アイリスの君   作:まなぶおじさん

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「練習試合、お疲れ様でした。乾杯ッ!」

 アズミが天高くジョッキを掲げ、メグミもルミも喜色満面の笑みでジョッキをぶつけあう。居酒屋のカウンター前で陽気になるは、バミューダ三姉妹だ。
 今日は他校との練習試合があったのだが、結果は快勝そのものだった。なので浮かれに浮かれ、居酒屋へ飲みに行く流れになるのも仕方がないことなのだ。
 早速とばかりにアズミがビールを一杯、立て続けに「うまいっ」と一言。実に幸せそうである。

「ちょっとアズミ、明日は平日なんだからほどほどにねー」
「はいはい、わかってますよー。エライわねえルミは」

 へらへらと笑われながらも、ルミは「まあね」とビールを飲む。
 瞬く間に喉が冷えていく。いつから酒を飲むようになったんだったか、いつの間にかこうだった。

「しっかし、今日のMVPは間違いなくルミよね。どしたのあの破壊っぷり、秘密特訓でもしたの?」

 一瞬だけ、思考が詰まる。
 ビールを飲み干すことで、頭の中に生じた泥濘を洗い流した。

「たまたまよ」
「そうなの? まあ、そういうこともあるか」

 メグミからあっさり納得される、アズミも「ふーん」と頷いてくれた。
 そう、全てはたまたまだ。何処かで「あの人」が見てくれているかもしれないから、あの人を幻滅させたくないから、あの人へ応えたいから――なんて考えたところで、戦車は戦車、試合は試合だろう。
 ため息をつく、唐揚げを食う。
 さて、今日はほどほどに祝杯を上げるとしよう。明日は大学があるのだから。


「ねえねえルミちゃーん」
「なに」
「私って可愛い?」
「うん」

 アズミが「やったー」とけらけら笑う。メグミからも「じゃあ私はー?」と質問されたが、ルミは「可愛い」とだけ。
 メグミからの返答はといえば、ため息一つだった。

「あーあ、可愛いはずなのに、なーんで男に縁がないんでしょねー」
「さー、まだその時じゃないんでしょ、その時じゃ」

 メグミがジョッキを傾け、一杯やりつつ、

「その時を待って、気づけばお酒が飲める年齢になってましたー」
「うーん、なんでだろねー」
「これでも身振りには気をつけてるんだけどなー、なーんでかなー」

 居酒屋における話の種はといえば、酔う前は戦車道、島田愛里寿、世間への愚痴。時には、シリアスな事情を語り合ったりする。
 酔った後は――悲観的かつ、陽気な恋バナで盛り上がることが多い。
 アズミとメグミは、今日も楽しそうに世の中を嘆いている。自分もその仲間に入れて欲しかったが、「当事者」である都合上、無責任に騒ぎ立てることなど出来はしなかった。

「あれれー、どうしたの? 今日のルミちゃん、クールだねえ」
「いつもこうでしょ」

 アズミが、露骨に「はぁ?」と顔を歪め、

「なに言ってんの。あんたが一番声でっかいくせにー」
「そうだっけ」
「そーでーす、アンニュイなルミちゃんなんてルミちゃんじゃないでーす」

 アズミとメグミが、心底気楽そうな表情でルミを煽る。その事に苛立ちはしない、むしろ羨ましいくらいだ。
 ――恋バナなんて、単なる話のネタに過ぎなかったのに。
 練習試合について考察したり、愛里寿の良さについて話し合ったり、教師について愚痴りあったりと、ここまでは普段通りだった。だが、酔ったアズミが「ところで今年もそろそろ終わるけど、カレシできましたー?」なんて言うものだから、ルミのテンションは急に醒めてしまった。

 こうなった原因は何だ。すぐに思いつく。
 自分に対し、心優しいと言ってくれた男の事。トラブって、顔と顔が間近になってしまった男の事。愛里寿でもアズミでもメグミでもなくて、ただただ私の事ばかり見る男の事。
 芽が生えたことを報告してみれば、「やっぱり、ルミさんは優しい女性なんだね」と言ってくれた、あの男の事――
 心当たりがあり過ぎて、恋に対してバカ笑いが出来ない。抱いているものが恋なのか、友情なのか、何なのかもハッキリしていないというのに。

「あ、分かった!」

 メグミが指を鳴らす、最近上手くなったなと頭の中でぼやく。

「ルミちゃーん」
「なに」
「カレシできたんでしょー!」

 言うと思った。面倒くさそうに、ルミが頭を掻く。

「え、マジで? 本当なのルミ? 裏切ったの?」
「裏切ってないわよ、フリーよフリー。同盟同盟」

 白旗を上げるかのように、手をひらひらと動かす。しかしメグミは、目を輝かせたままで、

「うっそだー、今のルミちゃん最高にクールだもん。らしくないもん」
「そういう気分ってだけよ」

 メグミが「はー?」と首を傾げ、

「恋バナを始める前は、フツーのテンションだったのに?」

 流石は副隊長、人の事をよく見ているらしい。
 このまましらばっくれても、メグミとアズミの猛攻は止まらないだろう。恋ほど、食いつかれたら厄介なものはない。

「はいはいわかったわかった。単に、男友達が出来ただけよ」

 嘘、ではないのだと思う。友達でなかったら、今頃は花壇とは無縁の生活を送っているはずだ。
 正直に話した結果――メグミとアズミの両目が、お星様のようにキラキラと発光していた。話すんじゃなかった。

「まじ? マジなの?」
「マジ」
「うっそでしょ?」
「マジ」
「どこで知り合ったの!?」

 花壇――そう言おうとして、ルミは口を閉ざした。何故だか、何でだろう。

「……食堂」
「え、食堂? そうなの!?」
「まあね。たまたま話し相手になって、たまたま気が合って、そこから付き合い始めたって感じ」
「ほぉー、そういうこともあるんだねぇ」

 納得したのか、そうでもないのか。アズミが、こきりと首を鳴らした。

「どんな話をしたのー? ……お願いしますっ師匠、テクニックを伝授してくださいッ!」

 懇願するように、メグミが両手を合わせる。厄介そうに、ルミは「ああ」と口にし、

「単なる世間話よ。ニュースとか、時事ネタとか、そこらへん」
「ほー、普通ねえ」

 花の話題も、ロベリアについても、どうしてか秘密にしておきたかった。
 ――考察する。意外にも、すぐに答えを導き出せた。
 独占欲だ。

「まあ、きっかけなんて大抵はこんなモノでしょ」
「はー、勉強になりましたっ、と」

 それで満足したのか、メグミはジョッキを傾けた。
 アズミは――未だに、こちらに視線を合わせたままで、

「で」
「何」
「その人の事、どう思ってるの」
「……わかんない」

 アズミが「そっかー」と頷く。ルミは、箸でから揚げをつまみ取る。

「青春してるねー」
「そお?」
「安易に答えを出さないあたり、真面目にその人の事を考えてるんだなーって」
「……そう?」
「そうそう」

 アズミが、控えめにビールを飲み干していく。

「ま、せいぜい悩みなさい、おそーく答えを出しなさい」
「分かってるわよ」

 こちとら大学生なのだ。人間関係については、思慮深く気を遣っているつもりだ。

「……一つ聞くけど」
「何」

 あくまでアズミは微笑んだまま。けれど、姉のような目つきでルミを見つめている。

「その人の事、嫌いじゃないんでしょ?」

 ああ、
 そんなの、決まりきっている。

「嫌いじゃない」
「ならよし」

 行きつけの居酒屋は、今日もオヤジ達を迎え入れている。何か良いことでもあったのか、向こうのテーブルが随分と騒がしい。焼き鳥の匂いが鼻孔をくすぐる、暖色の照明が何だか心地良い。
 メグミは、「もう一杯お願いしまーす!」と、明るく注文する。先ほどまでのアズミは何処へいったのやら、「私もお願いしまーす!」とジョッキを掲げてみせた。

 ルミは――分からないことだらけだった。それなら、解るまで彼と会うまでだ。
 だって、嫌いではないのだから。



あなたと向き合った

「なるほど」

 

 男友達が、カレーにスプーンを突っ込んだままで、紺野に一言問う。

 同じくカレーを食っていた紺野が、忌々しげに「何だよ」と聞き返してみれば、

 

「お前、やっぱり好みはルミさんなの?」

 

 何を今更と言うたげに、紺野は小さく舌打ちする。

 昼に腹を空かせて、そのまま男友達と食堂へ訪れて、カレーを注文してさあ食うぞという時にいきなりこれだ。

 断言してやる。

 

「当たり前だろ」

 

 断言してやった。男友達は「ほー」と声を漏らし、

 

「顔か? 性格か?」

「どっちも」

「なるほどなぁ。確かに、ルミさんは美人だもんなぁ」

 

 男友達のスプーンが、ジャガイモに突き刺さる。そのまま口まで運び、無感動に頬張る。

 

「で、どういうところが好きなんだ? あのツリ目がちなところか? 眼鏡か? 髪型か?」

「んー」

 

 そう言われてみれば、顔の何処に惚れこんだのだろう。全部といえば全部なのだが、やはり「何か」に惹かれたのかもしれない。

 唸る、考える、声が漏れる。脳ミソを振り絞り、出された結論は、

 

「やっぱ全部だわ」

「……すげえ」

 

 感動された。勿論嬉しくないので、淡々とライスをかみ砕く。

 

「でもまあ、ルミさんはパーフェクトな顔つきだしな、しゃーないな」

「だろ」

 

 ルミの容姿が褒められて、紺野も何となく嬉しくなってしまう。好きな人が評価される、これ以上の喜びがあるだろうか。

 

