「待って!」
客席へと戻る長い渡り廊下に、マユヅキ・ミカの強い声が響き渡った。
先行するエコールの少女たちが足を止め、思わず驚きの声を洩らす。
「げ……、アレはもしかして、例のはま高のどさんこではないかしら?」
「今度は一体、何の因縁でありますの?」
息せききって現れたミカの姿を認め、かしましが面倒くさげに囁き合う。
一方、中央のリュウザキ・アゲハはただ無言で、眼前の少女に訝しげな視線を向けていた。
しばしの沈黙。
呼吸を整え、次の瞬間、再びミカが口火を切った。
「この間はゴメンなさい!」
そう言って、深々と頭を下げる。
思いもよらぬ展開に、かしましが戸惑いがちに視線を泳がせる。
「……貴方に、謝られる謂れなどありませんわ」
やや困惑気味に眉を歪めつつ、にべもなく、アゲハがそう言い放った。
「むしろ、謝らねばならいのは私の方です。
先日は情けなくも取り乱し、事情も知らぬ貴方に不快な思いをさせてしまいました」
「ううん、あたし、タンク道やってるから」
殊勝なアゲハの言葉に対し、それでも頭を上げる事無く、ミカが応える。
「あたし、先生たちの戦いも、ヒロちゃんの事も何も知らなかった。
アゲハさんみたいに、タンク道って言葉に特別な意味を見てる人も、
ガンプラバトルの世界には沢山いるんだって、これまでは考えた事も無かったんだ」
「…………」
「だから……、ううんと、だから、ゴメンナサイ!」
ぐしゃぐしゃになりかけた言葉を力づくでまとめ、再びミカは謝罪を口にした。
下がりっぱなしの亜麻色のおさげを見つめながら、呆れたようにアゲハが一つ溜息を吐く。
「謝罪の押し売りとは、貴方もまた、随分と強情ですわね」
「…………」
「お顔をお上げなさいな。
これではまともにお話も出来ません」
言われ、ようやくミカも頭を上げた。
細長い回廊で少女が二人、真っ直ぐに視線を交わす。
静寂に満ちた空間に、次試合の始まりを告げる歓声がこだまする。
彼方からの観衆の叫びに紛れるように、ぽつり、とアゲハが口を開いた。
「……まだ、お名前を聞いていませんでしたわね?」
「ミカ、マユヅキ・ミカ」
「そう……。
ミカさん、一つだけ確認いたしますわ」
一つ断りを入れて、アゲハはじっ、とミカの姿を爪先から頭部までねぶるように見回した。
「ミカさん、
貴方は今日、タンク道の歴史を知らなかった事について、謝罪しに来た……。
それで間違いありませんわね?」
「うん、そう」
「でしたら今日の出で立ちは……、
そう解釈しても宜しくて?」
「……うん、そうだよ。
ヒロちゃんのやってる事、私たちのやってる事、
アゲハさんに認めてほしいって、あたし、そう思ってる」
問い質すアゲハの語調が、僅かに重みを増した。
対し、ミカもまた臆する事無く、殊更に自らの姿を見せつけるように両手を広げた。
新撰組を模した、生地の薄い安物の半纏。
先日の諍いの元となった戦闘服を、ミカは未だに脱ぎ捨ててはいなかった。
「む、何だか分からないけれど、もしかして私たち、萱の外にされてますの?」
「うぬぬ、さっきから黙って聞いていれば、少しばかり身の程を知らな過ぎではないかしら?
