アズミが天高くジョッキを掲げ、メグミもルミも喜色満面の笑みでジョッキをぶつけあう。居酒屋のカウンター前で陽気になるは、バミューダ三姉妹だ。
今日は他校との練習試合があったのだが、結果は快勝そのものだった。なので浮かれに浮かれ、居酒屋へ飲みに行く流れになるのも仕方がないことなのだ。
早速とばかりにアズミがビールを一杯、立て続けに「うまいっ」と一言。実に幸せそうである。
「ちょっとアズミ、明日は平日なんだからほどほどにねー」
「はいはい、わかってますよー。エライわねえルミは」
へらへらと笑われながらも、ルミは「まあね」とビールを飲む。
瞬く間に喉が冷えていく。いつから酒を飲むようになったんだったか、いつの間にかこうだった。
「しっかし、今日のMVPは間違いなくルミよね。どしたのあの破壊っぷり、秘密特訓でもしたの?」
一瞬だけ、思考が詰まる。
ビールを飲み干すことで、頭の中に生じた泥濘を洗い流した。
「たまたまよ」
「そうなの? まあ、そういうこともあるか」
メグミからあっさり納得される、アズミも「ふーん」と頷いてくれた。
そう、全てはたまたまだ。何処かで「あの人」が見てくれているかもしれないから、あの人を幻滅させたくないから、あの人へ応えたいから――なんて考えたところで、戦車は戦車、試合は試合だろう。
ため息をつく、唐揚げを食う。
さて、今日はほどほどに祝杯を上げるとしよう。明日は大学があるのだから。
「ねえねえルミちゃーん」
「なに」
「私って可愛い?」
「うん」
アズミが「やったー」とけらけら笑う。メグミからも「じゃあ私はー?」と質問されたが、ルミは「可愛い」とだけ。
メグミからの返答はといえば、ため息一つだった。
「あーあ、可愛いはずなのに、なーんで男に縁がないんでしょねー」
「さー、まだその時じゃないんでしょ、その時じゃ」
メグミがジョッキを傾け、一杯やりつつ、
「その時を待って、気づけばお酒が飲める年齢になってましたー」
「うーん、なんでだろねー」
「これでも身振りには気をつけてるんだけどなー、なーんでかなー」
居酒屋における話の種はといえば、酔う前は戦車道、島田愛里寿、世間への愚痴。時には、シリアスな事情を語り合ったりする。
酔った後は――悲観的かつ、陽気な恋バナで盛り上がることが多い。
アズミとメグミは、今日も楽しそうに世の中を嘆いている。自分もその仲間に入れて欲しかったが、「当事者」である都合上、無責任に騒ぎ立てることなど出来はしなかった。
「あれれー、どうしたの? 今日のルミちゃん、クールだねえ」
「いつもこうでしょ」
アズミが、露骨に「はぁ?」と顔を歪め、
「なに言ってんの。あんたが一番声でっかいくせにー」
「そうだっけ」
「そーでーす、アンニュイなルミちゃんなんてルミちゃんじゃないでーす」
アズミとメグミが、心底気楽そうな表情でルミを煽る。その事に苛立ちはしない、むしろ羨ましいくらいだ。
――恋バナなんて、単なる話のネタに過ぎなかったのに。
練習試合について考察したり、愛里寿の良さについて話し合ったり、教師について愚痴りあったりと、ここまでは普段通りだった。だが、酔ったアズミが「ところで今年もそろそろ終わるけど、カレシできましたー?」なんて言うものだから、ルミのテンションは急に醒めてしまった。
こうなった原因は何だ。すぐに思いつく。
自分に対し、心優しいと言ってくれた男の事。トラブって、顔と顔が間近になってしまった男の事。愛里寿でもアズミでもメグミでもなくて、ただただ私の事ばかり見る男の事。
芽が生えたことを報告してみれば、「やっぱり、ルミさんは優しい女性なんだね」と言ってくれた、あの男の事――
心当たりがあり過ぎて、恋に対してバカ笑いが出来ない。抱いているものが恋なのか、友情なのか、何なのかもハッキリしていないというのに。
「あ、分かった!」
メグミが指を鳴らす、最近上手くなったなと頭の中でぼやく。
「ルミちゃーん」
「なに」
「カレシできたんでしょー!」
言うと思った。面倒くさそうに、ルミが頭を掻く。
「え、マジで? 本当なのルミ? 裏切ったの?」
「裏切ってないわよ、フリーよフリー。同盟同盟」
白旗を上げるかのように、手をひらひらと動かす。しかしメグミは、目を輝かせたままで、
「うっそだー、今のルミちゃん最高にクールだもん。らしくないもん」
「そういう気分ってだけよ」
メグミが「はー?」と首を傾げ、
「恋バナを始める前は、フツーのテンションだったのに?」
流石は副隊長、人の事をよく見ているらしい。
このまましらばっくれても、メグミとアズミの猛攻は止まらないだろう。恋ほど、食いつかれたら厄介なものはない。
「はいはいわかったわかった。単に、男友達が出来ただけよ」
嘘、ではないのだと思う。友達でなかったら、今頃は花壇とは無縁の生活を送っているはずだ。
正直に話した結果――メグミとアズミの両目が、お星様のようにキラキラと発光していた。話すんじゃなかった。
「まじ? マジなの?」
「マジ」
「うっそでしょ?」
「マジ」
「どこで知り合ったの!?」
花壇――そう言おうとして、ルミは口を閉ざした。何故だか、何でだろう。
「……食堂」
「え、食堂? そうなの!?」
「まあね。たまたま話し相手になって、たまたま気が合って、そこから付き合い始めたって感じ」
「ほぉー、そういうこともあるんだねぇ」
納得したのか、そうでもないのか。アズミが、こきりと首を鳴らした。
「どんな話をしたのー? ……お願いしますっ師匠、テクニックを伝授してくださいッ!」
懇願するように、メグミが両手を合わせる。厄介そうに、ルミは「ああ」と口にし、
「単なる世間話よ。ニュースとか、時事ネタとか、そこらへん」
「ほー、普通ねえ」
花の話題も、ロベリアについても、どうしてか秘密にしておきたかった。
――考察する。意外にも、すぐに答えを導き出せた。
独占欲だ。
「まあ、きっかけなんて大抵はこんなモノでしょ」
「はー、勉強になりましたっ、と」
それで満足したのか、メグミはジョッキを傾けた。
アズミは――未だに、こちらに視線を合わせたままで、
「で」
「何」
「その人の事、どう思ってるの」
「……わかんない」
アズミが「そっかー」と頷く。ルミは、箸でから揚げをつまみ取る。
「青春してるねー」
「そお?」
「安易に答えを出さないあたり、真面目にその人の事を考えてるんだなーって」
「……そう?」
「そうそう」
アズミが、控えめにビールを飲み干していく。
「ま、せいぜい悩みなさい、おそーく答えを出しなさい」
「分かってるわよ」
こちとら大学生なのだ。人間関係については、思慮深く気を遣っているつもりだ。
「……一つ聞くけど」
「何」
あくまでアズミは微笑んだまま。けれど、姉のような目つきでルミを見つめている。
「その人の事、嫌いじゃないんでしょ?」
ああ、
そんなの、決まりきっている。
「嫌いじゃない」
「ならよし」
行きつけの居酒屋は、今日もオヤジ達を迎え入れている。何か良いことでもあったのか、向こうのテーブルが随分と騒がしい。焼き鳥の匂いが鼻孔をくすぐる、暖色の照明が何だか心地良い。
メグミは、「もう一杯お願いしまーす!」と、明るく注文する。先ほどまでのアズミは何処へいったのやら、「私もお願いしまーす!」とジョッキを掲げてみせた。
ルミは――分からないことだらけだった。それなら、解るまで彼と会うまでだ。
だって、嫌いではないのだから。
「なるほど」
男友達が、カレーにスプーンを突っ込んだままで、紺野に一言問う。
同じくカレーを食っていた紺野が、忌々しげに「何だよ」と聞き返してみれば、
「お前、やっぱり好みはルミさんなの?」
何を今更と言うたげに、紺野は小さく舌打ちする。
昼に腹を空かせて、そのまま男友達と食堂へ訪れて、カレーを注文してさあ食うぞという時にいきなりこれだ。
断言してやる。
「当たり前だろ」
断言してやった。男友達は「ほー」と声を漏らし、
「顔か? 性格か?」
「どっちも」
「なるほどなぁ。確かに、ルミさんは美人だもんなぁ」
男友達のスプーンが、ジャガイモに突き刺さる。そのまま口まで運び、無感動に頬張る。
「で、どういうところが好きなんだ? あのツリ目がちなところか? 眼鏡か? 髪型か?」
「んー」
そう言われてみれば、顔の何処に惚れこんだのだろう。全部といえば全部なのだが、やはり「何か」に惹かれたのかもしれない。
唸る、考える、声が漏れる。脳ミソを振り絞り、出された結論は、
「やっぱ全部だわ」
「……すげえ」
感動された。勿論嬉しくないので、淡々とライスをかみ砕く。
「でもまあ、ルミさんはパーフェクトな顔つきだしな、しゃーないな」
「だろ」