「じゃあ、性格はどうだ。やっぱりお前好みなのか?」

「当たり前だろ。俺なんかにも、対等に話しかけてくれるんだぜ」

「いいなー、いいなー。俺もルミさんと仲良くなりてーなー」

「なりゃいいじゃねえか」

 

 ふん、と鼻息を漏らす。カレールーをスプーンで掬い上げ、白米めがけゆっくりと垂らしていく。

 

「いやいや、お前の邪魔をするつもりはねえよ」

「余計なお世話だ」

 

 食堂で、男どもの笑い声が大きく響いた。別に気にするほどでもない、よくあることだ。

 

「で……お前、将来はルミさんと結婚する気なのか?」

 

 わざとらしく、荒っぽく「ああ?」と応える。

 しかし、男友達は気にもせず、

 

「付き合いたいんだろ?」

「……まあ、そりゃあ」

「じゃあ、結婚まで考えても、おかしかないだろ」

「そうかあ?」

「もう大学生だし」

 

 言われてみればその通りで、ぐうの音も出てこない。

 もう、酒を飲める年頃なのだ。これ以上、背だって伸びたりはしないだろう。結婚について考え出したところで、誰も否定はしないはずである。

 いつの間にか、そこまで育んでしまっていた。

 

「あーあ、結婚か……したいね」

「そーか。今のところは、ルミさんしか見据えていない感じか」

「当たり前だろ」

「他は」

「ありえないね」

 

 男友達から、「うっわすげえ」と笑われた。まったくもって嬉しくない、水をごくりと飲む。

 

「うんうん、お前はルミさんと結ばれるべきだよ」

「あったり前だろ。いつか、ルミさんに、」

 

 その時である。紺野の側面から、「呼んだ?」と、一言飛んできたのは。

 ハイスピードに声の主を探る、すぐに見つかった。紺野の近くで突っ立つは、シチューとシナモンロールをトレイに乗せた、

 

「どしたの? 何か用事?」

 

 話題の中心たるルミが、にっこりと姿を現していた。

 用事も何も、結婚を前提としたお付き合いをしてください――とは、当然ながら言えなかった。

 

「あ、いや、別にその」

「そお? あ、ここ座ってもいい?」

「あ、うん」

 

 先ほどまでの、紺野の投げやりっぷりはどこへ行ったのやら。その目はルミを中心に、その意識はルミを軸に、その思考はルミを基準に切り替えられる。

 顔にまで表れていたのか、男友達が含み笑いをこぼす。ルミに見えないようにガンをつけていると、

 

「あ、君の隣、いいかな?」

「ああ、どうぞどうぞ」

 

 男友達が、ルミと紺野を交互に見やる。またしても、にやりと笑われた。

 ――ルミは、自分の顔を覗う為に、男友達の隣へ座ったのだ。

 少なくとも、自分は赤の他人ではないらしい。嬉しいような、安堵したような、そんな気分になる。

 

「いただきます。……どう? 元気してた?」

「してたしてた。ああそうだ、練習試合見てたよ」

 

 ルミが「うえっ?」と目を見開かせる。残念だが、気づかれてはいなかったらしい。

 

「み、見てたの? 大会でも何でもないのに?」

「ルミさんが参加する試合なら、何処へでも駆け付けるよ。あんまり遠くなければね」

 

 この前の全国大会は、北海道が舞台ということもあって、残念ながら諦めざるを得なかった――が、次こそは北海道だろうが何だろうが、ルミを追おうと考えている。ルミへの想いは、日に日に増していっているのだ。

 ――何処へでも駆け付ける。その言葉を聞いて、ルミは、

 

「そっか――ありがとう」

 

 優しく、笑いかけてくれた。

 紺野の呼吸が、止まった。

 

「これはこれは、熱心なファンが出来ちゃったなあ」

「ファンというか、ルミさん推しというか」

「そういえばそうだった。何だろ、私だけがこんなに良い思いをしていいのやら」

 

 たははと笑いながら、ルミがシチューを掬い取る。

 

「ところで、さっきから何の話をしてたの? 私を呼んでた気がするんだけれど」

「あ!? い、いや、聞き間違えじゃないかな?」

 

 男友達が、「そうそう」と助け船を出してくれた。持つべきものは、

 

「名前は呼んでないけど、結婚するならどんな人? って感じの話題なら」

 

 てめえ覚えてろよ。

 フォローしてやったぜとばかりに、清々しくウインクされた。

 

「結婚……はー、もうそんな時期かぁ」

 

 意外にも、ルミが興味深く食いついてきた。紺野は、あたふたと手を動かし、

 

「いやいや、その、こんな話は気にしないで、」

「いや、もう他人事じゃないからね……結婚かぁ」

 

 左手でシナモンロールを摘み、小さくかじる。視線は天井へ、何処か遠い目をしている。

 

「……よし、ごっそさん」

 

 紺野が「え」と漏らし、ルミが「ん?」と口にする。気付けばなんと、男友達が綺麗さっぱり完食済みではないか。

 

「え、お前、早くね……?」

「そうか? いつも変わらないぜ」

 

 「ごちそうさまでした」と、男友達が手を合わせ、

 

「じゃ、俺は先に教室行ってるわ。ゆっくりなー」

 

 トレイを片す前に、男友達から背中を叩かれた。頑張れ、ということなのだろう。

 余計なお世話だ。

 

「あ、あらー……食べるの早いね、彼」

「そ、そうかな? まあ、用事があったんだろうね」

 

 間。

 

「何の話をして……ああそうか、結婚についてか」

 

 思い出された。残念なようなそうでないような、気まずそうに視線を逸らす。

 

「ねえ」

「うん?」

 

 恐れ知らずのルミが、珍しく深呼吸する。

 そして、

 

「紺野君は、結婚願望とかはあるの?」

 

 ある。目の前で、シチューを食べている人と。

 はっきりと言えるはずがなかった、受け入れられる自信がまるでなかった。だから、

 

「あるよ、とりあえずはある、かな」

 

 だから、無難に返答した。

 ルミは「へえー」と目を丸くして、

 

「どんな人と、結婚したいの?」

 

 予感はしていたが、それを聞いてしまうのか。

 ――誤魔化したくはなかった、嘘もつきたくはなかった。偽証をしてしまえば、その時点で縁が切れてしまうような気がして。

 

「……そう、だね」

 

 遊び半分で聞いたつもりはないのだろう。ルミは、紺野から片時も目を離しはしない。

 

「明るい人、かな」

「ほうほう」

 

 ルミが、素直に頷く。

 

「次に……話しやすい人かな」

「ふむふむ」

 

 ルミが、小さく首を振るう。

 

「後は、」

 

 後は――何だ。

 正直な意見としては、「眼鏡をかけた人」とか「ショートヘアが似合う人」とか「戦車道履修者」とか「ツリ目がちな人」とか「花が好きな人」とか、好み自体はいくらでも思いつく。

 だが、これらをルミの前で言ってみるがいい。ものの数秒でバレるだろうし、下手すると悪印象を抱かれてしまうかもしれない。

 告白をするのって、本当に難しい。改めて、そう痛感する。

 

「後は?」

「後は、えーっと……」

 

 こうなれば、当たり障りのない本音を口にするしかない。紺野は、鋭く息を吸った。

 

「料理を作ってくれる人、かな」

 

 嘘は言っていない。

 ここで、ルミの表情が固まった。

 そして、紺野の顔面も硬直した。

 

 敏感に察する。この人、料理は不得意らしい――

 

「あ! ああいや、その、料理は別にいいかな、俺もチャレンジしてみたいし、」

「紺野君」

 

 紺野の弁解なんぞ、ルミの一声で制圧されてしまった。

 真剣で、けれども不安そうな顔をしたルミが、じっくりと紺野の目を射抜いている。

 

「……料理を作れたほうが、いいんだよね?」

「え、えっと、それは別に、」

「い、い、ん、だ、よ、ね?」

 

 黙って、強く頷くしかなかった。

 ――それだけで満足したのか、ルミは「うん」と笑顔になり、

 

「じゃあ今度、何か作ってきてあげる」

「え、え!? なんで俺なんかに!?」

 

 紺野の疑問に対し、ルミは「なんでだろう……」と、頬を赤く染めながら思考する。視線は真横に、右手で口元を隠したまま。

 

「うーん……あ、そうか!」

 

 今思いつきましたとばかりに、左手で指を鳴らす。不意な音にビビってしまい、紺野は情けなくたじろいだ。

 

「日頃のお礼、かな? ロベリアのことも教えてくれたし」

「え? いやいや。俺は、ルミさんの試合さえ見られればそれで良いし」

 

 しかし、ルミは首を左右に振るう。

 

「いやー……私もいつか、料理に挑戦しようと思ってたからね。結婚願望も、人並みにはあるから」

 

 物凄く、重要な情報をつかみ取った気がする。これにはすぐに、紺野が食らいついた。

 

「――ルミさんは、どんな男が好みなの?」

「そだねー……」

 

 特に拒まれることもなく、ルミが「んー」と唸り出す。スプーンをシチューの中に入れたまま、くるくると回して――ルミの顔が、急に明るくなった。これ以上無い意見を、思いついたとばかりに。

 

「――心優しい人、かな」

 

 ただ素直に、シンプルに、控えめに、ルミは笑いをこぼした。

 紺野の口から、声が出ない。

 自分が、それに当てはまらない可能性もあるのに。むしろ、逆なのかもしれないのに。「自分は心優しい」なんて、口が裂けても言えるはずがないのに。

 

 けれども何故か、それを聞けて良かったと、紺野は思うのだ。

 

「……そっか」

 

 紺野は、充実したように笑う。

 

