「おや、旦那」
訓練を終えた昼過ぎの食堂。ウエィトレスとして走り回る初霜を横目に、日向はまたあのスクリーンを眺めていた。声のした方を振り返ると、窓際に座る加古がこちらに手を上げていた。
「おう」
椅子に寄り掛かったまま、気だるげに肘から上を持ち上げる。すると加古の向かいに座る女性に気が付いて、日向は重い腰を上げた。
「この間は世話になったな」
椅子を引きずって来て、二人の座る机に寄せる。窓際の席はかすかに太陽の匂いがした。
「覚えていてくださいましたか」
女性は日向の方へ体を向けて、長髪を揺らしながら微笑みかけた。清楚な顔立ちながら、どこか影のある雰囲気が哀愁を誘う。加古は親指を女性に向けて紹介した。
「コイツは神通」
「神通、というと二水戦の?」
日向の問いに、神通は少し悲しそうに笑った。
「元、です」
「え?」
「おい、神通」
話し始めようとする神通を加古が止める。しかし、神通は優しくそれを制した。
視線を加古へ向けて、左右に首を振る。
「いいのです。日向さんが悪い方ではないのは知っていますから」
そう言われるとさすがに加古も引き下がる。加古が腰を下ろすのを確認してから、神通はゆっくりと話し始めた。
「クビになったのです。艦隊を」
「演習中の衝突事故で、海に出るのが…お、恐ろしくなってしまったのです」
語りながら、神通の目線が深く沈む。重苦しい沈黙に耐えかね、苦しそうに目を瞑った。その仕草だけで、彼女がどれほど深い闇の底を覗いて来たかが伺える。
日向も事故は多いが、そのほとんどが艤装の不具合や管理不手際から起こる個人的な事故だ。だが神通のそれは違う。連係ミスや天災によって船の玉突き事故が起こると、取り返しのつかない結果になる。自分が轟沈ちるならともかく、もし自分以外の誰かを沈めてしまったら…。
それは悲惨だ。海に出る事を恐れるほどに。
「そんなんで、アタシが『医療』に誘ったんスよ。怪我人が出れば出撃して、暇な時はここで「こうやって」、気楽なもんスよ」
明るい声でそう口をはさみながら、加古がテーブルに置かれた将棋盤に目をやった。横一列に並んだ「歩」の一つを手に取り、それを音を立てて打ち込んだ。
乾いた木の音に神通の表情が少し和らぐ。加古と一瞬目配せして、自分の駒に目を落とした。「飛車」と書かれた大きな駒を手に取り、それを「王」の目の前に滑らせる。
「ほう…」
「面白いでしょ、こいつ」
日向が唸り、加古が笑いをこらえたような声を漏らす。
「中飛車か」
それを聞いて神通は小さく首を振った。瞳の中に見える輝きは、すっかり魂を取り戻していた。
「いえ、これが私の衝角突撃です!」
「負けました…」
がっくりと肩を落とす神通に、勝負の一部始終を見ていた日向は端的に結論を述べた。
「下手の中飛車だな」
加古が同調したように頷く。
初手に飛車を玉将の前に振る「中飛車」は、一般的に初心者の打ち回しとされている。勝てぬ中飛車は「下手の中飛車」と呼ばれ、格下を表す言葉として広く浸透していた。
「へ、下手って言わないでくださいぃ!」
「下手なんだよなぁ…」
その後再三指し合った挙句、日向まで相手をさせられたが、結果は神通の全敗であった。そして神通の初手は全て中飛車であったそうな。
「そういえば、観艦式の事聞きました?」
将棋盤を片付けながら加古が漏らす。それに日向が首肯した。
「ああ、今年も
観艦式は年に一回、その年の代表の鎮守府で行われる。一般人の入場は無く、主に軍人たちと艦娘のお祭りであると言える。彼らは日本全国からこの式典の為に集まり、祭りを盛り上げる。華やかな宴の裏側で官僚たちの腹黒い派閥争いが繰り広げられているという噂もあるが、いかんせん艦娘達には関係の無い事だ。
「旦那は航空甲板のお披露目ですかい?」
加古が、からかい交じりの視線を向けてくる。日向は努めて冷静にそれに返した。
「どうだかな。戦艦なら金剛型の方が華があるし、あの榛名だってあれでもお偉方には人気があるんだ。黙っていればアイツも大概いい女だからな」
「お淑やかに箱に納まっているような性質ではないがね」と日向は付け加えた。指先で駒を弄び、ピンと指ではじく。音を立てて倒れた駒には「金」の字が彫り込まれていた。
「初霜が今年もポップコーンをやるらしいから、私はその手伝いだな」
観艦式当日の出し物は、そのほとんどが艦娘達が運営する。
開催鎮守府の艦娘はもちろんの事、許可をもらえば他の鎮守府の艦娘も出し物に参加できる。その場合、前日に鎮守府に入って設営を進めるのだ。
初霜のポップコーンは艤装の「缶」の中にポップコーンの種を入れて、駆動しながら調理する。海上を航行しながら公開演習の最前列に配って歩いたりと、艦娘達からも人気が高いのだった。今年は味の種類も増やしたいなどと言って、こないだ予備の缶の清掃を手伝わされたばかりだ。
