戦闘民族は迷宮都市の夢を見るか 作:アリ・ゲーター
色の抜けた世界。
温度が無い。暖かさも冷たさもない世界。
飢え、乾き、それを潤すために食う。
何の感情も動かない。止まった世界。
その中で、いつもほのかに温度のある
強者と弱者、単純な色分けしかできない自らにはその関係は理解できないものだった。
それでも気づけば目は追っていた。
腹を満たす獲物でしかない、それだけの
馬鹿らしい、という感情が自らに芽生え、次にそれを恐ろしいと思った。
いつしか世界に色がついていた。
風は涼しく、日は暖かいものと感じていた。
必要がなく、感じる意味がなかったものが当たり前にあるようになっていた。
触れたい、と思った。
それが食欲なのか、破壊の欲求なのかも分からなかった。
いつものように繰り返される夢を見て、ミィズは半目を開け、みじろぎをした。
窓から入る日が白磁のごとき肢体を照らす。
「ん……むゥ」
夢かうつつか、ふわふわと浮かぶような心持ちで一つ寝返りをうった。
毛布がずれ、蛇体の下半身が覗き、日を浴び、細かな鱗がきらきらと紫紺の色を見せる。
寒さを感じたのか、下半身を丸めるように持ち上げ、腕で抱いた。体育座りのようなと、この世界の生まれでない者なら言うかもしれない。
そのままごろり、ごろりと寝返りを打つ。
彼女の寝起きは悪いようだった。
雄鶏の鳴き声が三度も四度も響き、やっと意識の霧が晴れてゆく。
上半身を起こし、むゅい、と意味不明な言葉を呟き、眠そうに目をこすった。
そのままの姿勢でぼんやりと日差しの落ちる窓を眺め、大きくあくびをする。
近頃だらけているな、と我が事ながらミィズは思った。
ダンジョンに生まれ、わけもわからぬままに人間からもモンスターからも殺されかけ、わずかな物音にすら気を配って逃げ延びていた。
堕ラミアである。駄ラミアになってしまう前に起きなくては。
そんな事をふわふわ考えながら、柔らかい日差しについこくりと舟をこぎだしてしまった。
朝こそそんな状態であるが、昼間は別だ。
水汲みから始まり、鶏の世話、畑の手入れ、家の管理。
生活を維持するための仕事を終えると、近場の森に入り、薪を集め、ついでにロープ代わりに使えそうな蔓を採集していく。
途中、枯れ草の中に穴を見つけ、無造作に手を突っ込むと、越冬中だったアナグマを捕まえた。
ミィズはふと指を顎にあて考える仕草を見せると、口笛を吹いた。抑揚を付け、三回ほど同じ音を立てる。
しんと静まり、風の吹く音ばかりが聞こえる森、高い音が響き渡った。
何かを待つような
長い耳を動かし、ミィズの機嫌を伺うように見上げている。
「リュン、獲物を捕っタ。半分やろウ」
「キュイィ」
甲高い声を上げ、おそるおそると近寄ってくる。
自分の腹ほどの高さにある頭をそっと撫で、ミィズは毛並みを堪能する。赤い大きな目が心地よさ気に細くなった。
この
元々同胞にも同じ姿の者がおり、またミィズの好みからしてもどうもとどめを刺すのをためらってしまっていたら、いつの間にか懐いてきてしまったものだ。
ただ、大別すればモンスターという共通点もあってか、言葉は通じずとも何とない仕草や動きで自分に恭順を示しているのだ、という事はわかった。迷いながらも、その可愛らしさに当てられ、つい餌付けとも思えるような事をしているのだった。
アナグマを置き、鋭い爪で足の付け根に切れ目を入れると、無造作に両足をもぎとる。
残りの部分を、食って良いぞと押しやった。
アナグマを器用に抱え、何度となく振り返りながら茂みに消えてゆくアルミラージ。
さすがにこんな場所で直接食べるのは落ち着かないのだろう、巣穴に持って行ってゆっくり食べるに違いない。
ミィズは手を振り見送ると、木々の合間から見える空を見た。
鱗状の雲が集まり、厚さを増している。
天気が悪くなるのだったか、と覚えた知識を反芻した。
──空。
ダンジョンの燐光ではない陽の光。
日ごとに様相を変える空は、見て飽きる事がない。
一日ずっと流れる雲を見ていた事さえあった。
「レイは……こノ空を飛びたイと言っていタな」
同胞の
襲いかかってくるモンスター達の魔石を取り込み、自己強化を行っている以上、
対して、地上はどうだろう。
ミィズは囚われている間、嫌というほど感じた人の悪意を思い出す。
