【完結】Innocent ballade   作:ラジラルク

9 / 16
Episode.8

 

 

 人生とは本当に不思議なもので、長い人生の数千分の一、ほんの一日のたった数分の出来事でそれまでの人生からは全く考えられないような方向へと舵を切ることがある。この言葉をいつ知ったのか、それも本で読んだのか遠い過去の偉人の台詞なのかテレビで偶然見かけたのか、そんなことは今となっては覚えていない。ただ私はその言葉をずっと記憶の片隅にしまい込んでは、忘れることなく覚えて続けていた。

 まさにこの言葉通りだと、私も思う。それこそ中学三年生の時のあの夏祭りの日、歌い終わった私に高木社長が声をかけるまで私は自分がアイドルを目指すことなんて考えたこともなかったのだから。あの時、高木社長と話をしたあの数分、あの数分はこれからも長く続く長い人生の中で見るとまさしく刹那のような瞬間だった。だがその刹那の時間がキッカケで私の人生は予想もしなかった方向へと走り出した。あの時アイドルを目指そうと思って、そして挫折して――……、全てが今に繋がっているのだ。

 そんな経験があったからか、私は薄々勘付いていたのかもしれない。アイドルを辞めてから平凡な八年の月日を生きてきた私の周りで、最近になって何かが起ころうとしていたことを。そう思い始めたのがいつからだろうか、ニュージェネレーションズのミニライブでショッピングモールの女性と当時私を応援していてくれたファンに会った時からなのか、それとも恵子の結婚式で冬馬君に会った時からなのか――……。

 こればっかりは分からなかった。だけど、今になって思えば全てが何かが起ころうとする前兆だった気がする。あの大雨の日から過ごしてきた私の平凡な時間が、静かに音を立てて動き出そうとしていたのだ。

 

 そして夏の日差しも少しばかり弱まり始めた九月の中旬。いつもと同じような朝を過ごしていた私。今日も明日も、きっとこれからもこんな朝が永遠のように繰り返されては続いていくのだと思っていた。

 いつものようにトーストをかじりながらボンヤリと朝のニュースを見ていた私はその映像に目を疑った。そして確信したのだ、私の人生を変えようとする何かが動き出そうとしていることを。

 

 

 

 

“昨晩、今年の一月から改修工事が行われていました東京グリーンアリーナの現場で作業中に鉄パイプが数本落下する事故が起こりました。その鉄パイプが落下した際、近くで作業していた作業員三名が転落。幸い、死者は出ておりませんが転落した作業員三名とも重体で近くの病院で治療を受けているとのことです”

 

 

 

 

 淡々と言葉にする男性のニュースキャスター。

 私はそのニュースを見て少しばかり残っていた眠気が一気に吹き飛んで行ってしまった。事故が起こった東京グリーンアリーナは、改修後十一月に346がアイドル部門設立五周年記念ライブを行う予定だった会場だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝から社内は大変な騒ぎになっていた。止まることなく次々にかかってくる問い合わせの電話、その対応に追われ346プロの事務員は朝から広い社内を慌ただしく走り回っている。正門のところには時間が経つにつれ次第に増えていく報道関係者たちの群れが出来上がっていた。

 昨晩起こった改修工事事故。これを受けて建設会社は昨夜の遅い時間に改修工事の見合わせを発表した。三人の従業員がこの事故で重体になっただけでなく、現場の管理の甘さ、そして作業員たちの長時間重労働が公に指摘されたのだ。

 年明けから近年では最大とも言われた大寒波に見舞われ東京には大雪が降り、梅雨時には数年ぶりに台風が上陸した。幾度となく続いた悪天候で改修工事は予定よりも遥かに遅れてしまい、それにしたがって急ピッチで作業をしていると私たちは聞かされていた。それでも十月中旬には完成予定だと聞いていたが、この事件を受けて無期限の作業見合わせ。ほぼ確実に346プロが予定していたアイドル部門設立五周年記念ライブには間に合わなくなってしまったのだ。

