「ハーマイオニー…その手…」
「ええ…折れてるわ」
バキィ!と乾いた音を立ててハーマイオニーがほんのちょっとずれた骨の位置を直した。
ロンに払われた箇所がほんのちょっと赤くなる。
ハリーはかすかに赤らんだハーマイオニーの皮膚を見てにやりと笑った。
「本当に…ありがとうございます」
ロンは震える手で暖かいバタービールの入ったカップを包んだ。
指先からじんわり暖かくなっていくのが気持ちいい。
「お前さんがハーマイオニーのバックを持ってたのは幸運だった」
ここはホグス・ヘッド。ホグズミードの寂れた飲み屋だ。店主はあのアルバス・ダンブルドアの弟アバーホースだ。
「ハリーの鏡、あなたが持ってたんですね」
「ああ。ここんとこ何も見えないから死んだかと思ったわ」
ぶっきらぼうな物言いだが、要するに鏡をいつも確認していたらしい。ロンが走り疲れてお腹が減って、すがる思いでハーマイオニーのハンドバックをひっくり返していたらドビーが現れた。
ドビーは姿くらましでロンをここまで連れてきてくれた。
「ハリー・ポッターはご無事ですか」
という問いに、ロンはありのままを話した。
筋肉、破壊、そして銀行破り…。
「お前が逃げるのも仕方ないだろ」
遥か彼方から落下して無傷。ドラゴンの炎を浴びて無傷。そこでアバーホースはそう言い切った。
「化け物だ」
そう呟いて立ち上がると、女の子の肖像画の方へ歩いていく。
「アリアナ、頼む」
優しい声で名前を呼ぶと、女の子はふっと微笑んで遥か奥へ消えていく。
「もうハリー・ポッターは一人の方が強いだろうさ。でもそれならそれで別の戦い方がある」
「別の…」
「別の場所といってもいいな。とにかく、お前さんは別に弱くはないんだから」
少女が遠くから戻ってくる。誰かを連れてきている…
肖像画のかかった場所がぱかっと開いて、穴から誰かが出てきた。
「ね、ネビル…」
「やあ、ロン。ちょっと大っきくなった?」
「き、君も…」
ネビルは、ちょっと会わないうちにゴツくなっていた。ハリーと比べれば些細だがマッチョだ。
「き、筋肉…」
「あ、これ?いろいろ事情があってさ。アブ、あと2人ほどくるから!」
ロンはアバーホースにお礼を言ってネビルとともに肖像画の穴を潜る。
「カロー兄妹ってのが規律係でね、めちゃくちゃなんだ。逆らって拷問を受けてたらこうなってた。まあ前よりかっこいいでしょ?」
よく見るとネビルは顔中傷だらけで、前と打って変わってワイルドな印象すらある。
「ああ、全然かっこいいよ」
暗い洞穴を歩いて、ロンはネビルに今まであったことをポツリポツリと話していった。
ハーマイオニーの突然の"閃き"
鍛え続けた1ヶ月
人智を超えた力
大蛇をも退ける筋肉
崩落するマルフォイ邸
破られたグリンゴッツ
ネビルは黙って聞いてくれた。
「僕…逃げてきたんだ。2人といて自分の無力さに嫌になったっていうか、僕が必要ない気がして」
ロンの苦渋の表情を見て、ネビルが優しく背中をさすった。真っ直ぐな瞳でロンの言葉に真摯に答える。
「僕も、5年生の時はずっとそう感じてた。僕なんて足手まといじゃないか?僕は必要なのか?って…。でも、
君たちは僕が行ったことにすごく感謝してくれたしあの経験があったから僕は今こうして学校で死喰い人たちに恐れず立ち向かえる。ロンは必要なくなんかないよ。今こうして学校に戻ってきたのもきっと何か意味があるって、後で気付くんじゃないかな」
ネビルの心はこの1年ずっと感じていたロンの劣等感の塊をゆっくりと溶かしていくようだった。
ネビルがそんな風に思っていたなんて知らなかったし、こんなにまっすぐで心強い奴だなんて知らなかった。
「ネビル、僕君に会えてよかったよ」
「僕もさ!…さあそろそろ出口だ。みんな驚くぞ」
肖像画の穴から出ると、たくさんのグリフィンドール生とレジスタンスに加わった多寮の生徒がロンを温かく迎えた。
ロンは久々に普通の人間に囲まれて心の底から安心感に包まれた。
しかしそれも束の間、ジニーが肩で息をしながら寮に飛び込んできた。
「スネイプが全校生徒を呼び集めたわ…ハリーが、ホグズミードにきたって」
ロンは耳を疑った。
なぜハリーが?
まさか自分を追って?
