【壱】東龍西虎
閉め切った部屋の中に、外の喧噪がすきま風の様に入り込んでくる。大勢の足音、ざわめき、人々の小さなつぶやき。それらが大きなうねりになって、周囲を色めき立たせていた。
今日から観艦式が始まる。
横須賀の提督「
その様に丁嵐は忌々しげに舌を打つ。
お祭りは好きだ。華やかで騒がしくて、あたりがキラキラと輝いている。低俗で喧しくても、この日特有の空気に沸き立つ艦娘達を眺めるのが好きだった。護国の責を背負う彼女たちがその戒めを忘れ、まるで年相応の少女のようにふるまうのを見ているのが好きだった。
もちろん、頭を悩ませる小五月蠅い官僚どもがいなければの話だが。
一息ついて礼装用のワイシャツのカフスをしめる。襟を立ててカラーを整え、赤みがかった髪を襟の外へ、指先の香水の匂いをかぎながらホックをとめた。
閉じたカーテンの隙間から、潜水艦たちが楽しそうに走り回っているのが見える。それに対し、わずかに目を細めた。
「鼠が紛れ込んでるのね…」
呟きながら、部屋の隅で時を刻む巨大な柱時計に目を向けた。時刻は朝の八時。当初の予定時刻だが、先方から少々遅れると連絡を受けている。
改めて部屋の中を見回す。今回の会合をセッティングする前に、部屋のチェックはすべて完了していた。
壁紙は2日前にすべて張り替えている。薄いピンクを基調とした壁紙に、ロココをイメージした花のデザインが散りばめられている。テーブルとチェアはいつものお気に入りの物であるが、今日に合わせて革の張り替えを行っている。部屋に合わせた特注の装飾は、丁嵐の専属であり軍外のデザイナーに特別に発注していた。
部屋の模様替えをした際に出てきた盗聴器は4つ。花瓶の裏と窓サッシの奥、執務机の足とソファーの中。もちろん丁嵐が設置したものではない。
外部の者がこの部屋に侵入したのか、しかしそれにしては設置場所が安直な気がする。まるで、部屋に立ち寄ったついでにアタシの目を盗んでちょいと置いていったような…。
だとすれば身内。いや、攻勢作戦の際に派遣されたものの中にスパイがいたと考えるのが自然だ。
あの時派遣されたのは対空用の駆逐艦と偵察用の潜水艦。所属は舞鶴のはずだが、所属を偽るのはやつらの常套手段、鵜呑みになどできない。
盗聴器は今もそのままにしてある。偽りの情報を流す事もできるし、回収しに来たスパイを締め上げる事もできる。そして何より自分は絶対にボロを出さないという自信があった。
机に置かれた電話が鳴る。取ったのは秘書艦の古鷹だ。
「こちら司令室。はい…はい、わかりました」
短く答えて受話器を置く。そして、合図するように丁嵐に視線を向けた。
「
東と西の将官の面会。
これの意味する所。それは観艦式へ向けた懇談会等とはほど遠い、派閥間の熾烈な正面衝突に他ならなかった。
「大島派」と「敷島派」に代表される兵器開発部門の二分化。
科学的新開発を謳い、前衛的で危険な実験を繰り返す「大島派」。筆頭の大島信康博士は、深海棲艦の装甲を転用した「特装」を初めとする数々の前衛的な試みを繰り返してきた。中には深海棲艦の肉体を生身の人間に移植するような、非道徳的研究に携わっていたという噂すら存在する。
反する「敷島派」の筆頭、敷島月雄技術大佐。彼は古き日本軍の再現と進化に執着し、日本刀などの旧世代兵器を現代兵器として再現する試みを続けてきた。その結果生まれた「深滅兵装」の一部は伊勢型や天龍型の基礎武装として一定の成果を上げている。
二つの派閥は競い合うようにして互いを高めている訳だが、予算や設備には当然の如く限りがある。必然的に二つの派閥は攻撃的になり、兵器開発部にとどまらぬ軍の二大派閥と化した。
派閥のシンパは多けれど、表立って派閥を代表するものは少ない。誰だっていらぬ危険は冒したくないものだ。現在派閥に属する将官はたった二人。それが大島派の松崎と敷島派の丁嵐であった。
丁嵐ははじかれたように壁から背を離し、部屋を出る。それに古鷹も続いた。内線は一階の管理室からかかってきている。つまりもう正面入り口までやってきているという事だ。
駆け足で階段を下り、一階への踊り場で足を止めた。階段の下から見上げる人影。軍服に身を包んだ長身の男。呉の提督「松崎城酔」。
階段の下にひょろりと背の高い男が立っていた。礼式用の軍服を身にまとい、長い前髪から右の瞳だけで丁嵐を見上げていた。
松崎は丁嵐と目が合うと、似合わない軍帽の下に蛇のような薄ら笑いを浮かべた。開いているのかわからない細い目から覗く妖しい瞳は、心の中を覗き込まれそうなほど深く虚ろに濁っている。そして、顔半分を覆う灰のように白い髪。それはまるで…。
「深海棲艦…」
古鷹が思わず呟いた。男の笑みはますます深く、おぞましく歪む。
不快、不安。まるで世界中の負の感情を寄せ集めたような幽鬼の
「お久しぶりです。丁嵐少将」
男の声は、身を凍らせるほどに冷たい。深海の底から囁いてくるようなその響きに、古鷹はごくりとつばを飲み込んだ。
丁嵐の口がゆっくりと開く、両手を広げてまくしたてた。
「キャー!ホントに城君!?やだやだやだもう、KA・WA・I・I!」
階段を駆け下りて松崎の横に立つ。両手をつかんでぶんぶんと上下に振ると、松崎は苦しそうに肩をすくめた。
「じょ、城君はやめてくださいよ丁嵐少将。私ももう学生では無いんですから」
松崎がたじろぐ。自分より長身の大男にこうも振り回されては当然の反応と言えるが。
「も~、相変わらずお固いんだから。前みたいに誠って呼んで呼んで呼んで(ぷりぷり)」
「
「イヤん!もうっ、色男!アタシの部屋にいらしてちょうだい。城君の為にケーキつくってるのよ。甘いの好きでしょ?今日は逃がさないからねっ!」
こうして血で血を洗う論争の幕は、大男の黄色い声により開かれた。