 だがそんなことを予想もしていなかった346プロはもう全てのチケットを売り捌いてしまっていた。三万枚ものチケットはファンクラブ先行販売、一般販売の二段階で完売、ライブももう三か月後に迫り、地方から見に来るファンの人たちの中には既にホテルや航空券も予約している人もいるだろう。

 要するにあとはライブ会場の改修工事が終わり、ライブ当日を迎えるだけになっていたのだ。だがその肝心のライブ会場がこれで使えなくなってしまった。ライブまでの残り三ヶ月、この僅かな期間でチケットを持つ三万人のお客さんを全員入れることのできるキャパを持つ会場を東京で新たに抑えるのは不可能に近かったのだ。

 

 ライブの開催はどうなるんだ、航空券やホテルにチケットの払い戻しはあるのか、事件を見て不安になった日本中のお客さんたちの問い合わせが朝から後を絶たなかった。

 

 

 

 

「ち、ちひろさんっ! 私たち、ライブはどうなるんですか!?」

 

「まさか中止とかならないよね!?」

 

 

 

 

 この事件が巻き起こした不安はファンだけではなく、紛れもなくシンデレラプロジェクトの皆にも伝染していた。シンデレラプロジェクトルームに到着した私が見たのはこの騒ぎを受けて明らかに動揺しているシンデレラプロジェクトの十四人だった。皆が不安そうに私の顔を見ている。

 こういう時は嘘でも『大丈夫』だと言ってあげればいいのだろうか。いや、彼女たちももう子供ではない、きっとそんな無責任な言葉をかけたところで何の気休めにもならない。ならどうすればいいのか、十四人分の不安が一斉に私にものしかかってきて私は息苦しくなってしまう。

 

 

 

 

「今の段階ではまだ分かりません。プロデューサーさんが今、美城専務たちと会議を行っています。皆さんは落ち着いて続報を待っていてください」

 

 

 

 

 こんな機械的な答え、誰も望んでいないことくらい私でも分かっていた。でもこう言うことしかできないのだ。ここで無責任なことなんて口が裂けても言えない。私はあくまでシンデレラプロジェクトのアシスタントなのだから。あとはプロデューサーさんや美城さんに任せることしかないのだ。

 私の言葉に皆は黙り込んだ。皆頭では納得したようだが、それでも動揺を隠しきれていない表情を浮かべている。そんな不安を隠せない皆を見て、私は何て無力なのだろうと痛感させられた。もっとこの子たちの不安を和らげることのできる言葉をかけてあげれたら良いのに。何度も何度も心の中でそんなことを考えるも、私の口にこの場に最適な言葉は思い浮かんでこなかった。

 

 

 

 

「ま、今はP君を信じて待つにぃ。P君ならぁ、きっと何とかしてくれるよぉ! ねっ?」

 

「そうだね、今は待つことしかできないもんね」

 

 

 

 

 凛ちゃんは硬くなった表情を崩し、溜息交じりにそう呟くと力なく笑った。それと同時に、シンデレラプロジェクトルームに張り詰めていた緊張の糸がほんの少しだけ緩んだ気がする。

 きらりちゃんに助けられた形になってしまい、私は心の中で何度も何度もきらりちゃんにお礼を言った。その心の声が聞こえたのか、きらりちゃんは一瞬だけ私を見ていつもの皆を元気付けてくれる笑顔を私に向けてくれた。

 

 

――でも実際どうなるんだろう。

 

 

 常識的に考えてライブ三か月前に新たな会場を抑えることはほぼ不可能だ。それに売り捌いてしまった三万枚ものチケットを持つお客さんを全て入れることのできる会場なんか日本全体でも数えるほどしかない。よっぽど奇跡でも起きない限り、どうしようもないのが現実だった。

 だがアイドルたちも全国のファンも、皆このライブを心待ちにしている。346プロアイドル部門設立五周年記念と大々的に謳って企画されたこのライブは、346プロで活躍するアイドルたちが一度に集結する大舞台になるはずだった。五年目を迎えようやく軌道に乗り始めた346プロのアイドル部門としても、舞踏会で結果を残し存続を勝ち取ったシンデレラプロジェクトとしても、このライブはこれからの更なる飛躍のキッカケとなる非常に大きな意味を成すライブだったのだ。

