【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

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Episode.7

 

 

 

 

 いつの間にか太陽が昇っていたようで、窓から差し込む眩しいまでの日差しで私は目を覚ました。上半身だけを起こし、ベッドの上でボンヤリと座る私。騒がしい東京の朝の音が遠くから聞こえてくる。大学卒業と同時に独り暮らしを始めてから今年で四年、私の生まれ育った田舎町とはまるで違うこの街の朝の騒音にも今となってはすっかり聴き慣れてしまった。そんなBGMを耳に、私はボンヤリとした意識のまま暫くベッドの上から忙しそうに朝から大勢の人が行き来する東京の街並みを見下ろしていた。汗を含んだパジャマが重く、真夏なのに私の身体は少しばかり寒気を感じる。小さな鳥肌が身体を走ったタイミングでようやく意識がハッキリしてきた。

 時計を確認してベッドから降りるとそのまま風呂場へと向かいシャワーを浴びた。寝汗を流すとドライヤーで髪を乾かし、いつものように鏡を見ながら長い髪を三つ編みに編んで片方の肩へと流す。それからテレビを付けてニュース番組をボンヤリと眺めながら昨晩の夕飯の残りを朝食として食べていると、いつも家を出ている時間になった。

 

 そんな、四年間の間ずっと繰り返されてきたいつもと何も変わらない朝。

 いつもと何も変わらない朝なのに、今日ばかりは少し憂鬱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 憂鬱な気分のせいか、346プロまでの足取りがいつになく重かった。就職してからの四年間、ずっと通ってきた道がとても長く感じられるし景色も全然違って見える。気持ち次第で見慣れた景色もこんなに変わるんだな、なんて思い苦笑いしてしまった。

 そんないつもと少し違う通勤路を通り、346プロの前に着いた時は何とも言えない気持ちになった。思わず足が止まってしまい、大きな346プロを見上げる形で立ち尽くしてしまう。もしかしたら就職する際にここで面接を受けた時よりも緊張しているかもしれない。未だかつてここまで仕事に行くのに気持ちが乗らない日があっただろうか――……。この四年間を振り返っても心当たりはないし、恐らくこれからもないだろう。いつもは出社してシンデレラプロジェクトの皆に会えるのが私の日々の楽しみの一つだったはずなのに、こうなってしまってはそれも私の足取りを重くする一つの理由になってしまう。

 いつもは十分前には事務所に到着しているのに、今日ばかりは重い足取りのせいでギリギリの時間になってしまった。いつもより一回り大きく見え、私の前に立ちはだかるようにしてそびえ立つドアの前で私は深呼吸をする。右肩にかけたバッグをかけ直すようにして背筋を伸ばすと、大きなドアのドアノブをゆっくりと捻った。

 

 

 

 

「ちひろさん――……!」

 

 

 

 

 開いたドアに誰よりも早く反応した美波ちゃんの声。それと同時に一斉に私に視線が集まる。シンデレラプロジェクトルームに入った私を出迎えたのは十四人のシンデレラプロジェクトの皆とプロデューサーさんだった。驚いたような目で私を見る子もいれば戸惑ったような目で私を見つめる子、十五人の視線はそれぞれだ。だが十五人とも、他の物に目をくれることもなく私だけを見つめていた。

 やはりこうなってしまったか。十五人の視線を一人で受け止めた私はもう言い訳も何も出来そうにないことを察した。予想していた通りの光景に、私は力なく頬を緩める。

 

 

 

 

「皆さん、おはようございます。今日は皆朝から揃っているんですね」

 

「おはようございます、じゃなくて! ちひろさん、昨日の話は本当なの?」

 

 

 

 

 ソファから腰を上げた凛ちゃんの低い声がシンデレラプロジェクトルームに響き渡る。

 昨日行われたニュージェネレーションズのミニライブ後の握手会、その時に私はかつて私を誰よりも応援してくれていたファンの人と再会した。それと同時に私は今まで皆には隠していたアイドルをしていた過去をニュージェネレーションズの三人に知られてしまったのだ。

