アイリスの君   作:まなぶおじさん

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「ほーん」

 そろそろ秋が近づいてきたらしく、夕暮れとともに空が暗くなる。以前は、てんで明るいままだったというのに。
 しかし、天上は天上、下界は下界ということで――紺野は、かったるそうに水やりをこなしていた。

「なんだよ」

 一般人にしろスポーツマンにしろ、夕方といえば夕飯であり、

「モテてるか? イケメン君」
「モテてねーよ」

 園芸サークルからすれば、夕方=面倒くさい水やりの時間だった。
 紺野も男友達も、顔は「やりたくねーなー」と語ってはいる。花びらと葉に水を当てないように、あくまで根っこめがけ水を浴びせながら。
 時々水が付着してしまうこともあるが、そういう時は「はいはい」と手で払ってやる。気付けば三年間くらい、こんなことの繰り返しだった気がする。

「そうなの? ちゃんとアタックしてんの?」
「一応してるよ、この前も食堂で話してきたし」

 男友達が、「ほー」と面白そうに漏らし、

「何を話した?」
「あ? 戦車道について、かなあ?」
「戦車道? お前、戦車道について何か知ってたか?」
「知らん。だから俺なりに調べた」

 男友達が、「ほーん……」と一言だけ。その声色には、呆れやら感心やらが入り混じっていた。

「マジで惚れたんだな」
「うるせえ」
「良かったじゃん」

 紺野は、忌々しそうに鼻息をつく。

「まあな」

 夕方ということで、キャンパス内には人が数多く見受けられる。帰路につこうとしている男とか、見覚えのあるカップルだとか、外部者らしきおばちゃんも居る。中には、軍服姿の女性まで。
 違う、あの人じゃない。
 男友達に悟られないよう、水やりに意識を傾ける。土の匂いが、一日の終わりを何となく告げていた。

「ま、頑張れ。俺は応援してるよ」
「そいつはどーも」

 水やりは、主に六人体制で行われる。別に五人でも四人でも良いのだが、虹の花壇を相手取るには、これぐらいの人数でなければ面倒くさくてやってられないのだ。
 花のスペースは全部で四つ――外側から「インパチェンス(赤)」、「コレオプシス(黄)」、「エボルブルス(青)」、「ニーレンベルギア・ブルーマウンテン(紫)」の順で植えられているのだが、外側から内側へ行くほど規模は縮小していく。
 なので新人は、一番楽なニーレンベルギア・ブルーマウンテンのスペースを任されることが多い。焦らずここから、水やりのコツを掴んでもらうためだ。

「しっかし、なんで俺は毎回インパチェンス担当なんだ?」
「もう三年だろ、しっかりしろよ。そんなんじゃルミさんに見てもらえないぜ?」
「はー? 関係ねーだろー」
「いやあるだろ。甲斐性って大事よ? 恋愛したいんだろ?」

 男友達のアドバイスに対し、紺野は舌打ちで返答する。
 どいつもこいつもめんどくせーかえりてー土パッサパサじゃんと愚痴っているが、「ここに集合して水やりをしろ」とは誰も口にしていない。夕方になれば、ジョウロ片手に自然とサークルメンバーが寄ってきて、適当に誰かが指示をしては適当に従い、適切に水やりをこなしていく。この前は、呼ばれもしていないのに十二人も集まってきたことがあった。
 これが、このサークルの「芸風」だった。こんなのだから、長生きし続けられているのだろう。

「恋愛、ね……どうやって告白するかな」
「お前がそれ言う?」
「するのとされるのとでは違うだろ」
「贅沢ぬかしやがって」

 男友達が、コレオプシスにかかった水滴を払う。

「恋愛は待ってくれないぞー」
「わってるよ」

 インパチェンスの肥料へ水をかける、土が黒ずんでいく。口では怠惰を求めているものの、何だかんだいって、この過程が結構好きだった。
 紺野にとって、花壇の世話とは日常茶飯事であり、生き甲斐でもあって、全てだった――「だった」。