 もしそんなライブが中止となったら高倍率の中からチケットを勝ち取ったファンたちはどう思うか――……。

 

 アイドル部門設立五周年記念ライブ、このメモリアルライブは絶対に成功させないといけないライブなのだ。

 

 

 私は誰もいないプロデューサーオフィスから外を見下ろす。正門には朝見た時より更に増えた芸能関係者たちが大挙して駆け付け、開く気配のない入り口をじっと見つめていた。その光景を見て、ドッと疲れが出てきたような気がして私は思わず深い溜息をついたのだった。

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

「だ、大丈夫ですか!? プロデューサーさんっ!」

 

「はい、大丈夫です。ちょっと昨晩から寝てなくて……」

 

 

 

 

 昼過ぎ、プロデューサーさんがシンデレラプロジェクトルームに帰ってきた。今日初めて見たプロデューサーさんは別人のように疲弊していた。まるで何日間も何も食べず飲まずで陽の光の当たらないところで生活していたかのように、疲れ切った表情で私に笑って見せる。目元に出来たクマが、その疲れ果てたプロデューサーさんの表情を更にげんなりとさせているようだった。そんな変わり果てたプロデューサーさんを見て、シンデレラプロジェクトの皆は何も言わなかった。いや、言わなかったというよりは“言え”なかったのだろう。言葉にせずとも今自分たちが迎えている状況の厳しさを知るのには、プロデューサーさんの表情だけで十分だったのだ。

 プロデューサーさんは自分の姿を見て動揺しているシンデレラプロジェクトの皆にいつも以上にぎこちない笑みで軽く一礼すると、そのままプロデューサーオフィスに入って行ってしまった。慌てて私も後を追うようにプロデューサーオフィスに入る。部屋の中ではプロデューサーさんがぐったりとした様子で椅子に持たれかかり、力なく首に絞められたネクタイを緩めていた。

 

 

 

 

「また一時間後に会議が再開します。シンデレラプロジェクトの皆は千川さんにお任せしてよろしいでしょうか?」

 

「はい、大丈夫ですけど……」

 

 

 

 

 どう見てもプロデューサーさんは大丈夫ではなさそうだった。恐らく昨晩の工事見合わせの報道を受けてから日付が変わる頃に出社し、一睡もせずに緊急会議に参加していたのだろう。だが半日もの時間を費やした緊急会議でも良い案は見つからなかったようだ。完全に疲れ果てたプロデューサーさんの様子を見るだけで私はある程度の状況を察することができた。

 

 

 

 

「……それで、会議の方は?」

 

 

 

 

 聞かなくてもある程度は予想できた。だけど一応、もしかしたら何かシンデレラプロジェクトの皆を少しでも安心させられる話があるかもしれない。

 そんな淡い期待にかけて、私は申し訳ない気持ちを持ちながらそう問いかけてみた。プロデューサーさんは私の問いに疲れているのに関わらず、嫌な顔一つ見せないで一枚の裏紙を見せてくれた。その裏紙には凄まじい量の文字が書き殴られている。どうやら半日近く時間を要した会議で使った裏紙のようだ。

 

 

 

 

「一応、東京の他の場所でできないか模索する話にはなっているのですが……」

 

 

 

 

 プロデューサーさんはそこまで言うと力なく裏紙の右端を指さした。

 

 

 

 

「東京で三万人を収容できる会場となると、この時点で二か所に絞られます。一つはここです。正式には二万八千人収容ですが、立見席を作ったりステージのセットを極限まで削ればギリギリ三万人は入らない数ではないと思います。ただ、そのぶん安全性が落ちてしまうのと、なにより私たちのライブの前日にジュピターがここでライブを行うことになっていました。一晩での搬出、搬入は不可能なのでここは候補地からなくなりました」

 

「まぁ、一晩じゃさすがに無理ですよね……」

 

「二か所目は東京ドームでした。十一月中旬なら幸いプロ野球のシーズンも終わっており、プロ野球と被る心配はありません」

 

 

 

 

