しかしどうして話したものでしょうか。
リツコさんの手元にあるわたしの情報が無害である事を確認出来たのは良いものの、それは当面の危機が無くなっただけで、話を詳しく聞きだされるといずれ誤魔化しが利かなくなります。特に彼女はわたしの現状へ真摯に向き合おうとしてくれているらしいので、かつて医者へやってきたようなはぐらかし方では、そう遠くないうちにボロが出るでしょう。
むしろ彼女が本気であればある程、わたしの中で誤魔化す事が心苦しくなって、『カウンセリングを受けているのに精神状況が悪化していく』という矛盾した状況になっていくおそれもあります。エヴァとのシンクロが精神状況の影響をもろに受ける事を考えると、それは捨て置けない懸念です。っていうか、そうなればすぐに数値に表れて露呈しちゃいますしね……。
これは……本当にどうしよう。
考えれば考える程難しい問題で、わたしは思わず俯きます。
リツコさんからの視線を頭の天辺にひしひしと感じつつも、少し考えさせて欲しいと告げて思案しました。
そんなわたしの考えは正解だったのか、コーヒーメーカーが小さな音を立てるなり、リツコさんは「まあいいわ」と話を切りました。
視線を彼女に向けてみれば、表情は何処かもの悲しそうに見え、わたしも罰が悪くなります。が、此処で情に流されてしまう訳にはいかないでしょう。
シンジくんの記憶でのリツコさんは明らかな黒幕側の人なのですから。……厳しくも良い人なのは間違いないとも思いますけども。
「まあ、追々聞かせてくれると嬉しいわ。今日は昨日の第三使徒戦での事を教えて頂戴」
わたしが思い悩んでいた姿に、リツコさんは今日この場で事情を聞く事を諦めたようです。そう言ってから取り繕ったような微笑みを浮かべて立ち上がると、そのまま食器が置かれている所へと歩いていきました。
「お砂糖とミルクは?」
「二個とたっぷりでお願いします」
「あら意外……甘党なのね」
「よく言われます」
リツコさんの優しい言葉に胸が痛い……。
そんな気持ちを拭おうと、わたしは微笑んで返します。
とすれば、そんな心境をも僅かにすれ違った理解の仕方で察したのか、リツコさんもくすりと笑います。
「気にしなくて良いのよ。自らの過去を人に話すのは大きなストレスになるわ。……ほんと、カルテを破棄した貴女の前担当が憎らしい限りよ」
とりあげたカップの片方へミルクとシロップをいれて、こちらを振り返ってきました。
――そのカルテが残ってたらわたしのストレスは一瞬で限界に達するんですけどね!
とは当然ながら言えません。
わたしは小さな声ですみませんと返し、苦笑を浮かべます。
黒猫を模した形のマグカップと何の飾り気も無い白いマグカップをひとつずつ持って、リツコさんが戻ってきました。そしてそれをデスクの上に。コーヒーメーカーからポットを取り上げ、小さな音をたてながら注ぎいれていきます。
「知っていて? ミルクは先にいれておくと味がまろやかになるのよ」
その最中、リツコさんは呟くように零します。
それ自体はわたしの気を解す為のものなのでしょうが、話の内容に思わずわたしは目を見開いてしまいます。
「あ、究極のミルクティーってやつですよね?」
「そうよ。よく知ってるわね」
リツコさんは感心した風にちらりとこちらを見て、僅かに破顔します。
ミルクティーにはミルクを先にいれるべきか、後にいれるべきか。一〇〇年以上にわたる論争の末に、どこぞのお偉い学者さんがセカンドインパクトの被害も収拾されきっていない頃、学会へ提出した『究極のミルクティー』論。それは冷たいミルクを先にいれ、後から熱い紅茶を注ぐべきだというものでした。
その話自体はわたしの物心がつくより以前のもので、時期も悪くてあまり話題にはならなかったようでしたが、わたしは偶々テレビの特集で見て興味を持ち、インターネットで過去のそのニュースを調べた事がありました。
