「それから、これを初霜先生に」
別れ際に大井が小ぶりな脇差を取り出して日向に握らせた。白樺の柄と鞘、シンプルで美しい造形の中においてナイフで削ったかのような荒々しい「初霜」の堀文字がやけに目立っていた。
「これも君が?」
大井は首を振る。
「いいえ、これは伊勢さんからの頼まれ物です」
ぐんっと日向の上体が揺れる。大井の襟首をつかんで、まるで脅しかけるかの如く手に力を込めた。
「伊勢は呉にいるのか!?」
「いえ、作戦の折に立ち寄っただけだとおっしゃっていました。戦果の話は聞きますが、どこか固定の鎮守府に所属しているという訳ではないようです」
大井は日向の行動に驚きはしたものの、疑問を持っている様子は無い。掴まれた両手に自分の手を重ね、ゆっくりと諭すように日向を落ち着かせた。
「すまない…」
熱くなった頭を押さえ、壁を背に寄りかかる。
伊勢。お前はいったいどこから私達を見ているんだ。困る私や初霜を見て、そんなに楽しいか…。
「初霜先生のお師匠様なんですね」
「…そうらしい」
曖昧に返答する。
「会った事は無いんだ。私も」
大井は少し驚いたようだったが、自分の記憶の中の伊勢を思うと、そこまであり得ない話ではないのかとも思った。
「風のような方ですからね。吹いたかと思えば、振り返る視線に映るのはなびく木々ばかり。残す物は、走り去った後の大地に転がる物だけ」
「風来坊とはよく言ったもんだ」
いつ会えるかはわからない。だがもし一度、たった一度でもいいから相まみえる事があれば、その時は…。
(…お前を切る)
相容れない定めにほんの少しだけ安堵する。吹きすさぶ風が、火照った全身を心地よく駆け抜けていった。
「では、先生によろしくお伝えください」
来る時とは違い、助手席に腰かけた大井が窓から日向を見下ろして言った。
「観艦式は見て行かないのか?」
返事の代わりに曖昧に笑う大井に対して、運転席の北上が返した。
「まっちゃんに見つかる前に呉までトンズラしないといけないんでね。ほんとは初霜センセの屋台だけでもと思ってたんだけどさ。天気も崩れてきそうだし、旦那方の活躍は呉への長旅のお供にさせてもらうよ」
そう言いながら北上は車上のラジオのつまみをひねった。甲高い雑音に混ざって、波の音がなっているのが聞こえる。それに続いて、昭和感あふれる音質の悪いナレーションが車の中に広がった。
『ジジ…コレヨリ、第24回観艦式「海軍大演習」ヲ開始イタシマス…』
【どうでもいいこと】
初霜の事みんな「先生」って呼ぶのは、カワイイから。
明日の更新からまた「外伝」。