立ち上る雲―航空戦艦物語―   作:しらこ0040

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【漆】歪誠歪笑

    

「不公平です」

 

「どうしました?」

 

 司令室から戻る途中、階段を下りながら大淀は丁嵐達から別れて初めて言葉を発した。ふくらんだ両の頬は、実に可愛らしく彼女の感情を表している。

 

「古鷹さんの提督はあんなにカッコ良くて、芸術の素養もあってオシャレで背も高くて料理もお上手で細マッチョなのに、なんで私はこんな「妖怪の親玉」みたいな人の下で働かなきゃいけないんですか」

 

 大股で階段を下りる大淀に、後ろを歩く松崎は困ったように頬を引っかいた。

 

「大淀さん、盗聴器があるとはいえそんな練りに練った嫌味を言われても私は困ります」

 

「だいたい提督には呉の代表という自覚が足りていません!ああいう場ではもっと…」

 

 階段を降りきった所で大淀の足が止まる。くるりと振り返り、松崎を見上げた。松崎はそれを気に止めることなく、階段を降りて大淀の隣にならんだ。

 

「盗聴器?」

 

「気づいていなかったんですか、腑抜けていますねえ」

 

 やれやれと大淀の胸元を指差す。指の下にはあの6ペンス硬貨の固い感触が触れていた。それを取り出して手のひらに。硬貨の表面には女王か皇帝かと思われる女性の横顔が掘られている。いや…。

 

「これ、丁嵐少将ですか…」

 

 その横顔にはどこか見覚えがある。それもそのはず、たった今まで共にお茶をしていたのだ。

 

「あの人も大概趣味が良いですからねぇ、意趣返しのつもりなんでしょう」

 

「この会話も聞かれている?」

 

「今更腹の探り合いもないと思いますがね」

 

 松崎は大淀の手のひらからコインを摘み上げると、それをぽいと口の中に放り込んだ。奥歯の間にそれを挟み、顔を歪ませるほど強く力をこめる。バキバキと金属の表面が破ける音と、プラスチックを引きちぎるくぐもった音が響く。

 ぺろりと松崎が舌を出す。舌の上に乗っていたのは、細かな導線の束と小さな配電盤の部品を除かせる元硬貨の姿であった。

 

「では我々は観艦式の観光をして、ゆっくりと呉に帰るとしましょう。お疲れ様です、「丁嵐少将殿」」

 

 ゴミクズになった硬貨をつまみ上げ、トドメとばかりにそれを側にあった花瓶の中に投げ込む。水がはねる音を最後に、廊下はしんと静まり返った。

 

「もう話して大丈夫ですよ」

 

 まだ会話を聞かれているのではないかという大淀の不安を無視して、松崎がそう切り出した。靴の音を響かせながら、大淀はそれでも小さな声で話しはじめた。

 

「意趣返しという事は、こちらが仕掛けた盗聴器が気づかれてるんですか?」

 

「まあ十中八九。自分から瓦谷の事を切り出したのは、大方録音を意識しての事じゃないですか」

 

 古鷹にケーキを取らせに行った瞬間のあの喋り、あれは古鷹にボロを出させないためだったのだろうか。

 

「それで気が付いたんですね」

 

「それだけではありません」と松崎は自分の耳たぶを指先でつまんだ。

 

「丁嵐少将はピアスをしていなかったでしょう?」

 

「…はい?」

 

 急な話の方向転換に眉をひそめる。ピアスはして…いなかっただろうか?正直そこまで深く観察してはいなかった。しかしそれが盗聴器と何の関係があるのか。

 

「丁嵐少将は今日ピアスをしていませんでした。でもピアスの「穴」は開いていました。丁嵐少将のようなお人が、耳に開いた穴をそのままにしているなんて不思議だと思いませんか?」

 

 どうだろうか。そこまで異常な行為ではないだろうが、ただ確かにあそこまで徹底的にオシャレをする人なら観艦式程度ならピアスをつけたまま、もしくは外すのであれば穴を隠すくらいの事はするかもしれない。そのどちらもされていない、という事は…。

 

「ピアスをつけていたけど、何かの事情で一時的に外していた?それがヘッドフォンのようなものをつけていた跡だと?」

 

「それも我々が到着する直前まで」

 

 ピアスを付け直す暇すらなかったと考えればそういう事になる。直前まで機器のチェックやら何やらでヘッドフォンをつけていたのか、もしくは我々が部屋から出た瞬間に音を拾えるように事前にピアスを外していたのか。

 