「見つかるといいね、そんな人が」

 

 ルミは、笑顔のままで「うん」と頷いた。

 

―――

 

「もしもし、メグミ?」

『どしたの? こんな時間に』

「ああ、ごめんね。今、大丈夫?」

『うん。どうしたの?』

「……私さ、料理、頑張ってみようと思うんだ」

『え、どしたの急に』

「うーん、私も正直分からないんだけれど……私の事を、認めて欲しい人がいてさ」

『……あー、居酒屋で言ってた』

「そう、居酒屋で言ってたの。――メグミに電話をかけたのは、あえて逃げ道を塞ぐため……かな? ごめんね、いきなりこんなこと話して」

『ああ、ああ、なるほど。まあ、あれだ――頑張って、ルミ。応援してるからね』

「うん、ありがとう」

 

―――

 

 今日も早起きお疲れさん、ロベリアの管理よし、水やり完了、お着替え終了、ゴミ出し完遂、秘密兵器(おべんとう)持参、いってきます。

 さて。

 夏の尾はすっかり消え、今や秋の全盛期だった。朝から随分と肌寒いが、正直なところ、これぐらいの冷たさは結構好きだったりする。逆に暑いのは嫌いだ。

 空気を吸う為に、深呼吸する。

 虫の音は、もうどこからも聞こえてはこない。通学路を歩むルミに対し、後ろから車が通り過ぎていく。暗すぎず、まぶしすぎずの日光が、控えめに朝の訪れを主張していた。

 そして今日も、園芸サークルは虹の花壇相手に頑張っているのだろう。

 

 よし。

 たまたま目が覚めてしまったし、手伝ってあげようじゃないか。待っていなさい、紺野君。

 

 

 アズミよりも、メグミよりも、恐らくは愛里寿よりも先に、ルミは大学のキャンパス内へ足を踏み入れる。

 真っ先に視界へ飛び込んできたのは、キャンパス内を彩る虹の花壇だった――そして、それらを手入れするサークルメンバーも。

 紺野は――いた。今日は、一番外側に植えられたインパチェンス(赤)担当らしい。やはり、ああでもないこうでもないと愚痴っているのだろうか。

 

 今なら、紺野の気持ちがよく分かる。朝っぱらから懇切丁寧に花の世話をしなければいけないなんて、そりゃあしんどいに決まっている。

 だが、花はそれら全てを受け入れてくれる。はじめに芽から、やがては花を咲かせ、いつしか枯れていく――そうした過程を辿るのが、何故だかやめられないのだろう。

 たぶん、ルミはこの趣味を続けていくと思う。発芽した時、何故だか心が燃え上がったから。こんな自分でも、命を幸せに出来るんだって実感したから。自分の花とは、きっと世界一美しいものなんだって期待しているから。

 ――紺野が、褒めてくれるから。

 

 いやいやと、自分の頭を軽くはたく。服を引っ張って、しわを整える。準備完了、声をかけ、

 

「紺野ー」

「あー、何?」

 

 エボルブルスの世話が終わったのだろう。紺野の女友達が、コレオプシス(黄)、インパチェンスの真上をジャンプで乗り越える。

 

「手伝うー?」

「裏は?」

「ある」

 

 そのまま、インパチェンスへ水やりをこなしている紺野の隣にまで歩み寄り、あっさりと腰を低くした。

 赤いジョウロをひらひらと動かしながら、なんでもないように笑いかけて。

 

「言ってみろ」

「実は今月ピンチでさー。一番安いのでいいから、奢ってくれっ」

「やだよ、あっちいけ」

「つめたいなあ」

 

 紺野と、その女友達との絡み合いなんて、何度も目にしてきたはずなのに。

 何故だか、良い気分にはなれなかった。いつものことだと、処理出来なかった。友達関係であるはずなのに、妙な危機感を抱いていた。

 どうしてと、疑問に思ったフリをする。一瞬にして、「ああ、これは」と理解する。

 

「いざとなったら、キャラメルでもいいから」

「え、何処までヤバいの? 何買ったの?」

「服とか種」

「種はともかく……服は、もう十分なんじゃないの?」

「服に際限はないのよ」

 

 女友達が、紺野に対してけらけらと笑う。紺野も、不愉快ではなさそうに言葉を交わしていく。

 

 どんな人と、結婚したいの?

 明るい人、話しやすい人、かな。

 

 心が妬かれる。恋愛感情なのか、友情なのか、それ以外なのかも理解していないくせに。

 ――ルミは、前へ前へ進んだ。悩むのは性に合っていない、行動すれば割かし何とかなってきた。

 先に気づいたのは、女友達だった。首だけを振り向かせ、手を上げて「おはようございまーす」と挨拶をする。紺野も黙って女友達につられ、「あ!」と素っ頓狂な声を漏らした。

 だから、

 

「おはよう! 今日も偉いねえー」

 

 いつものように挨拶をして、いつものように水やりを手伝って、紺野と交流する。

 それでいい、それが一番いい。

 

―――

 

 昼が訪れると、紺野は決まって腹を空かせる。

 勿論、空腹状態なんて受け入れ難いし、好きでも何でもない。だからさっさと食堂へ出向き、とっとと何かを食って、あっさりと満腹に仕立て上げる。こうして、紺野の食糧問題は解決を迎えるのだ。

 が、

 紺野とルミは今、虹の花壇前のベンチへ腰を下ろしている。食堂以上に、距離が近い。

 

「ごめんねー、呼び出したりしちゃって」

「いやいや。むしろ、ありがとうっていうか」

 

 今日ばかりは、食堂へ立ち寄るわけにはいかなくなった。虹の花壇へ水やりをしている最中に、「今日、弁当作ってきたんだ」と誘われたから。

 ――ルミが申し訳なさそうに苦笑しながら、鞄から二つの箱を取り出す。両方とも、青迷彩の包みにくるまれていた。

 

「……マジで、俺でいいの?」

「いいのいいの。いつか、お礼をするって言ったでしょ?」

 

 ルミが、青迷彩を少しずつ解いていく。段々と、少しずつ、けれどもあっさりと、その正体を現した。

 銀色の、シンプルな弁当箱だった。

 

「うわあ……すっげえ。ルミさんの手作り弁当かよ」

「えー、そんなに驚くこと?」

 

 驚くに決まっていた。腹は満たされるわ、愛情は注がれるわで、紺野からすれば国宝級に匹敵する。

 胃も空気を読んだらしく、急に強い飢餓感に襲われる。腹だって鳴る。

 

「あ、いいタイミングみたいだね。開けてみて」

 

 爆発物でも取り扱うかのように、紺野はそっと、弁当箱のフタを開ける。

 おお、と声が漏れる。

 まず、ごま塩が振りかけられた白米が、視界へ飛び込んでくる。仕切りの向こう側には、ミニトマトが三個、ブロッコリーが二つ、ソースがかったハンバーグまで。おまけにクラッカーつき。

 

「い、いいの?」

「どうぞどうぞ」

 

 付属されていた箸を手に取り、まずは慎重に白米をつまみ取る。まるで鑑定士のような目つきで、その白米をただただ見つめていると、

 

「はやく食べてって」

「あ、悪い」

 

 潔く、口の中へ放り込む。

 ――うまい。

 

「うまい」

「本当?」

 

 ルミの両目が、運河のようにきらりと光る。紺野は、「うまいうまい」と何度も連呼する。

 

「全部うまい。ルミさん、才能あるよ」

「ほんとに? やったー、嬉しいなー」

 

 ルミは戦車道履修者だ。だから、トライアンドエラーの精神を用いて、ここまでたどり着いたのだろう。

 ――そうさせた動機に、自分も含まれているのは言うまでもない。

 だから、何としてでも完食しよう。何せ、食べても食べても満たされないのだから。

 

「あ、無理はしなくていいからね?」

「いやいや、食堂のメシより美味いよ、これ」

「大袈裟だって」

 

 ルミが、自分の分のブロッコリーをゆっくり味わっている。とても、幸せそうに微笑みながら。

 

「これはうまい……ルミさん、将来はいいお嫁さんになるよ」

「え、そうかな?」

「うんうん」

 

 上機嫌だったものだから、後先考えずに定番モノを口にしてしまった。

 紺野が「あ」と気づくも、ルミは特に気にしてなさそうな素振りで、

 

「そっかー。紺野君からそう言われたら、私の将来も安泰かな」

「俺の意見なんて、アテにならないよ」

「そう? そんなことはないと思うけど」

「どうして」

 

 ルミが、ミニトマトをかみ砕きながら、

 

「間違ったことは教えないもの、紺野君は」

「そ、そう?」

 

 ルミは、「うん」と物言わずに頷く。

 

「ロベリアにしても、料理についてもそう。最初は失敗しまくったけど、自作の料理ってほんとーに美味いんだなって」

「料理は……詳しくはないし」

「けど、きっかけは与えてくれたじゃない」

 

 ということは、自分はルミに対して、二つの趣味を与えたということになるのか。

 ――少しだけ、喜びが芽生えてくる。ルミの人生に善さが増すのなら、これほど嬉しいことはない。

 

「だから、そんな顔しないの。ね?」

 

 そう言われて、無理に笑う。それに満足したのか、ルミの視線は弁当箱へ移った。

 

「……これで一応、達成かな?」

「え、何が?」

「紺野君の、お嫁さんハードル」

 

 鼻が詰まったような声が出た。ルミが「あ、大丈夫?」と焦るが、紺野は「平気平気」と箸を震わせた。

 

「あー、ごめん。いきなり変なことを言って」

「いや、大丈夫だよ。むしろその、嬉しいって思った」

「……そうなの?」

 

 黙って頷き、

 

