『民間人!? レンちゃんのクラスメイト!?』
『何故、あんなところに……』
途端に喚く葛城ミサトと赤木リツコ。
しかし無理も無い。封鎖されたシェルターから抜け出すなんて、普通の民間人には不可能だ。相田ケンスケはそういうところばかり、くだらない才能に富んでいる。
――どうする?
逡巡したのは、わたしだけではないだろう。
何時だって不測の事態は起こり得るものだが、こればっかりは本部の面々からすれば、予想外も良いところ。まさかこんな状況を予期して、職員を死地に配備している筈もない。
しかし、答えは実に簡単だ。
見捨てるか。
見捨てないか。
すっかり腰を抜かしている三人に、急ぎシェルターへ戻り、出口を封鎖するように言ったとして、実行出来ないのは目に見えている。つまり、誰かが助けない限りは、戦闘に巻き込まれて死ぬか、巻き込まれずに助かるかの二択。どう考えても前者の可能性が圧倒的に高く、彼等への気遣いがもとで、今の窮地が更に悪化する恐れもあるだろう。
そして、この場において彼等に対処出来るのは、此処に居るわたしだけ。
今から救助を出したとして、間に合う筈もない。
だが――。
何時の間にか彼等へ向けていたエヴァの視点を正面へ正せば、そこには悠々とこちらへ向かってきている第四使徒の姿が映る。どうやって移動しているのかは定かではなく、動きも緩慢ではあるものの、触手の射程を考慮すれば、猶予はあまり多くない。
かと言って、戦地を動かすという判断も難しい。
洞木ヒカリ達は、エヴァの指を少し動かせば届く位置に居る。起き上がろうと踏ん張るだけで、彼等に対して被害を及ぼす可能性が高い。
そう、正に『見捨てる』か『見捨てない』かだ。
構う事無く起き上がり、プログレッシブナイフを取りに向かえば、運が良ければ三人は助かる。ただし、助からない可能性だってある。唯一確実なのは、わたしが使徒を殲滅する事。
仮に三人を助けるとなれば、碇シンジがやったように、エヴァに同乗させる事になるだろう。その場合、エントリープラグへ『異物』が混入する事になり、シンクロ率に害を及ぼす。となると、高い精度を求められる『投擲』という選択肢は無くなる。むしろ取りに行く最中に、すっ転ぶ可能性だってある。使徒を殲滅出来るかが、定かではなくなるのだ。
つまり、前者がわたしのやるべき事であり、情に流されて後者を選ぶ事こそ悪手。
仮にわたしが使徒を殲滅出来なければ、あの三人どころか、全人類に多大な被害を及ぼすのだから。
『レンちゃん。その三人を――』
「見捨てる」
わたしは葛城ミサトが出そうとした指示を遮り、端的に言った。
呆気にとられたような声が返って来たが、反論の言葉は既に用意してある。わたしは胸がどくんどくんと音を大きくしていくのを感じながらも、冷静に言葉を続けた。
「此処で情に流されて、エヴァを失う訳にはいかない。全人類とあの子達の命なら、わたしは前者を選ぶ」
言葉を呑んだような音が聞こえた。
わたしの言い分は正論でこそあるものの、齢一四の娘が言う事にしては、あまりに冷酷に聞こえた事だろう。
事実、見捨てる事が正しいとは分かっていただろうが、葛城ミサトは碇シンジに『救助』の命令を出した前例がある。それを愚行だとは思わないが、態々わたしもそれに倣って、エヴァを損傷するつもりはない。少なくとも、彼の記憶で葛城ミサトがそう命令したのは、『犠牲者』を目にして、碇シンジのパフォーマンスを下げる事を恐れた為だろう。
となれば簡単だ。
わたしが割り切れば良い。
わたしの精神状態に異常をきたすのでないとなれば、後顧の憂いも何もない。
三人は自業自得――洞木ヒカリには同情するが――であり、必要な犠牲だったと言える。
『……後の責任はあたしがとるわ。好きになさい』
葛城ミサトが諦めたような声を漏らした。
その言葉に赤木リツコが『ちょっと、ミサト!?』と、声を荒げるが、続く指示は無い。
