快晴の空。四分前まで青く澄んでいたヘソの空に大地が反射され、黒煙が立ちのぼる地獄の様を天井に映し出している。
ひび割れた滑走路に、屋根が落ちた資材倉庫。手足をもがれて尚、ニンゲンに尽くそうとする機械兵士たちがもがき、主人たるニンゲン達の亡骸に寄ろうとする。それも黒焦げからガラスの破片で剣山のようになった者達の元へ、である。気化した燃料の刺激臭が充満し、視界を炎の赤と煙の黒が覆って、ニンゲンの死を隠そうとしているようだ。
散発的に聞こえる銃声と怒号、そして赤子の様な泣き声が木霊して、消えて行く。生命と物資の無駄遣いは今も尚続いており、恐らくは天上の創造主に醜悪な喜劇を提供していることだろう。
それは戦。それはいつも変わらないヒトの営みなのかもしれない。崩れる瓦礫の音にニンゲンの悲鳴はかき消され、噴き出る炎に生きながら焼かれていく。それはこの世に天国こそないが、地獄は存在している証であると言えた。幸か不幸か、基地に連鎖的な爆発が生じ、図らずも突入の機会を得たイストとエッカートだったが、ニンゲンの基地に入った途端にイストは言葉を失った。
「――!」
「――?!」
自分達と同じ形をしていたはずのニンゲン達が何かを叫んでいる。イストにはその言葉の意味が分からなかったが、その方が幸せであるに違いない。彼らの多くは母や想い人を呼んでいて、死の谷に突き落とされて尚、それらの人々との再会を願い、叫んでいた。
それが今、虚無に帰る。自分がまだ幸福であったのだろうか? イストは死と瘴気に満ちたニンゲン達の住処を走り、そんな事を思う。孤独。それは生者にとっては地獄だろうが、死者にとっては生きているだけで羨みとなり得るのだから。
「ぼやっとするな! 走れ! 走れ!」
「はっ ハイ!」
イストは手を引かれ、三階建ての建物に駆けこんだ。足元に転がるアスファルトを蹴飛ばし、エッカートは銃を構えて周囲を警戒する。彼の勘はすでいくつかのニンゲンと機械兵士を捉えており、その奥にラーナらしき気配を察知していた。
近くに相棒がいる。普段なら無条件で喜んだに違いない。だが、この不可解な状況が全ての嬉々とした感情を吹き飛ばしてしまった。
「何がどうなってるんだ?」
感じる気配の中にヒトの物を見つけることが出来ない。ホギーの仕業の可能性を考慮しても、これほど大規模な爆破を起こすのはそもそも至難の業だ。廊下を進めば、進むほど、その疑念は強くなった。建物の中まで爆破されている、それはつまり完ぺきに計算された爆破であることを示していた。
「こんな……酷い」
「建物の奥までもか……引火性のガスと建物の構造を利用して熱風で焼き殺したんだ。えげつないことしやがる」
鼻孔を突き刺すような焦げ臭さと生ごみの様な匂い。白かったであろう壁は黒くなり、所々にニンゲンの手形が剥がれ落ちた皮膚と一緒に残っている。胎内の子供のようにうずくまった死体を避けつつ、エッカートはイストを背中に隠しながらライフルではなく、リボルバーを構えた。まだ生きているものが居る以上、戦闘は避けられない。
「こんな中で生きているだなんてね」
「殺すのですか?」
「……生きてりゃな」
愚問だ、と言いたげに答えたエッカートだったが、すぐに後悔した。残酷すぎる響きにイストが傷ついたように見えたからである。とは言え、冷酷に徹しなければ生き残れない。エッカートは染み付いた生存の術から、そうせざるを得なかった。見つけ、殺す。幼かった少年兵時代かも今もそれだけがエッカートの絶対唯一の戦場の歩き方である。熱気と悪臭を振り払い、銀色に輝く銃を手にイストの盾になる。
「――!」
歩いて行くと、プシュっと音がして、エッカートはその方向に即座に銃口を向ける。それは扉が開かれた音で、中からニンゲンが出て来た。その男は生きていたが死んでいるようにも見えた。垂れ落ちた皮膚を引きずり、片手を伸ばして向かってくる。
「――!」
「な、何? 何なのですか?」
ニンゲンはイストを見て、頬を吊り上げる。イストはニンゲンの目から暗い性欲を感じ取った。顔からブラウス、下腹部、脚とゆっくりと流れる視線にイストはローブで身を隠す。
死に瀕したニンゲンは久々の女の丸みを帯びた体を見て興奮していた。一歩、一歩と近づき、目の前に現れた女神に慈愛を請う様に両手を伸ばす。
「悪いな」
しかし、女神の前に立つ騎士には気が付かなかったらしく、慈愛も慈悲もなく、銃口を鼻っ面に押し当てられた。一発の銃声が鳴る。ニンゲンは大口径の拳銃弾にその頭部を粉々にされ、その人生に幕を下ろす。鼻から上を無くしたニンゲンが倒れると、イストは小さく悲鳴を上げた。
「か、彼はどうして……」
