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Episode.2

 

 

 

 

 今年の春先には綺麗に咲き誇っていたものの、例年のようにその寿命は長くはなかった。つい最近綺麗なピンクの花を咲かせ春の訪れを報せていた桜も、気が付かないうちにその綺麗な花びらを散らしてしまっている。私たちに春の到来を報せる為だけに咲いた桜は、今となってはもう殆ど残っていない。ごく僅かに残っている桜も、数日前の満開時の面影は微塵もなく、今すぐにでも力尽きてしまいそうなか弱い姿になってしまっている。

 あれだけ私たちを震え上がらせていた冬の寒さも今となっては跡形もなく消え、ピンク一色に染められていた東京の街は徐々に本来の姿を取り戻そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年度末の怒涛の慌ただしさを乗り越えたかと思いきや、休む間もなく今年度から新たに346プロにやってきたアイドル候補生たちの手続きや研修などで今年の春もあっという間に過ぎ去ってしまった。気が付けば綺麗に咲き誇っていた桜も散ってしまい、最近は暖かい日も続くようにもなった。ようやく長かった冬も終わり、年度末と新年度の前後で会社全体が慌ただしくなっていたここ346プロも少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。ほんの数週間前まで新たな環境に移ることになり気を張り巡らせていた若者たちも、新たな環境にも慣れ始め今頃から少しずつ肩の力を抜き始める頃だ。

 346プロも例外ではなく、会社全体としても期待と不安を胸に四月からやってきたアイドル候補生たちも、とりあえずは最初の一仕事を終え一安心――……、といった雰囲気が車内には広がり始めていた。

 

 

 

「それではシンデレラプロジェクト全員分の新プロフィール、お任せしてもよろしいでしょうか?」

 

「はい、大丈夫ですよ。まとめて美城専務に提出しておきますね」

 

 

 

 ありがとうございます、そう言われると一年前には想像もできなかった柔らかな笑顔を浮かべるプロデューサーから十四枚の紙が入ったクリアファイルを受け取った。

 アイドルたちは年度が切り替わるこの時期に新たなプロフィールを提出することが求められている。スリーサイズは勿論、身長や体重まで全て測り直して今までのプロフィールの上から最新のプロフィールに書き換える為だ。今年も年度末が近付いてきた頃からシンデレラプロジェクトの皆も各々でダイエットや食事制限をしたりして、なるべく良い数字をプロフィールに書けるようにと地道な努力を続けている姿を陰ながら見守っていた。

 成長期の子供たちは自分の身長が伸びたことに喜び、成長期を終えた子たちは自分の体重を見て声にならない悲鳴を上げる。若い女の子たちにとって身体測定というのはとても重要な意味を持つ一大イベントの一つなのだ。

 

 同じ女性としてクリアファイルの中身がちょっと気になってはいたものの、こっそり見るのはなんだかシンデレラプロジェクトの皆に悪い気がして私はクリアファイルを握った右手をそのまま胸の前から下ろした。そしてプロデューサーに向かって軽く一礼するとプロデューサーオフィスを出てそのままプロジェクトルームを後にする。昼休憩が終わったばかりのせいか静まり返る廊下を一人で歩き、四つのドアの前に立つと間もなくしてやってきた無人のエレベーターに乗り込んだ。最上階の数字が書かれたボタンを優しく押すと私だけが乗ったエレベーターはノンストップで登っていき、最上階で止まった。私はエレベーターを後にする。

 ビルの最上階のエレベーター前には他の階とは少しだけ違う、豪奢なドアがドッシリと構えていた。右手の人差し指を軽く曲げて二度ほどノックすると、部屋の中から人がドアに近付いてくる足音が聞こえてくる。

 

 

 

 

「……ちひろか」

 

 

 

 

 少しだけ開けたドアの隙間から顔を覗かせた美城専務はそう呟くと、少しだけ唇の両脇を吊り上げ嬉しそうにドアを開け私を招き入れてくれた。

 

 

 

 

「お疲れ様です、美城専務。今、お時間大丈夫でしたか?」

 

「大丈夫だ。それと、私たち二人だけの時はその堅苦しい呼び方を止めろと言っているだろう?」

 

「……そうでしたね、美城さん」

 

 

 

 

 そう言って笑って見せると、美城専務もいつのもの硬い表情を少しだけ崩して笑顔を浮かべる。いつも固く強張らせた美城専務の表情がこうやって柔らかくなることを、私だけが知っていた。

 実は美城専務と私の付き合いは古く、私がまだ765プロでアイドルをしていた頃、他の会社でアイドル活動を行っていた美城専務と一緒にお仕事をしたことが何度もあったのだ。当時の私はまだ高校生で美城専務は確か二十代半ば――……。少し歳が離れてはいたが、美城専務は私を妹のように可愛がって面倒を見てくれていた。