本部の様子はこちらから分からないが、どうやら葛城ミサトが無視を決め込んでいる様子。赤木リツコの舌打ちが最後に聞こえて、回線が静かになった。
さて、小煩い上官が黙った事だ。
いい加減使徒の射程圏に入ろうかとしているし、そろそろ動――。
として、わたしは胸に鋭い痛みを覚えた。
それは決して目に見えたダメージでも、エヴァが負ったダメージでもない。とても漠然とした痛みだった。
ふとすれば、視界が真っ白に染まる。
目に見えた景色が全て掻き消え、エヴァの駆動音までもが聞こえなくなった。
周囲の環境から完全に切り離されて、活目したわたしの視界には、一人の女の子が映る。
赤褐色の髪を揺らし、笑顔を浮かべるその少女は、明らかな幻影。エヴァに乗っているわたしが、認める筈の無い人影だった。
だけど彼女は、わたしの動揺なんて知ったこっちゃない様子で、朗らかに笑う。やがてゆっくりと唇を開いたかと思えば……わたしは彼女の言葉を覚えていた。
――れんはいいこ。
いいこだから、もうしなない。
あたしはそんなれんが、だいすきだよ。
「あっ……」
瞬きひとつで一転する世界。
ハッとして改まった先には、先程認めた距離感と変わらぬ位置に居る第四使徒の姿。
今しがた見ていた幻想は瞬時に消え去っていた。さながら白昼夢だったと言わんばかり。しかし、それは現実。過去の記憶。表のわたしが、『決して忘れてはいけない事』として、脳に焼き付けた事だった。
唐突にフラッシュバックした記憶は、まるで警鐘を鳴らすかのよう。
大切な親友だった少女との誓いは、決して裏切ってはならぬものだろう? と、自分に問われている気分だった。
煩わしい。
そう言って吐き捨てる事は簡単だ。わたしはそれしきの事で揺らぐ程、柔では無い。しかし、敢えて心が警鐘を鳴らす理由は、言わずと察せる。……そう、表のわたしが耐えられないと言っているのだ。
わたしは小さく舌打ちをする。
面倒臭い上に、この期に及んで明確な悪手を取れだって? 冗談じゃない。
そもそもこの状況は表のお前が招いた事。それをおして尚、わたしにあの三人の身を守れだなんて、虫が良いにも程があるわね。碇レン。
とはいえ、仮に表のわたしが、罪悪感に耐えられず、廃人にでもなってしまったら、流石のわたしも困る。わたしという存在はあくまでも『碇レン』の一部であって、表の彼女無くして有り得ない。何処ぞのファンタジーのように、成り代わるだなんて事も出来ないだろう……少なくとも、現状においては。
「……はあ」
思わず溜め息と良く似た感じで、LCLを吐き出す。
仕方無い。
遺憾この上ないが、そもそも『あの子』との約束なのだから、聞いてやっても良いだろう。
わたしは目前の使徒と、活動限界までの時間を改める。
使徒との距離は未だ奴の射程外。手元の三人を何とかしている内に射程内に入ってしまうだろうが、急げば間に合わない事もない。
問題は活動限界までの時間。
二分とちょっとって……碇シンジの時と同じくらいの猶予しかないじゃないか。
まあ、仕方無いんだ。
仕方無いと決めたら、さっさとやってしまうが吉だ。
わたしはほとほと面倒臭いと言わんばかりにげんなりした顔で、本部へ呼びかけた。
すぐに『何?』と、端的かつ、何処か怒ったような声色で応答した葛城ミサトに、「前言撤回」と言って、両手を上げて『お手上げ』だと伝えた。
「二重人格なのは承知でしょ? 見捨てたら表のわたしが面倒臭いみたいだから、とんでもなく遺憾この上ないけど、あいつ等を助けてやっても良いよ」
『……はい?』
『……えっ』
葛城ミサトと同時に、赤木リツコまでもが素っ頓狂な声を出す。
懸念してカウンセリングをしていたというのに、わたしに自覚症状があるのは意外だったらしい。それか、そもそもこの場でそれを主張される事自体が意外だったのだろうか?