水泳部と泥仕合をやらかすような時代遅れのタンク乗りの、一体何を認めろと言うのかし――」
「よろしくてよ、ミカさん」
色めき立つ左右のかしましを片手で制し、くすり、とアゲハが微笑した。
ぞく、とミカの背筋が震える。
それは、余裕や嘲りと言うよりも、より好戦的な含みを持った笑みであった。
「貴方の胸に、かつて国内を制した『
私とて、相手にとって不足はありません。
当代に巡り合わせたファイターの端くれとして、全身全霊を以てお相手いたします」
一瞬の内に微笑は消え、その言葉には大理石に例えられる揺るぎなさが戻っていた。
直に銃口でも向けられているかのような鋭い眼光が、真っ直ぐにミカの心臓を捉える。
「負けないよ、あたしは――」
「
不意に横合いから台詞を打ち消され、ミカの肩にずしりと右腕が回った。
おどろき咄嗟に真横を向くと、傍らでは部長のヨロズヤ・ギンガが、不敵な笑みを浮かべてエコールの面々と向かいあっていた。
隆々としたアホ毛をこちらに向ける胡散臭い少女。
おかしげな乱入者に怪訝な瞳を向けながら、アゲハが微妙な表情のまま記憶の糸を辿る。
「貴方は、確か……」
「はま高タンク道部部長のヨロズヤだ」
「そう、変人の親玉ですのね」
「いかにも」
拙いアゲハの厭味に対し、ギンガはいっそ清々しく応じた。
エコールの淑女たちも思わず鼻白んで、状況がいよいよ困惑し始める。
しばしの奇妙な沈黙の後、アゲハはふうっ、と一息ついて、わずかに態度を軟化させた。
「……ひとまず、貴方にはお礼を言っておきしょうか?」
「あん?」
「ヒロミさんの事。
地元大洗に一人進学して以来どうしているか、気にはなっていましたから」
「ヒュー! 余裕だねぇ大将、命取りになるぜ」
「どういう意味かしら?」
再びアゲハが訝しげな瞳を向ける。
やや間をおいて、鼻息も力強くギンガが口端を歪ませる。
「空白の一年間に牙を磨いてきたのが、自分ばかりだと思うなって事さ。
そうじゃなけりゃ素人ばかりの小生たちが、今日まで勝ち上がって来れるもんかよ?」
「成程……、認めますわ。
確かにヒロミさんは、以前よりも手を上げられました」
「んでな、ついでに予告しとくぜぇ、マダム。
二週間後の試合、ヒロミさんが守り通したタンク道が、アンタのギナを堕とす、ってな!」
「あら」
ふ、と一瞬、アゲハの口元に先ほどのこわい笑みが浮かんだ。
さすがに辛抱堪らなかったか、両サイドのかしましが堰を切ったように喰ってかかる。
「うむむ、先ほどから黙って聞いていれば!
お姉さまの寛大さに乗じての言いたい放題、これ以上は勘弁なりませんの!!」
「まったくもって同意かしら!
たかだか二試合マグレで勝ち上がって来たようなタンク乗りが、
お姉さまの美技を前に、何が出来るって言うのかしら?」
「なはははは! はははのはははっ!
お望みならば、ここから先もマグレで勝ち上がって見せたろか?
次も、その次も、そのまた次も、ピリオドの向う側が見えるまで、なあミカ」
「酔っ払ってんの、部長?
まっ、それをやるのはあたしだけどさ」
「……運と、ノリと、その場の勢い。
ふふ、随分とおかしな所ばかり遺伝したものですわね、カトリ先生」
喧々囂々と子供の喧嘩を始めた一同を前に、アゲハはそっと独り言を呟き、これ以上は付き合いきれないとばかりに背を向けた。
「さあ、カシマさんもマスノさんも、もう行きますわよ。
お話の続きは二週間後、戦場で聞かせて頂きましょう」
「見てらっしゃい。
二週間後の試合では、徹底的に叩き潰して差し上げますの!」
「ふんだっ!