 昨日はプロデューサーさんが気を利かしてくれて、ニュージェネレーションズの三人はプロデューサーさんが事務所まで送ってくれた。そして八年ぶりに再会したかずさんと積もる話もあるだろうから今日は直帰で構いませんと、そう言ってくれたプロデューサーさんの言葉に甘え、私はあの後誰にも会わずに自宅へと帰宅したのだ。

 だから今日はこうなることを予想していた。きっと私を見た瞬間に、あの話の真偽を問われるのだろうと、私はそう覚悟していた。

 知られたくない秘密、ってほどではなかった。私はアイドル時代に何か不祥事を起こして辞めたわけでもなく、ただただ“ブレイクできずに引退”しただけなのだから。だがなかなか言い出すことができずに時間が経ってしまい、皆と過ごせば過ごすほど私の胸には隠していることへの後ろめたさも生まれていた。いつかはちゃんと話をしなければいけない、そう思ってはいたもののいざその時が来てしまった今はどうすれば良いのか分からずに困ってしまう。まずは隠していたことを謝るべきなのか、それとも何故アイドルを辞めたのかを話すべきなのか――……。

 皆には見られないように、私は右手で拳を作るともう一度だけ深呼吸をする。そしてゆっくりと瞼を開くと、私の言葉を待っている十五人に向かって静かに呟いた。

 

 

 

 

「……本当よ。八年前、私は765プロでアイドルをしていたわ。そして、皆がシンデレラプロジェクトのデビュー曲として歌った『お願い!シンデレラ』は――……。もともと私の曲だったの」

 

 

 

 

 私の言葉を聞き、口を開く者はいなかった。

 ただただ、シンデレラプロジェクトルームには恐ろしいまでの静寂さが広がっているだけだった。

 

 

 

 

「ちょっと待つにゃ。な、765プロってことは……」

 

 

 

 

 暫しの沈黙の後、ようやく口を開いたのは目を見開いたままになってしまっているみくちゃんだ。途中で途切れてしまったみくちゃんの言葉の意味を理解し、私は静かに頷く。

 

 

 

 

「えぇ、765 ALL STARSは私の後輩になるの。もっとも、私は売れないローカルアイドルだったから春香ちゃんたちとは比べ物にならないくらいの無名だったけどね」

 

「あの765 ALL STARSがちひろさんの後輩だったなんて……」

 

 

 

 

 李衣菜ちゃんの言葉を最後に、シンデレラプロジェクトの皆は再び黙り込んでしまった。十四人のシンデレラプロジェクトの皆が私の方を一斉に見ているものの、十四人全員が皆驚いたような表情で言葉を失っている。その十四人から少し離れたところから遠目で私の様子を伺っていたプロデューサーさんも今このタイミングで口にするのに最適な言葉が思い浮かばないようで、困った時によく見せる首の後ろに手を回す仕草をしながら私を見つめていた。

 そんな微妙な空気が漂うシンデレラプロジェクトルーム、私も何をどう言えば良いのか分からずに困ってしまった。とりあえずこのままでは終わらないとは思いながらも、一度皆に背を向けてプロデューサーオフィスに入り、いつもと同じ場所に鞄をそっと置く。いつもならこのプロデューサーオフィスにまで皆の明るい笑い声が聞こえてくるのに、今日に限っては何一つ誰の話声も聞こえてこなかった。不気味なまでに静寂に包まれたシンデレラプロジェクトルームは皆私の言葉だけを待っているのだ。

 そんな空気の中、私は静かにプロデューサーオフィスから出てきた。プロデューサーオフィスの外では私の予想していた通り、先ほどまでと何も変わらない立ち位置で十四人のシンデレラプロジェクトの皆とプロデューサーさんが無言で私を待ち続けている。

 

 

 

 

「隠す……、つもりはなかったの。ただ言い出すタイミングが分からなくて」

 