何にせよ、こればっかりは本部の全員が承知の筈。表のわたしにとっても、『言い訳』が出来るようになる訳で、別段悪い事ではないだろう。これに限っては、改めて認知して貰っている方が、こちらとしても都合が良いというものだ。
わたしの思わぬ発言に、困惑する本部。
溜め息混じりにLCLを吐き出して、わたしは呆れた顔をスクリーンに向けた。
「早くしてくんない? 気が変わるよ?」
『初号機をロック! 早く!』
ハッとしたような様子で、葛城ミサトが早口に指示を出す。
その端的な指示に対して、職員達の有能さったら、堪らないもの。『エヴァのロック』という指示だけで、何故エヴァの姿勢制御の他、エントリープラグの排出や、予備電源の供給率の低下までもをしかとやってのけるのか。そんな順応っぷりは、使徒戦に活かしてくれと思うばかり。
ほんと、特務機関ネルフは一体何の為の組織なのやら……。
ブラックアウトしたスクリーンを見て、わたしはそんな事を考えた。
エントリープラグの排出が終わり、最低限のLCLを吐き出して、ハッチが開く。
プラグの排出に合わせて、後退したインテリアから背を伸ばし、ハッチの外へ。溜め息混じりに周囲を改めれば、先程と変わらぬ位置で震えている三人を認める。
突如エヴァの後頭部から出て来た棒。更にそこから現れたわたしを見て、今に悲鳴さえあげそうな程、驚いている様子だった。
はあ……。
子守りもしなくちゃいけないの? わたし。
溜め息混じりに、わたしは顎で自分が顔を出しているハッチを示す。
「早く来たら? 死ぬよ?」と、続けて言えば、男二人は悲鳴を上げながら、形振り構わない様子でやって来た。続いて洞木ヒカリが立ち上がろうとして……あ、ダメっぽい。腰が抜けて立てない様子だった。
その様子を認め、わたしは情けない顔をした二人の男子を否める。
「おい。か弱い女子を置いてくんなよ。クズかお前等」
一時は見捨てようとした我が身棚上げで、わたしはそう罵った。
すると、ぴたりと動きを止める二人の男子。互いに顔を見合わせ、今一度こちらを改めた後、わたしが指差した方向に倣って背後を振り返る。「あ、いいんちょ……」と、鈴原トウジが間の抜けた声を上げた。
と、その時、ズガンという音と共に、わたしが佇むエントリープラグが激しく揺れた。
思わず悲鳴を上げながら、まさかと思って振り向く。が、エヴァの頭部が邪魔で、その向こうの様子は視認出来ず。ただ、使徒の射程圏に入ったのは間違いないだろう……先程のように投げ飛ばされたら、堪ったものじゃない。
「早くしろ! 時間が無い!!」
わたしはそう言って、プラグの内部へ戻る。
幸いプラグ自体は地面すれすれに出ているので、子供の身の丈でも助け無くよじ登れるだろう。
インテリアに身体を収め、何時でも起動出来るように操縦桿を握る。
LCLは……大丈夫。多くは流れ出てしまったが、起動時に降下する位置を想定すれば、顔までしっかりと浸かる事が出来る。スクリーンの生成に支障をきたす程ではないだろう。問題はシンクロ率だが……そればっかりは再起動してみないと分からない。加えて、投げ飛ばされていない事を考慮すると、恐らく『串刺し』にされている。そのフィードバックダメージに対して、覚悟しておかなければ……。
して、使徒はどうする?
殲滅するか……撤退するか……。
否、そもそも逃げ果せるものか。
使徒の射程と攻撃速度を鑑みれば、愚鈍になったエヴァが、肉薄した状態から脱せるとは思えない。虎の子のATフィールドも、無効化される事は確認した。先程よりシンクロ率が落ちた状態では、誤魔化しにもならないだろう。
やはり、此処で倒す他無い。
前例通りならば、葛城ミサトは撤退を指示するだろうが……構う事はない。
甚振る時間が無い事だけが遺憾この上ないものの、已む無し。
本よりATフィールドを過信したわたしが悪い。これについては猛省する。次はもっと巧くやろう。
ふとすれば頭上が騒がしくなる。
「きゃあ!」
転げるようにして洞木ヒカリが入ってくれば、続いて似たような悲鳴を上げながら、相田ケンスケと鈴原トウジも続く。全員がインテリアの裏にしがみ付いたのを確認したわたしは、よしと頷く。
三人を引き摺るのを承知で、手動でインテリアを降下させた。
「うわあ! な、何やこれ。水!?」
「か、カメラが!」
「い、碇さん!?」
喧しく喚く三人を一度だけ振り返る。
困惑する彼等にLCLを飲み干して見せた。
肺に突き刺さるような痛みを覚えながらも、わたしは続けて彼等に忠告した。
「良い? 本来なら見捨ててた。洞木ヒカリに感謝なさい……そんで、今から戦闘に戻るけど、邪魔したら後でぶっ飛ばす」
そう言って、前方へ向き直る。
鈴原トウジが何事かを言いかけたようだが、相田ケンスケが彼を否めていた。くだらない才能ばかりに富んだ奴ながらも、こういう時の察しの良さは助かる。小煩いガキは、洞木ヒカリを見習って、口でも塞いでろ。
すう……と、LCLを胸一杯に呑む。
生臭い匂いが、わたしの昂ぶりを落ち着けるよう。
しかしその代わりと言わんばかりに、先程の混乱によって失われた闘争心が胸に宿る。
横目にちらりと見た活動可能時間は、残り『00:55:34』。
これだけあれば……十分だ。
「三人収容。使徒殲滅を再開する」
『レンちゃん!? ダメよ。一度撤退。本部に戻って』
通信が再開したのを見計らって報告すれば、却下される。
しかし、この状況でどう見たら撤退出来ると?