 ですが……。そう言うとプロデューサーさんは疲れたように溜息を付き、困った時に見せる手を首の後ろに回す仕草を見せた。

 

 

 

 

「東京ドームは二年前から765プロとスポンサー契約を結んでおり、再来年まで契約が残っています。765プロのスポンサーである東京ドームが765プロの許可なく我々に使用許可を出すのは恐らく契約違反でしょう。それに同じアイドル部門を抱えるライバル会社同士、765プロが我々のイベントに使用許可を出すとも考えられません。よって、東京ドームも候補地からはなくなりました」

 

 

 

 

 これで一通りの説明は終わったようだ。プロデューサーさんは再び倒れるようにして椅子の背もたれに背中を預けて、何もない天井を溜息交じりに見つめた。

 もうどうしようもなかった。ライブ会場がなければ当たり前だがライブは行うことができない。かと言ってチケットを買ったお客さんの何千人かを削って少し小さなキャパでライブを行うことも当然無理だし、残り三ヶ月で今更東京ではない地方の会場に変更することもできない。時期も時期で十一月になるから野外コンサートにすると寒さの問題も出てくる。

 もう完全に詰まってしまっていた。その現実は誰が見ても明らかだったのだ。

 事故が起こってしまったのは今更どうしようもない。建設会社を責めるわけにはいかないし、彼らだって悪天候によって工事が遅延しながらも、なんとか期限までに終わらせようと必死になって頑張ってくれていた。今朝だって建設会社の社長さんが346プロにまでやってきて何度も何度も頭を下げていた。彼らが必死になって頑張っていたことを私たちは知っていたから、誰も何も言えなかった。

 でも――……、それでも私は割り切ることができなかった。色々な苦難を乗り越えてきたシンデレラプロジェクトの皆も、他の部署のアイドルたちも、皆この346プロのアイドル部門史上最大規模と言っても過言ではないこのライブを楽しみにしていたのに。このアイドル部門設立五周年記念ライブで新たに全国デビューする数人のアイドルたちの話も、私は美城さんから聞いていた。その子たちだって、勿論全国のファンの人たちだって、皆がこのライブを心底楽しみにしていたはずだ。

 

 

 

――本当にもう手詰まりなのだろうか。どうにかしてライブを行う方法は本当に残されていないのだろうか。

 

 

 

 その時だった。私の頭に小さな電流のようなものが流れたかと思うと、一つの案が思い浮かんだのだ。それは限りなく可能性が低い案だった。だけど、今のこの四方八方行き詰っている状況からすれば一番可能性のある案なのだと、私は確信した。もうこの方法しかないのだと。

 無意識に両手を叩いた私を、プロデューサーさんは訳が分からずボンヤリと見つめている。

 

 

 

 

「千川さん……? どうかされましたか?」

 

「美城専務は今どちらへ?」

 

「え、美城専務ですか? 専務ならまだ三十七階の会議室にいるかと……」

 

「分かりました、ちょっと行ってきます」

 

 

 

 

 そこまで言うと私は咄嗟に足を動かし、プロデューサーさんに踵を返して走り出した。背中からプロデューサーさんの声が聞こえてきた気がしたが、それも耳に入る前に私はプロデューサーオフィスを飛び出した。プロデューサーオフィスから勢いよく出てきた私を、シンデレラプロジェクトの皆は驚いたようにして見つめている。だが、その皆の視線に目もくれずに私は一直線にシンデレラプロジェクトルームを出て、エレベーターへと走って行ったのだった。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

「ちひろか……。そんなに慌ててどうした?」

 

 

 

 

 広い会議室の窓際で一人佇む美城さん。この広い会議室には美城さんの低い声が響いていた。昨日見た時とはまるで別人のように美城専務も疲れ果てており、その表情から疲労困憊な状態を隠しきれずにいる。走ってきたせいで身体が熱くなり、肩で息をしている私を美城さんは疲れた目を少しだけ見開いて見つめていた。