人とモンスター。古代から今に至るまで連綿と戦い、殺し合い続けた二種。交わる事のできない水と油。
きっと人により排斥されるだろう。ダンジョン攻略を中断してでも討伐に来るだろう。
強ければ強いほど、そんなモンスターが地上にいることに、
アウルのような視点を持つ者はそう居ない。自身でもそう言っていた。第三者なだけだと。
ミィズはため息を吐き、日が翳り、暗くなった空を再び見上げた。
□
空が暗くなる。
日が沈み、月が顔を出す。
真円を描く月の輪郭がうっすらと見え、アウルは昂揚する血とは裏腹に苦い笑いを漏らした。
雪と氷の世界、ちらほらと岩の地肌が見える。遠目には川にも見えるだろう氷河の中、ぽっかりと空いた洞窟に身を潜めていた。
右腕は折れ、左足の脛も折れている。
体のあちこちに深い傷、出血でふらつく体。
満身創痍と言っても良い状態だった。
それでも、とアウルはその存在を思い出し、おもちゃを貰った子供のような笑みを浮かべる。
──鎧袖一触。
まるで子供扱いだった。アウルの叩き込んだ渾身の一撃、岩を砕き、岩盤を抉る一撃はわずかに傷を残すのみ、対して相手は鬱陶しい蝿を追い払うような何気ない所作でアウルを行動不能に近いまでに追い込んだ。
逃げられたのはただ
「……く、くく。まさかこんな所になあ」
笑う。
おとぎ話の存在、
「隻眼の黒竜……な。こんな所にいやがったのか」
昔話では
だがその強さを文字通り肌身で知り、人間に追い払われたという事実が信じられない。
いや、とアウルは首を振る。
人には知恵がある。知恵のみで何十倍もの力の差のある相手を下す。
「『呪詛《カース》』か?」
魔法とは違い、代償を伴いながらも相手に対して
むろんその多くは神時代に発現したものだろうが、それ以前、古代に無かったとは言い切れない。
いや、むしろ呪法なんてものは古くから人間と共にあったものか、とアウルは思う。この世界でもない、ドラゴンボールなんてもののある世界でもない、奇跡の存在しない世界の知識があるからこそ、そんな考えも浮かぶ。
北の果て、と言って良い地だ。地平線から昇った月の位置は恐ろしく低い。
だが、満月だった。
運が良いのか悪いのか。
アウルは口の端で凍った血を舐め苦笑した。
満月の夜は早くに寝場所を見つけるようにしている。日はまだ高いがどこかおあつらえ向きの場所はないかと探していた時だった。そのとんでもない気に気づいたのは。
それは膨大だった。大きすぎ、その気が雲のように覆い尽くし、意識しなければ気づく事もなかった。
血が沸き立ち、見境もなく、誘蛾灯に誘われる蛾のように一直線に探し当て、そしてあっけなく叩きのめされた。
出血で頭に昇っていた血が抜けでもしたのか、今のアウルは冷静だ。少し前に比べれば、だが。
「ぶっ倒す……!」
ぎりと歯をきしらせた。
──幸いここなら暴れても、地形が変わる程度で済む。
切り札はあった、ただしそれは本当の切り札だ。記憶の曖昧な幼少期以来、注意深くしまい続けてきた。
当たり前だ。アレは理性が無くなり、ただ暴れる獣になりかねない。
青くかすんでいた月はいつしかその輪郭をはっきりと際だたせ、朧だった色は白く、夜の闇を照らしだす。
「……が、かッ」
変化は唐突だった。
アウルの容貌が歪む。
大きく見開かれた目はただ月のみを映し出し、魅入られているかのようだ。
犬歯が伸び、体が肥大する。
骨が伸び、肉が捻れ、耐えきれなくなった服が千切れ始めた。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
堰を切ったかのように急激な変化が起こる。
氷河が崩れ、濛々とした白い煙を生み出した。
その煙の中から飛び出す巨体。
大猿としか言い様が無いその姿。
「ゴオアアアァァアアアアッッッ!」
堪えきれぬ体内の熱をはき出すかのように吼えた。震えが走り、静寂だったはずの光景は見る影もなく、音を立て氷が崩れ、雪が舞い、樹氷が砕ける。
大猿は灼熱を宿した目で何かを求めるかのように見回すと、望みの敵を見つけたのか、再び大地を震わす一声を上げ、野生そのままの動きで跳び上がった。
□
山から吹く風が乾いたものから湿りを含んだものになった。
冬も極まれば後は暖かくなるだけだ。
やがて一月もすればちらほらと気の早い草花の芽が顔を覗かせる事だろう。