スクリーンが再起動するや否や、初号機に覆い被さるような形で、肉薄している第四使徒を認めた。最早逃げ果せる筈がない。
「良いから。シンクロ再開して! このままじゃ細切れにされる!」
『……っ。シンクロを再開して』
小さな舌打ちと共に、指示が飛ぶ。
了解と伊吹マヤが返す頃合を見計らって、わたしは腹にぐっと力を籠めて、歯を食いしばった。
そして――シンクロ再開。
「う、うぐぁぁああ!!」
堰を切ったように、身体を駆け巡る激痛。
最早それが痛みである事さえ、分からなくなってしまいそうな感覚。熱い。ただひたすら熱かった。
だけど、覚悟はしていた。
それもあってか、思わず腹部を押さえたわたしは、活動限界までの数字が三つ減る瞬間には、操縦桿へ手を伸ばす。意識をもっていかれそうな痛みを、何とか堪え、操縦桿を――いや、使徒のコアへ向けて、手を伸ばす。
肉薄したのが間違いだったねぇ……シャムシエル。
あんたのコアの脆さは、よーく知ってるんだから……。
「ぶっころす……ぶっ殺してやらぁあ!!」
猛るのと共に、わたしは思いきり手を伸ばす。
臨界を越えたような感覚を覚えれば、やけにあっさりと手は伸びた。
そして、スクリーンに映る赤い宝玉を、紫色の手が鷲掴みにした。
しかし、同時に腸を抉る触手が、ぐわんと暴れた。
体内をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚を覚えて、わたしはLCLを吐き出す。首を絞められた鶏のような声まで上げて、それでも痛みは我慢出来ない。
おまけと言わんばかりに顔面までぶっ刺されて、わたしは声にならない悲鳴を上げた。最早何処を穿たれたのかさえ分からず、腹を押さえていた手で髪を掻き毟った。
ああ、本当に死に直面するような痛みって、此処まで痛いのか。
そんな現実逃避が頭を過ぎる。
それでも――手は離さない。
此処で離したら、後は蹂躙されるだけ。折角助けた三人も、助からない。
何より、諦めたら、あの子に褒められた事が、嘘になってしまう。
「が、頑張れ。転校生!」
そこで、誰かの声が聞こえた。
その声に便乗するように、「碇さん!」「碇!」幾つかの声が重なる。
ふと見やれば、先刻の諍いなんて忘れたような面で、わたしの腕を支える鈴原トウジの姿が映る。
全く……邪魔するなって言ったのに……。
一体何処の青春漫画よ。これ……。
頑張れなんて、言われるまでもない。
もう既に死力を尽くして頑張っている。
それに、わたしの中で、赤褐色の毛をしたあの子が、『いいこ』って言ってくれたこの生への執着心を、捨てる筈が無いだろう? そんなに心配しなくたって、誰も諦めたりしないって。
――ねえ? マナ?
呼びかければ、赤褐色の少女はにっこりと笑う。
そこに居る筈がない彼女は、わたしの中で確かに笑う。
大丈夫だよ。
レンはわたしが守るから。
この子に貴女との約束は破らせたりしないから。
「くったばれぇぇえええ!!」
全ての想いが馬力になり、エヴァ初号機の手が、赤い宝玉を握り潰す。
一度勢いがつけば、あとはあっという間。ぐしゃりと音を聞いて、わたしは勝利を確信した。
そしてそれがわたしの限界で。
まるで古いテレビを消灯した時のように、ぷつんと呆気なく視界の色が消えた。