それを語れば、リツコさんは「あの時の学会は明るいニュースをと思っていたのでしょうね」と返してきて、白いマグカップを手渡してくれます。
中には湯気が立っている肌色の珈琲。受け取って一口飲んでみればとても甘く、口の中から唾液が溢れて混ざるような感覚を覚えました。そうそう、この感覚が好きなのです。
ほっこりとするわたしに、リツコさんはこれが話の種になると思ったのか、更なる深堀りをした話を並べていきます。
「究極のミルクティー……けどそれ自体は文字通り紅茶に限った話なのよ。何故だか分かるかしら?」
此処にきてカウンセリングの基本である『会話』をしようという様子のリツコさん。
別段無下に扱う必要は無いので、わたしはマグカップを両手で持ちながら返します。
「えっと……香りが一番引き立つ温度ってものがあって、それが紅茶と珈琲じゃ違うから……ですか?」
「いえ、不正解よ。それ自体は正解だけどね」
リツコさんはくすりと微笑みました。
何故なら、と続いて話は更に深みへ。
「珈琲の至高はブラックよ。ブラックで飲めるものでなければ、究極の珈琲とは言い難いわ」
「え? その回答はズルくないですか?」
「だって先の理論はミルクティーについてじゃない。わたしは珈琲と言って、オレやモカとは言っていないわ」
「えー……」
呆気にとられるわたしの前で、リツコさんは自分のブラック珈琲を一口飲みました。
ふうと息を吐く様子は実に様になっていて、何となく出来る大人な風に見えます。
黒猫のカップの中を見つめつつ、彼女は続けました。
「まあ、この珈琲自体ドリップだもの。抽出はポットに出てきた時点で済んでるわよ」
「……たしかに」
言われてみれば正にその通りでした。
最適な温度での抽出は既に済んでいるのです。
あとは口に入れる際の温度が自分の舌に合うか、ただそれだけでしょう。
わたしが納得すればリツコさんはにっこりと笑います。
「とはいえ、貴女にとってミルクを先にいれておいた方がまろやかになるのは間違いないと思うわ」
そしてさも当然な風にこれまで話してきた事と矛盾するような事を言いました。
何となく言いたい事が分かった気がして、わたしは呆れた風な微笑みを返してしまいます。
「気分的に?」と、思った事をそのまま口にすれば、こくりと頷くリツコさん。
「そんな理由で構わないでしょう。研究者はそれについて熱く議論を交わすものの、結局味覚は人それぞれだもの。先入観や空腹以上の調味料はこの世に無いわ」
そして結論はそんな月並みなものに至りました。
それでもリツコさんの表情が満足げに見えて、わたしの心地も悪くないのは、その結論が究極のミルクティーよりもよっぽど真理に近いと思えるからでしょう。
改めて見直せば……。
わたしはリツコさんから受け取った珈琲に二口目を着けて、そんな言葉で思考を巡らせます。
決して情に
赤木リツコという人物は、シンジくんの記憶では『良い人』とは思っていながらも、好感を持っていない相手でした。その理由は比較的単純な『苦手意識』。ミサトさんより多く叱りつけてきた人物で、それによって下がった好感度を回復する機会が少なかった相手だからでしょう。加えてリツコさん自身が理屈っぽく、物事を曲解して悪い方に捉えがちな彼からすれば接し辛い人でもあったのだと思います。
しかし此処に居るのはわたし。
わたしが受けた印象をシンジくんのフィルターを通して感じてしまうのは、きっとダメな事。だって向けられている優しさは誰でもないわたし宛てなのですから。そこにああだこうだと思ってしまうのは、今正に話していた『先入観』という名前の、味の悪い調味料の所為な訳ですし。
まあ、『黒幕側の人である』という知識だけは念頭に置いておきましょう。あとは……何だっけ、確かリツコさんはお父さんと――。