「あ、いた。こんにちは。紺野君」
「あ、こんにち、」

 顔を上げた瞬間、猛暑が残る中で肉体が氷漬けとなった。
 大学生で、ショートヘアで、眼鏡をかけていて、パンツァージャケットを着ていて、明るい雰囲気をまとった女性が、花壇の前で小さく手を振っている。
 どうしてここに。
 いや、おかしくないだろ。
 本能がとっさに意見し、理性が現実を示す。

「水やりしてるの? 偉いなぁ」

 動揺まみれの紺野をよそに、ルミは今日も笑顔を振りまいていた。


貴女に恋されたい

 半年ぶりに、ニーレンベルギア・ブルーマウンテンへの水やりをやることになった。もっと正確に言うならば、「やらされた」。

 

「別にいいのに、見ているだけで」

「いやいや。私もこのたび、花を愛でることの楽しさに気づきましてね」

「おっ」

「最初はちんぷんかんぷんだったけれど、なんかこう、いいね」

 

 突如として、ルミが「手伝えること、あるかな?」と言い出したのだ。勿論何度か断ったのだが、ルミは好奇心溢れる目つきのままで「そう言わず」と、グイグイ押してきた。

 結果的に、ルミにはニーレンベルギア・ブルーマウンテンへの水やりを任せることにした。スペースが一番小さく、手間のかからない個所だ――そのついでに、メンバーどもから「お前も行くんだよ」と押し付けられ、二人きりで水やりをこなしている最中である。

 ルミの言う通り、花好きには優しい人が多いのかもしれない。実にありがたいことだ。

 

「本当に育ててるんだね、ロベリア」

「うん。戦車道と結構相性が良いんだよね、疲れた後の園芸っていい感じ」

 

 戦車道とは、決して争いの為のツールではない。ただどうしても轟音は鳴り響くし、忙しくなく動き回っては攻撃を仕掛けなければならない。そういった意味では、園芸は良い気分転換になるのかもしれなかった。

 少しだけ、気分が明るくなる。何だか戦車道に、ルミに近づけたような気がして。

 

「戦車道といえば……疲れてない? さっき、授業をしてきたばっかりなんでしょ?」

「大丈夫大丈夫、慣れてるから」

 

 あっさり言うあたり、余計に真実味が増す。戦車道だって無傷では済まないはずなのに、ルミときたら楽しそうに水やりをこなしている。

 

「無理はしないでね。いつでも交代するから」

「ありがとう。でも平気だから」

 

 葉に水滴が付着する。ルミが、人差し指で水を払う。

 

「君も大変だよね。毎日、これやってるんでしょ?」

「一応ね。まあ、好きでやっていることだから」

 

 紺野はサークルリーダーでも何でもないから、居てもいなくても問題は無い。あくまで自主的に、趣味的な都合で立ち寄っているだけだ。

 何だかんだいって、花を一から育て、それを咲かせるのは、とてつもなく楽しい事なのだった。

 

「へえー……イケメンだねえ、紺野君は」

「そんなことないよ」

 

 口では遠慮がちに振る舞うものの、内心ではみっともなく歓喜していた。ジャンプだってした。

 そんな紺野のことなどは露知らず、ルミは繊細な手つきで水をやり続け、

 

「そーお? まあ、少なくとも、私はそう思ってるよ」

「そうなの?」

 

 当たり前だとばかりに、ルミが頷き、

 

「だって、私個人を見てくれたじゃない。あれ、すっごく嬉しかったんだから」

「ええー、まだ言う?」

「言う言う。私、嬉しいことは根に持つタイプだし」

 

 実にルミらしいと思う。悪い事は、食うか寝るか飲むかで忘れてしまえるのだろう。

 ――本当、好きな人物をしていると思う。

 

「そういうことなら……これからも、試合があったら録画するよ」

「えー? 嬉しいな。でも恥ずかしいなー」

 