ルミの容姿が褒められて、紺野も何となく嬉しくなってしまう。好きな人が評価される、これ以上の喜びがあるだろうか。
「じゃあ、性格はどうだ。やっぱりお前好みなのか?」
「当たり前だろ。俺なんかにも、対等に話しかけてくれるんだぜ」
「いいなー、いいなー。俺もルミさんと仲良くなりてーなー」
「なりゃいいじゃねえか」
ふん、と鼻息を漏らす。カレールーをスプーンで掬い上げ、白米めがけゆっくりと垂らしていく。
「いやいや、お前の邪魔をするつもりはねえよ」
「余計なお世話だ」
食堂で、男どもの笑い声が大きく響いた。別に気にするほどでもない、よくあることだ。
「で……お前、将来はルミさんと結婚する気なのか?」
わざとらしく、荒っぽく「ああ?」と応える。
しかし、男友達は気にもせず、
「付き合いたいんだろ?」
「……まあ、そりゃあ」
「じゃあ、結婚まで考えても、おかしかないだろ」
「そうかあ?」
「もう大学生だし」
言われてみればその通りで、ぐうの音も出てこない。
もう、酒を飲める年頃なのだ。これ以上、背だって伸びたりはしないだろう。結婚について考え出したところで、誰も否定はしないはずである。
いつの間にか、そこまで育んでしまっていた。
「あーあ、結婚か……したいね」
「そーか。今のところは、ルミさんしか見据えていない感じか」
「当たり前だろ」
「他は」
「ありえないね」
男友達から、「うっわすげえ」と笑われた。まったくもって嬉しくない、水をごくりと飲む。
「うんうん、お前はルミさんと結ばれるべきだよ」
「あったり前だろ。いつか、ルミさんに、」
その時である。紺野の側面から、「呼んだ?」と、一言飛んできたのは。
ハイスピードに声の主を探る、すぐに見つかった。紺野の近くで突っ立つは、シチューとシナモンロールをトレイに乗せた、
「どしたの? 何か用事?」
話題の中心たるルミが、にっこりと姿を現していた。
用事も何も、結婚を前提としたお付き合いをしてください――とは、当然ながら言えなかった。
「あ、いや、別にその」
「そお? あ、ここ座ってもいい?」
「あ、うん」
先ほどまでの、紺野の投げやりっぷりはどこへ行ったのやら。その目はルミを中心に、その意識はルミを軸に、その思考はルミを基準に切り替えられる。
顔にまで表れていたのか、男友達が含み笑いをこぼす。ルミに見えないようにガンをつけていると、
「あ、君の隣、いいかな?」
「ああ、どうぞどうぞ」
男友達が、ルミと紺野を交互に見やる。またしても、にやりと笑われた。
――ルミは、自分の顔を覗う為に、男友達の隣へ座ったのだ。
少なくとも、自分は赤の他人ではないらしい。嬉しいような、安堵したような、そんな気分になる。
「いただきます。……どう? 元気してた?」
「してたしてた。ああそうだ、練習試合見てたよ」
ルミが「うえっ?」と目を見開かせる。残念だが、気づかれてはいなかったらしい。
「み、見てたの? 大会でも何でもないのに?」
「ルミさんが参加する試合なら、何処へでも駆け付けるよ。あんまり遠くなければね」
この前の全国大会は、北海道が舞台ということもあって、残念ながら諦めざるを得なかった――が、次こそは北海道だろうが何だろうが、ルミを追おうと考えている。ルミへの想いは、日に日に増していっているのだ。
――何処へでも駆け付ける。その言葉を聞いて、ルミは、
「そっか――ありがとう」
優しく、笑いかけてくれた。
紺野の呼吸が、止まった。
「これはこれは、熱心なファンが出来ちゃったなあ」
「ファンというか、ルミさん推しというか」
「そういえばそうだった。何だろ、私だけがこんなに良い思いをしていいのやら」
たははと笑いながら、ルミがシチューを掬い取る。
「ところで、さっきから何の話をしてたの? 私を呼んでた気がするんだけれど」
「あ!? い、いや、聞き間違えじゃないかな?」
男友達が、「そうそう」と助け船を出してくれた。持つべきものは、
「名前は呼んでないけど、結婚するならどんな人? って感じの話題なら」
てめえ覚えてろよ。
フォローしてやったぜとばかりに、清々しくウインクされた。
「結婚……はー、もうそんな時期かぁ」
意外にも、ルミが興味深く食いついてきた。紺野は、あたふたと手を動かし、
「いやいや、その、こんな話は気にしないで、」
「いや、もう他人事じゃないからね……結婚かぁ」
左手でシナモンロールを摘み、小さくかじる。視線は天井へ、何処か遠い目をしている。
「……よし、ごっそさん」
紺野が「え」と漏らし、ルミが「ん?」と口にする。気付けばなんと、男友達が綺麗さっぱり完食済みではないか。
「え、お前、早くね……?」
「そうか? いつも変わらないぜ」
「ごちそうさまでした」と、男友達が手を合わせ、
「じゃ、俺は先に教室行ってるわ。ゆっくりなー」
トレイを片す前に、男友達から背中を叩かれた。頑張れ、ということなのだろう。
余計なお世話だ。
「あ、あらー……食べるの早いね、彼」
「そ、そうかな? まあ、用事があったんだろうね」
間。
「何の話をして……ああそうか、結婚についてか」
思い出された。残念なようなそうでないような、気まずそうに視線を逸らす。
「ねえ」
「うん?」
恐れ知らずのルミが、珍しく深呼吸する。
そして、
「紺野君は、結婚願望とかはあるの?」
ある。目の前で、シチューを食べている人と。
はっきりと言えるはずがなかった、受け入れられる自信がまるでなかった。だから、
「あるよ、とりあえずはある、かな」
だから、無難に返答した。
ルミは「へえー」と目を丸くして、
「どんな人と、結婚したいの?」
予感はしていたが、それを聞いてしまうのか。
――誤魔化したくはなかった、嘘もつきたくはなかった。偽証をしてしまえば、その時点で縁が切れてしまうような気がして。
「……そう、だね」
遊び半分で聞いたつもりはないのだろう。ルミは、紺野から片時も目を離しはしない。
「明るい人、かな」
「ほうほう」
ルミが、素直に頷く。
「次に……話しやすい人かな」
「ふむふむ」
ルミが、小さく首を振るう。
「後は、」
後は――何だ。
正直な意見としては、「眼鏡をかけた人」とか「ショートヘアが似合う人」とか「戦車道履修者」とか「ツリ目がちな人」とか「花が好きな人」とか、好み自体はいくらでも思いつく。
だが、これらをルミの前で言ってみるがいい。ものの数秒でバレるだろうし、下手すると悪印象を抱かれてしまうかもしれない。
告白をするのって、本当に難しい。改めて、そう痛感する。
「後は?」
「後は、えーっと……」
こうなれば、当たり障りのない本音を口にするしかない。紺野は、鋭く息を吸った。
「料理を作ってくれる人、かな」
嘘は言っていない。
ここで、ルミの表情が固まった。
そして、紺野の顔面も硬直した。
敏感に察する。この人、料理は不得意らしい――
「あ! ああいや、その、料理は別にいいかな、俺もチャレンジしてみたいし、」
「紺野君」
紺野の弁解なんぞ、ルミの一声で制圧されてしまった。
真剣で、けれども不安そうな顔をしたルミが、じっくりと紺野の目を射抜いている。
「……料理を作れたほうが、いいんだよね?」
「え、えっと、それは別に、」
「い、い、ん、だ、よ、ね?」
黙って、強く頷くしかなかった。
――それだけで満足したのか、ルミは「うん」と笑顔になり、
「じゃあ今度、何か作ってきてあげる」
「え、え!? なんで俺なんかに!?」
紺野の疑問に対し、ルミは「なんでだろう……」と、頬を赤く染めながら思考する。視線は真横に、右手で口元を隠したまま。
「うーん……あ、そうか!」
今思いつきましたとばかりに、左手で指を鳴らす。不意な音にビビってしまい、紺野は情けなくたじろいだ。
「日頃のお礼、かな? ロベリアのことも教えてくれたし」
「え? いやいや。俺は、ルミさんの試合さえ見られればそれで良いし」
しかし、ルミは首を左右に振るう。
「いやー……私もいつか、料理に挑戦しようと思ってたからね。結婚願望も、人並みにはあるから」
物凄く、重要な情報をつかみ取った気がする。これにはすぐに、紺野が食らいついた。
「――ルミさんは、どんな男が好みなの?」
「そだねー……」
特に拒まれることもなく、ルミが「んー」と唸り出す。スプーンをシチューの中に入れたまま、くるくると回して――ルミの顔が、急に明るくなった。これ以上無い意見を、思いついたとばかりに。
「――心優しい人、かな」
ただ素直に、シンプルに、控えめに、ルミは笑いをこぼした。
紺野の口から、声が出ない。
自分が、それに当てはまらない可能性もあるのに。むしろ、逆なのかもしれないのに。「自分は心優しい」なんて、口が裂けても言えるはずがないのに。
けれども何故か、それを聞けて良かったと、紺野は思うのだ。
「……そっか」
