南の国、オズは三大国の中で最も小さい国家である。
雪が降らず、気温は温かくて陽気な国風が特徴である。長く続いた王政を打破した革命政権の元で製糸業と農業、特に砂糖の栽培が主な産業で、緑と太陽に愛された国はドラゴニアを組んでも変わらず、情熱的な音楽と共に生活している。
これには国民性が大きく関係していた。元々植民地が集中していたこともあって、陰惨な奴隷貿易や植民者が来てプランテーションを作り、そこへ労働者が多数訪れて、様々な種族が混在するようになったためなのだ。
この国では「混血こそが我らの心」という言葉があり、種族と共に多様な文化が複雑に混ざりあった。そしてそのきっかけを作ったのが、言葉ではなく音楽であったのだ。歌の意味は分からなくとも、祖先たちは互いの音楽を耳で聞き、自分達の伝統の音を重ね合い、そして解りあったと言う。
そのためか、道路を走る自動車からは様々な種類の音楽がラジオから流れていた。その例を示すように、高速道路から降りて来たボロい黒いタクシーの窓の隙間から打楽器の軽快なリズムが漏れている。
車内で寝ていた少女はラジオの曲が変わったことで起き、まだ回転の鈍い頭で瞼をこすっていると、まばゆい光が彼女の目を刺激した。
「うるさいなぁ」
「おっと、ごめんよ」
ラジオが切られて、音楽が消える。
並木の緑の隙間から光が差す。空は青くて白く小さな雲が薄く見えるだけで、快晴の空は道行く人々全てに夏の陽気を与えている。とは言え二つの光る太陽がさんさんと照るので、暑いことこの上ない。
竜骨粉で舗装された道路も熱された鉄板のようで、タクシーの窓から見える遠くの景色は陽炎でユラユラと揺れていた。炎天下の中を進むスーツ姿の獅子頭のビジネスマンや制服姿で結晶化したエルハイムの花を舌で溶かしながら食べる女学生たちを何気なく眺めていると、誰もが心を弾ませ陽気に踊りたくなるような音楽がラーナの狼の耳に流れて来た。
路上で演奏を行っているらしく、手拍子に三重の弦をもつフィデロル、潰した空き缶や金属バケツを打楽器代わりに叩く。此処まで見て来た景色の中で様々なヒト達が見られていた。二人分はある身長の女子学生に、狼の頭を持つサラリーマン、演奏者も鱗を持つ者からトカゲの様な頭を持つものまで見ていて飽きない。
彼ら皆、合奏に小躍りして歩道を進み、即興の歌すら口ずさむ。すると楽器に歌声、靴音と混ざり合って陽気な音楽の輪が広がっていく。それは、先のラジオと違って何とも心地よかった。
「今の演奏はちゃんと聞きたかったな。特にフィデロルのおっちゃんの腕が良かったよ。歳食うと楽器もよくなるのかな」
「お仕事、お仕事。外ばっか見てないで、この後について考えなさいな」
愚痴る少女を隣の男が諌めた。しかし、少女は外を見ることを頑としてやめない。オズサソリのマルタ草巻きを売り歩く六輪オート車に巨人とヒトのハーフの一家が詰め寄って、彼らの小指程しかないソレを食べ歩くのも、流行の刺繍が縫われた服を着る狼男と美女のデートも彼女に取って楽しい物であった。
『本日! 八番通りメコン通りで夏の大安売り! 貴方に新鮮さをお安く提供しま――』
空では子供の飛竜が身体に結晶電池付きの拡声機を身につけてお空の広告を行っている。聞きつけた猪や狼、ヒトの頭の奥様方が四足になって急いで向かう。
「今日も今日とて平和。本日のメコン通りは安売りの激戦区でありますってね。あの脚なら子供の運動会でも大活躍よね」
車内には三つの種族がいた。後部座席にはネクタイがないスーツ姿のガラの悪そうな男とパーカーにホットパンツの狼の耳を持つ少女がいて、運転席には猪の頭を持った男が似合わないYシャツとネクタイ、それにハンチング帽をかぶっていた。
