俺の想いを聞いてから、黒江さんは少しも目を反らさずに俺を見つめている。
「……………………」
嘘はない。後悔もない。今俺が出来るのは黒江さんが口を開くのをただ待つ事だけだ。
どれくらいそうしてただろう。日が落ち辺りが暗くなり始めた頃、すすり泣いていた黒江さんがようやくその口を開いた。
「ぐすっ………なに勝手に、名前を、呼んでるん、ですか」
「だめでしたか?」
「ぐすっ…………特別に、許してあげます………特別、ですよ………本当に、特別、です」
「はい。ありがとうございます」
「ぐすっ、はぁ…………よしっ」
ぐいっと目元を拭った黒江さんの顔はなにか全てが吹っ切れたよう表情をしており、涙でくしゃくしゃになっていたとは思えない程綺麗だった。
「綺麗だな……」
「っ!またそうやっ…………それ、いつも言ってるそれ、本気で言ってるんですか」
「はい」
「私が好き、だとかも?」
「はい」
「……いつも結婚してと言っているのも」
「本気です」
「…………あの、守るとか、私がいないとあれだとかって言うのも……」
「超本気です」
「………バカだ……この人、バカだ………」
片手で顔を覆い天を見上げる黒江さん。え?なんで?
「あ、あの黒江さん?」
「あんなに頻繁に言われてたらからかわれてると思うに決まってるでしょ……何考えてるのよこの人は……」
掠れ声でそう言い今度は両手で顔を覆ってしまう。頻繁にって言われましても、体と口が勝手に動いちゃうんだもん。あ、でもさっきそれしないように気を付けようって言ったばっかだったな。
「すみません、また言ってしまって。もう言いません、ごめんなさい」
「………………………………は?」
一文字でも分かるドスの効いた声が黒江さんから発せられる。え?な、なんでそんなにキレてるんですか?俺の言葉に暫く固まっていた黒江さんがだったが、覆っていた両手をゆっくり下ろし見せたその顔は、眉間に皺を寄せ睨むそれは普段の黒江さんからは想像が出来ない程キレてた。うん、普通に怖いわ。
「あ、あの黒江、さん?」
「は?は?え……は?え、ちょっとまって、なに言ってるかよく聞こえなかったんだけど」
「え?あ、もしかして今の聞こえづらかったですか?すみません。ではもう一度…………もう黒江さんに好きとか結婚してとか言いません」
念の為ちゃんと主語を付け足し告げる。多分心の中では言うけどそれ位は勘弁してくだぐえっ!
「く、黒江さん?」
「え、なに?なにか用?」
黒江さんが襟元をぐいっと握り上げてくる。身長の差があるせいか握り上げている黒江さんは自然と俺を見上げる形に。それはとても可愛いくてよろしいんだが顔がちょっと怖い。え、本当になんでそんなにキレてるの?
「ちょ、ちょっと苦しいので離して貰えると助かるんですが……」
「大丈夫。私も苦しいから。本当にどうしたらいいか分からない位苦しいから、なんでこんなに苦しいか、分からない位、だから………なんなのよ、好きとかあれだけ言っておいて、もう言わないとか訳分かんない、私をどうしたいのよ…………」
これはちょっとよろしくない。何がどうしてこうなったかは知らんがこれはよろしくない。暴走モードに突入した黒江さんに心の中ですみません、と謝りつつ目の前にある頭にぽんっと手を乗せる。
「え?」
ぽんぽんっとあやすように一定のリズムで叩き、ゆっくりと手を滑らせその頭を撫でる。戸惑いの声を上げた黒江さんがゆっくりと手を離しすがるように見上げてくる。だがその顔は戸惑いと悲しみ、それと少しの不安が混じったような、そんな顔だった。また新しい顔が見れたな。でもこれはちょっと見たくない、かな?うん、こんな顔の黒江さんはあまり見たくない、見たくないんだが、俺が黒江さんに出来るの事なんて一つしかないんだよなぁ、その唯一出来る事さえ約束で出来なくなっちゃったし…………うん、先に謝りますごめんなさい。さっきの今なのに約束を破る田中を許さなくてもいいんで聞いて下さい。
戸惑いみつめる黒江さんの頭から手を下ろし向き直る。ぼーっとしてるような顔でみつめる黒江さんに心の中でもう一度謝り、言葉でもそれを伝える。
「ごめんなさい。約束破ります」
「え、なに」