「だって、俺なんかの為に、ここまでしてくれて」

「――違うよ」

 

 箸の動きが止まる。

 

「紺野君、だからだよ」

 

 ルミの横顔を覗う。太陽のような笑みはどこかへ消えて、雨のようにどこか落ち込んでいる。

 眉が、力なく傾いている。唇が、いつも以上に艶めいていた。ルミの目は少しだけ寂しそうで、その瞳は決して紺野を映し出してはいない。

 これじゃあ、まるで――

 

「ねえ、紺野君」

「あ、うん」

 

 ルミが、ふう、と息を吐いた。

 

「紺野君ってさ、やっぱりイケメンだよね」

「え!? 違う違うそんなんじゃない」

 

 前に、食堂でイケメン認定されたはずなのに。

 なのに、今となっては恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。

 

「そう? 私はそう思うけどな」

「そ、そう……?」

 

 ルミが、静かに白米を咀嚼する。

 

「紺野君ってさ、コクられたこととかあるでしょ?」

「え。そ、それはー……」

 

 ルミの前で、真面目な嘘をつきたくはなかった。

 ここではぐらかしてしまうと、後が怖いような気がして。

 

「……ある」

「やっぱり? だよねー、イケメンだもんねー」

 

 ルミが、力なく笑う。目と目が合わないまま。

 

「三回くらい、告白されたことがあるよ。勿論、全て断ったけれど」

「ほんと? もったいなーい。なんでなんで?」

 

 ちらりと、ルミが紺野を覗う。一挙一動すらも見逃さないような、そんな鋭さすら感じられた。

 

「まあ、その……俺が、好きになれなかったから、かな。恋心が芽生えなかったっていうか」

「ほー……」

 

 感心された。ルミの箸が、ハンバーグに突き刺さる。

 

「好きでもないのに、勢いのまま付き合ってもさ。それはいつか、瓦解すると思う」

 

 ブロッコリーを回収する。

 

「だって、その人のことを愛していないんだから」

「……それもそうだ」

 

 力強く噛み締める。

 

「真面目だね、紺野君は」

「普通だよ」

「いやいや、勢いのまま交際する人は多いし」

 

 知ってる。それ故に、女友達からは「かったいねー」とよくからかわれる。

 だが、否定したことはない、するつもりもない。恋とは一生モノであって、自分から愛して愛されたいと、心の底から願っているから。

 ――ルミを見る。

 誓う。俺は、ルミしか愛せない。

 

「やっぱり、両想いが一番だよね。うんうん、それがいい」

 

 気づけば、弁当の中身も残り少ない。

 食ったんだな、と思う。

 

「ねえ、紺野君」

「うん?」

「紺野君はさ、今までの告白をしっかり断ったんだよね?」

「まあね。そうしなきゃ、相手にも失礼だし」

 

 ベンチの背に、身を預ける。

 これまでに三回ほど、何もしていないのに告白を受けたことがある。一度目は小学の時、二度目は中学の頃、三度目は大学生になってから。

 そして三度、告白を断ってきた。反応は人それぞれで、一人目は「ごめんね!」と謝ってきた。二人目は、「どうして?」と問うてきた。三人目は、「そっかー。わかった、ありがとう」と頭を下げてくれた。

 

 こんな贅沢野郎が、恋なんて一生するはずがないと思っていたのに。なのに恋ときたら、おかまいなしにその機会を与えてくれた。

 

「そっかー……」

「うん」

「……じゃあさ」

 

 はっきりと、ルミが紺野の顔を見た。

 

「私から告白されたら、紺野君はどう返すのかな?」

 

 ルミは、あくまで楽しそうに笑っていた。

 夕暮れ、のようだった。

 

「え……え」

「あ、ああ、ごめんごめん。変なこと聞いちゃった」

 

 ルミの弁当箱の中身も、そろそろ数少なくなってきた。

 終わる。昼食の時間が、もう少しで終了する。

 ――だから、紺野は言った。

 

「……バカみたく、喜ぶと思う」

 

 呼吸なんか忘れていたと思う、心臓はちゃんと動いていたっけ。

 

「絶対に、断らないと思う」

 

 拳を作り、自分の頭を小突く。「思う」じゃない、そうじゃない。

 

「絶対に断らない。俺でよければ喜んで――そう、応える」

 

 風が吹く。

 そろそろ授業が始まるのか、キャンパス内で人がよく動く。部外者らしきおばさんも数人いて、虹の花壇をじいっと眺めていた。

 東側から、戦車の稼働音がよく響いてくる。ルミの世界も、そろそろ動き出してきたらしい。

 ――ルミは、ルミの表情は、しばらくは止まったままだった。目を丸くして、口を少しだけ開けて、少女のように瞳を揺らしていて、時々まばたきもして、そして、

 

「……そうなんだ」

 

 いつものルミのように、笑顔を見せてくれた。紺野の言葉を、拒んだりはしなかった。

 ……ほんの少しだけ、間が生じる。

 

「ああ、ご、ごめんね! 変なシミュレーションしちゃって」

「あ、ああいやいや、問題ないから。気にしないで、今の返答は忘れて」

 

 一気に弁当箱の中身を平らげ、封印するように蓋を閉める。両手を合わせて、

 

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 

 少し早めに、青迷彩の包みを弁当箱へくるんでいく。少し雑な感じもするが、許容範囲だろう。

 

「じゃあこれ、ここに置いておくから」

「うん。機会があったら、また作るから」

「えー、悪いよそんな、」

 

 ルミが「いいからいいから」と、歯を見せて笑う。

 そういうことならしょうがない、そういうことなら。

 

「今日は本当にありがとう。それじゃあ、授業頑張ってね」

 

 手を振るい合い、ルミとお別れする。

 後はそのまま、振り向きなどはしなかった。名残惜しくなるから。

 

 何だか、濃厚な昼休みだった。まるで休んだ気がしなかったが――なんだか、いい気分だった。

 シミュレーションとはいえ、ルミに告白出来たのだから。

 

 ――たぶん、ルミは。

 

―――

 

 ベンチに座ったまま、ルミは呆然と空を見上げていた。

 青い、晴れそのものだ。けれど、どこかさみしく感じられる。秋のせいかもしれない。

 溜息をつく。

 少しだけ、口元が緩む。ただ、「そっか」と口ずさむだけ。

 

 右側に、視線を傾ける。

 弁当包みにくるまれた弁当箱が、今なおその場に鎮座している。さっきまでは、人がいたはずなのに。

 そっと、手に取る。

 色々、あったなあと思う。二十一年間生きてきて、恋愛なんて縁がないと割り切ったつもりだったが――

 

 アズミ、メグミ。やっぱりね、出会いってどうしても運が絡むよ。そうなったら最後、心まで絡めとられちゃうよ。

 

 電話をかける、携帯を耳に当てる。

 

『……はい、アズミです』

「ああ、ルミだよ。ごめんね。少しだけ話、いいかな?」

『あ、うん。そろそろ授業始まっちゃうよ、何処にいるのさ』

「虹の花壇前、すぐに駆け付けるから」

『うん。――それで?』

「……あのさ」

『うん』

「わかった、自分の気持ちの正体に」

『……ああ、そう、そっか』

「うん。恋、だった」

『そっかー……やるじゃん、ルミ』

「そお?」

『ええ。今度、何か奢りなさいな』

「スキあらばそういうことを言う」

『いいじゃないの、めでたいんだし。――で、進展は?』

「……それがさ……もう、どうしようもないくらいさ、愛されてるみたい」

『……良かったわね』

「うん」

『今度、紹介してよ』

「え、やだよ」

『ざんねん。じゃ、はやく授業に出なさいよ』

「はいはい」

 

 電話が切れる、笑いがこぼれる。

 自分の弁当箱と、あの人の弁当箱を鞄にしまう。数年ぶりに動くかのように、ベンチから鈍く立ち上がった。

 しんどそうに、背筋を伸ばす。

 さて、午後からは戦車道を歩まなくては。夕暮れになったら、園芸の時間だ。

 

―――

 

「で」

 

 夕暮れに差し掛かり、園芸サークル一同が「さーやるかー」とやる気なく花壇へ集合していく。ここまではいつも通りだ。

 今日も今日とてインパチェンス担当をやらされ、男友達とあーでもないこーでもないと不毛な愚痴りあいをしている最中、ルミから「偉いねえ」と声をかけられる。これもいつも通りだ。

 ルミが「インパチェンス、やってもいいですか?」と自主的に主張してきた時は、メンバー一同はそれはもう感動したものだ。ルミの目はふんすと輝いていて、女友達が「任せた!」と指示し、ルミと紺野は隣同士で作業開始。ここまでも、いつも通りといえばいつも通りといえる。

 昼休みはああだったが、こうして対面してみると、何だかおかしくなって笑い合ってしまった。何となく「これからもよろしくね」と言ってみたところ、ルミが「こちらこそよろしく」と、素直に返してきてくれた。

 後は、インパチェンスめがけ水をご奉仕するだけ。その間も、ルミは紺野の隣を譲ろうとはしなかったことを付け加えておく。

 本当にいつも通りで、無事平穏で、けれど何気なく進展していて、平和そのものだった――ルミの知り合いらしき女性から、「お、ルミ、何してんのー?」と声をかけられるまでは。

 

「なんであんたらまで水やりしてんのよ」

 

 実に不機嫌そうに、ルミが知り合いめがけ口撃を仕掛けている。ニーレンベルギア・ブルーマウンテンへ水やりを施している、島田愛里寿を除いて。

 

「いいじゃない別に。あんた、いい趣味してたのね」

 

