新世紀エヴァンゲリオン リナレイさん、本編にIN 作:植村朗
その部屋は、とにかく
低い天井と冷たい床は黒く磨き上げられ、何やら幾何学的な文様が描かれている。
『十個の丸』を規則的に並べ、『二十二の道』で縦長の六角形状に繋がれたそれは、オカルトや神話に詳しい者であればユダヤ教の神秘学にある『
パチッ…… パチン…… パチンッ…… パチッ……
そんな一種異様な雰囲気を持つ場に、盤と駒のぶつかる音が響いていた。
盤を挟んで相対するは、二人の人物。
片や第壱中学校の制服を着た蒼髪の少女、綾波レイ。
片やブラウン基調のNERV高官服を纏う初老の男…同機関の副司令、冬月コウゾウ。
木製の戦場を舞台に、真剣勝負の真っ最中である。
パチィッ…! ピンと伸ばし、揃えられたレイの人差し指と中指が、盤に大駒を叩きつけた。
少女の赤い瞳は対手を見すえ、不敵に笑む。
「王手ッ! どぉーよ、じっちゃん!」
「ふむ」
パチン。盤上を斜めに走る
「なにぃっ!? A.T.フィールド!?」
「盤上にそんなもの有りゃせん。
察するに…『王手』と
「おぉう…バレてーら…」
「解らいでか。見ろ、
『どう攻め、どう守るか』『何を犠牲にし、何を生かすか』…勝つためには、常に冷静でなくてはならん」
「ぐぬぬぬ、まるで将棋だな!」
「まるでも何も将棋そのものだ。十七手先でお前の詰みだぞ、レイ」
お前は何を言っているんだ、とばかりの表情を浮かべる冬月。
ウンウンと唸った末に、レイは両手をついて一礼した。
「うぅー最早これまで! 負けました!
チックショー! そのうちじっちゃんにキャーン言わせてやるからなぁー!」
「駒の動きを覚えたばかりの小娘には、まだまだ負けはせんよ。
このジジィのつまらん
素直に負けを認めたかと思えばガバッと顔を上げ、相手に人差し指を突き付けるレイ。
対する壮年の副司令は、年長者の余裕で笑ってみせる。
ここしばらくは多忙で、合間を見て詰将棋の問題集と睨めっこするだけだった冬月。
相手は初心者とはいえ久々の対人戦とあって、とても満足げであった。
「…あの、冬月先生。一応ここ、
「おぉ、そういえばお前もいたな、碇」
将棋盤の隣。
机に肘をつき、組んだ指で口元を隠すいつものポーズのまま。
遠慮がちに口を挟んだのはNERV総司令、碇ゲンドウさん(48)。
冬月としては、普段彼から面倒な仕事を押し付けられている事へのささやかな報復である。
ゲンドウの威厳が削られ始めたのは、いつからだっただろう。
性格変化直後のレイに「剃れ!」と言われてヒゲを剃ってからか?
第七使徒イスラフェル戦でテンションが無駄に上がり、マイクを持って歌い踊ってしまってからか?
少しずつだが、部下であるNERV職員達から親しまれるようになったのは良い傾向かもしれない。
…決して舐められている訳ではないはずだ。多分、きっと、おそらく。
だが、それにしてもこれは。
自分の領域である司令室にいながら、
扱いがぞんざい過ぎるのではないか。
あんまりと言えばあんまりではないか。
「あー、メンゴメンゴ。将棋にハマってすっかり忘れてた。ま、強く生きろゲンちゃん」
「問題ない……問題ないっ……」
ケラケラと笑うレイ。ゲンドウのサングラスの下から、つぅ――…と、一筋の雫が流れた。
******
「んで、あたしの任務はエヴァ初号機を運用…
NERV本部最下層・ターミナルドグマに安置された『白い巨人』に『槍』をぶっ刺すだけの簡単なお仕事、と」
「そうだ」
ゲンドウは改めて作戦を復唱したレイに、淡と答えてみせた。
ようやく気を取り直したか、と苦笑したのは彼の隣に立つ冬月。
簡単なお仕事…作業自体は単純だが、内容は重要だ。
白い巨人とは、第一使徒アダム…休眠状態でありながら強大なエネルギーを内に秘めた、大災厄セカンドインパクトの元凶。
ごく一部の例外を除き、使徒がまっすぐにこの街に向かってくる原因は、このアダムと接触してサードインパクトを起こすのが目的だという。
そして『槍』は第十使徒サハクィエルとの戦いの最中、南極から運搬されてきた『ロンギヌスの槍』。
イエス・キリスト処刑の際、彼の脇腹を突いた兵士、ロンギヌスの名前にちなんだ、古き聖遺物の名を冠するモノである。
アダムは休眠状態であるが未だ死んではおらず、活動を抑制するためのストッパーとして槍を刺すのが今回の目的だった。
レイが思案する時の癖…彼女は唇に指を当てて、上を見る。
天井の紋様…
「ねーゲンちゃん。初号機を使うのはなんで?
零号機をあたしのデータに戻した後、特に暴走なく再起動したっしょ?
だったら零号機で作業やった方が安定しそうなもんだけど」
「零号機には既に第四使徒の因子が組み込まれている。
アダムと接触すればサードインパクトが起こりかねん」
「えー、なにそれこわい。
んじゃあ
割と器用だから、槍刺す作業ぐらい出来るっしょ。
「アレを十全に扱うには、あちら側のオペレーター…すなわち外部の人間を使わねばならん。よって却下だ」
「なるほどねー。ある程度は機密に触れてて、かつエヴァも使えるあたしが適任ってか。
ま、碇くんは病み上がりだし、アスカっちはこういう地味ィ~な作業に弐号機を使いたがらないだろーしね」
先日の相互互換テストは、零号機の暴走により中断。
同機が停止したのち、パイロットの碇シンジは救出された。
見たところシンジに目立った外傷はなく、ミサトやアスカ、オペレーター陣が見舞いに来た時の受け答えも明瞭であったが、リツコとの問診の際には何故か不意に目を反らしたり、レイが病室を訪れた時にも「何かを話そうとして、言いあぐねる」という様子が見られた。
症状はあくまで軽度の心労の範囲であり、懸念されていた精神汚染の後遺症が残っている可能性は低いようだが、念のため精密検査を含めて入院措置が取られている。
「セカンド・サード両チルドレンをこの件に関わらせるつもりはない。レイ、お前だけしか出来んのだ」
「そりゃまぁ場所が場所だし、扱うブツがブツだし、気持ちは解るよ?
でもさ、司令は碇くんのパパでしょ? 信じられない? 自分の息子が」
「それは」
「ぶっちゃけた話ね、碇くんとアスカっちには、全部話してもいいと思ってる。
「「!?」」
タンッ…! レイの掌が机を叩き、NERV2トップを見据える。
ゲンドウと冬月は、強い意志を持った少女の瞳に、
(ユイ…!?)
(ユイくん…まさか)
「『どう攻め、どう守るか』『何を犠牲にし、何を生かすか』『勝つためには、常に冷静に』
…だったよね、じっちゃん? あたしにも独自の情報と
とゆーことで!
見事作戦を遂行して参ります…っとくらぁ!」
姿勢を正したレイは一度敬礼…そこから慌ただしく身を翻して司令室を後にした。
「参ったな碇。詰まされているのは、俺達の方だぞ」
「問題な…いや、問題しかない」
残された大人二人の背は、煤けていた。