来る日の観艦式を想いながら話が弾む中で、隣に座った神通だけが全く会話に参加していないのに気が付いた。彼女は二人の話を聞きながら、腑に落ちないとでも言いたげに首をひねっていた。
「おかしいとおもいませんか」
神通が交互に二人に目を向ける。神妙そうなその面持ちに、日向も加古も首をかしげる。
「?」
「何の事だ?」
「だ、だって去年もウチで観艦式があったんですよ。それでまた、今年もなんて」
「敷地が余ってるからだろう。にぎやかになって良いじゃないか」
「神通は騒がしいの苦手だからな」
わははと湧き上がる場に反して、神通はわなわなと拳を震わせる。そしてついに堰が切れたかのように怒鳴りたてた。
「人が死んだんですよ!去年の観艦式で!みんな忘れてしまったんですか!」
場がしんと静まり返る。自分のテーブルだけでなく、周りのテーブルで食事をしていた者達ですら、何事かと神通に視線を向ける。真っ赤な顔で睨みつけられた二人は、お互いの顔を見合わせ一つ頷いた。
「まあ」
「人くらい死ぬでしょ、お祭りなんだし」
「ど、どこの野蛮民族ですか!あの事件、西のお偉方はうちの提督が首謀者だと疑っているという話じゃないですか!」
神通が周りからの視線を気にして浮いた腰を下ろす。その間も、日向と加古は頷き合って意見を同調させていた。
「そら、西はそう言うわな」
「しかも古鷹がやったとはいえ、あの事件は将官が捕まって解決しているはずだ」
観艦式さなかでの指揮官殺し。
その実行犯は何を隠そう横須賀の秘書官である古鷹であった。彼女は観艦式が行われる裏方で二人の佐官を殺害し、出頭した。彼女は犯行を認めたが首謀者の名は語らず、後日同派閥の少将が殺人教唆で捕まった。
古鷹本人も解体を余儀なくされたが、捕まった少将の後釜に座った丁嵐誠一(あたらしせいいち)、つまり今の提督によって救われて今に至る。
「今回の観艦式は提督を罠に嵌める算段かもしれないって言ってるんです!」
「なんだ?お前、誠に惚れてるのか?」
「げ、顔はいいんだけどなぁ。アタシはパス」
「そうじゃなくって!」
神通は再び拳を振り上げ一同を黙らせた後、テーブルの真ん中に顔を寄せた。日向と加古もそれに倣う。二人と目を合わせた後、神通は声をひそめて言った。
「今回の招待客に紛れて…」
「うん…」
「暗殺者が送り込まれるかもしれないって言ってるんです」
驚愕の発言に二人は仰天する。日向は腕を組んで唸り、加古は苦悶の表情を浮かべ頭を抑える。そして…
「お前…」
「神通…」
二人同時に口を開いた。
「「映画の見過ぎだ」」
「映画の見過ぎですかね…」
男は受話器を片手にそう返事をした。貼り付けたような笑みを崩さずに続ける。
「こういう物って、私の様な『当事者』には声がかからないものだと思っていました」
男性にしてはやや高い声。左前の髪だけを長く伸ばした奇妙な髪形。そこから見える肌は異様に白く、覗いた片目は開いているのかわからないほど薄く線を引いている。
『適任はお前しかいない。小娘との水遊びで腕を鈍らせてはいないだろうな』
「ご冗談を」
歌うような口調で男は返す。
『横須賀の観艦式を血に染めろ。「意趣返し」だ』
「私も大概ですが、貴方も随分と趣味がよろしいですねぇ」
電話越しの物騒な言葉選びに、男は笑みを深めた。心なしかその声色は高揚を含んでいる様にも聞こえる。
『職務を果たせ「呉の亡霊」』
そう言って一方的に電話は切られた。
男はゆっくりと受話器を置くと、自分の机に肘を付いて、薄い瞳で部屋を見回す。部屋の隅で書類を書いている女性は、男の期待の籠った視線を感じて手を止めた。自分の書いた文字に目を落としたまま問いかける。
「任務ですか、松崎提督」
その質問に、男は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに声を弾ませる。
「ええ。楽しい楽しい、お仕事の時間です」
芝居がかったその返事に、女性はうんざりと眉をしかめた。顔を上げずとも男の目障りな笑みが手に取るようにわかる。
男は気にした様子も無く、椅子から腰を上げた。立ち上がるとひょろりと長く、細い手足と相まってまるで海の幽鬼を思わせる。そのまま部屋の窓際まで歩いていき、カーテンを思い切り開け放った。
降り注ぐ木漏れ日が、暗い部屋の中に男の影を張り付けた。
「今年の観艦式は、きっととても面白くなりますよ」
「もちろん大淀さんもいっしょですよ」と付け加えると、女性は頬をひきつらせて万年筆を取り落とした。床に転がるそれを見つめながら、大きくため息をこぼした。
「松崎城酔」のキャラクターは『僕と久保』様作、『艦隊これくしょん/木漏れ日の守護者』よりお借りしています。
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