紺野は、充実したように笑う。
「見つかるといいね、そんな人が」
ルミは、笑顔のままで「うん」と頷いた。
―――
「もしもし、メグミ?」
『どしたの? こんな時間に』
「ああ、ごめんね。今、大丈夫?」
『うん。どうしたの?』
「……私さ、料理、頑張ってみようと思うんだ」
『え、どしたの急に』
「うーん、私も正直分からないんだけれど……私の事を、認めて欲しい人がいてさ」
『……あー、居酒屋で言ってた』
「そう、居酒屋で言ってたの。――メグミに電話をかけたのは、あえて逃げ道を塞ぐため……かな? ごめんね、いきなりこんなこと話して」
『ああ、ああ、なるほど。まあ、あれだ――頑張って、ルミ。応援してるからね』
「うん、ありがとう」
―――
今日も早起きお疲れさん、ロベリアの管理よし、水やり完了、お着替え終了、ゴミ出し完遂、
さて。
夏の尾はすっかり消え、今や秋の全盛期だった。朝から随分と肌寒いが、正直なところ、これぐらいの冷たさは結構好きだったりする。逆に暑いのは嫌いだ。
空気を吸う為に、深呼吸する。
虫の音は、もうどこからも聞こえてはこない。通学路を歩むルミに対し、後ろから車が通り過ぎていく。暗すぎず、まぶしすぎずの日光が、控えめに朝の訪れを主張していた。
そして今日も、園芸サークルは虹の花壇相手に頑張っているのだろう。
よし。
たまたま目が覚めてしまったし、手伝ってあげようじゃないか。待っていなさい、紺野君。
アズミよりも、メグミよりも、恐らくは愛里寿よりも先に、ルミは大学のキャンパス内へ足を踏み入れる。
真っ先に視界へ飛び込んできたのは、キャンパス内を彩る虹の花壇だった――そして、それらを手入れするサークルメンバーも。
紺野は――いた。今日は、一番外側に植えられたインパチェンス(赤)担当らしい。やはり、ああでもないこうでもないと愚痴っているのだろうか。
今なら、紺野の気持ちがよく分かる。朝っぱらから懇切丁寧に花の世話をしなければいけないなんて、そりゃあしんどいに決まっている。
だが、花はそれら全てを受け入れてくれる。はじめに芽から、やがては花を咲かせ、いつしか枯れていく――そうした過程を辿るのが、何故だかやめられないのだろう。
たぶん、ルミはこの趣味を続けていくと思う。発芽した時、何故だか心が燃え上がったから。こんな自分でも、命を幸せに出来るんだって実感したから。自分の花とは、きっと世界一美しいものなんだって期待しているから。
――紺野が、褒めてくれるから。
いやいやと、自分の頭を軽くはたく。服を引っ張って、しわを整える。準備完了、声をかけ、
「紺野ー」
「あー、何?」
エボルブルスの世話が終わったのだろう。紺野の女友達が、コレオプシス(黄)、インパチェンスの真上をジャンプで乗り越える。
「手伝うー?」
「裏は?」
「ある」
そのまま、インパチェンスへ水やりをこなしている紺野の隣にまで歩み寄り、あっさりと腰を低くした。
赤いジョウロをひらひらと動かしながら、なんでもないように笑いかけて。
「言ってみろ」
「実は今月ピンチでさー。一番安いのでいいから、奢ってくれっ」
「やだよ、あっちいけ」
「つめたいなあ」
紺野と、その女友達との絡み合いなんて、何度も目にしてきたはずなのに。
何故だか、良い気分にはなれなかった。いつものことだと、処理出来なかった。友達関係であるはずなのに、妙な危機感を抱いていた。
どうしてと、疑問に思ったフリをする。一瞬にして、「ああ、これは」と理解する。
「いざとなったら、キャラメルでもいいから」
「え、何処までヤバいの? 何買ったの?」
「服とか種」
「種はともかく……服は、もう十分なんじゃないの?」
「服に際限はないのよ」
女友達が、紺野に対してけらけらと笑う。紺野も、不愉快ではなさそうに言葉を交わしていく。
どんな人と、結婚したいの?
明るい人、話しやすい人、かな。
心が妬かれる。恋愛感情なのか、友情なのか、それ以外なのかも理解していないくせに。
――ルミは、前へ前へ進んだ。悩むのは性に合っていない、行動すれば割かし何とかなってきた。
先に気づいたのは、女友達だった。首だけを振り向かせ、手を上げて「おはようございまーす」と挨拶をする。紺野も黙って女友達につられ、「あ!」と素っ頓狂な声を漏らした。
だから、
「おはよう! 今日も偉いねえー」
いつものように挨拶をして、いつものように水やりを手伝って、紺野と交流する。
それでいい、それが一番いい。
―――
昼が訪れると、紺野は決まって腹を空かせる。
勿論、空腹状態なんて受け入れ難いし、好きでも何でもない。だからさっさと食堂へ出向き、とっとと何かを食って、あっさりと満腹に仕立て上げる。こうして、紺野の食糧問題は解決を迎えるのだ。
が、
紺野とルミは今、虹の花壇前のベンチへ腰を下ろしている。食堂以上に、距離が近い。
「ごめんねー、呼び出したりしちゃって」
「いやいや。むしろ、ありがとうっていうか」
今日ばかりは、食堂へ立ち寄るわけにはいかなくなった。虹の花壇へ水やりをしている最中に、「今日、弁当作ってきたんだ」と誘われたから。
――ルミが申し訳なさそうに苦笑しながら、鞄から二つの箱を取り出す。両方とも、青迷彩の包みにくるまれていた。
「……マジで、俺でいいの?」
「いいのいいの。いつか、お礼をするって言ったでしょ?」
ルミが、青迷彩を少しずつ解いていく。段々と、少しずつ、けれどもあっさりと、その正体を現した。
銀色の、シンプルな弁当箱だった。
「うわあ……すっげえ。ルミさんの手作り弁当かよ」
「えー、そんなに驚くこと?」
驚くに決まっていた。腹は満たされるわ、愛情は注がれるわで、紺野からすれば国宝級に匹敵する。
胃も空気を読んだらしく、急に強い飢餓感に襲われる。腹だって鳴る。
「あ、いいタイミングみたいだね。開けてみて」
爆発物でも取り扱うかのように、紺野はそっと、弁当箱のフタを開ける。
おお、と声が漏れる。
まず、ごま塩が振りかけられた白米が、視界へ飛び込んでくる。仕切りの向こう側には、ミニトマトが三個、ブロッコリーが二つ、ソースがかったハンバーグまで。おまけにクラッカーつき。
「い、いいの?」
「どうぞどうぞ」
付属されていた箸を手に取り、まずは慎重に白米をつまみ取る。まるで鑑定士のような目つきで、その白米をただただ見つめていると、
「はやく食べてって」
「あ、悪い」
潔く、口の中へ放り込む。
――うまい。
「うまい」
「本当?」
ルミの両目が、運河のようにきらりと光る。紺野は、「うまいうまい」と何度も連呼する。
「全部うまい。ルミさん、才能あるよ」
「ほんとに? やったー、嬉しいなー」
ルミは戦車道履修者だ。だから、トライアンドエラーの精神を用いて、ここまでたどり着いたのだろう。
――そうさせた動機に、自分も含まれているのは言うまでもない。
だから、何としてでも完食しよう。何せ、食べても食べても満たされないのだから。
「あ、無理はしなくていいからね?」
「いやいや、食堂のメシより美味いよ、これ」
「大袈裟だって」
ルミが、自分の分のブロッコリーをゆっくり味わっている。とても、幸せそうに微笑みながら。
「これはうまい……ルミさん、将来はいいお嫁さんになるよ」
「え、そうかな?」
「うんうん」
上機嫌だったものだから、後先考えずに定番モノを口にしてしまった。
紺野が「あ」と気づくも、ルミは特に気にしてなさそうな素振りで、
「そっかー。紺野君からそう言われたら、私の将来も安泰かな」
「俺の意見なんて、アテにならないよ」
「そう? そんなことはないと思うけど」
「どうして」
ルミが、ミニトマトをかみ砕きながら、
「間違ったことは教えないもの、紺野君は」
「そ、そう?」
ルミは、「うん」と物言わずに頷く。
「ロベリアにしても、料理についてもそう。最初は失敗しまくったけど、自作の料理ってほんとーに美味いんだなって」
「料理は……詳しくはないし」
「けど、きっかけは与えてくれたじゃない」
ということは、自分はルミに対して、二つの趣味を与えたということになるのか。
――少しだけ、喜びが芽生えてくる。ルミの人生に善さが増すのなら、これほど嬉しいことはない。
「だから、そんな顔しないの。ね?」
そう言われて、無理に笑う。それに満足したのか、ルミの視線は弁当箱へ移った。
「……これで一応、達成かな?」
「え、何が?」
「紺野君の、お嫁さんハードル」
鼻が詰まったような声が出た。ルミが「あ、大丈夫?」と焦るが、紺野は「平気平気」と箸を震わせた。
「あー、ごめん。いきなり変なことを言って」
「いや、大丈夫だよ。むしろその、嬉しいって思った」
「……そうなの?」
黙って頷き、
「だって、俺なんかの為に、ここまでしてくれて」
「――違うよ」