「俺には気持ちを正直に伝える事しか出来ない。だから言わせて下さい」
嫌われるのは怖い、でもそれ以上にこんな顔の黒江さんを見てられなかった。
「黒江さん、あなたが好きです。どうしようもない位好きです。さっきの今でなに言ってんだと思うかもしれませんがこれが俺の全てです」
「っ、今、もう言わないって言った人の、そんな言葉を、信じれる訳ないでしょ……」
俺の事を見上げるのをやめ下を向いた黒江さんがそう溢す。
「嫌われたくなかった。だから我慢しようとした。でも無理だ、我慢出来ない。こんなに人を好きになったのは、好きなるのはあなただけなんだと分かるから。俺もどうしたらいいか分からないんです、だから何度でも言わせて下さい。これは俺があなたに願う唯一の我が儘だから」
撫でる手を離し、何度も言った、でも俺の全てが籠った言葉をもう一度伝える。
「好きです、大好きです。ずっと側にいて下さい。俺も側にいます。俺は気持ちを言葉にする事しか出来ない男かもしれません。それでもあなたと一緒に居たい、ずっとずっと一緒に居たい、だから」
その先は出てこなかった。
「もう、いいよ」
蚊の鳴くような、でも何故かしっかりと聞き取れるその言葉を聞いた瞬間思った。
終わった。
続いて思った。
死のう。
「何度も何度もバカの一つ覚えみたいに言って、本当にバカなんだから…」
拒絶されたと思い全身が冷える俺の胸にトンッと軽い重みと温もりが伝わる。
「バカ、本当にバカ。そんなに何度も言われたら頭だけじゃなく体までその言葉を覚えちゃうじゃない、本当にバカなんだから………でもそれは私も同じ、か。初めて芽生えたこの気持ちを気のせいだと思い込み頭の隅に追いやって否定し続けてた私もバカ、本当にバカ…いつからこうなったのかなぁ…それが自分でもよく分からない。でも確かな事が、今やっと分かった事があるの。聞いてくれます?ふふっ、聞いてくれないって言っても言っちゃいますけどね」
温もりにクスクスと笑う吐息が混ざる。それは優しい声を乗せて俺に伝わり……
「好きです」
全身を駆け抜ける。
「私もあなたの事が、田中さんの事が好きです」
体に電流が走ると言う意味を初めて理解する。なるほど、これは確かに電流流れてるわ。だって自制心ぶっ壊されちゃったもん。
「ごめん、もう無理だわ」
「え?きゃっ!」
熱をくれた小さな体を抱き締め体全体が熱くなる。ああ、もう無理だ、もう我慢出来ん。
「え、ちょ、きゅ、急に」
「もう取り消し効かないから」
「え?…………うん」
「離さないから」
「……うん」
「この世界で誰よりも好きだから」
「……うん。知ってる」
「黒江さんいないともう生きられないから」
「知ってる」
「こんな俺にした責任とってくれる?」
「こんな好きにさせられた責任をとってくれるなら」
「余裕」
「信じていいの?」
「勿論」
「ふふっ。それじゃあもう一つお願いしちゃおっかな」
「なに?」
「勝って」
「任せて」
「信じる」
「その言葉だけで充分」
「うん。知ってる」
「俺からもいい?」
「なに?」
「好きになってくれてありがとう」
「バカ」
「え?なんで?」
「お礼言うのは私の方だからよ。好きになって、好きにさせてくれて」
ありがとう
どれくらいたっただろうか、胸に顔を埋め抱き締め返してくれる黒江さんとこうしているのは。
「…………」
「…………」
人を抱き締める、と言うか好きな人を抱き締めるのがここまで嬉しく、安心するものとは思っていなかった。出来ればずっとこうしていたい、永遠にこうしていたい。そんな想いが脳内を支配し始めた頃、回してた手をゆっくり下ろし黒江さんが「今日は、これくらいで……」と言いおずおずと離れていく。残念、だけどちょっとほっとした、かな?俺は熱を持つ頭に少しクラクラしつつ、それを誤魔化すように離れた黒江さんに問う。
「今日は、と言うのは、また今度抱き締めて頂けると解釈してもよろしいでしょうか?」
「はぁ、あなたはまたそうやっ、て………ん?」
呆れてた黒江さんの顔が驚きに替わりながらじーっと見つめてくる。目を見開き「え、嘘…………え、これってもしかして………」と言いながらめっちゃ驚いてる。どうしたんだろう?なにかあったのかな?