 ボブカットの女性は、「手伝わせてくださいな」の一言と、絶対に男を勘違いさせる「雰囲気」で、サークルメンバー一同の意志をイチコロにした。

 ロングヘアの女性は、「手伝っても良いですか」の一言と、何処か女性を引き寄せる「純真さ」で、サークルメンバー一同の意志をイチコロにした。

 島田愛里寿に至っては、前々から見学者として歓迎済みだ。愛里寿はニーレンベルギアを熱心に見ていて、「この花の世話を、させて欲しい」と言い出したのが、そもそもの発端といえる。

 

「くそー、恐れていたことが……」

「まあまあルミ、邪魔はしないから」

「何の」

「んー?」

 

 ロングヘアの女性が、紺野をじいっと見つめてくる。紺野は「あ、どうも」と頭を下げることしか出来ない。

 

「ああ、ごめんごめん。自己紹介が遅れたね――私はメグミ、戦車道してまーす。彼氏募集中でーす」

「ちょっと、抜け駆けは駄目よ。ああ、私はアズミ、同じく戦車道してます。彼氏募集中」

「あ、俺は紺野っていいます。ルミさんとは、お友達をやらさせてもらってます」

 

 その時、アズミとメグミからの、強烈な視線を浴びた。理由は何だ――決まっている、ルミのお友達発言だ。

 はっと思い出す。前に、アズミとメグミという名前を聞いたような見たような。ルミも合わせて、これでバミューダ三姉妹となるのか。

 

 そんな紺野をよそに、男どもが露骨にどよめき始める。アズミが好みだの、メグミちゃんがいいだの、愛里寿ちゃんはあんなのに染まっちゃ駄目よだのと、あちこちから無遠慮な意見が飛び交う。

 かといって、アズミもメグミも不快そうにはしない。むしろ、楽しんでいるフシさえ感じられる。ルミと似た気質持ちなのだろう。

 

「……で、何の邪魔をしないっていうの」

「え、紺野君とルミのお付き合い」

 

 インパチェンスを手入れするメグミの言葉に対して、ルミが「は」と漏らす。紺野は、メグミをガン見する。

 

「はあ? こ、紺野君に失礼でしょ?」

「あら、紺野君を庇うんだ。いいなー仲いいなー」

 

 ルミが、ぐっと歯を食いしばる。紺野のヘタレは、おどおどと水やりをこなすだけ。

 

「しかし、へえ……なるほど」

 

 コレオプシスへ水やりをこなしていたアズミが、よくよく紺野の顔を覗ってくる。対して紺野は、「な、なんですか」と力無く応えた。

 

「なるほど、ルミが惚れるのも分かるわ。イケメンね」

「え、え」

「ああ、ごめんごめん。ルミから、よく紺野君の話をされるのよ。もうすっごく評価が高いんだから」

 

 そうだったのか。

 恥ずかしいやら嬉しいやら喜ばしいやら。これっぽっちも嫌ではない。

 ――ルミを見る。既に顔が真っ赤だった。

 

「何を言ってるのアズミ。ほ、惚れてなんか……」

「そうなの?」

「そ、それは」

 

 その場しのぎとはいえ、「惚れてない」と言われて少しダメージを食らう。ルミから、彼氏と認められたわけじゃないのに。

 

「……とにかくアズミッ。紺野君のことを、じろじろ見るなッ」

「え、なんで。紺野君は、フリーなんでしょ?」

「え? え、ええまあ」

 

 アズミがくすりと笑い、

 

「そんな、堅苦しくしなくても良いわよ。タメ口OK、呼び捨て大歓迎」

「あ、私も気軽にメグミって呼んでね」

 

 戦車道履修者のパワーに押し切られ、半ば流れで「わ、分かった」とだけ。

 アズミは「よろしい」とばかりに、口元を曲げた。

 

「で……ルミのこと、どう思ってるの?」

 

 いきなりか。ルミから「無視していいからね」と注文が飛んできたが、ダンマリを決めたところで追及は止まらないだろう。

 メグミからも視線でロックオンされている以上、もはや逃げ場はない。よくよく見れば、事情を知るサークルメンバーからも黙って見守られていた。

 ――潮時、か。

 

「……嫌いじゃない」

「へえ、嫌いじゃない」

「むしろ好き」

「なるほど、好き」

 

 この場で生きているのは、水やりをこなす手と、質問をしてくるアズミと、真剣な目つきのメグミと、いつの間にか紺野を見据えていた愛里寿と、ちらりと紺野を覗うルミだけだった。

 嘘はつけない。誤魔化しでもすれば、四方八方から主砲をぶち込まれるだろう。

 息を吐く。

 言うか。この場にいる全員は、紺野の本音など見破っているだろうから。

 恋愛で最も大事なのは、本人からその想いを口にすることだ。

 

「……ルミさんのことは、女性として好きだと思ってる」

 

 拳を作り、自分の頭を小突く。

 

「ルミさんのことが、好きだ」

 

 言えた。

 最も伝えたかったことを、現実世界でようやく口に出来た。

 

「だとさ、ルミ」

 

 目は寂しそうに、口元は嬉しそうにしながら、アズミがルミを見つめた。

 ルミは――

 

「あ、えっと……あの……」

 

 ルミの視線は、完全にインパチェンスのものとなっていた。インパチェンスのように顔は真っ赤で、泣きそうな目つきになっていて、答えを口に出来なくて、

 次に「ごめんなさい」と言われても、たぶん受け入れられると思う。想いは伝えきった。

 ――思い出す、告白された時のことを。

 きっと、怖かっただろう、不安だっただろう、物凄く勇気を振り絞っただろう。それらを拒否された時、彼女達はどんな想いで一晩を過ごしたのだろうか。

 過った選択をした、とは思わない。自信を持って、誠実に受け答えしたとさえ考える。

 

 だからこそ、三人の女性達の事を、心から称賛した。

 

「えっと……その、紺野、君」

 

 ルミが、深呼吸した。けれども、視線は地に着いたままで、まるで震える子犬のようで。

 ――少しだけ時間を用いて、紺野とルミの目が合った。ルミは、気楽そうに微笑んでいる。

 

「……紺野君のことは、好き……かな」

 

 これ以上無い言葉だった。ルミからも、これ以上言葉を紡げないだろう。

 紺野は、胸をなでおろした。

 

「……ルミ」

 

 極めて真剣な表情をしながら、メグミがルミに声をかける。

 

「ちゃんと、言って」

 

 気まずそうに笑ったままで、ルミは何も答えない。

 ルミは、太陽のような人だ。だから人一倍笑ったり、喜んだり、声を出したり、恋に対して感情的になるのだろう。

 そんなルミのことが、紺野は大好きだった。だから、今の言葉でも十分過ぎた。

 

 もう、ルミとは赤の他人じゃない。ルミのことは、少しばかり学んだつもりだ。

 だから、

 

「メグミ」

「え」

「……今は、ルミさんをこのままにさせて欲しい。ルミさんも、いきなりこんなことを言われて、戸惑っているはずだから」

 

 そう――

 告白を断った当初は、それはもう気まずくて気まずくて仕方が無かった。この人とは一生、話しかけられないんじゃないかとすら思った。

 けれど、時間の経過というものは、まるで全てを動かしてしまう。

 いつの間にかその人とは友達になったし、普通に話し相手にもなったりした。大学に至っては、同じ趣味を共有する者同士、仲良くしている。

 ――だから、待とう。待てる。

 

「ルミさんは、俺に正直な想いを告げてくれた。それで、十分すぎるよ」

 

 少し経って、メグミが「うん」と頷く。

 

「ルミさん」

 

 ルミが、ちらりと紺野を覗う。

 

「ありがとう」

 

 

 愛里寿とアズミとメグミの手助けもあって、虹の花壇の手入れは大いに捗った。しかも、「また来るね」のおまけつきだ。

 だが、誰一人として騒ぎ立てはしなかった。誰もがルミを、快く見守っていたから。

 

 赤らみがかっていた夕暮れも、少しだけ暗くなっていた。もう帰る時間だ。

 ルミの手作り弁当を食べて、ルミの友達と知り合って、遂にルミに告白して、ルミからも想いを告げられて――本当、めちゃくちゃ色々なことがあった。

 背筋を伸ばし、帰路につく。明日も元気に生きよう。

 

―――

 

 ルミほどではないが、アズミも園芸にハマり出してきた。きっと、丁度よい趣味だったのだろう。

 

 ――最初は、一度きりの手伝いで終わらせるつもりだったのだ。

 だが、楽しそうに花と触れ合うルミを見て、水やりをされて上機嫌そうなコレオプシスを間近で見て――女心がくすぐられでもしたのだろう、だから「また来るね」と言葉にした。

 最初は夕暮れから、時には早朝からお邪魔するようになった。そのたびにサークルメンバー一同が「いらっしゃい」と声をかけてくれて、ルミからは嫌そうな顔で「また来たの」とブーイングが飛んでくる。

 ――少し踏み出せば、コレオプシスがアズミを迎え入れてくれる。何も言わず、何も語らず、ただただアズミを待ってくれている。

 

 なるほど。

 園芸とは、実に大変だ。繊細な気持ちが大事になってくるし、毎日毎日手入れをこなさなければいけない。開花の時期だって、明日や明後日の話ではないのだ。

 だが、花は全てを受け入れてくれる。新参者である自分のことも、まだまだおぼつかない水やりも、自分なりの愛情に対してすら、花は何も答えずに受け取ってくれる。

 ああ、これは、ルミも熱心になるわけだ。

 

 ――ちらりと、紺野へ目を向ける。

 紺野は今日も、「土パッサパサだよっとによー」と愚痴っている。その隣で、ルミが「水をやれば解決するから」と苦笑した。

 アズミも、力なく笑う。朝っぱらから園芸に励んでいるのは、丁寧に水やりを行っているのは、どこのルミの彼氏さんなんだか。

 これは、ルミが惚れても仕方がないな。

 