「熱いな。クーラーは?」
「悪いね、燃費の節約でね」
後部座席に座る男 エッカートがぼやき、運転手がバックミラー越しに返した。彼は舌打ちし、ジャケットを脱いでシャツの上のボタンを二つ開け、丸く刈った髪の毛を掻き、ついでに側頭部の髪の生えてない傷跡を撫でた。生々しい傷跡に運転手はチラリと目をやった。気になったが、それに触れることはしなかった。
「お客さん、行先は七番通りの{歩く魔女探偵事務所}だっけ?」
「そうだ」
「最近どうなの? 景気とかさ。物騒な事件も多いし、儲かってるんじゃないの?」
運転手の声には皮肉そうな響きが混じっていて、エッカートは苦笑交じりに返した。
「そうでもないよ。 戦争帰りがえばり散らしているのを僕達は説得しに行くだけだし」
「ストの連中をいじめるのがかい?」
「 “説得”だよ」
運転手は信じることができなかった。彼の言い分もだが、何より二人の見かけが二十に届いているか疑わしかったのも彼の疑いを強くした。
「ソレにしちゃ、若いなアンタ」
「いいじゃないの」
そこへ、窓を眺めていた少女 ラーナが割って入った。顔を運転手の方へ向けると半分欠損した耳が露わになった。運転手は気の毒に思った。卵型の整った顔に大きな瞳、クルミ色のショートボブが可愛らしい女の子にはその傷はあまりに生々しかった。
「アタシみたいのも働けるのはいい事じゃない。お仕事、お風呂、ご飯にベット。偶にサコー豚のステーキを食べる、ついで言うとアナタの今日の上がりも潤うのよ。皆幸せで結構な事じゃない?」
「ま、そうだけどさ。運転を仕事にして十年、アンタらみたいなお客も増えて俺は世の中の移り変わりを感じているのさ。そう、まくし立てないでくれよ。気を悪くしたのなら謝るよ」
ラーナは目を丸くし、曖昧に笑いながら「そうじゃないよ」と否定した。運転手とラーナの世間の認識の違いが表れただけであったが、運転手は二人の傷を見て、怒らせないように気を遣っていたのだ。
卑屈に笑う運転手にエッカートは息を一つ吐き、早い所事務所についてくれることを願った。この世界の象徴の「龍と魔女」に。
だが、願いは聞き入れてもらえずタクシーは目的地まであと僅か、十字路で交通整理する警官に止められた。周りも同じであり、ドライバー達の前を数台の大型トレーラーと幌がかかった軍用トラックが横切りだす。
「こんな時に」
エッカートは天を仰いだ。ついでに料金メーターの数値が上がったことにため息を一つ吐く。反対に運転手は二カッと白い歯をのぞかせた。
「お客さん、下りないでね? クーラー強くするからさ」
「今更かよ?」
ラーナは身を乗り出して、横切るトレーラーの群れを見た。オズ革命軍の深緑とカーキの迷彩の車体の上には連合軍の兵士の一種である、翼のない竜、“這竜”が身体を丸めている。
ヒトの手ではとても再現できない最高の硬度をほこる鱗を持ち、長い手足と尻尾、鋭い牙を持つ、龍の末裔たち。腕を振るい、尾を叩きつけ、口を開いて息吹を吐いて先の大戦で人間の{センシャ}を屠って来た英雄たちだ。
巨大な腕や体躯と顔の上に装着させられた鎧の様な装甲“竜甲”は新しいが、その下の傷がついた鱗が歴戦の証である。一匹の這竜の赤く光る眼が二人と目線が合わさると、懐かしむように目を細める。エッカートは小さく敬礼し、ラーナは手を振った。
その後にトレーラーが三台続き、その後ろでは両腕に機関砲を取りつけ、背中にその弾倉が詰まった背嚢を背負った一つ目の巨人たちが続く。ドラゴスケル――軽く丈夫な竜の鱗を詰め込んだ装甲服に全身を包んだ怪物の最後尾の二匹が大きな鎖を引いて行く。
「見ろ、ニンゲンだ」
「汚いわね……ああまでなっても生きたいのかしら?」