ヒューマンの青年、ロイは柄にもなくそんな事を思いながら窓を閉めた。
暖炉にくべられている薪が、油が多かったのかぱちりとはねる。
例年に比べ今年は雪が少なかった、雪解け水の被害が少なさそうなのは良いが、夏場の水不足が来るかも知れない。ベッジフ翁に教えられた知識の一つを思い出し、そう考えた。
「やっぱり備えて貯水池があった方がいいか」
机に重なっている紙のうち一枚を取り、少し悩んだ顔をし、さらさらと書き加えてゆく。
かつては国営事業の一環だったこの農場は、ラキア王国に吸収されて以来、拡大の一途を辿っている。
ラキアは自他共に認める軍事国家だ。
それには膨大な軍費がかかる。そして軍糧が。
ラキアに対抗するために作られたこの一大農場は、皮肉にも戦を続けるラキアの大きな助けになっていた。
労働力は戦争により捕らえられた者もいれば、どこからか集められた奴隷もいる、また新天地を求めてくる難民も受け入れ、土地を貸し与えている。
以前は各貴族がそれぞれの土地の利権を主張し、またもめ事も少なくなかったが、現在はシモン伯爵家の領地として一元管理されており、効率は良くなっている。ただ、それだけに伯爵家の負担は大きくなり、奴隷から奉公人となったロイもまた、その下で忙しく働く身だった。
書類を片付けているロイの耳にノックの音が響く。
「ミレイ?」
彼女は慌ただしげに、どちらかというと動転しているかのようにわたわたと手を振る。
やがて自分でも落ち着こうと思ったのか深呼吸をして、言った。
「……ロイ。アウルが来た!」
ロイは驚きに目を大きく開け、そして笑みを浮かべた。
「あいつ……! 唐突だな!」
それだけじゃない、とミレイは言う。
「怪我だらけで、どうしようかって……もう。なんとかはしたけど、ロイ、来て!」
「そりゃ……なんだって!?」
二人が慌ただしい様子で入っていったのは、農場の中央にある大きな館、その端に位置する小さな離れだった。
普段は使用人が使っているだろう寝台に小柄な姿がある。
包帯まみれの痛々しい姿、それを見て険しい顔で近づいたロイは、その横の卓に積まれた無数の椀、空になっている大鍋を見て、何とも言い難い表情になった。
「ええと……ミレイ?」
「うん、言いたい事はわかるから安心して」
なんでもとりあえずの怪我の手当を済ませると、人の心配をよそに、食えば治ると言い、食事を持ってこさせたのだと言う。それも十人分や二十人分か。最後は調理場が匙を投げて鍋ごと持って行かせたらしい。
「で、お腹一杯食べたから寝るって?」
「……うん。その、腹八分って言ってたけど」
そういえば食う時はとんでもなく食う奴だった、とロイは片手で額を覆い、ため息を吐く。
その視線の先には寝台で満足そうに眠るアウルの姿があった。
日も沈み始め、赤い色がのどかな風景を朱に染める頃、時間を見繕い、再び様子を見に来たロイは、ドアを開けた直後、よう、と暢気な声を聞いた。
「……アウル。色々言いたい事も聞きたい事もあるけど、久しぶりだね」
「だなあ、えーと……5、いや6年ぶりか? すっかり大人っぽくなってんなあ」
「そりゃあねえ。僕ももう21だ、去年結婚もしたんだよ?」
「マジか……」
連絡しようとはしたんだけどね、とロイは苦笑する。
アウルはやっちまった、と言わんばかりに拳を額に当てていた。
偽名を使って、さらには
舞空術で手軽に行けるようになった時点で、事情を話し、どこか大きな町の伝書屋を挟んで連絡を取る事くらいはできたのだ。いつでもできるからと後伸ばしにしたツケというものだった。
「相手はミレイか?」
「あはは、まあ、そうなんだけどね」
予想通りだったとはいえ、友人達の結婚を知らずにもいたアウルは決まりが悪そうに笑い、祝いの言葉を贈る。
ロイは穏やかにありがとうと言葉を受け取り、それで、と真面目な声に戻して続けた。
「その怪我はどうしたんだい? 僕はその……戦いの事はよく判らないが、君をそんな傷つけるような、尋常じゃないモンスターが近くに居るのか?」
「あー、いや。居る事は居るけどめっちゃ遠いよ、テリトリーから出てくる気は無いみたいだしな、安心しな」
それを聞き、ロイは顔をわずかに緩ませたが、次に怪訝な表情に変わった。
そんな遠い場所の戦いで、どうして傷を負ったまま、ここに来たのだろう?
