「お帰んなさい日向」
丁嵐は執務机に向かったまま、顔も上げずに日向を出迎えた。いつもは小綺麗に並べられているインクの瓶や文鎮が机の上に雑然と散らばっている。その上にさらに書類を重ねるもんだから、そこら一帯はもう何が隠れているか当人にしかわからないような有り様だった。
「ずいぶんと暇そうだな」
「全くよ。観艦式のスケジュールも出さなきゃ行けないのに、今回のイレギュラー出撃。お肌が荒れちゃうわ」
丁嵐は万年筆を置くと、事務用の眼鏡をはずして書きかけの書類の上に立て掛けた。
バッチリとメイクをしているのはいつも通りだが、その表情は〆切前の漫画家みたいに疲弊している。ファンデーションでも隠しきれないくまのあとが、まるで落としそびれたシャドウの様に目の周囲を縁取っていた。
「あんたは元気そうでよかったわ。航空甲板の調子はどう?」
「万全だ、不備はない。これで実際に使わせてくれれば文句はないんだがな」
嫌味で言ったつもりだったが、丁嵐は存外不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「無茶言うんじゃないの。アンタ訓練でもまともに戦術運用できてないじゃないの。報告は上げさせてもらってるわよ」
痛い所を突かれ、日向も軽く身を引いて見せる。
「試行錯誤はしてるさ、目下検討中というやつだよ」
「あまり悠長にはしていられないわよ。辞令よ、アンタに」
引き出しから取り出した書類を丁嵐が机に広げる。それを丁寧に折りたたんでいくと、物々しい黄金色の書状が直径20cmほどの紙飛行機に姿を変えた。
「それっ」
風に乗って漂うそれを空中でキャッチする。固く折りたたまれたそれを再度開いて書面に目を落とした。
『航空戦艦 日向』
第一文に心が高鳴る。
航空戦艦
海軍内で日向しか持たぬ肩書き。逸る心を抑えて、続く文に視線を移した。
『右ノ者ヲ海軍大演習ノ大隊旗艦ニ任命ス』
「海軍、大演習…」
「そ」
丁嵐が机の上で両の掌を合わせた。
「航空戦艦のお披露目ってわけ」
海軍大演習とは、観艦式において「公開演習」と呼ばれている演目である。
幾多の艦娘、軍人が集まる観艦式で「装」と「技」を競う「武の祭典」。観艦式の目玉とも言えるこのイベントは、艦娘の評価や後の武勲と決して無関係ではない。大演習で勝ち名乗りを上げるのは未来の武勲艦に他ならないのだ。
「開始時間は?」
「当日一五○○時から。夜戦無しの部の最も遅い時間よ」
昼の部のラスト、舞台的にも最も注目が集まる時間だ。お膳立ては完璧。ここで航空戦艦の強さを見せつければ、戦略上で大きな意味を見いだせる。
戦艦の新時代。その言葉が実に現実的な輝きを持って、突然目の前に現れた。
「相わかった。大演習旗艦の任、拝命しよう」
大きく感情に出す事はないが、強く握られた拳に意志の全てを乗せる。堂々としたその立ち姿を見て、丁嵐も安心した様に小さくうなずいた。
「張り切ってちょうだいよ。これに負けたら、大好きな初霜とも会えなくなっちゃうんだから」
「・・・」
ぞわり と
冷たい何かが背中をなでる。
急に部屋の温度がぐんと下がったように感じた。
きりきりと心臓に爪を突き立てられる不快感。
薄暗い部屋の中で、丁嵐の場違いな笑顔が不気味に浮かんで見えた。
「なんの…事だ」
カラカラの喉で、かろうじてそれだけ声を出す。
丁嵐が日向の手の中の紙飛行機を指さした。折りたたまれた書状の端、そこにはまだ文章が続いている。
『ナホ、右ノ艦ガ大演習ニテ敗北ヲ喫シタ場合』
続く言葉に、日向は愕然とした。
『ソノ艦ノ艦娘トシテノ任ヲ解キ、【解体】トスル』
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