そこから続いたのは行く戦装束に身を固めたヒトではなく、かつての加害者であるニンゲンが続いた。ヒト族と違い白い肌を持つ彼らは鎖につながれて、衣服を剥がれたまま、ただひたすらに歩く。男も女も関係なくやせ細っており、痣のついた乳房が痛ましい。敗者の列から一人倒れても、誰も気にしないし、巨人も面倒くさそうに鎖を引くだけである。
彼らの多くは収容所で農奴のような暮らしをするか、その途上で力尽きるかのどちらかだろう。
「嫌な物見せやがって」
「アイツら、リヒャルトの森に隠れ住んでいたらしいぞ」
「国境付近じゃないか」
ざわつく観衆にラーナは小ばかにしたような口調で言った。
「褒めてやりなよ。ちゃんと害虫駆除したんだからさ」
ラーナのつぶやきにエッカートは小さく笑った。小さな軍事パレードはしばらく続き、喝采ではなく運転手たちの無言のひんしゅくを浴びながら通り過ぎて行き、タクシーはようやく動き出した。
「金喰い竜にサイクロプスが。戦争なけりゃ、やることは弱い者いじめと交通の邪魔ときたもんだ。税金泥棒共め」
「軍人が暇そうにしてくれるのが一番さ」
「そうそう。それにホントは嬉しいくせに」
かつて暴君や天災として恐れられた二種の種族の兵に運転手は愚痴ったが二人は口々に反論した。料金メーターの数値がまた上昇していた。運転手は「おっと」と数値を見てニコリとする。
「こりゃヒト稼ぎしてもらっちゃったね」
「それで上手い肉でも食いな」
「そうだねえ、三つ首牛のシチューと行くかな」
安いメニューを選ぶ運転手のセンスを疑っていると、目の前を今度はローブ姿の団体が遮った。運転手が慌ててブレーキを踏んで急停止すると彼らは大声で車道の真ん中で叫ぶ。
「聖地を! ヒトの始まりの地、ヘソの地を奪還せよ!」
「我らに祝譜を! 魔女と龍は貴方方の行いを全て見ているぞ!」
今度はヘソの地の住人で、20名程度の集団が交通を妨害していた。それだけでなく、偶々すれ違った男女を押しのけて、ヒト族の女性を倒れさせた。
「オイ、アンタ!」
男の方が叫んで非難した。ラーナ達が見ると女性の華奢な体と思いきや腹部は大きく妊婦であることが見て取れた。男はそのことでヘソの住人を罵倒しまくったが彼らは逆に男を非難し、あろうことか一人が女性の元へと寄って足を上げた。
「何をする!」
「この様な時に情事にふけるとは不逞な奴!」
踏みつけようとした時、ヘソの狂信者の足をラーナが掴んでいた。誰も気付かない内に入り込んでいたラーナに皆が驚く。女性は突然の守護霊のような彼女に最初こそ安堵を覚えるが、それも長くは続かない。
「不逞? アンタの粗末なもんよりずっとマシよ」
その目、顔、全てが殺人者のそれであったと知れば感謝の念は恐怖へと早変わりする。傷のある耳がラーナの恐ろしさを更に掻き立て、大きく伸びた爪がブーツを引き裂き、信者の足を血に染めていた。
信者たちはラーナに恐れ、情けない声と共に逃げて行く。
「大丈夫?」
微笑みを浮かべてラーナは振り返ったが、その時には男女は背中を見せていた。危うきヒトには近寄るべからず、感謝すら忘れて逃げた二人の背中にラーナは祝福を意味する投げキッスをしてタクシーへと戻る。
「降りるぞ」
「もう?」
エッカートが短く言って、ラーナは小首をかしげたが、しばらくして「はいはい」と同調した。
「ごめんね、運ちゃん。稼ぎそびれちゃったね」
ラーナが笑い、運転手が不細工な顔でしかめっ面を披露する。あと少しで1万2千フォード、彼の長年のタクシー歴、最大の稼ぎまで後二分走れば達成と言う所で停車となってしまった。エッカートが魔女の箒が描かれた紙幣を払い、ラーナが一足先に車外へと出た。