「どうしたんですか?」
「……え、嘘、この人にそんな神経があるの……?」
「黒江さん?」
「いや、この人も一応人科に属する生き物なんだからそれはありえるんだろうけど、でも……うん、きっとそうだ」
「あの、黒江さ」
「田中さん、もしかして今照れてる?」
ザ・クロエルワールド。時が止まる。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「なんか言ってよ」
「お疲れさまでした」
「逃げるな!」
動き出した時の中、回れ右をした俺の腕を黒江さんに捕まれる。いや、いつもなら大歓迎だけど、今はちょっとあれなんで離して欲しいかなぁ。
「逃げてません。ちょっと風邪っぽいので帰ろうと思っただけです」
「照れてるんでしょ?」
「っ!」
「やっぱりそうなんだ!うわぁ、そういうのところ初めて見た………なんか可愛い!」
「っっ!」
うおおおおおお!やめて!まじでやめて!死ぬ!死んじゃう!てか当たり前だろ!いくら俺でも好きな子に告白受けて貰ってずっと抱き合ってれば照れの一つもするわ!
「……照れてません。離して下さい」
「いや!そしてなんで敬語に戻ってるの?あ、もしかして照れ臭いから敬語で誤魔化してるの?そうなの?ねえ?」
どうしよ、初めて黒江さんがちょっとうざいと思ったけどこれはこれでうざ可愛いからもう本当にどうしよ。
「くそっ、なんでこんなに可愛いんだよ……」
「っ!」
黒江さんが掴んでた腕を離し、ばっと後ずさる。おや?これは、もしかして…
「もしかして照れてる?」
「っ!…………照れてません」
「じゃあなんで離れたの?」
「用事を思い出したので、これで失礼しようかと」
「照れてる黒江さん可愛い」
「っっ!う、うるさい!そっちこそ照れてる癖に!」
「そりゃあんだけの事したら照れの一つもするでしょ。俺をなんだと思ってるんですか」
「普段からあれだけ恥ずかしい事を言っといてなにを今更」
「攻めるのはいいんですけど、受けに回るのはちょっと苦手なようです。自分でも初めて知りました。まあ黒江さんが初めて好きになった人だから当たり前か」
「またそうやって……好きになった人って、私が初めてなんですか?」
「はい。初恋が実って嬉しいです」
「…………私も初恋だったから実って嬉しいです、とっても嬉しい…」
「……………………」
「……………………」
「……もう、やめません?」
「……そうですね」
不毛な争いをやめ、お互いに息を一つ吐いた後笑い合う。
「なんか敬語に戻っちゃいましたね」
「はい。でもこの方がなんだがほっとします」
「私もです」
「お揃いですね」
「ですね…………本当なら敬語じゃない方が嬉しいんですけどですけど……」
「まあそれは追々と言う事で。俺だって敬語じゃない素の黒江さんの方がいいですけど、急に変えるのは難しいです。ゆっくりと変えていきましょう」
「そうですね。その方がいいですね。二人で一緒に、色々変わりましょう」
「はい。今の黒江さんも大好きですが、変わって大人になる黒江さんも楽しみです。ただでさえ可愛い大天使なのにこれからどうなるのか本当に楽しみです。きっとますます惚れてしまうんでしょうね」
最後に照れてる黒江さんが見たいと思い少しからかってみる。
「コノヤロウ…………コホンッ。私も今の田中さん大好きですが、変わって格好良くなる田中さんを見るのが楽しみです。私が信じればなんちゃらとか言ってたんですからそれはもう格好良くなるんでしょうね?楽しみです。背が高くなって体つきも大人になって、顔もそれなりになった田中さんを想像すると…………なんか本当に楽しみになってきた。あれ?なにこれどうしよう?今はバカであれな田中さんが大人になって落ち着きを手に入れまたあんな事を言ってくれたら………ヤバい、ちょっと本当に格好良いかも……」
分かった、悪かった。俺が悪かった。本当に悪かった。謝ります。謝りますからもうそう言うのやめましょ?ね?ね?手痛い反撃を受けた俺はペコペコと謝りながら許しを乞い、くすくすと笑った黒江さんがそれを受けてくれる。これからの事を、まずは目先の問題である戦いの事を色々話しながら俺達は足並みを揃え歩いて行く。互いの手に暖かさを感じながら。