 もちろん、これっぽっちも嫌がってはいない。上機嫌の横顔を浮かばせたままで、ルミの手は水やりに夢中となっている。

 

「まあまあ、俺は戦車道の専門家じゃないし」

「いやいや、紺野君だからこそだよ。――私推し、なんでしょ?」

 

 この時、ルミに照れが生じた。もちろん、見逃さなかった。

 煩悩を振り払う為に、わざとらしく髪をかき上げる。

 

「……うん。まあね」

「だよねだよね。まあ、がっかりさせないように、これからも頑張るからさ」

 

 もう少しで、水やりも終わりを迎える。

 どうして、ニーレンベルギアのスペースはこんなにも小さいのだろう。

 

「ロベリアの方も、期待しないで待っててね」

「わかった、期待してる」

 

 ルミが「やめてよー」と、おかしそうに苦笑する。そんなルミの表情を見て、紺野は心から安堵した。

 

「……よし、終わりかな」

「お疲れ様、ルミさん。ジョウロ、片しとくから」

「サンキュ」

 

 お礼とともに、ルミの青いジョウロが手渡される。それを機に二人同時で立ち上がり、面倒くさそうに背筋を伸ばした。

 空はもう薄暗く、遠ければ遠いほど世界が赤く染まっている。何処かで車のクラクションが鳴り響くが、かえって静けさが増した気がした。

 キャンパス内に、人気はもう少ない。サークルメンバーはかったるそうに、スキあらば愚痴をこぼして、紺野を見てはニヤニヤと笑う。それでも手を動かすことはやめない、付着した水滴の存在を決して許しはしない。

 風。

 少しばかり肌寒くなってきて、何となく「秋か」と呟いた。

 ルミも、空を眺めたままで何も言わない。

 

 世界は、とても綺麗なものだった。

 

―――

 

 素晴らしい朝が訪れ、健康体のまま起床する。次に起こすべき行動はといえば、

 

「めんどくせー」

「しょうがないでしょ、朝の水やりは基本よ、基本」

 

 朝の水やりである。

 午前八時くらいに「自然と」集合し、土の乾燥具合を確認してはがっくりと肩を落とす。そうして将来性の無いツラを浮かばせながら、今日も花壇相手に水をご奉仕するのだ。

 ちなみに先日もやった、今日もやる、たぶん明日も実行されることだろう。

 

「命を育むって、大変だねえ……」

「ねー、大変だよね」

 

 まるで他人事だが、やはり手の動きは止めない、もちろん姿勢は低く。こうでもしなければ、根っこに水を与える事ができないからだ。

 ――頭の片隅では、分かってはいるのだ。愛情を与えるって、こんなにも大変で、けれど夢中になってしまう。そういうものなのだと。

 

「あーあ。俺は一生、子供なんて持てねーわ」

「そお? あんたの場合、何やかんやで親ばかになりそうだけど」

「ないない、俺は自分のことで手一杯だよ」

 

 女友達が、力の抜けたあくびをする。

 

「へー、じゃあ」

「んだよ」

「ルミさんと、結ばれる気はないんだ」

 

 ――秋の前触れは、何となく感じてはいる。それでも空は素直に青いし、朝だからといってそれほど寒くもない。だから、土だって乾燥もする。

 旅客機の風切り音が、世界を静かに震わせる。顔だけは知っている同級生が、今初めて見る誰かが、花壇をちらりと眺めては通り過ぎていく。サークルメンバーの一人があくびをして、それに連なるように他のメンバーも欠伸を漏らした。

 紺野だけだろう。朝の倦怠感なんて、吹っ飛ばしてしまえたのは。

 

「……馬鹿言うな」

「あ、そこは否定しないんだ」

 

 ため息をつく。

 

「当たり前だろ。たぶん、これ以上の恋なんてしないと思う」

「へー。なんで、そこまで好きになっちゃった?」

「顔。あと、気さくなところとか、性格とか、全部」

 