「領収書を頼む」
「面倒だねぇ」
運転手がエッカートの指示通りに領収書を書いていると運転手はその名前を見て、「本当にこれでいいのか?」と訊いた。エッカートはただ頷き、余分に1万フォードを彼の胸ポケットにねじ込んでタクシーから出た。
「仕事頑張れよ。戦争帰りは荒っぽいからな」
「そっちもね」
ラーナはチラリと運転手の後ろ首に見えた傷を見やって、尻で扉を閉めてやるとタクシーは走り出した。ラーナが小さく手を振っている隣でエッカートは深呼吸をして肺の空気を入れ替え、ついで身体を伸ばす。狭い車内は彼にとって窮屈その物であったのだ。
だが仕事はこれからだ。身体の調子を整え二人は事務所の入り口へと進んでいく。歩く速度は二人共同じでシューズの鳴る音まで一緒にして、回転ドアを通ってエレベーターへ。
「にしても良かったのか? タクシーなんて使って」
「どうせ払いはアタシらじゃないしさ。」
「そうじゃない」
「イチャツキ禁止」と紙が貼られたエレベーターに入り、エッカートは一拍置いてラーナに言った。
「人と会うだろ? 顔を見られる」
「私、お喋り好きよ?」
「俺と話せよ。金も手間もかからないし……いや、そんな事なかった」
「ヒトを面倒な女と思って。 大体女の子はお金と時間がかかるってよく知ってるでしょ? その割にこの前は“男”にも時間とお金を割いてたけど」
「思い出させるな。その話は」
エレベータ―の中に自分らしかいないことをいい事にプライベートに立ち入った話を彼らは始めた。ニヤつくラーナの言う男とは、まるで女の子の様な男で、彼女がいなければもう少しでエッカートはベッドで見慣れた物を二本見るところであった。
自分の審美眼を馬鹿にされ、しばらく”悪食エッカート”とからかわれたことをエッカートは千年は恨むことにした程だ。もしかしたら、新境地を発見できたかもしれない、とラーナは事あるごとにからかって楽しんでいるが、彼にも男のプライドがある。
「いや、思い出してもらわなきゃ。感謝しなさい、もっと。ホラ。さあ」
故にやられっぱなしにはいられない。
「それ以上言うと、お前のラップダンスのビデオを近所のオヤジにばら撒くからな。本気だからな」
エッカートの反撃。ラーナは自分を見下ろして嗤うエッカートを睨む。ラジオで自分の容姿を事細かく書いた手紙を送り、それでラーナを口説く男が何人来るかで賭けをしてラーナは敗北し、蜘蛛の巣を踏襲したデザインの下着で彼の前で腰をくねらせ、魅力的な尻を突き出す羽目となったのだ。
あの時の惨めさと言ったら! ラーナはその女としての悔しみに引きつらせる。
「いいこと、エッカート。アンタのおつむとお顔の良さは知っているけど。ハッキリ言って性根は腐っているわ。何よ、内面はホギーの豚面みたいに醜いくせに」
「種族差別はよくないなあラーナ。仕方ないだろ、俺とどっこいどっこいなお馬鹿で品のない相棒と付き合っている内に俺も感化したんだ」
「相棒? 誰の事よ?」
「狼耳の尻だけデカい少女だ。ちょうど俺の前にいるなあ」
「野郎とヤッテろバカハゲ」
お互いに触れてはならない部分に触れられ、エレベーターの中の気温は急激下がっていった。二人は時間さえ許せば、口ではなく肉体言語で分からせるところであったが、上昇するエレベーターが目的の階に到達しそうなのを見て嘆息する。唐突にお互いの腰に手を回し、体を密着させて囁き合いだす。それはエレベーターの規則に反していた。
「魔女と龍に誓って汝の敵を愛し、拳を開こう。さすれば博愛の徒である。だがお前はダメだ」
「魔女と龍に誓って汝の敵を愛し、拳を開こう。さすれば博愛の徒である。でも、アンタだけは別」