箸の動きが止まる。
「紺野君、だからだよ」
ルミの横顔を覗う。太陽のような笑みはどこかへ消えて、雨のようにどこか落ち込んでいる。
眉が、力なく傾いている。唇が、いつも以上に艶めいていた。ルミの目は少しだけ寂しそうで、その瞳は決して紺野を映し出してはいない。
これじゃあ、まるで――
「ねえ、紺野君」
「あ、うん」
ルミが、ふう、と息を吐いた。
「紺野君ってさ、やっぱりイケメンだよね」
「え!? 違う違うそんなんじゃない」
前に、食堂でイケメン認定されたはずなのに。
なのに、今となっては恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。
「そう? 私はそう思うけどな」
「そ、そう……?」
ルミが、静かに白米を咀嚼する。
「紺野君ってさ、コクられたこととかあるでしょ?」
「え。そ、それはー……」
ルミの前で、真面目な嘘をつきたくはなかった。
ここではぐらかしてしまうと、後が怖いような気がして。
「……ある」
「やっぱり? だよねー、イケメンだもんねー」
ルミが、力なく笑う。目と目が合わないまま。
「三回くらい、告白されたことがあるよ。勿論、全て断ったけれど」
「ほんと? もったいなーい。なんでなんで?」
ちらりと、ルミが紺野を覗う。一挙一動すらも見逃さないような、そんな鋭さすら感じられた。
「まあ、その……俺が、好きになれなかったから、かな。恋心が芽生えなかったっていうか」
「ほー……」
感心された。ルミの箸が、ハンバーグに突き刺さる。
「好きでもないのに、勢いのまま付き合ってもさ。それはいつか、瓦解すると思う」
ブロッコリーを回収する。
「だって、その人のことを愛していないんだから」
「……それもそうだ」
力強く噛み締める。
「真面目だね、紺野君は」
「普通だよ」
「いやいや、勢いのまま交際する人は多いし」
知ってる。それ故に、女友達からは「かったいねー」とよくからかわれる。
だが、否定したことはない、するつもりもない。恋とは一生モノであって、自分から愛して愛されたいと、心の底から願っているから。
――ルミを見る。
誓う。俺は、ルミしか愛せない。
「やっぱり、両想いが一番だよね。うんうん、それがいい」
気づけば、弁当の中身も残り少ない。
食ったんだな、と思う。
「ねえ、紺野君」
「うん?」
「紺野君はさ、今までの告白をしっかり断ったんだよね?」
「まあね。そうしなきゃ、相手にも失礼だし」
ベンチの背に、身を預ける。
これまでに三回ほど、何もしていないのに告白を受けたことがある。一度目は小学の時、二度目は中学の頃、三度目は大学生になってから。
そして三度、告白を断ってきた。反応は人それぞれで、一人目は「ごめんね!」と謝ってきた。二人目は、「どうして?」と問うてきた。三人目は、「そっかー。わかった、ありがとう」と頭を下げてくれた。
こんな贅沢野郎が、恋なんて一生するはずがないと思っていたのに。なのに恋ときたら、おかまいなしにその機会を与えてくれた。
「そっかー……」
「うん」
「……じゃあさ」
はっきりと、ルミが紺野の顔を見た。
「私から告白されたら、紺野君はどう返すのかな?」
ルミは、あくまで楽しそうに笑っていた。
夕暮れ、のようだった。
「え……え」
「あ、ああ、ごめんごめん。変なこと聞いちゃった」
ルミの弁当箱の中身も、そろそろ数少なくなってきた。
終わる。昼食の時間が、もう少しで終了する。
――だから、紺野は言った。
「……バカみたく、喜ぶと思う」
呼吸なんか忘れていたと思う、心臓はちゃんと動いていたっけ。
「絶対に、断らないと思う」
拳を作り、自分の頭を小突く。「思う」じゃない、そうじゃない。
「絶対に断らない。俺でよければ喜んで――そう、応える」
風が吹く。
そろそろ授業が始まるのか、キャンパス内で人がよく動く。部外者らしきおばさんも数人いて、虹の花壇をじいっと眺めていた。
東側から、戦車の稼働音がよく響いてくる。ルミの世界も、そろそろ動き出してきたらしい。
――ルミは、ルミの表情は、しばらくは止まったままだった。目を丸くして、口を少しだけ開けて、少女のように瞳を揺らしていて、時々まばたきもして、そして、
「……そうなんだ」
いつものルミのように、笑顔を見せてくれた。紺野の言葉を、拒んだりはしなかった。
……ほんの少しだけ、間が生じる。
「ああ、ご、ごめんね! 変なシミュレーションしちゃって」
「あ、ああいやいや、問題ないから。気にしないで、今の返答は忘れて」
一気に弁当箱の中身を平らげ、封印するように蓋を閉める。両手を合わせて、
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
少し早めに、青迷彩の包みを弁当箱へくるんでいく。少し雑な感じもするが、許容範囲だろう。
「じゃあこれ、ここに置いておくから」
「うん。機会があったら、また作るから」
「えー、悪いよそんな、」
ルミが「いいからいいから」と、歯を見せて笑う。
そういうことならしょうがない、そういうことなら。
「今日は本当にありがとう。それじゃあ、授業頑張ってね」
手を振るい合い、ルミとお別れする。
後はそのまま、振り向きなどはしなかった。名残惜しくなるから。
何だか、濃厚な昼休みだった。まるで休んだ気がしなかったが――なんだか、いい気分だった。
シミュレーションとはいえ、ルミに告白出来たのだから。
――たぶん、ルミは。
―――
ベンチに座ったまま、ルミは呆然と空を見上げていた。
青い、晴れそのものだ。けれど、どこかさみしく感じられる。秋のせいかもしれない。
溜息をつく。
少しだけ、口元が緩む。ただ、「そっか」と口ずさむだけ。
右側に、視線を傾ける。
弁当包みにくるまれた弁当箱が、今なおその場に鎮座している。さっきまでは、人がいたはずなのに。
そっと、手に取る。
色々、あったなあと思う。二十一年間生きてきて、恋愛なんて縁がないと割り切ったつもりだったが――
アズミ、メグミ。やっぱりね、出会いってどうしても運が絡むよ。そうなったら最後、心まで絡めとられちゃうよ。
電話をかける、携帯を耳に当てる。
『……はい、アズミです』
「ああ、ルミだよ。ごめんね。少しだけ話、いいかな?」
『あ、うん。そろそろ授業始まっちゃうよ、何処にいるのさ』
「虹の花壇前、すぐに駆け付けるから」
『うん。――それで?』
「……あのさ」
『うん』
「わかった、自分の気持ちの正体に」
『……ああ、そう、そっか』
「うん。恋、だった」
『そっかー……やるじゃん、ルミ』
「そお?」
『ええ。今度、何か奢りなさいな』
「スキあらばそういうことを言う」
『いいじゃないの、めでたいんだし。――で、進展は?』
「……それがさ……もう、どうしようもないくらいさ、愛されてるみたい」
『……良かったわね』
「うん」
『今度、紹介してよ』
「え、やだよ」
『ざんねん。じゃ、はやく授業に出なさいよ』
「はいはい」
電話が切れる、笑いがこぼれる。
自分の弁当箱と、あの人の弁当箱を鞄にしまう。数年ぶりに動くかのように、ベンチから鈍く立ち上がった。
しんどそうに、背筋を伸ばす。
さて、午後からは戦車道を歩まなくては。夕暮れになったら、園芸の時間だ。
―――
「で」
夕暮れに差し掛かり、園芸サークル一同が「さーやるかー」とやる気なく花壇へ集合していく。ここまではいつも通りだ。
今日も今日とてインパチェンス担当をやらされ、男友達とあーでもないこーでもないと不毛な愚痴りあいをしている最中、ルミから「偉いねえ」と声をかけられる。これもいつも通りだ。
ルミが「インパチェンス、やってもいいですか?」と自主的に主張してきた時は、メンバー一同はそれはもう感動したものだ。ルミの目はふんすと輝いていて、女友達が「任せた!」と指示し、ルミと紺野は隣同士で作業開始。ここまでも、いつも通りといえばいつも通りといえる。
昼休みはああだったが、こうして対面してみると、何だかおかしくなって笑い合ってしまった。何となく「これからもよろしくね」と言ってみたところ、ルミが「こちらこそよろしく」と、素直に返してきてくれた。
後は、インパチェンスめがけ水をご奉仕するだけ。その間も、ルミは紺野の隣を譲ろうとはしなかったことを付け加えておく。
本当にいつも通りで、無事平穏で、けれど何気なく進展していて、平和そのものだった――ルミの知り合いらしき女性から、「お、ルミ、何してんのー?」と声をかけられるまでは。
「なんであんたらまで水やりしてんのよ」
実に不機嫌そうに、ルミが知り合いめがけ口撃を仕掛けている。ニーレンベルギア・ブルーマウンテンへ水やりを施している、島田愛里寿を除いて。
「いいじゃない別に。あんた、いい趣味してたのね」