時代遅れのタンクごとき、指先一つでぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅーかしら?」
「ばーかばーかばーか、悔しかったら小生の61式潰して見ろや!」
「そりゃ無理だよね、ギンちゃん選手じゃないもん」
アゲハの靴音に続いて、かしましの捨てゼリフが次第に遠くなっていく。
三人の姿が廊下の先に消えると、たちまちギンガはぐでんと体を崩し、かたわらのミカにだらしなく体重を預けた。
「どへぇ~、つ、疲れたぁ~。
ミカァ、あんま一人で無茶すんなよなぁ」
「あ、うん、ごめんねギンちゃん」
「御大将!」
ほどなく、はま高の面々が二人の元へ遅れて駆けつけた。
舌戦を終えたギンガを囲み、たちまちニバカが歓喜の声を上げる。
「すげえよ御大将! よくわからんが感動したッ」
「一生ついて行くのであります」
「まっ、選手じゃない小生たちにしてやれるのは、こんな事くらいだからさ」
「部長さん、素敵です」
部員たちの羨望の眼差しにさしたる風も無く応え、ギンガは再び傍らのミカへと視線を戻す。
「ミカもよぅ、あのマダムを一人でやっつけようとか考えなくていいんだかんな。
タンク乗りのキモは連携と戦術、だろ?」
「ん……、そだね、ありがとギンちゃん」
頼りがいのある部長の言葉に、この時ばかりは珍しくミカも殊勝に小さく頷いた。
だが……。
「……えっと、いい加減、どいてくんない?
暑っ苦しいよ、部長」
「バカ! わからんのか?」
「なにがさ?」
突然のバカ呼ばわりに反発を覚えつつ、ミカが再び傍らのギンガへと視線を落とした。
「あ」
震えていた。
相変わらず大物然と脱力したギンガの上体に対し、その下半身は器用にも、まるで生まれたての小鹿のようにガクガクと震えていた。
「こ、こここ腰が抜けちまったんだよォぉぉ。
おっかねえよマダム、頭からボリボリいかれるかと思ったぁ」
「カッコ悪ッ!?」
「部長! 台無しであります!」
「んもぉ~、だったら出て来なきゃ良かったじゃんか。
アゲハさん、そんなバーバリアンみたいな人じゃないよ?」
「うっさいうっさい! ばか!ばか!ばか!
なんだってお前はいっつも無茶すんだよぉ~。
おかげで小生、もう少しでチビる所だったじゃないかぁ!」
「はいはい、わかったわかった。
ほら、おんぶしてあげるから背中で漏らさないでよ」
「うっうう、いつもすまねえなぁ……」
感動の一時が去り、要介助者を背負ったミカが、よっこらせと立ち上がる。
その背後を支えるために、ここまで終始無言であったコバヤシ・ヒロミが寄り添った。
「部長、さっきはその……、あ、ありがとうございました!」
「ん~? ヒロミさん。
その言葉は二週間後、公約通りあいつらをやっつけた後で聞かせてくれよな」
「は、はい! そうですね。
私、頑張ります」
「良い台詞だよ、御大将、スッゲー痺れる台詞だ。
出来ればこれから姥捨て山に向かうみたいな人の口からから聞きたくはなかったよ」
「うっせー」
「一生ついて行くのであります」
・
・
・
――三日後、大洗はまぐり高校、PM19:15
五月も月末を迎え、世間的にはいよいよ各種スポーツの学生大会に向けた練習が本格的に始まろうかと言うこの時期。
とは言えここは、茨城県のアベレージ、どこにでもある普通の普通高校。
ナイターなどの金のかかる設備も無ければ、大真面目に国体出場を狙うような部活も無い。
日の落ちた学び舎には人影も無く、時刻は七不思議の跳梁する頃合いを迎えようとしていた。
ただ一カ所、かつての七不思議が一つ、学生棟三階の『開かずの教室』を除いて……。
「っしょ! 補助輪の取付、とりあえず完了であります!」