その疑問をそのまま口に出すとアウルは、そりゃそうだ、と苦笑いを返し、髪を掻く。
「なんつーかな、もっとずっと北の方で戦ってたんだが、吹っ飛ばされた……らしい」
「……らしい?」
「よく覚えてねーんだ。ただ最後の一撃は尻尾の一振りだったな。あんな単純な一発で成層圏まで飛ばされるとか、ねーだろ。どうなってんだアレ」
「せいそうけん?」
「ん……あー、雲の上の事な」
ロイは想像しようとしたが、目を閉じ、唸ると、早々に諦めた。
首を振り、肩をすくめる。
「大変な戦いをしてきたって事は判ったよ。ところでその、体は平気なのかい?」
迷ったようにロイは言う。
それもそうだろう、アウルの姿は全身を包帯で巻かれ、ところどころに血の染みもある痛々しい姿だ。
見たままの容態なら医師を呼んだ方が良いのだろうが、友人のあまりな食欲と、起きてから平然と話す様子から、どうしようかとも考えあぐねていた。医師といってもそう気軽に呼び出せるものではないのだ。
アウルはそれを判っていたのかいないのか、おう、と答えた。身を起こし、体を確認するように手を握り、関節を動かす。やがて、訝しげに眉がひそめられた。手を腰のあたりに持って行く。
「むう……」
「どうしたんだい?」
「いや尻尾がさ、ちぎれちまったっぽい」
「なっ、ええ!?」
大丈夫どころじゃなかった、と慌てた様子のロイに、平気平気とアウルは手を振る。
「多分そのうち生えてくるだろ」
「……獣人の尻尾ってそういうモノだったっけ?」
「そーそー」
適当に答えたアウルは、体の確認を終え、
もっともサイヤ人の回復力であっても一ヶ月を見込んだあたり、かなりの重傷ではあった。
「いやあ、あんな強ぇーなんてなあ。ちょっと図に乗ってたんだけど、冷や水浴びせられた気分だ」
そんな事を言いながら、アウルの顔は喜色に染まっていた。
加減をしなくてもいい、それどころか全力を以てしても届かない敵がいる。
力を鍛え、技を磨く事は楽しい、だがそのどちらかというのでなく、全てを振るえる相手が居た事に、アウルはただ喜びを感じていた。
「……もっと鍛えないとな」
そんな独白に、傍らのロイは、昔より酷くなってるなあ、と苦笑を浮かべた。
□
「サイヤ人の生殺しはやめましょう」
いかなる電波を受けたか、浮いている移動用ポッドの上で宇宙の帝王がそんな言葉を吐いた。
青灰色の肌を持つ側近が怪訝な顔をした。
疑問が渦巻く、だが、頭は無難な選択肢を選んだ。
「ハ……、では現在レルヘット星の侵略に取りかかっているベジータとナッパを呼び戻します」
宇宙の帝王は、先程自ら言った言葉に戸惑うような顔をして首を振った。
「いいえ、それには及びません。彼らには十分に働いてもらいましょう」
「ハ……」
側近は上司の判断に無駄口ははさまない。
宇宙の帝王は首をかしげた。
「……ここのところの運動で私も疲れているのかもしれませんね。ザーボンさん、あなたの有給休暇も溜まっていますし、少し観光地にでも行きましょうか?」
その言葉に青灰色の肌を持つ側近は困ったように言う。
「ハ……いえ、さすがにドドリア一人に任せるわけには」
「──よいのですよ、常に揃っていては危急の事態に弱くなりますしね」
その言葉に側近は深い敬意を示す。
ところでサイヤ人がどうこうというのはなんだったのだろう、と思う。
上司が思い過ごしだと判断している以上あえて突っ込む気は無かったのだが。
徹底的に対処しておけば良かったと思うのはこれよりずっと後の事になる。