 数年ぶりの全力ダッシュで思っていたように息が切れてしまい、私は美城さんの言葉に応えようとしても喉が言う事を聞かずに上手く開くことができなかった。早く乱れた呼吸を整えようと慌てて深呼吸をしてしまい、余計に呼吸が乱れてしまう。そんな一人で荒い息をしている私を美城さんは怪しむような眼差しで見つめて、首を傾げていた。

 

 

 

 

「美城さん、良い解決策は見つかりましたか?」

 

 

 

 

 ようやく呼吸が落ち着き、私はゆっくりと窓際で佇む美城さんの元へと歩み寄った。美城さんは相変わらず疲弊した表情のまま、一度溜息を付くと力なく笑った。

 

 

 

 

「彼から聞いていないのか? これだけ話し合っても何も案が出てこないんだ」

 

「……一つだけ、私に良い考えがあります」

 

 

 

 

 珍しく弱気になっていた美城さん。私の言葉にそんな美城さんの表情から一気に疲れが吹き飛んで行ったようだった。疲弊した表情から一変、充血した目を大きく開いて私を見つめている。

 それから美城さんに私が思い付いた案を説明した。恐らく誰もこの方法は考えていなかったのだろう、手短に話した私の説明を聞いている間、ずっと美城さんは腕組をして聞いているだけで何も言わず、ただただ淡々と話す私を驚いた表情で見ているだけだった。

 

 

 

 

「……そんなことが、できるのか?」

 

「可能性は僅かですが、やってみる価値はあると思います」

 

 

 

 

 一通りの説明を聞いた美城さんの言葉に、私は力強く頷く。

 おそらくこれしか今の状況を打開する方法はないのだと思う。だから例え可能性は低くても、やってみるしかないのだ。何もしなかったら当たり前だが、ライブは行えないのだから。

 

 

 

 

「ちひろの言う計画が上手く行ったらライブは行える。そして我々も当初の予想以上の成果が出せると思う。だけど……」

 

 

 

 

 そこまで言うと、一度言葉を区切る。

 そして申し訳なさそうに私を見て、普段冷徹な仮面を被った美城さんからは想像できないようなか弱い声で静かに呟いた。

 

 

 

 

「ちひろ、お前は大丈夫なのか……? お前にとっては辛い仕事になるのではないか?」

 

「私は大丈夫ですよ。あんなに皆頑張ってるのに、ライブが中止になる方が私は辛いですから」

 

 

 

 

 少しだけ強がって笑顔を繕って、私はそう答えた。美城さんはそんな私の奥底に隠した本心まで見抜いていると思うけど。

 でも美城さんはこれ以上私の作った強がりを剝がそうとはしなかった。その代わりにまた疲れたような表情で溜息を付くと、苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

「お前は本当に何処までもお人好しだな……。ありがとう、本当に感謝している。自分の事より会社のことを、アイドルたちのことを、いつも考えてくれているお前には頭が上がらないよ」

 

 

 

 

 そう言って美城さんは深々と私に頭を下げる。

 

 

 

 

「ちひろ、お前は今日は帰りなさい。一晩で色々と頭の中を整理する時間も必要だろうから。先ほどの件は午後からの会議で皆に話してみようと思う。恐らくちひろの案が採用されると思うから、それが決まり次第私から連絡を入れよう」

 

「美城さん、ありがとうございます。よろしくお願いしますね」

 

「それは私の台詞だ。ちひろ、本当にありがとう。お前には感謝しても感謝しきれない……」

 

 

 

 

 それから私は美城さんの指示通り、ワンルームマンションへと帰った。

 そして私がワンルームマンションにちょうど着いた頃、美城さんからメールが届いた。私の案が採用されることになったと、そう書かれたメールを見て私の鼓動は勢いを増して動き始める。もう後戻りはできないのだと、今更ながらそう思うと色々な想いが胸の中で交錯した。

 私はワンルームマンションのエントランスの前で私は夕焼けに染まり始めた空を見上げた。九月中旬になっても広い空を覆う入道雲が、赤い夕焼けに照らされオレンジ色に染まっている。

 

 あの日以来、止まっていた私の運命が大きく動き出そうとしているのだろう。

 

 大きな入道雲を暫く眺めていた私はそんなことを考えていたのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。