 女友達が、「うわ正直」と笑う。しかし否定はしていないあたり、女友達も共感はしてくれているのだろう。

 惚れた腫れたの動機なんて、大抵は顔だと思う。そこから興味と関心を抱いて、自然とその人を知っていって、芯から惚れるか幻滅するか――ルミに対しては前者だ。こればかりは、何物も覆せない男の答えだった。

 

「そうかー。あー残念、私も顔には自信があったんだけどなー」

「お前もいいセンいってると思うけどな」

「じゃあ、私と付き合うー?」

「悪い」

 

 女友達が「なんだいケチー」とぶーたれながら、葉についていたテントウムシをつまみ取る。

 

「しょうがない、新しい恋に生きるとしよう。あんたは、後ろにいるルミさんと幸せにしてってください」

「へいへい」

 

 間。

 

「あ!?」

 

 手元が狂い、インパチェンスの花びらに水がかかる。勢いよく首だけを捻ったものだから、瞬発的に激痛が走った。

 嘘でも、でまかせでも、おふざけでも、からかいでもなくて、確かにルミが居た。夢のようだった。

 

「おはよう。今日も偉いねえー」

 

 どうやら、話を聞かれてはいなかったらしい。手で挨拶をしながら、今日も晴れ晴れと笑っていた。

 

 テントウムシが、けたたましい羽音とともに空へ還っていく。

 

 

 ルミがニーレンベルギア・ブルーマウンテンの世話をするのはこれで二度目であり、紺野もそれに付き添った。もっと正確に言えば、背中を叩かれた。

 本当、花好きに悪い奴はいないのかもしれない。実にありがたく、余計なお世話だった。

 

「朝早いね、ルミさん」

「うん。我ながら信じられないくらいの健康っぷりだよ」

 

 真正面と向き合うような形で、ルミとは水やりを行っている。その為にルミの表情がよく覗えるが、やっぱり夏のように明るかった。

 

「てことは、普段はそうでもない?」

「うん、ないねー。大体は授業ギリギリに来るからさ」

「いいなー、よく寝れて」

 

 別に、朝の水やりは強制でも何でもない。やりたくなければ寝たままでもいいし、何だったら見るだけでも良い。

 単に、「しょうがない、やるか」の精神で早起きしているだけなのだ。そんな気質持ちが、たまたま数十人ほど集っているだけで。

 

「そうだねえ。睡眠時間は大事、大事なんだけどさ――なんだかね、ロベリアが気になって気になってしょうがなくてさ、意識が勝手に起き上がっちゃうのよね」

「あ、俺とおんなじだ」

「あ、そうなんだ? ひょっとして、目覚ましが鳴る前に起きちゃうパターン?」

 

 紺野が、二度頷いて同意する。ルミも、「やっぱりそうなっちゃうのか……」と感心した。

 紺野は、健全な一般大学生である。それ故に勉強はまあまあ嫌いだし、早起きなんてしたくもないしやりたくもない。

 ただ、花が好きだから「仕方なく」目覚めてしまうのである。朝七時に目覚ましをセットしているが、大抵は役目を果たせずにスイッチを切られるのが日常だった。

 

「いやあ、どうして早起きしちゃうんだろうね。命を育むことに使命感を抱いているのか、単に楽しいと思っているからなのか」

「両方じゃないかな」

「あ、そうかも。なんていうのか、花って素直だからついつい世話したくなっちゃう」

 

 同意する。天真爛漫な動物とは違い、植物はモノも言わないし甘えてもこない。こちら側がとれるコミュニケーションはといえば、水をやったり、見つめあったり、切ったりと、それぐらいだ。

 だからこそ、手間をかければかけるほど、植物は大真面目に育っていく。やがては、自分の為だけに花を咲かせてくれる――そうした過程を乗り越えてきたからこそ、枯れすらも受け入れられる。

 