「女を久々に見たからかもね。これだけの施設が見つからなかったんだ。おそらく必死で息を殺して生きていたに違いない……息苦しくなるほど」
狭い廊下を進むエッカートが呟いた。汗が零れ落ち、喉奥を鳴らして進む彼に多くを語る余裕はない。この狭く、炎の熱気で視界を遮られる中では、一言放つことですら憚られる。天井から落ちて来た鉄骨や倒れた機械のせいもあるが、元々狭く、イストとエッカートが二人どうにか横に並べるかどうかの限定空間では何もかも制限される。
言葉だけでなく、長いライフルや体術すらも、だ。こんな場所に数年も過ごしてきたニンゲンの事を思うと、仇敵とは言え蚊ほどの同情は抱くほどである。この巣穴にこもって彼らは何を思って生きていたのか、イストもエッカートですら興味が湧いた。
「私と同じかもしれませんね……息苦しくて、解放感のない甲斐のない日々。怯えることに慣れきって、過去を想う事しか慰めにならない」
「ああ、そうかもな」
歩いて行き、一際大きな扉の前にたどり着いた。エッカートは脇に一旦隠れ、イストに「俺の合図を待て」と短く命令した後に深呼吸。蹴破って、中を検めた。挙動一つにも無駄なく、洗練された動作で隅から隅を確認し、銃口を下ろす。
「来い」
中に入れば、さびれた遊技場だった。軍用施設だけあって各部屋の扉は隔壁の役割を持っていたのかもしれない。乱雑に捨てられた雑誌を踏みしめ、何か分からない臭気に顔をしかめつつも、ニンゲン達の僅かな生気を感じることが出来た。
イストは書きつぶされたパズル本を拾い上げた。最早文字とは判別つかない程薄れたインクからは必死に楽しみ、生きようとした彼らにヒトらしさを感じる。一体何が違うのか? どこから来たか分からない、侵攻して来た、そんな大人たちの恨み言を思い出すイストに疑念が浮かぶ。
「私と何が違うんだろう?」
エッカートもラーナも触れ合えば、同じヒトであった。なら、ニンゲン達は? 此処まで来る途中で触れ合った二人によって一種の感性が広がったイストは思考する。こんな残酷な目にあうだけのためにこの地に来たわけではなかったろう、と。ふと、本の最後のページから何かが落ちて来たのに気付いた。
それは紙を折って作られた鳥であった。紙は薄く、ほんの少し力を加えれば破れてしまいそうにか弱い。繊細な手つきで作られた小さな芸術にほう、とイストは感心し、手のひらで包む。
「綺麗」
「へえ、ニンゲンってのは器用なんだな。この芸達者な事が出来るなら、銃なんて持たずにコッチで来ればいいのにな」
その出来にエッカートもしばし感慨にふけった。初めて触れたニンゲンの文化の一端は二人に清涼な風を運んできてくれる。イストとエッカートは破かないようにそっと拾い上げて、本に戻した。そして、イストは龍と魔女に祈る。
「どうか、彼らも導いてくれますように」
ほんのささやかな祈りの後にエッカートはイストの手を取り、先を進む。入れ組んだ居住区を歩き、狭いベッドや寝袋の隙間を縫うように。周囲に目を凝らせば、生活感に溢れた空間にいる事に気づく。コップや歯ブラシ、壊れた時計に割れた写真たてとガラクタだが、使い古された形跡に歴史、いや思い出を感じられた。
その使い古されたそれらはゴミに見えず、不思議と価値があるようにすら思える。まるで、幼き日の思い出の品のように。そには愛おしさにも似た何かがあった。
「お前の言う通りかもな」
「え?」
「コイツ等も思い出しか縋れなかったんだろうな。見ろ。どれもこれも古くて擦り減っている」
二段ベッドの継ぎはぎだらけのシーツから藁が飛び出ている。その上には十字状の物にはりつけにされた男の木造が祭られていた。その傍らに置かれた分厚い本は劣化が激しく、茶色く変色している。
むしろ極限まで薄いTVや何かしらの機械の方が幾分かマシで、まだ使えそうに見える。ニンゲン達が自分らヒトと同じような古い物にを何らかの精神的支柱にしているのは明らかであった。
エッカートは警戒しつつも、ベッドに張られた一枚の写真を見た。それは赤茶けた大地でほほ笑む男女を撮ったものであった。彼らが故郷だろうか。
「何で帰らなかったんだ? こんな場所にいたところで何も……」
何もない。エッカートはそう続けようとした。しかし、イストの顔を見て、続けるのを止める。ヒトそれぞれの価値観があるように、イストにはこの土地に意味がある。それを無視して、持論を展開するのはあまりに空気が読めない行為だ。
とは言え、エッカートの考えが変わるわけではない。やはり、此処は踏み入るべき場所ではなかったのだ。此処に住んだヒト、ここに来た兵士とニンゲン、そのどれもが不幸になっている。まるで神罰が下るように!