 346プロダクション会長の娘であった美城専務は私がアイドルを辞める少し前にアイドル活動を引退しこの仕事を継ぐこととなり、私もアイドルを引退した後に大学を経てこの346プロに社員として入社してきた。

 本当に縁とは不思議で、理由は違ったが同じ夢を諦めた者同士こんな場所で再会する未来が待っていたとは当時は想像もできなかったものだ。美城専務はアメリカにいたため私が346プロに入社したことは知らなかったらしく、昨年の夏過ぎに帰国して初めて会った時のあの驚きの表情は今でも覚えている。

 

 

 

 

「それで、今日はどうした?」

 

 

 

 

 部屋の隅にあるソファに机を挟んで向かい合うようにして座る私に美城専務が問いかけた。私は美城専務が淹れてくれた紅茶が入ったティーカップから手を離し、隣に置いたままになっていたクリアファイルを差し出す。

 

 

 

 

「シンデレラプロジェクトの今年度のプロフィールです」

 

「もうそんな時期か、わざわざありがとう」

 

 

 

 

 私から十四人分のプロフィールが入ったクリアファイルを受け取った美城専務は、躊躇いもなくそのクリアファイルに挟まった一枚一枚の紙を取り出して目を通している。暫く無言でシンデレラプロジェクトの皆のプロフィールが書かれた紙を順々に眺めていたが、途中で動かす手を止めた。

 

 

 

 

「……島村卯月はどうだ?」

 

「あれからは順調ですよ。前よりも自信をもって活動できていますし」

 

「……そうか。それなら良かった」

 

 

 

 

 私の言葉を聞いて、そう呟いた美城専務は安堵の溜息をついている。

 

 

 

――その優しい笑顔を私だけじゃなくてもっと皆の前でも見せてあげたらいいのに。

 

 

 美城専務の優しくて暖かい笑顔を見る度に、私はいつもそう思っていた。

 昨年の夏の終わりに帰国したかと思えばすぐにアイドル部門統括重役に就任した美城専務は、就任と同時に様々な改革を行った。当時進行中だった全てのアイドルプロジェクトの白紙化、そしてプロジェクトクローネの設立――……。

 それはあまりにも強引すぎる政策で、当時は四方八方から批判と反発が後を絶たなかった。そのせいか、今でも346プロの中には美城専務のことをよく思わない人たちが沢山いることを私は知っている。

 でも昔から付き合いのあった私だけは知っていた。美城専務は美城専務なりにアイドルたちのことを考えていたことを。

 

 昔、私はたった一度だけ美城専務がアイドルを辞めた話を聞いたことがある。美城専務は346プロダクション会長の一人娘でもあったせいか、幼少期からとても厳しく育てられていたらしい。その厳しい父親のせいか、ずっと胸に抱えていた「アイドルになる」という夢をなかなか言い出せずに美城専務は大人になってしまった。そしてようやくを意を決してアイドルになる夢を追いかけ始めたのはもう二十歳を超えてからのことだった。アイドルを目指すのに、それはあまりにも遅すぎる決断だったのだ。

 それから数年は日の当たらない世界でアイドル活動を続けるも、鳴かず飛ばずのアイドルのまま引退。最後まで「どうしてもっと若い時に勇気を持って飛び出さなかったのだろう」と、何度も何度も過去を振り返っては悔やみ続けていたらしい。

 そんな自分の苦い経験があったからこそ、美城専務はゆっくりと個人のペースで個性を伸ばしていくスタイルの既存のアイドルプロジェクトに納得がいかなかったのだろう。

 

 

 

 

“城ヶ崎美嘉は今、『カリスマJK』と呼ばれているが彼女が女子高生というブランドを失ったらどうなる? 『カリスマJD』になるのか? それじゃあ大学を出たら? 『カリスマOL』にでもなるのか? そんなその場凌ぎの売り方では絶対に将来的に潰れてしまうぞ”

 

 

 

 

 城ヶ崎美嘉ちゃんを大手化粧品メーカーとタイアップさせる企画が出た時の美城専務の言葉を思い出した。美城専務は美嘉ちゃんのことを誰よりも気にかけ、そして美嘉ちゃんの将来を考えていたのだ。

 今まではギャル路線だけで売り込んでいた美嘉ちゃんを高級化粧品メーカーとのタイアップで新たな大人の女性としての魅力を引き出す――……。このあまりにも急な路線変更に美嘉ちゃんは苦戦し悩み戸惑いながらも、その真逆の路線の中で自分の個性を際立たせる術を見出し、新たな自分のアイドルとしての生き方を見つけ出して見せた。その結果、今は今までのギャル路線はそのままに一人の大人の女性としての新たな魅力も身に付けた美嘉ちゃんの輝く場は倍に近くにまで増え続けている。