ボブカットの女性は、「手伝わせてくださいな」の一言と、絶対に男を勘違いさせる「雰囲気」で、サークルメンバー一同の意志をイチコロにした。
ロングヘアの女性は、「手伝っても良いですか」の一言と、何処か女性を引き寄せる「純真さ」で、サークルメンバー一同の意志をイチコロにした。
島田愛里寿に至っては、前々から見学者として歓迎済みだ。愛里寿はニーレンベルギアを熱心に見ていて、「この花の世話を、させて欲しい」と言い出したのが、そもそもの発端といえる。
「くそー、恐れていたことが……」
「まあまあルミ、邪魔はしないから」
「何の」
「んー?」
ロングヘアの女性が、紺野をじいっと見つめてくる。紺野は「あ、どうも」と頭を下げることしか出来ない。
「ああ、ごめんごめん。自己紹介が遅れたね――私はメグミ、戦車道してまーす。彼氏募集中でーす」
「ちょっと、抜け駆けは駄目よ。ああ、私はアズミ、同じく戦車道してます。彼氏募集中」
「あ、俺は紺野っていいます。ルミさんとは、お友達をやらさせてもらってます」
その時、アズミとメグミからの、強烈な視線を浴びた。理由は何だ――決まっている、ルミのお友達発言だ。
はっと思い出す。前に、アズミとメグミという名前を聞いたような見たような。ルミも合わせて、これでバミューダ三姉妹となるのか。
そんな紺野をよそに、男どもが露骨にどよめき始める。アズミが好みだの、メグミちゃんがいいだの、愛里寿ちゃんはあんなのに染まっちゃ駄目よだのと、あちこちから無遠慮な意見が飛び交う。
かといって、アズミもメグミも不快そうにはしない。むしろ、楽しんでいるフシさえ感じられる。ルミと似た気質持ちなのだろう。
「……で、何の邪魔をしないっていうの」
「え、紺野君とルミのお付き合い」
インパチェンスを手入れするメグミの言葉に対して、ルミが「は」と漏らす。紺野は、メグミをガン見する。
「はあ? こ、紺野君に失礼でしょ?」
「あら、紺野君を庇うんだ。いいなー仲いいなー」
ルミが、ぐっと歯を食いしばる。紺野のヘタレは、おどおどと水やりをこなすだけ。
「しかし、へえ……なるほど」
コレオプシスへ水やりをこなしていたアズミが、よくよく紺野の顔を覗ってくる。対して紺野は、「な、なんですか」と力無く応えた。
「なるほど、ルミが惚れるのも分かるわ。イケメンね」
「え、え」
「ああ、ごめんごめん。ルミから、よく紺野君の話をされるのよ。もうすっごく評価が高いんだから」
そうだったのか。
恥ずかしいやら嬉しいやら喜ばしいやら。これっぽっちも嫌ではない。
――ルミを見る。既に顔が真っ赤だった。
「何を言ってるのアズミ。ほ、惚れてなんか……」
「そうなの?」
「そ、それは」
その場しのぎとはいえ、「惚れてない」と言われて少しダメージを食らう。ルミから、彼氏と認められたわけじゃないのに。
「……とにかくアズミッ。紺野君のことを、じろじろ見るなッ」
「え、なんで。紺野君は、フリーなんでしょ?」
「え? え、ええまあ」
アズミがくすりと笑い、
「そんな、堅苦しくしなくても良いわよ。タメ口OK、呼び捨て大歓迎」
「あ、私も気軽にメグミって呼んでね」
戦車道履修者のパワーに押し切られ、半ば流れで「わ、分かった」とだけ。
アズミは「よろしい」とばかりに、口元を曲げた。
「で……ルミのこと、どう思ってるの?」
いきなりか。ルミから「無視していいからね」と注文が飛んできたが、ダンマリを決めたところで追及は止まらないだろう。
メグミからも視線でロックオンされている以上、もはや逃げ場はない。よくよく見れば、事情を知るサークルメンバーからも黙って見守られていた。
――潮時、か。
「……嫌いじゃない」
「へえ、嫌いじゃない」
「むしろ好き」
「なるほど、好き」
この場で生きているのは、水やりをこなす手と、質問をしてくるアズミと、真剣な目つきのメグミと、いつの間にか紺野を見据えていた愛里寿と、ちらりと紺野を覗うルミだけだった。
嘘はつけない。誤魔化しでもすれば、四方八方から主砲をぶち込まれるだろう。
息を吐く。
言うか。この場にいる全員は、紺野の本音など見破っているだろうから。
恋愛で最も大事なのは、本人からその想いを口にすることだ。
「……ルミさんのことは、女性として好きだと思ってる」
拳を作り、自分の頭を小突く。
「ルミさんのことが、好きだ」
言えた。
最も伝えたかったことを、現実世界でようやく口に出来た。
「だとさ、ルミ」
目は寂しそうに、口元は嬉しそうにしながら、アズミがルミを見つめた。
ルミは――
「あ、えっと……あの……」
ルミの視線は、完全にインパチェンスのものとなっていた。インパチェンスのように顔は真っ赤で、泣きそうな目つきになっていて、答えを口に出来なくて、
次に「ごめんなさい」と言われても、たぶん受け入れられると思う。想いは伝えきった。
――思い出す、告白された時のことを。
きっと、怖かっただろう、不安だっただろう、物凄く勇気を振り絞っただろう。それらを拒否された時、彼女達はどんな想いで一晩を過ごしたのだろうか。
過った選択をした、とは思わない。自信を持って、誠実に受け答えしたとさえ考える。
だからこそ、三人の女性達の事を、心から称賛した。
「えっと……その、紺野、君」
ルミが、深呼吸した。けれども、視線は地に着いたままで、まるで震える子犬のようで。
――少しだけ時間を用いて、紺野とルミの目が合った。ルミは、気楽そうに微笑んでいる。
「……紺野君のことは、好き……かな」
これ以上無い言葉だった。ルミからも、これ以上言葉を紡げないだろう。
紺野は、胸をなでおろした。
「……ルミ」
極めて真剣な表情をしながら、メグミがルミに声をかける。
「ちゃんと、言って」
気まずそうに笑ったままで、ルミは何も答えない。
ルミは、太陽のような人だ。だから人一倍笑ったり、喜んだり、声を出したり、恋に対して感情的になるのだろう。
そんなルミのことが、紺野は大好きだった。だから、今の言葉でも十分過ぎた。
もう、ルミとは赤の他人じゃない。ルミのことは、少しばかり学んだつもりだ。
だから、
「メグミ」
「え」
「……今は、ルミさんをこのままにさせて欲しい。ルミさんも、いきなりこんなことを言われて、戸惑っているはずだから」
そう――
告白を断った当初は、それはもう気まずくて気まずくて仕方が無かった。この人とは一生、話しかけられないんじゃないかとすら思った。
けれど、時間の経過というものは、まるで全てを動かしてしまう。
いつの間にかその人とは友達になったし、普通に話し相手にもなったりした。大学に至っては、同じ趣味を共有する者同士、仲良くしている。
――だから、待とう。待てる。
「ルミさんは、俺に正直な想いを告げてくれた。それで、十分すぎるよ」
少し経って、メグミが「うん」と頷く。
「ルミさん」
ルミが、ちらりと紺野を覗う。
「ありがとう」
愛里寿とアズミとメグミの手助けもあって、虹の花壇の手入れは大いに捗った。しかも、「また来るね」のおまけつきだ。
だが、誰一人として騒ぎ立てはしなかった。誰もがルミを、快く見守っていたから。
赤らみがかっていた夕暮れも、少しだけ暗くなっていた。もう帰る時間だ。
ルミの手作り弁当を食べて、ルミの友達と知り合って、遂にルミに告白して、ルミからも想いを告げられて――本当、めちゃくちゃ色々なことがあった。
背筋を伸ばし、帰路につく。明日も元気に生きよう。
―――
ルミほどではないが、アズミも園芸にハマり出してきた。きっと、丁度よい趣味だったのだろう。
――最初は、一度きりの手伝いで終わらせるつもりだったのだ。
だが、楽しそうに花と触れ合うルミを見て、水やりをされて上機嫌そうなコレオプシスを間近で見て――女心がくすぐられでもしたのだろう、だから「また来るね」と言葉にした。
最初は夕暮れから、時には早朝からお邪魔するようになった。そのたびにサークルメンバー一同が「いらっしゃい」と声をかけてくれて、ルミからは嫌そうな顔で「また来たの」とブーイングが飛んでくる。
――少し踏み出せば、コレオプシスがアズミを迎え入れてくれる。何も言わず、何も語らず、ただただアズミを待ってくれている。
なるほど。
園芸とは、実に大変だ。繊細な気持ちが大事になってくるし、毎日毎日手入れをこなさなければいけない。開花の時期だって、明日や明後日の話ではないのだ。
だが、花は全てを受け入れてくれる。新参者である自分のことも、まだまだおぼつかない水やりも、自分なりの愛情に対してすら、花は何も答えずに受け取ってくれる。
ああ、これは、ルミも熱心になるわけだ。
――ちらりと、紺野へ目を向ける。
紺野は今日も、「土パッサパサだよっとによー」と愚痴っている。その隣で、ルミが「水をやれば解決するから」と苦笑した。