「うん、そうだね……、もう少し着脱がスムーズに出来れば有難いんだけど……」
「車体の耐久性に関わってくるからなぁ……。
ホイールの方を、もう少しばかり工夫してみようか?」
「その辺は全体を仮組みしてからでいいんじゃないかな。
実際に動かしてみなきゃ分からん課題もあるだろうし」
室内では、タンク道部の少女たちが六人、あり合わせのちゃぶ台や机を作業スペースとして、先日ヒロミが提案した新型タンクの製作作業に没頭していた。
茨城予選、因縁の第三試合まで、残り十日。
このタイミングで会場調整のため一週スケジュールが空いたのは、彼女たちにとって僥倖であったが、その日程の余裕を加味した上で、なお状況は逼迫していた。
仮組み、試運転、問題点の洗い出しに再改修、そこから塗装仕上げに機体の最終調整。
更に今回、ミカ、ヒロミ、トモエらレギュラーは、相互の連携を確かめるための実戦練習も並行して進めねばならない。
時間はいくらあっても足りない状況であった。
「みんな、やってるわね」
後背の扉がガラリと開き、顧問のカトリ・ランコが顔を覗かせた。
室内に籠った熱気が逃れ、代わりにひんやりとした廊下の空気が一同の頬を撫でる。
「あら、先生、もう閉門の時間でしょうか?」
「いいえ、大会中は学校にも許可を取っているからね。
今日はもう少しなら粘っても大丈夫、だけど……」
ランコはそこで一つ言葉を切り、ちゃぶ台の前で胡座を組んだミカに視線を落とした。
「マユヅキ、少し時間を取れるかしら?」
「ほぇ? あたし」
「ええ、あなたに少しだけ話しておきたい事があってね」
「ふぅん……」
どこか勿体つけたランコの口ぶりに疑問を抱きつつ、ミカが重い腰を上げる。
正面のギンガがミカに対し、すぐさまにやり、と意地悪げな笑みを向ける。
「へっへ、呼び出しかよミカ。
ま、こっちはやっとくから、しっかり先生の話を聞いて来るんだぞ」
「うむむ、他人事だと思って……、と、とにかく言ってくるよ」
「それじゃあ、少しマユヅキを借りてくわよ。
みんなもあんまり根を詰め過ぎないようにね」
去り際にランコが一つ、部員たちに釘を刺す。
ミカも大きく伸びをすると、慌てて彼女の後に続いた。
・
・
・
「せぇーっの!」
「どっこいせっ! ……っと! おっとっとぉ!」
鉄扉の軋む鈍い音が、どん詰まりの踊り場に響き渡った。
勢い余って外へと飛び出したミカが、目の前の光景に思わず息を呑む。
駅前を中心に街の区画を灯す生活の光。
ハイウェイの先、港近くに煌めくアウトレットモールのイルミネーション。
穏やかな太平洋は下弦の月を映してらてらと輝く。
高台に位置するはまぐり高校、その屋上は大洗の町を一望するパノラマであった。
「うっわー、すっごいなー。
ここからの風景ってこんな感じだったんだ。
あたし、屋上ってずっと立入禁止だって思ってたのに」
「元々鍵なんてかかって無いわよ、ココ。
単に建て付けが悪いだけ、十年以上も前からね。
ま、おかげで秘密基地にするにはうってつけだったワケだけど」
「秘密基地?」
らしからぬ教師の言葉に、思わずミカが首を傾げる。
ランコは少し気恥ずかしげに、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「大昔、はま高に旧模型部を立ち上げる少し前の話ね。
ツルギたちとはよくここに昇って、とりとめの無い話をしたものよ。
マジメだけが取り柄のクラス委員長が、不良を気取って屋上で良い気になって、ふふ。
浮かれきってた、今になって見れば恥ずかしい話よ」
「へーっ」
そうしみじみと語るランコの横顔に、一瞬、ミカはタンク乗りの少女の姿を垣間見た。