「ってことわぁ、きらりたちがおねシン歌ったのも……」

 

「ううん、それは違うわ。本当に偶然なの、私も皆がカバーすることが決まるまで知らなかったから」

 

 

 

 

 本当に、全てが偶然だった。私がアイドルになったキッカケも中学三年の時に夏祭りで歌った私に高木社長が声をかけてくれたからで、私のデビュー曲が『お願い!シンデレラ』になったのも、アイドルを辞めてアイドルを目指す若い子たちのお世話をする仕事に就いたのも、その若い子たちが私のデビュー曲をカバーすることになったのも、全てが偶然なのだ。

 だけどその偶然が、まるで必然ではないのかと疑ってしまうほどに一直線に繋がってしまった。今私が送っている日常、大好きなシンデレラプロジェクトの皆がいるこの場所、今の私を作ったのは紛れもなく数多くの偶然なのだ。その数多くの偶然の上に成り立った今の生活は、そんな沢山の偶然が一つでも欠けていれば存在しなかったかもしれない。そう思うと、運命の巡り合わせとは本当に不思議なものなのだと思えてしまう。

 

 

 

 

「それで……。失礼なことかもしれませんが、どうしてちひろさんはアイドルを辞められたのですか?」

 

 

 

 

 いつかは聞かれるであろうと覚悟していた質問を、美波ちゃんが申し訳なさそうな表情で言葉にした。

 予想はしていたものの、私は言葉に詰まってしまい口を閉ざしてしまう。恐らく美波ちゃん以外の十四人も皆この答えが一番気になっているのであろう、皆の視線が私を逃がさないようにとしっかりと捉えていた。

 尋問を受けている気分だった。私は降参の意を込めて苦笑いを浮かべる。これだけの視線に囲まれたら、余程頭の切れる人じゃない限りは皆を納得させる嘘なんてつけないはずだ。

 

 

 

 

「辞める直前にね、765 ALL STARSに入れるチャンスが回ってきたの」

 

「え、凄いじゃないですか! あの765 ALL STARSでしょ? 天海春香ちゃんとか、萩原雪歩ちゃんとかがいる……」

 

 

 

 

 キラキラした眼で私を見る未央ちゃんに、私は再度苦笑いをしてしまう。

 シンデレラプロジェクトの皆がそれなりにアイドルとしての知名度が上がってきているのは間違いないのだが、それでも765 ALL STARSにはまだ遠く及ばないレベルだった。もうかれこれ八年もアイドル界のトップに君臨し続け、幾度となく大きなステージを成功させてきた765 ALL STARSとはたった一年程度じゃ埋まらない大きな差があるのが事実なのだから。

 もちろん、その事をシンデレラプロジェクトの皆は理解している。だからこそ、シンデレラプロジェクトの皆は765 ALL STARSを憧れとして尊敬している人が多いのだ。そんな皆が憧れるアイドルグループにこの私が入れるかもしれなかったと聞いて、皆の間には小さなどよめきが走っていた。

 

 

 

 

「でもそのチャンスの枠は一つしかなかった。765 ALL STARSの最後のメンバーに、私ともう一人の後輩で絞られてたの」

 

「……それでダメだったんですか?」

 

 

 

 

 少しだけ聞きにくそうに、智絵里ちゃんが問いかける。私は静かに首を横に振った。

 

 

 

 

「ダメだったとか、そういう以前の話よ。私が自ら退いたの」

 

「えっ!?」

 

「どうしてですか? 765 ALL STARSに入れたかもしれないんですよね?」

 

 

 

 

 私の言葉が理解できない、といった様子のかな子ちゃんの言葉。私は再び言葉を詰まらせてしまった。

 

 

――どうしてだろう。

 

 

 理由は分かっていた。美希ちゃんに笑ってほしかったから、美希ちゃんが悲しむ顔を見たくなかったから、だ。あの時、私は確かに765 ALL STARSに入りたいと思っていた。大好きな後輩たちと一緒に大好きな仕事が出来たらどれだけ幸せだろうかと、真ちゃんはそんな私を待っているとまで言ってくれた。