アズミも、力なく笑う。朝っぱらから園芸に励んでいるのは、丁寧に水やりを行っているのは、どこのルミの彼氏さんなんだか。
これは、ルミが惚れても仕方がないな。
さて。
ひと呼吸つき、「っし」と気合を入れる。今日もコレオプシスへ水やりを行う予定だが、その前に、
「ねえ、紺野君」
「え、何?」
手を止め、アズミへ首だけを振り向かせる。
アズミは「えーっとね」と前置きして、
「あのさ、黄色い花……育てたくなってきたんだけれど、何かいいのあるかな?」
紺野の顔が明るくなる。今頃は、何がいいかなどれにしようかなと思考しているのだろう。
アズミの口元も緩む。ほんとう、花の事が好きなのだろう――ルミからは、「えー、あんたも育てるのー?」とか言われた。その口ぶりから察するに、既に園芸デビューを果たしているらしい。これはいよいよもって止めるわけにはいかなくなった。
「……それなら、あいつの方が詳しいんじゃないかな」
紺野が、親指でサークルメンバーの一人を示す。目で追ってみると、コレオプシスへ水やりを行っている、紺野の男友達の姿へ行きついた。
男友達と目が合い、恥ずかしそうに笑われる。ああ、これはもしかして――
「うん、わかった。聞いてみるね」
生まれてこの方、二十一年目になるが――自分もまだまだ、若かったらしい。
―――
ルミほどではないが、メグミも園芸にハマり出してきた。きっと、気が合う趣味だったからだ。
最初は、ルミのからかいついでに水やりを手伝ってやった。それはほんの気まぐれで、「たまには花もいいかな」程度の行為だったのだ。
だが、メグミはそれを見た、見てしまった。インパチェンスという赤い花に、容赦無く魅せられてしまった。
なんて可愛いんだろう、と思った。指先で、赤い花びらを撫でたりもした。きっと、口元も緩んでいただろう。
心のどこからか、「女の子」がふわりと現れたのをよく覚えている。それは今もなお、メグミの中に居た。
なるほど。
これは、ルミも熱心になるわけだ。
夕暮れになれば、メグミも虹の花壇へお邪魔するようになった。サークルメンバーからは「ようこそ」と歓迎されて、ルミからは「メグミもー?」と邪険に扱われて、アズミからは「お、メグミもやる気だねえ」と笑われた。
軍手と赤いジョウロを借りて、今日もインパチェンスの世話を開始する。季節的に考えて、そろそろ枯れてしまうのだろうか。
――なら、とことん育んでやろう。君のことは、ほっとけないから。
あえて、楽観的に微笑む。そのままの顔で、水を施していく。鼻歌も漏れ、紺野の女友達から「楽しそうね」と声をかけられた。
だから、
「うん。園芸って、楽しいね」
紺野の女友達に対して、素直に微笑む。紺野の女友達も、「よかったよかった」と言ってくれた。
うんと、背筋を伸ばす。その際、ルミと紺野が視界に入った。
紺野は無気力そうな顔をしながらも、決して手を止めたりはしない。ルミも、「あと少しだから」と紺野を励ましている。
――ルミの告白を思い出す。
メグミとしては、未だに納得出来ない部分もある。あの言い方で本当に良かったのかと、ルミも紺野も納得したのだろうかと。
紺野は、「十分すぎる告白だった」と口にした。本人がそう言うのであれば、他人からの追求など余計な世話でしかないだろう。
だから後は、時の流れに任せるしかない。
恋とは、想い合う者だけのものなのだから。
さて、
ごめんねインパチェンス、辛気臭いことを考えて。今日も元気に育っておくれ。
―――
ルミほどではないが、島田愛里寿も園芸のことが好きになり始めた。
ほんとう、全てがたまたまだったのだ。
戦車道を歩み終えて、いつの間にかルミがいなくなっていて、それを「まあいいか」で済ませていて、アズミとメグミから「一緒に帰りません?」と誘われて、帰路について、虹の花壇が目について、通り過ぎようとしてルミを見つけて――
本当、全てが偶然だった。
恐らくルミは、前々から虹の花壇を居場所にしていたのだろう。そんな目立つところに居たのに、今まで気づけなかったとは――空間にも、「縁」というものがあるらしい。
流れのまま、愛里寿はサークルメンバーに歓迎された。可愛い可愛いと言われて、物凄く恥ずかしくなって、機嫌が良くなっていって――ニーレンベルギア・ブルーマウンテンと、「目が合った」。
落ち着いた紫色に、なんとなく惹かれたのかもしれない。腰を下ろして、じっくりと観察してみて、
「……きれい」
言葉が、漏れた。
その一言だけで、サークルメンバーは微笑んでくれた。「ありがとう」と、言ってくれた。
――風が吹いてもいないのに、ニーレンベルギアが小さく揺れた。
愛里寿は「あ」と声を漏らし、再び、ニーレンベルギアをじいっと見つめる。
ニーレンベルギアは、愛里寿を歓迎した、気がした。
気がしただけで、本当は、ニーレンベルギアに惚れたのかもしれない――それでも良いと思った。女の子が、花のことを好きになって何が悪い。
だから、サークルメンバーへお願いをしたのだ。「この花の世話を、させて欲しい」と。
それ以来、愛里寿はニーレンベルギアに対して、よくよく世話をするようになった。
メンバーはいつでも歓迎してくれて、飛び級だろうが天才だろうが何だろうが、花が好きであれば「いつでもおいでよ」と言ってくれた。紺野も、「ニーレンベルギアも喜ぶよ」と誘ってくれた。
なるほど。
ルミが惚れた理由が、なんとなくわかった。
後になってなんとなく、ニーレンベルギアについて調べてみた。育て方から生態、そして花言葉を検索して――
「ああ」と声が出た。どうして自分が、ニーレンベルギアのことが好きになったのか、分かった気がした。
さて。
今日も、虹の花壇へ立ち寄るとしよう。アズミもメグミも、「さーて、今日もルミちゃんを可愛がりますか」と言っているわけだし。
楽しみが増えるって、いいな。
行こう。
ニーレンベルギアは、花言葉を以ってして、愛里寿の琴線に語りかけてきた。
「あなたの心を、和ませて欲しい」と。
―――
目覚ましが騒ぎを起こす前に、欠伸を垂れ流しながら上半身を起き上がらせる。今となっては、早寝早起きも板についてきた。
折り畳みテーブルから眼鏡を引っ張り出し、音もなく着用する。後はベッドから生き返って、アラームのスイッチを切って、掃き出しカーテンを左右に広げるだけだ。
瞬間、日差しがルミの視界を覆う。ああ忌々しい清々しい。
カーテン前のミニテーブルに、視線を落とす。
控えめだったはずの芽も、今となっては無遠慮に自己主張中だ。背景が茶色い肥料だからか、余計に目立つ。
はいはい、水やりをしてあげますからね。
テレビを点けて、ガーデニング用のジョウロを手に持って、それに水を注いでいく。ああ体がだるい。
水を補充したら、後はロベリアへ水やりをこなすだけだ。ルミは「ほれほれー」と口にしながら、ロベリアへご奉仕を開始する。
――紺野と出会ってから、本当に色々なことがあった気がする。
園芸に興味を抱いて、命が愛おしくなって、戦車道でも張り切っちゃって、何と料理にまで手を出して、いつしか紺野の想いが伝わってきて、自分もそれに共感して、告白したりされたりして、それから――
それからは、特に何も起こってはいない。キスはもちろん、ハグも手繋ぎもデートもしていないのだった。
まるでお友達だ。これじゃあ以前と同じだ。
シケた溜息をつく。
好き、なんだけどな。
やっぱり、ビビっちゃってるのかな。
『本日は、午前、午後とも晴れが続きますが、』
何か、きっかけがあればなあ――
『夜は、大型の台風が上陸すると予想され、』
台風ね。
ロベリアへ水やりをこなしながら、無関心そうに聞き流し、
「え」
手が止まった、テレビにくぎ付けとなった。
台風がこの地に上陸し、直撃するということは、つまり――
ロベリアへの水やりを済ませれば、鉢植えを何となく窓から引き離す。
さっさと着替え、菓子パンを腹に突っ込み、手作り弁当は――今日は断念する。はやく行かなければ。
はやく、虹の花壇へ行かなければ。
―――
予想通り、虹の花壇は戦場と化していた。
朝早くから、数十名以上のメンバーが虹の花壇へ集合し、花のスペースめがけ青いネットを被せている。そのネットを固定化させる為に、ブロックを敷き詰めているのだが――
「どうなの? 紺野君」
「そう、だな」
曇った表情のままで、紺野はブロックを置き、
「正直、不安といえば不安かも。何か凄い台風が来るらしいんでしょ? ブロックごと吹っ飛ばされるかも」
それはルミも考えていた。ブロックにもそれなりの重量があるのだが、台風を圧倒出来るかどうかは怪しい、と思う。
――今となっては、この虹の花壇も「日課」の一つだった。段々と愛着が沸いてきて、だからこそ枯れるまで見届けたくて、それまでは守りたくて。