十年前から今と変わらぬ、野暮ったい黒のセーラー服。
おしとやかな黒のタイツに、膝丈のスカートから時おり覗く、白いレースのペチコート。
ふんわりと柔らかな、亜麻色の髪を押さえるピンクのカチューシャ――。
「――ねえ先生、なんでタンク道、辞めちゃったの?」
不意にミカの口から、決定的な質問がぽん、と出た。
たちまち教師に戻ったランコが、目を丸くしてミカの顔を覗き込む。
「マユヅキ……。
私たちとレディ・カワグチとの試合の話は、コバヤシさんから聞いてたわよね?」
「うん、どうしようもなく負けちゃったって言ってた、言ってたけど……。
でも先生、ヒロちゃんさあ、始めてバトルした時、タンク道は『道』だって。
勝ち負けだけを求めるだけじゃ悲し過ぎるって、そう言ったんだよ?」
「……そう、コバヤシさんはそんな」
「それにさあ、タンク道がどう足掻いても通用しなくなったから諦める、なんて……。
先生はとにかくとしても、ツルギさんって、そんなに物分かり良い人?」
「あら? 意外だわマユヅキ。
アンタ、適当な性格の割に案外周りを見てるわね」
感心したように大きく息を吐くと、それからランコは形の良い唇に人差し指を持って来た。
「けど、そうね、どこから説明したものかしら?」
しばし、ランコは瞑目していたが、やがて瞳を開け、ミカに対し一つの質問を口にした。
「ねえマユヅキ、『プロ』ってさ、なんだと思う?」
「んん? プロ? 何の話?」
「みんなよく言うでしょ、プロのビルダーにプロのファイター、って。
けれどガンプラバトルの世界には、奨励会も無ければプロリーグも無い。
今でこそ学生大会と言う棲み分けこそあるけれど、
それだってオープントーナメントに出場に関して制限が設けられてるワケではないわ」
「うん、言われてみればそうかもね」
「ガンプラさえあれば、誰もがトップクラスのファイターと相対し得る可能性を持つ世界。
だとしたら、プロフェッショナルとアマチュアを分かつ境界はどこにあるのかしら?」
「むむむ、また定義付けの話かぁ。
先生、まるでお兄ちゃんみたいな事を聞くなあ」
ランコの質問に対し、ミカは両腕を組み直すと、一つの推論を口にした。
「ええと、少し古臭い言い方だけど『俺たちゃこれで飯食ってんだ!』って話なのかな?
ガンプラバトルでお金を稼いで、その収入で生活する……、みたいな?」
「そっ、ざっくりだけど概ね正解よ。
それじゃあ具体的に、ビルダーの収入って、何?」
「そりゃあ……、まずは大会の賞金でしょ?
それにTV番組やCMのギャラとか、あとは……、改造したガンプラを売っ払ったり、とか?」
「付け加えるなら、セミナーや講演会、各種イベントの出演料。
それに直接的な収入とは、少しニュアンスが違うかもしれないけれど、
スポンサーや後援会からの援助ってのも一つの形よね」
「スポンサー?」
「特定の企業や団体と提携して、広告塔をやる代わりに援助を受けるって事。
パーツショップから提供された各種武装を機体に組み込んだりとか、
別業種の開発した素材をガンプラをバトルでテストしたりとか、
変わった所だと、団体マスコットを模したゆるキャラガンプラで大会に参戦してみたり、
そうそう、ガンプラバトルを広報活動にするアイドルなんてのも昔は流行ったわよね」
「ううむ、なるへそ。
世の中には色んな事を考える人がいるんだなあ」
ランコの語るガンプラ・ザ・ワールドの広大さに、ミカが感心したように溜息を吐く。
が、その内に少し眉を曇らせぽつりとこぼした。
「けどさ先生、そう言うのってさ、ちょっと息苦しくない?
それって自分の使う機体のコンセプトを、赤の他人に縛られちゃうって事でしょ?