 だが私は美希ちゃんの悲しむ顔も見たくなかった。美希ちゃんを押し退けて765 ALL STARSに入って、私は心の底から笑顔で仕事を楽しめる自信がなかったのだ。

 765 ALL STARSで大好きな後輩たちと一緒に大好きな仕事もしたい、でもそれを叶える為には美希ちゃんを押し退けないといけない。この二択に私は何度も何度も頭を悩ませた。時には神様を呪ったことさえあった。

 

 

――どうして誰かが幸せになるためには誰かが不幸にならないといけないのだろう。

 

 

 これが世の定理なのだと分かっていながらも、何度も何度もそんなことを考えていたのだ。私も美希ちゃんも、皆が幸せになれる道はどうしてないのだろうかと。

 

 

 

 

「私と765 ALL STARSの最後の一枠を争っていた子がね、私は大好きだったの。本当に可愛くて素直で私よりうんと才能に溢れた純粋な子で、その子に笑ってほしかったの。その子が悲しむ顔なんて見たくなかった――……。だから私が自ら身を引いたの」

 

「その子ってまさか……」

 

「莉嘉ちゃん、そうよ。その子が765 ALL STARS最後の一人になった星井美希ちゃん」

 

 

 

 

 皆は再び絶句した。

 765 ALL STARS最後の一人となった星井美希ちゃん――……。デビューしてからあっという間に頭角を現した美希ちゃんはマイペースな性格と圧倒的なスタイルとルックスを武器に瞬く間に765プロの看板アイドルにまで登り詰めた。デビューしてから一年足らずで当時中学生ながらもハリウッド映画にまで進出、幾度となく前例をぶち壊しアイドル業界に旋風を巻き起こして見せた美希ちゃんはデビューから八年が経った今でも尚、アイドル界のトップに君臨するトップアイドルとしてその名を幅広い業界にとどろかせている。

 そんな超が付くほどの有名人の美希ちゃんと、シンデレラプロジェクトのアシスタントの私が765 ALL STARS最後の一枠を争っていたのだから驚くのも無理がない。もちろん、今となっては当時争っていた私から見ても美希ちゃんは遠い世界の人間になってしまったが。

 

 

 

 

「それを機に私はアイドルを引退。辞めた後は大学に通って、卒業と同時にここで働き始めた……。ただそれだけよ」

 

 

 

 

 私は美希ちゃんに笑ってほしかった。やっぱり私に大好きな美希ちゃんを蹴落とすことはできなかった。だからあの大雨の中行われたショッピングモールでのイベント翌日に「私には実力がなかった」なんて言い訳をしてアイドルを辞めたのだ。数は少なかったが熱心なファンがいてくれたのも関わらず、だ。

 

 

 

 

「でも、どうして? 765 ALL STARSに入れなくてもアイドル活動は出来たでしょ?」

 

 

 

 

 私の話を聞いて未だ納得がいかない様子の凛ちゃん。眉を八の字にして、不思議な力が籠った翠の眼差しで私を見つめていた。

 

 

 

 

「今こそ765 ALL STARSのおかげで有名になったけどね、当時765プロはアイドルを抱える事務所の中では中小企業だったの。仕事も少なくてその数少ない仕事を得るためには誰かを蹴落とさないといけなかった――……。346プロみたいに大手じゃなかったから、皆のように満遍なく仕事が回ってくることがなかったのよ」

 

 

 

 

 それが私には最後まで出来なかった。こんなことを考える時点で、私はもうアイドルサバイバルに負けていたのだと思う。

 会社と契約し、私はアイドル活動を行った対価として会社から給料を頂く。給料が発生する以上、これは学校の部活や遊びなどではなく、れっきとした仕事になる。だからみんなと一緒に楽しくやれたら良い――……、そんな私の思考はそもそも間違っていたのだ。生きていくために、夢を叶えるために、必死でレッスンをしている子たちもいる。どうにかして自分の名を世間に轟かせようと、死に物狂いで頑張っている子たちを私は沢山見てきた。それでも夢を掴めるのはほんの一握りだけだったのだ。