そして、その神罰は己にも今降りかかろうとしていた。突然、曖昧だったラーナの反応が近づいてきているのが分かった。それは、猛然とした速さで近づき、後少しの所で停止し、自分を待ち構えている様である。
「何だ?」
エッカートはイストを後ろに下がらせ、居住区を抜けた先、E3と書かれた部屋の前に立つ。傍らで「unlock」と彼には分からない単語が光っているのを見つけ、そこに指を伸ばした。
『ぶち込め! エッカー!3時だ!』
瞬間、相棒の声が脳に叫ばれ、エッカートは扉が開くと同時に電光石火の瞬発力を以って飛び込んだ。見たことのない植物に埋め尽くされた室内、植物の緑の香りの後に硝煙が鼻孔をくすぐる。指示された方向に大口径弾を三連射。あまりの早技に銃声が重なり、手で騾馬のように暴れる拳銃から竜の息吹が迸った。
「フン!」
重い25グレムの弾丸は確かに対象に命中した。肉を斬り先、骨を粉砕する重量弾は非音楽的な響きを放ち、マントで覆った大男の体が揺れる。反動で身体を強張らせたのも束の間、猛竜と呼ばれる強装弾が鉛の塊となって男の体からポロポロと落ちて来た。巨人すら怯む銃撃を三発とも、全て跳ね返して見せたことにエッカートは目を見張る。いや、それどころか発砲のタイミングに合わせたと言う点で驚かざるを得ない。
「マーベラス! こんにちは! 私ストレンジャー!」
「ニンゲンめ!」
「死ねぇ!」
木々から飛び出したラーナが手を振るう。爪が岩石のような床を削り、火花と共に斬りかかる。ストレンジャーのマントの端はしを斬り裂くも、独特なステップにラーナはその殺意籠るエネルギーを浪費していく。
「激しい! だがそれだけだ!」
烈風のように突進したラーナに合わせて、ストレンジャーはカウンターを入れた。鉄より硬い義手の裏拳が腹にめり込み、ラーナは血の泡と一緒に吹き飛ばされた。木の幹に衝突し、脳を揺るがした一撃に彼女は沈黙。糸の切れた人形のようになる。
「ラナ!」
ガラス張りの天上、太陽の下でストレンジャーが一瞬でエッカートの懐に入り込む。キラリ、と喉元に走る白刃を間一髪で避け、腹部に二連射。火花が二人の間に舞い、銃声に耳が切ない響きを出す。
「唯のニンゲンじゃない! 機械混じりか!」
ラーナの忠告は一歩遅かった。強烈な拳骨がエッカートの頭部を捉え、直撃。エッカートは平衡感覚を失いつつも、続くハイキックを敢えて背中で受け止め、コレを防御する。軍用トラックの体当たりの様な一撃は背負ったライフルをへし折り、遥か彼方に飛ばしたものの、距離を離すことが出来たことにほくそ笑む。
体勢を立て直したエッカートはバック転で距離を置いて、右手一本で銃口を突きつけた。ストレンジャーは血の滴るナイフを舌で味わい、エッカートを虎視眈々と観察する。肩で息をするものの、大型拳銃を一切のぶれもなく持つエッカートにストレンジャーは拍手を送りたかった。
一方でエッカートはストレンジャーの挙動の細部に注意を払う。胴体がダメならば、頭部は当然。だが、シリンダーには一発の弾丸もない。腰に左手を伸ばせば、クイックローダーを取り出して、銃に命を、即ち弾を装填できるがそれを奴は許してくれるだろうか?