「いやあ、園芸っていいね。今までどうして、やってこなかったんだろう」

「いやー、人生って案外そんなものじゃない。俺だってルミさんと出会わなかったら、きっと戦車道のことなんて知らないままだった」

「そっかー」

 

 空が青くなっていく、朝が目覚めていく。息を吐き、見上げてみれば、今日も元気に太陽が輝いていた。

 

「……あのさ」

 

 ルミにしては珍しい、大人しい声色だった。紺野は「うん?」と返事をする。

 

「ロベリアさ、まだ発芽もしていないけれど……なんだかさ、凄く愛おしく感じる。なんだろ、これ」

 

 愛おしいという言葉を聞いて、紺野の心がどきりとする。

 

「一人暮らしだからなのかな。こんな気持ちになっちゃうの」

「それもあると思う。けどね、」

 

 視線を、土の方へ逃がしながら、

 

「ルミさんが、心優しいからそう思うんだよ」

 

 こんなこと、ルミを見たままで言えるわけがなかった。

 ルミからの強烈な視線を感じるが、応えることは出来ない。めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

「……優しくなんかないよ。私、ガサツだし、テキトーだし」

「けど、冷徹じゃない。そうだろう?」

「そうかな?」

「じゃなかったら、戦車道を歩めない」

 

 戦車道とは武であり、礼が全てであって、決して争いの為の文化ではない。

 私だけが、自分だけが、勝てれば、負けなければ――戦車道は、これらの自我を決して認めはしない。たとえ勝てなくとも、負けっぱなしでも、乙女になることが出来れば、その人は立派な戦車道履修者なのだ。

 ルミは、今もこれからも、戦車道を歩み続けるだろう。そんな人に惹かれるのは、必然だった。

 

「……そう思う?」

「思う。戦車道履修者だからこそ、花の命も感じられるんじゃないかな」

「なるほど、そっかー……」

 

 花びらに水滴がつく。作業的な手つきで、それを払う。

 

「ロベリア、咲かせたい?」

「うん」

 

 力強い返答だった。それがひどく嬉しくて、紺野の口元が曲がってしまう。

 

「私が選んだ命だもの。だからこそ、その命を育んでいきたい」

「いいね。やっぱり、ルミさんと花は合う」

 

 もう少しで、ニーレンベルギアも満足する頃合いだ。土も程よく濡れていて、誰から見ても満点を貰えるだろう。

 これは、紺野とルミの成果だ。

 

「花好きから評価されたかー、やったね」

「いやいや、俺はただの趣味人だよ」

「でも、花好きなんでしょ? 同好の士から認められたら、それは立派な評価になるよ」

 

 そうなのかな、と疑問する。そういうものかと、嬉しそうに納得する。

 

「よし、終わりか。さて、」

 

 立ち上がろうとして、腰に痛みが走る。緊張しすぎたせいなのかもしれない。

 

「いってー」

「あ、大丈夫?」

「よくあるよくある」

 

 その時だ。先に立ち上がったルミが、手を差し伸べてくれたのは。

 

「え」

「さ、掴んで」

 

 軍手をはいたルミが、清々しい微笑とともに助け船を出してくれた。

 その右手からは、義務的なものも、事務的な雰囲気も、面倒臭さも感じられない。助けたいから助ける、それだけだった。

 

「――悪い」

「いいって」

 

 軍手ごしから手を握り締め、力強く引っ張られる。

 ほんの一瞬だったが、紺野は間違いなくルミに触れた。軍手ごしであろうとも、紺野は間違いなくルミと接触した。

 ルミが、自分の手をとってくれた。

 

 紺野からすれば、それだけでも一生モノだったというのに――強く引っ張られ、反動を押し殺せなかった都合上、紺野の両足はルミ側へ釣られていく。ルミが「あっ」と声を出すがもう遅い、既に至近距離だった。

 お見合いが始まる。

 

「あ、えと」

「ご、ごめん。引っ張り過ぎた」

 