 いつからか、そんな風に必死に生きようとする子たちを見て私はとても失礼なことをしているのではないかと思うようになった。皆で一緒に楽しくやれれば良い、そんな事を考えてしまっている自分はこの場に居ちゃいけないのではないかと。何度も何度も私は考えた。私だってアイドルになりたい、だから私ももっと皆のようにならないといけないのだと、こんな甘い思考は捨てないといけないのだと。

 だけど、結局最後まで私にはそれが出来なかったのだ。どうしても自分の本心に嘘を付いて無理矢理言い聞かせることができなかった。

 

 

 

 

「社長にも言われたわ、『蹴落とすことが正しいとは思わないけど、誰かが幸せになるのには誰かが不幸にならないといけない』ってね。そう割り切れなかった時点で、私はアイドルには向いてなかったのよ」

 

 

 

 

 その点、私は皆が羨ましかった。

 私が765プロにいた頃と違って、大手企業である346プロには沢山の仕事が舞い込んできている。当時の765プロのように一つの仕事を数人で奪い合うのではなく、それぞれの能力に合わせた適材適所の仕事を選んで割り振られているのだから。

 皆同じ夢を持っていた。私も、春香ちゃんも、美希ちゃんも、みんな同じアイドルになる夢を抱いていた。キッカケや理由は別々でも、それぞれが熱い情熱を内に秘めて憧れる自分を目指して、死ぬ気で努力して少しでも夢に近付こうと皆がむしゃらで必死に走っていたのだ。

 でも皮肉なことに、どれだけ頑張っても全員が夢を叶えることはできない。「頑張れば夢は叶う」なんて無責任なフレーズを言えるのは本当に死ぬ気で頑張っている人たちを見たことがない人が言うセリフだとまで私は思っていた。

 

 

――こんなに皆頑張っているのに、どうして皆が夢を叶えることができないのだろう。どうして頑張った人が泣かないといけないのだろう。

 

 

 頑張っている後輩たちの姿を見る度に、私はそんなことを考えていた。こんなに頑張っているのだから、皆が幸せになれればいいのに、と。

 だからこそ、私は今の346プロの皆が羨ましかったのだ。貴重な一つの仕事を得るための過酷なアイドルサバイバルもなく、自分のペースで自分の能力に見合わった仕事ができるのだから。

 シンデレラプロジェクトの皆は本当に仲が良い。そんな皆を見て、もし私がこういった環境で春香ちゃんたちと出会うことが出来ていたのなら――……。なんて事を今まで何度も何度も考えたこともあった。

 

 だがいくらシンデレラプロジェクトの皆を羨ましく思ってたり嫉妬したところで、時間が遡るわけではない。もう私の青春時代は戻ってこないし、今の私はアイドルではなくシンデレラプロジェクトのアシスタントなのだ。

 それにこんなことを考えている時点で、例え何度青春をやり直せたとしても私は本物のアイドルにはなれなかったと思う。

 

 

 

 

「コウカイ……、はしてないのですか?」

 

 

 

 

 アーニャちゃんの言葉に私は唸った。

 後悔はしていないと思う。今の私でも、同じシチュエーションに巡り合ったら同じ選択をすると思うから。

 

 

 

 

「後悔はしてないわ。でもね、ほんの少しだけ未練はあるかしら」

 

「未練って?」

 

「みりあちゃんは昨日居なかったら分からないと思うけどね、昨日ニュージェネレーションズの三人がイベントを行った場所では私も昔何度もイベントを行っていたの。初めて人前で歌ったのもあそこ、そして最後のイベントを行ったのもあそこのショッピングモールだった……」

 

「私たちが昨日歌ったステージにちひろさんも立っていたんですね……」

 