 口にはしなかったがきっと美城専務は全て計算していたのだと思う。美嘉ちゃんが真逆の路線でも自分の個性を際立たせることが出来ると信じたうえで、彼女のアイドルとしての幅を広げるために多少強引ではあったがこの企画にゴーサインを出したのだと、私はそんなことを考えていた。

 

 美嘉ちゃんだけじゃない、楓さんに彼女自身の思い入れのある仕事より大きな仕事を勧めたのも346プロを代表するトップアイドルとして皆が憧れる楓さんが目先の仕事よりファンを大切にできているかを試すため、お天気コーナーから下ろして一時的に菜々さんを干したのも長年貫いてきた自分のキャラにこれからも拘り続ける覚悟があるのかを確認するため、スランプに陥った卯月ちゃんに優しい言葉をかけずに敢えて厳しい言葉をかけたのも卯月ちゃんを甘やかさずに発破をかけて自身の力で乗り越えさせるため、プロデューサーに卯月ちゃんを切り捨てろと言ったのもアイドルを預かるプロデューサーとしての覚悟と技量を見極めるため――……。

 夏過ぎに美城専務が日本に帰って来て346プロのアイドル部門統括重役に就任して間もなく、二人だけで食事をした際に美城専務が話していたことを私は鮮明に覚えている。

 

 

 

 

“本人たちが思っている以上にアイドルとして輝ける時間は短い。誰しも老いには勝てないのだから。だからこそ、私たちのようなアイドルの上に立つ人間がもっとその事を理解して一秒たりとも時間を無駄にせずにアイドルたちを正しい道に導く必要があるのだと思うのだ”

 

 

 

 

 誰よりも“時間”というものの重さを知っている美城専務らしい言葉だった。そしてその時に美城専務は私だけに言ったのだ。「例えどれだけの人に嫌われ憎まれようと、必ず346のアイドルたちを全員輝かせて見せる」と。

 その言葉通り、美城専務は独りで悪役に徹し続け何を言われても自分の唱える方針を決して変えなかった。その結果、346プロに所属するアイドルたちは美城専務がアイドル部門統括重役に就任してからの一年弱で驚きの成長を遂げて見せたのだ。

 そんな美城専務を私はずっと傍で見守っていた。常に被り続けていた冷徹な表情の仮面の裏に存在する、決して私だけにしか見せなかった美城専務の不器用な優しさを。

 

 

 

 

「安部菜々はどうだ?」

 

「相変わらず頑張っていますよ。最近は若い子たちの手本にもなっているようですし」

 

「そうか。彼女もずっと長い間苦労して頑張り続けてきたから、そろそろ大きな舞台を用意してあげたいところだな。トライアドの神谷奈緒と北条加蓮は?」

 

「二人とも凛ちゃんと一緒に、伸び伸びとアイドル活動を楽しめていますよ。二人だけでデビューさせずに凛ちゃんと三人でデビューさせたのが結果的に良かったのだと思います」

 

「……あの二人のデビューを先送りにしたのは、いくら事情があったにせよ今でも申し訳ないと思っている」

 

 

 

 

 少しだけ声のトーンを落とし、そのことを隠すかのように美城専務は紅茶の入ったティーカップを口元へと運んだ。

 

 

 

 

「……大丈夫ですよ。きっと皆気が付いていますから、美城さんの不器用な優しさに」

 

 

 

 

 美城専務は私の言葉に小さな笑みを浮かべると何も言わずにただ静かにティーカップを机の上に戻す。

 この一年弱の成果が認められ今年度から美城専務は常務から専務へと昇進した。それでも美城専務は今までのように独りで仮面を被り続けて、アイドルたちのために悪役に徹し続けている。

 本当の強い人なのだと、私はそんな美城専務の姿を見て思っていた。それと同時に本当にアイドルたちの事を愛している優しい人なのだとも。

 

 美城専務はゆっくりとソファから腰を上げると、立ち上がったガラス張りの窓にそっと触れた。そしてそのままガラスの向こう側の、桜が散ってしまった東京の街並みをボンヤリと見つめている。

 

 

 

 

「夢に向かって頑張る若い者たちの姿とは本当に美しいものだな」

 

 

 

 

 そして――……、少しだけ羨ましい。

 そう呟いた美城専務の表情は何処か寂し気で、何処か遠くの過去を振り返るような眼差しで東京の街並みを見つめていた。

 

 そんな美城専務の姿を見て私は適切な言葉が頭に浮かばず、一緒に桜の散った東京の街並みを見下ろしていたのだった。

 

 

 


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