 さて。

 ひと呼吸つき、「っし」と気合を入れる。今日もコレオプシスへ水やりを行う予定だが、その前に、

 

「ねえ、紺野君」

「え、何?」

 

 手を止め、アズミへ首だけを振り向かせる。

 アズミは「えーっとね」と前置きして、

 

「あのさ、黄色い花……育てたくなってきたんだけれど、何かいいのあるかな?」

 

 紺野の顔が明るくなる。今頃は、何がいいかなどれにしようかなと思考しているのだろう。

 アズミの口元も緩む。ほんとう、花の事が好きなのだろう――ルミからは、「えー、あんたも育てるのー?」とか言われた。その口ぶりから察するに、既に園芸デビューを果たしているらしい。これはいよいよもって止めるわけにはいかなくなった。

 

「……それなら、あいつの方が詳しいんじゃないかな」

 

 紺野が、親指でサークルメンバーの一人を示す。目で追ってみると、コレオプシスへ水やりを行っている、紺野の男友達の姿へ行きついた。

 男友達と目が合い、恥ずかしそうに笑われる。ああ、これはもしかして――

 

「うん、わかった。聞いてみるね」

 

 生まれてこの方、二十一年目になるが――自分もまだまだ、若かったらしい。

 

―――

 

 ルミほどではないが、メグミも園芸にハマり出してきた。きっと、気が合う趣味だったからだ。

 

 最初は、ルミのからかいついでに水やりを手伝ってやった。それはほんの気まぐれで、「たまには花もいいかな」程度の行為だったのだ。 

 だが、メグミはそれを見た、見てしまった。インパチェンスという赤い花に、容赦無く魅せられてしまった。

 なんて可愛いんだろう、と思った。指先で、赤い花びらを撫でたりもした。きっと、口元も緩んでいただろう。

 心のどこからか、「女の子」がふわりと現れたのをよく覚えている。それは今もなお、メグミの中に居た。

 

 なるほど。

 これは、ルミも熱心になるわけだ。

 

 夕暮れになれば、メグミも虹の花壇へお邪魔するようになった。サークルメンバーからは「ようこそ」と歓迎されて、ルミからは「メグミもー?」と邪険に扱われて、アズミからは「お、メグミもやる気だねえ」と笑われた。

 軍手と赤いジョウロを借りて、今日もインパチェンスの世話を開始する。季節的に考えて、そろそろ枯れてしまうのだろうか。

 ――なら、とことん育んでやろう。君のことは、ほっとけないから。

 あえて、楽観的に微笑む。そのままの顔で、水を施していく。鼻歌も漏れ、紺野の女友達から「楽しそうね」と声をかけられた。

 だから、

 

「うん。園芸って、楽しいね」

 

 紺野の女友達に対して、素直に微笑む。紺野の女友達も、「よかったよかった」と言ってくれた。

 うんと、背筋を伸ばす。その際、ルミと紺野が視界に入った。

 紺野は無気力そうな顔をしながらも、決して手を止めたりはしない。ルミも、「あと少しだから」と紺野を励ましている。

 ――ルミの告白を思い出す。

 メグミとしては、未だに納得出来ない部分もある。あの言い方で本当に良かったのかと、ルミも紺野も納得したのだろうかと。

 紺野は、「十分すぎる告白だった」と口にした。本人がそう言うのであれば、他人からの追求など余計な世話でしかないだろう。

 

 だから後は、時の流れに任せるしかない。

 恋とは、想い合う者だけのものなのだから。

 

 さて、

 ごめんねインパチェンス、辛気臭いことを考えて。今日も元気に育っておくれ。

 

―――

 

 ルミほどではないが、島田愛里寿も園芸のことが好きになり始めた。

 

 ほんとう、全てがたまたまだったのだ。

 戦車道を歩み終えて、いつの間にかルミがいなくなっていて、それを「まあいいか」で済ませていて、アズミとメグミから「一緒に帰りません?」と誘われて、帰路について、虹の花壇が目について、通り過ぎようとしてルミを見つけて――

 本当、全てが偶然だった。

 恐らくルミは、前々から虹の花壇を居場所にしていたのだろう。そんな目立つところに居たのに、今まで気づけなかったとは――空間にも、「縁」というものがあるらしい。

 

 流れのまま、愛里寿はサークルメンバーに歓迎された。可愛い可愛いと言われて、物凄く恥ずかしくなって、機嫌が良くなっていって――ニーレンベルギア・ブルーマウンテンと、「目が合った」。

落ち着いた紫色に、なんとなく惹かれたのかもしれない。腰を下ろして、じっくりと観察してみて、

 

「……きれい」

 

 言葉が、漏れた。

 その一言だけで、サークルメンバーは微笑んでくれた。「ありがとう」と、言ってくれた。

 ――風が吹いてもいないのに、ニーレンベルギアが小さく揺れた。

 愛里寿は「あ」と声を漏らし、再び、ニーレンベルギアをじいっと見つめる。

 

 ニーレンベルギアは、愛里寿を歓迎した、気がした。

 

 気がしただけで、本当は、ニーレンベルギアに惚れたのかもしれない――それでも良いと思った。女の子が、花のことを好きになって何が悪い。

 だから、サークルメンバーへお願いをしたのだ。「この花の世話を、させて欲しい」と。

 

 それ以来、愛里寿はニーレンベルギアに対して、よくよく世話をするようになった。

 メンバーはいつでも歓迎してくれて、飛び級だろうが天才だろうが何だろうが、花が好きであれば「いつでもおいでよ」と言ってくれた。紺野も、「ニーレンベルギアも喜ぶよ」と誘ってくれた。

 

 なるほど。

 ルミが惚れた理由が、なんとなくわかった。

 

 後になってなんとなく、ニーレンベルギアについて調べてみた。育て方から生態、そして花言葉を検索して――

 「ああ」と声が出た。どうして自分が、ニーレンベルギアのことが好きになったのか、分かった気がした。

 

 さて。

 

 今日も、虹の花壇へ立ち寄るとしよう。アズミもメグミも、「さーて、今日もルミちゃんを可愛がりますか」と言っているわけだし。

 楽しみが増えるって、いいな。

 行こう。

 

 ニーレンベルギアは、花言葉を以ってして、愛里寿の琴線に語りかけてきた。

 「あなたの心を、和ませて欲しい」と。

 

―――

 

 目覚ましが騒ぎを起こす前に、欠伸を垂れ流しながら上半身を起き上がらせる。今となっては、早寝早起きも板についてきた。

 折り畳みテーブルから眼鏡を引っ張り出し、音もなく着用する。後はベッドから生き返って、アラームのスイッチを切って、掃き出しカーテンを左右に広げるだけだ。

 瞬間、日差しがルミの視界を覆う。ああ忌々しい清々しい。

 

 カーテン前のミニテーブルに、視線を落とす。

 控えめだったはずの芽も、今となっては無遠慮に自己主張中だ。背景が茶色い肥料だからか、余計に目立つ。

 はいはい、水やりをしてあげますからね。

 テレビを点けて、ガーデニング用のジョウロを手に持って、それに水を注いでいく。ああ体がだるい。

 水を補充したら、後はロベリアへ水やりをこなすだけだ。ルミは「ほれほれー」と口にしながら、ロベリアへご奉仕を開始する。

 

 ――紺野と出会ってから、本当に色々なことがあった気がする。

 園芸に興味を抱いて、命が愛おしくなって、戦車道でも張り切っちゃって、何と料理にまで手を出して、いつしか紺野の想いが伝わってきて、自分もそれに共感して、告白したりされたりして、それから――

 それからは、特に何も起こってはいない。キスはもちろん、ハグも手繋ぎもデートもしていないのだった。

 まるでお友達だ。これじゃあ以前と同じだ。

 シケた溜息をつく。

 

 好き、なんだけどな。

 やっぱり、ビビっちゃってるのかな。

 

『本日は、午前、午後とも晴れが続きますが、』

 

 何か、きっかけがあればなあ――

 

『夜は、大型の台風が上陸すると予想され、』

 

 台風ね。

 ロベリアへ水やりをこなしながら、無関心そうに聞き流し、

 

「え」

 

 手が止まった、テレビにくぎ付けとなった。

 台風がこの地に上陸し、直撃するということは、つまり――

 

 ロベリアへの水やりを済ませれば、鉢植えを何となく窓から引き離す。

 さっさと着替え、菓子パンを腹に突っ込み、手作り弁当は――今日は断念する。はやく行かなければ。

 

 はやく、虹の花壇へ行かなければ。

 

―――

 

 予想通り、虹の花壇は戦場と化していた。

 朝早くから、数十名以上のメンバーが虹の花壇へ集合し、花のスペースめがけ青いネットを被せている。そのネットを固定化させる為に、ブロックを敷き詰めているのだが――

 

「どうなの? 紺野君」

「そう、だな」

 

 曇った表情のままで、紺野はブロックを置き、

 

「正直、不安といえば不安かも。何か凄い台風が来るらしいんでしょ? ブロックごと吹っ飛ばされるかも」

 

 それはルミも考えていた。ブロックにもそれなりの重量があるのだが、台風を圧倒出来るかどうかは怪しい、と思う。

 ――今となっては、この虹の花壇も「日課」の一つだった。段々と愛着が沸いてきて、だからこそ枯れるまで見届けたくて、それまでは守りたくて。

 過保護と言うがいい、何とでも叫ぶが良い。ルミは、虹の花壇のことが、園芸サークルの空気が、紺野の守りたいものが、好きになっていた。

 