チン、とエレベーターのベルが鳴って、扉が開いた。すると、歩く魔女探偵事務所の階にたどり着いていて、ちょうどエレベーターに乗ろうとした狼頭の職員二人と、たっぷり脂肪をため込んだ男が一人、その三人はエレベーター内の男女を見て、一瞬ギョッとした。
「誰だアンタ達」
「おい、こんな所で盛るんじゃあ」
狼男が二人を引きずり出そうとした。すると、エッカートが狼男の足の甲を思い切り踏みつけ、顎に肘鉄、距離が離れた所で続いて右ストレートで吹っ飛ばし、もう一人がエッカートに気を取られた隙にラーナが首を掴んだ。
バチリ!と軽い音ともに青く光れば、二人目は白目を向いて意識を失ってエレベーターの外に倒れ込んだ。
「う、うわ!」
男が逃げ出そうと足を動かす時には二人は男の襟首をつかんでいた。エレベーターに引きずり込まれ、壁に顔面を叩きつけられる。そして、ラーナがエレベーターの下へのスイッチを押して社長を追い詰めた。
「やあ、社長。出会って早々の失礼を詫びるよ」
「少しイイ事しようよ。社長」
「誰だ!? アンタ達」
だが、驚くことにガードの一人が立ちあがって主人の危機に飛び込んできた。電撃を喰らったのを頭を振って克服したのだ。ガードの狼男は拳を振り上げてエレベーターの鉄の扉を片手一本でぶち破り、ラーナの後ろ首を掴み、宙に浮かせる。
「この!」
「逃がすか! ガキが! 細切れにしてやる!」
二度、三度と電撃を浴びせたが狼男は元軍人なのか、予想以上のタフネスを見せた。ガードがナイフをラーナの首に当てて警告する。
「動くなよ! お前ら二人共……」
その後にガードの絶叫が血しぶきと共に上がった。よく発達した牙が6本あった指を食いちぎったのである。そこをエッカートが長い脚で蹴り出し、もんどりを打って倒れたところでエレベーターはようやく下へと降りて行った。
ラーナは口から指を吐きだし、相棒に向かって親指を立てた。
「なんだ! なんなんだ!」
社長、つまり探偵事務所のボスは首回りの脂肪をプルプルと震わせ、唾をまき散らして怒鳴ったが、エッカートに平手打ちをされた上に鼻をつままれて黙るほかなかった。
「大佐の工場でストを起こさせたって? お仕事は熱心にしなきゃならないけど、ズルは感心しない。と言う訳で、やめてくれないか」
「何の話かわか……!」
「口は{はい}か{いいえ}だけを述べるように」
鼻を持ち上げられて、社長は呻いた。顔を真っ赤にして目には涙さえ浮かべていた。
歩く魔女探偵社は探偵社とは名ばかりで、実際に行っているのはストの鎮圧、労働者の行動の監視などの汚れ仕事、暴力を生業とした会社である。
そのために軍隊崩れを雇ってはか弱き市民を苛め抜くわけだ。だが、ストライキが多発しても常に彼らが頼られる訳ではないし、本来の探偵会社としては三流もいいとこであったので、ストを起こす方にも手を伸ばした。
その結果が龍の尾を踏み、魔女の箒を荒らすことになったのだ。
「で、ハイって言ってくれない?」
社長が首を横に振った。すると、エッカートがラーナの方を向き、顎をしゃくった。ラーナは心底嫌そうに渋面をしたがエッカートが社長のパンツを指さして、強く要請したので、折れた。ラーナは社長の体に馬乗りして、股の下のモノを掴む。
瞬間、社長が絶叫した。
股間からスパークが走り、灰のスーツパンツは焼けて真っ黒に。同時にエッカートも手を抑えてのたうち回った。彼も手を通じてラーナの技を喰らい、叫ぶ
「バッカ! 俺が掴んでいる時にするな!」
「うう、この感触相変わらず気持ち悪い……てことで、ハイって言わない?」
ラーナはエッカートを完全に無視して訊いた。社長はなおも果敢に抵抗した。
バチリ! と社長の目が一瞬真っ白にされる。