過保護と言うがいい、何とでも叫ぶが良い。ルミは、虹の花壇のことが、園芸サークルの空気が、紺野の守りたいものが、好きになっていた。
ブロックを片手で持とうとして――できた、浮き上がってしまった。
それは当然の事なのに、「まずいな」と思ってしまう。台風対策としてはこれで十分なのかもしれないが、ルミはすっかり熱してしまっていた。
「紺野君」
「うん?」
「もし、花が傷でも負ったら、どうする?」
紺野が、遠い目になる。中指でブロックを小突き、
「まあ、受け入れるしかないさ。自然のことだもの」
苦笑する、大人の態度を示す。
嘘だ。
本当は、何一つとして犠牲にしたくないくせに。朝っぱらから、沢山の水を注いできたくせに。
冷静な顔をしておいて、本当は「ふざけんな」とか思っているくせに。自然がどうとか口にしておいて、本当は「台風って必要あんの?」とか愚痴りたいくせに。
この人の思い出を、壊させてたまるか。自分は、この人のことが間違いなく好きなんだぞ。
「……重たいもの、か」
思考する、考える。東側から戦車の駆動音が鳴り響き、「ああ、戦車って重たいか」なんてぶつくさ呟いて、
「あ」
朝の空気の中、指パッチンが高らかに鳴り響いた。紺野は「えっ」とビビるが、ルミは気にもせず、
「あった、重たいもの」
その時、愛里寿が、アズミが、メグミが、朝っぱらから校門を潜り抜けてきた。
インパチェンスをひとっ飛びし、着地のポーズも決めないままで愛里寿に駆け寄る。
「隊長。今日のニュース、見ましたか?」
愛里寿は、黙って頷いた。アズミもメグミも同じく。
「一応、台風対策はしてあるみたいですが――」
ルミは、視線で「見てくれ」と促す。愛里寿もアズミもメグミも、よくよく注目した。
「ネットを抑えているのは、普通のブロックのみです。ですが、大型台風に耐えられるかどうかは――わかりません」
とにかく、確実性が欲しかった。とにかく重たいものを、花壇の通路にも置けるような物を、とにかくすぐにでも用意出来るブツが欲しかった。
戦車道漬けのルミからすれば、導き出せるものは一つしかない。
「なので、重りとして――」
ルミの答えを耳にして、愛里寿は「うん」と頷いてくれた。アズミもメグミも異議なし、流石は戦車道履修者。
よし決まり。早速、重たくて厄介で必須なアレをたんまり用意しようじゃないか。
―――
最初は、まるで意味がわからなくて「あ?」と声が漏れた。他のサークルメンバーも同じ感想を抱いたらしく、「え」だの「は」だの「ルミちゃん何それ」だのと、人それぞれの疑問が口に出た。
サークルメンバーの視線が、ルミの「抱えているもの」に殺到する。それに対してはルミは、「私は何も間違ってません」とばかりに、良い笑顔で、
「パーシングに使う薬莢、持ってきました」
サークルメンバー一同は、一斉に沈黙した。紺野だって、何も言えなくなった。
読心術の心得などはないが、空気とか表情とかその他諸々を察するに、誰もが「何言ってるのかなルミさん」と聞きたかったはずである。
だが、現実からの猛攻はまだ続く。アズミが、メグミが、パーシングの薬莢を抱えて寄ってきた。更には愛里寿までもが、薬莢をごろごろと転がしてくる。
どうしよう。
薬莢が何に使われるのか、それはよく分かる。全ては戦車の主砲をかっ飛ばすために使われるのであって、花壇とは何の縁のゆかりもないはずなのだ。
それを分かっているからこそ、誰もが「何それ」とは聞けなかった。一種の気まずさを抱いていた。ルミはいい顔のままで、アズミもメグミも「持ってきたよ」とばかりに微笑していて。
紺野が、必死になって思考する。ルミの意図を掴む為に、全力で脳ミソを回転させる。
薬莢と花壇って、何か縁があったっけ。もしかして、台風と何か関係が――
「あのっ」
一番先に沈黙を破ったのは、愛里寿だった。
皆の視線が、愛里寿へ殺到する。愛里寿はびくりと体を震わせるも、すぐに、真剣そのものの表情へ切り替える。
「この薬莢、とても重たいの。だから、ブロックとして使えないかなって」
間。
愛里寿の瞳は、とてつもなく鋭かった。「これが隊長としての顔なんだな」と、瞬く間に納得させられた。
誰もが、言葉を発せない。誰しもが、異論を口にしない。ルミもアズミもメグミも、使ってくれとばかりに薬莢を「ごとり」と置く。
――最初に動いたのは、他ならぬ紺野だった。男友達が「おおっ」と声を漏らす中、紺野は薬莢を持ち上げようとして、
「重っっ」
声が漏れた、目なんて簡単に見開かれた。
薬莢の重さといえば、「まあまあ」なイメージでしかなかったのだ。ところがなんだこれは、ブロックよりも数倍重たいじゃないか。
ルミを見やる。ルミは、「どうかな?」と首をかしげてきた――そんなの、当然、
「……台風がチョロく思えてきた」
マジかよと、メンバー一同が声を上げる。男友達も、アズミが持ってきた薬莢を持ち上げて、「うっわすっげえ!」とアホみたく喜んだ。
こうした空気が形成された瞬間、俺も俺も私もと、薬莢を手にとっては「重ッ!」と、感嘆の声が上がった。
――戦車砲を撃つのも、簡単じゃないんだなあ。
再び、ルミに視線を向ける。ルミもすぐに気づいて、「えへ」と笑うだけ。
紺野のしみったれた機嫌は、瞬く間に明るいものとなった。
「……愛里寿ちゃん」
女友達が、「はい」と薬莢をメンバーに渡す。託されたメンバーは、「うおおっ」と悶え苦しんでいた。
愛里寿は視線だけで、「何?」とだけ。
「いいの? これ、大事なものなんでしょ?」
確かに。
薬莢は、戦車道にとっての主な備品であるはずだ。そんな重要なものを、大切な武器を、ブロックがわりにしてしまって良いものなのだろうか。
愛里寿を見る、答えを聞こうとする。けれども愛里寿は、これっぽっちも怯みはしなかった。
一度だけ、ニーレンベルギアを一瞥して、
「隊長は私だから、責任は私が背負う。心配しないで」
決意が溢れた声だった。
戦車道履修者らしい勢いがあった。
「それにね」
女友達が、男友達が、薬莢の重さで苦しむ男が、紺野が、メンバー一同が、愛里寿の言葉を無言で待った。
アズミもメグミも、妹を見守るかのように、愛里寿の背中についた。
愛里寿が深呼吸する。朝の空気が、しんと静まり返る。
「虹の花壇が、花が好きだから、ここを守りたい」
ひと呼吸。
「――みんなに、お礼がしたいの」
誰も、言葉を発しなかったと思う。
誰も、表情を変えなかったと思う。
誰も、否定などしなかったと思う。
キャンパス内に、人気が湧いてきた。眠そうな男が通り過ぎていって、何事も無く女子大生が横切っていく。カップル連れに教師、見知らぬ生徒に顔見知りと、誰もが虹の花壇を一瞥し、どこかへ去っていった。
――そして、メンバーの一人がこう言った。
「……ありがとう、島田さん」
愛里寿の顔が、赤く染まっていく。見ないでと、視線を逸らす。
「え、えっと、この作戦の立案者は、ルミ、だから」
愛里寿が、力なくルミを指差す。
不意のご指名を受け、ルミが「えっ、ちょっ」と焦るがもう遅い。サークルメンバーの視線なんて既に独占済みだったし、礼を言う者まで現れた。中には、「名誉メンバー決定」と主張する奴まで。
もちろん、異論などは生じなかった。アズミからは「やったじゃん」と笑われ、メグミからは「すっごーい」と賞賛され、紺野に至っては「流石ルミさん」と讃えた。
なのにルミは、紺野に対してだけ「ちょっと、やめてよー」とぷりぷり怒るのだ。災難をおっ被った紺野は、けらけらと苦笑しながら「えー俺だけー?」と逃げ回ることにした。
さて、防衛線を築き上げるとしよう。
何としてでも、台風から花の命を守らなくてはいけない。一輪たりとも、散らせてなるものか。
愛する人が愛したこの場は、絶対にこの手で救ってみせる。
当初の予定は、まずはネットの上にパーシングの弾薬を置くこと。こうすることで、ネットが吹き飛ばされないようにするつもりだったのだが、
「ねえ、迷彩ネット持ってきたんだけど……どう?」
オリーブドラブ色に染まった、実に戦車道らしいネットをメグミが調達してきてくれた。
ルミは「ナイス!」と指を鳴らし、紺野がそれにビビり、一同は「すげえ」とメグミを称賛した。メグミのヤンキーピースが決まる。
試しに迷彩ネットを触ってみたのだが、流石は軍用、丈夫に出来ている。そもそも「台風? おおかかってこいよ」という雰囲気すら感じられた。
即採用の流れとなり、虹の花壇は瞬く間に緑一色と化した。この瞬間から、在校生からの視聴率がグンと上がったのは言うまでもない。
とにかく守れるものは守れるよう、片っ端からパーシングの弾薬で通路を埋め尽くしていった。密集させることにより、防御力を向上させたのである。