 右手は握られたまま、互いの両目はくぎ付けとなったまま。

 ルミの顔が、とてつもなく近い。ツリ目気味の瞳がこんなにも輝いていて、頬が不意に赤く染まっていて、力なく口が半開きになっていて、いつまでも目を逸らそうとはしない。

 紺野の運なんて、この瞬間から品切れになったと思う。笑えるくたばり方をしたところで、それも仕方がないとさえ思う。そんな風に考えられる時点で、やはりどうしても、ルミのことが好きなんだと実感する。

 たぶん、中学か高校だったら、勢いのまま抱きしめていただろう。それとも、キスをしていたか。

 けれど、今の身分は大学生だ。

 だから、

 

「……ごめん、本当にごめん」

 

 何事も無かったかのように、ルミとは距離を取った。緊張感とか罪悪感とか、それらが処理出来ないままで、視線をニーレンベルギアへ泳がせる。

 しかし、

 

「いや、大丈夫大丈夫。こういうこともあるよね、うんうん」

 

 ルミは、あくまでもルミだった。

 気まずさを残したままで、ルミの顔をちらりと拝見するが――真っ当に明るかった。

 ほっとする。ルミの気質に、心から救われた。

 

「私の方こそ、ごめんね。勢いつけすぎちゃった」

「いや、ありがとう」

 

 ルミが「あはは」と苦笑する――その時、ルミの表情が「あ」と変化した。迅速な動きで携帯を引っこ抜き、画面へタップすれば、

 

「いけない、もうこんな時間。ごめん、抜けるね」

「いやいや、十分だよ。ありがとう」

 

 ルミが「こちらこそ」と、小さく頭を下げる。色々あったが、ニーレンベルギアの世話はこれにて終了だ。

 

 ルミから、青いジョウロと軍手を手渡される。後はそのまま、軽々とした跳躍で虹の花壇を乗り越えていき、十点満点の着地を決めた後で、こう言うのだ。

 

「またね」

 

 こう、言うのだ。

 

 ルミが、東側へ消えていく。名残惜しいはずなのに、その道を歩み続けて欲しいと紺野は思う。

 そうして間もなく、メンバー達から「やるじゃん」だの「すげーな」だの「意気地なし」だのと好き勝手が飛び交うが、そんなものは二の次だった。

 

 深呼吸する。秋らしい冷たい空気が、肺に沁み込んでいく。

 

―――

 

 目覚まし時計がアラーム音をかき鳴らす前に、ルミの脳ミソがはっきりと覚醒した。

 寮のベッドから起き上がり、面倒くさそうに背筋を伸ばす。また目が覚めたのかと、ぼんやりと思考した。

 目覚まし時計の針を見る――だいたい七時くらいか。前までは目覚ましに叩き起こされて、「もう八時~?」とか愚痴っていたのが懐かしい。

 

 さて。

 

 目覚まし時計のアラームをOFFに設定して、青迷彩の掃き出し用カーテンに目を向ける。朝の日差しがカーテンを黄色く染めていて、これを目にするたびに「ああ、朝か」と実感するのだ。

 力なく欠伸を漏らし、ちらりと部屋を一瞥する。床には購読中のファッション雑誌が二冊ほど転がっていて、折り畳みテーブルの上には、やっつけたばかりの缶ビールが三本ほど放置されていた。

 部屋の片隅もチェックしてみたが、「あー」と声が漏れた。この前処理したはずなのに、またゴミ袋が増えたんだっけ。

 あーやだやだ。

 再び欠伸を漏らしつつ、カーテン前に置いてある丸いミニテーブルへ目を向ける。テーブルの上には、一つかみ出来るくらいの白い鉢植えと、水やりの為の受け皿が、ぽつんと置かれているのみ。このちっちゃな存在が、ルミを早起き体質に仕上げてくれた。

 

 ――今日はどうなっているのかな。

 首を長くして、鉢植えを真上から確認する。今日になってようやく発芽したらしい。

 安堵するように、息を吹く。さて、水やりの為にカーテンを開け、

 

 ――あ!?