「ハイは?」
バチチ! と今度は二秒間ゆっくりと。
「ハイって言えよ」
エレベーターが一階へと近づく。社長はフー、フーと息を荒げていたが首を横に振った。
「さんハイ! ハイ! もっかい言ってみて!」
魔女の笑顔は三度まで、と言う言葉がこの世界にはあるがラーナは二回で笑顔を止めて犬歯むき出しに迫る。彼女の慈悲の心は常に在庫不足で首を縦に振っても、「ハイ」の一言が述べられるまで社長を責めに責めるつもりでいるのだ。
バチバチとパンツが黒く焦げ、社長は耐えきれず失禁してしまい、ラーナの手を汚したことで更に威力が挙げられて、彼は豚の様な悲鳴を上げた。人様の庭にちょっかいをかけただけで、こうなるとは社長は全く予想していなかったろう、青い光が男の尊厳を奪い、奪い尽くそうとした時、社長は口から泡を吹いて叫ぶ。
「ハイ! ハイ! ハイ! ヤめル! 手を引くゥ!」
「言ったな? よし!……もう手離してイイ?」
ラーナがうるんだ瞳でエッカートに哀願する。大きなエメラルドの様な瞳が上目づかいで来ればときめきの一つも覚えそうだったが、エッカートは彼女の本性を知っているし、なにより絵面が非常に奇怪なために苦笑しか出なかった。
「いいんじゃない?」
「よっしゃ!」
そこでラーナは指を鳴らして、思わずジャンプしたのだが、それがいけなかった。うっかりコントロールを忘れたことで、遂に社長のパンツは発火した。
チン、とエレベーターが一階についたベルが聞こえた時、二人は猛ダッシュで逃走した。
△
ラーナとエッカートの二人はホテルの一室にいた。床は{魔女の笑み}と呼ばれる高級木材の床で、シックな雰囲気を損なわないようによく磨かれ、ガラスではなくクリスタルで出来たテーブルと椅子はキラキラと輝いている。
窓からは街の夜景が見えて、街灯のロギ結晶がグリーンの輝きを発して道を、道行く人を照らしコンクリートジャングルを美しく魅せていた。
「いい景色だ」
二人の後ろにはバーカウンターがあり、二人のボスが龍杯という高い蒸留酒をダブルで飲んでいた。ボス、ロクスウェル大佐はウルフィの男で、オズ革命陸軍の藍色の制服に同じ色のベレーを被っていた。彼の右頬の肉は欠けて、奥の歯までむき出しで彼の顔の右側は常に笑っているように見えた。
先の大戦でオズ国の最高の栄誉、オズの紫水晶付き魔女の箒勲章を受勲し、その後貪欲に功績を立て、“出世の虫”や“痩せ狼”とあだ名されている彼は笑いしか見えない右側だけをラーナとエッカートに見せて、語った。
「戦争前は無駄で溢れていた街に、更に無駄な物が増えたとしても此処の景色はいい。無駄なんて、と言う者もいるが、こうして無駄を愛するのも一興だ。考えてみれば無駄は贅沢の裏返しでもあるかもしれない。見よ、このエネルギーの無駄遣いを。実に美しい。そして腹立たしい」
低く笑う大佐にエッカートとラーナは互いに顔を見合わせてげんなりしていた。大佐は軍隊では拙速こそが最善と語るくせに、話だけは前置きが非常に長いことで二人はうんざりしていた。
願わくば説教も迅速に終わらせてほしいと二人は願った。
「今回も何だ? 無駄ばかりだ。 ボヤに? タクシー代? しかも長距離とは恐れ入った。いつから、私の金で贅沢をして火遊びするようになった?」
「火遊びではなく、発火です大佐」
「あと燃えたのはパンツだけよ……あ、中身も」
「知っている」
ロクスウェルは一度鼻を鳴らし、呷るように酒を飲みこんだ。右頬からこぼれる酒を手で拭って正面から二人を見た。右は笑っても、無事な左は笑ってはいなかった。アルコールの匂いが混じるため息を吐き、クルミを殻ごと口に放り込んだ。