 ブロックを片手で持とうとして――できた、浮き上がってしまった。

 それは当然の事なのに、「まずいな」と思ってしまう。台風対策としてはこれで十分なのかもしれないが、ルミはすっかり熱してしまっていた。

 

「紺野君」

「うん?」

「もし、花が傷でも負ったら、どうする?」

 

 紺野が、遠い目になる。中指でブロックを小突き、

 

「まあ、受け入れるしかないさ。自然のことだもの」

 

 苦笑する、大人の態度を示す。

 嘘だ。

 本当は、何一つとして犠牲にしたくないくせに。朝っぱらから、沢山の水を注いできたくせに。

 冷静な顔をしておいて、本当は「ふざけんな」とか思っているくせに。自然がどうとか口にしておいて、本当は「台風って必要あんの?」とか愚痴りたいくせに。

 この人の思い出を、壊させてたまるか。自分は、この人のことが間違いなく好きなんだぞ。

 

「……重たいもの、か」

 

 思考する、考える。東側から戦車の駆動音が鳴り響き、「ああ、戦車って重たいか」なんてぶつくさ呟いて、

 

「あ」

 

 朝の空気の中、指パッチンが高らかに鳴り響いた。紺野は「えっ」とビビるが、ルミは気にもせず、

 

「あった、重たいもの」

 

 その時、愛里寿が、アズミが、メグミが、朝っぱらから校門を潜り抜けてきた。

 インパチェンスをひとっ飛びし、着地のポーズも決めないままで愛里寿に駆け寄る。

 

「隊長。今日のニュース、見ましたか?」

 

 愛里寿は、黙って頷いた。アズミもメグミも同じく。

 

「一応、台風対策はしてあるみたいですが――」

 

 ルミは、視線で「見てくれ」と促す。愛里寿もアズミもメグミも、よくよく注目した。

 

「ネットを抑えているのは、普通のブロックのみです。ですが、大型台風に耐えられるかどうかは――わかりません」

 

 とにかく、確実性が欲しかった。とにかく重たいものを、花壇の通路にも置けるような物を、とにかくすぐにでも用意出来るブツが欲しかった。

 戦車道漬けのルミからすれば、導き出せるものは一つしかない。

 

「なので、重りとして――」

 

 ルミの答えを耳にして、愛里寿は「うん」と頷いてくれた。アズミもメグミも異議なし、流石は戦車道履修者。

 よし決まり。早速、重たくて厄介で必須なアレをたんまり用意しようじゃないか。

 

―――

 

  最初は、まるで意味がわからなくて「あ?」と声が漏れた。他のサークルメンバーも同じ感想を抱いたらしく、「え」だの「は」だの「ルミちゃん何それ」だのと、人それぞれの疑問が口に出た。

 サークルメンバーの視線が、ルミの「抱えているもの」に殺到する。それに対してはルミは、「私は何も間違ってません」とばかりに、良い笑顔で、

 

「パーシングに使う薬莢、持ってきました」

 

 サークルメンバー一同は、一斉に沈黙した。紺野だって、何も言えなくなった。

 読心術の心得などはないが、空気とか表情とかその他諸々を察するに、誰もが「何言ってるのかなルミさん」と聞きたかったはずである。

 だが、現実からの猛攻はまだ続く。アズミが、メグミが、パーシングの薬莢を抱えて寄ってきた。更には愛里寿までもが、薬莢をごろごろと転がしてくる。

 どうしよう。

 薬莢が何に使われるのか、それはよく分かる。全ては戦車の主砲をかっ飛ばすために使われるのであって、花壇とは何の縁のゆかりもないはずなのだ。

 それを分かっているからこそ、誰もが「何それ」とは聞けなかった。一種の気まずさを抱いていた。ルミはいい顔のままで、アズミもメグミも「持ってきたよ」とばかりに微笑していて。

 紺野が、必死になって思考する。ルミの意図を掴む為に、全力で脳ミソを回転させる。

 薬莢と花壇って、何か縁があったっけ。もしかして、台風と何か関係が――

 

「あのっ」

 

 一番先に沈黙を破ったのは、愛里寿だった。

 皆の視線が、愛里寿へ殺到する。愛里寿はびくりと体を震わせるも、すぐに、真剣そのものの表情へ切り替える。

 

「この薬莢、とても重たいの。だから、ブロックとして使えないかなって」

 

 間。

 愛里寿の瞳は、とてつもなく鋭かった。「これが隊長としての顔なんだな」と、瞬く間に納得させられた。

 誰もが、言葉を発せない。誰しもが、異論を口にしない。ルミもアズミもメグミも、使ってくれとばかりに薬莢を「ごとり」と置く。

 ――最初に動いたのは、他ならぬ紺野だった。男友達が「おおっ」と声を漏らす中、紺野は薬莢を持ち上げようとして、

 

「重っっ」

 

 声が漏れた、目なんて簡単に見開かれた。

 薬莢の重さといえば、「まあまあ」なイメージでしかなかったのだ。ところがなんだこれは、ブロックよりも数倍重たいじゃないか。

 ルミを見やる。ルミは、「どうかな?」と首をかしげてきた――そんなの、当然、

 

「……台風がチョロく思えてきた」

 

 マジかよと、メンバー一同が声を上げる。男友達も、アズミが持ってきた薬莢を持ち上げて、「うっわすっげえ!」とアホみたく喜んだ。

 こうした空気が形成された瞬間、俺も俺も私もと、薬莢を手にとっては「重ッ!」と、感嘆の声が上がった。

 

 ――戦車砲を撃つのも、簡単じゃないんだなあ。

 再び、ルミに視線を向ける。ルミもすぐに気づいて、「えへ」と笑うだけ。

 紺野のしみったれた機嫌は、瞬く間に明るいものとなった。

 

「……愛里寿ちゃん」

 

 女友達が、「はい」と薬莢をメンバーに渡す。託されたメンバーは、「うおおっ」と悶え苦しんでいた。

 愛里寿は視線だけで、「何?」とだけ。

 

「いいの? これ、大事なものなんでしょ?」

 

 確かに。

 薬莢は、戦車道にとっての主な備品であるはずだ。そんな重要なものを、大切な武器を、ブロックがわりにしてしまって良いものなのだろうか。

 愛里寿を見る、答えを聞こうとする。けれども愛里寿は、これっぽっちも怯みはしなかった。

 一度だけ、ニーレンベルギアを一瞥して、

 

「隊長は私だから、責任は私が背負う。心配しないで」

 

 決意が溢れた声だった。

 戦車道履修者らしい勢いがあった。

 

「それにね」

 

 女友達が、男友達が、薬莢の重さで苦しむ男が、紺野が、メンバー一同が、愛里寿の言葉を無言で待った。

 アズミもメグミも、妹を見守るかのように、愛里寿の背中についた。

 愛里寿が深呼吸する。朝の空気が、しんと静まり返る。

 

「虹の花壇が、花が好きだから、ここを守りたい」

 

 ひと呼吸。

 

「――みんなに、お礼がしたいの」

 

 誰も、言葉を発しなかったと思う。

 誰も、表情を変えなかったと思う。

 誰も、否定などしなかったと思う。

 

 キャンパス内に、人気が湧いてきた。眠そうな男が通り過ぎていって、何事も無く女子大生が横切っていく。カップル連れに教師、見知らぬ生徒に顔見知りと、誰もが虹の花壇を一瞥し、どこかへ去っていった。

 ――そして、メンバーの一人がこう言った。

 

「……ありがとう、島田さん」

 

 愛里寿の顔が、赤く染まっていく。見ないでと、視線を逸らす。

 

「え、えっと、この作戦の立案者は、ルミ、だから」

 

 愛里寿が、力なくルミを指差す。

 不意のご指名を受け、ルミが「えっ、ちょっ」と焦るがもう遅い。サークルメンバーの視線なんて既に独占済みだったし、礼を言う者まで現れた。中には、「名誉メンバー決定」と主張する奴まで。

 もちろん、異論などは生じなかった。アズミからは「やったじゃん」と笑われ、メグミからは「すっごーい」と賞賛され、紺野に至っては「流石ルミさん」と讃えた。

 なのにルミは、紺野に対してだけ「ちょっと、やめてよー」とぷりぷり怒るのだ。災難をおっ被った紺野は、けらけらと苦笑しながら「えー俺だけー?」と逃げ回ることにした。

 

 さて、防衛線を築き上げるとしよう。

 何としてでも、台風から花の命を守らなくてはいけない。一輪たりとも、散らせてなるものか。

 

 愛する人が愛したこの場は、絶対にこの手で救ってみせる。

 

 

 当初の予定は、まずはネットの上にパーシングの弾薬を置くこと。こうすることで、ネットが吹き飛ばされないようにするつもりだったのだが、

 

「ねえ、迷彩ネット持ってきたんだけど……どう?」

 

 オリーブドラブ色に染まった、実に戦車道らしいネットをメグミが調達してきてくれた。

 ルミは「ナイス!」と指を鳴らし、紺野がそれにビビり、一同は「すげえ」とメグミを称賛した。メグミのヤンキーピースが決まる。

 試しに迷彩ネットを触ってみたのだが、流石は軍用、丈夫に出来ている。そもそも「台風? おおかかってこいよ」という雰囲気すら感じられた。

 即採用の流れとなり、虹の花壇は瞬く間に緑一色と化した。この瞬間から、在校生からの視聴率がグンと上がったのは言うまでもない。

 