万が一を考えればすぐに反撃ができるナイフを取るべきだろうが、近接戦では強装弾をぶち込んでも怯まない胴体の持ち主には分が悪い。
伸るか反るか。エッカートは第三の選択をした。左手にローダーを掴みに行くと、ストレンジャーがまたしても距離を詰めて来た。
「魔女に会いたいか?!」
そこでエッカートはばらした弾丸を地面にまき散らし、左の薬指を向ける。そして、その指先から蒼き無形の刃を飛ばしたのだ。雷は光、即ち音より速し。ストレンジャーの目の前で弾丸に最速にして最強の矛が突き刺さり、誘爆。一種の散弾となった金属片と火薬片が全身を襲う。
ストレンジャーはこれによって足を止める。義手と身体に跳ねた高熱の破片に悪態を吐き、尚も挫けぬ闘争心でエッカートに迫るが、少年のリボルバーは既に装填済み。シリンダーから覗く真鍮の金色が彼の本能に警告を発していた。
「貴様も魔女か?!」
「不本意ながら、だ!」
ジグザグに、大胆な動きでストレンジャーはエッカートの射線を回避する。弾丸を手拍子としたダンスが始まった。一発、二発、三発と物騒なミュージックが進むたびにエッカートは焦り、ストレンジャーは勝機を見出す。息を乱せばストレンジャーが死に、弾を切らせばエッカートが死ぬ。
大口径弾が髪を刈り、髯を短く剃られながらも笑うストレンジャーと対照的にエッカートは全く余裕がない。彼の魔術の心得は普段の“勘”とは違い、攻撃に転ずると激しく消耗するからだ。
負ける賭けに出てしまったのか。エッカートは己の選択に後悔しつつも、徐々に接近するストレンジャーを狙い続ける。残り3発、仕留めるのは一発で済んでも、当てるのに何発必要なのか。
「クソが!」
五発目に差し掛かり、エッカートにはいよいよ後がない。あと一発、その焦りが彼を死地へと追い込んだ。ストレンジャーは蛇のようにスルリ、とエッカートの視界から消え、組み伏せると同時に右肩に大型のナイフを突き立てる。
「エッカート!」
イストは悲鳴を上げ、杖を向けるがエッカートを盾にされて軌跡を放てない。身を焦がすかのような痛みにエッカートは叫び、おびただしい量の血液をまき散らす。血の毛引く、体温が急激に下る感覚に陥れば視界が暗くなっていく。
「やはり、魔女も血は赤いんだな。それとも、赤くない方が幸せかな? エッカート君」
「……うるせえ!」
絶叫代わりに反論するエッカートにストレンジャーは気味悪い笑みを浮かべた。
「そうだよな。魔女だって認めたくないんだ君は。相方とそっくりで可愛げのない。さて謳おうか。エッカート、聞かせてくれよ。君は魔女か? それも本物の」
「魔女?」
「……黙れ!」
瞳を大きくするイストに、獣のように吠えるエッカート。本物の魔女とは何か。錯綜するイストにストレンジャーは自身の企みが徐々に進行しつつあることを確信する。無知なイストは彼の毒蛇のような計画には最もふさわしい生贄であった。
「そうだ、お嬢さん。こいつは本物の龍か、魔女かのどちらかだ。俺はあの敗戦の日にコイツラがなるのを見たんだ」
「違う!」
「違うものか。考えたことあるか? どうして二人だけでこの地に来ているのか。 何故、君に優しいのか。何故、二人だけが雇われているか? それはな、俺と同じように魔女と龍の到来を望む者がいるからなのさ」
魔女と龍がエッカートとラーナ。イストには悪い冗談でしかなかった。神がすぐ近くに居たと言われて信じるわけがない。しかし、イストは何故か鼓動が激しくなるのを抑えられない。
「最も確証あってのかどうかは知らんね。俺は長いこと調べて来たんだ。そして、いくつかの仮説を作った。一つ、少年少女であること。二つ、可能な限り追い詰める。三つ、ヘソの地であること。四つ」
「聞くなぁ! イスト!」
エッカートの忠告はストレンジャーによって遮られ、その四つ目を言い放った。
「空のヒトであること。つまりは、過去を持たない、人形であることだ」
イストの心に波紋が起こる。それは大きく、途絶えることなく、やがて巨大な波となっていく。イストは最初こそ、理解しなかった。何を言っているのか、狂人の戯言だと信じて疑わなかった。だが、何故かそれは彼女を突き刺す一本の槍のように、心を刺し穿っている。