殻を砕き、耳障りな音を立てて飲み込む一連の動作は大佐を文明人としてではなく、野生の獣としての荒々しさを強調しているようだった。
「お前たちは友人だ。そして戦友でもあるから大目に見る。だから言おう、無駄はやめろ。それとも、恐縮ですが仕事に無駄を挟まないでいただけるかな? と丁寧に言わねばならないか?」
「そんな事はない大佐。俺からコイツに言っておくから」
「アタシが悪いのかよ?」とラーナは抗議しかけたが大佐がグラスを傾けずにじっと彼女を睨んでいるのに気付き、バツの悪そうな顔で「ごめんなさい」とエッカートの背中に隠れた。
「まあ訓示はここまでにしよう、次の仕事をしてもらえないか?」
「アラお早い」
エッカートは飄々と言って、大佐の前でおもむろに姿勢を正し「用件はなんでありましょうか? 大佐殿」と敬礼をして見せた。大佐はこめかみをヒクつかせたが、ソレも一瞬で「おい」と護衛を呼んだ。部屋の外から屈強そうなブラックスーツの護衛達が入って来て、手錠で繋がれたケースを護衛の手から外し、中の書類を手渡した。
「今になっても手渡しってのがねぇ」
「これが最も確実な方法だ。電話や紫晶を使った長距離通話も完ぺきではない」
エッカートは書類に目を通す。その間にラーナは頭の上で腕を組んであくびをしていた。護衛の者達はラーナの態度に不快感を覚えたが、怒るのは自分達の仕事ではない以上、余計な事はせず、持ち場へと戻っていった。
「本当にコレを俺達が?」
「そうだ。頼みだとも」
顎を撫でてエッカートは顔から笑みを消し、目を鋭くした。大佐は左の表情筋を吊り上げて笑い、腰のベルトに吊り下げたホルスターが空になっているのを見せた。
「信頼してくれているのは嬉しいね」
ラーナが皮肉そうに言った。エッカートと彼女は大佐の腕を知っていて、彼がその気になれば気付かない内に胸をオートマチック拳銃で射抜かれる事を理解していた。そして、大佐が銃を持っていないことを示すことで二人に拒否権があり、互いに対等の対場であることを示すのがお馴染の行事だった。
だが、二人は実のところ生身でも大佐に勝てるかどうか懐疑的な所であったため、あくまで大佐の意志表示でしかなく、護衛も一応控えているので対等な立場にあるかは微妙な所だ。そんな大人のズルさにラーナは辟易する。
「でも、どうして?」
エッカートが問うと大佐は首を横に振って答える。
「1君たちが私の友人であること。2、君たちが優秀。3、行先が君たちなら地理に明るい」
「優秀だって?」
「そうだとも」
大佐はラーナとエッカートを指さす。二人は
「“魔女の軌跡”」
二人は鋭い目で大佐を見た。ラーナは拳を固めては放していた。そのたびに、小さな稲妻が彼女の手のひらの中で起こり、その破裂音が不穏な空気を緊迫したものへと変えていった。
それは二人への禁句。唱えれば破滅を誘う呪文であった。
酒棚が揺れて隣接する瓶がこすれ合い、グラスの中の蒸留酒が波紋を立てる。照明が時折点滅し、部屋を闇が一瞬支配する度に三人の目が妖しく光り、警告する。
余計なマネはするな――ただ、それだけを。
ラーナは怒りから、エッカートは軽蔑から、大佐は傲慢から、抱く感情は違えども発する警句は同じであった。無論、彼らの一人もその言葉を発していない。
だが立場は違えども戦場を歩き、四肢全てを殺人に駆使してきた殺しの専門家にそんなものは要らない。無くても感じることができる。必要なのは、沈黙か喋った相手を黙らせる銃だ。
「そう多くない魔女の軌跡を使う魔術師、魔女たちが君らだ。内の力を外へ。君たちはヒトの身で竜の息吹を起こし、巨人の力を発揮することができる。あの場所で生まれた者はなぜかそう言う者が多かったな」