一番外側に至っては、「スペースに余裕があるから」ということで、T28という戦車の弾薬を「ごっとり」と置いた。
最初にそれを見た時、紺野含む男どもは「でっけーッ!」と歓喜した。下手にトシを食っても、やはりデカブツには心惹かれるものだ。
さて、
かつては鮮やかだったはずの花達は、今となってはオリーブドラブの加護に覆われている。手入れの利便性を考慮した通路は、今となっては物々しい金属弾で埋め尽くされていた。
外側に至っては、殺意すら感じられる巨大薬莢が八発、周囲を取り囲むバランスで鎮座されていた。はた目から見ると、新手の魔法陣にも見えなくはない。
こうして、虹の花壇要塞は完成を迎えた。ざっと見た感じ、ちょっとやそっとの風ではビクともしないだろう。
繰り返すが、これはあくまで台風対策の一環なのである。知らない人から見れば「何と戦うんだ?」とコメントが飛んできそうだが、虹の花壇要塞は専守防衛を約束している。
――虹の花壇要塞を目の前にして、紺野とルミが一言。
「何と戦うんだっけ」
「何と戦うんだっけ」
他のサークルメンバーが抱いた感想はといえば、「すげえ」とか「花壇に見えねえ」とか「絶対撤去疲れるだろ」とか「メタルだな」とか、大体は好意的だった。
さて、
やることはやった、やれることはこなした。後は夜を過ごして、結果を待つことしか出来ない。
「ルミさん」
「うん?」
T28の薬莢を、何となく撫でてみる。冷たかった。
「ありがとう」
ルミへ、視線を向ける。
ルミと出会わなければ、こんなメタルな台風対策はとれなかっただろう。ここまでしてダメなら――また、植え直すまでだ。
「……いいのよ」
ルミが、太陽のような笑顔を見せる。
「だって私は、あなたの力になりたいから」
―――
あっという間に、台風が通り過ぎていった。今の天候はといえば、台風を帳消しにせんとばかりの晴天っぷりだった。
清々しい空の下で、紺野は曇り顔で感想を漏らす。
ふざけんな。
天気予報の言う通り、本当にめちゃくちゃなまでの天災だった。窓越しからは派手な風切り音が鳴り響いたし、実家自体も揺れた――気がした。
本当、よく耐え抜いてくれたと思う。下手すれば家が半壊するかと思ったが、どうにかこうにか生き残れた。
溜息をつく。
ニュースによると、何処かの大木がへし折れたらしい。落石もいくつか発生して、通行止めがかかったとか。
ひどいなと、思考する。他人事じゃないんだよなと、痛感する。
朝飯をかっ食らい、急ぎ目に、開花したカランコエへ水をやる。心の中で、「いい加減ですまない」と謝罪しつつ。
――よし、大学へ急ごう。
幾多もの水たまりを踏み越えつつ、虹の花壇へ到着してみれば、サークルメンバーのほとんどが集結していた。
その中には、ルミとアズミとメグミと愛里寿も含まれる。正式なメンバーではないものの、もはや仲間同然だった。
「おはよう」
紺野が挨拶をすると、数人が振り返った。誰も彼もがはっきりとしない表情を浮かばせていて、紺野も何も答えることが出来ない。
早歩きし、虹の花壇要塞へ接近する。
薬莢は無事か、迷彩ネットはしっかりしているか。花は元気か――花壇の全容が視界に入った時、紺野は「あ」と声を漏らした。
薬莢は、一本も屈してはいなかった。
濡れに濡れた迷彩ネットも、先日のように張り巡らされたままだ。なんというか、流石は戦車道だった。
「で、中身は?」
「これから撤去する」
ルミが、しっかりとした声で返答する。それを合図に、サークルメンバー一同がこくりと頷いた。
撤去作業はといえば、それはもうしんどかった。薬莢は多いし重たいし、T28の弾薬は化け物だし、本当の意味で腰が折れそうだった。
しかし、紺野の隣にはいつもルミがいた。紺野が「疲れたら無理はしないでね」と告げるも、ルミは「大丈夫」とだけ。
たぶん、本当に大丈夫なのだろう。ルミは戦車道履修者だ、薬莢の扱い方ぐらいは慣れているはずである――逆に自分がへばりそうになるものの、そこはいい格好しいで持ちこたえた。
が、
「無理はしちゃだめだぞー」
見抜かれていたらしい。紺野は「たはは」と苦笑するも、抱えていたパーシングの薬莢をひったくられてしまった。
流石はルミさんだ、と思う。頼れる人だ、と思う。
アズミとメグミも、効率の良い動きで薬莢を処理している。流石に愛里寿の腕力では無理があるので、女友達が「迷彩ネット、お願いできるかな?」とフォローした。
愛里寿は、無表情で「任せて」と応えた。
終わった。
全ての薬莢は外に取り除かれ、迷彩ネットも全部剥がした。先ほどまではオリーブドラブの海だったそれが、今となってはただの虹色として、虹の花壇として、この晴れ空の下で、その姿を現した。
「……確認するぞ」
男友達が、呆然としたような声を出す。
それに従うように、皆は何も言わない。
「ニーレンベルギアは無事か?」
「うん、全部生き残ってる」
愛里寿が、こくりと頷く。
「エボルブルスはどうだ?」
「大丈夫みたい」
ルミが、小さく親指を立てた。
「コレオプシスは、どうですか?」
「うん、全部元気」
アズミが、にこりと笑う。
男友達が、安堵したようにため息をつく。
「……インパチェンスは?」
「……インパチェンスは、」
両目をつむったままのメグミが、間を置いて、
「生還。全部生還したわ」
――。
仲間達が、深く深く深呼吸した。終わったんだなと、顔で呟いた。
後は、
「薬莢とネット、返さないと」
紺野が、ぽつりと口にする。
「――戦車道履修者の皆さん」
女友達が、ルミとアズミとメグミと愛里寿に向かって、
「本当にありがとうございました。助かりました」
頭を、下げた。
サークルメンバー一同も、深々と一礼をする。
たぶん、この四人がいなければ、ルミと出会えていなかったら、虹の花壇は傷だらけになっていたはずだ。
軽症で済めば、それはそれで良い。それが何だ、無傷で生き残れたなんて――そんなの、幸せに決まっている。
「いつか、この礼は返します」
女友達の、心の底からの言葉だった。園芸サークルの願いだった。
何年かかってでも、戦車道には借りを返さなくてはいけない。
「……まま、そう硬くならないで。頭を上げて」
けれどルミは、いつもの明るい調子で言葉を投げかけるのだ。
「私たちはさ、ほら、戦車道やってるじゃない?」
紺野が、黙って頷く。
「戦車道やってるとね、こう……守りたくなるのよ、好きなものが」
メグミとアズミと愛里寿が、静かに微笑む。
「だから、今回もそうしただけ。だからお礼なんて、考えなくてもいいよ」
そうか、
そっか。
「ルミさんは、偉いね」
ルミが、歯を見せてにっかりと笑い、
「戦車道には、人生の大切な全てのことが詰まってるからね」
それを教えてくれた時、ルミはとても誇らしい顔をしていた。
紺野が花を愛でるように、ルミも戦車道が好きで好きでたまらないのだろう。そして紺野と同じく、止める、なんて選択肢は毛頭無いはずだ。
ああ、やっぱり好きだな、この人の事が。
「……あ」
何かに気づいたらしい。ルミが、空へ視線を投げかける。
後を追うように、紺野も見上げて、
「……お」
青空の中で、虹の橋が淡く強く輝いていた。
たぶん、サークルメンバーも同じものを見ているだろう。だから誰も語らない、言葉を発する必要もない。
隣には、ルミがいる。先ほどから今まで、ずっとルミはここに居てくれた。
だから、手を握り締める。
ルミがびくりと震える。そのままでいて、静かでいて、沈黙して――ルミは、紺野の手を絡み取った。もう、離れない。
「紺野く、」
虹を見たままで、ルミは首を振るった。
「紺野」
「何だい」
ルミが、静かに含み笑いをこぼした。
「好き」
「俺も好きだよ」
「大好き」
「俺も大好きだよ」
「愛してる」
「俺も、君のことを愛してるよ」
沈黙、
「週末、予定ある?」
「無いね」
「一緒に遊ばない?」
「ルミさんとなら、喜んで」
手から激痛が伝わる。強く、握り締められたらしい。
「……ルミって、呼んでよ」
「ああ、ごめんごめん」
紺野が、嬉しそうに苦笑いする。
そうだ、その通りだ。ルミとは彼氏彼女の関係なのだ、何を今更遠慮する必要がある。
「ルミ」
「うん」
「週末、デートしよう」
「……うんっ」
秋の青空に、雨上がりの虹が淡く発現していた。
それはとても、綺麗なものだった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
あと二話で、この話も終了です。いや本当、今回は長くなりました。
読者の皆様、本当にありがとうございます。
何度か推敲しましたが、もしかしたらミスがあるかもしれません。
その時は、ご指摘くださると嬉しいです。
ご感想、いつでもお待ちしています。一言だけでも構いません。