「君はこの十年間何を見て来た? 何故戦争について語らない? 戦争の中で生まれた歳の癖に何故純粋そうな顔をしているのだ?」
「何を……」
「君は思い出を持っていると言う。だがそれは酷く断片的ではないか? そして、君はきっとこう思っている。『私には使命がある。それを果たさなくてはヘソの地を離れられない』
君の使命とはなんだ?」
「止めろ! それ以上は!」
「答えろ! 君の使命は?!」
イストは記憶の扉を叩く。そこにはいくつもの想い出と言う宝箱が置かれている。いずれも鍵がかけられていて、自分で開けることが出来なかった。しかし、今彼女はそのどれもを外すことが出来る。ストレンジャーと言う蛇が入り込み、彼女に開け方を囁いたのである。ストレンジャーの祖国で語られた、蛇が女性に知恵の実を食すように誘ったように。
一つ目の鍵を開ける、祖母も母も顔が思い出せない。二つ目、故郷がどこか分からない。三つ目、キルクの実の茶など知らない。いくつもの鍵を開けては空の宝箱が見つかるばかり。何もかもが想像でしかなく、ただ箱の豪華さに中身を妄想していたに過ぎなかった。
「私は……」
砂の城が崩れるように、自分が消えて行く。何もない自分が見つかるばかりだ。そう思っていると、最後の記憶が残っていた。
「私の使命は……」
禁断の箱に手をかける。それは容易く開けることが出来た。
「私が……龍になる……こと」
小さな答えはエッカートにとって忌むべきものであった。いつもと変わらない、自分達の時と何ら変わらない“使命”。ヒトに、それも子供にただ炸裂する爆弾となるように指示する邪悪さに両肩が震える。抱く怒りにエッカートは痛みを忘れてもがく。
「またソレか! まだそんな事を強いているのか!? 」
「それが君ら兵器である魔女、あるいは龍なのだろう?」
「ふざけろ! 畜生!」
「そう言うな。これも俺の豊かな食生活と帰省のためだ。おっと羨ましいか? 故郷がある俺が?」
圧倒的な力にエッカートは何もできない。大人と子供の差を見せつけられてるかの様な状況に激怒し、無力さを嘆いた。肘鉄を喰らわせ、足で蹴りつけようとストレンジャーは嘲るような笑みを浮かべるばかり。軌跡を行うには血を流しすぎたか、上手く集中できない。
抵抗に反抗。それらを潰してストレンジャーは更に嗤う。真実に気づかされたイストから感じる波動が広がり、何時ぞやの感覚がエッカートに蘇った。全てが偽りで、ヘソの地で破壊を渇望した自分が変わったあの時を。自分が自分で無くなる魔女と龍への鬼道はもろ刃の剣なのだ。
それが今、イストに起きようとしている。
「それでも、私は」
イストは残った僅かな自分を拾い集めて抵抗している様であった。まだ間に合う。エッカートは脳全ての思考回路を総動員して打開策を練ろうとする。
「イストォ!」
その名を叫ぶ。しかし、因果律によって定められた運命は尚もイストに、いやエッカートやラーナも含め、過酷な選択を強要するものなのか。天井が崩れ、ガラスの雨が一体に降り注ぐ。長いローブが降りれば、共に重武装をした男たちが次々と着地し、突撃銃や機関銃、機関砲と様々な得物を向ける。
よく磨かれた銃身からは青い光が、刀の紫電のように煌めく。
猪頭に、狼頭。中には一つ目の巨人すら降り立ち、冷酷で何もくみ取ることができない冷たい目を一斉に向けた。剣虎の横縞模様の密林用の迷彩に身を包み、魂すら魔女の目から隠すことが出来る精鋭、メイズリー国第一竜騎士師団 第五小隊。
「動くな! 武器を捨ててひざまづけ!」
厚い筋肉と断固とした意志、最新の銃器で武装したならず者の中に白く美しい髪を持つ褐色の士官が降りたち、見据える。戦女神と称してもいい、美しさにエッカートとストレンジャーは一瞬見惚れた。
「大尉殿」
誰かがそう呼び、報告した。
「“目標”を発見。確保します」
目標。やはり、彼らもまた、モノとして呼称する。瞬間、エッカートはイストの心が瓦解する音を聞いたがした。
「誰でもいい」
エッカートは髪が伸びて行くイストを見て、独り呟いた。
「イストに自分を思い出させてやれ。そうしないと、皆自分を失うぞ」
願いは一つ。イストに鏡を。自分が自分であると分かる鏡を一枚、差し上げてくれ――
割れたガラスにイストが映る。それは、もうイストではなかった。
拙い身ですが楽しんでいただけると嬉しいです。