だが、龍の逆鱗に触れるような、魔女の杖に振れるかのようなマネを大佐はあえて行う。彼は二人を刺激し、楽しんでいるようであった。
「種には様々な特徴がある。狩りを行うためにフギーは擬態を、狼は速さを、竜は火を授かった。だが、君らは違う。全てを得ている……ならば、君たちは何になるのだろうか? 全能な存在は何と呼べばいい?」
大佐は本能的に二人の匂いを嗅いだ。彼はラーナとエッカートの発する匂いで識別を試みのだ。すると左の口角が吊り上げられた。
「やはり、な。君たちはそのどれでもない。ならば、君たちは」
「大佐」
エッカートが大佐の言葉をさえぎった。
「魔女に会いたいか?」
大佐がその言葉を聞いた直後、グラスがはじけ飛んだ。
宙へと浮かび、大佐が横目で追えば、グラスは二つに切断されており、その切断面は赤みを帯びて粘性の高い液体へと融解していた。そのガラス体はカウンタ―で一度バウンドし、葡萄酒の瓶にぶつかって叩き割った。
緑色のボトルから暗い赤の液体が零れて、フルーティーで奥深い香りが部屋全体に広がる。
放たれたのは軌跡の一端。名も知らない魔女の軌跡はヒトの知覚しえない速度で奔り、不可視の剣としてガラスを叩き斬ったのだ。それはヒトには余りに過ぎた刃である。技術でも鍛錬でも習得が出来ない業をヒトは何と呼ぶだろうか。そんな魔術と言うあやふやな代物を使う者、まさに「魔女」としか説明がつかないだろう。
大佐はその光に目を細める。
非常に現実離れしているがこの軌跡の謎を解き明かせば、戦争は一変することだろう。この世界は機甲戦力ですら竜や巨人と言った種族で成り立っている。つまり、魔術と言う生命の神秘を手に入れれば戦争の革命となりうるのだ。
例えば、魔術的な防御を身に纏った竜が作ることができれば、魔術と竜甲、鱗の三重の防御が出来、より強力となり得るだろう。もし歩兵が手にすれば戦場に竜殺しを量産できるといったように、魔術と兵士の融合は軍人たちの夢なのだ。
ガラス片が散って、中身が床の絨毯に沁み込んでいく。赤いシミは広がり、白い毛皮でできたソレを汚していった。上質な酒が何ら価値のない示威行為に失われ、その味を堪能する機会は永遠に失われた。
「全く意味のない行為だ。魔術は素晴らしくとも、これでは唯の大道芸だ。脅しにもならん無駄な力の消費だ」
「無駄なモノは美しい、でしょ? 大佐。 綺麗な光だしね。アンタが欲している魔女の力も見れたし、無駄じゃないと思うよ」
「なるほど。だが見たいのはソイツじゃない」
大佐は残った酒瓶を掴み、そのままラッパ飲みをした。グラスが無いために仕方なくそうしているだけの事だった。震え一つなく、酒を呷って、目に爛々とした輝きを見せる。
それは危険な野心の煌めきと言えよう。
「私が会いたい魔女は他にいる。そうだろ? エッカート。さあ、そろそろ仕事に行ってくれないか? 会わせてくれるのだろう? 戦友たち」
「……仰せのままに、次期将軍様」
エッカートは大佐に冷水を浴びせるような口調で言った。ラーナは床を蹴り、二人は共に踵を返して大佐の前から去ろうとしたが、直前になってエッカートが足を止めて振り返った。
「言い忘れたけど、護衛対象から二部屋も離れる護衛はクビにした方がいいぞ? ロクスウェル大佐、殿」
「……そうしよう」
その後、遅れてやって来た護衛二人にクビを勧告した大佐は割れた瓶を何気なく拾った。
「15年物のホウキ星か。こうも銘酒が流れては最早飲むことも叶わんな。なんと勿体ない」
取りあえず二回目のオリジナルです。
何分、拙さが目立つと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
感想など、いただければ幸いです。