ガンプラは自由だってメイジンいっつも言ってるのに……」
「言いたい事は分かるけどね、でもそれが現実。
賞金も稼げない、タニマチもいない三流ビルダーは、やっぱりただのアマチュアなのよ」
どこか拗ねたようなミカの声色に対し、突き放すようにランコが言った。
「機体の製作費に練習の場所、遠征費用に大会に向けてのスケジューリング。
後ろ楯を持たないビルダーは、それらを全て独力で準備しなければならないわ。
日々の仕事の合間、限られた時間の中で遣り繰りをしてね……。
ふふ、潤沢な資金の下、専属のチームを組んで大会に臨む一流所との差は開く一方よね」
「…………」
「ガンプラは自由、その言葉自体に嘘は無いわ。
ガンプラバトルは平等にチャンスを持つ競技だから、第7回大会のイオリ選手のように、
持ち前のアイディアと情熱で、一息に世界へと駆け上がるビルダーも確かに存在するわ。
けれど理想はあくまでも理想。
物語の主役ではない私たちのような凡百のビルダーは、
どこかで現実と折り合いをつけながら、一歩ずつ階段を登って行くしかないのよ」
「そっか……。
あんまり考えたこと無かったけど、プロを続けるって大変なんだ」
「……そう言った意味では、私たち旧模型部の製作環境は、本当に恵まれていたと思うわ。
運にせよマグレにせよ、デビュー戦で国内を制した私たちは、多くの支持を得る事が出来た。
面倒な手続きの全てを学校側で引き受けてくれたおかげで、
私たちは三年間、ひたすらタンク道に打ち込む事が出来た。
二年目、三年目と芳しい成績を残せなくとも、
物好きなタンク乗りたちは私たちを見捨てる事なく支え続けてくれた……。
当時のサポーターの人たちには、今も感謝の言葉もないわ」
「あ……」
回想に浸るランコの声が、微かに陰った。
それで分かってしまった。
マジメが取り柄のデコちゃん先生が、現役を退かねばならなかった本当の理由――。
「レディとの敗戦の後、最初にチームの解散を持ち出したのはね、私よ、マユヅキ。
私たちのタンク道が世界に通用する時代は終わった。
これ以上、届かない夢に周りを巻き込み続けちゃいけないって、そう言ってやったの。
シナトラ……、当時の砲手をやってたパートナーの娘も、最終的には賛同してくれたわ」
「リュウザキ先生、は?」
「アイツは論外、生まれつきバカなのよ。
周りの事なんか気にもしないし、場所も立場も面子も問わない。
酒と肴とガンプラがあれば、それでもう人生ハッピー。
いつまでたっても大人になれない、てんでダメなマッキーなのよね」
「でもあたし、リュウザキ先生のこと好きだよ」
「ふ……、陽気が取り柄のタンク乗りたちは、みーんなそう言うわ。
不思議なものよね、操縦の腕も射撃の腕も、チームの中じゃあ二線級だって言うのに。
アイツはいっつも、まるで自分がタンク乗りの代表みたいな顔してさ」
屈託の無いミカの言葉につられ、ランコの口元にも笑いが浮かんだ。
だが、すぐにランコは表情を改め話を戻した。
「とにかく、これで私たちの話はおしまい。
こっちも短い青春を堪能させて貰ったし、現役を退いた事自体に悔いは無い……、けれど」
「ヒロちゃんと、アゲハさんの事……、でしょ?」
ミカの断定に対し、ランコはこくりと小さく頷いて見せた。
「彼女たち二人は、私たちのタンク道の最初のファンだった。
デビュー戦から引退試合まで、彼女たちはすべての戦いを見届けてくれたわ。
あの敗戦を現役の区切りとした事は、今でも間違いだったとは思っていない。
けれど、結果としてレディとの再戦を避けた事は、
二人の心を酷く傷つけ、その友情にヒビを入れる事態になってしまった」
「…………」
「昔は、タンク道をやっていた頃は、本当の姉妹のように仲の良い二人だった。
情けない。
彼女たちをこっちの世界に引き摺りこんだのは、私たちだって言うのに……」
「……けど、だけどそれって、仕方の無い事じゃないか?」
堪らずミカが言い放った。
仕方が無い、ヒロミの前では我慢した台詞が出てしまった。
ミカだって聞き分けのない子供では無い。
この地上にどうしようもないものが存在する事くらいは知っている。
幼い日、レトロゲームが趣味のハンジロウ兄の膝の上で遊んだドラクエⅢ。