しかしすぐに考え直す。
もし僕を追ってきたなら、ハリーたちならもっとすぐに追いついたはずだ。
ならばホグズミードに現れたのは目的があってのことに違いない。
まさか、ホグワーツに分霊箱が…?
ロンは迷った。
もしハリーが学校に向かってるのなら騎士団も程なくホグワーツに集結する。
もはや分霊箱は残り3つ。しかもハリーは今や死の呪文すら跳ね返しかねない肉体になっている。
ならば、恐らくここが決戦場だ。
ロンはローブを掴んだ。
「……ハリー・ポッターに協力するものは処罰の対象となる」
スネイプが黒いマントを引きずって土気色の顔でぐるっと全生徒を見回した。
寮ごとに整列させられ、一様に口を真一文字に結んでいる生徒たちには希望と絶望が入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。
ロンはその中で、俯き気味に久々に羽織るローブの裾を握った。
「さて…この中にハリー・ポッターを見たものは…」
そこで、ガラスの割れる音が響き渡った。
大広間のステンドグラスが粉々に砕かれ、向こうに夜空をうつしている。
キラキラ光るガラス片が、その中央に仁王立ちする人物を照らし、彩る。
トロールのような体。
筋肉の権化。
力の象徴。
ハリー・ポッター。
「この学校は警備を強化しているそうですが…たかたがディメンターで周囲を見張るだけでは生温い!」
その手に持ったボロ布はディメンターの残骸だった。ハリーは窓から飛び降り、ハーマイオニーがそれに続いた。
生徒からは悲鳴が上がり、みんなが壁の方へと逃げた。
新手の化け物だと思われたらしい。無理もない。
「やっと会えたぞ。ダンブルドアの仇!よくも校長の座に!」
スネイプすら当惑している。
頭からつま先までハリーを眺め、ハーマイオニーを眺め、ハリーの瞳を3秒ほど見つめてようやく口を開いた。
「貴様、ポッター…ここに生身で来る意味をわかっているのか?」
「当たり前だ!」
「……」
スネイプは色々悟ったらしい。早々に身を翻すとふわっと舞い上がり、出口から矢のように出て行こうとする。
「逃がさない!」
ハリーの脚力は強靭なバネを誇る。しなやかな鉄板を折れる限界まで曲げて離す様を想像してくれればわかりやすいだろう。
すなわち、その筋肉が生み出すのは瞬間的爆発力。
ハリーは50メートルまでならその足のひと蹴りだけでハーマイオニーを越えられる自信があった。
それ程までの威力を、スネイプは長年の戦闘経験からハリーのシルエットを見た瞬間判断できたかと言えばできていなかった。
しかし生来のスネイプの用心深さと立ち回りのうまさがプラスに役立つ。
スネイプはその威力を受け止めきれないと判断し、いなしたのだ。
ハリーは自分が確かに敵を捉えたにもかかわらず、そこから僅かにずれた壁に激突する自分を認識するのに時間がかかった。
僕のタックルが当たらない、だと?
いや違う!自分は軌道をずらされたのだ…!
インパクトの瞬間、スネイプは僕の力をそのまま壁の方へ流した!
その一瞬でスネイプはまるで霧のように消えてしまった。
ハーマイオニーにも視認できない素早さで、ハリーの仇敵は消え去った。
「南無三…だわ」
「クソ…クソ…!」
「そ、その声は…まさか、ポッターなのですか?それにグレンジャー?」
マクゴナガルが怯える先生生徒を代表してハリーたちに声をかける。ハーマイオニーがにっこり微笑みかけた。
「先生、お久しぶりです」
「ずいぶん…ずいぶん大きくなりましたね」
「ええ。色々あったんです」
マクゴナガルはどう言えばいいのかわからないといった表情だったが、かといって何か言わないわけにもいかずに会話を続ける。
「学校には何をしに…?」
「探し物があるんです。それさえ見つければもうあの人を倒せるんです」
「わかりました…何か私に手伝えることは?」
「いいえ…ヒントはもう、ありますから」
「は、ハリー!」
ロンは思い切ってハリーに声をかけた。ハリーとハーマイオニーの顔がパッと微笑んだ。
「ロン!無事でよかった」
「やっぱり、ここにあるんだね?」
「うん。そうだよ。…また君の力を貸してくれる?」
ロンはちょっと悩んだ。
2回も逃げ出した自分が役にたつだろうか?
「ロン!」
自分を呼ぶ声に振り向くと、ネビルが声を張り上げてロンを叱咤する。
「君は2人に必要とされているんだ!」
「そうだよ、ロン」
「ネビルの言う通りだわ」
「ネビル…みんな…」
ロンの瞳には涙が浮かび、ハリーとガッシリと抱き合ってそれがこぼれ落ちた。