 

 カーテンを開けていないせいか、部屋は薄暗い。もしかしたら見間違えたかも、視力悪いし――

 焦りを隠せないまま、左右にカーテンを開ける。真っ向から日差しを浴び、目が細く歪んだ。

 視力を確保する為に、テーブルの上から眼鏡をふん捕まえ、音を立てて着用する――これまでの勢いは何処へいったのか、ルミは恐る恐る鉢植えを確認して、

 

「芽だ」

 

 声が漏れた、感嘆を吐いた。

 ルミなりのやり方に対して、ルミなりの愛情に対して、ルミなりの想いに対して、ルミなりの命の考え方に対して、ロベリアは応えてくれた。私を選んでくれた。

 

 ――なんだかさ、凄く愛おしく感じる。なんだろ、これ

 ――ルミさんが、心優しいからそう思うんだよ

 

 紺野は、自分なんかに対して、そう言ってくれた。

 自画自賛は趣味じゃないが、今回ばかりはそれが正しい、正しいのだろう。

 

 これが、園芸か。

 

 試合中でもないのに、心が静かに燃えていく。

 絶対に、このロベリアだけは咲かせよう。私のロベリアを、美しい姿にしてみせよう。いつか、紺野に見せてあげよう。

 

 ――紺野君、か。

 

 さて、朝の支度をしなければ。着替えに歯磨きに朝食に水やりにその他もろもろ、余裕があれば虹の花壇の手入れもしておこう。

 日光を横目に、洋服ダンスの中身を漁っていく。今日は何で決めようか、やっぱりカジュアルスタイルにしてみようか――朝からやることが多くて大変だ、かったるいね。

 

 

―――

 

 校門を潜り抜ければ、まずは虹の花壇が目に飛び込んでくる。キャンパス内の中心に設けられたそれは、大学の象徴として、園芸サークルの宝として、今日も元気に花を咲かせていた。

 校内はもちろん、部外者からも、虹の花壇は絶好の撮影スポットとして高く評価されている。文化祭が開催された日には、老若男女問わず人が殺到することも珍しくはない。

 

 どうして、虹の花壇がここまで愛されるのか。ルミはよく知っている。

 

「もう少しで秋だっていうのに、土パッサパサじゃねーか。なんで乾燥なんかするんだっけ?」

「知らねーよ、専門家に聞け。……紺野よぉ、お前はまだいいだろ? コレオプシス担当なんだし」

「インパチェンスより、少し小さい程度じゃねーか」

「じゃあ変わるか? 一年が担当しているトコと」

「いい、変わらんでいい。このままでいく」

 

 虹の花壇には、沢山の手間と、幾多もの愛情と、園芸サークルの情熱が籠められている。

 だから、こんなにも美しいのだ。

 

「……相変わらずだなあ」

 

 ルミが、くすりと口元を曲げる。今日も、園芸サークルは熱心にご奉仕しているらしかった。

 紺野の背中へ駆け寄り、数人のメンバーが「あっ」と笑いかけてくれた。紺野も気配を察したらしく、腰を低くしたままで振り向き、ルミと目が合う。

 

「やあ、おはよう。今日も偉いねえー」

 

 手で挨拶をして、にっかりと笑ってみせる。最初は戸惑いがちだった紺野も、含み笑いでルミに応えてくれた。

 

 さて、今日は芽について報告しよう。どんな反応をするのか、楽しみだ。

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

ドラマCDを購入し、聴いてみたのですが、ルミさんって結構世話好きっぽく感じました。
凄く、良い彼女になりそうです。

何度か推敲してみましたが、もしかしたらミスがあるかもしれません。
その時は、遠慮なくご指摘してくださると、本当に嬉しいです。

ご指摘、ご感想などは、お気軽に書いてください。
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