 とにかく守れるものは守れるよう、片っ端からパーシングの弾薬で通路を埋め尽くしていった。密集させることにより、防御力を向上させたのである。

 一番外側に至っては、「スペースに余裕があるから」ということで、T28という戦車の弾薬を「ごっとり」と置いた。

 最初にそれを見た時、紺野含む男どもは「でっけーッ!」と歓喜した。下手にトシを食っても、やはりデカブツには心惹かれるものだ。

 

 さて、

 

 かつては鮮やかだったはずの花達は、今となってはオリーブドラブの加護に覆われている。手入れの利便性を考慮した通路は、今となっては物々しい金属弾で埋め尽くされていた。

 外側に至っては、殺意すら感じられる巨大薬莢が八発、周囲を取り囲むバランスで鎮座されていた。はた目から見ると、新手の魔法陣にも見えなくはない。

 

 こうして、虹の花壇要塞は完成を迎えた。ざっと見た感じ、ちょっとやそっとの風ではビクともしないだろう。

 繰り返すが、これはあくまで台風対策の一環なのである。知らない人から見れば「何と戦うんだ?」とコメントが飛んできそうだが、虹の花壇要塞は専守防衛を約束している。

 ――虹の花壇要塞を目の前にして、紺野とルミが一言。

 

「何と戦うんだっけ」

「何と戦うんだっけ」

 

 他のサークルメンバーが抱いた感想はといえば、「すげえ」とか「花壇に見えねえ」とか「絶対撤去疲れるだろ」とか「メタルだな」とか、大体は好意的だった。

 さて、

 やることはやった、やれることはこなした。後は夜を過ごして、結果を待つことしか出来ない。

 

「ルミさん」

「うん?」

 

 T28の薬莢を、何となく撫でてみる。冷たかった。

 

「ありがとう」

 

 ルミへ、視線を向ける。

 ルミと出会わなければ、こんなメタルな台風対策はとれなかっただろう。ここまでしてダメなら――また、植え直すまでだ。

 

「……いいのよ」

 

 ルミが、太陽のような笑顔を見せる。

 

「だって私は、あなたの力になりたいから」

 

―――

 

 あっという間に、台風が通り過ぎていった。今の天候はといえば、台風を帳消しにせんとばかりの晴天っぷりだった。

 清々しい空の下で、紺野は曇り顔で感想を漏らす。

 ふざけんな。

 

 天気予報の言う通り、本当にめちゃくちゃなまでの天災だった。窓越しからは派手な風切り音が鳴り響いたし、実家自体も揺れた――気がした。

 本当、よく耐え抜いてくれたと思う。下手すれば家が半壊するかと思ったが、どうにかこうにか生き残れた。

 溜息をつく。

 ニュースによると、何処かの大木がへし折れたらしい。落石もいくつか発生して、通行止めがかかったとか。

 ひどいなと、思考する。他人事じゃないんだよなと、痛感する。

 

 朝飯をかっ食らい、急ぎ目に、開花したカランコエへ水をやる。心の中で、「いい加減ですまない」と謝罪しつつ。

 ――よし、大学へ急ごう。

 

 

 幾多もの水たまりを踏み越えつつ、虹の花壇へ到着してみれば、サークルメンバーのほとんどが集結していた。

 その中には、ルミとアズミとメグミと愛里寿も含まれる。正式なメンバーではないものの、もはや仲間同然だった。

 

「おはよう」

 

 紺野が挨拶をすると、数人が振り返った。誰も彼もがはっきりとしない表情を浮かばせていて、紺野も何も答えることが出来ない。

 早歩きし、虹の花壇要塞へ接近する。

 薬莢は無事か、迷彩ネットはしっかりしているか。花は元気か――花壇の全容が視界に入った時、紺野は「あ」と声を漏らした。

 

 薬莢は、一本も屈してはいなかった。

 

 濡れに濡れた迷彩ネットも、先日のように張り巡らされたままだ。なんというか、流石は戦車道だった。

 

「で、中身は?」

「これから撤去する」

 

 ルミが、しっかりとした声で返答する。それを合図に、サークルメンバー一同がこくりと頷いた。

 

 撤去作業はといえば、それはもうしんどかった。薬莢は多いし重たいし、T28の弾薬は化け物だし、本当の意味で腰が折れそうだった。

 しかし、紺野の隣にはいつもルミがいた。紺野が「疲れたら無理はしないでね」と告げるも、ルミは「大丈夫」とだけ。

 たぶん、本当に大丈夫なのだろう。ルミは戦車道履修者だ、薬莢の扱い方ぐらいは慣れているはずである――逆に自分がへばりそうになるものの、そこはいい格好しいで持ちこたえた。

 が、

 

「無理はしちゃだめだぞー」

 

 見抜かれていたらしい。紺野は「たはは」と苦笑するも、抱えていたパーシングの薬莢をひったくられてしまった。

 流石はルミさんだ、と思う。頼れる人だ、と思う。

 アズミとメグミも、効率の良い動きで薬莢を処理している。流石に愛里寿の腕力では無理があるので、女友達が「迷彩ネット、お願いできるかな?」とフォローした。

 愛里寿は、無表情で「任せて」と応えた。

 

 終わった。

 全ての薬莢は外に取り除かれ、迷彩ネットも全部剥がした。先ほどまではオリーブドラブの海だったそれが、今となってはただの虹色として、虹の花壇として、この晴れ空の下で、その姿を現した。

 

「……確認するぞ」

 

 男友達が、呆然としたような声を出す。

 それに従うように、皆は何も言わない。

 

「ニーレンベルギアは無事か?」

「うん、全部生き残ってる」

 

 愛里寿が、こくりと頷く。

 

「エボルブルスはどうだ?」

「大丈夫みたい」

 

 ルミが、小さく親指を立てた。

 

「コレオプシスは、どうですか?」

「うん、全部元気」

 

 アズミが、にこりと笑う。

 男友達が、安堵したようにため息をつく。

 

「……インパチェンスは?」

「……インパチェンスは、」

 

 両目をつむったままのメグミが、間を置いて、

 

「生還。全部生還したわ」

 

 ――。

 仲間達が、深く深く深呼吸した。終わったんだなと、顔で呟いた。

 後は、

 

「薬莢とネット、返さないと」

 

 紺野が、ぽつりと口にする。

 

「――戦車道履修者の皆さん」

 

 女友達が、ルミとアズミとメグミと愛里寿に向かって、

 

「本当にありがとうございました。助かりました」

 

 頭を、下げた。

 サークルメンバー一同も、深々と一礼をする。

 たぶん、この四人がいなければ、ルミと出会えていなかったら、虹の花壇は傷だらけになっていたはずだ。

 軽症で済めば、それはそれで良い。それが何だ、無傷で生き残れたなんて――そんなの、幸せに決まっている。

 

「いつか、この礼は返します」

 

 女友達の、心の底からの言葉だった。園芸サークルの願いだった。

 何年かかってでも、戦車道には借りを返さなくてはいけない。

 

「……まま、そう硬くならないで。頭を上げて」

 

 けれどルミは、いつもの明るい調子で言葉を投げかけるのだ。

 

「私たちはさ、ほら、戦車道やってるじゃない?」

 

 紺野が、黙って頷く。

 

「戦車道やってるとね、こう……守りたくなるのよ、好きなものが」

 

 メグミとアズミと愛里寿が、静かに微笑む。

 

「だから、今回もそうしただけ。だからお礼なんて、考えなくてもいいよ」

 

 そうか、

 そっか。

 

「ルミさんは、偉いね」

 

 ルミが、歯を見せてにっかりと笑い、

 

「戦車道には、人生の大切な全てのことが詰まってるからね」

 

 それを教えてくれた時、ルミはとても誇らしい顔をしていた。

 紺野が花を愛でるように、ルミも戦車道が好きで好きでたまらないのだろう。そして紺野と同じく、止める、なんて選択肢は毛頭無いはずだ。

 ああ、やっぱり好きだな、この人の事が。

 

「……あ」

 

 何かに気づいたらしい。ルミが、空へ視線を投げかける。

 後を追うように、紺野も見上げて、

 

「……お」

 

 青空の中で、虹の橋が淡く強く輝いていた。

 たぶん、サークルメンバーも同じものを見ているだろう。だから誰も語らない、言葉を発する必要もない。

 隣には、ルミがいる。先ほどから今まで、ずっとルミはここに居てくれた。

 

 だから、手を握り締める。

 ルミがびくりと震える。そのままでいて、静かでいて、沈黙して――ルミは、紺野の手を絡み取った。もう、離れない。

 

「紺野く、」

 

 虹を見たままで、ルミは首を振るった。

 

「紺野」

「何だい」

 

 ルミが、静かに含み笑いをこぼした。

 

「好き」

「俺も好きだよ」

「大好き」

「俺も大好きだよ」

「愛してる」

「俺も、君のことを愛してるよ」

 

 沈黙、

 

「週末、予定ある?」

「無いね」

「一緒に遊ばない?」

「ルミさんとなら、喜んで」

 

 手から激痛が伝わる。強く、握り締められたらしい。

 

「……ルミって、呼んでよ」

「ああ、ごめんごめん」

 

 紺野が、嬉しそうに苦笑いする。

 そうだ、その通りだ。ルミとは彼氏彼女の関係なのだ、何を今更遠慮する必要がある。

 

「ルミ」

「うん」

「週末、デートしよう」

「……うんっ」

 

 秋の青空に、雨上がりの虹が淡く発現していた。

 それはとても、綺麗なものだった。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

あと二話で、この話も終了です。いや本当、今回は長くなりました。
読者の皆様、本当にありがとうございます。

何度か推敲しましたが、もしかしたらミスがあるかもしれません。
その時は、ご指摘くださると嬉しいです。

ご感想、いつでもお待ちしています。一言だけでも構いません。
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