「そうよ。だから昨日あのステージで歌う卯月ちゃんたちが少しだけ羨ましかった――……」

 

 

 

 

 昨日、私の思い入れのあるステージにニュージェネレーションズの三人が立つ姿を見て、何度も何度も八年前の私と姿を重ねてしまった。そして何度も何度も渇望した、私ももう一度だけあのステージに立ちたい、と。

 大きなライブ会場じゃなくてもいい、小汚い路上でも小さなショッピングモールのステージでも、どんな場所でも良いからもう一度だけあの頃のように大勢の前で大好きな歌を歌いたい。そんな今更願ったところでどうしようもない儚い夢を、シンデレラプロジェクトの皆がステージで輝く姿を舞台袖から見守っていた私はずっと思い描いていた。

 

 

 

 

「今でも皆を見ていると思うわ、私もステージに立って人前で歌いたいなぁって」

 

 

 

 

 思わず独り言のように、私の口から言葉が洩れてしまった。

 今更どれだけ願ったってどうしようもないことなのに。そのことを理解しるはずなのに。それでもこうして時たま言葉に出してしまう自分が駄々をこねている小さな子供のように思えてきて、なんだか恥ずかしくなってしまう。

 

 

 

 

「でもね、今はシンデレラプロジェクトの皆が輝く姿を見ることが私の夢なの。だから……」

 

「ちょっと待ってよ!」

 

 

 

 

 シンデレラプロジェクトの皆に、ではなく、自分に言い聞かせるように話していた私の言葉を遮ったのは凛ちゃんだった。

 凛ちゃんの大きな声がシンデレラプロジェクトルームに響き渡る。その迫力に押され、私も思わず言葉を止めてしまった。

 

 

 

 

「それは本当にちひろさんの本心なの!? 765 ALL STARSの時も、今も、そうやって人の事ばっかり優先して、それでちひろさんは本当に後悔しないの!?」

 

 

 

 

 初めて見るここまで凛ちゃんが熱くなっている姿に、再びシンデレラプロジェクトルームが静まり返った。皆が凛ちゃんを見つめる中、凛ちゃんは翠の眼差しで私だけを射抜くようにして鋭く見つめていた。

 凛ちゃんの言葉に、私の胸の奥にあった中途半端な何かが音を立てて壊れた気がした。あの日からずっと抱えていた、自分自身でアイドルを辞める選択をしたのに消えなかったモヤモヤが、未練が、音を立てて壊れたかと思いきやスッと私の胸の奥から消え去って行ったのだ。

 私は自分の夢より大好きな後輩たちを選んだ。これからずっと死ぬまで叶わなかった夢を抱えて生きていくことになったとしても、この道を選んだのは私なのだ。静かに右手を握り締め拳を作る。この言葉を言ってしまったら最後、本当の意味で私はもう後に引けない気がしていた。

 

 

 

 

「……後悔しないわ。例え未練があったとしてもね。一つの選択で全てが綺麗に解決できるほど、人間の心は上手くできていないのよ」

 

 

 

 

 それこそ誰かを蹴落とさなければ自分の夢が叶えられないのと同じように。私はアイドルを辞める道を選んだ、だけどその道を選んだからといってキラキラ輝くステージへの未練が完全に消えるわけではない。八年が経過した今でも、そのしこりは消えることなく私の胸の奥底に存在し続けていた。

 これが人間という生き物なのだと思う。時に酷な選択を迫られ、どちらかを選んだとしてもそれで全てが完全に綺麗に収まるわけではない。時には選ばなかった道を思い出し、その道を選んだ自分を想像しながら長く続く人生を歩まなければならないのだ。

 何かを得るために何かを捨てる、こんなことができるのは極わずかな人間だけだと思う。いや、もしかしたらそんな人間は誰一人としていないのでないかとさえ思ってしまう。

 どんなことでも、完全に忘れ去ることなんてできないのだから。

 

 

 

 

 凛ちゃんは私の言葉に何も言わなかった。

 


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