立ち上る雲―航空戦艦物語―   作:しらこ0040

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【とりかごのうちがわへ】

「初霜っ!」

 

 日向はすぐさま初霜の襟首を掴んで、その場を離脱した。指先が火に炙られるのも構わず、限界一杯まで加速する。主機が重苦しく唸りを上げ、足元の水を跳ね上げた。

 

「逃がすかっ!」

 

 うずくまった榛名が素早く肩の主砲を稼働させる。危険な近距離での水平射であったが、日向の背中を射抜くような眼光に躊躇は微塵も感じられなかった。

見開いた右の瞳の中に、照準の十字が浮かび上がる。緊急射撃用の照準器は本来副砲を撃つ為に使用されるものだが、同じ演算装置を使用している為、専用に弾道計算をしてやれば戦艦クラスの主砲にもほぼ流用可能であった。

 ブレが誤差の範囲に収まるまでじっくり呼吸を整える。指の震えをトリガーで抑え込んで、手のひらでじっとりと湿った汗を拭いとった。深く吸って息を止め、指に再度力を込めた瞬間、照準の円の中に黒い影が飛び込んできた。

 

「日向さんっ!」

 

「くそっ!」

 

 舌打ちして、顔を上げる。軽巡洋艦「名取」が腰だめに構えた主砲を榛名に向けていた。頭につけたカチューシャが、太陽を反射して眩しく光っている。日向への射線をふさぐ様に、榛名の前に身を呈して立ちふさがった。

 

「旦那ぁ!」

 

 その後方で声を上げるのは、最後尾を航行していた江風だ。高速で波を切り、日向と初霜に接近する。アイコンタクトを交わしつつ日向と交差し、微量の距離を取って停止した。日向も主機を止めてその背中を振り返る。その背中は、迫り来る榛名の分隊をじっと見つめていた。

 

「撃つぜ!温存は次に「お預け」だ!」

 

 言うや否や、両足に固定した魚雷管を両手でぐるりと一回転させた。膝を曲げて乱暴に射線を固定すると、通過する隊列の横っ腹にむけて4本の魚雷を投下した。

 伸びる雷跡とすれ違うように、隊の進行が大きく逸れた。体勢を立て直した榛名が、離れていく艦隊の最後尾に曳航されていくのが見える。

 

「初霜っ!」

 

 日向は眼前の危機が去ったのを確認すると、艤装の腰の部分から棒状の消火剤を抜き取った。細長い棒の先端のキャップをひねり、溢れ出した消火剤を初霜の缶に吹きかける。高く上っていた火柱が、たちまち小さな燻りとなって勢いを無くしていく。完全に火が消えると、黒く煤けた缶の間から、弱々しい笑みが日向に向けられた。

 

「まったく、お前はいつも無茶をする。いや…」

 

 日向はほっと息をつくと、初霜の手を取って立ち上がらせた。

 

「感謝しなくてはな」

 

「初霜さん!」

 

 波を蹴って名取と江風が合流する。二人とも慣れない緊張の連続に、額にびっしりと汗をかいていた。

 

「急に速度を上げるのでびっくりしました」

 

 名取が青い顔をして駆けてくる。初霜の手を取って、思ったより損傷が大きくないのを確認すると、大きくため息をつきながら、小さく笑った。

 

「申し訳ございません、ご心配おかけ致しました」

 

 初霜が全員を見回して頭を下げた。ぺこりと腰を折ると、背負った缶からもうもうと黒煙が上がる。中破と大破の境目と言った所か。その表情からは読み取れないが、相当無理を推しているのは間違いない。

 

「日向様、いかが致しますか?」

 

 思考を巡らせていた所に、初霜の声が割り込んでくる。視線を下げると、気後れするほどのまっすぐな瞳が自分に向けられていた。

 日向は初霜の期待に押されるように、すぐさま頭の中の考えを整理していった。

 

「予定通り追撃戦に入る。敵部隊の背後に付き、安全を確保しながら徐々に消耗させる」

 

 日向の力強き言葉を受け、見つめ合った全員が大きく頷く。その言葉の内に潜む不安と、押し寄せる疲弊を感じ取れる者は、この時隊の中には誰もいなかった。

 

 

 

 演習開始より30分が経過しようとしていた頃、日向達一行は単縦陣を組んで榛名達の艦隊へ追撃戦を仕掛けていた。日向、名取、江風の順で、最後尾の江風が負傷した初霜を牽引して曳航している形だ。榛名の艦影を遠目に確認しながら、日向は現在の時刻を確認した。

 

「速いな…」

 

 もう榛名の艦隊を追いかけて五分以上が経過している。しかし、その姿は近づいて来るどころか、どんどん離れていっている様にすら感じる。傷ついた初霜を引っ張っているせいもあるが、何より戦艦と「高速」戦艦のスペック差が、大きく互いの距離を生み出している言わざるを得なかった。

 

 金剛型の速度は平均30ノット、比べて伊勢型の最高速度は25ノット。時速換算で10km近い速度差がある事になる。その速さを同方向の航行で埋めるのは至難の業ではなかった。追撃戦と銘打っているものの、互いの艦隊の距離が離れすぎていた。もし一斉回頭(斉Z)されれば、一気に不利な反抗戦に持ち込まれる可能性がある。しかし、幸運な事に敵部隊からはそう言った攻撃の気配は感じられない。前方を駆ける列の間から飛び立つ艦載機に、日向は目を細めた。

 

 

 

 昇って行く零戦を見送った後、川内は自分の前方で艦隊を先導する麗しき戦艦様に視線を向けた。普段は戦場においても優雅さを損なわない金剛型(かのじょたち)であるが、今日ばかりはそうも行かぬ様子で、大血を垂れ流す自らの手のひらを、榛名は忌々しげに見つめていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 川内の声を無視して、榛名は返す。

 

「艦載機の様子はどうですか?」

 

 榛名の突然の問いかけに、川内はあわてて上空を見上げた。渦を巻くように旋回する艦載機たち。その中の一機が、ひときわ大きく雲を沸き立たせた。

 

「予定数には足りませんが、大方想定通りかと」

 

 川内が再び顔を榛名に向けると、彼女も先ほどまでの川内と同じように大きく顎を上げて上空を見上げていた。航行の速度が先ほどまでに比べ、だいぶ遅くなっている。とろとろとした足取りを受け、「今日はよく止まるな」と川内はどうでもいい事を考えた。

 

「頃合いですね」

 

 飛び回る艦載機を目で追いながら、榛名がひとりごちる。

 

 日向に対して当てが外れたのは確かだ、奴はこちらの消耗を狙って長期戦に持ち込んできている。しかもその「読み」は大方当たっていると言えるだろう。露骨な消耗戦に持ち込まれれば、攻撃艦の少ないこちらは「もろい」。だが、無駄撃ちによる消耗だけを狙った長期戦なら、それは「そちら」の失策だ。

 

「勝ったぞ…日向!」

 

 自分の横で川内がカタパルトを撃ち放つ。

 上空を旋回する偵察機。その数はゆうに20を超えていた。

 

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