突如として現れた未知の敵──深海棲艦。
人と同程度の大きさながら、既存の戦闘艦の火力・防御力・速力を全て凌ぐ性能を誇るこの海上の脅威は、瞬く間に勢力を拡大。
人類は深海棲艦との制海権を巡る全面的な戦闘に突入した。
初戦こそ、深海棲艦側が駆逐イ級を主力としていた事もあり、制空権を確保した人類が何とか撃退していた。
しかし、より強力な軽巡・重巡級の深海棲艦に加えて、空母ヲ級が出現したことにより、形勢は一気に不利に傾いていた。
「──それ以降は艦艇の七割を損耗しながら、何とか侵攻を遅らせてきたのだが……」
ふう、とぽっちゃり体型の中年男──麻守(あさもり)は溜め息を吐いた。
背もたれすらない質素な木製の椅子に乗せた尻を、居心地悪そうにもぞもぞと動かしながら説明の続きを始める。
「つい先日、外地における拠点と言うべき泊地の最後のひとつが壊滅した」
ランプの灯りが照らす薄暗い部屋のなかで、麻守の真っ白な軍装だけが、いやにクッキリと浮かび上がっている。
「深海棲艦に対抗しうる戦力として艦娘も配置してあったのだが、多勢に無勢だったようだな」
加えて、と自嘲じみた笑みで言った。
「上が闇雲に撤退を命じたせいで、混乱のなかでの撤退戦を余儀なくされ、この鎮守府まで辿り着けた者は僅かという状況だ。……ここまではいいかね?」
コクリと目の前のベッドに横たわる人物が頷くのを確認して、麻守は続ける。
「さて、この鎮守府の状況だが──」
麻守が物資・食料などの備蓄量、所属する戦力と、その内訳を説明する。
「──そんなわけで、これから君の指揮する艦隊に対する此方からの支援は……」
パチパチと算盤を弾くと、申し訳無さそうな声で言った。
「今のところはこれが限度だ」
艦娘用の弾薬・燃料は数回の出撃分程度、鋼材・ボーキサイトはごく僅か、正直に言って余りに心許ない量である。
「代わりと言っては何だが、食料や真水はそちらの希望に沿うよう努力しよう」
そう言うと、麻守は大きく頷くとポンと自らの腹を叩いた。
ポッコリお腹がぽむっと鳴る。
どうやらこの男の話題を変える際の癖らしい。
「しかし、災難でしたな。移動中にいきなり襲撃に遭うとは……」
無事で何よりだと、うんうん頷くと麻守は続けた。
「ともあれ、今は体力の回復に努めるように。送られてきた資料はサイドテーブルに置いているから、後で目を通しておくといいでしょうな」
幾分、おどけて麻守は言った。
「では、ようこそ我が鎮守府へ。清嶺 環(きよみね たまき)少尉殿。この麻守 宇麿(あさもり うまろ)、歓迎致しますぞ」
麻守の人懐っこい笑顔に、ふっと環の表情が和らいだ。
ベッドに臥したまま、目礼する。
その拍子に環の長く美しい黒い髪がランプの弱々しい光を受けて淡く煌めいた。
「感謝します、麻守提督殿」
「麻守で結構。それとも他の連中と同じようにマシュマロ提督とでも呼んでくれてもよろしいですぞ」
「ま、ましゅまろ?」
環が紫の瞳が零れんばかりに眼をまんまるに見開いた。
右手の人差し指で宙に文字を書くように動かしながら麻守が説明する。
「ほら、麻守(あさもり)を音読みにすれば……」
「ふふっ、なるほど。確かに」
「はははっ」
麻守が笑うと、ぷるんと麻守のお腹のお肉が揺れた。
なんというか、ウォーターベッドを腹に埋め込んでいる感じだろうか。
触り心地は良さそうではある。
(だからと言って触りたいとは思わないわね)
環がそんなどうでもいい事に思考を巡らせていると、コンコンと控えめにドアがノックされた。
麻守が椅子から立ち上がってドアへ向かう。
僅かにドアが開き、誰かが何事かを麻守に耳打ちすると、静かにドアが閉まった。
「では、儂はこれで失礼する」
麻守がそそくさと部屋を後にすると、環ひとりの部屋には静寂だけが残った。
こうして見ると、ベッドが三分の一を占めるこの手狭な部屋もそれなりに広く感じる。
手持ち無沙汰な環が上体を起こして、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた分厚い資料を手に取ると、パラパラとページをめくり始めた。
表紙には縦書きでデカデカと『特別防衛艦隊要綱』という文字。
読み進めるほどに、ページをめくるごとに、環の表情は険しくなっていく。
「これではただの決死隊ね……」
無駄に長々と記された艦隊結成の趣旨をまとめると、実に単純明解だった。
迫り来る深海棲艦に対し、身命を賭してその侵攻を食い止め、防衛線を維持せよ……。
「沈むまで退くな、という事ね」
しかも、任地の項には先ほど麻守が壊滅したと言った泊地が記されている。
「艦隊の拠点をはじめに奪還しなければならない訳か……」
作戦の詳細の項に至っては仔細は艦隊司令に一任とだけ記されているのみ。
そこに記された何もかもが上層部の無策・無責任を示していた。
「肝心の艦隊の編成は──」
今度こそ、環は心底呆れ果てた。
艦隊の編成は戦艦・二、軽巡・三、駆逐艦・一。
しかしそれは、いずれも火力や安定性、性格に難がある艦娘ばかり。
しかも、今や最重要戦力の航空戦力が全く無い。
これでは敵空母と遭遇した場合、一方的に攻撃を受ける事も十分考えられた。
戦艦に至っては、割り振られた燃料・弾薬だけでは艦隊に組み込む事すら困難である。
「体裁を整えるだけの飾りでしかないわね……」
そもそもが寄せ集めの艦隊である。
体裁もなにもあったものでもないだろうに。
戦果として求められるのは時間だけ。
いつ訪れるかも知れない反撃の瞬間まで、ただひたすらに敵の砲火に耐え、時間を稼ぐだけの艦隊。
それが自らが率いる特別防衛艦隊の印象だった。
「ふう、こうしていても気が滅入るだけね」
環はゆっくりとベッドから起き出すと、ふらつく脚で何とか立ち上がった。
壁に手をつき、身体を支えながら部屋を後にするのだった。