と、考えた瞬間に感じる凄まじい悪寒。
――キモチワルイ。
「……ひっ!?」
不意に頭の中に響いた言葉によって、わたしは思わず肩を跳ねさせます。手に持ったカップの中でカフェオレがぱちゃんと音を立てて思わず落としそうになり、慌てて掴み直しました。
そんなわたしの様子にリツコさんは僅かに驚いたような様子で、「どうかして?」と尋ねてきます。が、わたしは首を横に振ると、何でもないと素早く答えました。
思い起こそうとした何かは、もう思い出せません。
しかしそれは決して思い出してはいけない事だと身体が本能的に察したのか、胸の中でドクンドクンと大きな音が鳴り、全身の肌が粟立つかのようでした。
わたしは思わず固唾を飲み、僅かに震える手でカフェオレを煽ります。
そしてごくりごくりと音を立てて一気にカップの中を空にしてしまえば、リツコさんに向かって頭を下げました。
「ごめんなさい。……もう一杯貰えますか」
「……どうしたの? 急に」
リツコさんは心配するように問い返してきながら、わたしの手からマグカップを受け取ります。
口頭での問いに対しては首を横に振って返しますが、砂糖とミルクを取りに行こうと椅子から立ち上がる彼女を止めました。
「……ブラックで、下さい」
すると僅かに目を見開いたかのような様子のリツコさん。
暫くして「ええ」と声が返って来れば、わたしは俯いて唇を開きます。
「嫌な事を思い出すのは嫌なので、漠然的に話します。手短ですけど、良いですか?」
視線は真っ白な床へ。
わたしの言葉にリツコさんが身じろぎをしたような気配がありますが、わたしは顔を上げません。
いや、上げられないと言った方が正しいでしょう。胸の内でドクンドクンと高鳴る音が彼女を見てはいけないと言っているような気がして、思い出してはいけない事を思い出してしまう気がして、わたしはこの場を手早く切り上げたいと思ったのです。
唐突な物言いに、流石のリツコさんも驚いた事でしょう。
返事が来たのは、たっぷり一〇秒は経ってからでした。
「……ええ、構わないわ。話せるだけで良い。無理もしなくて良くってよ」
その返答を受け、わたしはすぐに唇を開きます。
「夢の事は……ごめんなさい。詳しく話したくありません。だけど何時もわたしは戦わされて、怪物や友達を殺していました」
逡巡した筈の事を述べていく唇は、まるでわたしの唇じゃないかのように動きます。決して第三使徒の時のような誰かに操られている感じではないのですが、自分でも驚く程さらりと誤魔化しを入れて話していきました。
「エヴァに乗った時……あのLCLって液体に包まれた瞬間、頭が痛くなって、わたしがわたしじゃなくなっていく感覚でした。そして発進した後はまるで夢で怪物と戦ってたような感覚になって、あの怪物が憎たらしくって仕方なかったんです……」
気をつけるべき部分はきちんと気をつけ、殆んどを『自ら理解していない』と主張して投げやりに話すわたし。
ああ、そうだ。
これはかつて保護者に受けさせられたカウンセリングで、医者にした回答と何ら変わりない。
あの時と同じように対処しようとしている自分がいるのです。
「だから八つ裂きにしました。ただただ夢の中の復讐をしている気分になってた……と、思います」
此処まで話しても、わたしは嘘を言っていませんでした。
ただただ『謎』と言うフィルターを利用して誤魔化しているだけです。
ああ、本当にわたし……嫌な子だ。
先程の朗らかな気分は何処へやら。
わたしは半ば自暴自棄にでもなる気分であっさりと誤魔化しを終えました。
受け取ったブラック珈琲はとても苦く感じて、それをやはり一息で飲み干したわたしは、疲れたと駄々をこねて宿舎に帰りたいと言いました。本来ならばこのあとエヴァの話もしようという予定だったろうに、リツコさんはすんなり許可をくれるのでした。