「盗聴器を仕掛けた人物(スパイ)には気付くでしょうか」

 

 事前に舞鶴を通して忍ばせた呉の潜水艦達。彼女達は松崎直属の隠密特殊部隊である。今もこの観艦式にまぎれて丁嵐を監視しているはずだ。

 

「気づかれているでしょうねぇ。大淀さんが未熟だから」

 

 突然の指摘に、苦虫を噛み潰したように眉を歪める。松崎は気にすることなく続けた。

 

「今日、潜水艦という言葉を使うのを避けたでしょう?」

 

「うぎゆ…」

 

 逃げ場の無い追求に、大淀は指先でこめかみを押さえた。うまく話をそらしたと思っていたが、いい気になっていたのは自分だけだったようだ。

 

「大方スパイは潜水艦か駆逐艦かのどちらかに絞っていたんでしょうねぇ。それで彼が潜水艦と切り出したのに、あなたが駆逐艦と返せばおおよそ目処は立ってしまうでしょう」

 

「申し訳ございません」

 

 棟の出口が見えてくる。

 大きなガラス戸の外に、楽しそうに走り回る艦娘たちの姿が見えた。

 

「潜水艦は撤退させるべきですね」

 

 玄関を降りながらなんとはなしに語る松崎に、大淀は驚いて食い下がった。

 

「危険すぎますっ!護衛なしでここにいるつもりですか!?」

 

 ここまでの流れで、丁嵐が二人を警戒しているのは一目瞭然だ。それでも潜水艦という搦め手がいたからこそ、二人は敵陣のど真ん中で最低限の安全を確保されていたのだ。それが今ここで潜水艦を撤退させるという事は四面楚歌の状況に自ら身を投じていく事に他ならない。

 

「危険は承知ですが仕方がありません。潜水艦面子がこの鎮守府にいるという事自体がもうリスクしか孕んでいないという事です。どんな形にしろ今彼女達と私の関係を裏付けられるのが一番厄介です。彼女達は軟な拷問で吐くような鍛え方はしていないですからね。開き直って殺される方が面倒です」

 

 そう言いつつも、その声色には焦りの色は感じられない。ただ着々と次の手、次の次の手を講じるだけだ。

 この会談で丁嵐から得られた情報は少ない。コチラがまいた種は悉くむしりとられ、奴は慎重に尻尾を隠している。潜水艦に仕掛けさせた盗聴器が、むしろ仇になってしまった。

 

 松崎は思考する。今日の30分ほどの会談。丁嵐との会話。奴が行った細工。

 

「細工…」

 

 

〝「そうね…ろく、でもないものね、何処もかしこも」〟

 

 

 一つだけ芽吹いた種が、松崎に次の指示を走らせた。

 

「ろく、録画…、いや、そうです録音。瓦谷逮捕の際に証拠になった録音声を再度調べ直してください。潜水艦にはすぐさまその作業に取り掛かるようにと」

 

「了解、しました」

 

 大淀が早足で駆けていく。松崎はその後でゆっくりと日差しの下を歩いた。

 

 

 その姿を、丁嵐は部屋の中から見下ろしていた。

 足元には踏み砕かれた4つの盗聴器とヘッドフォン。そのひとつを拾い上げて古鷹は自分に向けられた背中に声をかけた。

 

「潜水艦を追いますか?」

 

「もう遅いわ。何より松崎の動向が得られなくなった以上、あいつを野放しにしておく方がよほど危険よ」

 

「では、二人の監視に移行します」

 

 優秀な秘書艦は濃く色づく影の闇の中に、溶けるように消えた。一人部屋の中、丁嵐は外の喧騒を眺めている。

 

 ふと、表の松崎が司令室を見上げているのに気がついた。お互い目が合い、小さく手を振る。

 

 

〝「では我々は観艦式の観光をして、ゆっくりと呉に帰るとしましょう」〟

 

 

 盗聴器から最後に聞こえた言葉。

 

 ((ずいぶんと…))

 

 二人の笑みが、いっそう深く、大きく歪む。

 

(ずいぶんと下手な嘘をつくじゃない。松崎)

 

(ずいぶんと嘘がお上手なんですねぇ。丁嵐少将)

 

 

 時刻は朝の九時。これから長い長い観艦式が始まる。

 暑い日差しの下での少女達の歓声と熱狂、店の活気、騒がしくも力強いその喧騒。今日は誰もが待ち望んだお祭りの日。その中でひっそりと、冷たく、誰かが死ぬのだろうなと、ぼんやりとそんな事を思った。

 




次回、日向と観艦式。
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