ずっとその背を追い駆けて来た父・オルテガは、ゾーマの居城の奥深く、勇者たちの目の前で命を落とす。
その結末に納得がいかず、何度も何度も長いラストダンジョンをやり直し、試行錯誤の果て、回転床は上を押し続けるだけで突破出来る事に気付いた辺りで、とうとう観念する。
ああ、これ、負けイベントって奴だ。
幼いミカは知る術も無いが、実はキングヒドラのHPは毎ターン密かに回復しており、オルテガがどれほどの最善手を繰り出したとしても、その刃が致命傷に届く事は無いのだ。
どうしようもない事も、ある。
戦争は止められない、バーニィは死ぬ。
米国の生んだ最強の戦士ランボーは、その人生のドン詰まりで、故郷に帰ったら駐車場の仕事もねえとむせび泣く。
どうしようもない現実を知り、何とか折り合いを付ける日々の中で、少年は、少女は大人へと成長していく。
おとなになるってかなしいことなの
「ねえマユヅキ、リュウザキ・アゲハの戦い方、あなたはどう思う?」
ランコの問いを受け、ミカの思考が現実に帰る。
「どう……って、そりゃあ、凄いよやっぱ。
あんな風に綺麗に飛べる人、あたしは他に知らない。
もしも選手権が個人戦だったら、茨城県内に勝てる人なんていないんじゃないかな?」
「そう、そう思うわよね。
けど、私には彼女の姿が、どうしようもなく痛ましく見えるの」
「痛まし、く?」
「似すぎてるのよ。
あの頃、サングラスを付ける前のレディのスタイルと、あまりにも」
「ああ……、そ、そう、なんだ」
その憂鬱なランコの表情を見て、ようやくミカにも、ヒロミの絶望の一端が見えた気がした。
親愛なるタンクを捨て、仇敵の技を必死で修めた少女の瞳は、今はどこを向いているのか?
「不甲斐ない話だけどね。
現役を退いた私たちには、これから戦いに臨む彼女たちに、何も言う事が出来ないわ」
「…………」
「ミカ。
これは教師としてじゃなくて、タンク道をやる仲間に対してのお願い」
神妙な面持ちで、ランコがゆっくりと顔を上げた。
「ヒロミさんの事、試合では、あなたが支えてあげて」
「大丈夫だよ、デコちゃん、全部あたしに任せといて!」
ランコの頼みをまるで初めから見越していたかのように、ミカは力強く胸を叩いて、にっ、と笑って見せて?
「けどさデコちゃん。
そんな風に心配する必要なんて無いと思うけどな?
だってアゲハさん、今でもタンク好きだもん」
「……?
なんだって、そんな風に言い切れるの?
アゲハさんの事をほとんど知らないアンタがさ」
「そりゃあ――」
『――さあ、お立ちなさいな。
女の子がはしたない姿を晒してはいけませんわ』
不意にミカの耳許に、いつかの少女の声が届いた気がした。
ふわり、と、甘い金木犀の匂いを嗅いだ気がした。
差し出された、白く、暖かな手。
柔らかく垂れ下った縦ロールの赤い髪が、ミカの鼻先を心地良くくすぐる。
ふっ、と、視線が手にしたVガンタンクに落ちる。
逆光に遮られた少女の顔。
笑っていた。
ミカが目にしたマダム・バタフライは、あの時、確かに笑っていた。
「――あたし、今までずっと隠してたけど、実はニュータイプだったのだ!
その辺の事はキュピピーン! って、一発で分かっちゃうんだよね~」
「はあ? 何それ、期待して損したわ」
自慢げに鼻先を擦るミカに対し、はあ、とランコが大きく息を吐いた。
「そろそろ戻りましょうか?
いい加減、みんなも引き揚げさせないとね」
「うん、大会中の期間中はさ、デコちゃんにもめいわ……あ!」
思わず言葉に詰まった。
今更になって本人の前でいつもの口癖が出ている事に気が付いた。
案の上、デコちゃんはじっ、とジト目でミカの横顔を睨み据えていたが、やがて諦めたかのように表情を崩した。
「はあ……、今日の所は聞かなかった事にしといてあげるわ。
今は教師と生徒じゃなくて、タンク道を嗜む友人同士の話だからね」
「ホント! ありがとデコちゃん!」
「チョーシに乗るな!」
「アいたッ!?」
鼻っ柱を中指で弾かれ、大袈裟にミカがのけぞって見せた。
どちらからともなく、照れたような笑いがこぼれる。
ごうっ、と一つ、涼やかな潮風が屋上を吹き抜けた。
雲間から覗いた弓月が一人、笑い合う少女たちを見下ろしていた。